少しずつ 

March 06 [Tue], 2007, 21:29
 重い腰をやっとあげて、少しずつだが前に進んでいる感じ。色々な不安もあったけど、「このタイミングで出発する事が御心だったんだなぁ」と強く感じている。今日は仕事が入らず、突然の休日だったが、ちょうど為替が良い感じだったので銀行に行ったり、伸びてきた髪を切りに行ったり、ずっと故障していたバイクを直しに行ったりと時間が取れないと出来ない事をやれた。短期間で準備をしなくてはならないので少々大変だが、「これだけ道が開けているのだから大丈夫」という思いもある。祈りつつ前進していきたいと思う。

与えられた言葉を握り締めて 

March 05 [Mon], 2007, 20:44
 予定していた断食の期間も終りました。主に、自分の中にある不安に対する祈りと、確信が与えられるようにと祈っていました。ある程度の時間をとって祈るのはシンドイ作業ではあるけど、やれば確実に恵まれるのは周知の事実。多分、マラソンと同じです。
 
 祈りの中で二つの御言葉が与えられました。申命記1:29〜33と申命記8:5〜10。これが今回の祈りに対する神様からの答えだと。不安が全く解消された訳ではないけど、行く決心はつきました。あとは牧師に話すのみ。

生活の基礎 

March 01 [Thu], 2007, 23:27
 一日の中に「祈る時間」というのが最近少なくなってきているのを感じていた。「何となく面倒くさい」とか「疲れているから・・・」と言い訳をしつつノラリクラリと・・・しかし、どうにもそんな事を言っている場合では無くなってきたのでかくなる上は夕食の時間を削って祈る事に。

 祈りは賛美とは違い、どちらかと言うと「ツライ作業」だ。落ち気味だと聖書を読むのも面倒くさいのに、「祈るなんて・・・」とか思ったりもする。実際のところ、それなりの時間を集中して祈ろうと思うと結構シンドイ。祈りに火がつくまでに時間がかかったり、なかなか神様に集中できず、色んな邪念(?)が頭の中を飛び回っているからだ。これを思うとき、「長時間祈るには訓練が必要だなぁ」と思う。「困った時の神頼み」とは良く言ったもので、人間、困った時には必死になっていのるけど、そうで無いと中々できない。自分も長時間祈るのはどちらかというと苦手だ。しかし、一度祈りに集中できると祈っている事が苦ではなくなり、いくらでも祈っていられる状態になる。自分はこの状態を「神様との通話オンライン状態」と勝手に命名している。

 今日、時間をとって祈り、帰るときに「祈りはクリスチャン生活の基盤だなぁ」と思った。誰かと個人的な関係を作るためには交わりが不可欠だ。その「交わり」にあたるのが「祈り」だ。この「オンライン状態」まで入って祈った後は、いつも何ともいえない満足感と安心感で満たされる。多分、「充実した交わりを持てた」という所から来る満足感なのかなと考えている。以前、T師が「父なる神との対話」ということについて話してくださった。その内容はこんな感じだ。

 私たちは祈りを利益的側面として捉えがちだが、神様の視点から言えば祈りは「対話」である。私たちが祈らない時、神様は「怒り」より「寂しさ」を感じておられるのではないか?私たちが常に神様と「対話」をしていると、神様の語られる「言葉」がよく分かるようになる。事実、使徒行伝の中でパウロや使徒たちは神様の語る「言葉」をよく理解していた。

 という感じの内容だ。まだまだ、神様の「言葉」を理解する段階に達してはいないが、「神様が自分に何を語られているのか」を聴き取る者になりたいと切に願う。

Heart of Worship 

February 27 [Tue], 2007, 19:54
 すばらしいコンサートでした。コンサートって言うか、礼拝だねあれは。「スタイルがたまたまゴスペルクワイヤなだけ」という感じだった。技術的には勿論、霊的にもすばらしかった。なによりも、バンドとシンガーズの一致がスゴイ。C師が真ん中の一番後ろで全体の指揮をとっていたけど、皆がピタッと合わせているのがとても印象的だった。礼拝なんだけど、完全には一人の世界に入りこまない冷静さ、それでいて神様に対する情熱的な姿勢、ものすごいバランス感覚だなぁと。

 最近、自分が奏楽していて良く感じるのが、「半歩先が足りない」ということだ。(勿論、大きな目で見れば半歩どころの話ではないのだけど。)「何でそこでシンバルをいれないの?」とか、「なんでいきなりベース弾くのやめちゃうの?」とか、「確かに曲は終ったけどまだサスティーンペダルを放すのは早いよ」とかetc・・・要は、「自分は礼拝の中で、どうすればより良い雰囲気をつくれるかってことを何でもっと考えて奏楽しないのよ?」という事がもの凄く細かいんだけど気になる・・・勿論、「心が第一」これは前提。
 
 「奏楽者は会衆の中の誰よりも礼拝者であるべき」というのが自分の中での持論。でもソレと同時に、「自分の礼拝だけに徹しているのでは奏楽者失格」というのもある。なぜなら、「会衆がより神様に目を向けることができるようにする」というのが奏楽者の存在理由の一つでもあるからだ。「最高のものを神様に奉げたい!」というのなら練習も大切だけど、礼拝の中での心配り(霊の流れに導かれていることが前提)が大切だと思う。当然、チームの頭となるのはワーシップリーダー(以下WL)なので、奏楽者にとって「リーダーの指示」というものが礼拝の中での一つの指針となる。しかし、WLとはいえ、いちいち全ての事に細かい指示を出している訳ではない。そこで各々の導き、裁量、技量が問われてくるのだ。しかし、こうなるとかなりハイレベルな話になってしまうのだけど・・・

 礼拝奏楽における「冷静さ」と「情熱」のバランスは大きな課題の一つだ。しかし、それを普通にやって見せたクワイヤの方々、流石だ・・・

疲れた・・・ 

February 20 [Tue], 2007, 23:24
 朝から仕事、帰って速攻で委員会に行って帰ってきたのがこの時間・・・しかも明日は4時起き・・・この、バイト→委員会→早天のコンボが一番きつい・・・明日は朝から夜まで出ずっぱりだし・・・火曜日、水曜日のこのコースで完全に一週間のサイクルを大きく狂わされるのでちょっと勘弁して欲しい。今週体力もつかなぁ・・・

温泉での語らい 

February 07 [Wed], 2007, 17:44
 一月末から行なわれた某大会。今回は出展ブースの販売要員として駆り出されて全参加だった。毎年この時期に行なわれるこの大会の面白いところは、全国規模で参加者が集まるというところだ。どんなに大きな集会でも、全国規模で人が集まることは少ない。関西地区で開かれれば関西中心になるし、関東地区、中部地区でも事情は同じだ。なので色々な方と交わる事が出来る。それもまた楽しみの一つなのだ。今年は大阪の教会の伝道者の方と仲良くなってよく交わった。
 
 3日目の夜のことだ。この日はさすがに前日からの睡眠不足で疲れており、一人でサッと温泉に入り、サッと出て寝るつもりだった(温泉の営業時間は12時までで、前の二日間はきっちり12時までお風呂に入っており、寝る時間が遅くなっていた)。身体を洗い、露天の方に行って一人でボケーっと湯船に浸かっていると、その伝道師の方ともう一人知らない人が話しながら入ってきた。正直、「しまったぁ」とも思ったが、仕方が無いので交わることに。伝道師の方と一緒に入ってきた方は、京都の教会に集っておられる信徒の方で、色々な話をすることができた。その中で、「献身者の条件」という所に話題が飛んだ。聞くとこの男性の方、既に結婚もしていているとのこと(若く見えたけど自分より少し年上だった)。社会人の苦労について話していると、「僕も神様のために働いてみたいなぁと思うこともあるんですよ。実際に献身すると生活とかってどんな感じなんですか?」と聞かれたので自分の生活振りと、献身してから感じる会社員時代とは違う葛藤について話した。興味深い話だったようで、なぜか伝道師の方も熱心に話を聞いていた。

 この話題の中での中心的なテーマは、「信仰」と「時間の使い方」と「経済基盤の確立」についてだった。やはり社会で働いていると、「信仰」が弱くなる瞬間を感じるが、献身者でも同じだよという事。そして、何よりも経済基盤が不安定であると落ち着かないという事実。そして、一日のスケジュールの中での時間の使い方の違い等、話そうと思えば幾等でも話せそうな感じだった。しかし、如何せん身体が疲れていたため、「早く寝たいので先に出ますね」と言い、湯船をでて脱衣所に向かった。「もう少し交わりたかったなぁ」と思いながらふと浴場の時計を見るとその針は12時を指していた・・・

愛という相互価値観 

February 04 [Sun], 2007, 19:41
 先週、大失態をやらかしてしまいました。彼女の愛ある態度に感謝でした。
 
 やらかしてから随分と色々な事を考えさせられた。申し訳ないという思いと同時に、彼女を責める思いがあったのもまた事実だ。そんな思考のループの中でこんな事に気がつかされた。それは、「相手のためを思っての行動や言動だったとしても、相手の必要を満たしていないのなら、相手にとっては何も無いのと同じだ。それどころか、相手にとってそれは迷惑ですらあるかもしれない。」という事だ。こんな当たり前の事だが、自分は色々な事を考えている中でこの事に気づかされた。つまるところ、恋人同士や夫婦関係などのすれ違いはこうしたお互いの価値感覚の違いから発生しているような気がしないでもない。「僕はこんなにしてあげてるのに。」とか、「私はこんなに犠牲をはらっているのに。」といった考え方そのものが何か間違っているのかもしれない。そう考えると、人間レベルで唱えられる「愛」というものに疑問を感じてしまう。「相手にとって何も無いのと同じ、あるいは迷惑であったとしたら、その愛情表現は一体なんなのだろう?」と。

 聖書には、「見返りを求めない愛」について書かれている。「被害者であるはず人が加害者を赦さなくてはならない。」、「迫害する人を祝福しなければならない」。何という不条理な要求だろう!でも、本当にそれを実践する事が出来たなら、「愛を体得した」と言えるなとも思う。

 クリスチャンの最大の手本はイエス様だ。そしてイエス様はまさにそのような方だった。彼は人柄や職業、身なりや顔つきで人を判断されなかった。聖書によれば、彼は決して容姿が良かったわけではなく、むしろ人から避けられるような顔立ちだったようだ。でも、彼の周りには沢山の人が集まった。それは、彼が愛に溢れた人だったからだ。イエス様の愛は見返りを決して求めるようなものではなかったのだ。

 先週一週間の中で自分自身の事を振り返ってみると、「反省すべき部分が沢山あるなぁ」と思い知らされた。「見返りを求めていないつもりだったけど、案外そんな事もなかったなぁ」と。神の愛の大きさには敵わないけど、今一度思いを新たに・・・

神の愛の深さ 

February 03 [Sat], 2007, 21:59
久しぶりに「理解」のカテゴリーの日記。

 一昨日の夜、集会前の夕食の時にちょっとしたことがあり、色々考えているうちに、無性に腹が立ってきてしまった。「なんだよ、年下の癖に」とか何だかんだかんだ思っているうちに、相手を裁くようなことを考え始めてしまった(賛美中に)。既に前日の夜に神様との関係と赦しについてのメッセージがされていたので思わず、「神様、なぜ僕が相手を赦さなくちゃならないんですか?あいつは僕より年下だから、もう少し僕に対して敬意をはらってもいいじゃないですか?」と愚痴のような祈りをした。するとすぐに神様は一つの思いを下さった。「それは、私があなたたちの罪を赦すために払った代価ほど難しく高いものなのか?」と。その思いが入ってきたとき自分は泣きながら悔い改めた。創造者であり神である方が、造られたものであり、劣った存在である人間のために、「神」という姿を捨てて「人間」となり、苦しみを受けて命まで捨てられた、これほどに大きな犠牲はない。自分は知識としてその事を知ってはいたけど、実際のところは全然その意味を分かっていなかったという事に気づかされた。自分が本当に神の愛の深さを知っていたら、決してそんな事で腹を立てたり裁いたりしなかっただろう。自分の未熟さ、高慢さを悟らされ、神の愛の底知れぬ深さをほんの少し理解することが出来た瞬間。

・・・ 

January 29 [Mon], 2007, 11:30
寂しい思いをさせてしまってごめんね。

自分のことばかりで申し訳ない・・・

問題は突然起きる 

January 22 [Mon], 2007, 23:16
 昨日、CSが終ってからAが、「話があるんだけど、5分だけ時間良い?」と聞いてきた。CSが終わり、少しすると礼拝が始まるのだが「5分ならいいよ」と言って話を聞くことに。Aが自分から、「話がある」と言って来たので何かの相談だとは思ったが、相談された内容が想像以上にヘビーだった。何でもっと早い段階で誰かに相談しなかったんだ・・・正直、何と言えば良いのか分からなかったが、心の中で祈り、聖書を分かち合い、これからどうするべきかを話してみた。Aは、「あの時はああするしか無かったと思うけど、話してくれた事も分かるから、自分がどうするのか考えて決めてみる」と言った。正直なところ、その場で決断して欲しかったが、「何かを最終的に決めるのは本人なので仕方が無いのかなぁ」という思いで一緒に祈った。

 問題は突然起きることもあるが、その芽が徐々に芽吹いていってやがて問題となる事もある。毎日の生活の中で、主と共に交わり、御言葉を蓄えていく事が本当に大事な事だと感じるこの頃だ。
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