グアム日記(9) 

March 19 [Fri], 2010, 10:28
2月22日(月)
 グアム空港には、観光客向けの日本語パンフや宣伝物がたくさん置いてある。その一つである「グアム新聞」(2010年2月12日号)に、Japan Import Serviceという会社の副社長のインタビューが載っている。「グアムの米軍関連事業は千載一遇の最大の機会だと考えます」という見出しで、米海兵隊のグアム移転にかかわる事業で働く労働者の派遣や建設資材の輸入を行なう会社だと言う。これはぜひ話を聞きたいと思い、電話で連絡すると快く引き受けてくれたので、ヒルトン・ホテルの近くにある事務所で話を聞くことになる。
 社長のOさんは、グアム島に住んで30年近くになる日本人だが、こちらで事業をやっているので国籍は米国かもしれない。
 この会社は、海兵隊のグアム移転が決まってから設立された会社で、米軍住宅の建設工事で働く労働者をフィリピンから連れてくることを主な事業にするのだという。米軍住宅の建設を受注するのが日本企業だというのはほぼ決定らしい。ただ日本の建設会社は、労働者をフィリピンから連れてきて働かせた経験がないから、こういう会社が必要だという。米軍住宅建設は、米軍の基準に合わせて作らなければならず沖縄の建設会社にはそのノウ・ハウがあるので有利かもしれない、とも話してくれる。
 書店で、グアムの地形図などを買う。
 午後はグアム大学の近くにあるラジオ局で、1時間ほどの番組の録音。聞き手はリサ。海兵隊移転や沖縄、憲法のことなどを、Y君と二人で話す。途中の音楽を流すところで、日本の歌を歌えと言われ「ひばら節」を歌う。
 この番組は、週1回、軍事化などの問題について話しているらしく、これまでにも日本や沖縄から来た人が出ている。グアムのような島ではラジオが重要なメディアのようで、デビーの家も朝からずっとニュースばかりを流すラジオ局を聞いている。1時間のプログラムはあっという間に終わり、冷房の利いたスタジオから炎天下の外へ。
 その後は、サラ・ネデドゥグ Sarah Nededog という女性にインタビューする。彼女は社会福祉の仕事を長くしてきたが、いまは軍民関係調整委員会のメンバーとして活動している。3月に投票のあるグアム州議会の補選にも立候補している。彼女の主張は、グアムに対する米政府の支出は軍関係のものに偏りすぎている、教育や保健衛生などの社会発展分野のみならず上下水道などの基礎インフラ整備にも十分な予算がないということ。米海軍統治時代(1945〜1950年)に設置されたインフラを今でも使っている、と言う。
 ここでも開発と軍事化という問題にぶつかる。1945年から米軍がこの島を再占領するようになって米軍のための水道などのインフラを整備した。今回も米軍の拡大強化(2万人以上の米兵がやってくる)があって初めて、インフラ整備の話が出てくるのだから、これは住民の暮らしや社会を幸福にする開発とは反するものでしかない。

3/20 さっぽろピースウォーク 

March 16 [Tue], 2010, 21:20
「武 力 で 平 和 は つ く れ な い」
    戦  争  や  め  ろ!
沖 縄 か ら 基 地 を な く そう !

3・20 さっぽろピースウォーク

アフガニスタン・イラク・パレスチナに
   平  和  を  !

日 時 、3月20日(土)
集 合 12:30
出 発 13:00 ピースウォーク
集合場所 大通り西4丁目

主催団体 ほっかいどうピースネット、北海道平和運動フォーラム、 有事法制反対道民連絡会


2003年3月アメリカがイラクに開戦、侵攻攻撃し、殺戮をはじめてから7年この間、数百万人とも言われる多くのイラク市民殺され続け、犠牲となっています。オバマ大統領は、アフガニスタンへの3万人増派と2011年7月の撤退開始を発表しました。アフガニスタンへの米軍の増派は、アフガニスタン市民をさらに苦しめることになります。私たちは、イラク・アフガンからの即時撤退を望みます私たちは、イラク、アフガニスタン、パレスチナをはじめ、世界中のあらゆる戦争をなくすため、そして沖縄から基地をなくすため、「武力で平和はつくれない」という声をあげたいと思います。3月20日のピースウォークにぜひご参加ください。★【約束】非暴力で行う・市民に威圧感を与えるヘルメット、覆面等はやめる・参加している団体、個人を誹謗中傷しない

グアム日記(8) 

March 16 [Tue], 2010, 13:12
2月21日(日)
 Yさんが帰るので、その前にデビーの話を聞こうということでインタビューをする。グアム島にも太平洋諸島における核爆発実験の被爆者がいるという話、アプラ海軍基地に寄港する原子力潜水艦の話、チョモロ人の自決権の話など、いろんな話題について聞いた。米軍拡大強化について反対だというのはわかっているので、それについては簡単に聞いただけ。
 Yさんは海の研究者なので、漁師でもあるコリーに干満の差について聞くが、ちゃんとした答えが返ってこない。漁と言っても沖に出る訳ではないので、そんなに気にしていないのかもしれない。結局、新聞をもってきて「これに載っているぞ」と教えてくれる。「2月20日、日の出午前6時45分、日の入り6時26分。アプラ港の干潮は、午前3時24分(0.3フィート)と午後3時58分(0.7フィート)、満潮は午前9時40分(2.4フィート)、午後9時58分(2.2フィート)、とわかる。この数字がどういう意味をもつのか、私にはまったくわからない。
 午後はYさんを送って空港まで行く。帰りにアプラ海軍基地の手前にある太平洋戦争記念公園の戦争資料館に入る。公園も資料館も、グアムを管轄する米国内務省が造ったもの。資料館の入り口には、日本軍の自爆用潜水艇が展示してある。
 私たち以外の入場者がいないので、スタッフは大変親切にしてくれる。まず映画を観ろ、と言われ、グアム戦を撮った(もちろん、米軍の視点から)30分ほどの映画(日本語版)「グアムの解放―米国カムバック Liberating Guam: The U.S. Come Back」を観る。ところが映画の説明をしてくれるスタッフの女性は、私たちに気を使ってか、「日本軍政はチャモロの自然も破壊せず、友好的だった」などと話す。どうなってんの?
 この夜も、外で星を観る。

グアム日記(7) 

March 16 [Tue], 2010, 0:05
2月20日(土)
 決まった予定はないので、午前中はたまった資料の整理などをする。グアム経済についてまとめた1972年の論文 Economic History of Guam を読む。書いたのはJesus S Leon Gurrero という人(経歴などは不明)。グアムの貨幣経済は、第二次世界大戦後の軍事物資と結びついていたことがよくわかる。雇用者の多くは米軍とグアム政府で働き、「輸出品」の多くは、軍事物資の余剰品(どんなものだったのだろう)だったらしい。そして1960年代までは自給的経済だったが、1962年の「カレン台風」による被災に対する復興プロジェクト・資金が、「開発」のひきがねになったようだ。
 今でも、米軍基地内の売店は、外の店よりも何でも安いらしく、デビーの家でも義理の息子か誰かが基地で働いているので、いろんなものを安く手に入れているようだ。
 午後はコリーと一緒に、彼の孫が出る野球の試合を観に行く。まず空港の近くにある娘の家に行く。そこで義理の息子やその友人たちと一服して、すっかりくつろぐ。
 野球の試合(というか親善ゲーム)は大笑い。コリーの孫が所属するグアムのチームは、この日が初試合で、女の子も3人ほどいるし、年齢もバラバラ。この試合のために急ごしらえでつくったチームらしい。対戦相手はテニアンのチャンピオンチームで気合も入り、動きもきびきびしている。全く試合にならず、3回で終わる。何しろグアムチームのピッチャーは小学校低学年で、ものすごく緩い球を投げるので、ガンガン打たれる。おまけに守備が・・。よくスリーアウトになったものだ。勝とうとしないで、みんなで楽しんでいるところがエライ。毎晩、この家にあるDVDを観せてもらっているのだけれど、今日は『がんばれベアーズ』を観る。
 Yさんと「新しい軍事用地の取得をストップさせ、現在ある基地内での増強にとどめることが現実的な主張になるかもしれない。人口17万人の島を一つの州にするというのも現実には難しいかもしれない」という現実路線の話をする。
 この現実の壁を打ち破るには、アイヌの民族議席や土地権と同じように、個人の権利と集団的な権利をどうつなげて考えていくのかが、これから重要になってくる。

グアム日記(6) 

March 14 [Sun], 2010, 22:20
2月19日(金)
 島の南端をまわってイナラハン村に行く。島の東海岸に行くと、海辺にマングローブが生えていて、海岸の様子が変わる。こちらは、車の通りも少なく、なんとなくのんびりしている。チャモロ文化村の前で、Mr.Cに会う。ホセ・チャルグアラスさんという70歳くらいのおじいさんなのだが、みんなはミスターCと呼んでいる。カリフォルニアの大学で学び、グアムに戻ってからは役人となり刑務所で働いていたという。チャモロ文化村の設立にも関わったようで、その説明をしてもらう。
 そこから場所を移して、ミスターCの家に行き、庭でお話を聞く。平屋のきれいな家だが、自分で建てたというので驚く。チャモロの人は、みんな自分で家を建てるのか?
 私たちがミスターCを訪ねたのは、自分の住む村の近くにある湿地帯(雨期になると沼に変わる場所)で進められている大規模なゴミ埋め立て処理場建設に、彼が反対しているから。「自分の兄弟には軍人もいるし、自分自身も反米や反戦という意識もない」というミスターCは、チャモロ文化の復権にも熱心に取り組んでいる。
 大規模なゴミ捨て場が生活用水の水源となっている湿地帯と伏流の上に建設されるにもかかわらず、何も説明がないことに怒り、一人で反対運動をしている。資料をつくって州議会にもって行っても、きちんと取り上げられないという。そして、こんな大規模ゴミ捨て場が必要になるのは、米軍拡大強化によって増える米軍からの廃棄物をグアム島内で処理するためではないか。
 1時間ほど話を聞いた後で、建設予定地へ行く。観光名所となっているタロフォフォ滝への道を進むと、途中から工事用のトラックが目立つようになる。途中から南に分かれると平原が広がる。牧場だったこともあるらしい。遠くに海(太平洋か)が見える高台だ。たしかに、ゴミから出る汚水や汚染物質が地中に流れ出た場合に大きな影響が出ることが予想できる。
 ミスターCと別れた後、せっかくここまで来たのだからということで、タロフォフォ滝と横井ケーブ(横井庄一さんが潜んでいたとされる穴、実は偽物)に行くことにする。入場料20ドルに驚く、中に入ってもっと驚く。ちょっと形容しがたいほど、さびれた観光施設。
 夕方、We are Guahan のメンバー二人にインタビューする。二人とも20代後半の女性でインテリ。一人はハワイ出身で、母親は釧路出身の日本人だという。米軍拡大強化というよりも、環境影響アセスメント(案)がいいかげんに決められ、それがグアム住民に押し付けられようとしていることに不満をもって活動を始めたという新しい世代、チャモロ語で話すことはほとんどなく英語しか話せないのかもしれない。これまで会ったデビーたちの周りに活動家風のチャモロ人とは世代も感性も違う、という印象をもつ。それだけ、いま進められている米軍強化拡大への不安が広がっている、と言えるかもしれない。
 夜、三日月になり、星がよく見える海で、Yさんと二人で、横になって星を見る。波の音が聞こえ、天の川がうっすらと見え、気分が休まる。
 

グアム日記(5) 

March 12 [Fri], 2010, 1:48
2月18日(木)
 午前中に予定していたインタビューがまたまたキャンセルになる。時間が余ったので、調子の悪い携帯電話(ドコモ)を交換してもらうために、レンタカー会社に行く。グアムでは、ドコモはつながりが悪い(アンテナが少ない)ので、あまり評判は良くないようだ。
 レンタカー会社の受付に、アプラ海軍基地の詳しい地図があったので、それをもらう。この会社は米軍関係者がよく使うところで、引っ越し業務も請け負うので、こんな地図が置いてあるらしい。なるほど、グアム経済と軍のつながりは、こんなところにもあるのかと思う。グアムという、長い間ずっと自給自足で暮らしてきた島に、軍と共に貨幣が持ち込まれた歴史を考えることは、軍事化と経済、軍事化と開発、を考える上で欠かせない視点ではないか。
 せっかくホテルの多いタモン地区に来たのだから、観光客のようすやホテルのビーチなどを撮影する。私たちが泊めてもらっているウマータックの海との違いに驚く。
 午後、Y君がグアムのテレビ局にインタビューされる。10分ほどの短いインタビューで、PP研のことや調査の目的などを聞かれる、というあわただしいインタビュー。
 今日から調査の参加するピース・デポのYさんを迎えに空港に行く。空港内には、イラク戦争で亡くなったグアム出身兵士の写真が何十枚も貼られている。グアム出身兵士の死亡率は、他州と比べて高いのだという。
 Yさんをピックアップしてから、再びグアム北部のアンダーソン基地へ向かう。テレビ局で、アンダーソン基地の南にあるサンタ・ローザ山に登る。標高300メートルほどの弾く山で、頂上まで舗装道路がついている。たしかに、遠くにアンダーソン基地の滑走路が見える。ちょうどB52(らしきもの)が直陸するところだったので、それを撮影する。
 できるだけ米軍基地を見たいというYさんの希望もあり、再びニミッツ・ヒルに行く。その後、もっと良い場所はないかと、地図を頼りにアプラ・ハイツという高台にあがり、アプラ海軍基地を見下す。軍艦(か補給艦か)が停泊しているのが見える。とは、遠すぎて、良くわからない。Yさんは原子力潜水艦が使う埠頭はどれかを気にするが、よくわからないまま。
 この数日で考えたのは、グアムで進んでいるのは、基本インフラが米軍と基地のために整備され、人びとの基本ニーズを満たすためのものではないこと、外部(軍と観光)資金によって「発展」した貨幣経済セクターと昔からの自給的経済(民衆的なくらし)の二重構造(軍事経済と観光経済を分ければ、三重構造)になっていること。この40年ほどでできあがったこの三重構造を、壊すのがいま計画されている米軍拡大強化プランではないかということ。
 沖縄の「開発」と比較しながら考える必要があるだろう。

グアム日記(4) 

March 11 [Thu], 2010, 0:15
2月17日(水)
 午前中は州議会副議長のB・F・クルーズ氏にインタビュー、約1時間。彼はもともと平和運動をしていた活動家、というより法律家。ピースボートでも話をしたことがある。2009年11月の大阪集会にも来る予定だったが、急用で来れなくなった。彼が1987年に書いた Human Rights: “The Dream Vs. Reality” という論文は、チャモロ民族と北マリアナ諸島の自決権と海洋を含む天然資源への権利、それを認めない米国の政策を正面から批判した論文としてグアムの高校生用の副読本にも載っている。
 したがって、米軍拡大強化計画についてもはっきり反対の態度を表明している。グアム島で、これ以上の軍事化はいらないというのが基本的立場なので、現在ある米軍基地について撤退を求めている訳ではない。おそらく、これが州議会を含めたグアムの最大公約数なのだろう。
 州議会が、2月12日に満場一致で決議した「環境影響評価(案)に対する所感」をもらう。これは、かなり強い所感で、「米国で最小のコミュニティの一つで、米国史上最も大規模な平時の米軍拡大強化が計画されているが、このように過大な軍事的負担を強いるのであればグアムの市民(文民)コミュニティのことをもっと深く真剣に考慮しなければならない」と、現地の意向を無視した軍事化計画への不快感を示している。とにかく、1100ページもある環境影響評価(案)に対して90日間と期間を区切ってコメントを求めているのだから、地元の声を軽視しているとか言えない。これまで無視されてきた上に、グアム島の大改造計画についても地元の声を聞こうとしない。その点がグアムに住む人たちが強く反発する一番の理由ではないか。
 もう一人、ジュディス・グサーツJudith Guthertz議員をインタビューする予定だったが本人が不在だったので、事務所で待つ。結局本人は現れず、その代わりに政策秘書の米国人(グアム大学の教員)がいろいろ説明してくれる。
 午後は、アガーニャ・ショッピング・モールで、リサに会う。このショッピング・モールは隣にシューマート(フィリピン最大のデパート)もある大きな所。リサは、「グアムから米軍に入隊する人は多いので、海軍や海兵隊がどんな所かについて、多くの人は知っている。だから米軍の存在そのものを否定するような発言をすると、家族からも反論される」と話す。」また、チャモロ人については「この島に住む人たちは、一つの家族だという意識をまだ持っている」とも言う。彼女も、親はフィリピンから来ている。それでも、自分はチャモロ人という自覚があるようだ。島で生きていく人がチャモロ人ということなのだろう。この開放性をもったアイデンティティは面白い。
 帰りは、ニミッツ・ヒルという太平洋戦争歴史公園へ行く。ここは日本軍が「バンザイ攻撃」をした激戦地の一つ。いまはきれいな公園になり、その向かい側は米軍の住宅地になっている。家族連れが住む住宅らしく、庭つきの一戸建てが並ぶ。ゲートの前には警備兵がいて、出入りをチェックしている。
 その後、アプラ海軍基地のポラリス・ポイントに行くがゲートがあって入れず。その手前にある道から海軍基地の方を撮影していると、今度はグアム警察のパトカーがやってきて「何を撮っているのか」と聞く。「魚と鳥を撮っている」というと、「OK」と言ってすぐ帰る。さすがに、住民のための警察だ。
 デビーが働く組合の委員長で州議会議員を辞任したばかりの、Rectorが26年前の窃盗罪で逮捕される、というニュースを聞く。新聞でも大きく取り上げている。彼は、米軍拡大強化にも民営化にも反対していたので、かなり政治的な意図をもった逮捕だと、デビーは説明する。

「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書 

March 09 [Tue], 2010, 15:59

 以下の要請書には、賛同団体85団体、賛同者1296人が、名を連ねました。
 3月3日午後1時に民主党北海道本部に行き、要請書を提出し、民主党本部およ
び首相、文科省に届けるよう要請しました、また社民党北海道連合にも、要請書の趣旨を伝えました。両党とも、朝鮮学校
にも高校無償化制度を提供することに異論はなく、党本部にきちんと伝えるとい
う返答でした。
 短期間にもかかわらず、これだけ多くの賛同が集まったのは、
今回の鳩山首相と中井拉致担当相の差別発言に対する怒りの現われでしょう。
 在日朝鮮人、とくに朝鮮学校の学生や卒業生、保護者などからもたくさんの賛
同メールが届きました。うれしいことです。同時に朝鮮学校に対する差別的政策
や待遇をなくしていくのは、参政権をもった日本人の責任だということを改めて
感じました。
 これからもよろしくお願いします。

「高校無償化」制度の朝鮮学校( 高級部)への適用を求める要請書
2010年3月3日

内閣総理大臣 鳩山由紀夫様
文部科学大臣 川端達夫様

 鳩山首相が、衆議院で審議されている高校無償化法案に関連して、在日朝鮮人の通う朝鮮学校を無償化の対象から外す方向で調整していることを明らかにし、その理由を「朝鮮学校がどういうことを教えているのか指導内容が必ずしも見えない」と述べたという記事(北海道新聞、2010年2月26日)を、私たちは読みました。
 私たち、教育問題や国際協力、差別問題などに関心をもつ市民は、この発言に驚いています。私たちは鳩山首相に対して。朝鮮学校も高校無償化の対象に含めるよう再考することを強く求めます。また川端文科相に対して、朝鮮学校を対象にしていた方針を変更することなく進めることを要請します。
 朝鮮学校だけを、無償化の対象から外すことに合理的な根拠はありません。朝鮮学校は、各都道府県が各種学校として認定し、公立・私立大学の半数以上が独自の判断で受験資格を認めてきた学校です。国立大学で初めて受験資格を認めた京都大学は、朝鮮学校の授業や教科書を検討し「高校」と差がないことを確認しています(朝日新聞、2002年9月13日)。
 この事実をみれば、朝鮮学校が「日本の高校に類する教育課程」をもつ学校を対象とするという文部省の方針に合致していることは明らかです。また「教育の機会均等」や「教育の国際化」という文部科学省の方針からしても、朝鮮学校だけを排除することはできないはずです。
 朝鮮学校を学校教育基本法第1条の学校として認可しないというこれまでの文部科学省の方針に対しては、日本政府が批准(または加入)している国際人権諸条約の委員会から、これを民族差別とする「懸念と勧告」が何度も出されています。とくに社会権規約委員会は「朝鮮学校のようなマイノリティの学校がたとえ国の教育カリキュラムを遵守している場合でも正式に認可されておらず、したがって中央政府の補助金を受け取ることも、大学入学試験の受験資格を与えることもできない事について、懸念する」(2001年8月31日)と強い勧告を出しています。
 もし、高校無償化から朝鮮学校をはずすことになれば、これまでの差別をさらに広げることにつながります。それは「友愛」を掲げる鳩山政権の本意に反することではないでしょうか。
 私たちは、朝鮮学校を高校無償化から除外しないことを求めます。

グアム日記(3) 

March 08 [Mon], 2010, 13:23
2月16日(火)
 午前中は予定がないので、のんびり過ごす。デビーの家があるウマータック村は、マゼランが「上陸」した場所で、その記念碑もある古い小さな村だ。村の目印は、ウマータック橋、城門のようなアーチが橋を覆っている。
 デビーの家は、村の中心から車で10分ほど南に下った、トグアン湾に面したところにある。入口には、バナナなどの無人販売スタンド、グアム島旗とピース旗も立っている。家から50メートルほど歩くと、そこは真っ青な海。サンゴ礁なので裸足では歩けないが、波打ち際に落ち得ているサンゴや貝殻を拾う。
 連れ合いのコリーがウマータック出身なので、ここに家を建てたらしい。しかも手づくりの家で窓にはガラスがないので、風通しもいい。私たちが泊めてもらった部屋だけは窓がなく、風が入らないので暑くなるためエアコンがある。いろんな人が海を楽しんで骨休みするために、デビーの家に来て、この部屋に泊まるらしい。1989年に「世界先住民族会議」を開いた時に、グアムから参加したレネ・レミティアーコさんも、ここにいたことがあると後からデビーに聞く。デビーの親友だったが、残念ながら数年前に亡くなったということだ。
 午後からレンタカーを借りに、ホテルの林立するタモン地区に行く。島には、バスなどの公共交通がほとんどないので、コリーの車に乗せてもらい、1時間弱ほどかけてタモンに着く。車を借りた後、この辺りには大きなスーパーマーケットも多いので、買い物をすまそうということになる。私は免許がないので運転できないので、同行したY君が運転。グアムも日本とは車線が逆なのに、国際免許がなくても日本の免許があれば運転できるので、驚く。どういうこと? Y君は久々の運転なのでかなり緊張ぎみ。
 ホテル街の近くにあるK mart で、買い物(帽子とジーンズ)。食品などを買う日本人観光客が多い。このグアム店が開店した時は大賑わいで、全米で最高の売上高を記録したらしい。
 島の北部にあるアンダーソン空軍基地に行く。タモンから、道を間違えながら30分ほど走ると正面ゲートに着く。ゲートの前でビデオを撮ってから、基地に戻ってくるB52を撮影しようと、ちょっと離れたところに車を停めていると、米軍に雇われたセキュリティがやってきて「基地の中を映すのは禁止されているので、ビデオをチェックさせてほしい」と言う。基地内は撮っていない(というか、そんなことは不可能)ので、ビデオを見せようとしたが、操作方法が分からず、見せることができない。その様子を見てセキュリティも納得したのか、そのまま帰っていく。ちょうど、グアム島沖のファラレオン・デ・マディニラ演習場で、日米合同の実弾訓練をやっているので、夕方になるとB52が何機も戻ってくる。
 基地の周りをぐるっと回り、グアム島北端のリティティアン岬まで行く。道路の両側は米軍基地。北部のほとんどは米軍基地だということがよくわかる。沖縄などと違って、かなり広いので道路からは何も見えない。
 夜は、また州議会に行き、グアム選出の下院議員(議決権がないので正式の議員ではない、発言ができるオブザーバー)のマデレイナ・ボダーロの政治報告を聞く。関心は、彼女が環境アセスメント草案に対して、どんな意見を言うかだ。ボダーロ議員(みんなはcongress womanと呼ぶ)は、もともと米軍拡大に賛成してきたので、デビーたちの評価は低い。しかしグアム島全体で環境アセスメント草案に対する反発が高まっているため、彼女としても無条件で受け入れ賛成とは言えなくなっている。そこで今日の報告に注目が集まっている。
 昨日の州知事の最終演説よりも傍聴する人が多く、議会前の駐車場にテントが立てられ、モニターが置かれている。傍聴室に入れなかった人たちが、そこで中継を見ている。We are Guahan という若者中心(グアム大学などの学生や若い教員が中心)のグループが、米軍拡大強化を見直す署名を集めている。
 ボダーロ議員の報告は、こうした島内の声を受けて、環境アセスメント草案を強く批判し、2014年までという米軍拡大強化の期限を延長すること、基地拡大のための新たな土地接収を中止すること、チャモロ人の声を聞くことを強調した。
 たしかに、グアムの世論は変わりつつある。

グアム日記(2) 

March 07 [Sun], 2010, 16:09
2月15日(月)
 グアム州議会で、フェリックス・カマーチョ知事が、任期8年間の仕事を総括する最終演説をする日。デビーたち「チャモロ・ネーション」は、知事が「グアム米軍拡大強化(Guam military build up)」に対してはっきり反対していないので、それに抗議することにしている。グアム・米軍拡大強化案の環境影響アセスメント(第一次案)が出され、それに対するパブリック・コメントが多くの人から出され、グアム州議会もアセスメント(案)に対する懸念の「所感」を全員一致で提出している。だからこそ、知事の態度が重要なのだが、そこはあいまいにして最終演説をするようだ。
 デビーの家があるウマータック村から議会のあるハガーニャ地区までは、車で40分ほどかけて、島の南端部から中部まで東側を縦断する格好になる。こちら側(東側)は、途中にアプラ海軍基地があるためか、道路も6車線で舗装状態もよく、車の流れがいい。グアムは右側通行(左ハンドル)なのだが、道路の真ん中に左折用の車線があって、左折する車はそこに入る。海岸沿いの道路から見る海は、初めてグアムに来た私には感動的なほど美しい。
 午前10時にグアム州議会に着く。チャモロ・ネーションのメンバーが5人ほどいて、議会入り口に「self-determination 自決」と書いたポスターを張ったり、車につけたスピーカーからチャモロの歌を流したりしている。議会の中まで音楽を聞かせるつもりらしく、かなりの大音量だ。議会の警備員が警察を呼び、デビーたちに音量を下げるよう説得させる。説得と言ってもちょっと話をしただけで、結局、音量は下がらなかった。警察は強制的に何かするのではなく、説得がだめだったら、あとは黙ってみているだけだ。
 デビーは、グアム地域労組の仕事をしているので、労働組合のメンバーである警察官とも知り合いなのだという。そして、グアムと言う小さい島では縁戚・地縁が強いので、どこかでみんなつながっている、とも言う。たしかに、「○○は私のめい」とか「娘の連れ合いの親戚だ」とかいう説明を聞くことが多い。
 州議会(正式にはグアム立法府 Guam Legislature)は、平屋で、出入り自由、いかめしさとは無縁の議会だ。正面玄関を入ってすぐ左手に公聴(傍聴)室があり、ガラス越しに議会の様子を見聞きすることができるようになっている。ここは出入り自由で、私たちが入っても何にも言われない。おまけに、議会が終わると、そこに軽食(サンドウィッチやスウィーツ、コーヒーなど)が用意され、誰でも自由に飲食できる。右手は議員の部屋。正面玄関の奥にもう一つ扉があって、その先が議場。さすがに、そこへの出入りは制限される。
 知事の最終演説が始まる前に、グアム島歌(というのだろうか)と米国国歌を歌う。デビーたちチャモロ・ネーションのメンバーは、チャモロ島歌は歌うが、米国国歌は歌わない。議会など公的施設の前には、グアム島旗と米国国旗が揚げられている。この島旗も、いかめしさとは無縁のかわらしいもの。赤い縁取りがしてあり、濃紺の長方形の中にヤシの実のような楕円形が縦に描かれ、その中にはヤシの木と帆立舟、島影が描かれ、GUAMと書かれている。私も、デビーから小さい島旗をもらい、カバンにさす。
 こういうところをみると、「グアム」ナショナリズムというか、コミュニティ意識を強く感じる。チャモロ・ネーションが、米国による植民地支配を終わらせる、自決権に基づくための運動であることはよくわかる。しかし、その先にめざすのが、国家形成なのか、現在の「準州」的な政治的地位の改善なのか。おそらく、いろいろな意見があるのだろう。
 カマーチョ知事の最終演説では、米軍拡大強化については言及せず、「グアム(Guam)」という島名を「Guahan グアハン」という昔ながらの呼び名に変えるという提案をしただけのようだ。政治的な意味はあまりないが、チャモロ人の意識が変わり始めたことを示すものかもしれない。
 「なぜ、自分たちの島でアメリカが大きな顔をしているのか、自分たちの土地を勝手に使っているのか」という気持ち(即自的ナショナリズム?)は、ひしひしと伝わってくる。その限りで、self-determinationというスローガンは、多くのチャモロ人に受け入れられているのだろう。「島」という半ば閉ざされた空間がもつ近隣意識・血縁や地縁をベースにした一体感と大国への反感と依存、などについてもう少し考える必要がある。
 アメリカに対する反感のもう一つの理由は、第二次世界大戦によるグアム島の破壊と犠牲に対する責任の問題だ。グアムはフィリピンと同じように、米西戦争の結果、米国がスペインから奪った島だ。マリアナ諸島の中では唯一の米国領で、米軍が配備されていた。ところが日本軍が侵攻する直前に米軍のほとんどはグアム島を撤退し、チャモロ人主体の警備隊が日本軍と交戦することになった。また1944年7月に米軍がグアム島を奪還する時に、グアムの海岸線(日本軍が塹壕を掘って潜んでいた)に対して徹底した爆撃を行ない、住宅や町並みを破壊した。ところが、1951年のサンフランシスコ講和条約で、米国は日本への賠償請求権を放棄したため、当時「米国領」に編入されたグアムの住民は、日本から一切の賠償を受け取っていない。そのため、米国に対して戦争の被害についての賠償を求めているが、まだ実現していない。
 日本が謝罪・賠償していないことよりも、米国の責任の方が、グアムの人たちにとっては重要だと考えられている。だからといって、私たちがこの事態を横目で見ていていいという訳にはいかない。戦争責任・賠償をアメリカに押し付けている日本が、初めてグアム島に投入する公的資金が、米軍拡大・強化プロジェクトへの支援なのだから、問題はますます複雑になる。
 夜、デビーの連れ合いのコリーに会う。昨夜は、オートバイで走っていたらしく深夜に帰ってきて会えなかった。デビーは白人のような顔立ちなのだが、コリーは見るからにグアムの人といった感じ。長髪を後ろでまとめ、優しそうな顔立ちをしている。豚と山羊、ニワトリ(闘鶏用)の世話をし、バナナやヤシ、オレンジなど果樹の面倒もみている。映画と音楽(しかもコメディとブラック・ミュージック)好きなので、話があう。