「多文化・多民族共生」と先住民族アイヌ
―「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書をめぐって―
アイヌ・モシリを売った覚えも貸した覚えもない
アイヌ民族として初めて国会議員になった萱野茂さん(一九二六〜二〇〇六年)は、おそらく日本(だけでなく世界的にも)で最も知られたアイヌの一人だろう。アイヌの古老から聴き取りを重ねてまとめた『萱野茂のアイヌ語辞典』や『萱野茂のアイヌ神話集成』をはじめとする多くの著作があり、その一部は翻訳され海外にも紹介されている。また萱野さんが長い年月をかけて集めたアイヌの民具や工芸品は、平取町二風谷の萱野茂アイヌ資料館と平取町立二風谷アイヌ文化博物館に収められている。萱野茂さんの著作や発言などから学ばずにアイヌ文化について語ったりすることはできないのではないか。それほど、その存在は大きい。
それに比べると、萱野さんが語ったアイヌ民族の歴史、例えば次のような話について触れられることはずっと少ない。やや長いが引用してみる。
「わたしたちは、『旧土人』などではない。私たちは北海道、すなわちアイヌ・モシリ(人間の・静かな大地)という『国土』に住んでいた『国民』であったのです。その『国土』に『日本国』の『日本人』が侵略したのです。アイヌ・モシリがアイヌ民族固有の領土であったことは、この地の高い山や大きな川はもちろんのこと、どんな小さな沢でも小さな沼でも、すべてアイヌの言葉で名づけられていることでわかります。(中略)
もし「日本人」は、侵略でなくアイヌの国土を借りたというのなら、借用書、買ったというのなら、買い受け証がなければなりますまい。しかも、それは国家と国家の契約になるのですから、第三国の立ち会いも必要となりましょう。(中略)
・・素朴に考えて、わたしたちアイヌは、アイヌ・モシリを「日本国」に売った覚えも化した覚えもないというのが共通の認識なのです」(萱野茂「アイヌの碑」、朝日新聞社、一九九〇年、七八〜七九ページ)。
こうした歴史の見方や体験があったからこそ、萱野茂さんは自分の力でアイヌ民族の文化を取り戻そうとし、アイヌの民具や言葉を集めるようになったのではないか、と私は考える。「文化」というと抽象的すぎるかもしれないが、ここでいうアイヌ民族の文化は、詩や歌・踊りや民具などだけを指しているのではない。言葉や慣習、暮らしの知恵、自分たちがつくったきまり、つぶやき、踊り、お話・語り、などなど広い意味での文化を考えている。そのような文化を生み育てた大地や自然環境、人びとの生き方と切り離して考えることはできないだろう。
もしそうだとすると、アイヌ民族の文化を未来・これから先の世代に受け渡しより豊かな文化・表現として発展してもらおうとする時には、その土台となってきた大地や自然も一緒に受け渡した方が良いのではないだろうか。
アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の報告書について
〇八年六月六日の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」(国会決議)を受けて、同年七月一日、内閣官房長官は私的諮問機関として「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(以下、有識者懇談会)を設置した(この経緯とアイヌ民族からの声については、本誌、一六七号「先住民族アイヌ」を読んでください)。この有識者懇談会が一年間の議論や現地調査を終え、二〇〇九年七月二九日、内閣官房長官に報告書を出した(報告書はhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/index.html から入手できる)。
この報告書をうけて、政府はアイヌ政策を一元的に統合調整する窓口機関として「内閣官房アイヌ総合政策室」を設置した。また二〇一〇年度予算の概算要求でも、内閣官房をはじめ法務省や国土交通省がアイヌ民族政策に関連する予算を請求している。新たに政権についた民主党は「アイヌ民族との共生」を重視しているから、この流れはさらに強くなるだろう。たしかに時代は動いている。
アイヌ民族政策を進める時に、政府が参照すべき文書は今のところ有識者懇談会の報告書だけである。この報告書のどこを生かしどこを改めるべきかを考えることは、自分たちが主体となって政策を進めるべきアイヌ民族だけでなく、その動きに連帯しようと考えている私のような非アイヌにとっても、これからの日本社会を「多民族共生社会」に変えていく上で大事なことだと思う。
この報告書は、一「今に至る歴史的経緯」、二「アイヌの人々の現状とアイヌの人々をめぐる最近の動き」、三「今後のアイヌ政策のあり方」、の三部構成になっている。ただ全体としては、アイヌ民族の歴史、あるいはアイヌ民族に対して「日本」がしてきたことの叙述にあてられているという印象をもつ。
歴史を重視したこと自体は評価すべきことだろう。報告書でも「今後のアイヌ政策を考えるにあたっても、歴史と正面から向き合うことが不可欠である」と述べている。「おわりに」でも、「審議の過程で痛感させられたこと、それは、アイヌの人々が辿ってきた過酷な歴史であり、その中にあってなおアイヌの文化を継承しつつ将来に向かって積極的に生きようとする人々の熱意と努力であった」と、歴史を知ることの重要性を強調している。
「歴史と正面から向き合う」というのは、かなり強い意思を持った表現だ。しかし考えなければいけないのは、有識者懇談会がどう歴史と向き合っているか、歴史をふまえた上でどんな政策を提言しているかである。
報告書は「アイヌの文化」を重視する。明治以降のアイヌの歴史についても「アイヌ文化への深刻な打撃(近代)」というタイトルがつけられ、「・・近代国家形成過程の中で、土地政策や同化政策などにより、先住民族であるアイヌの文化は深刻な打撃を受けたといえる」。この歴史的経緯を踏まえ、「国には先住民族であるアイヌの文化の復興に配慮すべき強い責任がある」とから、今後のアイヌ政策がつくられるべきだ、とまとめる。そして、ここで言う文化が「言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて、土地利用の形態などを含む民族固有の生活様式の総体」であることを強調する。「土地利用の形態」を入れたのが、報告書の肝心なところなのだろう。
文化とは対照的に、報告書の中でほとんど使われない言葉は「権利」だ。二〇〇七年に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたことを一つのきっかけにして、有識者懇談会が設置されるようになったという流れを考えると、アイヌ民族の権利についてほとんど触れられていないというのは、とても不思議なことだ。
国連宣言は、先住民族の権利を具体的に示し、それに対する国の措置を示している。報告書が強調する「土地利用の形態」については、第二六条で、伝統的に所有・占有・利用してきた土地や資源については、先住民族が所有・使用・開発・管理する権利を持っているとし、国に対しては、それを法的に認め保護することを求めている。にもかかわらず、報告書は国連宣言の条文については何も触れず、土地や資源に対する権利ではなく、文化の中にだけ「土地利用の形態」をはめ込む。
どうしてこうなったのか。それは、有識者懇談会(と日本政府)が「先住民族の権利に関する国連宣言」に正面から取り組んでいないからだ。最初の懇談会で政府側が用意した国連宣言に関する資料ですでに、採択にあたって日本政府が集団的権利を否定し「宣言に記述された権利は個人が享受するものであり」、「財産権については、各国の国内法により合理的な制約が課される」と明言している(首相官邸のホームページhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/ )。これを前提にして「国連宣言が参照」されることになるため、先住民族の集団的権利の核ともいえる自決権や土地権などについて、初めから実現不可能なもの、あるいは日本の実情に合わないもの、と切り捨ててしまった。
国境を超えた多民族・多文化共生へ向けて
最終報告は、今後のアイヌ政策の基本理念の一つとして「多様な文化と民族の共生の尊重」をあげている。およそすべての近代国民国家は多民族国家なのだから、「多様な文化と民族の共生」それ自体は、ある意味であたり前のことである。問題は、この「理念」が長い間の「単一民族」観によってつくられてきた日本社会の構造(文化だけでなく、政治や経済を含む)をどう変えていくか、そのために何が必要かを先住権に即して提示することだったのではないか、と私は考える。それは萱野茂さんの「わたしたちアイヌは、アイヌ・モシリを「日本国」に売った覚えも貸した覚えもない」という声と「正面から向き合う」ことにもつながることだろう。
先住権という柱がないと、「多様な文化と民族の共生」は日本社会のマジョリティである「日本民族=ヤマトあるいはシャモ」の許す(あるいは認める)ものに限られ、当事者であるアイヌ民族の権利は脇に置かれることになり、「国民としてのアイヌ」が強調されることになる。これは有識者懇談会の本意なのだろうか。
「国民としてのアイヌ=多民族国家・日本」という枠を乗り越えるためには、アイヌ民族を日本の先住民族とだけ考えるのではなく、世界中の先住民族との共通性という視点から考えることが大事になってくる。国連宣言は、そのための最低限の枠組みを示している。
日本政府としては(あるいは有識者懇談会としては)、「国民としてのアイヌ」という側面を強調せざるを得ないのかもしれない。しかし、それだけなら、何も国連宣言を持ち出さなくてもいいのだ。国家の壁を低くする、国境を超えた多民族との共生をめざす、という方向性で、これからのアイヌ政策を考えるべき時に来ている。