5/14(土)旧暦4/8 法林寺花まつり 

May 23 [Mon], 2016, 16:34
葡萄仕事が忙しいので、行くか行くまいか迷いました。
夫が「行けばいいやん」といったので、13時よりの、花まつりへ行ってきました。
花まつりは、お釈迦様の誕生日と言われている4月8日に行われる法要です。
お釈迦様はルンビニー(現ネパール)の花園でお生まれになり、その際に天から龍王が降り立って甘露を注いだという伝説があります。このことから花御堂の中に誕生仏のお姿のお釈迦様をおまつりし、甘茶を注いでお祝いするよつになったようです。


花まつり、保育園の頃ぶり!厳かな雰囲気が好きです( ´ ▽ ` )。法要が始まり、私もお釈迦様にお茶をかけて手を合わせましたm(__)m。いつもありがとうございます、とお礼を申し上げただけですけど。甘茶いただきまして、甘茶あまい!( ´ ▽ ` )。久しぶりだー。










その後、馬頭琴コンサートがありました。
仏教国モンゴル出身ミュージシャンによる馬頭琴コンサート、と書いてありました。ドランさんという女性の方です。
馬頭琴初めて聴きましたが、好きな音色。懐かしいような。バンドメンバー2人と一緒に演奏もされてました。
CD買うかなぁ、と思ったけど、早く帰らないと家の人に怒られると思い、プレゼントの甘茶の苗をいただき大急ぎで帰宅しました。

https://m.youtube.com/watch?v=vdpSnt0kvXo







この日の収穫は、ブッダのおしえの小冊子。わかりやすい!初心者向けです。


小冊子に載ってた、「六つの行い」↓


六波羅蜜(ろっぱらみつ)とは、
布施(ふせ) 持戒(じかい)
忍辱(にんにく) 精進(しょうじん)
禅定(ぜんじょう) 智慧(ちえ)


の六つのことで、この六つを修めると、迷いの此の岸から、さとりの彼の岸へと渡ることができるので、六度ともいう。


布施 は、惜しみの心を退け、
持戒は、行いを正しくし、
忍辱は、怒りやすい心を治め、
精進は、怠りの心をなくし、
禅定は、散りやすい心を静め、
智慧は、愚かな暗い心を明らかにする。


布施と持戒とは、城を作る礎のように、修行の基となり、
忍辱と精進とは、城壁のように外難を防ぎ、
禅定と智慧は、身を守って生死を逃れる武器であり、それは甲冑に身をかためて敵に臨むようなものである。
施した後で悔いたり、施して誇りがましく思うのは、最上の施しではない。施して喜び、施した自分と、施しを受けた人と、施した物と、この三つをともに忘れるのが最上の施しである。
正しい施しは、その報いを願わず、清らかな慈悲の心をもって、他人も自分も、ともにさとりに入るように願うものでなければならない。




『華厳経 明難品』『大般涅槃経』


※※※※


みろく世に行く切符となる下座行。社会の底辺で【人の心の在り方】を学ぶのが最高の魂磨き!(神言会)http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=429


この「下座行」とは、自分は偉い者だとか優れた者だと思わずに、世の中からいくら低い者と思われていても、それに何等不平不満を言わずにやり抜くことです。そこに出て来るのは他人に対する優しさと感謝と謙虚さなのです。(神言会)



※※※※




これを書いているのは5月23日ですが、5月14日は、熊本地震発生からちょうど一ヶ月でしたm(__)m。
色々考えさせられるものがあり。
お釈迦様の教えの、施しに関して、と。
神言会さんの言われる、下座行。

寄付することは素晴らしいことです。
たまにですが、寄付したことを自慢する方を見かけるのです。
あなたの為にしてやった、が透けて見えますm(__)m。
上から目線。
そして私がこんなに正しいことをしているのだから、あなたもしなさい、のような文面。押し付け。たまに、ですよ。
そもそも人に言われて、することでは無いのです。したい方、出来る方が、出来る範囲で。
因みに、熊本地震関連、大西市長ツイート↓
https://twitter.com/k_onishi/status/733851202446753792
【熊本市ホームページ・義援金や寄付金について】https://t.co/GedxJoUwB0

自分も「偉そうに」は夫から、昔よく言われていたので、そのような人を見ると昔の自分を見るし、今の自分はどうか、と省みるいい機会になります。


ありがとうございます。
生まれてきて学べる機会を与えて下さった方々に深く感謝しますm(__)m。








高橋源一郎さん 【震災で卒業式を出来なかった学生への祝辞】 

March 17 [Thu], 2016, 16:28
畑仕事をしている時は、NHKラジオを聴きます。
先週の金曜日は3月11日で、少ししんみりした気持ちで。
東北の震災から五年。ラジオでも特集が組んでありました。
そこで、高橋源一郎さんが、下記を読み上げられました。Twitterで発信もされていたようです。


※※※※


転載元→http://blog.goo.ne.jp/bozzo173/e/c94622e09813b130e9f61c74e1b6b98f



【高橋源一郎】震災で卒業式をできなかった学生への祝辞

今年、明治学院大学国際学部を卒業されたみなさんに、予定されていた卒業式はありませんでした。
代わりに、祝辞のみを贈らせていただきます。

いまから四十二年前、わたしが大学に入学した頃、
日本中のほとんどの大学は学生の手によって封鎖されていて、入学式はありませんでした。

それから八年後、わたしのところに大学から「満期除籍」の通知が来ました。それが、わたしの「卒業式」でした。

ですから、わたしは、大学に関して、「正式」には「入学式」も「卒業式」も経験していません。
けれど、そのことは、わたしにとって大きな財産になったのです。

あなたたちに、「公」の「卒業式」はありません。それは、特別な経験になることでしょう。
あなたたちが生まれた1988年は、昭和の最後の年でした。
翌年、戦争と、そしてそこからの復興と繁栄の時代であった昭和は終わり、
それからずっと、なにもかもが緩やかに後退してゆきました。

そして、あなたたちは、大学を卒業する時、すべてを決定的に終わらせる事件に遭遇したのです。
おそらく、あなたたちは「時代の子」として生まれたのですね。わたしは、いま、あなたたちに、
希望を語ることができません。あなたたちは、困難な日々を過ごすことになるでしょう。

あなたたちの中には、いまも就職活動をしている者もいます。
仮に就職できたとして、その会社がいつまでも続く保証はありません。
かつて大学生はエリートとされていました。残念ながら、あなたたちはもはやエリートではありません。
この社会に生きる大多数の人たちと同じ立場なのです。

だからこそ、あなたたちの生き方が、実は、
この社会を構成する人たちみんなの生き方にも通じていることを知ってください。
わたしは、この学校に着任して六年、知識ではなく、
あなたたちに「考える」力を持ってもらえるよう努力してきました。

その力だけが、あなたたちを強くし、この社会で生き抜くことを可能にすると信じてきたからです。
あなたたちは、十分に学びましたか? だったら、その力を発揮してください。
まだ、足りないと思っていますか? では、社会に出てからも、努力し続けてください。

あなたたちの顔を見る最後の機会に、一つだけ話したいことがあります。
それは「正しさ」についてです。あなたたちは、途方もなく大きな災害に遭遇しました。
確かに、あなたたちは、直接、津波に巻き込まれたわけでもなく、
原子力発電所から出る炎や煙から逃げてきたわけでもありません。

けれど、ほんとうのところ、あなたたちはすっかり巻き込まれているのです。
なぜ、あなたたちは「卒業式」ができないのでしょう。
それは、「非常時」には「卒業式」をしないことが「正しい」といわれているからです。
でも、あなたたちは納得していませんね。

どうして、あなたたちは、今日、卒業式もないのに、少し着飾って、学校に集まったのでしょう。
あなたたちの中には、少なからず疑問が渦巻いています。
その疑問に答えることが、あなたたちの教師として、わたしにできる最後の役割です。

いま「正しさ」への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。
凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人たちが、連帯や希望を暑く語ります。
それは、確かに「正しい」のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。

ある人にとっては、どんな事件も心にさざ波を起こすだけであり、
ある人にとっては、そんなものは見たくもない現実であるかもしれません。
しかし、その人たちは、いま、それをうまく発言することができません。
なぜなら、彼らには、「正しさ」がないからです。

幾人かの教え子は、「なにかをしなければならないのだけれど、
なにをしていいのかわからない」と訴えました。
だから、わたしは「慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい」と答えました。
彼らは、「正しさ」への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。

わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思っています。
一つは、これが特殊な事件ではないということです。
幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずっと年上で、だから、たくさんの本を読み、
まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。

明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、
それが終わって民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、
人々は今回と同じように、時には美しいことばで、「不謹慎」や「非国民」や「反動」を排撃し、
「正しさ」への同調を熱狂的に主張したのです。

「正しさ」の中身は変わります。けれど、「正しさ」のあり方に、変わりはありません。
気をつけてください。「不正」への抵抗は、じつは簡単です。
けれど、「正しさ」に抵抗することは、ひどく難しいのです。

二つ目は、わたしが今回しようとしていることです。
わたしは、一つだけ、いつもと異なったことをするつもりです。
それは、自分にとって大きな負担となる金額を寄付する、というものです。
それ以外は、ふだんと変わらぬよう過ごすつもりです。けれど、誤解しないでください。

わたしは「正しい」から寄付をするのではありません。
わたしはただ寄付をするだけで、偶然、それが、現在の「正しさ」に一致しているだけなのです。
「正しい」という理由で、なにかをするべきではありません。
「正しさ」への同調圧力によって、「正しい」ことをするべきではありません。

あなたたちが、心の底からやろうと思うことが、結果として、「正しさ」と合致する。
それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に、「正しい」ことを、
する気になれないとしたら、それでもかまわないのです。

いいですか、わたしが負担となる金額を寄付するのは、いま、
それを心からはすることができないあなたたちの分も入っているからです。
三十年前のわたしなら、なにもしなかったでしょう。いま、わたしが、
それをするのは、考えが変わったからではありません。ただ「時期」が来たからです。

あなたたちには、いま、なにかをしなければならない理由はありません。
その「時期」が来たら、なにかをしてください。その時は、できるなら、納得ができず、
同調圧力で心が折れそうになっている、もっと若い人たちの分も、してあげてください。
共同体の意味はそこにしかありません。

「正しさ」とは「公」のことです。「公」は間違いを知りません。
けれど、わたしたちはいつも間違います。
しかし、間違いの他に、わたしたちを成長させてくれるものはないのです。
いま、あなたたちが、迷っているのは、「公」と「私」に関する、永遠の問いなのです。

最後に、あなたたちに感謝のことばを捧げたいと思います。
あなたたちを教えることは、わたしにとって大きな経験でした。
あなたたちがわたしから得たものより、わたしがあなたたちから得たものの方がずと大きかったのです。
ほんとうに、ありがとう。

あなたたちの前には、、あなたたちの、ほんとうの戦場が広がっています。
あなたを襲う「津波」や「地震」と、戦ってください。挫けずに。さようなら。善い人生を。




※※※※


震災が起きた当時、私も何かしなければ、と思ったのはあります。
無力だなぁ、とつくづく思っていた気がします。
当時は長男が0歳9ヶ月の時でした。
何かを卒業したわけでもなく、ただの農家の嫁なんですが。

高橋源一郎さんの言葉には励まされるものがありました。
人生の先輩ですね。
ありがとうございましたm(__)m。



和顔愛語(わげんあいご) 

March 09 [Wed], 2016, 13:41
「和顔愛語」という言葉をLINE上で見かけたので、気になって調べてみました。
本当に知らないことって多いです。
とてもいい教えなので、下に貼りますm(__)m。


※※※※


引用元→http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=32


和顔愛語とは、「大無量寿経」にある言葉で、おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することなのです。無財(むざい)の七施(ななせ)〔財がなくてもできる七通りの布施〕の中の和顔悦色施(わげんえつしきせ)と言辞施(ごんじせ)に通じる内容ですから、布施行のひとつでもあります。
 例えば、もし混んでいる電車の中で足を踏まれたとしましょう。その時、あなたは怒ってはいけません。にこやかな顔で、
 「あなたの靴が私の足の上に乗っているのですが」
 と、穏(おだ)やかに言わねばなりません。何しろ布施の修行をしているのですから。
 アランの「幸福論」に
 「あなたがレストランに入る。隣の客に敵意ある視線を投げ付け、さらに、メニューをジロッと見て、ボーイをにらむ。それですべては終わりだ。不機嫌がひとりの顔から他のひとつの顔に移る。すべてがあなたの周囲で衝突(しょうとつ)する。恐らくコップでも割れることだろう。そして、その晩、ボーイは細君を殴りでもするだろう」という話があります。
 あなたの不機嫌な行動や言葉は、あなたひとりに止まらず、次から次へと伝わっていくと言うことでしょう。それからまた、他人の不機嫌も自分に伝わり、楽しかるべき気分が損なわれることもあるのです。
 さて、不機嫌が他へ伝わるものならば、その反対の上機嫌も同じく他へ伝わるはずなのです。だとしたならば、不機嫌を他にばらまくより、気分よく人に接した方がいいに決まっています。それは、誰もが望むことですが、四六時中(しろくじちゅう)気分よくしようとしてもなかなかそうはさせてくれません。他人との間では、自分の思い通りにならなかったり、嫌な仕打ちを受けたりもします。そんな時、にこやかに思いやりある言葉で接することなどできませんし、もし、そのように振る舞えたとしても、相手に媚(こ)び諂(へつら)っているようにしか思われないでしょう。
 では、どうしたらよいのでしょうか。
 怒りには怒りをもって応酬(おうしゅう)しますか。それでは、ギスギスした心になってしまいます。和顔愛語は、先に申しましたように仏道修行なのです。布施行なのです。他人の思惑(おもわく)などどうでもよいのです。和顔愛語を行って、他人によく思われたいと思ったならば、それは布施ではありません。あくまでも自分自身の問題であり、仏の境地に近付く第一歩なのです。


※※※※


「今年は和顔愛語で行こう」と書いてあって、?と、思っていたのです。
しかし、調べてなかった。
素通りしても、また戻る。知るタイミングがあるようです。
昨日は、精神的に荒れていましたm(__)m。
花粉症とホルモンバランスで、朝から今日はヤバイな、気をつけよう、とは思っていたのです。しかし、やらかしましたね、たまーに身内で衝突する人がいるんです。仕方ないのです、同居ですから。いつもは流せる所が流せない、そういう日もある。
で、昨日の夜は泣き虫状態でした。
冬場は乾燥肌がひどくなり痒いのですが、精神不安定になると、掻きむしるがあります。久し振りに、やってしまったm(__)m。
悪想念を放ったことと、肉体は神様からの借り物と思っているので「神様ごめんなさい」と、寝てる間も何度も謝っていましたm(__)m。
まだまだ未熟です。魂を見れる人が見たら、赤ちゃんかもしれん、と思いましたm(__)m。


なことで、今は落ち着いてます。
とは言え、昨夜泣いたことで、花粉症での目の痒みが少し落ち着きました(*^_^*)。
ある意味、言うべきことを言ったから、ちょっとスッキリはしました( ´ ▽ ` )ノ。




上野公園さんのブログ(http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=413)が数日前に更新されてあります。「人を呪わば穴二つ」です。
肝に銘じて起きます。
結局は、恨んだ方が負け。それに囚われてそればっかり考えていたら、思考が止まる。盲目的。
そして、魂の磨かれた方に悪想念を放てば、その矢は相手に刺さらず己に跳ね返る。
なので、恨まず、許すが大切です。
許すって、けっこう難しいですけどね。
私は恨みより、悲しみが先に立つから、これもどうなんだろう、と思うけれど。
失敗することはあるけれど、反省していけたらいいなぁと思います。


胸に手を当てて考える、はネット友達が言われていたけど、大切な気がします。
胸の中には、神様がいらっしゃるので(日本神道で言う、直霊=良心神)。
胸に手を当てる、私の場合、毎晩寝る時の体制なのです。
で、1日のことを考えて反省したり、今日も1日生きてた、有難うございますm(__)mなのでした。


それから、悪想念など受けやすい方、霊媒体質の方は、臍下丹田(せいかたんでん)を鍛えたらいいそうです。
参考にされてくださいませm(__)m。
→→https://m.youtube.com/channel/UCUOJelFW6gdwMXYQhV1LzWQ

サタナエル(悪魔) 

February 20 [Sat], 2016, 17:51
昨年末、図書館で長男(5歳)が、一冊の本を持っていた。
怖い感じの、悪魔が狐のお面を持ってる表紙。
久留米市田主丸町出身作家の乙一著「天帝妖狐」。
私は狐のお面に惹かれがち。もしかしたら、狐が守護霊かも?と最近はちょっと思う。


その本の中に「垂早苗(たるさなえ)」が出てくる。主人公が小学生の頃にコックリさんをして、降りてきた霊が、垂早苗。
何度かコックリさんをするうちに、垂早苗を怒らせてしまい、帰らなくなってしまう。そして「ひとりが ぎせいになったら かえってあげる」と言い、主人公は「ぼくがぎせいになる」と了承してしまう。地獄の始まり。怪我する度に、その怪我した所が、人間の部分ではなくなっていく。獣化してゆく。死にたくても死ねない体へと変化してゆく。気になる方は読んでみて下さいませm(__)m。


↑は、長男がインフルエンザA型(2月6日〜10日)にかかり、私は傍らで寝てる長男を看てました。
離れられないので、横で本を読んでいたのでした。久しぶりに小説を読んだ。


悪魔が頭に残っていた。垂早苗は、サタナエル。悪魔であった。女・子供に化けて、誑かすということ。


Wikipedia、ボゴミル派、神話よりコピペ↓


(真の神)には、息子が二人いた。サタナエルとキリストという。しかしサタナエルは神に反逆してサタナ(悪魔、叛く者の意)となった。地上の世界は、サタンが神に対抗するために作り上げた。人間の魂は神が創り、肉体は混沌からサタンが作り上げた。

これは人間が神を崇拝するようにするとの約束にもとづくものであったが、サタンはその約束を反故にし、人間が自分を神と崇拝するようにしむけた。これが旧約聖書の神(ヤハウェ)である、とする。







火曜日に、上野公園さんのブログが更新され、悪魔のことが書いてありました。


悪魔との契約とは、悪魔の力を得る代償として
自分の魂を悪魔の餌として与えることです
自分の魂が悪魔によって食べられてしまうのです。その代償として神たる力を得られるのです。

だが、ほとんどの人が気がついていないのは
悪魔も、また創造神の現れの一つなのです
創造神は人に魂を授けることも出来るが、回収(魂を食べる)も出来るなのです。






私も気付いていませんでしたm(__)m。


創造神=閻魔大王様 です。
神は言葉なりき(言葉の仕組み)。
キリストとは神の油を塗られし者ではなくて、【真理(ダルマ)】を意味した言葉です。


キリスト(真理・ダルマ)
サタナエル(悪魔)
「真」と「魔」どちらを選ぶか?


刹那主義の今が楽しければいいで、自己中心的に生きるか?末は、魂を食べられてしまうかも知れないですが。

お釈迦様の悟り【悪魔は実体を持たない現れで有り、人には良心と呼ばれる神が内在する】


思いやりをもって、困った人を助け、世の為人の為に働くことが、人に内在する良心神の働き(寄付・募金・献血・ボランティア活動・ゴミ拾い、個人的な手伝い等、奉仕活動)。


空く間(悪魔)は「四魂」のみの時の現れなのです

自分が反省したり、悔い改めた時には空く間(悪魔)が消えて、「良心神」が入って来るのです。曲神は四魂が創り出すもので実体が無いのです。








こんなこと書いてますが、私は普通の農家の嫁です。
なので、自分の出来る範囲で行います。
無理はいけません。体を大切にm(__)m。


普通に出来てる人は、声をあげません。
ネットにいくら寄付した、と自らが偉そうに書くのは、どうかな?と思います。
声をあげずに、社会貢献をしてる人は巨万といます。
(会社などの代表者の大金寄付が話題になるも、いいお手本の示しになるからいいのかも知れませんが)


道は人それぞれです。
引用元は、下記ブログです。
いつも、ありがとうございますm(__)m。





神言会ブログ↓
創造神とは病気治しや困り事相談の神ではない。自分の救いや利益を求めるのは勘違い。創造神には仕え奉る。http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=409


最後の審判迄の【時は金なり】と四ツ花で知る甲斐の【風林火山】。そして解釈誤りのお詫び。http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=405

















2月8日 

February 09 [Tue], 2016, 14:31
2月8日は特別な日。
私にとって。
2008年の初めての妊娠と流産(繋留流産)。
双子ちゃん。私に入ってくれてありがとう。

その後、長男と次男が生まれて、私はこの子達を最初の妊娠の生まれ変わりだと思っていた。

だけど、それを否定する人が現れた。
本当の所はわからない。
一昨年は、私にソックリな女の子が2人、私の側にいつもいたらしい。
で、ぶどうの時期には「美味しいぶどうをありがとう」と感謝していたらしい。
夜には、寝てる私や子どもをつついたりしてたらしい。
私は、怖いより、側にいてくれることが、当時は少し嬉しかった。
そう、その人の言葉を鵜呑みにしていた。
私には、霊能力などなく見えるも聞こえるも無いから。
私の幽霊の子ども達は、悪さをするではないようだった。


だけどだ、昨年の2月末頃から、神言会のホームページとブログを熱心に読むようになり、疑問を持ちはじめた。
この子達は、帰るべき場所に帰らないといけないと思ったのだ。
それで、昨年上野公園さんに、水子のことをお尋ねした所、下記の返答をいただきましたm(__)m。↓

※※※

水子は、同じ水子を視ても霊能者で「バラバラ」の答えを言います。

明から水子商売をする霊能者達が居るからです。また、さほどの霊能力も無いのにひとかどの霊能力者の振りをしている人も居られます。

霊能者が上がっていると言っても、上がっていない水子霊はいくらでもあります。一番は神霊が出て来て、引き取ってもらう。これが一番確かです。だが、それは一般的には解りません。

一番安全なのは自分の家系を守っておられる御先祖霊に任せることです。どの御先祖霊がその家系を守っておられるかは霊査しないと解らない分野ですが、解らなくても〇〇家の御先祖様お願いしますと頼み込んでおくことです。

菩提寺の墓に余裕があれば、水子霊も戒名を付けていただいて、先祖霊と一緒にお祭りする。



御先祖霊は供養しても水子霊は供養しない。それならば先祖霊も供養しなくても良いと言っているのと同じ事です。


水子霊は汚れていないから良いのだという考え方は、認識不足です。確かに、何の障害も起こさない水子霊もいれば、そうでない霊も居ることの見落としです。全て水子霊が同じではなくて、個々で違うのです。

この世に人として出て来る予定の霊で、出られなかったことに念をだいている霊もあるのです。そのことは、こちらでは解らないのです。


※※※


前も日記に書いたかもだけど、水子(流産)関連なので、再度揚げます。↓


※※※

心音が無いと言う事は、基本的に本人の生命力が弱いのですが、死産であっても流産であってもそこには意味があるのです。


魂の世界で母親の胎内に入ることそのものが修業です。魂が肉体に宿るのはかなりきつい作業だからです。で、死産であっても流産であっても、その体内に入って育つ過程を経たことは魂の修業になっているのです。

その時、この世に出なくてもいい魂が有り、こうした魂は死産で魂に課せられた修業は完成するのです。

よく言われる水子の問題とは、本来ならばオギャーと出られる魂を強制的に堕胎した場合なのです。

死産流産とは、親の責任と言うよりもそうした運命を持つ魂もあるということなのです。

あまり自分の責任と思わないでください。霊界のメカニズムもあるのです。

※※※

今は、その赤ちゃんが何処にいるのかは、わりませんが。その人に私は再度聞こうとは思わない。更に、昨年の秋も流産しまして(;_;)体調など気をつけてはいたのですが。妊娠初期の流産は私だけではなく、珍しいことではないのです。泣いている人はたくさんいます。

見える聞こえるは、それが正解とは限らないという難しい世界です。
霊的な世界でなくても、それは言えます。
私は一昨年に、幽霊の赤ちゃんを教えてくれた人(霊感者)を責めてはいません。
気持ちとして、救われた部分もありました。自分は見える聞こえるがまったくないから、質問責めにしてた部分もあり、申し訳なくも、有難くも思いますm(__)m。
けれど鵜呑みは良くなかったとも思います。


2008年の流産は複雑な心境なのです。
もし、問題なく生まれていれば、長男と次男は生まれなかったのか、とも思うからです。
そして、今その赤ちゃん達がきちんと霊界に行けたのかも気にはなります。

これは考えてもキリがない所です。
お釈迦様の教えに「わからないことは思い患うな」があります。「ケ・セラ・セラ」「なんくるないさ」「神惟霊幸倍座世(かんながらたまちはえませ)」と通じるところがあります。


自分が努力してもどうしようもならない時には、悩まず神様にお任せしますm(__)m。




私はブログを時々更新してますが、自分の心の整理(きちんと考えること)の意味もあります。人に言ってるようで、自分に言ってるような。ついでに(笑)皆さんのお役に少しでも立てれば幸いですm(__)m


上野公園さんのブログ、最新記事↓
霊は嘘つきだ!。されど火種がない所には煙は立たず。無から生じた虚空蔵に学ぶ?
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=407





教育とか腰痛とか 

February 06 [Sat], 2016, 11:12
先週の土曜日、1/30に、保育園の保育参観があり、その後助産師さんによる講演がありました。
その助産師さんは、あまり講演をされたことがないのか、ん?という部分はありましたが(「まごはやさしい」をスクリーンに一瞬出すが、説明されないとか、私は知ってるけど、知らない人は?食育「豆、胡麻、ワカメ、野菜、魚、椎茸(キノコ類)、芋」をバランス良く食べましょうってこと)説明不足です。しかし、何を伝えたいのかは、なんとなく、わかりましたm(__)m。


「子どもは親を助ける為に生まれてきた。そしてそれは奇跡的なこと(育たずに流産もあるから)。なので、愛情をかけて育てましょう。」愛情、当然のことなんですけど。虐待がニュースであがることもありますし。悲しくもなります。私が悲しんだ所で仕方ないのですが。その子ども達は虐待されるかも知れないとわかっていながら、その人の所へ生まれてきた。その親に学ぶチャンスを与える為。ってことも言われてました。それを菩薩道とも言う。自分を犠牲にしてまで、その家系を助ける為に生まれ出る。難しい所、親が気付けばいいのですがm(__)m。


自分の生まれ出た家も複雑でした。知る人ぞ知るでいいので、ここには書きませんが。そして、皆言わないだけで、色々あるのです。自分だけが、と思い、ひねくれていじけていると、視野が狭くなります。
私にも、そういう時はありましたけどね。
幼い、未熟だとそうです。
自慢話や偉ぶるのも幼さを感じます。
心の大きい人は謙虚なので、例えば寄付などいいことをしても、誰にも言いません。コッソリですm(__)m


講演で「教育、共育、響育」とありました。教える、共に、響き、育つ。親と子はそうでしょうね。
子どもから教わることも多いです。
子どもは親の愛情を試す為に、悪さもします。反応を見ていたりします。叱られたい、もあるかも知れませんね。反応が無いと、無視された、になりますから。


子どもは、褒められたくて、あの手この手だったりもします。親に構ってもらいたいのです。


褒める所は褒め、悪い所は叱り、で、抱きしめてあげたら良い、と思います。うちは、悪いことしたら「チューするぞ」と私が言うので、次男は嫌がり、長男は「いいよ」と言います(笑)
子どもでも性格は様々です。


人は皆、過去世(前世)があり、それを記憶してません。様々な過去世を経験しての、生まれ出た時の性格だと思います。&生まれ出た環境で形成されて行きます。


同じように育てたのに、どうして子どもは1人1人性格が違うのだろう?と聞きますが、仏教とか神道など学ぶと、なんとなくですがわかってきますm(__)m。
親が愛情をかけて育てれば、もし学校などで虐められても自殺まではいかない、と聞いたことがあります。特に3歳まで。それを「三つ子の魂100まで」と言うようです。



今日は長男(5歳)は朝から熱出して保育園休んでます。保育園でインフルエンザが流行り出したので、怪しいものです。


私は、二週間以上腰痛がありまして、節分の日朝に整骨院行ったら痛み悪化し。翌日、整形外科に行って診てもらうと、「仙腸関節」の所が腫れているようです。女性にたまに見られるようです。
なんだかんだで、薬と湿布が効きます。整骨院絶対行ったらダメ、と先生に言われました。皆さんも、腰を大切にm(__)m

1/24 三夜さま(月読神社大祭) 

January 28 [Thu], 2016, 15:59
1月23日〜25日の三日間。
月読神社周辺に露店が並びます。
こちらも、毎年行きます。

しかしながら、天候悪。
23日は雨、24日は雪…
義父が張り切っとる(笑)
雪の降りしきる中、車にチェーンを付け、家族みんなで、月読神社へ参拝。

露店は、出てないだろうなーと思ってたら、5店舗ほど頑張ってらしゃいました!
「こんなに寒いのに、なんで来てるんですか?(笑)」と店の人に言われる。
「なんで、店出してるんですか?」
と、義父が言い返してました(笑)

鯛焼きやのお姉さん?が「今日、帰れるやろか?」と言ってた。

鯛焼き買って、子どもは寒い寒いとジタバタしつつ、子どもクジを引いて、イオンで買い物(食料)して帰宅。


雪の日くらいは、家でゆっくりが良いですわ。
子どもは、はしゃいでましたが(*^_^*)


今までボーとしてて、気づかんかったけど、神社にしても寺にしても、素戔嗚尊様に関わってるんだなぁ、うち。


月読尊様=素戔嗚尊様≒聖観世音菩薩様













月読神社(久留米市田主丸)↓
http://www.wakasa.jp/hiroba/spot/detail.php?id=tukuyomi











1/17 石垣観音寺 火渡り 

January 27 [Wed], 2016, 16:35
毎年恒例の石垣山観音寺、初観音大祭に行きました。

朝11時頃に、義両親と私と子ども2人とで行き(夫は用事があり行けず)。


まずは本堂に上がり、本尊のご開帳法要があり(ご開帳は年に一度)、その後、護摩供火渡りです。

法話を聞いてたら、「見ざる聞かざる言わざる」を言われてました。よくある話ではあります。戒めですね。
私は「よく見てよく聞いてよく話そう」を心がけようと思います。←実際こちらの方が難しいです。口は災いの元とか、そう言うことでしょうが。そんなこと言ってたら何も言えんし、何も出来ん。発言には気をつけますm(__)m
「よく見てよく聞いてよく話そう」の陽気な3猿でいきます。


今年は長男(5歳)頑張って渡りました。
次男(3歳)はちょっとだけ足を付けて、それから行者さんに抱っこされて行きました(*^_^*)
私もなんなく渡れ、待ってる時の方が裸足に尖った砂利が刺激し、痛いという、私はちょっとした修行やね、と、義父母に言ってました。


近所なので、知ってる人にけっこう会います。
ずっと曇天で、帰宅と同時に雨が降り出したのでタイミングが良かったです。




今年も皆が心穏やかに暮らせますように。




石垣山観音寺HP↓
http://ishikakizan-kannonji.jp



角が立つ 

January 21 [Thu], 2016, 21:37
人の日記を見ていたら、そのようなことが書かれていたので、角が立つ、について畑仕事しながら考えていた。


角(かど)が立つ、とは「理屈っぽい言動によって他人との間が穏やかでなくなる」こと。
あー、私あるかも??身内のことでは、特にあるかも。すぐトゲトゲした辛口な言い方になってしまう。
私の外の顔しか知らない人は、そうなの?と驚くかも知れないが、ハッキリ言い過ぎる所がある。これは良し悪し。
とにかく、言動に気ををつけなければ。


かどには、下土もあるし、門もある。
辞書を見てたら、下土が目について。
下土とは、大地、下界のこと。反対語に、上天(天帝)。
私たちのいる世界。正に、下界。
仏教では苦界とも言う。
上天は狭き門。


魂(心)は鬼と云う。
鬼には角(つの)がある。
艮は、東北であり、陰陽道では鬼門。
艮に角をつけたら、良になる。
良には羅(閻魔大王)もあるが、良は天帝(創造神)からの分魂(直霊・良心)。
お釈迦様が悟られた「人には良心が内在する」。
皆、人には等しく良心神が内在している。
それが、表に出せるか、出せないか?


「他を救いて世根となれ」
「世の為、人の為に損得勘定なく、働けるか」


ただそれだけのことだけど。
この世界は平等ではなく、善悪が混ざり合っている。
善を知る為に悪があり、悪を知る為に善がある。バランス。正負の法則。
ものすごく陰湿な蛇がいたりする。
罠が多い。甘い罠。
楽な方に進もうとする、甘い、蟻は甘い物が好きだ(義を無視した者)。
甘い物が過度に好きな人は、糖尿病になる(気をつけて)。


私は神様が好きなので、こうしたら神様が喜ばれるだろうか、間違うと神様が悲しまれるだろうか、とか思うようになってきた。神様に叱られる、とか。
良心に照らし合わせて行動する、こと。


「お天道様はいつも見ています」

小学校のトイレに貼ってあった貼紙。
私は、霊能力は無いので見える聞こえるは無いけれど、いつも守られてる気がします。ありがとうございますm(__)m


陽気暮らし、笑う門には福来る、で生きたいです。




私の学びのページ↓
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未熟 

January 15 [Fri], 2016, 16:59
月曜日だったかな?
しくじり先生という番組に先生として、間寛平さんが出られてた。
私は普段テレビをあまり見ません。家事育児が忙しく。見るのはご飯時のテレビくらい(あさが来た、は見てる)。
一旦見始めると、ずーっと見てしまい、家事が出来なくなる、という。で、いつも避けてるのですが。
それで、間寛平さんの保証人による詐欺話で、世間知らずで自業自得ではあるんだけど、優しい人なんだなーと思いつつ。それに、芸人さんなので、ちょいちょいボケなさる。天然。私、爆笑。こんな芸人ほかにいないのでは?と思ってしまった。この明るさは、素晴らしいなぁ、と思いました。


通報とかしなかったのか?(警察に行っても動いてくれんかもな)とか。自己破産は考えなかったのか、と思ってしまった。
マラソンは忍耐力鍛えられるよなーとか。


人の経験を通して色々考える。
人の人生は短く、なんでもは経験出来ない。経験したことは、殺人などの凶悪犯罪以外は間違ったことでも宝のようなもので、そこから学べることがあると思っている。

詐欺師の言葉巧みなのは知っている。
あれは、すごい物がある。嘘と本当を混ぜて言う物だから、全てが本当のような、説得力。おかしいな、と思っても思わせないように(思考させないように)言葉を被せてくる。そして、人に相談しようとしたら、うまいことを言ってストップさせようとする。怖いですね。皆さんも気をつけてくださいませ。必ず人に相談しましょう。1人ではなく、数人に。1人だけの相談だと、その人が間違えた選択をした場合、えらいことになりますm(__)m


引用です↓

仏教では万物は「虚空蔵」から出たとされます。その虚空の「虚」とは「嘘」の字を造ります。その虚空菩薩は「国常立尊」とされますが、【嘘から出る誠】と言われるように、言葉に「嘘は誠の皮なりて、誠は嘘の骨なりぬ。嘘を叩いて、誠の骨とする」があります。
つまり、神が出されるデタラメに、真ん中に玉を打ち込まないと大当たりとはならないのです。私は神々が出される「嘘」から、何故に神々には「良心」が存在しないのだろうという疑問に当たりました。これが色々な角度の検証から「人の中に存在する良心神」となって来たのです。


△引用終わり。

神々も嘘をつかれるようです。
私は、霊能力無いので、見える聞こえるは無いのですが。

「嘘は誠の皮なりて、誠は嘘の骨なりぬ。嘘を叩いて誠の骨とする」(この言葉、ネット辞書やうちの辞書で探したのですが、出てきませんでした)ざっくり言うと、嘘の多い世の中だから、よく考えて騙されないようにしよう、その中の大事な部分を見極めよ、ってことかなぁと思います。
ネットやニュースを見たまま鵜呑みをしないように。
それから、愛してると連呼する人にも会ったことがありますが、あれは自分を「愛して欲しい、愛してると言って」の表れだと私は思ってます。それと、愛してると言う自分に酔ってる(歌手や詩人は仕方ないかな(笑))
そのような自惚れ屋さんが好きな人は良しとして、私は、あーいうのは、もう2度と会いたくないですね。
夫が「愛してる」なんて言ったら、私から、うるさい、と言われるでしょう(笑)

未熟のタイトルだったので、うちの子ども達は、もちろんのことながら、未熟です。
3歳と5歳です。未熟な子どもを見ても学びはあります。そして、自分の未熟さも知ります。一緒に成長してるのだと思います。


某ブログで、句読点に関する質問をされた方がありました。内容とは関係ない所で、?とちょっと思いはしましたが、私も若い頃は、ちょっとしたことに気になり、あんなもんだったよ、と思います。なので、責めるは出来ません。成長過程です。
ただ、注意されて素直に聞けるか、で、その人の道は別れていく気はしてます。
私も身内に注意されて、反発することがあり、未熟だなぁ、と反省します。
日々反省です。勇気を出して、反省しよう。←パクり(笑)幸せ空間セラピストの方の今年の目標だそうです。




引用元ブログ→「9999迄嘘であっても、万に一つの為の警告は神一筋の少途川」http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=320


「言葉は【道】なるか?鳥の路(道)は鷺なれど、【トリ】の言葉の意味を間違えると「詐欺」となる」
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=400










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農家の嫁です。
独身時は、「和小物」を作ってはイベントに参加してましたが、家事・育児多忙になり、お休み中。
お休み中。→ネットショップ(http://kozakura.cart.fc2.com/)
最近は、神道を通して良心神の勉強をしています。→ ー神言会ー大本教神諭解説(http://kamikotokai.com)
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