選択

January 06 [Mon], 2014, 11:55


わたしは、運だけで今日まで生き延びている。
どう考えても、あの時、あのピンチをよくすりぬけられたものだ、と、思い出すことはあっても、
あの時のあの失敗のせいで、こんなに暗転したんだ、と思い当たることはない。

結婚したばかりの頃は、結婚相手を間違えた、選択ミスをした、と、くよくよ新婚1年ぐらいは思っていたが、
子供たちを授かり、わたしより、ずっと良い子たちだった。
わたしも、夫も、子供たちのことは大好きだったので、
もし、他の人と結婚していたら、この子供たちとは永遠に出会うことはなかったのだ、
どんなに素晴らしい幸せの山だらけだったとしても、全く同じ生命体は作れない、
と思うと、結婚相手はあれで正解だったのだ、と考えるようになった。

大きな流れの中では、正解だが、日常の小さな些細なことでは、わたしの神経に刺さり、苛立つこともある。
が、あくまでも、それは枝葉の部分。

子供のいない夫婦は、とても仲良しのようだ。
子供がいないのに、別れないでもっているなんて、すごい。
相性や、努力の積み重ねもあるだろう。

あの時、ああせずに、こうしていたら・・・
そう悔やむこともあるかも知れないが、別の道を選んでいても、やっぱり悔やんでいたかも知れない。
なので、一生懸命、考えて選んだ道を信じるしかない。
仮に誰がどう見ても、明らかに間違っていたとしたら、軌道修正すればよい。
できない場合は、できない範囲で、少しずつ、努力を重ねると、なんらかの方向転換の兆しが見えるはず。

なにもせずに、悶々とするのも、ひとつの道かも知れない。
そのうち、「悶々」は、メタンガスか何か強烈な化学変化を起こしエネルギーになって、なにかが動く。
ただし、悪い方向に動く場合もあるが、一旦、底まで落ち込んで、また浮上する手前の、溜めの動き、
次の行動の前段階、変化の前兆かも知れない。

跳躍する前には、一旦、屈む。

ストレスや悶々をエネルギーチェンジでき、行動に移せる経験をしたら、回路が開発、設定、システム化され、自信がつく。
そうすると、停滞や悩みは、苦しいものの、さほど怖くない。
必ず、晴れる日は来る。

その日が、「死」だとしても、ふっと魔がさして死の誘いに屈することができす自殺するのではなく(自殺はいけません)、
自然な流れで。
ある日、ぽっくりと、老衰であの世に行けたら最高だ。
お気に入りの想い出の品々に囲まれた、自宅の自室かなにかで。
今日のベルパーさんは、来るのが遅いなあ・・・などと、本日の頼みたいことをぼんやり考えているうちに・・・。

が、まだまだ年齢的にも肉体的にも、そんな日は遠そうなので、
楽しんだり、停滞したり、悩んだり、悲しんだり、落ち込んだり、スッキリしたり、喜んだり、感激したり、
持ち時間を自分らしく、充実させて使いきりたい。
充実させない使い切り方も、使い方のひとつなので、これまた結構。
わたしの目下のテーマであるところの「究極の無駄」を追求するのも、意義がある。

あ、このブログも最たる無駄の具現化である。
言うまでもないけれど、あえて言うところが、無駄に磨きがかかっている。
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