ヒトは、この惑星の上で、他の生き物たちに支えられながら太陽の恵みによってしか持続的に生きられない存在である。空気も水も食物も、地球の生態系システムに頼らなければ生きられない。これがすべての前提で、経済も政治もその上での話。それをまず確認したい。
生きるのに必要な衣食住を、大昔からヒトはそれぞれの土地で工夫しておおかたまかなってきた。そういう、他の動物と同じような「大地に根ざした生き方」がヒトの基本だった。狩猟採集から農業に変わっても、しばらくはそうだった。だが貨幣経済の拡大と植民地化と貿易の活発化と産業革命とグローバル化が進むにつれ、莫大なエネルギーを使って遠くから運んでくるほうがなぜか見かけ上効率がいい、という倒錯が生じるようになった。
カネをたくさん持つグローバル企業が、よりたくさんのカネを集めるために、モノをあっちからこっちに運んだり、それを加工して売ったりする。そうした「経済活動」は、大局的にみれば、大地に根ざした世界中のヒトの生きる営みを、大地から引き剥がし、できるかぎり経済システムというバーチャルなゲームの中に包摂していく過程だった。それによって、このシステムを拡大させ続けることが行われてきた。これは自然現象ではなく、カネをたくさん持つ者たちの「もっと儲けたい」という意思によって推進されてきた人為的営みだ。そして、この営みには膨大なエネルギーや資源が必要とされる。
もちろん地球は有限な惑星だから、無限の成長は不可能だ。こんなこと、いつまでも続くはずがない。その不可能性がどのような形で現れるにせよ、いつかは壁にぶつかるのだ。環境破壊や世界経済の行き詰まりなどで、既に僕らはそれを予感しているが、どうしても方向転換ができずにいる。システム全体がそういう風にできていて、それを変えたくない人もたくさんいるからだ。
大昔からヒトがやってきたように、世界中の誰もが家の周りで作物を作っていたら経済が拡大しない。だからそういう地域の食料生産の営みを破壊し、「自由化はいいことだ」というすりこみをして、大地に根差して生きてきた人々をいやおうなく「国際競争」に参加させ、人々が企業に雇われなければ生きていけないようにし、彼らの自立と自由を奪っていく。
競争したい人だけが競争すればいい、と思うけれど、規制緩和や貿易自由化、WTOやFTAやTPPといったルール変更は、昔ながらに細々と農林漁業をやってきたような地方の爺ちゃん婆ちゃんまでも、否応なく「国際競争」に巻き込もうというたくらみである。もちろん、それを画策するアメリカは、その競争に勝つと思うからそうしたルール変更を強いるわけだ。そうして小規模な家族農家は離農し、地域の商店街はシャッター通り化し、田んぼの真中に同じような量販店やイオンが立ち並び、若者は使い捨てされ、格差が広がり、富の寡占化が進んでいく。
クルマをアメリカに輸出する際の税率がちょっとでも下がってほしい、などという財界のオヤジ的な近視眼的思惑でこれに応じようとすれば国を滅ぼす。国を滅ぼすというのは、正確にはこの列島に暮らす多くのヒトが不幸になり、社会の持続性が損なわれるということだ。
日本がこれまでのような加工貿易でやっていける時代は終わったのだから、グローバル競争に勝つというような不可能な目標を追うよりも、不安定なグローバル経済システムに少しでも依存せずに生き延びていける、そうしたローカリゼーション経済へと舵を切るべきなのだ。そのためには地域の中での循環をつくっていく必要がある。石油やウランや鉱物など地下から資源を掘り出すのでなく、太陽の恵みで回していく経済に移行する必要がある。
少なくとも、まずはヒトとして生きるのに必須な、農や医や学びといった営みにおいては、競争と無縁な領域が確保されるべきだ。食料や水やエネルギーを、ヒトがこしらえた経済システムや都市インフラに頼り切ることがいかに危ういか、僕らは先の震災で学んだはずではなかったのか。
だから、TPPも原発も反対にきまっているのである。
生きるのに必要な衣食住を、大昔からヒトはそれぞれの土地で工夫しておおかたまかなってきた。そういう、他の動物と同じような「大地に根ざした生き方」がヒトの基本だった。狩猟採集から農業に変わっても、しばらくはそうだった。だが貨幣経済の拡大と植民地化と貿易の活発化と産業革命とグローバル化が進むにつれ、莫大なエネルギーを使って遠くから運んでくるほうがなぜか見かけ上効率がいい、という倒錯が生じるようになった。
カネをたくさん持つグローバル企業が、よりたくさんのカネを集めるために、モノをあっちからこっちに運んだり、それを加工して売ったりする。そうした「経済活動」は、大局的にみれば、大地に根ざした世界中のヒトの生きる営みを、大地から引き剥がし、できるかぎり経済システムというバーチャルなゲームの中に包摂していく過程だった。それによって、このシステムを拡大させ続けることが行われてきた。これは自然現象ではなく、カネをたくさん持つ者たちの「もっと儲けたい」という意思によって推進されてきた人為的営みだ。そして、この営みには膨大なエネルギーや資源が必要とされる。
もちろん地球は有限な惑星だから、無限の成長は不可能だ。こんなこと、いつまでも続くはずがない。その不可能性がどのような形で現れるにせよ、いつかは壁にぶつかるのだ。環境破壊や世界経済の行き詰まりなどで、既に僕らはそれを予感しているが、どうしても方向転換ができずにいる。システム全体がそういう風にできていて、それを変えたくない人もたくさんいるからだ。
大昔からヒトがやってきたように、世界中の誰もが家の周りで作物を作っていたら経済が拡大しない。だからそういう地域の食料生産の営みを破壊し、「自由化はいいことだ」というすりこみをして、大地に根差して生きてきた人々をいやおうなく「国際競争」に参加させ、人々が企業に雇われなければ生きていけないようにし、彼らの自立と自由を奪っていく。
競争したい人だけが競争すればいい、と思うけれど、規制緩和や貿易自由化、WTOやFTAやTPPといったルール変更は、昔ながらに細々と農林漁業をやってきたような地方の爺ちゃん婆ちゃんまでも、否応なく「国際競争」に巻き込もうというたくらみである。もちろん、それを画策するアメリカは、その競争に勝つと思うからそうしたルール変更を強いるわけだ。そうして小規模な家族農家は離農し、地域の商店街はシャッター通り化し、田んぼの真中に同じような量販店やイオンが立ち並び、若者は使い捨てされ、格差が広がり、富の寡占化が進んでいく。
クルマをアメリカに輸出する際の税率がちょっとでも下がってほしい、などという財界のオヤジ的な近視眼的思惑でこれに応じようとすれば国を滅ぼす。国を滅ぼすというのは、正確にはこの列島に暮らす多くのヒトが不幸になり、社会の持続性が損なわれるということだ。
日本がこれまでのような加工貿易でやっていける時代は終わったのだから、グローバル競争に勝つというような不可能な目標を追うよりも、不安定なグローバル経済システムに少しでも依存せずに生き延びていける、そうしたローカリゼーション経済へと舵を切るべきなのだ。そのためには地域の中での循環をつくっていく必要がある。石油やウランや鉱物など地下から資源を掘り出すのでなく、太陽の恵みで回していく経済に移行する必要がある。
少なくとも、まずはヒトとして生きるのに必須な、農や医や学びといった営みにおいては、競争と無縁な領域が確保されるべきだ。食料や水やエネルギーを、ヒトがこしらえた経済システムや都市インフラに頼り切ることがいかに危ういか、僕らは先の震災で学んだはずではなかったのか。
だから、TPPも原発も反対にきまっているのである。
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