誕生日過ぎちゃった。 

2006年10月17日(火) 10時57分

気付いたら誕生日過ぎてました・・・
こんにちは、二十歳になったきよです。



二十歳になって何が変わったといっても・・・
特には変わらなかった気がします。
あえて言うなら、ちょっとだけ以前より落ち着いた事。
呼吸がゆっくりになったかも(笑)

でも
受動的な変化を求めても、あまり変わりませんよね。
変わりたければ、変わりたいと強く思うのであれば
どこまでも能動的でなくては。

『成せば成る、成さねば成らぬ何事も。』

亡くなった祖母が好きだった言葉です。
最近、よく思い出します。
有言実行、ファイト一発。オッス。

必然的に変化するものは、時が経てば嫌でも変わります。
焦ることはないんですよね。


変化を求めるのも大切だけど
もっと今の自分を大切にしていきたいとも思う。
そんなこんなで、誕生日に立てた目標は


「幸せになろうと努力しよう。・・・そして、幸せになろう」


です。うわ、恥ずかしい・・・

でも、待ってたって来ないもんは来ないんです。
ちゃんと迎えにいかなきゃね。気付いてあげなきゃね。


それこそ、亀並みの歩みでしょうが・・・

色々なものを拾いながら過ごして生きたいです。

こんな。 

2006年09月26日(火) 10時04分


「自分のやりたい事を、大きく捉えて細かく分析してみな」

「会社のために仕事をしているのではなくて
会社がお客さまのためになる事をしていると信じて、働いているんだよ」



・・・ああ、そうか。
最近言われて、気付いた事。

なんだか、ずっしり重かった。




忘れたくないから、書き留めておこうと思う。


私と身体。 

2006年09月26日(火) 9時49分

ああ・・・もうあと少しで二十歳になってしまう。
でも、きっと実感なんか湧かない。

十代でも、二十代でも、私は私だ。
きっと死ぬまで変わらない。






生理的欲求と、精神的欲求を考えた時。
私と身体は、別々の物になる。



例えば、バイトから疲れて帰ってくる。

眠たい。
身体はとても疲れて眠たい。

でも

ゲームもしたい。
一日忙しくて、最近出来なかったゲームがやりたい。


両方は、取れない。
生理的欲求を取るか、精神的欲求を取るか。
私はよく悩んだ。(今は前者をとるようになった)

お馬鹿な悩みかも知れないが、心を満足させるか
身体を満足させるか・・・私にとっては切実な悩みだった。


意識が、身体を支配する。

「身体」という、入れ物と
「私」という中身。


どちらも大切で。
切り離せないから、きっとこんなに悩むんだろうな。




さち。 

2006年08月08日(火) 16時32分

『幸せがずっと続くように、いっぱい貯めなきゃね。』


昨日の会話。


『自分が幸せじゃなきゃ』と言う
その人は、いつも穏やかな顔。


『以外に身近に、幸せってあるかもよ〜。
美味しいもの食べたりとかね。』

・・・確かに、美味しいものに目が無い私にも言える。



以外に身近にある幸せ・・・



例えば


こうやってBlog書いてたり

ふらふら〜とお買い物に出たり

仕事してたり


考えていたら、色々出てきた。
寧ろ、生活がまるっと幸せ。
胡散臭いと、思われるかも知れないけど。


不幸ですか?

と言われるとそうじゃないし

幸せですか?

と言われるとよく分からない。


別に、白黒つけなきゃいけないわけじゃない。


ただ、改めて

「あなたの幸せは何ですか?」
「あなたは今、幸せですか?」



と言われると、答えられない。
そんな自分が、もどかしかった。

だから、ちょっと考えた。
そしたら、全部が幸せに思えちゃったんだ。


あ〜
何か自分、幸せボケしてるのかも。
だから、「何が幸せ?」と聞かれると
答えられないのかな?


おめでたい人だね、私は(笑)




二人の私。 

2006年08月05日(土) 22時01分

最近、性格診断(いわゆる、パーソナルテスト)
を受ける事が多々あった。

それは就職活動のエントリーに必要だったり
学校の授業の中で行ったりしたものだ。

選択肢に対して、○、△、×で答えていくのだが・・・

答えている内に、よく分からなくなってきた。
何がって、自分が。
自分を知るためのテストで、自分が分からなくなるってどうなんだ、
と思ったけれど、自分に問いかけて
自分とゆっくり向き合ったから、余計分からなくなってきたのかも知れない。

自分の器の中に、相反する私がいる。

分かったのは、これだけ。
しかも、これも感覚でしかない。
だって「私の中に二人の私がいます」
なんて言ったって、証明できるものなんかない。

人の、オモテとウラ

とかじゃなくて、もっと違う、別のもの。
うーん・・・上手く言えないけど。


例えば、「物事は率先してやるほうだ」
という選択肢。

学校での私は、どちらかといえば消極的。
行事にでも、何にでも。
人任せで、流れにのるタイプ。

でも、アルバイト先での私は違う。
ガンガン積極的に取り組んでいく。
仕事が無くなったら、探す。

興味がある、ないの問題ではなくて。

本当に、ガラリと人が変わってしまう。
勿論、興味、環境、人、などなど・・・
外からの影響も多分にあると思う。


好き、嫌いがはっきりしているだけなのかな・・・

どちらも、本当の自分。


だったら、自分は子どもだ。
好き嫌いがはっきり出てしまうのだから。
いくら自分が「好き」「嫌い」で人格が変わるわけじゃない
と思っていても、実は思い込みかも知れない。

二重人格、とまでは言わないけれど
怖いくらい違うな・・・


場によって、色々な自分を見せている・・・?



苦しい、 

2006年07月02日(日) 0時27分

気ばかり焦る。

まだ、私は親とどう向き合っていいか分からない。



心の何処かを閉ざしている。
心から尊敬できない。
反抗、拒絶・・・



感謝しなくちゃ。
心を、開いて・・・



頭では、理解できる。
・・・でも、きっと心から感謝できていない。


そう思う時点で、だめなんじゃないか?


考えて感謝しちゃいけない。

きっと、実感として
ああ・・・有り難かった、と
心から感謝する事ができる・・・ものなのだろう。



疑って

疑って


・・・自分の気持ちを信じることが出来たら


それは、奇跡?



違う。




偶然じゃなくて、必然で。
無駄な事は、何一つなくて。




でも、実感がなくて
苦しくて


時が来れば分かる、と言う。
でも、まだ時が来ない。


「答え」だけ分かっても
「実感」がなくて


もどかしくて
もどかしくて

苦しい、、








・・・ごめんなさい、

何か混乱してる。


ここにあるもの。 

2006年05月28日(日) 22時05分


家の裏にある、父方の祖父母の家が
明日、正式に売却されるそうです。
売却後は、取り壊して賃貸になるとか。

家が自営だったことから
幼い頃は、殆ど祖父母の家で生活していました。
今住んでいる家には、寝に帰っているようなもの。
お風呂もご飯も、祖父母に面倒を見てもらっていました。

大きくなり、祖父母の家で生活することも無くなって。
祖母は三年前に、祖父は一年前に旅立ち
裏の家から、人の気配が消えました。


あんなに、慣れ親しんだ場所なのに。

ひんやりと、つめたくて。


変な気持ちでした。
よく知っている筈なのに、全く知らない場所になったのです。

裏の家の、父の兄への相続が決まってから
「他人のもの」という意識が強くなり。
売却が決まっても、悲しいとさえ思わなかった。


自分自身を、疑いかけました。

ああ、なんて冷たい人間なんだ・・・と。




・・・でも、違いました。




ちゃんと、自分の中に在り続けています。
『この場所』が。

例え他人の物になろうと、取り壊されようと
私達と祖父母・・・うんん。
家族皆が、この場所に集って過ごした時間
そこにあったものは、全部全部
私の中で存在し続けている・・・

自分が、生きている限り。
自分が、忘れない限り。


人もまた然り。
たまに妹が「おばあちゃんがいてくれたら・・・」
と、言うことがあります。(おばあちゃんこだった)
確かに、本人はいません。
でも、ちゃんと妹の中に生き続けているのです。
同じように、私の中にも・・・。


『ここにあるもの。』



えがお。 

2006年05月24日(水) 22時03分

「いい笑顔だね」

「いつも元気がいいね」



お客さまから、こんなお言葉を頂く事があります。

いや、えっと・・・

別に、自慢がしたいわけじゃないんです;





ある時、ふと思ったのですよ。

環境が
今の私の笑顔を作ったのではないか、と。


家は自営です。そこそこの収入があって・・・
贅沢はしませんが、物質的には
十分に恵まれた環境でした。


でも、それだけではなくて。


周囲を取り巻く人の愛情だったり、
優しさに恵まれていたんだな、と思いました。


勿論、プラスの感情ばかりではありません。
自分の周りの人も、私自身も
醜い感情を沢山持っているわけです。
嫉妬したり、憎んだり、我侭だったり・・・


でも、それは
人が人らしくあるがため。


その中で向けられた、愛情だったり
優しさだったり。


そんなものの中で、培われてきたもの
・・・なのかな。


何故か・・・という根拠は、ないのだけれど。





ふと、そう思った。
ただ、それだけ。



経験。 

2006年05月06日(土) 22時51分


私の友人は、年上が多いです。
私は、小説やエッセイをよく読みます。



・・・何が言いたいのか。



つまり、ちょっとだけ
生き道のカンニングをしている訳なのです。


私より長く生きた友人から、色々な話を聞いて。
私より長く生きた作家から、色々な考え方を学んで。


分かったような・・・気になっているのです。


「理解」は出来ているのだと、思います。
ああ・・・こんな経験をすると、物の見方が変わっていく
こんな経験には、こんな感じ方がある
そこから、こんな事が分かった・・・などなど。

勿論、人それぞれ
経験も違えば、感じ方も違う。捉え方や、得るものも違うと思います。



・・・誰一人として、同じ道を歩む事は、ない。



ですが、そこで持ち前の「感受性」が出てしまうのです。
「聞いた話」「読んだ話」に、感情移入をしてしまう。
実際、聞いていて、読んでいて、苦しくなった事は数知れず・・・


でも
実際に自分が経験している訳では、ないのです。


それが、もどかしくて・・・

頭では「理解」しているのに「経験」としてないから
「自分のもの」にならない。

勿論、当事者と同じ経験をしたところで、同じ物が得られるとは限りませんが・・・



「読んで、聞いて理解したもの」を人に伝える時
どうしても、自分の言葉に、重みが感じられないのです・・・



これほど、己の若さを恨めしく思った事はありません。

一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一月が過ぎ一年が過ぎる・・・
嫌でも過ぎていく時間。


その中で、経験なんていうものは
当り前のように、数限りなく、できるものなのだろうけれど・・・


もどかしく思う分
生き急いでしまっているのかも、知れません・・・。




今は。


たくさん寄り道をして
ゆっくりと、歩いていきたい。




おとな。 

2006年04月26日(水) 22時21分


我慢することが

大人ということ?




違うな・・・



建て前 と 本音

使い分けられる人を、大人というのか。











TPOと、いうことだと思う。







いくら疲れても

嫌な事があっても

仕事中は、何とかやってる。



終わったら


美味しいものを食べて

飲んで

笑って






「やってらんない」

とか言いながら


お酒飲んで、どうしようもないことを喋って



「やめてやる〜」

とか言いながら


でも、食うに困るから仕方なく働いて





楽しくて

辛くて





でも

「こんなもんよね」



って割り切って生きていける。
その中に、楽しみを見出していける・・・



そういうのが、大人なのかな。













・・・私は、大人になれるかな。

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