インドの旅(2−1)
October 01 [Sat], 2011, 0:00
2011年(平成23年)
悠久の歴史と混沌の世界 インド歴史絵巻12日間
インドの旅行程
2月5日(土)
インドの旅1日目、晴れ。
関西国際空港に到着したのは午前10時26分。今日から12日間のインドの旅が始まる。今回は昨年9月の中国黄山の旅以来のTさんと同行の旅になる。クラブツーリズム「悠久の歴史と混沌(こんとん)の世界 インド歴史絵巻12日間」、参加者は一人旅が5名と2名連れが7組の計19名(男性11名、女性8名)、添乗はNさん。
今日は移動の一日。午後1時10分過ぎにAIR INDIA A1315便は関西国際空港を離陸する。AIR INDIAの成田発便はデリーまでの直行便であるが関西国際空港発便は香港経由になり時間が余計にかかる。関西国際空港を出発して約4時間後に新香港国際空港に到着し乗客の入れ替えをするがデリーまで乗って行く我々は機内待機。
香港に来るのは25年ぶりになる。その当時の香港啓(かい)徳(たっく)空港は九龍半島側にあって、高層ビルの谷間を縫うような感じで離着陸していて冷や冷やさせられたことを思い出すが、今回は乗り継ぎの間に香港の街に出ることはなく約1時間半を機内で過ごすことになる。
午後6時(香港時間、日本との時差は−1時間)に新香港国際空港を離陸して6時間半後の午後9時半(インド時間、日本との時差は−3時間半)にデリー国際空港に到着する。デリー国際空港でムンバイ(ボンベイという方が聞きなれた名前であるが)行便に乗り継ぐ。
午後11時にデリー国際空港を離陸し、ムンバイ空港到着は翌日の午前1時5分。入国審査、荷物の受け取りを終えて本日の宿泊のミラドールホテルに到着したのが午前2時前、部屋は410号室。
今日は都合6回飛行機の離着陸を経験している。それぞれの機中で1回ずつ機内食が出てくるが、インドの旅だからそれは仕方のないこととは思うが機内食はカレーが中心のメニューになっている。
今日は家を出るまでに道尾秀介の「骸(むくろ)の爪」と「花と流れ星」という真備庄介を主人公にした作品を2冊読了し、移動の機中で同じ道尾秀介のミステリー大賞を受賞した作品「シャドウ」と中島岳志「インドの時代−豊かさと苦悩の幕開け−」の2冊を読む。
インド史の流れを確認しておくために旅に出る前までに本棚にある「新書東洋史」の中の「インド史」と講談社版世界歴史の「インド史」の2冊を駆け足で読んできている。
インドの旅の記録としては新潮文庫で沢木耕太郎の「深夜特急3インド・ネパール」を読んでいる。この本は25年前の西暦1986年に「深夜特急第二便」として刊行された本の前半部分を文庫本化したもので、著者が香港からシンガポール、マレーシア、インドと経由してロンドンまで行く放浪の旅の記録であるが、最近「JIN」というテレビドラマでブレイクしている役者、大沢たかお主演でテレビドラマ化されたものをずいぶん昔に見た記憶がある。今回この本を読んだのはその中の一部に今回旅するインドが入っているというところからきている。著者の旅ではカルカッタからブッダ・ガヤ、ネパールと回り、もう一度インドに戻ってきてベナレス、カジュラホとまわりデリーに足を進めているが今回の旅ではその後半部分が一部重なるところがある。
また、舞台美術家の妹尾河童が書いた本で、これも25年ほど前に刊行されている新潮文庫「河童(かっぱ)が覗いたインド」も読んでいる。著者は西暦1978年と1983年の2回インドに旅をしている。それぞれ1ヶ月半ほどの滞在。今回行くところではベナレス、カジュラホ、デリー、アグラ、ジャイプール、ボンベイ、エローラ、アジャンタ。行かないところはカルカッタとデカン高原から南インドのバンガドール、マイソール、コーチン、コモリンなど。こだわりを持った旅をしていて、この著作にもホテルの部屋の図面を正確に寸法を測ったものを手書きのイラストにしているなどこだわりがある。こうした準備が旅の参考になるかどうかはこれからの楽しみ。
2月6日(日)
インドの旅2日目、晴れ。
昨夜というか今朝のことになるのか、ホテル到着のあと入浴して午前3時過ぎに疲れていたこともあってすぐに寝てしまっていた。
今日は午前6時半からの朝食、午前7時15分にはホテルを出発というかなり厳しいスケジュールになる。睡眠が十分に取れているとはいえない状態。
インド観光は今日から始まる。インド亜大陸はロシアを除くヨーロッパとほぼ同じ面積をもち、現在ではインド、パキスタン、ネパール、ブータン、バングラディシュ、スリランカなどの国々に分かれているが地勢的には他の地域とは独立した地方である。
インドの人口は約12億人、人口の一番多い街は北インドにある首都デリーの約1800万人、次に多いのが西インドのムンバイ(ボンベイ)で人口約1400万人、その次が東インドのベンガル地方にあるマリー・テレサの活躍していた、コルカタ(カルカッタ)の約500万人、次が南インドにあるタミル文化圏のチェンナイ(マドラス)の約460万人。今回のツアーではこの4カ所のうちデリーとムンバイを訪ねることになっている。
インドに入ってから日本円をルピーに両替するが1ルピーが2円の換算になっている。両替して受け取った紙幣にはインド憲法で認められている公用語、ヒンディー語のほか14言語で表示がされているのにまず驚かされる。インドは西暦1947年の独立当時560の藩王国(マハラジャが治める国)があり、1600以上の言語が存在していたというからわけがわからなくなってしまう。
旅の始めはムンバイの市内観光から始まる。ムンバイの街は歴史的には16世紀ころまでは7つの島々と小さな漁村しかなかったところであるが、ポルトガルのインド航路発見のあとポルトガルの植民地として街の拡大がなされ、島々の間の埋め立てが進み半島化していった。イギリスの植民地になってからもそうした埋め立てが進行し現在見られるような街並みが出来上がっている。
最初は半島最南端のフォート地区にあるチャトラパティ・ジヴァージー・ターミナス駅(旧名称ヴィクトリア・ターミナス駅)の外観からの観光。バスを降りて写真撮影。この建物はムンバイを代表する歴史的建造物として西暦2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ムンバイ市内
次にインド門の前に建っているインド有数の財閥集団、タタ財閥の創業者が建設したインド民族主義の象徴としてまた世界有数の豪華ホテルとして有名なタージ・マハルホテルの外観観光。
インド門
インド門は西暦1911年に当時のイギリス国王ジョージ5世夫妻のインド皇帝としての訪問を記念して建てられた巨大な門で、現在はエレファンタ島に行く船の発着場となっている。エレファンタ島までは約1時間の航海。この島は紀元16世紀にポルトガル人が上陸して巨大な石彫のゾウを発見したところからエレファンタ島と名づけられることになるが、全部で7窟のヒンズー教のシバ神を祀る石窟寺院が残されている。石窟は紀元6世紀から8世紀ころのものと 朝早くに観光に出発しているので午前11時前にエレファンタ島に着いた時には観光客はまだそれほど多くなかったが、約1時間の観光を終えて午後12時過ぎに帰りの船に乗るころには石窟までの階段も混雑し始めていた。
午後1時過ぎにムンバイのインド門前の船着き場に帰ってきて、近くのレストランで昼食。メニューはやはりカレーが入っているヴァイキング。
エレファンタ島三面シバ神像
昼食のあとムンバイ空港に向かい、午後4時15分発のオーランガバード行のAIR INDIA A1887便に乗り込む。午後5時前にオーランガバード空港に到着し、今日と明日の連泊になるアジャンタ アンバサダーホテルに向かう。ホテルではロビーに入ったところで花の首飾りの歓迎を受ける。部屋は118号室。このアジャンタ アンバサダーホテルはオーランガバードの街では格式のあるホテルと思うが部屋の中の設備が十分に更新されていないのが残念なところ。ともかくもこのホテルでの連泊になる。午後7時半からホテル内のレストランで夕食。
今回の旅に同行しているTさんが今日74歳の誕生日であることをお聞きしたのでレストランでの食事のあと午後9時半過ぎから日本から持参した日本酒で乾杯。
2月7日(月)
インドの旅3日目、晴れ。朝から暑い一日になる。現地スルーガイドのグプタさんによると例年の2月はまだ涼しい日が続いているが今年はもう夏が来たようだとのこと。オーランガバードという街はデカン高原にある人口約120万の街、ムガール帝国第6代皇帝アウランゼーブが皇帝に即位する前にデカン太守として統治していたところであり、街の名前もアウランゼーブにちなんでつけられている。この街では4月、5月の夏の季節には日中の気温が40℃を超えるようなこともあるらしい。この季節でも日中は少し太陽の照りつけているところを歩くと汗ばんでくる陽気。
今日の行程はゆったりとしているので朝は午前7時までベッドの中にいた。午前8時に朝食を取った後、ホテル中庭の散歩。
午前9時過ぎにホテルを出発してエローラ石窟群に向かう。途中、デカン高原の岩山を砦にしたダウラタバード(現地ローカルガイドのシバレさんによるとバードという名前がうしろにつく街はイスラムの王の建設した街で、昨日、今日と連泊のオーランガバードの街も同じ。今回のツアーの後半に行くことになっているジャイプールのように後(うし)ろにプールがつく街はヒンズーの王が建設した街であるとのこと)の写真を撮るために砦が眺望できるポイントでバスをいったん停止させる。ガイドブックによるとこのダウラタバードという砦は西暦1187年にヤターヴィー朝の首都として築かれ、そののちもイスラム王朝による支配が繰り返されてきたところであるとのこと。
ダウラタバード
午前10時前にエローラ石窟群に到着する。エローラ石窟群は西暦1983年、インドで初めてユネスコ世界文化遺産に登録されたところである。デカン高原の玄武岩の岩山に約2キロメートルにわたって掘られている石窟寺院のうち、まず一番北に位置するジャイナ教石窟群の中の第32窟の観光。
ここは紀元9世紀にこの地を治めた領主がジャイナ教を保護したために建設されたということ。ジャイナ教の教えは物を所有しない、一切の命を殺さないなどの厳しい戒律のために信者の数はインドの人口の1%ほどとのこと。
そのあとバス移動で第1窟から第12窟まである仏教石窟群に行く。仏教石窟群では第12窟、第13窟の観光。エローラの仏教石窟はインドでの仏教が衰退していく時期、紀元7世紀から8世紀ころに作られたもので大乗仏教の遺跡である。
最後にヒンズー教石窟群に行き、その中の第16窟カイラーサナータ寺院の観光。この石窟はエローラの他の石窟がほとんど岩盤から掘り出したものに対して岩山を奥行き81メートル、幅47メートル、高さ33メートルに渡って切り開き、塔門や寺院部分を掘り残すという、世界的に見てもまれな作り方をしている石窟である。西暦756年に建設工事が始まり、岩山の上からと前からの両方から彫り出していき完成には100年以上の年月がかかっているとのこと。2年前にアンコールワット遺跡を訪ねた時にも密林の中から発見された遺跡に感動したが、アンコールの遺跡は石を積み上げて築かれた遺跡であるのに比べて、エローラ石窟は岩盤を彫って作られたものであるところが違っている。観光の最後に第16窟の上の岩盤から寺院全体を眺める。
エローラ石窟
午後1時前までエローラ石窟群にいて、そこからオーランガバードの街に戻ってインド風中華の昼食、中華といってもインド風という通り小麦で作ったナンやチキンカレーが出てくる。ここでのビールは1本200ルピー(400円)でこれまでのレストランのビールより100ルピー安い。今回の旅での飲み物はビールに決めている。喉も乾くしそれが一番いいように思う。
昼食のあとはパーンチャンキー(水車場の意味)というムガール帝国6代皇帝アウランゼーブが作らせたところの観光。10キロほど離れた丘から引いた水で水車をまわし、製粉を行うとともにその水を利用した噴水がある。ここは施設の中には入らずに外から川越しに噴水を眺めるだけの観光。
今日の観光の最後は西暦1678年にアウランゼーブ帝の息子、アザム・シャーが母をしのんで建てた廟、ビービー・カ・マクバラの観光。この建物は今回のツアーの後半で行くアグラのタージ・マハルに似せて建てられているが規模は3分の1程度とのこと。デカン高原でのインド・イスラム建築の代表的なものとされている。ガイドのシバレさんはミニ・タージ・マハルと呼んでいる。
ビービー・カ・マクラバ
ホテルには午後4時半には戻っていて、夕食までの3時間の間に入浴を済ませて着替えも終えている。
午後7時半の夕食までの間部屋で休んでいたところ、午後6時前ころからホテルの正面が騒がしくなってくる。太鼓が鳴ったりもして不思議に思いロビー階に降りてみたところ、ホテルの敷地の中で結婚披露宴が開かれようとしているところだった。フロントにいた添乗のNさんに聞いてみたころ、地元の有力者の子供の結婚披露宴で1000人以上の人が招待されているようだとのこと。夕食のあと、午後8時を過ぎていたが一度会場の中を覗いてみたところ会場には舞台が設営されていて、そこで新郎新婦とその父親が祝いの言葉を受けているところであった。会場の中は屋台が出ていて食事がとれるようになっている。花火の打ち上げもあるにぎやかなパーティーは夜12時近くまで続いていた。
2月8日(火)
インドの旅4日目、晴れ。
今朝は午前5時前に起床、午前5時45分から早目の朝食を済ませ、午前6時30分に今日の観光地アジャンタ石窟群に向けて出発する。約2時間半のバス移動で午前9時少し前に到着。
アジャンタ―石窟はワーグラー渓谷の断崖中腹に刻まれた仏教寺院群である。紀元前2世紀から紀元7世紀頃までに28窟の石窟寺院が築かれている。アジャンタ―石窟群が有名なのはそこに描かれている壁画の保存状態のいいことである。昨年旅した敦煌莫高窟(とんこうばくこうくつ)の壁画もその規模で素晴らしいものであるが年代的にはその起源となるものが見られる。エローラ石窟と同じ西暦1983年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。見学は第1窟、第2窟、第12窟、第17窟、第19窟、第26窟の順に見ていった。
第1窟は紀元6世紀に完成した石窟であり、その窟の左奥に描かれている蓮華手(れんげしゅ)菩薩像(ぼさつぞう)はアジャンタ石窟壁画の最高傑作といわれるもので、法隆寺金堂に描かれた菩薩像のルーツとしてあまりにも有名なもの。薄明るい石窟の中でほのかな明りに浮かび上がる姿は神々しく感じるものがある。
アジャンタ石窟第1窟 蓮華手菩薩像
ここは仏教遺跡ということでチベットからのラマ教の信者たちが多く訪れていて、われわれが観光している側で五体投地で真剣なお祈りをしている姿を見ることができた。
第2窟は保存状態のいい窟で釈迦の誕生説話が描かれている。第17窟、第19窟も壁画の保存状態のよい窟。第26窟は釈迦の涅槃像を見ることができる。
アジャンタ石窟
午前11時半まで石窟を観光した後、石窟入口近くのレストランで昼食。そのあと今日はボパールへの列車移動ということで鉄道駅のあるブシャワールに向かう。午後3時前にブシャワールに到着して午後3時30分に電気機動車の牽引するPushpakエキスプレス(急行列車)に乗り込む。座席は寝台車。昼間なのでベッドはセットされていなくて3段ベッドのところに3人ずつ向かいあって座ることになる。列車の出発は定刻より20分遅れであったが、その列車の遅れや、どのホームから出発するのかという情報がよくわからない。列車移動でのハプニングが発生。添乗さんから次の駅で降りますから伝えられたので、列車が止まったホームに全員が列車から降りてしまったところ、ガイドのグプタさんから、ここはまだボバール駅ではないから急いで列車の中に戻りなさいという指示、みんな驚いて列車に戻る。幸いなことに乗り遅れた人はいなかったが到着の案内アナウンスもないしホームに降り立っても駅名の表示が見当たらないので個人での鉄道の旅は難しいのだろうということを実感した。そんなこともありながら列車はボパール駅に午後10時前に到着する。
駅からホテルまで行く間にも白馬に乗った新郎を囲んでにぎやかな踊りや音楽で行進する結婚式を2つ見ることができた。
インドでは地方都市間を結ぶ高速道路の整備などのインフラ整備が遅れているところがあって、街中の道路は新旧の自動車、バイクそして人また人であふれかえっている。その中には夜の闇の中をゆっくりと歩んでいる野良牛、羊、猪などの動物たちの姿もある。
ボパール駅からバスに乗って約40分で本日の宿泊、ヌール・アス・サバーパレスホテルに到着する。ここでも玄関で花のレイとウエルカムドリンクのミックスジュースの歓迎を受ける。ホテルは歴史のあるホテルらしく部屋の調度も立派なもの。109号室に宿泊。
明日はまた今日と同じように観光のあとは列車移動でオルチャに向かうのでホテル出発が午前5時と伝えられているので早目に眠る事にした。
2月9日(水)
インドの旅5日目、晴れ。
朝は午前4時のモーニングコールの前に起床、昨晩は寝たのが午前12時を過ぎていたので少し睡眠不足気味。
午前4時半の朝食のあと午前5時にホテルを出発する。最初の目的地は西暦1989年にユネスコ世界文化遺産に登録されている仏教遺跡サンチー。約1時間後の午前6時に現地に到着するがまだ夜が明けていなかったので夜明けを待って入場する。
最初に紀元前2世紀にアショ−カ王が基礎を造った大スツーバ第1塔から見学を始める。スツーバを囲む4つの門にはブッダの生涯、前世の物語が細かく彫られている。近くにある僧院あとにも多くの仏像が彫りこまれているものが残されている。朝早い観光だったので他の観光客が来ないのでゆっくりと見られたことときれいな日の出を見ることができた。
サンチー
サンチーの仏教遺跡は歴史的には不明なところが多い。佐原六郎著「世界の古塔」という本を最近読んだが、その中で、サンチー遺跡にも触れられていて、この遺跡のことが中国から仏教遺跡をめぐる旅をしてきた法顕や義浄の旅行記に一行も記述がないことが指摘されている。セイロン島への仏教伝播の説話に記述があるだけということである。
次にビンベットカに移動してロックシエルター群の岩窟絵画の観光をする。ここには1万年前の石器時代から紀元後の歴史時代に至るまでに描かれた数百の岩絵が残されている。
ロックシェルターの岩窟壁画
ボパールの街に1時間かけて戻り昼食をとったあとは今日も列車移動。午後2時55分にボパール駅からインドの新幹線といわれている列車でジャンスィに向かう。昨日の寝台車両を利用した車両ではなかったのでゆったりと車内で過ごすことができた。ジャンスイ到着は午後5時20分過ぎ。
ジヤンスィは人口約120万人の活気あるヒンズー教徒の街で、明日訪れるカジュラホ観光の玄関口になっているところ。今回のツアーではここからバスで約40分のところにあるオルチャの街で宿泊することになっている。オルチャは人口1万5千人ほどの小さな村であるがヒンズー教の聖地であり、村を流れるガンジス川の支流ベッワ川でも朝には沐浴をする多数の信者たちがいるということなので明日の朝の散歩に出かけようと思っている。宿泊のオルチャリゾートに到着したのは午後7時過ぎ、それからホテル内のレストランでいつものようにヴァイキングでの夕食。オルチャ観光は明日の予定。部屋は128号室。
毎日カレー料理が続いていて少々胃もたれがあるが飲み水には気を付けているので体調が特に悪いわけではない。明日で旅の半ばにさしかかるがこれからもまだ飛行機や寝台列車での移動がある。疲れが出ないように旅を続けていきたい。
悠久の歴史と混沌の世界 インド歴史絵巻12日間
インドの旅行程
2月5日(土)
インドの旅1日目、晴れ。
関西国際空港に到着したのは午前10時26分。今日から12日間のインドの旅が始まる。今回は昨年9月の中国黄山の旅以来のTさんと同行の旅になる。クラブツーリズム「悠久の歴史と混沌(こんとん)の世界 インド歴史絵巻12日間」、参加者は一人旅が5名と2名連れが7組の計19名(男性11名、女性8名)、添乗はNさん。
今日は移動の一日。午後1時10分過ぎにAIR INDIA A1315便は関西国際空港を離陸する。AIR INDIAの成田発便はデリーまでの直行便であるが関西国際空港発便は香港経由になり時間が余計にかかる。関西国際空港を出発して約4時間後に新香港国際空港に到着し乗客の入れ替えをするがデリーまで乗って行く我々は機内待機。
香港に来るのは25年ぶりになる。その当時の香港啓(かい)徳(たっく)空港は九龍半島側にあって、高層ビルの谷間を縫うような感じで離着陸していて冷や冷やさせられたことを思い出すが、今回は乗り継ぎの間に香港の街に出ることはなく約1時間半を機内で過ごすことになる。
午後6時(香港時間、日本との時差は−1時間)に新香港国際空港を離陸して6時間半後の午後9時半(インド時間、日本との時差は−3時間半)にデリー国際空港に到着する。デリー国際空港でムンバイ(ボンベイという方が聞きなれた名前であるが)行便に乗り継ぐ。
午後11時にデリー国際空港を離陸し、ムンバイ空港到着は翌日の午前1時5分。入国審査、荷物の受け取りを終えて本日の宿泊のミラドールホテルに到着したのが午前2時前、部屋は410号室。
今日は都合6回飛行機の離着陸を経験している。それぞれの機中で1回ずつ機内食が出てくるが、インドの旅だからそれは仕方のないこととは思うが機内食はカレーが中心のメニューになっている。
今日は家を出るまでに道尾秀介の「骸(むくろ)の爪」と「花と流れ星」という真備庄介を主人公にした作品を2冊読了し、移動の機中で同じ道尾秀介のミステリー大賞を受賞した作品「シャドウ」と中島岳志「インドの時代−豊かさと苦悩の幕開け−」の2冊を読む。
インド史の流れを確認しておくために旅に出る前までに本棚にある「新書東洋史」の中の「インド史」と講談社版世界歴史の「インド史」の2冊を駆け足で読んできている。
インドの旅の記録としては新潮文庫で沢木耕太郎の「深夜特急3インド・ネパール」を読んでいる。この本は25年前の西暦1986年に「深夜特急第二便」として刊行された本の前半部分を文庫本化したもので、著者が香港からシンガポール、マレーシア、インドと経由してロンドンまで行く放浪の旅の記録であるが、最近「JIN」というテレビドラマでブレイクしている役者、大沢たかお主演でテレビドラマ化されたものをずいぶん昔に見た記憶がある。今回この本を読んだのはその中の一部に今回旅するインドが入っているというところからきている。著者の旅ではカルカッタからブッダ・ガヤ、ネパールと回り、もう一度インドに戻ってきてベナレス、カジュラホとまわりデリーに足を進めているが今回の旅ではその後半部分が一部重なるところがある。
また、舞台美術家の妹尾河童が書いた本で、これも25年ほど前に刊行されている新潮文庫「河童(かっぱ)が覗いたインド」も読んでいる。著者は西暦1978年と1983年の2回インドに旅をしている。それぞれ1ヶ月半ほどの滞在。今回行くところではベナレス、カジュラホ、デリー、アグラ、ジャイプール、ボンベイ、エローラ、アジャンタ。行かないところはカルカッタとデカン高原から南インドのバンガドール、マイソール、コーチン、コモリンなど。こだわりを持った旅をしていて、この著作にもホテルの部屋の図面を正確に寸法を測ったものを手書きのイラストにしているなどこだわりがある。こうした準備が旅の参考になるかどうかはこれからの楽しみ。
2月6日(日)
インドの旅2日目、晴れ。
昨夜というか今朝のことになるのか、ホテル到着のあと入浴して午前3時過ぎに疲れていたこともあってすぐに寝てしまっていた。
今日は午前6時半からの朝食、午前7時15分にはホテルを出発というかなり厳しいスケジュールになる。睡眠が十分に取れているとはいえない状態。
インド観光は今日から始まる。インド亜大陸はロシアを除くヨーロッパとほぼ同じ面積をもち、現在ではインド、パキスタン、ネパール、ブータン、バングラディシュ、スリランカなどの国々に分かれているが地勢的には他の地域とは独立した地方である。
インドの人口は約12億人、人口の一番多い街は北インドにある首都デリーの約1800万人、次に多いのが西インドのムンバイ(ボンベイ)で人口約1400万人、その次が東インドのベンガル地方にあるマリー・テレサの活躍していた、コルカタ(カルカッタ)の約500万人、次が南インドにあるタミル文化圏のチェンナイ(マドラス)の約460万人。今回のツアーではこの4カ所のうちデリーとムンバイを訪ねることになっている。
インドに入ってから日本円をルピーに両替するが1ルピーが2円の換算になっている。両替して受け取った紙幣にはインド憲法で認められている公用語、ヒンディー語のほか14言語で表示がされているのにまず驚かされる。インドは西暦1947年の独立当時560の藩王国(マハラジャが治める国)があり、1600以上の言語が存在していたというからわけがわからなくなってしまう。
旅の始めはムンバイの市内観光から始まる。ムンバイの街は歴史的には16世紀ころまでは7つの島々と小さな漁村しかなかったところであるが、ポルトガルのインド航路発見のあとポルトガルの植民地として街の拡大がなされ、島々の間の埋め立てが進み半島化していった。イギリスの植民地になってからもそうした埋め立てが進行し現在見られるような街並みが出来上がっている。
最初は半島最南端のフォート地区にあるチャトラパティ・ジヴァージー・ターミナス駅(旧名称ヴィクトリア・ターミナス駅)の外観からの観光。バスを降りて写真撮影。この建物はムンバイを代表する歴史的建造物として西暦2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ムンバイ市内
次にインド門の前に建っているインド有数の財閥集団、タタ財閥の創業者が建設したインド民族主義の象徴としてまた世界有数の豪華ホテルとして有名なタージ・マハルホテルの外観観光。
インド門
インド門は西暦1911年に当時のイギリス国王ジョージ5世夫妻のインド皇帝としての訪問を記念して建てられた巨大な門で、現在はエレファンタ島に行く船の発着場となっている。エレファンタ島までは約1時間の航海。この島は紀元16世紀にポルトガル人が上陸して巨大な石彫のゾウを発見したところからエレファンタ島と名づけられることになるが、全部で7窟のヒンズー教のシバ神を祀る石窟寺院が残されている。石窟は紀元6世紀から8世紀ころのものと 朝早くに観光に出発しているので午前11時前にエレファンタ島に着いた時には観光客はまだそれほど多くなかったが、約1時間の観光を終えて午後12時過ぎに帰りの船に乗るころには石窟までの階段も混雑し始めていた。
午後1時過ぎにムンバイのインド門前の船着き場に帰ってきて、近くのレストランで昼食。メニューはやはりカレーが入っているヴァイキング。
エレファンタ島三面シバ神像
昼食のあとムンバイ空港に向かい、午後4時15分発のオーランガバード行のAIR INDIA A1887便に乗り込む。午後5時前にオーランガバード空港に到着し、今日と明日の連泊になるアジャンタ アンバサダーホテルに向かう。ホテルではロビーに入ったところで花の首飾りの歓迎を受ける。部屋は118号室。このアジャンタ アンバサダーホテルはオーランガバードの街では格式のあるホテルと思うが部屋の中の設備が十分に更新されていないのが残念なところ。ともかくもこのホテルでの連泊になる。午後7時半からホテル内のレストランで夕食。
今回の旅に同行しているTさんが今日74歳の誕生日であることをお聞きしたのでレストランでの食事のあと午後9時半過ぎから日本から持参した日本酒で乾杯。
2月7日(月)
インドの旅3日目、晴れ。朝から暑い一日になる。現地スルーガイドのグプタさんによると例年の2月はまだ涼しい日が続いているが今年はもう夏が来たようだとのこと。オーランガバードという街はデカン高原にある人口約120万の街、ムガール帝国第6代皇帝アウランゼーブが皇帝に即位する前にデカン太守として統治していたところであり、街の名前もアウランゼーブにちなんでつけられている。この街では4月、5月の夏の季節には日中の気温が40℃を超えるようなこともあるらしい。この季節でも日中は少し太陽の照りつけているところを歩くと汗ばんでくる陽気。
今日の行程はゆったりとしているので朝は午前7時までベッドの中にいた。午前8時に朝食を取った後、ホテル中庭の散歩。
午前9時過ぎにホテルを出発してエローラ石窟群に向かう。途中、デカン高原の岩山を砦にしたダウラタバード(現地ローカルガイドのシバレさんによるとバードという名前がうしろにつく街はイスラムの王の建設した街で、昨日、今日と連泊のオーランガバードの街も同じ。今回のツアーの後半に行くことになっているジャイプールのように後(うし)ろにプールがつく街はヒンズーの王が建設した街であるとのこと)の写真を撮るために砦が眺望できるポイントでバスをいったん停止させる。ガイドブックによるとこのダウラタバードという砦は西暦1187年にヤターヴィー朝の首都として築かれ、そののちもイスラム王朝による支配が繰り返されてきたところであるとのこと。
ダウラタバード
午前10時前にエローラ石窟群に到着する。エローラ石窟群は西暦1983年、インドで初めてユネスコ世界文化遺産に登録されたところである。デカン高原の玄武岩の岩山に約2キロメートルにわたって掘られている石窟寺院のうち、まず一番北に位置するジャイナ教石窟群の中の第32窟の観光。
ここは紀元9世紀にこの地を治めた領主がジャイナ教を保護したために建設されたということ。ジャイナ教の教えは物を所有しない、一切の命を殺さないなどの厳しい戒律のために信者の数はインドの人口の1%ほどとのこと。
そのあとバス移動で第1窟から第12窟まである仏教石窟群に行く。仏教石窟群では第12窟、第13窟の観光。エローラの仏教石窟はインドでの仏教が衰退していく時期、紀元7世紀から8世紀ころに作られたもので大乗仏教の遺跡である。
最後にヒンズー教石窟群に行き、その中の第16窟カイラーサナータ寺院の観光。この石窟はエローラの他の石窟がほとんど岩盤から掘り出したものに対して岩山を奥行き81メートル、幅47メートル、高さ33メートルに渡って切り開き、塔門や寺院部分を掘り残すという、世界的に見てもまれな作り方をしている石窟である。西暦756年に建設工事が始まり、岩山の上からと前からの両方から彫り出していき完成には100年以上の年月がかかっているとのこと。2年前にアンコールワット遺跡を訪ねた時にも密林の中から発見された遺跡に感動したが、アンコールの遺跡は石を積み上げて築かれた遺跡であるのに比べて、エローラ石窟は岩盤を彫って作られたものであるところが違っている。観光の最後に第16窟の上の岩盤から寺院全体を眺める。
エローラ石窟
午後1時前までエローラ石窟群にいて、そこからオーランガバードの街に戻ってインド風中華の昼食、中華といってもインド風という通り小麦で作ったナンやチキンカレーが出てくる。ここでのビールは1本200ルピー(400円)でこれまでのレストランのビールより100ルピー安い。今回の旅での飲み物はビールに決めている。喉も乾くしそれが一番いいように思う。
昼食のあとはパーンチャンキー(水車場の意味)というムガール帝国6代皇帝アウランゼーブが作らせたところの観光。10キロほど離れた丘から引いた水で水車をまわし、製粉を行うとともにその水を利用した噴水がある。ここは施設の中には入らずに外から川越しに噴水を眺めるだけの観光。
今日の観光の最後は西暦1678年にアウランゼーブ帝の息子、アザム・シャーが母をしのんで建てた廟、ビービー・カ・マクバラの観光。この建物は今回のツアーの後半で行くアグラのタージ・マハルに似せて建てられているが規模は3分の1程度とのこと。デカン高原でのインド・イスラム建築の代表的なものとされている。ガイドのシバレさんはミニ・タージ・マハルと呼んでいる。
ビービー・カ・マクラバ
ホテルには午後4時半には戻っていて、夕食までの3時間の間に入浴を済ませて着替えも終えている。
午後7時半の夕食までの間部屋で休んでいたところ、午後6時前ころからホテルの正面が騒がしくなってくる。太鼓が鳴ったりもして不思議に思いロビー階に降りてみたところ、ホテルの敷地の中で結婚披露宴が開かれようとしているところだった。フロントにいた添乗のNさんに聞いてみたころ、地元の有力者の子供の結婚披露宴で1000人以上の人が招待されているようだとのこと。夕食のあと、午後8時を過ぎていたが一度会場の中を覗いてみたところ会場には舞台が設営されていて、そこで新郎新婦とその父親が祝いの言葉を受けているところであった。会場の中は屋台が出ていて食事がとれるようになっている。花火の打ち上げもあるにぎやかなパーティーは夜12時近くまで続いていた。
2月8日(火)
インドの旅4日目、晴れ。
今朝は午前5時前に起床、午前5時45分から早目の朝食を済ませ、午前6時30分に今日の観光地アジャンタ石窟群に向けて出発する。約2時間半のバス移動で午前9時少し前に到着。
アジャンタ―石窟はワーグラー渓谷の断崖中腹に刻まれた仏教寺院群である。紀元前2世紀から紀元7世紀頃までに28窟の石窟寺院が築かれている。アジャンタ―石窟群が有名なのはそこに描かれている壁画の保存状態のいいことである。昨年旅した敦煌莫高窟(とんこうばくこうくつ)の壁画もその規模で素晴らしいものであるが年代的にはその起源となるものが見られる。エローラ石窟と同じ西暦1983年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。見学は第1窟、第2窟、第12窟、第17窟、第19窟、第26窟の順に見ていった。
第1窟は紀元6世紀に完成した石窟であり、その窟の左奥に描かれている蓮華手(れんげしゅ)菩薩像(ぼさつぞう)はアジャンタ石窟壁画の最高傑作といわれるもので、法隆寺金堂に描かれた菩薩像のルーツとしてあまりにも有名なもの。薄明るい石窟の中でほのかな明りに浮かび上がる姿は神々しく感じるものがある。
アジャンタ石窟第1窟 蓮華手菩薩像
ここは仏教遺跡ということでチベットからのラマ教の信者たちが多く訪れていて、われわれが観光している側で五体投地で真剣なお祈りをしている姿を見ることができた。
第2窟は保存状態のいい窟で釈迦の誕生説話が描かれている。第17窟、第19窟も壁画の保存状態のよい窟。第26窟は釈迦の涅槃像を見ることができる。
アジャンタ石窟
午前11時半まで石窟を観光した後、石窟入口近くのレストランで昼食。そのあと今日はボパールへの列車移動ということで鉄道駅のあるブシャワールに向かう。午後3時前にブシャワールに到着して午後3時30分に電気機動車の牽引するPushpakエキスプレス(急行列車)に乗り込む。座席は寝台車。昼間なのでベッドはセットされていなくて3段ベッドのところに3人ずつ向かいあって座ることになる。列車の出発は定刻より20分遅れであったが、その列車の遅れや、どのホームから出発するのかという情報がよくわからない。列車移動でのハプニングが発生。添乗さんから次の駅で降りますから伝えられたので、列車が止まったホームに全員が列車から降りてしまったところ、ガイドのグプタさんから、ここはまだボバール駅ではないから急いで列車の中に戻りなさいという指示、みんな驚いて列車に戻る。幸いなことに乗り遅れた人はいなかったが到着の案内アナウンスもないしホームに降り立っても駅名の表示が見当たらないので個人での鉄道の旅は難しいのだろうということを実感した。そんなこともありながら列車はボパール駅に午後10時前に到着する。
駅からホテルまで行く間にも白馬に乗った新郎を囲んでにぎやかな踊りや音楽で行進する結婚式を2つ見ることができた。
インドでは地方都市間を結ぶ高速道路の整備などのインフラ整備が遅れているところがあって、街中の道路は新旧の自動車、バイクそして人また人であふれかえっている。その中には夜の闇の中をゆっくりと歩んでいる野良牛、羊、猪などの動物たちの姿もある。
ボパール駅からバスに乗って約40分で本日の宿泊、ヌール・アス・サバーパレスホテルに到着する。ここでも玄関で花のレイとウエルカムドリンクのミックスジュースの歓迎を受ける。ホテルは歴史のあるホテルらしく部屋の調度も立派なもの。109号室に宿泊。
明日はまた今日と同じように観光のあとは列車移動でオルチャに向かうのでホテル出発が午前5時と伝えられているので早目に眠る事にした。
2月9日(水)
インドの旅5日目、晴れ。
朝は午前4時のモーニングコールの前に起床、昨晩は寝たのが午前12時を過ぎていたので少し睡眠不足気味。
午前4時半の朝食のあと午前5時にホテルを出発する。最初の目的地は西暦1989年にユネスコ世界文化遺産に登録されている仏教遺跡サンチー。約1時間後の午前6時に現地に到着するがまだ夜が明けていなかったので夜明けを待って入場する。
最初に紀元前2世紀にアショ−カ王が基礎を造った大スツーバ第1塔から見学を始める。スツーバを囲む4つの門にはブッダの生涯、前世の物語が細かく彫られている。近くにある僧院あとにも多くの仏像が彫りこまれているものが残されている。朝早い観光だったので他の観光客が来ないのでゆっくりと見られたことときれいな日の出を見ることができた。
サンチー
サンチーの仏教遺跡は歴史的には不明なところが多い。佐原六郎著「世界の古塔」という本を最近読んだが、その中で、サンチー遺跡にも触れられていて、この遺跡のことが中国から仏教遺跡をめぐる旅をしてきた法顕や義浄の旅行記に一行も記述がないことが指摘されている。セイロン島への仏教伝播の説話に記述があるだけということである。
次にビンベットカに移動してロックシエルター群の岩窟絵画の観光をする。ここには1万年前の石器時代から紀元後の歴史時代に至るまでに描かれた数百の岩絵が残されている。
ロックシェルターの岩窟壁画
ボパールの街に1時間かけて戻り昼食をとったあとは今日も列車移動。午後2時55分にボパール駅からインドの新幹線といわれている列車でジャンスィに向かう。昨日の寝台車両を利用した車両ではなかったのでゆったりと車内で過ごすことができた。ジャンスイ到着は午後5時20分過ぎ。
ジヤンスィは人口約120万人の活気あるヒンズー教徒の街で、明日訪れるカジュラホ観光の玄関口になっているところ。今回のツアーではここからバスで約40分のところにあるオルチャの街で宿泊することになっている。オルチャは人口1万5千人ほどの小さな村であるがヒンズー教の聖地であり、村を流れるガンジス川の支流ベッワ川でも朝には沐浴をする多数の信者たちがいるということなので明日の朝の散歩に出かけようと思っている。宿泊のオルチャリゾートに到着したのは午後7時過ぎ、それからホテル内のレストランでいつものようにヴァイキングでの夕食。オルチャ観光は明日の予定。部屋は128号室。
毎日カレー料理が続いていて少々胃もたれがあるが飲み水には気を付けているので体調が特に悪いわけではない。明日で旅の半ばにさしかかるがこれからもまだ飛行機や寝台列車での移動がある。疲れが出ないように旅を続けていきたい。
[ この記事を通報する ]
- URL:http://yaplog.jp/kobosuzaki/archive/47


