凡人が風邪をひきながら一日400通メールをさばきつつ、5つの仕事を同時進行すると深夜にどうなるか 

December 07 [Fri], 2007, 1:26
ひっぱりひとやすみ。

いやもう仕事おわんね。
風邪なおんね。

イベントあって
もりあがって

でも、昨日の続きを書くには
俺のテンション 既にオカンムリだわ (意味なし)


イエー!メーン!いいぜメーン!

以上、
午前1時半になっても帰れないサラリーマンの
テンションってヤツを、オフィスからダイジェストでお送りいたしました。

見さらせ、俺の生き様。

ある帰国子女の成れの果て その2 関西編 

December 06 [Thu], 2007, 1:24
こういうところにグチを書くのはよくないと、そう思いながらも今、ひっじょーに職場の人間関係で悩んでます。激務は続くし、さよならはいわれるし、体調はもどらねえ、精神的に追い込まれるは、、、、たのすぃーーー!!!自殺願望もそこそこあるくせにそれを抱えていくほどの強さもないので、ずるずると日々は続くわけです。寝てないせいだな、これ。

関西編が始まります。
もう手持ちの鞄だけで、とにかく逃げるように東京から離れたはいいが、本当に苦労しました。やっぱりほとんど外国って言ってもいいんじゃないかなとか思ったり。経歴だけが派手になっていくので、まあ良くも悪くも目だってしまって、いじられまくりだったw
文系なのにハイテクデバイスの商品企画に配属されたんですが、いきなり最初から技術者と一緒に技術研修だったり、工場に立たされたり、量販店でハッピ着させられたり、畳の真ん中が陥没しているようなボロボロの寮に入れられたり、とそれなりの新入社員らしい王道の苦労はしつつも、全部必死でした。異様に。もう悲観するとかそんな暇なく。あたりまえだけど、同期はほとんど関西出身でって感じだったけど、俺はもう故郷すらすててきて、バクチはってましたから。

俺の生きる道はここしかねえ、と。ここでもう一度スタートをきるんだと。

今考えたら、ほんと力抜くときは抜いとけって感じですよね。そもそもこのパターンの繰り返しの人生なんだから、いい加減学べよって。
そういった意味では、寂しさもあったけど、もう一度自分の居場所をつくっていくのは楽しかった。とはいえ、あんまり同期とも親しくはできなかったですね。やっぱり僕はアクが強いせいだったのか、それとも一人ストイックに浸ってたのか、経歴が派手なことに周囲がひいてたのか、関東人だったからか、知りませんが。
んー・・・やっぱテンションもふくめ、仕事に対する考えとか、夢とか、同じ目線で話せる人ってそんなに、いなかったんだと思います。関西の方は寂しがりやで、オープンなようでクローズドなコミュニティを形成したがる傾向にあるので、その辺にもついていけなかったのかもしれない。俺、結構一人で買い物とかじゃないとダメなんで。

でも、ほんといいところもありましたよ。たくさんたくさん元気付けてもらったし、暖かいご支援を本当にもらったし。家族ですよね。そういった意味じゃ。面倒見がいいっていうところに本当に助けられたし、今でも心から感謝してます。
たくさん怒られて怖かったですなあ。「オドレ!」って初めてきいたし。
でも弱音は絶対吐かなかった。吐けなかったし。やっぱり経歴が派手なぶん、これくらいやれて当然だろ、みたいな扱いもあって。でもそれでいいわい、と。出る杭になってもいいからもっとがんばったる、と。

1年半で長期の海外出張にも行かせてもらったし。ものづくりってのを叩き込めたし。苦労もたくさんしたけど、今あるのはこのときのお陰だと思います。まあ、仕事の内容的には言われたことをこなす、処理する速度をあげるっていうことを求めてたんで、あんまりほめられたモンじゃないですが。給料は少なかったけどね。でも、たくさん仕事を覚えてやれてるぜ、みたいな自負は少しずつ自信になっていったんだと思います。

そんなこんなであっという間に時が過ぎ、入社して3年目のことでしょうか。歳にして26歳だったけな。自分にとって今のところ人生最悪の事態を迎えることになります。

それは、工場で商談中に母からの電話で知った、親父の危篤の知らせでした。

ある帰国子女の成れの果て その1 

December 04 [Tue], 2007, 0:21
今日はちょっといろいろあって体調が悪いです。マイレージでゲッツした安眠枕が恋人です。いやほんと寒い。

さて、一生懸命頑張ってきたことが否定されちゃったわけですが、時は一大エヴァブーム。俺のどん底具合もそりゃあ半端ないものがあった。いやもう本当、真剣にこれまで生きてきたこと、生きていこうとすること、すごく考えた、いや、考え直さざるを得なかった時期だったと思う。わき目もふらず、自分の自信の根底となるべきオリジナルを追い求めて、音楽も勉強も頑張ってきたわけで、そこから昇華した考えの上でベストの選択、一番自分らしい選択をあっさりと否定されちゃったわけですから。
いや、彼女に振られただけじゃ、こんだけ落ち込まなかった。悪いことは重なるっていうけど、自分の選んだ会社について、両親が居間で話してる会話とかも聞いちゃいまして、忘れもしない、親父が一言「残念だけど、三流の会社だな」って言ったのが聞こえてしまってw クラスの友達もさ、急に安心したように「都落ちじゃんそれって」って言われたしね。どこか安心した顔をしやがるわけですよ、ああこいつは脱落した、みたいなw

それまで自分自身で納得いってれば、例え総スカンくらったとしても俺でいられることに意味があるって考えて、自分の志みたいなものを大切にしてたつもりだったけど、でも実際のトコ、それを一番わかってくれてると思ってた、家族からも、友達からも、正直ベースでそういう評価しか、理解しかもらってなかったのかと思うと、自分の志の説明もする気にもならなかった。できなかったと言うべきでしょうか。

だから、急速にバンドや音楽に対する気持ちってのも追い込まれてしまったのです。今の自分、これまでの自分、全て要は泣き虫ソングであって、駄々っ子がわかってくれよと地団太踏んでただけちゃうか、なんて、あれだけ好きだったのに自虐的に辛くなってしまって。人のせいにするわけでは決してなかったけど、周囲がわかってくれてるんだって、突っ張ってるつもりでも、どこか甘く期待してた自分に自己嫌悪の嵐。
そこでエヴァの洗礼もドッカと浴びたから、負のスパイラルもええとこな状況に日に日になってしまった。もうサッサとバンドも解散。これは今でも我ながら迷惑をかけたと思ってます。もうあまりバンドのことは語りたくはないのですけど、ね。

10代の頃に見つけた自分なりのカッコよくあろうという信念や方法論に、今考えればもっとストイックにできただろうけど、自分なりに壁にぶちあたったというか、限界を悟ってしまったというか。「もっともっと!」って精神状態から「なんか他にないのか」って状態に完全に心が移ってしまいました。卒業まで、半年あまりあったんですが、結局、自分が新たに頑張れる環境で、信念に基づいて選んだ自分の選んだ会社で、今度こそ誰でもわかる結果だしてやるって、そういう考えにおちついたんです。

だから、親も友達も彼女も全部見返したかったし、環境もそれこそ根本的にとっかえたかった気持ちがすごく大きくなった。そういった意味で、会社に入って、出世したるぞと野心を人一倍もって、俺は関西に住むことを希望したんです。もう全部捨てて、新しい環境でリーマンとして自分の選択は間違ってなかったってことを証明してやろうと、そう誓って飛び出しました。

今でも、そのとき誓った思いを実現すべく日々、精進しているわけです。


オリジナル渇望期 その2 

December 02 [Sun], 2007, 4:36
急に冷え込みました。もう12月ってのがまったくもって信じられない。
『マクロス ザ ムービー』を小学生以来に見てみたんですが、あれ今みたらとんでもなく名作な気がしました。よいものって、何年経ってもいいものなのね。
ちなみに自分はハヤセ中佐派ですけど、でも実のとこ、ミンメイのような女の子に相当甘いとよく言われますけど、なにか?

バンド活動については、もはや若気の至りの最たるものなので、できる限り割愛。よく音源とか頂戴って言われるけど、いやほら昔はHPで公開してたけど、もうどこにやったのやら・・・。あまりモノの思い出って無頓着なんですよ。気持ちの思い出はいまでもひきずってたりするくせにねw
ほんとヘタクソだったけど、できる限りの時間を費やしたんですよね。メンバー集めて、曲書いて、練習して、ライブして、イベント考えて、ビラ配って。見返してやりたい、かっこつけたい、もてたい、、、そのへんのありとあらゆる青年の欲望が全てつまってたと思います。一度全部捨て去って、自分がつくりあげてるってことが何より自信になったし。こんな僕の書いた曲に賛同してくれる、大事な大事なファンの皆さんもいましたし。ちょうどバンド関連が盛り上がってたころでもあったんで、なんというかひとつの流れにおいて、自分も光をちょびっとだけ瞬かせることができたというか。

それにしてもこの頃、本当に金がなかった。そのへんのチェーン居酒屋にいっても「モスコミュール2杯まで」ルールがあったし。好きなものを好きなだけ頼みたいってほんとそころは思ったもんですよ。貧乏でしたよー、充実してたけど。服なんてとてもじゃないけど買えないし・・・・。喰うものにも困ってたくらいですから。親には援助を一切言わなかったしね、当たり前だけど。

青春って言葉にまとめちゃうのはなんか、つまらないもんですが、活動停止してから10年くらい経つけど、まだバンドのメンバとは飲んだりしてますよ。みんないいおっさんになっちゃってますがw

そうやって必死にやってたら何のご縁か、もう一度、振られた彼女とお付き合いすることができたのですよ。これは、周りが猛反対したんだけど、俺としてはやっぱりずっと好きだったんで、、、、、どこかやっぱり人に期待してたというか、自分も成長したように彼女もしたのかと、、、ほんと甘いんですけど、そう考えていたんですよね。それに、やっぱり男としては、どうだと、言いたいじゃないですか。

そんな感じで再び付き合うことになったんですが、やっぱりまた1年くらいで破局ということになりました。

もうどっちが悪いというレベルのわかれ方じゃなかったですね。前回とはヘビーさが違かった。社会っていう大きな壁に負けちゃって。当時は相当に景気が悪かったってのもあったんですが、俺もバンドでメシくうのか、リーマンになるのか、それなりに悩んでしまったのですよ。とりあえず、バンド活動は休止して就職活動はやってみようかと。そう思って就職活動にのぞんだわけです。
僕はおかげさまで順調に内定もらえたんですよね。でも彼女は相当苦戦してて、まあ、そのへんからすれ違いみたいなものは感じてたのですが、前回と違うぞ、と。俺は今回は大きく成長したんだから、彼女を助けなきゃって、一緒に履歴書書いたり、志望動機考えたりして、お互いこの苦しい時期をのりきろうと思ってたんですよ。
でもね、甘かった。そんなことを考えていたのは俺だけだったという事実をつきつけられちゃったんですよね。
そのとき、ちょうど僕はメーカーで仕事がしたくて、やっぱり海外で暮らしてた自分に日本人だという誇りとアイデンティティをくれたのは日本製品たちだったってこともあって
カタチあるものがいいじゃねえかと。そう思って、商社や銀行やらを辞退させてもらったんですよ。やりがいを、青臭いながらもとったと。それが俺だなと思ったし。
けどね、そのことを彼女に伝えたら、顔色が変わってね、こういわれちゃったのですよ。

「私は帰国子女のあなたとつきあってたのに、商社マンだったら結婚も考えたけどメーカーじゃ、わかれましょう」って。
ドラマじゃねえかって一瞬思ったし、こんなことを書くのも恥さらし以外の何者でもないんだけどさ、社会人としての俺はここから始まったようなもんなんで書きます。
まじで言われたんですよ。

いままでの捨て去るってのは、、オリジナルな自分ってのは所詮自己満足であったことを痛烈に思い知らされたと同時に、それでは自分のほしいものは何一つ手に入らないと、現実を突きつけられるはじまりでした。

オリジナル渇望期 その1 

November 27 [Tue], 2007, 23:23
今日も出張です。今月だけで移動距離は大分いったなあ。今日も今日とて移動中に仕事をこなしているわけですが、常磐線は超揺れて若干ノックアウトされました。いやほんと頼むから企画書をオフィスでつくらせてほしい・・・・・。

さて、続きです。
あれほど情熱を持っていたバンド活動も、彼女ができるとアッサリ停止してしまった日々が続いてた大学1年の頃。忘れてしまうくらい、多分幸せだったんだと思います。前にも書いたけど、当時の僕は一番、純粋に人を信じていて、期待していた時期だったから。いいわけはあまりすきじゃないけど、それはきっと海外生活のなかで色々とヘビーなことに出会ってきて、友達もなかなかできないまま、自分の信念とか価値観とかを抱えて暮らしてきたなかで、帰国してバンド仲間や、バイト仲間をはじめとして自分を受け入れてくれる場所があったってどこか勘違いしちゃってて。それはそれで、よかったんでしょうけど、やっぱり帰国子女だってことでチヤホヤされてしまったことに、嫌だなってわかってたにも関わらず迎合しちゃってたのかもしれない。

なるように進んでしまった人生って、一度はまると怖いなってそのときの反省から今でも思いますもん。流されるなら流されるで、わかって流されるなら潔いですけどね。
話をもとに戻すけど、ほんと恋愛感情って初めて持ったんですよ。くさい言い方ですが、安堵感というか、本当に透明な感情だったと思う。愛こそすべて、ってわけじゃないけど彼女が当時の俺にとって全てでしたよ。だから俺も彼女に過剰な期待をしてしまったんだと思うのですよね、ありがちだけど、勝手な理想像を押し付けちゃってたんだと。俺は俺で彼女の注意をひくために一生懸命、夢語っちゃったりして。

そんな愛していた彼女と付き合って一年近く経った頃でしょうか、別れは彼女の浮気という最悪のかたちで訪れました。結構、彼女の発言は衝撃的で「あなたの気持ちは重いの」って言われちゃいました。当時は本当にわからなかったなあ。真剣に人を愛しているこの気持ちの何が悪いんだって逆に腹を立ててたし、俺。
周囲の男は浮気なんてしといて説教たれるなんて最悪な女だから気にスンナって言ってもらってたけど、実は俺の気持ちはそうじゃなかったです。気づいたんですよ。自分がいつの間にか、曲がっちゃってたことに。
まあ、男としちゃ、完全に完敗ですよね、寝取られるって。あげくこれまでの気持ちを全否定されちゃって、こんだけ惨めな思いさせられてるのに、俺はその浮気相手に何一つ勝てるものがなかった。英語しゃべれるだけ、なんて上っ面なとこでしか勝てなかった。相手は、2コ上の三年だったんですが、体育会系で厳しい規律の中で育ち、家柄もよくて、車も親からとはいえ転がしてて。女性からしたら小さいことかもしらんけど、当時の俺からしたらすげえ敗北感でしたし、なによりそいつに対して、自分はなにひとつ誇れるものがないこと、なんもしてなかったことに気づいてしまって、そっちのほうが情けなかった。
ちなみに僕は、家柄も親の七光りもそいつの才能のひとつだと思ってます。だからひがむことはしないです。

いつの間にか、自分の持ってた信念を行動にうつすこと忘れてたんですよ、バンドにしても勉強にしても、コピーすることに満足しちゃってた。安堵を求めてしまったことで、俺自身からなんも生み出してなかったんですよね。
曲がりなりにも、自分は今まで自分で考え、行動に移して、信念を持って生きてくことをガキのときはできてたのに、さぼってしまってた。
これはいかんと。こいつはいかんと。もう最強に落ち込みましたよ。かつてないくらい。今でこそ、こうやって向き合って書こうと思えるけど、人間不信も、自分不信も絶頂にきましたよね。誰ともしゃべりたくないくらいの生活が数ヶ月続いたかな。

そんななか、助けてくれたのは音楽で、バンドやらないかってたまたま声をかけてもらって音合わせをしたんですが、これでようやく風向きがかわりました。これだ、と。才能もねえし、利口でもないけど、下手な子芝居うってこの先生きてくよか、やれるだけやろうと、オリジナルなもんをつくってやろうと。当時の俺にはそれしかなかったんですよ、自分へのケジメをつけるには。だからもう方向性を決めたら、一直線に突撃でした、若いせいもあってw
メンバー集めて、バンド組んで、オリジナルの曲つくって、ライブして。至極当然のことしかやってないですが、しんどくも進めていくことのほうが楽しかった。もう完全に自己満足の世界ですよね。でもそれでもよかったんです。もちろん、勉強もね、しっかりやりましたよ。周りが30分でわかることを3時間かかって覚えるペースだったけど時間の許す限り本読んで、それに対する自分の考えとかを友達と討論したり。

ちょっとスカした人からしたら無駄にアツくてウザイと思うかもしれないけど、世間一般の王道的な土俵でもオリジナルをつくりたかったんですよ。その土俵でもやってけること証明したかったんですよね。やりもしないで、文句ばっかタレたり、不満ばっか言ってたのがそれまでの自分だったんで、そういうのってカッコ悪いじゃないかと。
初期衝動そのままに、バンドもそこそこライヴができて、学業でも論文が賞をとることができたりってしたのは、もう1年半くらい経ったころでした。

本当につっぱしった時期でした。

人情帰国編 その2(19−22歳) 

November 27 [Tue], 2007, 1:39
レンタル×マギカを結構楽しんでます。今日は人生初のアフレコ立会いを経験しました。大御所声優さんと一緒に仕事をさせていただきましたが、だいぶ感動しました。いやー、ほんとプロってすげえなあって思った。ひたすら感激(仕事汁)明日はまた出張。最近ほとんど、オフィスで仕事できてないな。たまにはゆっくり企画書つくりたい(トホホ)

人情帰国編 その2ということですが、大学研修生、、、この頃からバンド活動が活発化しました。といってもまだこの頃はコピバンしてるだけですごい楽しくて、バイト代を全部ギターとかエフェクターに費やしていた気がする。ありがちなんですが、エフェクター病にかかって、マルチボードでカコカコ音を合成することをまだ楽しんでいた、とw
結構、コピバンでしたけど、同じ趣味の人とかに初めて会えて嬉しかったなあ。ひたすら同じ話題でいけるってだけで満足してた。バンドやってる人ってのはたいていヲタ率も非常に高いので、そのへんも嬉しかったな。人に飢えてたんでしょうね。この頃は、すごく人を信じてた、というか純粋に期待をしてた時期だったと思います。

しかしというか、やはりというかそんなナメ腐った夢のような時代は、続かないわけで。無事大学の入学を終えたのですが、授業の難度に血の気がひきました。数学なんてチンプンカンプン(笑)いやまじで、ほんとなにをやってるか、日本語なのかわからない状況に陥って、なんだこの記号は、、、って周りを見たら皆当然という感じであくびしてるし。
これはあせった。大分焦った。いやもう一瞬にして英語のわからなかったあの頃の気持ちがフラッシュバックして、「まさか日本で味わうとは」と脳内で汗かきまくり。
勇気をだして、クラ友に質問したりしたら、すっげえ怪訝な顔された「お前、なんでここにいるの?」って言われる始末。いや確かに経済学部なんですけど、しっかり数学をやるところだったんです。聞けば4年で卒業できる率が60%とか!焦れば焦るほど何もできず、いきなり一年の前期は落第を二発くらって、両親半狂乱。いや両親宛に成績を送るのはずるいよwいまどきwww
いっきにギターを取り上げられ、バンド活動も強制的に縛りをかけられ、泣きながら生協で高校生の教科書を買いあさり、勉強を始めました。昔から、こういう追い込まれやすい運命なんですが、バカ力というか、追い込まれたときに粘るのは我ながらほめられる一面かとw

そこで俺も馬鹿なんですが、勉強に取り組んで、まじめに出席するようになると今度はクラスで好きな子ができまして、彼女ができちゃったりしたわけです。途端ギターってナンデスカみたいに恋愛モードに突撃してしまいました・・・ようやく成績が上昇してきたというのに本当に憐れなやつです。彼女の前ではカッコつけるわけじゃないですか。で、知らない愛代に俺はでかいことだけ言って、行動が伴ってない奴になっていたことに気づくわけもなく・・・・・・・

人情帰国編 その1 

November 25 [Sun], 2007, 0:03
ようやくFF11の「アルタナの神兵」リトライ祭が終わり、ちょいちょいと遊んでまいりました。いつもどおり、新エリアとかドキドキしますな。踊り子の踊りっぷりにトキメキストとして、不覚にもストライクが入りましたが・・・・。

さて、急ぎ足で、高校も卒業を直前にしてようやく自分も進路ってのを決めなきゃいけないのですが、すっかりばっくり日本のカルチャーにやられた俺は、大して悩みませんで、日本で大学に進学ってのを選びました。ただ、またそこで家族とひと悶着あったわけです。それは学部でしたね。俺は当時、軽く活字中毒で何千冊という本を読んでないとイライラきちゃうくらいでした。それもあったし、俺はサラリーマンには向いてねえんじゃねえかとかそういうヒネた男でしたから、モノ書きになって生きていきてえなあと思って文学部を第一希望にしようとしたらですね、両親からこっぴどく叱られまして。

まあ、確かに安易すぎるっちゃあすぎてたし、なんせ学費を出してくれていた親の苦労も知っていましたから、結局「他の学部言ってもモノ書きはできるだろ」って理由で経済学部を選択してしまいました。傍からみたら、国土もない、資源もない国がなんでこんなにお金持ちなんだろうって不思議でもあったんで。ほんとこの辺は、受験をしっかりしてきた皆さんからしたら失礼きわまりない話ですよね。はい、大丈夫です。それは後にしっかり天罰としてくだりますから。

ここで、ひとつの罠が待ってまして。アメリカは6月に卒業なんですが、日本は3月ですよね?そうです。俺は次の年の4月まで、強制的に「浪人」生活を「研修生」とかいう名目でおくる羽目になります。まあ、一浪、二浪くらい当たり前ですから、俺は特に気にせず、週二回くらいの数学と国語の帰国子女用の補習を受けながら、思いっきりバイトと趣味に時間の許す限りつぎこんでました。

今、思えば、この時期が一番幸せだったようなwww
ちょこちょことバイト仲間もできたし、なんというかすきなことだけやらせてもらってましたね。なんとかなるみたいな甘い考えで生きる姿勢がこの時期に形成されたかも。

日本での衝撃 その2 

November 24 [Sat], 2007, 0:52
だいぶ、とりとめもなく長くなってしまいましたが、続けます。誰が読んでほしいというわけでもなく、わかってくれというわけでもないのですが、なぜかこれを書ききる使命感みたいなのを感じてきちゃいました。日々の雑記はこれらを書ききってからにしますw

そんなわけで、これまでの商業的なモメンタムというか流行がつくられている感に生意気に気づいちゃったので、妙にトンがったサブカルチャーなものに大いに居心地のよさを感じた高校時代の自分ですが、同時にもうひとつの衝撃的なものに出会います。
音楽一大ブームのおかげで、当時住んでいた東中野に程近い、中野ブロードウェイに通うようになったんだけど。そこには天下の「まんだらけ」がございました。

もちろん、例のカリスマ・ギタリストのインタビューなどから「ガンダム」などの単語がでてたので、最初は圧倒されつつも店に入ったりしてたんですが、おもしろいじゃねえかとwやっぱりそれなりにヲタ文化は負け犬的な偏見とかもってたんですが、漫画、アニメおもしろいじゃねえかと。特に、アニメなんてね、当時NYとかで英語に吹き替えしたやつとかが放送された時期もあって、俺が大好きな日本をかんじられたこともあってガッツガッツ見るようになりましたね。そのうち、ああいった店独特の酸っぱい匂いにすら「これぞ、サブカルチャー!」みたいな醍醐味まで感じてしまって。周りがどういようと、好きなものは好きだと、チャレンジしてみて好きだったらいいじゃねえかと。そう思えるようになったし、好きな作品に出会ったときの感動って、やっぱり音楽だろうと漫画、アニメだろうとかわらねえじゃんと、嬉しいじゃねえかと思えた。
音楽も漫画もそうだったけど、インディーズ的なノリってのかな?そういう未だ気づかないトンがった表現とか、そういうのがたまらなかった。

相変わらず一人だったんですけどね。誰かにわかってもらおうとは思わなかったし、周りを気にして後悔するくらいなら、いったれ的なテンションで。めまぐるしく吸収していった日々でした。親は相当あわてたでしょうね。たまにしか会えないから、親にはまだ小学校で優等生だった俺しか知らず、成績はサッパリあがらないのにサブカルチャーにどんどん沈んでいく息子を見たらそりゃ慌てるわなww 親には一切辛い状況にあるとか言わなかったから、余計そうだったろうと思うし。
以来、紫と黒を愛し、ロックを愛してギターをひきつつ漫画もゲームもアニメもという自分がどんどんと形成されていって、そのまま高校卒業になってしまったわけです。

ああ、高校生活自体がスゲーつまらないのではしょっちゃいました。
いろいろあったんですけどねー、日本の自宅まで勝手に調べて電話かけてきたり、NYまで追いかけられたりしたストーカ事件とか。

日本での衝撃 その1 

November 24 [Sat], 2007, 0:25
だいぶ、久しぶりの更新になってしまいました。久しぶりのOFFです。超絶多忙な日々でして、追いかけられているのか、駆け抜けているのか、どっちもどっちな感じで、ようやく一息つけたので、一気に更新したいと思います。へっぽこな自分の人生ですが、毎回アップするために、自分と向き合うのが結構辛いもんですなw あくまで文字だけでいくっす。写真には頼らん!!

さてさて、うまくいかず青春時代を悶々とすごしていた自分でしたが、ここでひとつの転機といえばいいのかな、今の自分を形成する根っこみたいのを見つけることになります。16歳の夏休みだったでしょうか。実に6年ぶりに母国にようやく帰国することができて、目に映る全てが、それこそ空港で降り立ったときの夏のむせ返るような湿気にしびれるほど嬉しかったのを覚えています。「ああ、俺は日本人なんだ」ってすごく感じたわけですよ。
コンビニも嬉しかったなあ。NYでは誕生日くらいしか買ってもらえないお菓子とか、漫画とか、なんでも売ってて、凄く感動したw だから今でもコンビニ大好きです。

そんな感じで滞在中は向こうにはない、なんかないかと貪欲にあらゆることに手を出しました。小学校のときの友達なんていなかったし、なぜか会う気にもならなかった。
それこそ、2ヶ月半というバカみたいに長い夏休みのなかで閉鎖的に腐ってた自分を一回全部捨て去る気持ちだったのかと。

そんななかで、バイトも毎回違うものにチャレンジしようと決めて、それこそダフ屋の手伝いやら、ガテン系やら宅配やら、チラシ配りからありとあらゆることにトライして、何が自分にあってるか、探そうとw いっちょまえに青春してたワケです。
短期のバイトを繰り返してたとき、たまたまあるバンドのコンサートスタッフをやることになりまして。「ものすごく客が暴れるから気をつけろ」と開始前散々言われてたんで、若干びびって望んだライヴだったわけです。

稲妻が走りましたよ。月並みな表現ですが「なんじゃこりゃ」と。
そのライヴには手がつけられないくらいにカッコいいと、心底言えるギタリストが自分の前に現れたのですよ。

かっこいい、なんて言葉じゃないんすよね。一般的なテクニックでいうとこのスゴイことは全くしてないのに、凄みというか色気というか、獣のような迫力と暴力的な音の塊のなかにその人は立ってまして。ステージ前の客を抑える係だったんだけど、ほんの数メートル先にいる、その人から目が全く離せなくて。あまりに見入ってしまって、すぐクビになっちゃいましたけどね。そのバイト。

でも、全然後悔なんてしなくて、ライヴ後その足でそのバンドのCDをバイト代はたいて買っちゃってまして。ほんと気がついたら、なんですよ。それくらい、それまでの人生で一番興奮したんだと思う。もう、これだ!これしかねえとw ロックだと。
それまで、当時流行っていた「ビーイング系」のバンドとか結構きいていたんだけど、僕のなかではそんなのはぶっ壊れてしまってね。それこそもの凄い宝を見つけた気分になって、そっから、どっぷりとロックに入ってしまいました。
アメリカではニルヴァーナとか流行ってて、それ系の音はスキだったんだけど、それに日本特有の匂いというか、哀愁みたいなのがあって。
夢中になると一途なのが、僕の馬鹿なところでして、しかも無駄な若さの行動力と「ふ、そんなのに満足してるなんて子供だな」なんてありがちな優越感もブーストしたわけですよ。そこから、そのバンドのコンサートスタッフにどうにかして潜り込んで、すげえ条件悪かったけど、カッコイイ〜、しびれる〜って毎日でした。もちろん飢えてましたから、いろんなバンドのライヴも見まくってましたよ。勿論、ひとりでw
アメリカに戻って、ちょろっとバンドを組んでみようかなと思ったりしたけど「いいと思うけど売れてないし、知らない」とか思ったとおりの下らない反応が待ってまして、布教活動はストップして、「もうええや」って。バイトを通じて知り合った年上のひとたちとコピバンを夏休みの間だけ楽しむことにww ほんっと友達いないんすよね。俺。もてたいって気持ちもあったんだろうけど、何よりギターをやることに対するモチベーションとか目標が見つかって凄く嬉しかった。 たとえそれが普段の学校生活では全く評価されないどころか、嫌がらせをうけたり後ろ指差されたりする原因になったとしても平気になったのは本当にでかい。どういう形であれ、自分の拠り所となるアイデンティティってのを見つけられたのはでかかった。

それこそ、そっから暫く、そのカリスマ・ギタリストのファッションや言動、そういうのにすげえ影響受けちゃったりしてましたね。NYで一人バンドメンなカッコでガッコいってましたもん。中野ブロードウェイでブロマイドとか買ってたり、ほんとどうかしてたwでもほんとそれでよかったんだと思う。

「ロックのカリスマ」に出会えたこと。
これが衝撃的なこと、その1です。

NY編(番外編) 

November 14 [Wed], 2007, 0:18
悶々とした高校生活のなかで逃げ込むように、夏休みは日本に帰国してすごしてました。
そのなかで自分にとって衝撃的な2つのものに出くわします。
当時、実家があったのが中野ってところがヒントです。
P R
プロフィール
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  • アイコン画像 性別:男性
  • アイコン画像 誕生日:5月31日
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    ・自動車-My Machine⇒Audi A3 2.0T(White Pearl)
    ・マンガ-雑食なんで、なんでも拘りなくいけます
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