先生が泣く 

2006年05月17日(水) 9時41分
2年生の冬

なかなか 二女とのやりとりが上手くいかない D先生

私は 毎朝 毎夕 小学校へ 通い 先生と 次女の事 色々お話をするようにしていた

ほぼ 6年間 毎日 していました。

連絡帳だけでは 書ききれないほどの 事が あるからです

また 書くだけでは 伝わらない事もあるからです

もちろん 先生だって会議などもあるし

ほんの 5分ほど だけでしたが・・・・・・

こういう行動がありました   という報告を聞くと

考えられるすべての 原因 対処法なども 即座に 答えれるように・・・・・・

そんなある日のあさ

いつものように D先生と会話。

上手くいかない やりとり、指導に 困り果ててる先生は

涙を見せました

私は 見てないふりをして

会話を続けました

冷たいようですが

先生が涙を見せたから 二女が 上手くいくって言うこともありませんし

涙を見せたから 二女から逃げれるわけでもないし・・・・・・・

担任である以上 最後まで 上手くいく方法を手探りで探してでも

接して欲しかったから・・・・

その後の先生は 私に涙を見せる事もなく

二女といい関係になろうと 一生懸命手をつくされました

骨折 

2006年04月12日(水) 14時37分
2年生の 秋 彼女は 遊具で遊んでいて

指の骨を 粉砕骨折する

遊具に 右手人差し指を挟んだのだ

押しつぶされ 大量の出血

急いで 病院に行くが これほどの 大怪我なのに 彼女は 泣かない

病院には 外科医しかおらず 怪我を診ても

縫うほどではないから と 消毒のみ

主人が「骨折してると思いますが・・・・・」 というと

レントゲン技師がいないので 写真は取れないが レントゲン機戒で すかしてみる

という事を 医師は 行った

結果 骨折もないし たいしたことではないらしい

しかし 翌日 整形外科に行くと 粉砕骨折

縫うほどではないといわれた傷は 毎日消毒の必要があると言われ

少しずつ 3日ごと 1週間ごとに変わってきたが 傷の完治まで 

2ヶ月〜3ヶ月

骨折完治まで 3〜4ヶ月かかる 大怪我だった

彼女は 4年生の時も 頭を縫う 怪我をしたのだが 血に驚いて泣いただけで

縫合の時も 抜糸の時も 泣くことはなかった

サポートチーム 

2006年04月10日(月) 11時34分
たんぽぽの 散歩 のあと

無事に 登校を始めた このりんですが

1週間続けて登校すると 2週間の休み 10日続けて登校すると 3週間の休み

等 登校と 不登校を繰り返します

どうして 上手く学校で学校生活が送れないのか?

どうして 先生の指示に 従えず それでも 指示を出すと 休みだすのか

不思議で 何を考えてるのか よく分からず 対応の仕方が分からない 先生方

1年生の 2学期から お世話になっていた 隣のクラスの障担が

サポートチームを作ろう  と言い出した

私が よく いろんな機関に 相談に行き 支援の仕方などを 教えてもらってる事を知っている

K先生の 意見

早速 ある日の放課後

障害児クラス 3クラスの 担任、及び 保健士 心理士 私 彼女の支援に興味のある先生

教頭先生が 集まり

彼女の 特性や ADHD  LD についての話  支援の方法 などについて 何度か

話し合われた

そのうちの 1回のみ 交流学級の担任が参加・・・・・・・・・・・・・・・(複雑な心境)

たくさんの 方達が ひとつの方向を 見

皆が 同じ方向で 支援をしていく必要があると思われたから・・・・・・

いろんな作戦が 立てられ 実行していったが なかなか 上手く 学校生活が

軌道に乗らない

しかし

みんなの 暖かい目線と 情熱で 私は 不登校児に陥った このりんに対しても

いつものように 優しく接する事が出来た

********************************
6月 末

我が家に 末っ子が誕生

出産祝いに 駆けつけてくれた 担任の D先生に

ほんの少し このりんは 親近感を覚えたようだ

たんぽぽ 

2006年03月30日(木) 9時04分

2年生 新学期が始りました

さくらが 校庭に いっぱい咲き 気持ち的にも 明るく 新学期をむかえました

始業式・・・・・・・・登校する事はできませんでした。


始業式の日、子供達が下校する時間の頃 私は登校し

このりんの変わりに 新しい教科書を頂き 新しい クラスメイト 先生に出会ってきました

障担は D先生

その春から 別の小学校から 赴任されたばかりで 昨年の このりんの様子を

耳で聞く情報でしか 知らなかった先生です

きっと 1年生の時の このりんの様子を知ってる先生は かかわりたくないと思ったに違いありません

きっと 彼女を 受け持ちたくない と思ったことでしょう

何も知らない先生に バトンが渡りました

もちろん 顔も知らない先生に このりんが会いに行こうとする事は ありませんでした。

このときの 私の中では どうやって 新しい先生と かかわらせるか? で いっぱいでした。

4月も 終わりになったころ 給食の時間の 教室に 行く事にしました。

子供達もいませんし 先生もいない時間です。

黒板に このりんに 自分の名前を書かせました

そうして 黙って 帰りました。

先生から  「来てくれたのね〜。先生の名前も書いてるから また見にきて〜」

先生には しばらく 誰もいないときに登校するので 先生も 来ないで下さい

と お願いし 黒板上で 先生と やりとりをさせる事になりました

1週間ほど 草花のブーケを 先生の机の上に置いたり

黒板に おいしそうなハンバーグの絵を書き 「先生 食べて」と 書いてきたり

が続きました。

そろそろ 対面させてみよう

先生と相談し 2〜3時間目 学級の子供達とともに 私も付き添った上で 散歩に行く事になりました

川原には たくさんのタンポポが咲き 蝶が飛んでいました

固まりながら このりんは ついてきていましたが D先生の

タンポポの笛 に 興味を示し 顔が緩み始め 笑顔

タンポポを つんでは D先生に 「これで やって〜」と

お願いするまでになりました

その日は この散歩のみで 下校

でも この タンポポのおかげで ようやく D先生のいる教室に

通えるように なりました

タンポポを見ると あの日の 散歩の光景が 目に浮かぶ

春休み 

2006年03月27日(月) 8時59分
このりんが 入学直前から 毎年 春休みには 歩いて 小学校へ通い

校庭で遊び 時には お弁当を食べる

そんな 習慣に なりました

1年生が終了し 2年生になる直前も 3年生になる直前も 通いました。

新しく来られる先生と ただ 挨拶するだけでも

新学期の 緊張が ほぐれたら・・・・・・

そんな 思いがありました。

新しく このりんの 担任になられる先生は 遊びにきてる このりんに

呼びかけをしてくれる事もありました。

時間の 空いた先生が 遊びに来てくれることもありました

ほんの少しの時間のかかわりが 新学期の 生活を 上手くスターとさせてくれるきっかけになることを

願い 用事のないとき以外は 必ず 連れて行きました

1年生から 2年生にあがる時には 特に 先生方には お願い事をしませんでした

それは 1年生のときの 様子で このりんの 特性が ある程度分かり

新環境が だめである事を 徹底的に 思わされた1年であった為 そんなに 環境をかえる事は 

しない と思っていたから・・・・・・・・・

前もって 担任を知っておく必要はないと 思っていたから・・・・・・・・・・

でも 学校の対応は 彼女の 障害児学級の担任も 赴任してきたばかりの先生 という

新環境に おいてしまいました

この事があってから 毎年 春休み中に 新担任の 報告を受けたいと 申し出ました

先生によっては 前もって 伝えておく事も出来ますし・・・・・・

このりんにとっても 前もって知るという事は 気持ち的に 余裕が出来ると思いました

1年生の思い出 

2006年03月22日(水) 8時32分
あるとき 学校へ 迎えに行くと

このりんが 泣きながら 教室を飛び出して 運動場へ 走り去ってるのが 目に入りました

「どういうことですか?」

と聞くと

「このプリントしなさい と言っても 椅子に座らず 教室の中を ずっと走り回ってるから
 1問でも やりなさい と きつく言ってしまいました」

まぁ〜  先生の 言う事を聞かず 他に 学習してる子がいるのにもかかわらず

走り回る このりんもダメだわなぁ〜

と 納得して帰ったのだが どうしてもすっきりせず

”ずっと走り回る という 行動をしていたのなら、彼女は プリントよりも 遊びたかったのかもしれない
 その 気持ちを 先生が 言葉で 表現した上で プリントが 終わったら 一緒に外で遊ぼう というように 声をかけて欲しい”

と 伝えました。

言葉で表現する事が 難しい彼女ですから 言葉でなく 態度で 自分の 気持ちをアピールします

体で 態度で 表情で 気持ちを表現した時は

それを 言葉で 言って上げることで

この子達は こういう風に 言葉をだせばいいのかな?

なんて 少しずつ 気付いたりするから・・・・・

私は 何かが起こるたび このりんには こういう言い方ではなく こういう風に言って欲しい

と 伝えてまいりました

時には 言い合いになることもありましたが 彼女には 今までの 指導の仕方では

通用しない事がたくさんあり 私が 先生に 伝えていくしかなかったからです

小学校1年生  続き 

2006年03月16日(木) 13時14分
このりんは 校内をさ迷い歩いて 日中を過ごしていた頃

突然いなくなる事がありました

職員室の 机の下に隠れていたり・・・・

トイレの後ろに隠れてたり・・・・

ある時などは コンピューター室の 机の下に隠れていたため

気付かれず 鍵を閉められ 校内を 先生方が 探し回ったというような こともありました。

また 集団下校の際も 勝手に帰っていたため 探し回る事もありました

************

さて 給食を 交流学級で食べようと 誘いかけをしたそのひ

いつもの様に 私と 三女は このりんに付き添っておりました。

給食時間 私が 妊婦である事も あり k先生は

「今日は 帰ってもらってもいいですよ。給食を1年生の教室で食べてきます」

と 私に言うので 1年生の教室まで 一緒に送っていき K先生とともに 座る姿を見届け

帰宅

自宅で 三女とともに 昼食を食べ テレビを見 三女に昼寝をさせようとした時

”ぴんぽ〜ん” 誰かがやってきました

ドアをあけると 泣いてるこのりんと 上靴のままのK先生。

K先生の話によると

給食が配られ 皆がそろうまで 待ってる時間に 教室を飛び出していった
きっと すぐに戻ってくるだろう と 思って待っていたが戻ってこない
昇降口を見ると このりんの上靴が 置いてあり 下靴が見当たらない
校内を探したが 見つからず 車で 自宅方向に探しに出かけ
自宅の 団地前で 歩いてるこのりんを発見

黙って帰るのはダメ。と 叱った様子
そして ここまで 1人で歩いて帰れたんだね。えらかったね

と 褒めたらしい。

校内をさまようだけでなく 自宅に帰ってしまう このりんに びっくりしてしまったのでした

小学1年生  9月〜    続き〜 

2006年03月15日(水) 15時23分
夏休み中 個人懇談で 保健士さんに同行してもらい

2学期からの 彼女の居場所として 知的障害児学級K先生(現このりんの担任)に

お願いする事になった

しかし 新学期早々 うまくいくはずもなく 運動会の練習期間も

さまよえる1年生

1学期間は 水泳も出来ず 2学期早々の 運動会も不参加

運動会終了後から 付き添ってもらってる N先生とともに K学級で 過ごす時間も作ってもらう

だけど N先生がいなくなると 捜し求めて さまようこのりん

一度も 椅子に座ろうとしない このりんに K先生は 大声を出してしまったそうだ

「少しでいいから 座りなさい!少しでいいから 運筆を しなさい」

それでも 座ろうとしないので もっと 大きな声で 叱ったらしい。

泣きながら 指示に従い 運筆したものの 翌日から 休み

仕方がないので 母子同室登校開始

私がいることで 安心したのか とりあえず 1年生初期の勉強から始まる

あるひ 遠方から 大学の先生が 学習風景を 見に来られる事があった

相変わらずの 母子登校。

ちょっとしたことから パニックになり 私に 暴力をふるい始めた このりん

様子を見ていた 大学先生は

「お母さんが かわいそうや」といい

「ADHDやLDではない」 そう言って帰っていったらしい

相変わらず 教室に入る事も出来ず 給食も 障害児学級で食べる

でもね、このとき 一度だけだったけど 給食当番の服を着て 皆と廊下を歩いた日がありました

そう、一度だけ。歩くだけ。

でもね、その姿が とてもかわいらしく ほほえましかった。

最初で 最後の 給食当番。

ある日 給食を 通常学級で食べてもらおうと 先生が 誘いかけた事がありました

そして 事件は起こりました

小学1年生〜続〜 

2006年03月14日(火) 8時28分
”このりんはADHD?はぁ〜  親の甘やかしか しつけの出来てないこどもやん。ADHDの子供が
こんなに 教室に入れない はずがないやん”

その言葉を聞いた瞬間 思いました

何年かかろうと この子の 抱えてる問題、親のしんどさ 分からせてやるぅ〜

その後 また ”急ぎです”と 飛び入りで 保健所の発達相談へ

それまでに 通った時も 保健士、心理士の判断で 医師にかかる必要なし

と 言われてたので その不満をぶつけ ”今日こそは 医師と 話しをさせてくれ”

と 頼み込み そこに 来ていた ちょっと 有名な 医師に このりんの事を

話したのでした

「聞くだけだと ADHDは 確実だけど こだわりは?」

そう 聞いてくれた医師でしたが 私が こだわりの意味を知らなかった

誰にだって 好きなものはあるし これがあれば嬉しい って言うのもあって当たり前だから・・・・

1年生の夏になり 医師の通う 大学で 発達検査。

だけど 全く出来ないこと 数字が鏡文字だったり 平仮名が 覚えられてない事などから

ADHDとLDを 併せ持った 発達障害

と言う診断名を もらう事が出来たのでした。

やったぁ〜 そう思って 診断書を提出。

1学期中 校内を さまよって 過ごしていた このりんに 9月から

特別に 今の障担 K先生のいる 障害児学級へ 通う事が ゆるされた。

だけど 校内だけの配慮であり 教育委員会を通したものでない。

それに どの先生にとっても ”こんな子初めて”という このりんの 相手は

予想以上に 大変で 嵐のような 時間だったと思う



小学1年スタート  思い出 

2006年03月13日(月) 8時24分
入学式の翌日から しばらく登校できなかった このりんだが

情緒級の 教室に登校するようになりました

登校方法は 当時は姉と 一緒の集団登校でしたが

ランドセルは 持たず 背負わず・・・

手ぶらで、名札拒否、帽子拒否  etc

問題の多い登校スタイルでした(本人は いいんだけどね)

さて 登校時間に 合わせて 私も学校で待機

先に 通常級の担任と 話しをし 連絡帳を渡し このりんが登校したら 情緒級に連れて行き

私は帰る

ゆっくり 学校生活に慣れたら・・・・通常級に慣れていけば・・・・・

そんな思いもあったのですが。

給食の時間は パニックの時間。

先生も どうにも出来ないと 言うことだったので 給食の時間に 通うことになりました

このりんの給食は、げた箱と 土ぼこりの中の 昇降口に 置かれていました

しばらくの間 パニックで 泣き暴れるこのりんとともに

昇降口で 長男、三女も 一緒に 給食を食べました

しかし こういう方法も 少しずつ 腹が立ち・・・・・・・・・・・

給食時に 行きません と 学校で対処してくださいと 言って帰ってまいりました(笑)

その後 給食は 職員室で 静かに 食べるようになったらしい

しかし このりんの マイペースぶりは 相変わらずで

授業時間は 教室にいない、情緒級にもいない、

四時間目終了間際に ようやく 通常級に 入ってきたとおもったら

給食時間とともに 職員室に行き 立てこもる

授業時間に 椅子に座った事がない。

その頃 手の空いてるN先生が ずっと このりんの面倒を見てくれるようになりました

それでも このりんの 問題行動は 目にあまり 何度も 担任や 教頭先生と話し合うことになりました

まだ 診断名は 「普通の子」(どこがやねん って思うよね)

それでも ”ADHDだと 思うんです。まだ 確定じゃないので 言えないのですが・・・・”

そう言いました

”このりんはADHD?はぁ〜  親の甘やかしか しつけの出来てないこどもやん。ADHDの子供が
こんなに 教室に入れない はずがないやん”

なんていう 先生方の 意見もありました。

そりゃそうだ。まだ 誰にも 発達障害だって 言われてないもん。普通の子だと 言われてたもん。

続く
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