鴨川 

2006年08月19日(土) 14時30分

知恩院へお参りするときに、松原通を自転車で抜けて橋を渡る。

橋の上からちらっと、川の方を見ると、川で釣りをする人が目に止まった。

鴨川は浅い川なのに魚がいるのだろうかと思っていましたが、釣りをする人がいるってことは、魚が釣れるということだ。

釣り人は数人が同じ場所で、並んで川に入って釣っている。

橋のすぐ下を目をこらして見てみると、陽の光に照らされて、キラット光るものが見える。

鮎だろうか。それくらいの大きさの魚が泳いでいるのが見える。

けっこう多く光るものが見える。

こんなにたくさんの魚が泳いでいるとは思ってなかったので驚いた。

冬になると都鳥の群れが鴨川を飛び交う。

あれだけの鳥を養うだけの餌があるから毎年飛んでくるのだ。

この魚の多さを見ると納得できる。

さすがに自然の厳しいなかで生きる鳥はよく知っているなあと感心しました。



五条の橋は、元はこの松原の橋があるこの場所にあったと聞きます。

そのころの鴨川は死骸が山のように捨てられてあったそうな。

その死骸に集まる鳥や獣が肉を喰いちぎり、骨だけにしたそうだ。

雨が降れば水が増して骨も流されてしまう。

今では人が死ねば葬式をして墓に葬るが、その時代には人が死ねば鴨川に捨てたそうだ。

まだ生きてる病気の者も同じように捨てられてしまったとか。

そういう過去の現実があったとは思えない現在の鴨川の風景。

夜になると、多くの人が床で賑わう。


運命 2 

2006年07月26日(水) 11時02分
それで、寺の息子かということでね、お寺の息子さんだったら大勢の人に接する機会があるだろうし、お説教もせんならんし、人の相談も受けんならんでしょう、こういうことを知ってたら役に立ちますよ、と言うて無料で教えてあげましょうと言うて、八卦をただで教えてもらったそうです。

その先生がこういうことをおっしゃってました。
その友人が仕事がなくて探してたわけです。
そしてようよう就職することができて、そして明日から行くという前の日に、先生のところに遊びに来たらしいんです。

そして、明日から就職ができて行くんだけど、幸先はどうだろうかと言うて、見てほしいということです。
その友達は八卦をそれほど信じてないんですね。

ただ冷やかし半分に、自分の友達が易が出来るということで見てくれと来たわけです。
そして、見たら悪い卦が出た。
その就職先へ行ったらいかんと。
これはもう止めろと言うたそうです。

ところがその友達は卦を信じてないから行ったんですね。
そしてその会社へ行った一日目に工場だったそうでして、ベルトへ手を巻き込まれてしまって、指を三本折ってしまったんです。
それが悪いという卦だったんですね。

就職といえば普通は、お金と、こう考えますよね、待遇を。
だから悪いと出たら待遇が悪いのかなと思ったんですね
悪い卦が出たら悪い運命のところへ行ってしまうから止めとけということですね。
つまり運命はあるということですね。

それで、和尚さんも卦を習ってるので友達が見てくれと来るわけですが、勉強ですから見ますしね。
それで友達が愛媛で、実家からお父さんが病気やから帰ってこいという通知が来たんです。
そして行くときに、父親の病状はどうやろと聞くわけです。

そしたら死ぬという卦が出たんです。

これはあかんぞ、もう死ぬぞと、子供同士のことですからね、そう言うたわけです。
ですが友達はそんなこと信じてないわけです。
そんなものは当たるものかと。
そして、帰るんですが、帰るときに和尚さんたち友達二、三人と一緒に駅まで送っていったんですね。
そのときに、この旅行はどうかと聞かれるんです。

運命 

2006年07月24日(月) 17時25分
永遠の幸福を得るためにのお話を連載します。
この現世は無常の世ですから、永遠に続くものは何一つとしてありませんね、永遠の幸福とは、永遠の命を手に入れないかぎり無理ということになります。

過去数十年にわたって聞かせて戴いた法話を皆さんにもご紹介をしたいと思います。
一緒に永遠の幸福を手に入れましょう。


仏教は、因縁、因果というようなことを言いますが、
この因縁因果ということは、平たく言えば運命ということになりますね。

運命が悪いということは、因縁が悪いということと一緒ですね。こう思います。
運命というのは良い運、悪い運ということですね。
その運命というのは、ほぼ決まってるということです。

決まってますから、前もって予測が出来るわけですね。
その予測する方法がいわゆる運命学になるわけですかね、手相とか、人相とか八卦易者とかいろいろな方法がありますが
大昔の先輩方がいろいろ苦心をして、どうもこのこういうところに、こういう相が出たら、こういうことが出てくると。

あの人もそうだった、この人もそうだったというふうにね。
いうようなことを統計的に発見していったんでしょうかね。
いわゆる八卦、易というのは、あとからいろいろ付け足してきてますけれども、その一番根本というのは、孔子ですね。

孔子が発案したといってますが、兎に角人間は努力であると。
だから立派なことを説いて、立派な指導をすれば、人はそれに遵ってきて、世の中は良くなっていくと。
そうかんがえたんでしょうけれども、なかなかそうはいかなかった。
誰も相手にしてくれなくて、干上がってしまったんですね。
飢え死にの一歩手前までいくというような状態までいったこともあるそうです。

それでお弟子さんの一人が、多少皮肉って言ったのかどうか分かりませんが、
先生、君子はまた餓えることがございますかと。
論語の中によく君子と、出てきますね。
君子といわれる人も餓えるんですかと、いう質問に
君子もまた餓えることあり。

ただ、その根本は悩まないということをおっしゃってますね。

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