2016年11月放送大学面接授業「海事産業と神奈川」中編

December 03 [Sat], 2016, 22:06
前回から続く

前回に引き続き放送大学神奈川学習センターで11月19日〜26日にかけて開かれた面接授業「海事産業と神奈川」を講義ノートのような形でまとめていきます。

11月20日第2時限「折損事故解析と国際的対応」
ここでは折損事故の具体的事例として1997年島根県沖日本海で発生した重油タンカー「ナホトカ号」の折損事故。及び2013年のMOLコンフォート号折損事故に関して詳述。
ナホトカ号事故については、事故により流出した油が沿岸に漂着。海岸部の生態系や漁業に多大な影響が出て漂着した油回収にボランティアが活躍。のような話をTVニュースなどで見た覚えがあります。今回の講義では折損にいたる背景やその後の原因解析が解説されました。
事故当時の冬の日本海ではたまにある小嵐。そこに船歴26年の老朽船のナホトカ号が遭遇。2500mの深海調査で海底に沈んだ船体を調査。この種の事故では2500mの深海探査機による調査は初めてだったそう。
環境への影響として揮発成分が少なく粘度が高い重油の為回収は困難を極めたことなど。
2002年スペインのプレステージ号事故では水深4000mに沈没した船体からの油回収が試みられた。現代の時代ではかってのように沈没船をそのまま海底に放置することは許されない時代であることや深海技術の重要性など。
ナホトカ号事故ではソ連崩壊で必要な補修事故が疎かになっていた可能性。特に必要な補修が行なわれていない老朽船問題では特定の船籍国の船に問題が多いこと。

船体折損事故ではやはり2013年に起きたMOLコンフォート号折損事故が印象的です。現代では船体の構造など基本的技術は既に確立しているものだと思っていましたが、大型化するコンテナ船などの進化にあわせて、現代の時代でも船体折損事故と戦いであることは印象的でした。
船の事故と聞くと乗員や乗客の被害が気になって、全員救助され生存と聞くと一安心。で終わり。という感じになってしまいがちですが、船が失われることでの船体や積荷の損失。また積荷が沈むことで引き起こされる海洋汚染とその防止など、素人発想ではない専門的な課題も認識することが出来ました。

質疑応答では「積荷を揚貨する際の重量計算・荷揚げ手順ミスでの折損事故」に関して。現代のコンテナ船でも荷主が提出する書類に記載されている重量と実際重量が大きく違うことが結構ある。(荷主側の意図的な誤記載など)こういったものも、積み付け、揚貨の際の折損事故の要因になるのでは?という指摘も。



11月26日第1時限「神奈川の造船産業」
この項では、日本の近代造船業発展の歴史とも重なる、神奈川における幕末から現在に至る造船の歴史をまず紹介。



1853年のペリー来航以降の日本の近代化の中で、徳川幕府は1853年に浦賀造船所を開設。横須賀に引き継がれ一時閉鎖。フランスの援助を受け1865年に横須賀製鉄所の建設に着手。フランスからは技術者ヴェルニー以下130名の派遣を受ける。後に明治政府に引き継がれる。製鉄所を名乗っているのは「まず鉄を作りその鉄で船を作る」ため。
浦賀造船所はその後民間造船所として浦賀ドックとなり艦船・商船の建造を行なうが2003年に工場集約で追浜に統合。閉鎖される
横浜市の雇用と所得の4割は横浜港、川崎市の所得の4割、雇用の2割が川崎港によるもの。一般に思われている以上に海事産業が重要な位置にある。神奈川県の造船業では艦艇の建造・改造・修理における出荷額は全国1位。
ジャパンマリンユナイテッドでは掃海艇のFRP製の大型船体製造技術は特筆的。
住友重機マリンエンジニアリングではアフラマックスタンカー(全長230m)の連続建造による極めて高い生産性が特徴。
三菱重工横浜製作所。みなとみらいの再開発で本牧に移転。新造船からは撤退し修繕専業に。クリスタルハーモニーの飛鳥2への改装。「ちきゅう」の定期点検・補修など
更に舶用工業(ディーゼルエンジンなど船に必要な機器類の製造など)でも神奈川県は全国16位。



海運造船のマーケットは世界単一市場であり常に世界との競合がある。1970年代には船は日本と欧州で建造されていたが、現在は東アジアの中国・韓国・日本に集中。海上輸送量の増加とともに造船需要も増加しているが、ブームとその反動の不況も大きい。海上運賃も変動幅は大きく例えばリーマンショック前後で10倍近くの変動がある。
中国では経済成長の減速により新興海運会社や造船会社の破綻なども起きている。
日本では元々設備投資を抑制してきたことやエコシップ開発などで影響は少ない。
船の解体はバングラディッシュなどに「船の墓場」があるが、労働環境・環境保全に問題があるヤードも多く、IMOの香港条約採択や具体的な対策を行なっている途中。

造船所(ドック)というと、その名の通り船を作る場所のイメージが強いですが、修理・改造が一大マーケットになっていること。また造船だけでなく、舶用工業。という切り口があることは勉強になりました。
新興国に負けない技術開発・環境や省エネ技術の発展が将来を握る鍵であることが述べられていました。よく「日本の技術は世界有数で・・」みたいな言説を耳にしますが、例えば最近の話題で、豪華客船の建造を手がけるものの火災事故などを起こし、巨額損出を出した三菱重工長崎造船所の問題などもあり、安閑としていられない状況であることも感じました。


11月26日第2時限「歴史的産業遺産としての保存船、海事博物館の役割」
この項は午後の桜木町の博物館見学のための移動時間も考慮して所定の85分を60分程度に短縮して実施。主に桜木町に保存されている初代の帆船日本丸の保存の現状についてを中心に解説。



同じ図面で建造された姉妹船で現在は富山県で保存されている初代海王丸は日本丸よりも現役だった期間が長く、後年に改修工事を行なっているため、日本丸の方がより竣工当初の姿を保っているとのこと。
日本丸は平水区域を航行する「生き船」として船舶安全法に則り国の承認を受けるための検査と修理が行なわれていること。生き船として維持しているのは、建築物(建物)として保存すると建物としての基準での防火基準や避難経路の整備などが必要となり、現在のように建造当時のままの姿で見学客を受け入れることが難しくなるとのこと。
1930年の竣工から今年で86年。最低でも100年、可能ならばそれ以上の保存を目指していることなど。

90年と99年に係留されているドッグの水を抜いて補修などを実施。また現役時代から腐食した外板は補修で交換しているものの、交換された部分は少なく建造当初そのままの部分が多いこと。建造の当時のリベット接合の姿を保つ為に交換の際は溶接でも飾り鋲などで外観を維持する必要がある。(現在の日本ではリベット接合技術がない)
なお船体に使用された鋼材はイギリスからの輸入によっていること(要求水準を満たす国産鋼の登場はもう少し後の時代)

2013年に水密隔壁の板厚を計測したところ設計上の板厚よりも厚い箇所もある。これは建造当初正確な板厚を計測することが難しく、設計よりも厚い板が使用されているため。一部に経年による腐食で板厚が不足している箇所があった。

生き船として維持していることから、横浜港内・東京湾内など外に出すこと(動態保存)は可能か?(支障している橋の撤去の実現性などは考えず船体強度等の面から)→現在は動かさない展示船前提での保守・検査となっているので、動かすとなればそれなりの補修工事は必要となる。日本丸動態化の要望は根強いとのこと。


他に神奈川県内の保存船として日本丸以外に、氷川丸・三笠・横浜新港埠頭の北朝鮮工作船があること。海事博物館としては、横浜みなと博物館と日本郵船歴史博物館があることが紹介されました。



よく物には寿命がある。といいますが、日本丸も例外ではなく1984年の現役引退から既に30年強。竣工からは85年強となり老朽化も進行する日本丸。「文化財としての価値」を残しながら保存することの難しさや、今後の課題がまとめられた講義でした。
この項はテキストの原稿が間に合わなかったようで、テキストには収録されていないのが残念です。


次回後編は3日目午後の日本丸・横浜みなと博物館見学に関して紹介します。

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2016/12/3 22:06(JST)

2016年11月放送大学面接授業「海事産業と神奈川」前編

November 30 [Wed], 2016, 1:52
11月19日〜26日にかけて開催された放送大学神奈川学習センターの面接授業
「海事産業と神奈川」を受講してきました。

放送大学の面接授業は1科目辺り85分×8回の設定なので、4時限×2日間の開催が多いですが、今回の講義は珍しい3日間開催。
1日目の11月19日土曜・2日目の20日日曜は1・2時限目のみ、3日目の26日土曜は1〜4時限。という構成です。3日間開催だとその分交通費がかかるものの、1日目と2日目は昼で終わるので余裕があるのは楽ですね。

今回の講義「海事産業と神奈川」の内容としては、海運・造船産業の変遷、東京湾の海上交通の安全確保、造船産業の変遷と事故事例や海洋環境保全を学ぶ。また海事博物館や保存船の意義に関して実地見学を通じて学ぶ。といったもの。

2016年1学期で受講した面接授業「港湾活動と社会発展」は港湾や国際物流などを扱った類似のテーマ。また同じく2016年1学期に受講した放送授業「海から見た産業と日本」も海事・港湾・国際物流がテーマ。今回の面接授業で港湾や海事について、前2者の内容を更に発展させ深く学ぶ。といった印象。
私は前2者の授業を受講していていわば予習していた形ですが、初見だとかなり難しいかも。という印象です。



講義のテーマとしては以下のとおり。(シラバス引用)

11月19日土曜日
第1回・海運における都市横浜の役割
第2回・東京湾の海上交通とその安全

11月20日日曜日
第3回・海難そして海洋環境の保全
第4回・造船と神奈川

11月26日土曜日
第5回・造船技術の色々:客船、LNG船、コンテナ船、海底掘削船
第6回・歴史的産業遺産、海事産業の現状と将来展望
第7回・海事博物館の意義について
第8回・保存船の意義について

講師は客員教授であり横浜国立大学名誉教授の角洋一氏。

3日目の午後(第7・8回)は実地授業として、「横浜みなと博物館(帆船日本丸記念財団)」で実施。シラバスには「日本郵船歴史博物館」でも行なうとありましたが今回は「日本郵船」の方の見学はありせんでした。
定員は20名ですが、4名程度追加募集の対象になったよう。

テキストは1日目の最初にレジュメのような形で配布。といっても、2組あわせてA4版で105枚程度とかなりの分量です。



11月19日第1時限「海運と港湾都市横浜の役割」
まず横浜港を中心として東京湾内各港の国際物流や産業構造の面から概説。
特徴的な外観のLNG船や地上設備も含めたLNG輸送システムについての紹介。
また東京湾内の安全確保と関連して、船舶の航行に関する国際基準である右側通行に準拠した「海上衝突予防法」と東京湾内のローカルルールとも言える「海上交通安全法」。海上保安庁による「東京湾海上交通センター」の紹介など。
更に港湾行政の課題や実情として、日本の港が韓国・中国といった新興国に較べ国際競争力が弱く苦戦していることなど。日本は地場貨物が主体なのに対し釜山・シンガポールなどはハブ&スポークによるトランスシップ(積替え)が主体であること。
海運そのものでは世界的に見るとグローバリゼーションの進展などで輸送量は年々増えていること。また中国の台頭や新パナマ運河開通などでコンテナ船の最大サイズもどんどん大きくなっていること。
更に海運そのものも問題として、便益置籍船の問題や船員教育・養成のあり方の問題など。現在外航船に関しては日本船社の船であっても日本人外航船員は激減しているのに対し、ほぼ全て日本人で構成される内航船員に関しては高齢化が顕著であること。国交省・文部科学省の縦割り構造で船員養成体系が複雑であることなど。

この項は私には前述した第1学期に受講した授業の復習となるような内容でした。


11月19日第2時限「東京湾の海上交通とその安全」
この項では海難事故と東京湾の安全に関してが主体。
全国港湾で扱う海上貨物の4割近くを扱う東京湾。日本の経済を支える動脈である東京湾口航路・浦賀水道は全国で最過密な航路であること。また海難事故の1次原因で最も多いのは衝突と座礁事故であること。
この項では海上安全と海洋汚染について、東京湾で過去発生した2事故「1974年11月の液化天然ガス運搬船・第十雄洋丸衝突事故」「1997年7月の原油タンカー・DiamondGrace号座礁事故」の2事故について紹介。

1975年の第十雄洋丸衝突事故では東京湾中央部過密地帯の中の瀬航路出口付近にて貨物船「パシフィックアレス号」と衝突して爆発炎上。「第十雄洋丸」は炎上しながら東京湾内を漂流。市街地に接近したため、誘発事故回避の為に東京湾外まで曳航するも更に大爆発が起こり曳航を断念。
最終的には海上自衛隊が出動して護衛艦・航空機・潜水艦による砲撃・爆撃や魚雷攻撃により、事故から20日後に沈没。幸いに積荷がLPGとナフサで揮発性が高く燃焼したことで漏洩油による環境汚染は免れたこと。
事故原因として、独自のルールが適用される中の瀬航路の出口付近でお互いが相手が回避すると思ったこと。両船間の意思疎通が不十分であったことなど。
この事故後の1976年に「海上災害防止センター」1977年に「海上交通安全センター」が設立され再発防止と事故後の対策強化が図られたとのこと。

1997年の大型原油タンカー「DiamondGrace号」座礁事故では、中の瀬西側航路を航行中に水深の浅い(17m・本船は喫水19.5m)中の瀬に近づきすぎて座礁。幸に海上保安庁等の迅速な対応と油回収船の活躍で積載26万トン中1000トン強の流出で抑えられ環境汚染が少なく済んだこと。建造後3年の新船であったため劣化が少なく「ナホトカ号折損沈没」のような大事故に至らなかったこと。
当時はシングルハルタンカーの時代だったが、現在のダブルハルタンカー(2重底)ならこのような事故でも油漏洩0であった可能性が高いこと。
この事故後2008年に中の瀬航路の浚渫がおこなわれ、喫水20m未満ならば中の瀬航路を航行できるようになり再発防止対策がとられたこと。

こういった事故の教訓で設立された「海上交通安全センター」「海上災害防止センター」の役割の紹介。今後の課題として事後対策のみではなく潜在的リスクに対処し事前に防ぐことが必要であること。

「第十雄洋丸衝突事故」に関しては、テキストの文章、紹介された事故当時の写真などを見るだけで生々しさが伝わってくるような壮絶な事故だと感じます。特に衝突相手のパシフィックアレス号は乗員29名中救助された生存者は1名(第十雄洋丸は39名中34名生存)というのも怖さを感じます。
安全確保対策、船の安全性は当時に較べて向上しているとはいえ、狭い海域に多くの船が輻輳している本質的な問題は解決していないどころか、船の巨大化が進みそれによる危険性の高まりなど決して「過去の事故」ではないことも感じます。


11月20日第1時限「船体折損100年の歴史」
この項では海難事故の中でも造船設計の観点から極めて重要な船体折損事故についての学習。衝突や座礁事故に較べれば発生件数こそ少ないものの、造船技術や船体構造技術展開の歴史に密接に関係している重要な事項であること。
まず現在のスティール+タービン・ディーゼル船の歴史は約100年であること。この中で、代表的・特徴的な船体折損事故を取り上げながら背景を探る形で講義が進みます。

最初に「ホギング」「サギング」といった折れ方の名称。座屈やスラミングといった用語など難しい言葉が出てきて、講義の内容も難しくなってきます。

☆1901年・英国駆逐艦コブラ号。造船所から母港への回航中の新造駆逐艦コブラ号が悪天に遭遇して折損沈没。
1935年日本の駆逐艦「初雪・夕霧」が大演習中に台風が来襲し艦首切断による事故
これらの事故は、高速駆逐艦の出現で船体軽量化の要求やワシントン軍縮条約からの「海軍休日」によりトン数が制約された中での過度の船体構造軽量化という時代背景があったこと。
英国では後年に同型駆逐艦を使用してドッグにて折損実験を行い原因究明が行なわれたものの、日本では後年(戦後)まで事故の調査研究がおこなわれなかった。また同型艦での事故の予兆を放置していたことなどを紹介

☆第2次大戦中の1943年米国で戦時標準船「スケネクタディー号」が造船所岸壁での儀装工事中に折損沈没。
従来のリベット接合に変わり全溶接工法が登場し造船技術のイノベーションが起るものの、まだ溶接技術の未熟さから折損事故に繋がる。

☆1980年バラ積み貨物船「尾道丸」の折損沈没
日本で初めて本格的な事故解析や学会での論文発表などがおこなわれる。60年代末からの日本の高度成長によるバラ積船などが登場。そして大型化が急ピッチで進んだことが背景

☆人為的ミスによるタンカーの折損
1980年7月に大型原油タンカーがロッテルダム港において積荷の揚貨中に折損。揚貨する際の重量計算・荷揚げ手順ミスでの折損。
私としては過去に読んだブライアンキャリスン著の小説「オイルタンカー炎上す」はこの事故をベースとしていて印象深いものの、授業では「極めて単純な人為的ミス、及び乗組員の資質の問題」と簡単に紹介。

☆上記に関連して1990年代にサブスタンダード船(保守管理が劣悪な船)による重大折損事故やタンカー折損で油流出事故が多発。これも船の構造設計問題というよりもメンテナンス問題
適切なメンテナンスが施されていれば防げる事故でありまた問題がある船は特定の国に集中しているとのこと。

☆コンテナ船の大型化。2013年6月MOLコンフォート号折損事故
全長316m・積載8100TEUの大型コンテナ船が折損沈没。ポストパナマックスなど船幅・船長が増大し大型化するコンテナ船だが、大型化の進展により新たな折損リスクを抱えていること。

折損後に安全な場所に曳航した上でコンテナ回収も目論むも及ばず曳航中に沈没して積荷は海の藻屑に。オイルタンカー事故の油回収技術は進んでいるものの、一般貨物船やコンテナ船の積荷による海洋汚染対策は今後の課題とも。

これらをまとめるとサブスタンダード船や人為的ミスを除くと、
「20世紀初頭の高速駆逐艦と軽量化→第2次大戦期の全溶接船と脆性破壊→専用船の登場と大型化→コンテナ船の大型化」
といったように新技術の導入や船の進化にあわせて、その時代時代で折損事故が発生している。船の進化の歴史は折損事故との戦いであることが分かりました。

特にMOLコンフォート号のような2010年代の最新鋭船で折損事故が起きたことは印象的です。昨今のテレビ番組等でも巨大豪華クルーズ船や巨大コンテナ船が紹介されますが、2010年代の現代においてもこういった船の巨大化の影に船体折損との戦いが潜んでいることを物語っているように感じます

船体折損事故の引き金に「悪天候下で・・」というのが多いですが、こういう場合、素人論議的に「悪天候下で船を出すのが悪い」「船長等の気象判断ミス」となりがちな感がします。日本では本格的な原因究明が1980年の尾道丸事故までなかったのはこういった背景があったのかな?という感もします。

私としては船体折損事故といえば、1954年の洞爺丸台風における第11青函丸沈没を思い出します。辛うじて沈没時の目撃証言はあるものの、生存者がいないために沈没に至る経緯は不明。沈没原因の究明も出来ず推測の域を出ないとか・・・。これも沈没の直接の原因である構造上の問題による船体折損が、洞爺丸他僚船の沈没の悲惨さと、台風の脅威の影に隠れてしまった?と改めて感じます。


ここで区切りとして次回に続きます。

中編に続く

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2016/11/30 1:52(JST)


「東横イン赤羽駅東口一番街」に泊まったよ

November 26 [Sat], 2016, 1:05
さて1ヶ月強前の10月22〜23日に赤羽の東横インに泊まってきました。
東京のホテルに泊まるのは珍しいですが・・・・、大学の講義で2日連続で朝から渋谷に行かないといけないので、手持ちの東横インの無料宿泊券を使ってしまおうかと・・。



この6〜7年前ぐらいにもらった東横インの無料宿泊券。有効期限は書いていないですが、紛失したり制度が変わって使えなくなっても勿体無いので、この機会に使おうかと・・
ネットオークションで売れば5000〜6000円ぐらいで売れるかもですが、それも面倒なので

今回泊まった赤羽の東横イン。台湾アイドル杜小比ちゃんも泊まったことがあるとか??

定価だと土曜・休前日はシングル税込み8424円。高い東京はホテル価格が高いと聞きますが、普段は税込み4000〜5000円台のホテルに泊まっている私にはもはや高級ホテルの域

2週間強前の10月初めに予約した時点で空室僅か。訪日外国人増とかで東京のホテル不足が深刻。というのは本当のようで・・・。



まずこちらが外観。東横インだけど「109」番ですね
「赤羽駅東口一番街」という名前ですが、最寄駅としては南北線の赤羽岩淵駅のすぐ近く。
JR赤羽駅からは徒歩10分弱といったところですね。



今回の部屋は5階513号室。5階は1フロアに15部屋でエレベーターは1基
非常階段に近いゴルゴ好み??な部屋です。

標準設計東横インなので普通?の構造ですかね??



自分の会員カードが部屋のルームキー(非接触式)になるタイプ。
このシステムは初めてだけど、控えておかないと自分の部屋番号がわからなくなりそう



高級ホテル並み・・とは言わなくても、なんだかんだ東横インは部屋のレベルが安定してますね。
セール価格ではなく普段から税込み4000円台で出しているホテルとはやはり違う??



空調は個別方式。

写真左端に写っている小テーブル付きのフロアライト。私の友人が家で欲しい。と探しているものの見つからないそうです。類似品など何処かで売っているのを知っているという方は、是非情報提供をお願いします。



バスルームはビジネスホテルとしては普通ですね

もちろんWi-Fiも完備
この赤羽東横インはロビーなどはSSID「toyoko-inn.com」ですが客室は「toyoko-inn0513」のように部屋ごとになっていました。(パスワードは客室のテレビ画面に表示)部屋ごとにSSID・パスワードが違うのはセキュリティが強化されていますね。



朝食は簡単なバイキング。東横イン朝食伝統??のおにぎりがありました。
3月に泊まった仙台の東横インは普通の白米で残念でしたが・・・、おにぎりだと美味しく感じますね
後の予定もあるので食べ過ぎるのもまずいので控えめに・・・。


ちなみに夜は21時30分にチェックインしてから食事に出かけることに。
フロントで聞いたら赤羽駅方面にお店が多い。との話ですが・・、行ってみるとビックり赤羽駅前は居酒屋などを初めとして夜のお店が立ち並ぶ一大歓楽街になっていました。居酒屋の他にキャバクラや風俗店のようなお店もあるようで・・・

その中の1軒手軽そうな「串かつでんがな」というチェーンの串かつ店に入ることに。



税込み850円ぐらいでドリンク1杯+串かつ5本のほろ酔いセット的なものを注文。
この他に追加注文して、全部で1600円ぐらい食べましたドリンク(お酒)は1杯だけ
どうも体力が落ちているのか、1杯飲むのがやっとなぐらいですね



350円ぐらいの塩モツ煮込みも頼んでみましたが、小皿で出てきて量が少ない・・。
自分で作るのと味を較べてみようと思ったものの、量が少なくてよく分からない今度、店で手作りしているところのモツ煮込みを食べてみたいですね。


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2016/11/26 1:05(JST)

平成28年11月23日の食事(御殿場駅前のランチ)

November 24 [Thu], 2016, 1:58
さて約1ヶ月ぶり?に食事シリーズです。
今回は11月23日水曜日の昼食。

御殿場に行ってたわけですが、御殿場駅前(富士山口)は閑散としていて、あまりお店もやってない状態。
寒い季節だからかもだけど閑散ぶりにちょっと驚くような・・。

駅前のホテル御殿場館のレストランに入ることにしました。

駅そばの「みくりやそば」も迷ったのですが座って食べれなそう。
寒かったので座ってゆっくりできるところがよかったので・・・。



サラダ・小鉢・ミニスープと付けあわせが3つもあるのが凄いですね。
量を重視する人には物足りないかもですが、カレーの方は「ホテルのカレー」といった感じの高級感のある味でした



折角のお得さなので+150円でミニサンデーも付けました

今回食べたカツカレーのランチは650円安くてお得
この内容で東京とか横浜だったら1000円超えてそう

日替わりパスタは750円。ローストビーフ丼は850円



このホテル御殿場館のレストラン、前に来た時は昼はランチバイキングだったような・・と思ったら、9月でランチバイキングは終了して今はランチメニューを出しているそうで・・・。
バイキングだったら気合を入れてこないと・・なので、今回はランチメニューでよかったですね

ちなみにクレジットカードOKでした。ありがたいです



御殿場駅前のセブンイレブンで静岡県限定nanacoを300円で買いました。
購入時に申込書に住所・氏名・生年月日を書く形だったので、友人の分などを一緒に買う際には要注意ですね。
ちなみに在庫はあまり多くなさそうな話。



食後に御殿場アウトレットに行ったわけですが・・・、御殿場駅からのシャトルバス、渋滞対策で裏道を駆使しまくった経路でアウトレットに。大型バス1台が通るのがやっとの道を通ったりと。

アウトレット周辺の裏道は駐車場シャトルバスも走り回っているので、近隣で車を運転する際は下手に抜け道に裏道に入ったらバスと対面してすれ違いに難儀しそう。
往復ともにシャトルバスは渋滞にはまることなくスムーズでしたが、下手に対向車とかちあってしまうとすれ違いに時間を取られて遅れるかもなので注意ですね

ちなみにアウトレットの方は特に収穫はなし・・・寒い上に混んでてカフェとかにもなかなか入れないし。行くなら平日の方が良さそうですね


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2016/11/24 1:58(JST)

海老名市温故館(海老名ノスタルジア)と海老名市の発展

November 18 [Fri], 2016, 0:23
さて11月16日水曜日、海老名市温故館という展示館に行ってきました。
企画展を開催しているという話を聞きつけて行ってみることに。

海老名駅からビナウォークの終端部に向かい更にその先。坂道で丘陵地に上りといった感じで、海老名駅から徒歩15分弱ぐらいで到着です。



印象的な広々した相模国分寺跡地。この相模国分寺跡地と道路を挟んだ向かいにあるのが海老名市温故館。

住所としては「海老名市国分南1丁目6番36号」
年末年始休み、開館時間は9時〜17時15分



この温故館の建物は大正時代に建てられた海老名村役場の建物。
その後、1982年から郷土資料館として利用されたものの老朽化と耐震補強の為に2006年に閉館。2011年に現在の場所に耐震補強とリノベーションを行ない移築。といった流れのようで。
また相模国分寺など郷土資料の収集・展示などは大正時代から展示場所の移転を繰り返しながら行なわれているそうです。

実のところ海老名にこういう展示館があるというのは今回まで全く知らなかった・・・



現在は「海老名ノスタルジア」という企画展が開催されています。(10月25日〜12月25日)
実のところ、この写真のような昭和の時代の貴重な海老名駅などの写真が見れるものだと思って今回来たのですが、写真展示はこれ以外には+α程度。
期待は裏切られたとはいえ色々収穫があったので行ってよかったですが・・・。

1階は歴史展示コーナー。
古代から近世までの海老名の歴史資料、発掘調査の出土品が展示されています
海老名の地は有力な豪族が収めていたことが推察される要衝であったそうで、歴史上では重要な発見が数多くされているよう。



秋葉山古墳群。3世紀後半から4世紀にかけての
3世紀と言えば、中国では三国志時代。日本が魏志倭人伝に登場し卑弥呼が活躍していたといわれる時代。

他にもう少し前の縄文・弥生時代の土器など出土品も展示されています。海老名の地は丘陵地の高台の上に位置し当時住みやすい場所だったようで・・・。



こちらは奈良時代に聖武天皇の詔で全国に建立された国分寺の1つ。相模国分寺の100分の1の模型
法隆寺形伽藍を擁しかなり大きなものだったようで、温故館の前の広い公園のようになっているところが跡地。

ビナウォークの中庭(海老名中央公園)に相模国分寺の七重の塔の1/2に復元したものが建っていますが、とても1/2とは思えない、奈良時代の建物とは思えないような大きさです。

国分寺の瓦は町田方面の他に松田。また三浦など相模の国各地から調達されたよう。まだ瓦が珍しかったこの時代、瓦が造れる。というのが地方豪族の力の一つでもあったよう。



これは相模国分寺の発掘調査で発見されたという金銅製水煙。これはなかなかの貴重品だそう。

他に少し離れた相鉄線の北側に国分尼寺跡地があって、前述の秋葉山古墳群、国分寺、国分尼寺の3つは国指定の史跡となっているそう。


さて2階に上がり



2階は明治から昭和の高度成長期の頃までの、農業が海老名の主な産業だった時代の生活が偲ばれる展示がされています。



今回の「海老名ノスタルジア」の目玉??
1956年(昭和31年)に海老名町の農家で収録された教育映画「おかあさんのしごと」の上映が1日2回行なわれています。(10時30分と14時)
冬のある日の農家のお母さんの一日の仕事を追った30分の映像から、昭和30年代前半の農家の暮らしが描かれています。



この当時、まだ照明電球以外の家電製品も上水道もない生活。井戸水とかまどの火で料理を作り、昼は冬場ながら農作業で縄を編んだり・・また庭では牛を飼いといった戦前の時代とさして変わらないような「となりのトトロ」の時代の生活。



展示資料から登場した農家は10年前後の後に取り壊されたことが推測されます。この一家はその後も農家を続けたのか、それとも勤め人に転職したのかそこはわかりませんが、高度経済成長の前の時代の海老名の生活を知る貴重な映像資料でした。

この映像1日2回しか上映されないのは残念。訪問者もそう多くなさそうなので、観覧希望者がいれば毎時00分から上映。みたいな形にすればいいのに。と思います。私が見た14時の回も私ともう1人だけ。といった状態で・・・
私は偶然に13時40分ぐらいに温故館に着いたので偶然見れたような。


さて海老名は高度経済成長の時代に入り変貌を遂げていきます。



1980(昭和55)年の海老名の航空写真
この時代、ビナウォークは当然ながらダイエーや現イオンなどの姿もなく、海老名駅前はロータリーや駅前広場あるだけ。駅周辺は旧海老名市役所以外は広大な駐車場が広がっているような、とてもターミナル駅の駅前とは思えない閑散とした状態なのが見てとれます。

住宅地はこの温故館や国分寺跡地がある丘陵地の下〜丘陵地上。または厚木駅周辺。更に郊外の国分寺台方面に広がっていったよう。
写真中央右辺り(わかりづらいですが)には高度経済成長以降の時代に開発された新興住宅地が広がっているのがわかります。駅前の閑散ぶりとは対照的に駅から離れた場所では既に住宅・団地開発がだいぶ進んでいたこともわかります。

この後、市役所は現在の場所に移転(旧市役所はオークラフロンティアホテルの場所)。ダイエーや現イオン(旧ニチイ・ジャスコ)のオープン。1987年の相模線のJR海老名駅開業。などを経て少しずつ今の海老名駅前が形作られ、2002年のビナウォークオープンで現在の姿になります。

海老名の駅前周辺は町田・相模大野・本厚木といった、自然発生的に作られてきた周辺のターミナル駅とは異なり、明らかに人工的に計画的に作り上げたかのような、シンガポールや香港の郊外の住宅地区を思わせるような街になっています。


一方で遅咲きの海老名の駅前開発に反して、海老名市の市制が施行されたのは1971年(昭和46年)。海老名駅周辺の開発の進展を考えると早すぎるともいえる時期の市制施行です。
これはまさに海老名が郊外の住宅開発からはじまり、最後に駅前周辺を開発した海老名の街の歴史を物語っているといえるでしょう。

温故館の係員の方の話では市制が施行された頃の時代、国分寺台など郊外の団地開発などが進み人口が急増。学校の開校も相次ぎ各地から先生が集められたそう。
「横浜から30分。新宿から50分」といった文句に期待を膨らませて着任した先生は、海老名駅前の閑散ぶりに驚き、特に地方から来た若い女性の先生の中には、想像に絶する田舎ぶりに落胆に泣き出してしまう人もいたとか・・。

戦後の海老名の都市開発は、高度経済成長直前の「おかあさんのしごと」の時代→郊外の宅地開発が進み人口急増し市制施行→海老名駅周辺に開発の兆候が見られた昭和末期〜平成初め→ビナウォーク開業(2002)→ららぽーと開業(2016)と海老名駅西口開発への着手と段階を経て今に至る流れを整理できました。


といったところで、小規模ながら海老名の歴史に触れることが出来た「海老名市温故館」訪問でした。
急激な人口増加、宅地開発には、通勤先となるべく市内・周辺の企業・工場進出もセットにあったはず。そちらに関しては展示では触れられていませんでしたが、こちらは今後も調査課題といったところですね。

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2016/11/18 00:23(JST)

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