回想 

January 05 [Mon], 2004, 22:45
何から話せばいいのだろうか・・・。
どこまでも続く泥沼の争いのなかで
正義と情熱を貫いているひとりの女性のことを。

時には雄弁に、時には寡黙に、
彼女は私たちに問いかける。
私たちの目指す天空の城はどこにあるのだろう?

  シリウスとプロキオンをしたがえて
  ベデルギウスは孤高の冬空をゆく
  天空の城をもとめて駆けていく

天空の城、
それはどこを探しても見つからない。
しかし、自分の中へと目を向けると、
誰でもそこに見つけることができる。
冬の夜空ではなく、いつでも自分の胸に。
人を信じ、人を受け容れ、人を大切にするハートのなかに
  
  シリウスとプロキオンをしたがえて
  ベデルギウスは孤高の冬空をゆく
  天空の城をもとめて駆けていく

この物語は天空の城を求めて、
ネットを駆け抜ける一人の女性の物語である。
読み終わったとき、あなたには分かるはずだ。

天空の城は今、あなたの中にあることを。
空にそれを求めることの虚しさを。

孤高の天空を目指して 

January 06 [Tue], 2004, 21:29
私たちの人生にとって、ネットを有意義なものにするには・・・どうすればよいのだろう?

おそらく、あなたも一度はこのことを真剣に考えたであろう。

ネットの世界には、短期間のうちに、
どんどん大化けして伸びていく人もいれば、
十年一日のごとく、誰もいない場所で、誰も聞かない他人の悪口と愚痴を語っている人もいる。

その差は何なのであろうか?
それは、その人がネットをどう認識しているか、に尽きると思う。

大切なのは、参加者不特定のネットは自分の主張を通す場ではない、ということである。

良い話し合いを通して、お互いの気づきから新しいことを発見していく、創造の場である、という認識である。
我々は対話を通して自分のコメントや他人のコメントとは異なる、新たなコメントが創造できるのである。

つまり、ネットは白黒つける場ではなく、対話の場なのである。
戦いの場ではなく、共に勝つ、WIN−WINの場なのである。

このように認識したとき、ネットはより有意義なものになるだろう。

残念ながら、このような認識は、まだまだ少数派である。
日常、我々の見るネットには、それぞれが異なる意見に固執するあまり、
中には感情的になっている人たちが多く見られる。

ネットには、対話の成り立たない人たちもたくさんいる。
また、悪意をもって、表になり裏になり、阻害しようとする人たちも存在する。



ここに希有の才能をもった「れおちゃん」がさまざまなネット体験を通して、孤高の天空へと成長を続けている。

ネットに参加するということは、蜘蛛の巣のごとく悪意に充ちた場所に分け入ることでもある。
彼女は、そのような連中と対話することからも学び、したたかに「人を見る確かな目」をも培って来ている。

れおちゃん・・・花言葉をはじめ、今や伝説となった彼女のネットにおける生き様は、これからネットに参加しようとする人にも、十年選手の人にも、すべからく学びがあるものと確信している。

その学びこそが、あなたの人生にとってネットを有意義にするための秘訣を教えてくれるであろう。

登場人物「れおちゃん」 

January 07 [Wed], 2004, 21:31
れおちゃんは何よりもまず、明るく魅力的な女性だった。
  もちろん、若くて、夢にあふれ、前向きで、感性豊か。
  頭の回転が速すぎてキーボードを打つ手が
  間に合わないくらいだった。

れおちゃんはユーモアとウィットに富んでいた
  れおちゃんの文章は縦長でわかりやすかった。
  読む人を楽しく、明るく、幸せな気持ちにした。  
 
れおちゃんはフランクだった。
  気取りがなく、何でもストレートに表現した。
  ルールを多少逸脱したところもあったけれど、
  それは逆に人々の警戒心を解き、安心を与えた。

れおちゃんは才能に恵まれていた
  表現力は図抜けていた。文才、画才、そして何よりも
  いろんなことを理解直感でさりげなく書いているような
  文章の中にも、ちゃんと事実、論理、
  結論の構成が入っていた。

れおちゃんには思いやりがあった
  何よりも、人を愛し、慈しむ心をもっていた。
  彼女をより深く知るにつれ、人はその暖かさと包容力に
  夢中になった。

れおちゃんは人を信じた。信じすぎるくらい。
  彼女はいつも、きちんと約束を守り、だれからも信用された。
  同時に、すぐに人を信じた。純真で、オープンだった。

れおちゃんにはたくさんのファンがいた。
  このことがれおちゃんの魅力と社会性を何よりも
  雄弁に語っている。
  長い間、100人の村を自分のHPにおき、
  理不尽に対する怒りと涙を持ち、この世の哀れを  
  理解していた。

れおちゃんにはプライドがあった。
  ただのプライドではない。
  謙虚さに裏打ちされたプライド。

れおちゃんは生き物を愛した
  オリオンが子犬座と大犬座を従えるように、
  いつもいっしょだった。
  れおちゃんの愛称自体がかつての愛犬の名前だった。

登場人物「キッチ」 

January 08 [Thu], 2004, 21:33
キッチは論理を超越していた
  キッチは多くの場合、結論を先に決めるため、
  結論に合わせて事実を変えた。
  したがって、キッチにとって論理は
  必要がなかったのかもしれない。

キッチは嘘をつくのが上手だった
  本当か、嘘か、ということは、
  あまり問題ではないようだった。
  むしろ、キッチにとっては自分に都合のよいことが
  本当でその逆が嘘だった。

キッチは目的のためには手段を選ばなかった
  特に、ハンドルネーム(A**ではスクリーンネーム/SN)
  の活用は、達人の域にあった。
  これを使った、なりすまし、風説の流布、
  場の混乱などは、いまや伝説である。

キッチは敵、味方を正確に分けることができた
  まわりのSNに、敵(悪)か、味方(善)か、
  というラベルを付けるのが得意だった。
  もちろん、味方のほとんどは、自分の作ったSNではあったが。

キッチには信頼できる仲間がたくさんいた
  一声かけると、たくさんの仲間が集まるかのようだった。
  ただ、そのほとんどは自分が即席で作ったSNであった。

キッチは邪悪に振る舞うのが上手だった
  驚くことに、自分の作ったSNのなかにも、敵(悪)がいた。
  その敵はまた、味方(善)を罵倒する役割を演じるのが
  上手だった。

キッチは中途半端なことはしなかった
  キッチは白黒つけたがった。仮に現実の人間が
  グレーだったとしても、
  強引に白か黒かのどちらかにカテゴライズしたがった。

キッチは適材適所の天才だった
  素敵な素材を駆使したが、多くの場合、
  別のところからの借用品だった。
  もちろん、文章やアイデアも例外ではない。
  ただ、持ち主に一言かけることは省略していた。

キッチには大志があった
  自分の想い通りにできる場をもちたいという、
  執念に近い目的をもっていた。
  この大志は、単に自分で作り出した
  強迫観念によるものだったので、
  場に誰もいなくなっても、継続した。

登場人物「ZUU」 

January 09 [Fri], 2004, 21:35
ZUUは、本能的だった。
  敵とみなした人間には、本能的に悪意をいだき、
  一途にそれをむきだしにした。
  それは人間のものとは思え、
  脊椎動物のものとも思えず、
  爬虫類の所作と思えるほどだった。

ZUUはずるいだけの人間だった。
  これは誉め言葉である。
  決して、隠された狙いや底意はなく、
  本能のすべてを吐き出そうとした。
  余りにも本能のなかに、この人のずるさが
  充満していただけのことである。

ZUUは、偏執的であった。
  一回、思いこむと、強迫観念のごとく、
  それを忠実に守ろうとしているようだった。
  「**さんは悪者だ」と思いこむと最後、
  その偏執性により、
  人は大変な迷惑をこうむることになる。

ZUUは嫉妬深かった
  親しそうにしている、という、
  非常に表面的なことだけで、
  異常なほどの嫉妬を燃やした。
  トラウマに近いものがあるのかもしれない。

ZUUは事実と風評を簡単に混合した
  評判だとか、風評の類を、いとも簡単に事実だと
  思いこむようだった。
  もっとも、自分の都合のよい方向にしか思いこまなかったが。



登場人物「イット」 

January 10 [Sat], 2004, 21:36
サイトにトラブルが起こると、
不思議と必ず噂を聞きつけてやってきて、
さらに引っ掻き回す輩がいる。
いわゆる掻き回し屋である。

イットはそれに近いだろう。

彼にとっては、事態の収拾は面白くないのである。
火事を見物にやってくる、たちの悪い変質者に似ている。
火が好きなのである。面白がって煽り、風を送るのである。
さらに質が悪いのは、自分でも火をつけて回ることである。

いま、AとBとが敵対関係にあるとする。
たとえばイットはメールなどでAと示し合わせて加担し、
Bをとっちめようとする。
しかし、特定の人といつも組むか、というと、
そういう訳ではない。
ある時はAと組むが別な時には、
Cと組んでAをとっちめる側に回ることもあり、
さらにまたAと組む場合もある。
要するに、混乱を起こさせるには、その時々で誰とでも組む。

このようにイットは、まさに定見なく場当たり的、
節操がない手合い、という表現がぴったりである。
混乱をばらまき、うまく行っていたサイトなりボードが混乱し、
荒れることだけを望んでいるように見えるのだ。

このような活動は現実社会では唾棄すべき行動であり、
決して許されるものではないだろうし、支持されないであろう。
現実社会では、いつも顔が見えるし、
立場をころころ変えていると、軽蔑され、信用されないからである。
  
つまり、顔が直接見えない、
特にハンドルネームをころころ変えることのできる、
A**のシステムにおいてこそ発展できた、
特別なキャラだと言って差し支えないであろう。

共通点 

January 11 [Sun], 2004, 21:36
イットとキッチの重要な共通点が2つある。

  
まず1つは、ネットでしか、その特徴を発揮出来ない、
ということである。
他人へのなりすまし、ハンドルネームの使いこなしなどは、
現実社会では詐欺師の専管事項であり、
ふつうの人間では不可能である。
  
逆に言うと、ネットから出ると、陸に上がった河童である、
ということであり、おそらく、現実社会では、
何も出来ない、寂しい人物像なのであろう。

2つ目の共通点は、白黒をつけたがる、
という点である。
彼らには中間というものがない。
グレーという概念がないのだ。

しかし、現実の世界はすべてがグレーであり、
逆に白や黒というのは、物理的にはあり得ないものである。
彼らはそれが分かってないようである。

したがって、議論も極端に走る。
彼らの語る人物像や意見は、実に偏見に満ちているように見える。
  
現実の人間は、悪いところもあれば、良いところもある。
完璧な人間なんかいる訳がない。
従って、悪いところを少なくして、
良いところを多くしていけばよいわけである。

しかし、彼らはそういう見方ができない。
対話を通しての成長もないのである。

アルテミスの回想@ 

February 02 [Mon], 2004, 8:07
伝説〜Legend〜

「伝説〜Legend〜」と言う言葉がある。
A**の歴史の中で「伝説」の名に値するものがあるか、と問われたら、
多くの人たちが、れおちゃんの「*今日の花言葉*」をあげるだろう。

「*今日の花言葉*」には、人々のハートを鼓舞し、安らかにしてくれるメッセージがあった。
「花言葉」という名前ではあったが、何の飾りも気取りもなく、
れおちゃんのハートから迸る熱かさが、読む人の胸にそのまま届くのだった。
A**が生み出した、ハートのネット文化、といっていいのかもしれない。
れおちゃんの「*今日の花言葉*」のようなコラムは、もう2度と現れないのかもしれない。

れおちゃんは、毎日「*今日の花言葉*」をA**掲示板のいくつかのカテゴリに投稿していた。
日ごろから、れおちゃんの参加していたカテゴリでは、
多くの人たちに熱烈に受け入れられ、次第に「*今日の花言葉*」を楽しみにする人が増えていった。


「*今日の花言葉*」には、花言葉だけでなく、著名人の名言と、ユーモアとウィットに富んだれおちゃん流の名言が添えられ、
また、ネットの誰かの誕生日には「おめでとう」のメッセージも書き添えられた。

それによって「おめでとう」の輪が広がり、
「もうすぐ子供の誕生日です。是非おめでとうを言ってあげてください」
「あの日の花言葉教えてください」
「誕生日のメッセージありがとう いろんなひとからもおめでとうを言われて本当に嬉しかった」
このようなレスやメールもたくさん届くようになっていた。
れおちゃんは、メンバーのハートにネットへの帰属意識、奇妙で素敵な連帯感をも芽生えさせていったのだ。


れおちゃんは、この成功体験をもとに、また新たな試みを始めた。
参加したこともない、顔見知りもいないカテゴリにも投稿することにしたのだ。

それが、のちに戦いの場となった、「50代の広場」と「シ*アボード」である。

れおちゃんは年配者の人たちならきっと、「花言葉」のハートが伝わるに違いない、楽しんでもらえるのではないか、そんなふうにも考えたのだ。

アルテミスの回想A 

February 03 [Tue], 2004, 8:10
〜50代の広場〜


「50代の広場」では好意的に迎えられ,、違和感なく受け入れてもらえた。
「50代の広場」で活躍していたイットも積極的に「花言葉」にも、
れおちゃんの発言にもレスをつけ、
友好的で好意的なスタンスを見せてくれた。

れおちゃんは、すぐに心を許したが、しかし一抹の不安を感じていた。
それには理由があった。
すなわち、・・・れおちゃんは過去に、イットとトラぶったことがあった。
イットが、れおちゃんに喧嘩をふっかけ、仲たがいしたことがあったのだ。
また、れおちゃんがもめる場所には不思議と必ずイットが登場していた。
誰だかわからないが、「見えない悪意の塊を持つ人間」が必ずれおちゃんのトラブル先にはあらわれていたのである・・・
れおちゃんに「書き捨て中傷」だけ投げつけては逃亡する、ネットの世界だから黙認される、そういう類の卑劣な人間がいつも見え隠れしていたのである。

アルテミスの回想B 

February 04 [Wed], 2004, 8:12
〜シ*アボード〜


一方、シ*アボードでは・・・

どのような場でも、古いところに新しい風を送ろうとしたとき、反動が起こるものである。
つまり、今のシステムや居心地が最高だと考えている人たちが、
たった2〜3年の間に、あぐらをかいて根を張って、あたかも既得権のようにカテゴリーを私物化してしまっている人たちがいるのである。
そのような人たちは、ほとんどが先の短い人たちであり、何も変えたくない、永遠にこれでいいのだ、と考えているかのようである。

大多数の人々は、新しいネットのあり方を緻密に考え抜いて、進化させていく、そういう能力も熱意ももっていた。
そして、新鮮な風を心より歓迎してくれる、熱意あるれおちゃんファンもできた。
そのような人たちがオピニオンリーダーとなっているカテゴリーでは何の問題もなかった。

しかし、シ*アボードではあぐらをかいて深く根を張った、ボードの主のような人たちがいたのだ。
そのような人たちが、見慣れぬ新しい風に当たるや、戸惑いの表情を露骨に表したのである。

シニアはそれと同時にれおちゃんの評価において両極端に分化することとなった。れおちゃんを支持するシ*アたちと、毛嫌いするシ*アたちである。


一方、「50代の広場」にも異変が起こりつつあった。
日ごろかられおちゃんが参加している別のカテゴリのなかで、一風変わり者とレッテルを貼られ、すでに「アラシ」と認識されつつあった「ZUU」がいた。
そのZUUが「50代の広場」までやってきて、ひとり、れおちゃんに悪態をつくようになっていたのである。


シ*アでも、両極端に分化したうちの反動分子たちの、れおちゃんへの中傷が吹き荒れるようになっていった。
自分たちの場を失うのではないか、居心地のよさに味をしめていた主たちが、まずアレルギー反応的に感情的になった。
花言葉のコンテンツ以前のところで、好き、嫌い、の感情論が吹き荒れたのである。
そのような感情論を後追いするように、コンテンツに完全否定のケチが付けられた。
そして嫌い派からは、れおちゃんへの中傷が始まった。
それとともに、れおちゃんを守ろうとしてくれるシ*アの熱烈なファンと中傷者の戦いが始まった。
そして「ZUU」もとうとうシ*アボードに姿をあらわした

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