ぴ−すとれーど講座 

February 04 [Thu], 2010, 8:44
◎2010年1発目の  ぴ−すとれーど講座Vol.11  ぜひご参加ください

ドキュメント『あるティモール女性の旅』上映/ 映画解説 越田清和さん

「東ティモールのマウベシコーヒー」というと、「東ティモールは危険な国ですよね」とか「どこにあるんですか」と聞かれることが少なくありません。そこで、『あるティモール女性の旅』オーストラリア制作のドキュメントを観ながら東ティモールの現在を考える講座を行うことになりました。日本未公開なので、同時吹き替えと解説を越田清和さんが行います。

期日 2月12日(金曜日)19:00から

参加費 500円  マウベシコーヒー付き

場所・主催 ほっかいどうピーストレード(札幌市白石区菊水3条1丁目6−12

これからや2階 地下鉄東西線「菊水駅」1番出口)電話011−812−4377

日本のアフガニスタン支援:軍事援助への一歩 

January 01 [Fri], 2010, 0:32
 日本政府は、2001年9月から09年11月までの8年間でアフガニスタンに対し、18億ドルのODAを行なってきた。インフラ整備や農業支援などの復興支援に9億2700万ドル、武装解除や警察支援などの治安改善支援に3億6000万ドル、人道支援に2億6200万ドル、民主化支援・ガバナンスに2億4700万ドル、というのがその内訳だ(外務省資料より)。
 鳩山内閣は、11月6日、アフガン支援を今後5年間(2009年〜2013年)で50億ドルに増額すると発表した。これは米国の321億ドル(2013年まで)に次ぐ支援表明額だ。これまでの支援と比べると、年額にして4倍のODA(年間9億ドル=900億円程度)がアフガニスタンに集中することになる。この額は、全世界に対する日本の贈与(無償資金協力と技術協力)額、約40億ドルの22%にのぼる。
 新たなアフガニスタン支援策の第一弾として、2009年12月15日、鳩山内閣は500億円の支援を決めた。このうち185億円は警察支援に充てられ、治安分野への支援が重視されている。
 この中に、アフガニスタンの治安対策として、アフガニスタン国軍への12億円の援助が盛り込まれた。12億円の国軍支援は、NATO(北大西洋条約機構)の基金を通じて行なうが、日本政府はその使い道を医療器材や医薬品の購入に限定することにしている(「朝日新聞」2009年12月17日)。これまでの日本のODAにはなかったことだ。
 日本はこれまで軍事援助をしない国だと考えられてきた。「戦争はしない、軍隊は持たない」という非軍事・非武装の原則を決めた憲法をもつ国として、外国に対して軍事援助(軍隊への武器供与、軍事訓練の実施など)をするのは原理的に許されないという大前提が、日本社会の中で共有されていたからだ。ODA(政府開発援助)のような経済協力についても「軍事的用途に充てられる経済・技術協力は行なわない、紛争を助長するような経済協力は行なわない」ということが、衆議院(1978年)と参議院(1981年)の両方で決議されている。
 こうした原則は90年代まで、ある程度は守られてきた。「ある程度」と書いたのは、軍隊への直接援助はしてこなかったが、インドネシアやのような軍事独裁政権に対するODA供与は積極的に行ない、その一部が軍事作戦にも使われてきたからである。この原則が、はっきりと無視されるようになったのは1991年の湾岸戦争の時だ。日本政府(当時は自民党政権)はアメリカからの強い圧力を受けて、多国籍軍(主として米軍)の戦費負担として110億ドル、トルコ、エジプト、ヨルダンの「周辺国」に20億ドルのODAを出した。また米軍(日本と米国は「日米安全保障条約」という軍事協定を結んでいる)への援助としては、1978年に始まった「在日米軍基地駐留経費」(日本にある米軍基地を維持するための人件費、基地内にある住宅などの改築費などを日本政府が負担する経費)は、1980年代中ごろから急増し、90年代に入ってからは毎年2000億円を超えている。つまり、日本は間接的かもしれないが軍事援助をしてきたのである。
 この動きをさらに進めたのが、今回のアフガニスタン国軍への援助だ。これは、1)特定国の軍隊を対象にした援助、2)NATOという軍事同盟の基金を経由する、という特徴をもっている。先に紹介した国会決議が示すように、日本はこれまで「途上国」の軍隊に対する支援はできなかったが、鳩山内閣はその決まりをはっきりと無視した。またアフガン戦争は、NATOが集団自衛権を発動して宣戦布告した戦争でもある。NATOの基金に日本が拠出することは、NATOという軍事同盟の枠内に日本がより関わっていくことにつながる。
 鳩山内閣が発表した日本のアフガニスタン支援は、1)アフガニスタンの治安能力の向上、2)元タリバーン兵士などの社会への再統合、3)アフガニスタンの持続的・自立的発展、の3つを柱にし、インド洋沖での米艦隊などへの燃料支援に代わる民生支援と位置付けられている。ただ警察や国軍への支援を中心とする治安対策への支援がどこまで「民生支援」に徹したものと言えるか、という疑問は残る。内戦が続くアフガニスタンでは、警察の役割は市民の安全を守るための警察というより反政府勢力と戦うという性格が強くなり、「地方の民兵らが武装勢力と戦うために警察として徴用されている」という指摘も出ている(「朝日新聞グローブ」第29号、2009年12月7日)。
 もう一つの問題は、NATOとの連携が強調されていることだ。アフガニスタンでは、約7万人の国際治安支援部隊(NATOが主導する多国籍軍)と約3万人の米軍(タリバーン、アルカイダ掃討に従事)という二つの外国軍が活動していることになっている。しかし、この二つの軍隊は事実上一体化し、アフガン治安部隊の側面支援をするはずのISAFもタリバーン勢力などへの攻撃を行なうようになっている。日本政府は、このISAFの地方復興支援チーム(PRT)の活動を「復興支援」と位置付け、草の根無償援助の供与などを行なっている。しかしPRTが軍事活動をしていることについては、アフガニスタンで活動するNGOなどがはっきり指摘している。
 鳩山内閣も「テロとの戦い」(オバマ大統領は「過激主義者 extremistとの戦い」という)を前提としたアフガニスタン支援策を行なおうとしている。この考えを前提にする限り、「民生支援」が軍事化していくことは避けられない。日本のアフガニスタン支援を、アフガニスタンの人々が直面する貧困や飢餓、栄養不良などを解決するためのものに変えていく必要がある。

ガザ虐殺を繰り返させないための共同声明 

December 28 [Mon], 2009, 23:45
ガザ侵攻・虐殺から一年の今日、「ガザ虐殺を繰り返させないための共同
声明」の呼びかけがウェブ上で開始されました。同じ趣旨の紙署名集めも
始まります。
ぜひ署名を行い、共同声明に参加してください。ほっかいどうピースネットも呼
びかけ団体になっています。

http://d.hatena.ne.jp/gazapetition/

事業仕分けとODA 

December 28 [Mon], 2009, 9:58


 日本政府は、自民党・小泉政権下の2001年から毎年、財政再建のために「骨太の方針」を出し、政府予算の上限を定め、財政支出の削減をすすめてきた。小泉政権は、郵便事業の民営化に代表されるような「市場と競争」を重視する新自由主義政策(「小泉構造改革」と呼ばれる)を次々と実施してきたが、この「骨太の方針」もその政策の一つである。
 なかでも「骨太の方針2006」は、今後10年の間に「財政健全化」を実現するために2011年に基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を黒字にする、つまり、その年に入ってくる税収だけで国債の元利償還の費用を除く歳出を補い、借金を増やさないことを決めた。この決定によって、全ての政府セクターで予算を前年度比で2〜4%削減することとなったのである。ODA予算も例外ではなくなった。その結果、2007年度からODA予算は4%ずつ削減されることになり、2009年の予算額は6722億円と、2001年の66%に減ることになった(表を参照)。
 表 ODA予算の変化 
                                   単位 億円
2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
10,152 9,106 8,578 8,169 7,862 7,597 7,293 7,002 6,722

 2009年8月の総選挙では、社会福祉予算の削減などによって日本社会での貧困問題を深刻にした「小泉構造改革」を批判した民主党が大勝利し、鳩山政権が誕生した。鳩山政権は「税金の無駄遣いと天下り(退職した官僚が自分の仕事とつながりのあった企業や政府系機関に再就職すること)の根絶」を公約に掲げている。この公約を実現するために、2010年度予算の無駄を点検するための行政刷新会議(民主党議員や民間人がメンバー)を9日間に渡って開き、447のプロジェクトの予算について、公開の場で官僚と見直しの議論を行なった。
 自民党政権時代には、財務省と各省庁の担当者が密室で話をして予算を決め、族議員(特定の産業界や地域の利権と結び付いた自民党の議員)が関連する官僚に圧力をかけて自分たちの要求を予算に盛り込むという政・官・財の癒着構造が存在した。行政刷新会議は、情報を全面的に公開することで、この構造を壊し始めようとしている。
 行政刷新会議によるODA予算の見直しは、2008年10月に発足した新JICA関連の予算が対象となり、1571億円の予算がつけられた無償資金協力援助のハコモノ(経済インフラや学校・病院などの建造物)支援の見直しが求められ、予算の3分の1削減が決まった。ODAによるハコモノ建設が、現地の住民のニーズに合っているかどうかが疑わしいというのが、削減の理由だ。無償資金によるプロジェクトがどう決められているのかという選定プロセスについても問題が指摘され、プロジェクト発掘を手がけているコンサルタント会社と外務省の癒着も指摘された。またODA受け取り国政府の必要とする商品の輸入のための資金を提供するノンプロジェクト無償についても、その商品の売却によって得た資金の使い道の透明性などが問題になった。
 財政刷新会議の指摘した問題は、NGOなどが指摘し、その改善を強く求めてきたものである。その意味ではODA改革の第一歩と言ってもいいだろう。民主党は「政府開発援助(ODA)を抜本的に見直し、相手国の自然環境の保全と生活環境の整備に重点的に援助する」こと、「報公開や外部監査・業務評価を徹底させ、透明性・効率性を確保する」ことをマニフェストに挙げている。ただ今回のODA予算の見直しが、ODAの抜本的な見直しにそのままつながるとは言えない。
 それは、無償資金協力と並んで、日本のODA予算17047億円の50%近い8299億円を占める有償資金協力について何の検証もしていないからだ。自民党政権は国内向けにはODA予算を含めた予算削減を打ち出しながら、対外的には「5年間で100億ドル(約1兆円)のODA増額」を2005年のグレンイーグルズ・サミットで公約した。この矛盾を「解決」するために考え出されたのが、「円借款(有償資金協力)の活用」だ。事実、無償資金協力の額は減っているが、有償資金協力は増え続けている。
 有償資金協力のほとんどは、「第二の予算」と呼ばれる財政投融資を財源としているため、これまで公的に検証されることはほとんどなかった。民主党・鳩山政権が、有償資金協力をめぐる政・官・財の癒着構造(日本企業の投資のためのインフラ整備など)と無駄遣いを正面から検証する方向へ踏み出すよう市民社会が声をあげる、今こそがその動きを始める時期だ。

「派兵チェック」と海外での自衛隊チェック 

December 26 [Sat], 2009, 12:02
「派兵チェック」と海外での自衛隊チェック
 「派兵チェック」という言葉を初めて聞いた(というかニュースレターを見た)時、これはいいアイディアだな、と思った。その頃、私は「ODA調査研究会」というグループのメンバーで、日本のODA(政府開発援助)が地域に生きる人たちの暮らしをどんなに破壊しているのかという実態を、アジア各地を中心に調べようとしていた。だから「派兵チェック」を知った時は、日本の自衛隊が派兵先でどんな活動をしているのか、その活動が派兵先の住民にどんな脅威や影響を与えているのかなどについて、具体的に調べるグループなのか、と思ったのである。
 私が働いていたアジア太平洋資料センター(PARC)には、派兵チェックの中心メンバー(?)のKさんがいて、仕事の合間を縫って派兵チェックの編集作業をしていた(時にはどちらが本業かわからなくなり、同僚から涙の抗議をされたこともあったようだけど)ので、「カンボジアに調査に行ったら」と言ったら、笑ってごまかされた記憶がある。わりと本気で提案したつもりだったのだけれど。
 日本が派兵する時代になったのだから、反戦平和運動もそれに対応して海外での自衛隊調査をいた方がいいのではないか、という考えは今もかわらない。反戦平和運動の新しい方向性として、きちんと議論できないだろうか。
 もちろん、調査にともなう危険や困難はODA調査以上だろう。だとしても、自衛隊と同じ国で活動しているNGOやフリー・ジャーナリストとの協力、国際的な反戦ネットワークとの合同調査団の派遣など、検討してもいいのではないだろうか。
 私はアフガニスタンやイラクへのODAを見て、これは「援助の軍事化」だと指摘したことがある。自衛隊を派兵することと巨額のODAを提供することが一体化し、ODAが軍事援助の一部になってきたからだ。この実態を、きちんとイラクやアフガニスタンで検証する必要がある。それは新しい「派兵チェック」になるのではないか。
 こんな提案を書いても、「今ごろ何を言っているの、派兵チェックはもう終わるの!」と言われそうだけれど。

普天間基地の移設ではなく、閉鎖を 

December 20 [Sun], 2009, 22:19
普天間基地の移設ではなく、閉鎖を
2009年12月18日

 私たちは、日本政府に対して、沖縄における米軍普天間基地の無条件閉鎖と辺野古における新基地建設プロジェクトの放棄をアメリカ合衆国政府に正式に求め、そのための外交交渉を始めることを要請いたします。
 いま日本政府が前提としているのは、普天間基地を閉鎖させるためにはその「移設」先を日本政府が準備しなければならぬという考え方です。そうでしょうか。
 住宅が密集する市街地の真ん中にあり、宜野湾市の25%を占める普天間基地は米国が所有・管理する軍事基地です。2004年8月13日に、沖縄国際大学に墜落した大型輸送ヘリコプターも、大学に隣接する普天間基地を飛び立ったものです。もし米国が、住宅に爆音をまきちらし、墜落の恐怖を与え続ける普天間基地を「沖縄住民の強い希望(2005年「日米同盟:未来のための変革と再編」によって移設しようとするのなら、その移設先は米国が責任をもって決めるべきです。日本政府が移設先を準備する必要はありません。
 また辺野古での新基地建設は、ボーリング調査拒否のための座り込みに代表される沖縄の人々の長年にわたる強い抵抗、「ジュゴンの海を守れ」に象徴される環境保護運動などの国内・国外からの基地建設反対の声などによって、事実上、暗礁にのりあげています。沖縄から「県内移設」を容認する声は聞こえてきません。
 私たちは、日本政府がこの現実を認め、普天間の無条件閉鎖の対米要求とならんで、ただちに辺野古での基地建設の手続きと工事を凍結するよう要請します。そのうえで辺野古での基地建設が不可能になったことを米国政府にも認めさせ、1996年のSACO合意の根本的見直しへ向かうことが必要です。それが連立政権三党合意の線に沿って、1996年の日米安保共同宣言から2007年の「米軍再編推進特措法」、2009年の「グアム協定」にいたる自民党政権による対米関係の抜本的な見直しへ進む一歩となるだろうと考えます。
 私たちは、日本政府がこれらの問題について米国との交渉をスタートさせることを強く望みます。同時に、米国との「緊密で対等な」関係へ向けての政府の交渉努力については、それを強く支持していきます。

呼びかけ団体
安保破棄北海道実行委員会、札幌地区カトリック正義と平和委員会、セイブイラクチルドレン、戦争への道を許さない女たちの会・札幌、ほっかいどうピースネット、北海道平和運動フォーラム

グアテマラ先住民女性の声を聞 

December 02 [Wed], 2009, 21:23
グアテマラ先住民女性の声を聞く
「戦時性暴力の被害者から変革の主体へ」

12月8日(火)18:30〜 
会場:札幌エルプラザ 環境研修室2
   札幌市北区北8条西3丁目 
参加費:500円
主催:札幌実行委員会
問合せ先:世界先住民族ネットワークAINU札幌事務局(011−593−0
165)

グアテマラ内戦中(1960〜96)に性暴力にさらされた女性たちの
 エンパワーメントとメンタルヘルスを組み合わせたプログラムで、
一人ひとりが尊厳を取り戻し、みなで正義をめざすプロジェクトです。
 現在グアテマラの4地域から100人の先住民族女性が参加。
  来年2月には、じぶんたちの力で、性暴力の不当性を裁く
「民衆法廷」を開こうと準備を進めています。

   この彼女たちの確かな歩みは、2000年のアギラルさん招聘にかかわった
 市民として、彼の地に何を運び、どんな花を咲かせようとしているのか、
 その発展のカタチを見せていただく貴重な機会と考えます。
   いまなお続く厳しい現実の中をいく、このグアテマラの女性たちの
 勇気ある歩みを、より多くの方々とともに見守り、支え、見届けることを
 願っています。ぜひ講演会にいらしてください。 

---◆◇ おはなし ◇◆----------------------------------◆◇

プロジェクトを代表して、
   ●マリアナ・チュタさん(尊厳の回復と正義をめざす100人の一人)
   ●アイデー・ロペスさん(心理学者、メンタルヘルス担当) 
              のお二人におはなしいただきます。

シネウプソロ(ひとつのふところ)展 

November 16 [Mon], 2009, 8:22
浦河町姉茶に住む遠山ファミリーの作品展です。

第3回シネウプソロ(ひとつのふところ)展―親子孫三世代展
11月24日〜29日(午前10時〜午後7時)
 札幌市南3西2KT3条ビル 2階の趣味の里ギャラリー
浦河町姉茶に住む遠山ファミリーの作品(衣装ーアツトゥシ、カ
パラミプ、マタンプシ、道具―サラニプ、チタラペなど、木彫、彫金などの展示
参加費 無料
問い合わせ 「シネウプソロ」実行委員会(問合せ先:越田 011-596-3683(T
EL/FAX)

自分たちの劇場を持つ―「幸せはシャンソニア劇場から」(監督クリストフ・バラティエ)と「戦う演劇人−戦後演劇の思想」(菅孝行) 

October 21 [Wed], 2009, 20:15


 「幸せはシャンソニア劇場から」は、1936年〜37年のパリを舞台に、不況で閉鎖されたシャンソニア劇場を、そこで働いてきた裏方たち(照明・緞帳・舞台美術など)や出演者(コメディアン・ダンサー・歌手など)が占拠し自主管理するというお話。ダンス・シーンはほとんどないけれど、きれいなメロディーの歌が何曲も出てくる歌入り物語。たしかに幸せな気持ちになる。
 フランスの歌と言えば「シャンソン」ということになるのだが、私の中ではシャンソン=越路吹雪とか岸なんとか、というイメージしかなく、さようならというかんじだった。でも、この映画での歌はどれもいい。出てくる俳優もみんな魅力的。でも何だか物足りなかった。
 1936年は、その前年1935年にコミンテルン(モスクワで結成された共産主義インターナショナル)が反ファシズム統一戦線という戦術をとったことを受けて、フランスで第一次人民戦線内閣が成立した年。同時に、スペイン内乱、ドイツやイタリアだけでなくフランス(だけでなくヨーロッパ中)でもファシスト運動が広がり、党員数が数万になった年でもある。
 この映画でもファシストと人民戦線(社会主義者やアナーキストなど)のぶつかりあいが背景となっている。働く人たちが自主管理したと言っても、最初はショボイ出演者(とはいえ、ここで演じられる芸には思わず失笑してしまう)ばかりでどんどん客足が遠のいていくの。そこに歌姫(ノラ・アルデゼネール)が現れ、仲間の中で恋や裏切り、再開など色々あって、最後にはみんなでミュージカルをやるようになり、劇場は大人気になる。このミュージカル・シーン(いくつものシーンが短くつながる)が一番華やかで楽しい。衣装も舞台も「さすがパリ!」(何がパリかよくわからないけれど)。
 劇場が絶頂に達した時に、ある事件が起きる。映画は、その後の劇場を描かず、戦争が終わって再び華やかになった劇場とパリを描いて終わる。したがって、ナチスによるパリ占領、ヴィシー政権(ナチスによる傀儡政権)についても一切描かれない。というより、この映画は30年代だけを描くために作られたのだろう。だから、ナチス支配下のパリが描かれていないから物足りないというのではない。
 なぜシャンソニア劇場をつぶしてはいけないと思ったのか、誰が劇場をどうしても再建したかったのか、そこの描き方が私には物足りなかった。
 裏方を長く勤め劇場を愛する主人公(ジェラール・ジュニョ)や売れないコメディアン、マルクシスト(のふりをする)の照明係の3人が中心になって劇場を再建しようとする姿は、たしかに描かれている。シャンソニア劇場はパリの市民が歌と踊り、コメディを楽しむ場所だというのもよくわかる。
 しかし、ファシストが勢力を広げている時代の中で、それと無縁な(またはファシズムを笑い飛ばす・揶揄するような)芸が演じられる場を維持していくためには、お金だけでも思想だけでもない、核のような思いがあるのではないか。
 そんなことを考えたのは、頭のどこかで「戦う演劇人」のことを思い浮かべていたからだ。
 菅孝行の「戦う演劇人」は、「幸せはシャンソニア劇場から」とは正反対の視点から、つまり劇場を維持することに熱意を注いできた三人の演劇人・演出家−千田是也、浅利慶太、鈴木忠志−に焦点をあてて、日本の戦後演劇を描く。私は、三人の演出したものを観たことがないが、それでもこの本は面白く読めた。「演劇は世界を変える運動」だという、どうにも信じがたい「大ボラ」のような仮説を、菅孝行はこの3人を相手に正面から論じている。
 菅が選んだ三人は、「公共性の高い劇場をつくり、その運営を担った」劇場人でもある。千田は俳優座劇場、浅利は四季劇場、鈴木は水戸や静岡など地域の公共劇場、と独占使用できる劇場をつくった。劇場という建物だけでなく、そこにつくられる文化的コミュニティーが大事だと菅は言う。
 「文化的コミュニティ」という何だか固いが、1931年にドイツから帰った千田是也は「異なった多くのジャンルの芸術家や芸人がより集まって作る、歌も踊りも見世物も、場合によってはサーカスも一体となった大劇場演劇」を構想していたという。それは、新劇だけでなく、前進座や映画俳優、エノケンも参加するようなものだったようである。
 しかし、千田は、同時に「日本プロレタリア演劇同盟」の責任者でもあったので、左翼への弾圧によって逮捕される。そして、戦前の新劇(左翼演劇)そのものが解体させら、千田は一切の表現活動を禁じられる。れていく。ちょうど「シャンソニア劇場」が自主管理で運営され、絶頂期を迎えようとしていた時期のことである。
 だから、「シャンソニア劇場」が、翼賛の時代=体制に同意していることを示さなければ弾圧される時代に、どんな歌や芸、見世物、コメディを上演していたのか、気になって気になってしかたがない。
(10月1日にシアター・キノで観ました)
 

「多文化・多民族共生」と先住民族アイヌ 

October 14 [Wed], 2009, 18:27
「多文化・多民族共生」と先住民族アイヌ
―「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書をめぐって―


アイヌ・モシリを売った覚えも貸した覚えもない

 アイヌ民族として初めて国会議員になった萱野茂さん(一九二六〜二〇〇六年)は、おそらく日本(だけでなく世界的にも)で最も知られたアイヌの一人だろう。アイヌの古老から聴き取りを重ねてまとめた『萱野茂のアイヌ語辞典』や『萱野茂のアイヌ神話集成』をはじめとする多くの著作があり、その一部は翻訳され海外にも紹介されている。また萱野さんが長い年月をかけて集めたアイヌの民具や工芸品は、平取町二風谷の萱野茂アイヌ資料館と平取町立二風谷アイヌ文化博物館に収められている。萱野茂さんの著作や発言などから学ばずにアイヌ文化について語ったりすることはできないのではないか。それほど、その存在は大きい。
 それに比べると、萱野さんが語ったアイヌ民族の歴史、例えば次のような話について触れられることはずっと少ない。やや長いが引用してみる。
「わたしたちは、『旧土人』などではない。私たちは北海道、すなわちアイヌ・モシリ(人間の・静かな大地)という『国土』に住んでいた『国民』であったのです。その『国土』に『日本国』の『日本人』が侵略したのです。アイヌ・モシリがアイヌ民族固有の領土であったことは、この地の高い山や大きな川はもちろんのこと、どんな小さな沢でも小さな沼でも、すべてアイヌの言葉で名づけられていることでわかります。(中略)
 もし「日本人」は、侵略でなくアイヌの国土を借りたというのなら、借用書、買ったというのなら、買い受け証がなければなりますまい。しかも、それは国家と国家の契約になるのですから、第三国の立ち会いも必要となりましょう。(中略)
・・素朴に考えて、わたしたちアイヌは、アイヌ・モシリを「日本国」に売った覚えも化した覚えもないというのが共通の認識なのです」(萱野茂「アイヌの碑」、朝日新聞社、一九九〇年、七八〜七九ページ)。
 こうした歴史の見方や体験があったからこそ、萱野茂さんは自分の力でアイヌ民族の文化を取り戻そうとし、アイヌの民具や言葉を集めるようになったのではないか、と私は考える。「文化」というと抽象的すぎるかもしれないが、ここでいうアイヌ民族の文化は、詩や歌・踊りや民具などだけを指しているのではない。言葉や慣習、暮らしの知恵、自分たちがつくったきまり、つぶやき、踊り、お話・語り、などなど広い意味での文化を考えている。そのような文化を生み育てた大地や自然環境、人びとの生き方と切り離して考えることはできないだろう。
 もしそうだとすると、アイヌ民族の文化を未来・これから先の世代に受け渡しより豊かな文化・表現として発展してもらおうとする時には、その土台となってきた大地や自然も一緒に受け渡した方が良いのではないだろうか。
アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会の報告書について

 〇八年六月六日の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」(国会決議)を受けて、同年七月一日、内閣官房長官は私的諮問機関として「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」(以下、有識者懇談会)を設置した(この経緯とアイヌ民族からの声については、本誌、一六七号「先住民族アイヌ」を読んでください)。この有識者懇談会が一年間の議論や現地調査を終え、二〇〇九年七月二九日、内閣官房長官に報告書を出した(報告書はhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/index.html から入手できる)。
 この報告書をうけて、政府はアイヌ政策を一元的に統合調整する窓口機関として「内閣官房アイヌ総合政策室」を設置した。また二〇一〇年度予算の概算要求でも、内閣官房をはじめ法務省や国土交通省がアイヌ民族政策に関連する予算を請求している。新たに政権についた民主党は「アイヌ民族との共生」を重視しているから、この流れはさらに強くなるだろう。たしかに時代は動いている。 
 アイヌ民族政策を進める時に、政府が参照すべき文書は今のところ有識者懇談会の報告書だけである。この報告書のどこを生かしどこを改めるべきかを考えることは、自分たちが主体となって政策を進めるべきアイヌ民族だけでなく、その動きに連帯しようと考えている私のような非アイヌにとっても、これからの日本社会を「多民族共生社会」に変えていく上で大事なことだと思う。
 この報告書は、一「今に至る歴史的経緯」、二「アイヌの人々の現状とアイヌの人々をめぐる最近の動き」、三「今後のアイヌ政策のあり方」、の三部構成になっている。ただ全体としては、アイヌ民族の歴史、あるいはアイヌ民族に対して「日本」がしてきたことの叙述にあてられているという印象をもつ。
 歴史を重視したこと自体は評価すべきことだろう。報告書でも「今後のアイヌ政策を考えるにあたっても、歴史と正面から向き合うことが不可欠である」と述べている。「おわりに」でも、「審議の過程で痛感させられたこと、それは、アイヌの人々が辿ってきた過酷な歴史であり、その中にあってなおアイヌの文化を継承しつつ将来に向かって積極的に生きようとする人々の熱意と努力であった」と、歴史を知ることの重要性を強調している。 
 「歴史と正面から向き合う」というのは、かなり強い意思を持った表現だ。しかし考えなければいけないのは、有識者懇談会がどう歴史と向き合っているか、歴史をふまえた上でどんな政策を提言しているかである。
 報告書は「アイヌの文化」を重視する。明治以降のアイヌの歴史についても「アイヌ文化への深刻な打撃(近代)」というタイトルがつけられ、「・・近代国家形成過程の中で、土地政策や同化政策などにより、先住民族であるアイヌの文化は深刻な打撃を受けたといえる」。この歴史的経緯を踏まえ、「国には先住民族であるアイヌの文化の復興に配慮すべき強い責任がある」とから、今後のアイヌ政策がつくられるべきだ、とまとめる。そして、ここで言う文化が「言語、音楽、舞踊、工芸等に加えて、土地利用の形態などを含む民族固有の生活様式の総体」であることを強調する。「土地利用の形態」を入れたのが、報告書の肝心なところなのだろう。
 文化とは対照的に、報告書の中でほとんど使われない言葉は「権利」だ。二〇〇七年に国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されたことを一つのきっかけにして、有識者懇談会が設置されるようになったという流れを考えると、アイヌ民族の権利についてほとんど触れられていないというのは、とても不思議なことだ。
 国連宣言は、先住民族の権利を具体的に示し、それに対する国の措置を示している。報告書が強調する「土地利用の形態」については、第二六条で、伝統的に所有・占有・利用してきた土地や資源については、先住民族が所有・使用・開発・管理する権利を持っているとし、国に対しては、それを法的に認め保護することを求めている。にもかかわらず、報告書は国連宣言の条文については何も触れず、土地や資源に対する権利ではなく、文化の中にだけ「土地利用の形態」をはめ込む。
 どうしてこうなったのか。それは、有識者懇談会(と日本政府)が「先住民族の権利に関する国連宣言」に正面から取り組んでいないからだ。最初の懇談会で政府側が用意した国連宣言に関する資料ですでに、採択にあたって日本政府が集団的権利を否定し「宣言に記述された権利は個人が享受するものであり」、「財産権については、各国の国内法により合理的な制約が課される」と明言している(首相官邸のホームページhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/ )。これを前提にして「国連宣言が参照」されることになるため、先住民族の集団的権利の核ともいえる自決権や土地権などについて、初めから実現不可能なもの、あるいは日本の実情に合わないもの、と切り捨ててしまった。
 
国境を超えた多民族・多文化共生へ向けて
 最終報告は、今後のアイヌ政策の基本理念の一つとして「多様な文化と民族の共生の尊重」をあげている。およそすべての近代国民国家は多民族国家なのだから、「多様な文化と民族の共生」それ自体は、ある意味であたり前のことである。問題は、この「理念」が長い間の「単一民族」観によってつくられてきた日本社会の構造(文化だけでなく、政治や経済を含む)をどう変えていくか、そのために何が必要かを先住権に即して提示することだったのではないか、と私は考える。それは萱野茂さんの「わたしたちアイヌは、アイヌ・モシリを「日本国」に売った覚えも貸した覚えもない」という声と「正面から向き合う」ことにもつながることだろう。
 先住権という柱がないと、「多様な文化と民族の共生」は日本社会のマジョリティである「日本民族=ヤマトあるいはシャモ」の許す(あるいは認める)ものに限られ、当事者であるアイヌ民族の権利は脇に置かれることになり、「国民としてのアイヌ」が強調されることになる。これは有識者懇談会の本意なのだろうか。
 
 「国民としてのアイヌ=多民族国家・日本」という枠を乗り越えるためには、アイヌ民族を日本の先住民族とだけ考えるのではなく、世界中の先住民族との共通性という視点から考えることが大事になってくる。国連宣言は、そのための最低限の枠組みを示している。 
 日本政府としては(あるいは有識者懇談会としては)、「国民としてのアイヌ」という側面を強調せざるを得ないのかもしれない。しかし、それだけなら、何も国連宣言を持ち出さなくてもいいのだ。国家の壁を低くする、国境を超えた多民族との共生をめざす、という方向性で、これからのアイヌ政策を考えるべき時に来ている。
2010年02月
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