小沢健二のうたと、僕らを乗せた暴走する大きなキャラバンと、「オバサニスタス」について 

2007年12月19日(水) 22時29分
「おばさん」の横浜の集いが終わった。とてもよかったと思う。

なんか、こういう風に言葉にしちゃうものでもないかもしれないが、
僕が最近になって遡って聴くようになった彼の過去のうた
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=657725004&owner_id=169013
とのつながりなど、いろいろ考えてみたので、書いてみる。
それは、集いで進行役をしてくださったイルコモンズさんの書いていることとまったく同じこと
なので、そちらもよかったら読んでほしい。http://illcomm.exblog.jp/



愛すべき生まれて育ってくサークル
君や僕をつないでる緩やかな止まらない法則
冷たい夜を過ごす 暖かな火をともそう
暗い道を歩く 明るい光をつけよう
(「天使たちのシーン」 アルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」)
・歌詞http://mixi.jp/view_diary.pl?id=657725004&owner_id=169013
・ライブ映像http://www.nicovideo.jp/watch/sm1702721


「うさぎ!」や今回の「おばさん」映画では、
「灰色」、そして「アメリカがつくる世界のしくみ」が何度も出てくる。
それは、「悪い、暴走するキャラバン」で、
僕らを切り離し、「生きることをあきらめ」させようとしてくる。
でも、ほんとうはこの惑星にいる僕たちみんな、
そして生命の熱を持つものたちみんな、
神様?がつくった「緩やかな止まらない法則(ルール)」でつながれている、
本来は根源的にはひとつの存在。だからこそあちらこちらで「サークル」が生まれて育っていく。
本当は、そんなキャラバンに乗らなくていいし、
降りて休んで水でも飲んで、そこに咲いている美しい花を愛でればいい。


「本来はひとつだった」というのは、先住民などの、土地に根ざした生き方の中では
ずっと受け継がれてきたもので(一番重要なことだから!)、
そして現代の、何でもお金に換えていこうとする資本主義市場経済の
社会では、それをいかに早く教育や広告などで忘れさせるかと
いうことに「灰色」が血道をあげているのだが、
でも、その「法則」の中から生まれてきた子供たちは
あらかじめ「本来はひとつだった」ことを知っている。
そのあたりは、ミヒャエル・エンデの童話「モモ」でも出てくることだ。
(「うさぎ!」は、「モモ」の続編というか21世紀バージョンだとも思う)

だから、みんなでそれを想い出し、暖かな火をともしてはげましあって
サークルをつくっていこう、
だって実際に南米には、そうやって「愛されるように愛し」ながら
サークルをつくり、「自分たちのキャラバン」をつくった人たちがいるんだし、
ということなのかなと思ったのだった。
実際、「集い」のあとの交流会では、彼はいつも作品の感想を聞くのではなく、
「この映画をみて、どんなことを想い出したか、聞かせてください」
と言っていた。

じつは僕も、まったく違う経路から(レイヴパーティーで「サークル」や「法則」
を実感し、911やイラク戦争から「世界のしくみ」を考えるようになった)
だけれど同じようなことを思ってやってきたし、
これは彼の個人的なメッセージというよりも、
だれもが本当はわかっている、すごく普遍的なことなんだと思う。


それで、小沢健二のコミュとかには、「日本で生きている自分たちの
リアリティから遠い」というような声も出ているのだけれど、
それはある意味仕方のないことだと思うし、でも上のように考えれば
遠い話ではなく、自分たちの生きていることについての問題なのだとも言えると思う。
グローバル化した現在では、「世界のしくみ」は1つの巨大なものになっている。
とっても大きな、暴走するキャラバンだ。動力は石油と原子力。
特等席にいるので暴走してることにあまり気づかない「犬」もたくさんいるけれど、
でも実際、みんなを乗せて走っている。それに乗っていることが
人生だと思いこまされて。
暴走する過程で道ばたの花が踏みにじられたり、
いろんな生きものがひき殺されたり、
乗っている体の弱い人が押しつぶされたり、
はじっこにしがみついて乗ってる人が振り落とされて死んだりしている。
(そしてやがてどこかにクラッシュするだろう)
そのキャラバンを暴走させているのが「灰色」。
「大きなお金の塊」と引き替えに(それはラクダの鼻先のニンジンの
ようなものだ。あ、ラクダはニンジン食わないか。)、
世界中で格差や貧困、戦争、環境破壊をつくりだしている。
たとえば、映画に出てくるボリビアの錫鉱山で掘られた錫が、
僕らの使っているiPodに使われているかもしれないのだから。
ただ、ヒトは自分のいる場所からしか世界をとらえられないので、
東京の格差社会の現実の中で「生きにくいなー、つらいなー」と
思っている人は、その自分の状況を、
ボリビアの鉱山夫の貧困や苦しみを切実に感じたり、想像して
自分の経験と重ね合わせることがなかなかできない。
(だって、経済はつながっていても、もしかしたらボリビアという国の
存在自体知らないのだから。)
だから、「なぜ南米?」と思ったり、唐突に感じたり、遠く感じたりしてしまう。
それが当たり前の反応だと思う。
横浜の集いでも、「日本は箱庭のようで、世界から切り離されている感じがある」
という声があったが、たしかにそうだと思う。メディアとかによる
共同幻想がとても強いところだ。そこがやばいと思う。
でも、どんなに実感できなくても、僕らみんなが大きなシステム・しくみの一部
であることは確かで、それぞれが自分の場所でその恩恵を享受し(iPod!)、
あるいは苦しみ(リストラとか)を味わって生きている。
自覚があってもなくても、あるいはキャラバンのしくみがわからなくても、
僕たちの日々の喜びや悲しみは、そのキャラバンの上でのできごとなのだ。
で、自分たちが灰色にいかにやられているかを客観的に自覚するには、
引いた視点から「世界のしくみ」や「ゆがみ」を見て、その連関に気づいたりして、
それから自分の現実に戻るということが必要なのだと思う。
というのも、たとえば日本で企業がコスト削減のためにフリーターや派遣を
低賃金で使ったりして、それで日本の若者の人生が不安定になると
いうことは、ボリビアの錫を買いたたくのと、資本にとっては全く同じこと
なのだから。それが新自由主義グローバリズムとよばれる「世界のしくみ」だ。
(用語はこのさいどうでもいいんだけれど、話をすすめる便宜上使う。)
それで、ボリビアではそういう新自由主義にNOと言い、
鉱山を自分たちで運営するしくみに変えた。
地球の裏側では、そういうことが始まっていて、
そこには喜びとか、強さとか、愛とか、勇気とか、つながりとかがある。
だとしたら、日本の僕らもそこから学ぶべきことは、ある。
箱庭に風穴を開けるために、外の空気を持ってくる。
僕は僕で、自分なりにそういうことをしていきたいと思ってきたし、
小沢さんもそういうことをしているんだ、と思った。



僕はそういうふうに本当にかんがえるようになったのは
911テロと、その後のグローバルな戦争状態がきっかけだった。
その時NYにいた小沢さんも、もしかしたらそうだったのだろうか。
彼は、かつては日本という消費社会の箱庭の中で、
「にぎやかな場所でかかりつづける音楽に耳を傾け」、
人が生きるということを見つめ、励まそうとしていた。
それが、「灰色」の本拠地NYに行き、911からイラク戦争への流れに触れ、
エリザベスさんに出会い、中南米のおばさんたちの輝きに出会い、
いろんなジグソーパズルがつながってみえてきた。
もちろん、キャラバンのわりと特等席に近いところにいる人だけれど、
だからこそ首を伸ばしてみたらキャラバンの全体が垣間見えた。
それで自分が愛する日本の人たちに向けて、
今回の一連のアクションを起こし始めたんじゃないだろうか。
「冷たい夜を過ごす 暖かな火をとも」し、
「暗い道を歩く 明るい光をつけ」るためにも。


メキシコにはサパティスタ(知らない方はgoogleで調べてみてください)という、
土地とのつながりを失わずに生きてきた先住民たちが、
アメリカがつくる新自由主義グローバリズムのしくみ(それに日本も飲み込まれつつある)に
反旗をひるがえした運動があるのだけれど、
小沢さんは今回の一連の、映画「おばさんたちが案内する未来の世界」を見る「集い」や、
そこで生まれる「つながり」を「オバサニスタス」と呼んでいたのだ。
(「おばさん」の夏バージョンにはサパティスタの映像も出てきていたのだが、
秋冬バージョンではなくなっていた)
オバサニスタスとは、僕らがつくる新しいキャラバンのことだ。


横浜の集いの2回目のあとの交流で、若い男性が、
「自分はいろんな情報に振り回されて、生きている実感とか
わからなくなっちゃうんだけれど、この映画を見て、
子どもの時に折り紙を折るのが好きだったのを想い出した。
外から入ってくるいろんな情報じゃなくて、
自分の手で何かをつくること、そういうのをずっと忘れてたけれど
想い出すことから始めたい」と発言していたのが印象的だった。

願わくは、みんながそれぞれの場所で、大切なこと・法則を想い出し、
それがゆるやかなサークルにつながっていって
キャラバンの暴走を止め、灰色を退散させんことを。



ちなみに「キャラバン」について、
「"犬は吠えるがキャラバンは進む"というのは僕の好きなアラビアの諺で、正確な意味はよく知らない。だけど例えばこのアルバムで僕が何回か言っているように"俺という犬は吠えるのだが熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでゆく"という風に考えることもできるし、また同じくらい何回か言っているように"犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう"という風に考えることもできて、実際に僕は1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳で、」
と小沢さんは書いている。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~nanatsu/TOCT-8183.htm

子どもとか家族とか奥さんとか 

2007年05月25日(金) 3時28分
自分は結婚していなくて、子どもを持っていない。まあ
そういう意味では少子化の元凶なわけだけど、まあヒトは
65億人以上もいて増えすぎているのだからそれは悪いこと
ではない。(親は嘆くが。)
でも、たとえば親子の営みを描いたドキュメンタリーなど
見ると、「ああ、自分はこのような<我が子のいる日常>を
生きていないなあ」と思ったりする。
自分にとって<子ども>を持つというのは、閉塞的な日常性に
とらわれて不自由にさせられてしまう、という感覚がずっと
あったと思う。「家族」とか「奥さん」というものもそうだ。
そしてその根っこには、自分が10代の頃に
感じた、郊外の中産階級の真綿で首を絞めるような平穏な
日常性の窮屈さと空虚さへの忌避があったと思う。
しかし、実際の<子ども>という存在は、「向こう側」の世界から
やってくるもので、むしろそのような消費社会の
合意的現実に風穴を開けてくれる存在のはずだ。
このねじれは、いったい何なのだろう・・・
と最近考えているのだが、
きっとこんなことを考えてるから独身なんだろうとも思ったり(笑)。

丸川とかいう女A&メディアの瓦解 

2007年05月16日(水) 5時56分
 ここからは深刻な話だ。これは特殊なケースではないのだ、たぶん。
丸川珠代36歳。神戸大学教育学部附属住吉中学校→大阪教育大学附属高等学校池田校舎→東京大学経済学部卒。1993年4月にテレビ朝日へ入社。これは僕自身の見聞きしたところでもあるが、たぶん今の40代以降でテレビ局や新聞社に入って仕事をしている人たちの多くは、共通一次試験(センター試験)を経て一流大学に入り、「りっぱで刺激的で高給の就職先」としてテレビ局を志望している。最初から勝ち組だ。世の中の不公正や問題点をなんとかしたい、なんて思って就職する人間はごくわずかしかいない。大学で学生運動とかももうなくなってるから、今の社会のしくみに根本的な疑問や切実な違和感を抱いたことがない。今の世界・日本社会がどのようなしくみで成り立っているのか、人類が発展させてきた文明とは何なのか、貧困や戦争や環境破壊の根本原因が何なのか、安倍政権が何をもくろんでいてそれはどう問題なのか、などについて、おそらく丸川も、そして多くの40代以下のテレビ人も、たぶん明晰な認識を持ってはいないのだと思う。社会を構造的に見るリテラシーも、動機もないのだ。
 このあいだ国民投票法が成立したが、改憲への大きな一歩なんだから町で号外が配られてもいいようなものだと思うが、新聞の扱いなどいたって冷静だし、職場で話題にしてる人も誰もいなかった(教育基本法のときもそうだったが)。なぜこんなにメディアが無反応なのか、と思ったが、それも同じことだと思う。今のマスメディアの現場からは、もはや全共闘世代や、そのすぐ後の「政治の季節」の雰囲気を知る者はいなくなっている。いちばん中核的に仕事をしている世代は、80年代に大学がレジャーランド化してから大学生になった者たちばかりなのだ。もちろん社会派のマイノリティーや、アジアを放浪していたアウトサイダー的な学生はたまにはいたけれど、そういう人たちはテレビ局のような花形職業にはほとんど行かなかった。僕の知っているそのスジの同級生は、学者をめざしたり途上国援助に身を投じたりしていた。
 社会を構造的に見るというのは、もちろんマルクス主義が盛んだった頃には冴えた学生の常識だった。日本でも欧米でも、60年代後半の若者の異議申し立ての時代に自己形成したり、そこから何らかの影響を受けたと自認している人たちのものを読むと、筑紫でもゴダールでも大島渚でも小田実でもすが秀美でもスティーブ・ジョブズでも坂本龍一でも、べつにマルクス主義者でなくてもみんな「世界の構造をみる」リテラシーがあると感じられる。しかし、80年代の消費文化は、若者文化に含まれていたそういうリテラシーをすっかり洗い流してしまった。たとえば僕は大学時代に市民運動に関わっていたが、同級生は(マスコミ志望者も含めて)だれもそれに関心を持たなかった。政治や社会問題に興味を持ったり論じたり考えたりするのはダサイ、モテない、とされていた時代だったのだ。その後遺症は大きい。(僕がなぜ構造的なものに目が向くようになったのかについては、いずれまた。)
 それはイデオロギーの時代が終わったからだ、という人もいるだろう。そうとも言える。しかし、欧米の若者はここまで脱政治的ではない。反グローバル化運動に関わる人たちは20代も30代も40代もいる。
 社会には構造があり、力関係がある。イデオロギーの時代が終わったようにみえても、その事実は変わらない。むしろ今こそ、グローバル化した世界のしくみを見抜き、それを持続可能なものに変える叡智が求められているといえる。今の社会のありように根源的疑問を抱かず、社会を構造的にみることのできない人は、そのときそのときの論調に左右されて意見を変える。そういう人たちがメディアの中枢を占めていると、この社会がどこに行くか、誰にも見当がつかない。
(ただし、今の20代とかは40代とかよりも社会への関心は強い気もする)

丸川とかいう女@ 

2007年05月16日(水) 5時38分
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=212770&media_id=2

今度の参院選に、テレ朝の丸川某とかいう女性が自民党から出るそうだ。僕はほとんどテレビを見ないからこの人のことはほとんど知らない。でも写真を見るとなかなかきれいな人だし、東大経済学部卒ということで「才色兼備」とされているらしい。安倍が白羽の矢を立てたらしい。
 しかし、こういうことが一番落ち込む。安倍がネオリベナショナリズムなのはわかりきってるからいいけれど、なぜテレ朝のアナが安倍自民から出るのか。ジャーナリストとかそういう意識はないのか(ないんだろう)。彼女は自分でいろいろ調べないと気が済まないとかあったけれど、でも基本的に記者やディレクターと違ってアナウンサーは自分で取材して事象と格闘することはないから、批判精神とか育たないのだろうと思う。
 で、どんな考えの人なのかと思って調べると、僕のよく見るmammoTVに時事ネタの連載をしていた。(http://122.200.201.84/column/tamayo_marukawa/backnumber.html)忘れていたが、そういえば前に読んだことがある。で、改めていくつか読んでみる。
 まず気がつくのは、たとえばイラク開戦とか有事法制とか小泉の靖国参拝とか、僕がこの数年激しく怒りまくったいくつかのタイミングで、彼女はほとんど何の感情的反応もしていないようだということだ。たとえば有事法の審議のめくらましかと疑われた右派の新興宗教パナウェーブ騒動の時に、パナウェーブのことしか書いていない。イラク開戦が近づき、世界中の若者達が連日反戦デモに繰り出していたあの焦燥の日々にも、ほとんどそれらしい感情的反応がない。ではウヨかというと、そうでもない。イラク戦争とか中国の反日デモとかでも、それなりに勉強もしたうえでバランスのとれたリベラルなことも言っているのだ。まあ中道という感じだ。それがなぜ安倍自民から出るのか。
 しかし彼女の文章を読んでいくと、常に「こちら側からみるとこうで、こちら側からみるとこう」という両論併記で、それで彼女自身がどう考えるのか、日本はどうすべきなのかということははっきり書かれないことに気づく。どの文章を読んでもそうだ。ジャーナリストとはそういうものだ、とか、アナウンサーは公正中立を求められるから自分の意見を出せないのだ、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。筑紫哲哉でも、NHKの週刊子どもニュースをやってた池上彰でも、もっと自分の意見とか世界観を出している。もちろん現役局アナという制約はあるけれど、直裁に書かなくても自分の思いをにじませる書き方はいくらでもできる。しかし彼女の場合、いろんな情報は頭に入っていて論点が整理されていることはよくわかるのだが、自分の意見やメッセージがないのだ。中道と思われたのは、両論をバランスよく書いていて、「これからが正念場だ」的なあたりさわりないまとめをしているから、そういう印象を与えているだけだ。
 ここで僕の疑問は、「中道の人がなぜウルトラ右翼の安倍自民から出るのか」でなく、「なぜ自分の意見がない人が選挙に出るのか」に変わる。もちろんそういう人は多いのだが、たんなるタレントならともかく、彼女のように頭がよくてもそうなってしまうのはなぜなのか。そう考えると、「自分の意見がないからこそ選挙に出るのだし、声がかかれば安倍自民から出ることにも抵抗がない」とわかってくる。
(つづく)

天皇制 

2007年05月15日(火) 12時50分
国民投票法が成立。
いろいろ不備があるので、ぜひ3年の間に政治情勢を逆転させて
改正すべきだと思う。たとえば最低投票率の設定、有権者の過半数にすること、
改憲以外の重要事項も扱える一般的な国民投票制度にすること、
広告や公報のことなどだ。

さてそれで憲法を変えるというのなら、
問題はこの国の喉元に刺さった棘、
つまり天皇制をどうするか、だ。


 『いつの日か、国民が天皇制をやめることに決めてくれたら、
   この人たち(皇室の方たち)は解放され、普通の人並みの人権を手にすることができよう。
   海外旅行も恋愛も就職も自己主張も、好きなところで静かにくらす自由も享受できるであろう。
   それを妨げているのは日本国民自身だといえる。
   象徴天皇を何かというと利用している口先愛国者たちのエゴと、
   皇室崇拝のあげく皇族を金縛りにしているのに気づかないマスコミや
   一部国民の押しつけがましい善意と、
   漠然と自分たちの安定に役立つだろうと考え、
   天皇制度を黙認している国民多数の無関心のせいだと思う。』

                       「日の沈む国へ」(色川大吉著 小学館)

5/11国民投票法案参院も強行採決!? 

2007年05月09日(水) 1時22分
冗談じゃねーよ、ったく。


(以下、転載)

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憲法審議ってば、今どうなってるの?国会速報No.36(07/05/08)
 <国民不在の国民投票法(憲法改正手続法)>〜 弁護士 猿田佐世 〜
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★★危険度高まる!★★★★★★
● 9日、民主が最低投票率の入らない修正案を提出!!
  10日、浦和、横浜で地方公聴会開催
  11日、強行採決って、ここまでやるか・・・?

                         ★★★★★★★★
●今やること
(1)委員会傍聴!傍聴方法は下記↓
(2)何も、問題点は片づいていない!強行採決するな!と与党へFAX
FAXは→http://www.news-pj.net/kenpoushingi/sangiin-kenpouchousa.html
(3)集まるべし! 詳細は↓ 9日12:15〜議面集会・10日15:00〜院内集会 

●速報
明日以降の予定が出た。
ついさっきまで11日に強行採決は冗談だと思っていたが、
先ほど終了した理事懇の結果からは本気で狙っている様子が有り有り。
10日は、法務委員会の予定が入っていたのに、その予定を変更して
憲法特委を開催し、公聴会まで2カ所で強行開催。
(法務委と憲法特委はメンバーが重なっているので両方同時に開催は
できない)。
危険度がかなり高まっている。傍聴に足を運んで声を伝えなければ!

9日(水)
13:00-17:00憲法特委
      民主党が、最低投票率なしの修正案の提出
      趣旨説明
      その後、与党、民主両案に対する一括質疑
10日(木)
10:00-12:00 憲法特委
  参考人質疑 投票対象及び最低投票率等について
14:30-16:30(もしくは17:00)
 地方公聴会 (浦和、横浜)

●民主党は、何のために、修正案を出すの?!
民主党は、明日、最低投票率なしの修正案を提出すると決めたらしい。
最低投票率を入れたくて質問していたのに、こんな修正案を党が決定して、
参議院の民主党メンバーは怒りまくっているとのうわさも。

*******************************

田植えがしたい! 

2007年05月06日(日) 23時00分
昨日は、成田での田植えに行きたかったんだけど
前の晩寝れなくて睡眠不足で、早起きできなかったので
国分寺の方に散策に行った。お鷹の道と国分寺の跡。
のんびりできてよかった。

しかし、成田に行ったコウさんの日記見てたら
やはり猛烈に田植えがしたくなってきた!
素足で泥にまみれたい!
この手で苗を植えたい!
生きている実感!?

というわけで、これをごらんになる方で
連休以降に田植え(手植え)ができるよ!という
人がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
そんなに戦力にはなりませんが・・・

近況 

2007年05月05日(土) 3時50分
最近の行動を簡単に。
・キャサリン・サリバンさんの、核問題と平和についての
ワークショップ参加。方法論としていろいろ使えそう。
出会い/すれ違いのワークと、核のない未来を想像する
ワークが印象的。
・連休は東京で過ごす。
・自由と生存のメーデー。(日記に書いた)
・サティシュ・クマール講演会。あまりに腑に落ちること
ばかり。何も質問したいこともなかった。社会性・精神性・
エコの完璧なバランス。前向きなエネルギーを受け取った。
彼はインド人思想家・教育者で、ガンジーの影響を受け
イギリスでシューマッハ・カレッジを創設。
(「君あり故に我あり」超お勧め。)
・アルゼンチンの平和教育者アリシアさんのワークに参加。
キャサリンやサティシュとはまた違って、ラテンアメリカの
民衆の中で培ってきた草の根民主主義の学びみたいなものを
垣間見た。こういうことが日本では必要だ。
・映画「パラダイス・ナウ」を見る。パレスチナで自爆テロを
する若者の絶望的で切ない思い。佳作。

再放送 

2007年05月05日(土) 3時24分
http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2007-05-07&ch=10&eid=10054

NHKスペシャル ラストメッセージ 第3集
「愛と怒りと 映画監督・木下惠介」

2007年 5月 7日(月)午後11:05〜翌日午前0:05(60分)
NHKデジタル衛星ハイビジョン

戦後を代表する映画監督・木下惠介。弔辞で山田太一は「今の日本は木下作品を自然に受けとめられなくなった」と述べた。常に弱いものの側に立ち、庶民のささやかな幸せを壊すものへ怒りをぶつけ続けた原点には、浜松での少年時代があった。「二十四の瞳」で静かに反戦を訴え、晩年の「この子を残して」ではストレートに核の悲惨さを描いた木下。その愛と怒りの生涯を通し、今の日本が見失っている「弱きものへのまなざし」を問う。

予言の岩絵 

2007年05月02日(水) 9時22分
http://www.bibliotecapleyades.net/profecias/esp_profecia01h2.htm

http://www.youtube.com/watch?v=cirZc_kQU4E

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