要は気の持ちよう 

May 16 [Mon], 2005, 14:18
性根を据えたら案外容易く断薬できた。
この調子で強くあらねば。

父その後 

May 11 [Wed], 2005, 18:10
肺腫瘤を取るため右肺の中葉を切除した父は、その後驚異的な回復力であっという間に退院した。
入院中は会社を休んで毎日病院へ通っていたのだが、途中、会社の社長が我が家に給料とお見舞い金を届けに来てくれた。
いつもいつも社長の悪口しか思いつかなかった自分を恥じた。

背中にモルヒネの管を入れているせいか、それとも手術や入院のストレスのせいか、しばらくの間父の頭の配線は少しおかしく、話すこと話すことすべてがハイテンションで支離滅裂だった。
投げた言葉のボールが返ってこない。もしくは大暴投。
かと思うと看護婦さんの説明を何一つ覚えていない。
退院の日はタクシーの中で滂沱の涙。

このまま痴呆症になったらどうしようとしばらく気が休まらなかった。
病気の父の面倒を看る気でいたけれどもそれは父の頭が正常に動いているという前提で、会話やコミュニケーションの成り立たない父の姿など想像していなかった。

ありがとう 

April 25 [Mon], 2005, 15:45
ストレッチャーに横たわっていた父はもはや小さな老人だった。
シャワーキャップのようなマヌケな手術帽をかぶせられ、何がしかの注射を打たれ、少しぼーっとしている。
手術前の最後の面会ですよといわれて入った小部屋にはそんな状態の父と、手術着に着替えた際に脱ぎ捨てたパジャマや下着が脱ぎ散らかしてあった。
拾ったら濡れていた。
恐怖のせいか安定剤の入った筋弛緩の注射のせいか少し失禁したらしい。それとも年でパッキンが緩んでいるだけだったのか。それならそれでまた問題だが。
弱りきったミイラみたいな父と濡れた下着を見て涙があふれた。
声をあげて泣きそうになったけれどもここで泣いたらすべてがブチ壊しだと思って「まあせいぜい死なないでくださいよ」とことさら無愛想な口調で減らず口を叩いた。
母に縁起でもないことを言うなとひどく叱られた。
でも父の前で泣かなくてよかったと思う。

GIVE&TAKE 

April 23 [Sat], 2005, 23:11
新婚時代、オットの母親にシャレにならないほど振り回されて当時妊娠していた子供をダメにした。
私は昔から子供をほしいと思わなかった母性欠如の女なので、今ではそれはそれと割り切っているけれども、それでも姑さえいなければ今頃人並みに母親をやっていたんだろうと時々切なく思うことがある。

新生活にそれぞれの親がからむことはマイナス以外何一つ無いとそのとき理解した。

今、父親は低悪性の肺腫瘍で、手術2日前になって医者への不信感が飽和点を越し、ついに手術を拒み始めた。
年末から辛抱強く父につきあっていた母はもう説得できないと泣き言を言い始め、今日になって本人がそれほど手術したくないならばも死んでもいいよなどと物騒なことを言い出した。
昨日、担当の看護婦さんにからんでいた父を見るにつけ、私も説得することを難しいと感じている。

今、父を説得できるのは皮肉にも私の子供を殺す原因となったオットだけだろう。

でも。


たすけて 

April 20 [Wed], 2005, 21:51
父の入院が突然早まった。
12月から今まで、当然緊張感の糸は切れるわけで、ここ何週間はなんとなくデイドリームビリーバーな気分だった。
突然のテレフォンコールで夢から覚めた。

父が25日に手術する。
死ぬかもしれない。元気になれないかもしれない。
転移や浸潤がみつかるかもしれない。

この不安を一人で抱えているのがつらい。
父を亡くしてしまうかもしれないのがつらい。

神様、子供なんていらないからその分の「イノチ」を父にあげてください。
もし神様がいるなら、お願い、叶えてください。

幼なじみ 

April 11 [Mon], 2005, 18:36
幼なじみと久しぶりに電話で話した。
子供2人を育てている彼女はひたすら強く正しい。
私のささやかな悩みすべてを見事に切り捨てた彼女は、それでもまだうじうじと悩んでいる私に向かって「案ずるよりも産むが安し」だと言った。

確かにそうだ。
産んだ彼女が言うんだから間違いない。
私は時間が有り余っているからあれこれ神経症的に思い煩うようだ。
「持病の腰痛はどう?」「気にしてる時間がないのよ」
なるほど。

でも。

「大丈夫だって」と彼女が言えば言うほど大丈夫だとは思えず、昔とは立ち位置がかわったことだけを思い知らされる。

電話を切った後は深い喪失感。

でもそう思い悩んでいるのは私だけで、彼女は切った瞬間私を忘れ、にぎやかな日常へ戻るのだろう。
美しい容姿よりも2人の幼子よりもマンションよりも車よりも頼もしい旦那様よりも、何よりも。
潔い彼女自身ががひどく眩しく羨ましい。

ナミダ 

April 02 [Sat], 2005, 1:12
体力的・精神的に脆くなっている父をなんとか支えてあげたいのに、老いていく父の現実を目の当たりにすると悲しくて悲しくてたまらない。

私は弱い。

だから心を不用意に揺らして乱さないように、心を病んでからは最小限の人としか接しないで生きてきた。治ってからも揺らさないように揺らさないようにそっとそっと。
ひとりぼっちは本当は寂しい。大勢で酒を酌み交わしていた5年前が懐かしい。
でも私の心はお椀に入った水だ。
表面張力で持っているがちょっとでも揺れるとあっという間に零れ落ちる。
こぼれないようにそっとそっと。

父の病という現実を、今の私の精神は抱えきれない。

今日、母に電話して弱った父の姿にショックを受けていることを話しながら1時間泣いた。
子供のときみたいにワーンと泣いた。
ぶっきらぼうな母は何も言わなかったけれど、何も言わないのをいいことに私は泣き続けた。

涙と一緒に悲しみや動揺も多少流れ、また明日から歩き出す。
前を向いていなくても足は体の前に自然に出る。


帰省 

March 28 [Mon], 2005, 9:28
日曜日、オットと一緒に実家に行った。
年末から年始にかけて、離婚するだのなんだのと大モメしていたのでオットが私の実家にいくのは実に4〜5か月ぶり。
父は「手術前にオットに会いたい」と言っていたが、なんとなく切り出しづらく今の今までのばしのばしにしていた。
土曜日オットに話したらあっさり「行こう」といってくれて母不在の日曜日の夕方、父と一緒に夕食を食べることになった。

実家に行くと父がひとりで大量のすきやきを用意していた。相撲部屋ぐらいの量だ。
食べろ食べろ飲め飲めと無理強いするように勧め続け、本人は一口ぐらいしか食べずに飲み続け、ひたすらわけのわからないことをしゃべり続け最後はろれつが回っていない。
私は慣れているが、オットにとっては義理の父でも元は赤の他人。
私が逆の立場だったらめちゃくちゃイヤだと思う。
しかも彼はいつも何も主張しないだけに腹にかかえているものの想像がつかずかえって恐ろしい。
そうこうしているうちに父はこぎたないカビの生えた腕時計を後生大事に引き出しから出し、オットに「これはいいものだから使ってくれ」と渡しはじめた。
貧しい父の、唯一の形見分けの真似事なんだろうと思うと切なくてたまらない。
だから茶化してしまう。
「あちゃーそんな古くてこぎたない腕時計使えないよー。」
父が酔って同じ事を何度も口に出すたびにひやひやし、満腹で青くなって余計に無口になっているオットに無理矢理酒をつぐたびにひやひやし、最後の方は板ばさみでついつい父に口うるさく言ってしまった。

まだまだ半分は残っている大量の牛肉を父に見付からないように冷蔵庫にしまい、父がトイレに立っている間にこっそり酒を捨て、不在の母に食材を冷蔵庫に隠してあるから後で使ってくれ、父の泥酔状態がひどくてオットに嫌われたら困るからしらふのときにでもうまいこと注意してくれ、と書いた「引継ぎ」メモを残し早々に帰宅。

逃避 

March 16 [Wed], 2005, 17:23
父の病院に付き添い、手術の日が決まった。
父はおどろくほど元気なのでしばらく病気のことを忘れていた。
いや覚えていたけれども森山未来似の男の子にぽーっとして現実逃避していた。
今、魅惑の世界から一気に消毒薬のにおいのする世界に引き戻されている。

現実に苦しみ、しばらくすると苦しみに慢性化して慣れ、逃避し、日々を楽しみ、またいやおうなしに引き戻されて心を痛くする。

生きていくことは面白くてそして過剰なまでに残酷でしんどい。

不安神経症? 

March 14 [Mon], 2005, 17:18
これから麻布に行かないといけない。
好きで約束して、好きで出かけるんだけど今になっていきたくない。
友人には会いたいしおしゃべりしたいけれども出かけるのが怖い。
出かけている間に父や家に何かあったら怖い。
家から電車3駅ぐらいが限界だ。すぐに戻れる距離じゃないと不安でたまらない。
これはもう完全になんちゃら障害っていうやつの一種だ。
どうやったら治るんだろうか。
それよりも今更断るわけにはいかないんだろうか。
断ったらまた1人、貴重な友人が減るんだけれどもそれでもどうしても。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:kishikishi
読者になる
Yapme!一覧
読者になる