幻想の他者 

February 12 [Fri], 2010, 10:45
わたしたちは、いくつもの人間関係を抱えて生きている。たとえば友達・恋人・夫婦・親子・など・・。そして、人生の途中には、いくつも出会いがあって、いくつもの別れがある。でも、わたしは、まわりの人と、良好な人間関係を永久的に維持し続けることの難しさを、いつも感じている。なにか、ほんのわずかなキッカケで、それはもろくも壊れてしまうことがある。まるでガラスのようにデリケートで、もろいもののように思う。そう感じるのは、おそらく、わたしだけではないと思う。理想的な人間関係って、この世界にあるのだろうか・・・・・。

ある山村に、一人暮らしの老婆がいた。夫は、第二次大戦に兵役で、駆り出され戻って来ないのだという。どうやら戦死したらしい。彼女は、衣食住には困らなかったため苦労するようなこともなかった。そして平凡で退屈な生活を、長い間続けていた。しかし、ある時、自分の住んでいる地区の一帯が、ダムの建設予定地に、なり、いずれ人造湖の底に水没するという通告を受ける。このことと、自分の夫のことが結びついて彼女の頭の中に、あるアイディアが浮かんだ。自分の夫も。いずれ横田庄一さんのように、突然、もどってくるかもしれない。そうしたら、その時に、自分の村が水没した時の、状況を説明してあげよう。でも、ただ話しだけでは、ものたりない。そうだ記録写真を撮ろう。こうして、彼女は、アマチュア写真家となり、村中を歩き回り、写真を撮り続ける日々が始まったのである。この話しには、大変興味深い点が二つある。まず、もし、夫が戦争から帰還して、一緒に生活していれば、写真集を作る必要はなく、したがって彼女は、何の特徴もない老婆で終わってしまう可能性が高かったということである。夫の不在が、彼女の文化的なレベルを引き上げたという点である。彼女の中に、写真家活動を通じて他者に、何かを伝えたいという意欲が芽生えたのである。もう一つは、老婆が、写真集を見せる予定の夫は、本当に、まだ生きているのだろうか、という疑問である。おそらく、もうすでに、この世には生存していない可能性が高いのではないのだろうか。それにも、かかわらず、老婆は、夫が、帰ってくるかもしれないという不確実な未来を想定して、それが写真活動を始める強い動機になっているのである。しかし夫が、実際に帰ってくるかどうかは、この場合たいして重要なことではないと思う。肝心なのは、このような未来を、想定することによって、老婆が写真活動を始め、充実した毎日を送ることこそが大事なことであると思われる。老婆が死を迎えるまでには、まだ、かなりの年月があり、何もしないで過ごすには、あまりに退屈だからである。写真活動が、老婆の生に意味と価値を与えることができたためである。この場合、老婆は、実際には、生存していない他者が、生存しているという幻想を持つことによって、自分の物語を作り、そのストーリーに沿って、自分が生き始めた例である。

これとは逆に、実際に生存し、共に生活している夫婦の場合にも、相手に幻想を持ってしまう場合もある。定年後に突然、離婚を要求された夫の場合を考えてみよう。なぜ夫は裏切られたのか。このことは夫が妻に対して、これまで信頼できる女であるという幻想を抱いていたにもかかわらず、実体は、そうではなかったということを意味している。なぜ夫は、このような幻想を抱いてしまうのか。妻の様子を冷静に観察すれば、離婚の兆候は、それまでにも見られたはずである。しかし、夫が妻に抱いている幻想は、かなり強固なもので、そう簡単には崩れない。この幻想を否定すれば、自分の物語が否定されてしまうからである。それは、あまりにも、つらく悲しいため心の中の安全装置のようなものが働くのかもしれない。夫にとって、妻と家庭は自分の生きがいとか存在理由のようなものである。自分は、愛する妻のために、また家庭を守るために働いていると思っている。これは昔からある、ごく平凡な物語である。したがって、もちろん、自分の愛する妻は信頼出来る人間で、夫を裏切ることなど有り得ないということになる。しかし、これは夫が勝手に作り上げた幻想であったことになる。このように他者に関する幻想は、自分の物語と強く結び付いている。しかし少なくとも、離婚を要求される直前までは、このような物語を信じていたが故に、平静を保って、平穏に生きてくることができたのであるから。このような物語を信じることが、悪いことであるとは言い難い。

このように自分にとって都合の良い物語を信じる事は精神安定剤のような効果がある。さらに生きる励みのような積極的な意味さえ持つこともある。



この2つの例でも、わかるように、物語を自分の都合の良いように作るためには、真実の他者を素材として使うことはできない。他者の実体を幻想によって歪曲することが多かれ少なかれ必要になるということである。物語に、すこしでも疑問を感じ、不信感を持ってしまえば、すぐに魔法は解け、みすぼらしく貧しい現実が姿をあらわすであろう。そして、たちまち絶望感と失望感に襲われてしまうであろう。だから、信じ続けるためには、人間は鈍感にならなければいけない・・・・。

BY M.・K・
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