プラトニック・エロスを求めて迷想する「きのこ御殿」

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陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜
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ファンは読まないほうがいい、小説『テンペスト』感想 / 2011年02月11日(金)
『テンペスト』(上・下)池上永一 角川書店

むむむむ・・・。『テンペスト』鑑賞予定日は大雪で交通機関が乱れ大変なことになるかもしれない。
いっそ安い都心のホテルでも取ろうかと思ったけれど、受験生が殺到しているせいか空室が見当たらないなあ。
運を天に任せるしかないか。

【いいわけまみれの前書き】

先週、ようやく読了しました小説版『テンペスト』(池上永一)。
目に付く感想では「息もつかせずあっという間に読んでしまった」というのが多いんですが、私には結構苦行でした。ストーリーに起伏があるのに、眠い。自分の読書力減退もあるかな。

泣けた、という人もたくさんいるらしいんですが、私は感動はしないわけではなかったけれど、泣く部分はなし。

展開がジェットコースター過ぎるので、何が起きてもあらあらあら・・・・という感じでしか驚かなくなってしまう(むしろ呆れる)。どん底までおっこってもどうせ復活するでしょ、ほらやっぱり、みたいな。

新聞で見かけた著名人の絶賛コメントがすごいんですよ。(広告とはいえ)

●ルール無用の大河ジェットコースター、琉球王朝より上陸!
コース全長一八〇〇枚、乗ったが最後ラストまで!ド迫力につき乗車中の高揚感にご注意願います。(有川浩)
●独力で琉球ルネッサンスを表現した、疾風怒濤の大傑作だ。(大森望)
●おもしろすぎ!きれいすぎ!
なにわぶし!わくわくさせすぎ!
あまりの娯楽性のたかさにめまいがした。(乙一)
●日中の狭間に咲いた琉球王朝の物語は、時代小説よりダイナミックで、中国歴史物より懐かしい。(貴志祐介)
●作家の圧倒的な博識と筆力にただただ唖然、翻弄された。
読み終わっても、映像が次々浮かんでくる!(堤幸彦)

結構微妙な表現で誉めている方もいるんですが、とにかく誉められているし、非常に売れているらしい。

耕史君ファンとしては、舞台の入りに水を差すようなことはしたくないのです。
尊敬する堤幸彦さん、耕史君を始め、生瀬さん、福士君ら大好きな俳優さんたちが毎日一生懸命舞台を作り上げているのですから。

けれど別に、一個人の私が何を勝手に書いても、それが正しいというわけでもないですよね。
上記に、多くの著名な人々の絶賛もあわせて掲載することにしたので、何卒、お許しください。(正直な思いを書くしかないのですよ)。

また、今回の舞台(また、NHKで予定されているドラマ)は小説とは全く別な作品として楽しみにしています。
冗長なメロドラマやマンネリの宮中の張り合いなど削られて、、ストーリーやキャラクターに新たな息吹が吹き込まれるに違いないと、実は結構期待しています。

もうひとついいわけ。
小説の感想を書く時期は、ちょっと悩んだんですよ。(とりあえず初日は避けました)。
しかし、これ以上遅くなって自分の舞台鑑賞の後になってしまうと、何かと印象が混じって書きにくくなる。結果お蔵入り・・・・というパターンに陥りそうで、それも自分が寂しい。

というわけで、以下。
ただ自分の思いを書き留めておきたいというだけのために、小説版の感想をアップすることにしました。

舞台を楽しみにしている方は、舞台を見るまでは読まない方がいいです。
また、小説に非常に感動した方、舞台に非常に感動した方には、正直なところ読んで欲しくないのです。
・・・・多分気分を害されると思うので。

以上、ご理解頂いた上で・・・。









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Posted at 03:46 / 読書関連 / この記事のURL
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『一刀斎夢録』の日々 / 2011年01月17日(月)
浅田次郎『一刀斎夢録』(上・下)文藝春秋刊

小さな職場で2人欠けたままのため、もう本気で潰れ死にするんじゃないかと思うほどです。
普段は「仕事と家事だけだと生きてる気がしない」と公言し、夜中朝方いろいろやってるんですが、もはや精根尽き果ててなにもできない感じ。
単に仕事が多いのなら文句も言うけれど、倒れた同僚の気持ちを思うとここは耐えるしかない。

本日(昨日になったけど)日曜、正月休み以来初めて休みました。
仕事は山積のまま(むしろ増える一方)ですが、このままが続いたら笑いごとじゃなく倒れそう。母が脳卒中で倒れてその後障害を負ったのもここらの年齢なんで怖い。
ブログを利用して愚痴ってしまってゴメン。

●そういえば数日前、コメントにて驚きのニュース、WOWWOWドラマ『死刑基準』が放送中止になったということを教えて頂きました。その時もなかなかピンと来なくて落胆するのに時間がかかったくらい。
日が経つにつれて、残念な思いがジワジワこみ上げてきました。
私はまだ期待やイメージを膨らませていなかったですが、制作側、出演者の方はたまんないですよね。

【一刀斎夢録にどっぷり】

さて、短い時間をはぎ合わせて、浅田次郎の新刊『一刀斎夢録』読んでました。電車の中で涙を隠しながら、2日前に読了。

読んでいる間は一刀斎翁の語る慶応3年から大正元年の世界にどっぷりと漬かってました。
読んでいれば職場の苦労も吹き飛ぶくらい。
本の中では元新選組隊士が、すきっ腹を抱えたまま雨に打たれて軒下で寝る日々を送ったり、不似合いな桜の下で死に掛けた仲間を手押し車に乗せて引きづって歩いたり、道端には死体もゴロゴロしてますから・・・。
いろいろ苦労があったって、私には食べるものとあったかいねぐらがあるんだから・・・・と、小説の本題とは違うところに慰めを見出したり。

さてさて、ネタバレにならないようにこの小説の感想を書くのはなかなか難しいのだけれど、読んでない人の宣伝にもなるように書いてみます。
読んだ方の感想が飛び込んだら嬉しいなあ。その時はまた。

◆◆◆◆

ご存知の方も多いと思うのですが、「一刀斎」は新選組三番隊長・斎藤一のことです。
「斎藤一」をサカサにしたということ。
永倉新八と並んで長生きした彼が、警察も退職し女子高の警備員も退職し隠遁している。そこに士官の梶原稔が明治天皇の御大喪の休みに、毎夜毎夜一升瓶を持って訪ねてきて一刀斎から昔話を聞く、という構成。

『組!』のオダギリ斎藤以来、新選組隊士の中で土方さん、山南さんの次に好きなのが斎藤一。
何度も書いてますが、浅田次郎新選組三部作は、私のお気に入りです。

○一作目、『壬生義士伝』は、多数の人の語り口を借りて吉村貫一郎の新選組の日々を中心にし、その前の故郷での様子や、吉村の子供達の後日談も語られる。
小説でも泣きまくり、渡辺謙主演のドラマ版(テレビ東京12時間ドラマ)では泣きまくりました。(映画版よりドラマ版が好きです)
浅田次郎版『壬生義士伝』(旧館の記事です)

○二作目『輪違屋糸里』は、島原の太夫糸里の目を借りて、芹澤鴨暗殺を中心に描いたもの。多面体的魅力を持つ土方さんが非常に良く、ドラマ版では糸里(上戸彩)と土方を主演にして作ってましたが、イトウヒデアキ土方がどうにも許せず、悪口記事を書きまくってしまいました。

狭量偏向感想「ワチガイヤイトサト」
↑読み直したら、「ボケ・カス・ダイコン」とテレビに毒づきまくってる自分が面白かったっす・・・。

それぞれの記事でも書いてるんでそこだけでも読んでいただくと嬉しいんですが、浅田次郎の描く土方さんはツボ!大好き!山本耕史適合度(当時)抜群です。

浅田さん、ついに土方さんをはっきりした主役にして書くことはなかったけれど、三部作を通して見ると、やっぱり一番土方歳三に惚れてるなぁ・・・とつくづく。

一作目と二作目で土方さんのキャラクターが違うので、つながってないのかな・・・とも思ったのですが、見る視点による違いだけなのだと今回確信しました。

斎藤さんも、『壬生義士伝』の中で吉村を表面上嫌い抜き、実は最も愛していたあの斎藤さん。会津で負けてから吉村の故郷南部の里を泣きながら斗南に落ちて行ったあの斎藤さんに間違いなし。
土方さんについて、「わしがもしおなごであれば、ぞっこん惚れるであろうと思うたよ」と言った、あの斎藤さんの語り口も全く一緒です。

『一刀斎』の中で、三部作に連なるエピソードが散見されるのも嬉しい。
吉村貫一郎と斎藤が一緒に乞食のような市村鉄之助を拾う場面もいい。吉村が理想の先生のように少年隊士に接するのに対し、斎藤は全く違う接し方をする。それが今回のキモです。
『壬生義士』でたっぷり泣かせてくれた池田七三郎が話に出てくるのも、続けて読んでいるファンには嬉しい。

【やはり、泣かせ節全開】

疲れた疲れたと言いながらつい、前置きが長くなってしまいました。

本題の『一刀斎夢録』ですが、正直言って半分くらい夢中になって読んだあたりで、ちょっとウェットすぎるんじゃないか、「泣かせ節」の浅田次郎とはいえ、あまりに情と涙の乱れ打ちなので酒に酔いながら書いてるのか、と思ったことも告白しておきます。

斎藤一は人情のない冷徹な鬼のように言っていながら、読んでるとこれほど死んでいったものたちへ思いを恋々と語る男も珍しい。
無口なイメージがあるだけに、毎晩夜明けまで語りつくす饒舌さに若干驚く。士官一の剣客、多摩出身の梶原稔という最適の聞き手を見つけたからといっても。
まあ、『壬生義士』の複数語りと違い、斎藤一人に上下二巻分の小説のほとんどを語らせるのだから、饒舌でないと仕方がないのだけれど。

ちょっと笑える部分として、斎藤さんは小説中何度も「巾着ごと金を投げる」んです。「おかしいか」と本人も言うくらいなんだけど、その後も散々投げてるので、気になり始めるとちょっとキュート。
また「人間はみな糞袋」といつも言っている斎藤だが、死地をともに生きた新選組の仲間への愛着はすごい。
常に批判的に語る永倉のことすらも結局は愛を持って語っている。
今回はしかし、市村鉄之助との話がメイン。

連載は途中まで立ち読みしていただけなので鉄之助がこれほど主たる位置を占めるとは思わず、びっくりしました。そして、鉄之助が主ならもう、泣けるに決まってるじゃないですか。

他、有名隊士以外では、林新太郎。三番隊の副長格で洒落者。斎藤とは月代を剃り合う仲。この最期もすごい。
明治まで生き延びて死んだ伍長格の志村武蔵の死に際にも泣かされる。
吉村亡き後小姓組を束ね、西南戦争で再び斎藤と邂逅する久米部正親という隊士には、物語の最後の最後まで泣かされた。あまりの結末に声も出ないでいると、久米部が号泣してくれて、それにつらされた、と言う感じ。

一刀斎の「愛」の行き着く先は、
「愛するがゆえに愛するものの命を奪う」
「自分が愛するものの所へ行くために、誰かの愛によって殺してもらう」。

当館のキャプションじゃないけれど、これは究極の「プラトニック・エロス」。男色シーンは出てこないけれど、(というか、新選組に男色は決してなかったと斎藤自身がはっきり言ってるけれど)これは男と男の究極の恋愛物語でしょう。少なくとも私にはそうとしか思われない。

また今回は恋愛以上に、縋りつく親を求めるような子の情に泣かされます。
鉄之助が見も知らぬ実の親に捨てられ、養父母に虐待されて捨てられ、斎藤に捨てられ、土方に捨てられた・・・と見る斎藤の目には、鉄之助が自分と重なっている。または、新選組全体が時代の孤児のようなものだと言いたいのかもしれない。


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Posted at 06:37 / 読書関連 / この記事のURL
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京極夏彦が聖女を描いた?『数えずの井戸』 / 2010年03月03日(水)
京極夏彦『数えずの井戸』 中央公論新社2000円

◆◆◆
振込み遅れという痛恨のミスのため、いまだ買っていなかったL5Yのチケット。そろそろ動かねば・・・と思ってサイトを見たら、
>4月4日、イベント開催を予定しておりましたが、諸般の事情により、開催を取りやめることになりました。
>4月7日(水)19:00 と4月8日(木)19:00の公演終了後にアフタートークを開催いたします。


えっ・・?こんなことってあるの?
中心となる日に、イベントだけでなく公演も中止。
実はイベントの日が満席で取れなかったくらいなので、相当たくさんの人がガッカリしたことでしょう。誰より耕史君が一番避けたかったでしょう。
即座にアフタートークの回に予約入れましたが、なんだか心配です。

ところでたまたま、今回読んだ本↓は、スズカツ×山本耕史での舞台化にどんぴしゃりだなぁ・・・と思いました。
耕史君専門の訪問者さんにも、一番最後のところだけ読んでいただくと嬉しいです。

【数えずの井戸】

京極夏彦の新作『数えずの井戸』。

分厚い単行本771ページ。
ゆっくり、味わいながら読もうと思ったのに、魅入られるように二夜で読み終わってしまった。

活字組みのビジュアルにもこだわる京極さん、今回の本は余白を生かしたかったのか、ページ数は多いけれど、字数は少なめかも。
それにしても重い!電車じゃ読めない。
装丁にこだわる京極さんらしく、小口から見るとほぼ等間隔の扉と小見出しの黒が面白いです。(カバーは今ひとつ好みではないですが)。

章立ても凝ってます。
奇数(序章を抜いて)にあたる章が「昔数え」「罪数え」、偶数章が「数えずの衣」「数えずの闇」のような構成になってる。

扉に毎回日の丸を縦にしたくらいの円が描かれていてその中に小見出し文字。奇数章の扉の円は黒。
偶数章の扉の円は白。
地色がごく薄いグレーから漆黒まで変化して行く。

あの円は、重要なモチーフである「井戸」を模しているのでしょう。
「井戸の蓋は空」とありますが、井戸の中から覗いた空、もしくは月のように思えます。

最終章「数えずの井戸」にいたって普通巻頭に置くようなカラー口絵が登場。葛飾北斎の有名な幽霊画「百物語 さらやしき」です。
この画、井戸からとぐろを巻いた首が突き出していて、ちょっと笑っちゃうような雰囲気なんですが、ここまで読み進めてからこの画に出会うと、ちょっと怖い。

そう、この物語は、『番町皿屋敷』を下敷きにしているのです。
「一枚、二枚、三枚、四枚・・・・九枚。一枚足りないうらめしや〜〜」
で有名な、お菊の亡霊。
間違いなく『四谷怪談』のお岩さんにつぐ幽霊界のスター。

【古典怪談シリーズ第三弾】

京極夏彦作品群で一番有名なのはもちろん、堤真一主演で映画化もされた「百鬼夜行シリーズ」です。
『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』等にぞっこんやられました。
全巻読んで手元に置いていますが、最近の『陰摩羅鬼の瑕』『邪魅の雫』になると、若干退屈というか、以前のようには夢中にさせられません。人気キャラクターが多い上に新キャラも多く、そんなにどうしても必要とは思えないような情報が多くて若干疲れる。

例えば二番手キャラの一人が出てくると、この人はどの事件のどこで登場したんだっけなぁ・・・みたいなことを確認しないと味わい尽くせない部分があり、ファンでもやっぱりその作業は疲れるんですよ。
京極堂に次ぐスターである榎木津礼二郎、関口巽の近年の扱いは、時々もうドタバタギャグ要員に近い。

こうなると「君はいつも僕の心を乱すねぇ」(京極→関口in姑獲鳥)とか、京極堂を気遣う榎木津(in魍魎)などという、原作ではありえない映画版の解釈(腐女子に網を張ったとしか思えないような)がちょっぴり嬉しかったりする(堤真一さん素敵ですからねぇ・・・)。

おっととと・・・。また横道でした。

それに対し、「古典怪談シリーズ」とでもいうような、怪談を下敷きにして京極流に料理した作品群があります。
『嗤う伊右衛門』(唐沢寿明、小雪で映画化)、『覗き小平次』、そして三作目がこの『数えずの井戸』。

このシリーズはいまだにやはり大好きです。
もうこっち方面に力を入れて欲しい。

日本の古典的怪異譚を下敷きにした「あやし・かなし・うつくし」の世界を今後も書き続けて欲しいと思ってます。

どこかで京極さんが、「妖怪と幽霊とは違う」と言いつつ妖怪の方を肯定的に語っている対談を読んだような記憶がある(水木会関係?)のですが、この三作ははっきり「幽霊」方面の物語。

内容的には豪奢な部分はないにもかかわらず、なぜか「贅沢で美しい怪談」(映画『嗤う伊右衛門』感想http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/61)
と思わされてしまうのは、京極作品ならではなのかもしれません。
そして怪談仕立てでありながら、究極の「愛の物語」でもあると思います。

怪談のような「不思議なこと」は、起こっているのか起こっていないのか思い返せば朧なのですが、「怪談」の生まれた経緯は書かれています。そしてなぜか不思議な美しい物語であったと思わされる。
いつまでも浸っていたいと思わされるような中毒性もあります。

「生きるも独り。死ぬも独り、
ならば生きるの死ぬのに変わりはないぞ」
と嗤う「伊右衛門」。

生きているときから幽霊のようで、幽霊となっても生きているようで、「ひとつも変わりはないじゃないか」(お塚)に言わせるような「小平次」。

本当はそんなことはない。死と生の境は厳粛に区別されるべきものでしょう。
死と戯れることで酩酊を誘うような耽美的作風は、十代の若いうち(ウチの子達)にはまだ嵌って欲しくないものだと思います。

ああごめんなさい、前置きがまためっちゃ長くなりました。


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Posted at 06:21 / 読書関連 / この記事のURL
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伊坂幸太郎・三つの謎 / 2010年02月06日(土)
タイトルは
『ゴールデンスランバー』感想:原作篇
・・・とでもするつもりだったのですが、書けば書くほど映画と離れてしまうので、こういうタイトルにしました。

映画に関する感想は、直前の記事で書いたばかりですが、そのあと、伊坂作品全体についていろいろ思いを馳せています。(最新2作以外はほとんど読んでると思います)

【ちょっとだけ原作との違い】

『ゴールデン』の原作もパラパラと読み返してます。
映画と小説は別物。今回は映画としての出来かなり良いため、原作にこだわらない方が楽しめる感じですが、ちょっとだけ。

やはり原作に濃厚にあった管理・監視社会への恐怖、みたいなものがなくなって、甘く切ない青春時代へのノスタルジーが前面に出てます。
いや、原作でもノスタルジーは濃厚なのですが、その外側の不気味な社会全体みたいなものが抜けている。
なにゆえ国家権力の監視や罠と立ち向かうのが過去の郷愁であるのか、そのあたりは全然わからない。『魔王』もそんな感じだったような気もするけれど。

原作では国家による監視社会推進の象徴として、情報監視区域のモデル都市として仙台中に設置された「セキュリティポッド」が煩雑に登場する。映画では「アイポッド」が活躍するけれど、まさか「ポッド」を掛けてるのでは・・・。

「金田総理狙撃の真犯人」について、映画ではスルーだったけれど、原作ではぼかした形ながら、一説として提出されてます。

(以下、これから小説で体験する予定の方のために反転します)

曰く、「戦後ほぼ一党独裁を貫いてきた労働党から離党し、自ら自由党を立ち上げた」現副首相(A)。与党の失政からついに政権交代の風が吹き、「自らが首相となる時が訪れた」とAが確信したところ、仙台から若い金田が現れブームとなり、予備選に勝ち党首となり首相となってしまった。

つまり、そのAが黒幕だと言う説。
あららら、今の民主党のOさんみたいじゃないですか。

そして、原作には「二十年後」という章が、ごく早い段階で載っている。
いまだに真相はわからないが、その原因のひとつに、関係者が恐ろしく死んでいる、ということがある。
パレードの中継をしていたテレビ局員とか、ラジコンショップの店員とか、瑣末な人々まで謎の死を遂げている。

佐々木一太郎は事件の後、この事件の背後に大きな謎の存在を感じ、ずっと調べ続けたらしい。一人息子が謎の死を遂げ、警察も辞め、ポールに似た顔は、ますます酷似して行ったとか。
そう、佐々木一太郎は権力側ではあるけれど、そういうヤツなのだ・・・彼でハードボイルドな後編が作れるほど


【大きな画の存在】

いずれにせよ『ゴールデン』でも、青柳という「底知れぬほど他人を信じる力を持った主人公」に対立する形で伊坂作品の底辺にある「底知れない悪意」「際限のない暴力」が、しっかりある。

以前、http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/499

でも書いたことなのですが、
>伊坂作品には、一つ一つの作品で完結しない大きな画が背後にあるような気がしてならない。
>読めば読むほど大きな画の存在が感じられて、ピースを埋めるように次の本が読みたくなる。


という思いがいよいよ大きくなる感じ。

『ゴールデンスランバー』中村義洋監督は、原作が面白いのであまり手を加えずに生かしたいと思って作ったそうです。

>「どこを使ってどこを落とすかという取捨選択は本当に難しかったです」
>「解決策として、青柳が見たり聞いたりしたものだけを描こうと思い」
>「結果、原作通りになりました」


むむむむ・・・確かに、逃亡の流れとか、セリフとか、原作そのままを生かしていると思うんですよ。思わせぶりな「二十年後」部分は、映画として入れなくて正解だと思うし。
それなのに、(コメント欄でも話があったことですが)伊坂作品の核というか、毒というか、そういうものがそっくり抜けているように思ってしまいました。

むしろ、『アヒルと鴨のコインロッカー』は大好きだけどどこかしら不可解で不気味だし、監督は違いますが『重力ピエロ』の方が、原作の後で感じる「ひっかっかり」みたいなものを多く残しているのが伊坂作品らしかったかも。

【三つの謎?】

以前より常々伊坂作品群の背後に感じてきた「大きな画」の予感は、今でも私を謎めいた気持ちにさせます。

今日はそのとっかかりのために、便宜上三つの謎を設定してみます。

3>1、許されざる罪(暴力)、許される(暴力)
2、登場人物の根っこ
3、舞台の限定(仙台へのこだわり)


以前共通の謎と思っていたいくつかのこと、
●神に似た存在の登場。(先を見通すことのできるオーデュポンのカカシやラッシュの教祖のように)
●美しく気まぐれで魅力的な人物の登場。(オーデュボンの桜、ピエロの春など、多分に暴力的)
は、「ゴールデン」においては影を潜めているので、今回は割愛。


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Posted at 07:00 / 読書関連 / この記事のURL
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磐音さま・・・・・!(居眠り磐音最新刊) / 2010年01月21日(木)
『居眠り磐音江戸双紙』31,32巻『更衣の鷹』(上・下)

ヤプログ!メンテナンス後のトラブルには参りました・・・。
火曜の朝一度つながって記事一本とコメント数本入れられたけれど、その夜もページが開けなかったり、オーナー部屋(マイページ)に入れなかったり、コメント書いて送信ボタンを何度押しても入らなかったり・・・。

皆様にもきっと、多大なご迷惑をおかけしたと思います。申しわけありませんでした。
おかげさまで、一日800アクセス(直近月)に乗ってちょっと嬉しかったところなのに、この4日間で激減。さすがにモチベーションもダウン気味・・・。完全復旧しましたら、なにとぞ以前と変わりなくご愛顧のほどを、どうかよろしくお願いします。

しかし、「ブログさえやらなければずいぶん本も読めるはず」とずっと思っていたのに、なぜか毎晩寝てばっかり。コタツに入るとすぐコテンと寝てしまう。数時間経って布団に入り直してまた寝る、の繰り返し。
(この世に、コタツPCくらいの至福があるだろうか・・・)

それでも、以下の二冊だけは読みました!

【更衣の鷹(上・下)】

訪問者さんから「あまりにも磐音様がかわいそう」と聞いて、どうしても気になって買ったこの巻。
いつもは帰省の時に父親から一冊ずつくらい貰って帰ってたんですが、今回は我慢できそうにない。

日曜に一気に読めました。31巻読み終わってすぐ本屋さんに行って、32巻を買って読んで・・・。

うううううううう・・・・・。こ、こんな・・・・・・・。
(以下はネタバレにつき、警告の後で)

【磐音さまマーケティング展開中?】

それにしてもうまいですね!!

「正月時代劇」で新生佐々木磐音を大成功させた(よね?)直後に、シリーズ初の前後篇同時発売。
それも作者自身が「一番のヤマ場を迎える」と言った内容。

上巻の開くと・・・・・なんとタイムリーにも「門松や注連縄を外した小正月の江戸」です。
なんて、発売時の気分に沿ってるんだ・・・・!

正月早々『海の母』に満足したもののちょっとしばらく磐音さまの新作には会えないのかな・・・とちょっと寂しくなった、「ドラマ派」磐音ファン。
彼らを捕獲する絶好のチャンスを逃さなかった。

「えっ?30巻以上もある小説、いまさら買う気ないよ」と思ってたファンにも、つい最新刊だけを買ってしまう契機を与えてしまった。

また、さっぱり観も読みもしなかった層にも、元旦からの「磐音」攻勢とあいまって「居眠り磐音ブーム」みたいなものが「ある」という印象を与えるのに役立ったでしょう。
大ブレイクこそしなくても、じわじわじわ・・・と、磐音さまブームは底辺を拡大しているように思います。

書店には見事なまでにこの二冊が山積み。
(つい最近まで『坂の上の雲』と『沈まぬ太陽』がドーンと積まれていたあたりに)
見れば、「初読みセット」として、カバーつきで1,2,3巻が箱入りでセットされた特別版も並んでいます。

もちろんいまさら買わない。けれどやはり手に取っちゃうよね・・・。

【ちょっとだけ佐伯泰英の小説に関して】

いきなりナンですが、私佐伯先生の小説作法は、あまり好みではありません。
なんというか、私には退屈(ゴメン)。

ストーリー自体が起伏に富んでいるときでも、なんだかあまりにも普通に時間が流れていく感じ。
例えば今回の一大事が無事に終わったあと、いちいちあちこちに挨拶回りするじゃないですか。そのたびに旦那ほど他人の気持ちを思いやる人はいない」みたいなことを言われ、心配され、わがことのように喜ばれる。
そんなに何回も同じことを書かなくても、磐音さまとおこんちゃんがみんなに好かれていることはじゅーぶんわかってるんですが・・・。

同時進行で二つの場面を描いたり、一度煩雑な行動を1つにまとめてピックアップして描写したり、そういうことすらしない。
今の小説・・・特にミステリなどの、凝りまくった構成の作品に慣れてる身には新鮮でもあります。

私の大好きな司馬さんだと、本筋から大きく逸脱してその土地の歴史を語ったり、登場人物の子孫の方の現代の生活を書いたり、日清戦争から横にそれて帝国主義の成り立ちにさかのぼってこちらが夢中になるような話をはじめたり自由闊達。あの肉声が聞こえてくるようで興味尽きない。千年規模の俯瞰的な視点を得られるのが快感でもあります。

しかし佐伯先生・・・この愚直なまでの小説の時間の流れも驚きですが、また、人間描写にしても、登場人物に裏表がないんですよねぇ・・・。
しかししかし、読んでいるうちに、その辺が魅力なんだろうかと思うようになりました。

この小説の先は(磐音の未来は)作者もどこへ行くのかわからない、と言ってます。
作者が作った物語を少しずつ受け取っているのではなく、現在進行形で進んでいく物語(磐音の人生)を、我々も作者に近いところで刻々と体験しているんだなぁ・・・。
だからこそ登場人物に感情移入してしまえば、本気でその人物の幸福を祈ったり不幸に涙したりするのかもしれない。
ディテールはとても豊かで、食べ物や季節の移ろいなど風情はありますよね。殺陣の描写は目に見えるようだし。

そんなわけだから、佐伯先生の小説は、ドラマの配役をイメージさせてもらってからだと面白く読める感じがする。
山本磐音で定着した『居眠り磐音』は、脳内映像化しやすさは抜群で、こんな風に映像で持っていったら・・・みたいなことを想像しながら読むのは、楽しいです。


◆◆◆

さてさて、内容は私自身「自分が読むまで耳に入れたくない」派ですから、以下は自己責任にてお読みください。
ネタバレあり。ところどころ白ペン反転させてますが、おぼろにわかるかも。
コメントにても、なるべくネタバレ部分は白ペンを使う(反転させて文字が読めるようにする)等の配慮をお願いします。










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Posted at 07:12 / 読書関連 / この記事のURL
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戦国遊覧B 『密謀』トライアングル / 2009年03月11日(水)
(3月10日23:40記)
知ってたらゴメン。
寝てたらゴメン。

さっきTV番組表を見てたらあれれ?
これからテレビ朝日1:55〜1:59まで、『落日燃ゆ』紹介のミニ番組がある模様です。

ヒロタマサオさんの映像と声をゲットできるかな?


(3月11日2:10記)
はい、観ました『落日燃ゆ』番宣。

ほとんど前面に出てるのもしゃべってるのも北大路パパでした。廣田正雄耕史君は、以前も見た父親を心配して半円形に取り巻く家族の中で眉間を険しくしてる、あの姿です。その後、アップになって何かしゃべってくれてるのですが、この音声はナレーションに消えてましたね。

妻役の関根・・・じゃない高橋惠子さんが似合ってました。
しかし「昭和最大の夫婦愛」と平気で宣伝する姿勢にはやや萎える。素晴らしい夫婦愛なのですが、昭和最大などと大げさに言われることは廣田弘毅の嫌いそうなことなので・・・・。

山本五十六の内藤剛志さんの笑顔がすでにして切ない。
津川吉田茂は予想通りチャーム。あんな感じあんな感じ・・・ですよ。
橋爪功さんの佐藤賢了、複雑な役回りを上手くこなしそう。

・・・まあ、そんなに「これまで見たことのない新しい耕史君」が観られるわけでもなさそうですが、三男正雄はいい役。役名でも三番目。
原作も良かったし、いいドラマに仕上がって欲しい。楽しみです!


【戦国遊覧B『密謀』】

戦国遊覧シリーズ、今回はF沢S平の小説『密謀』上下です。

『密謀』も『関が原』も大河にからめ、兼続景勝に関する正統な話を読みたくてとっかかるのですが、なぜか石田三成の人生の方に心惹かれてしまいます。

理想家肌の秀才、実務能力に優れ、実は豪胆なところもあり、私利私欲から遠く、領民のことを考えていたのに、不遇な上にも不遇が積み重なり、悲劇的で惨めな最期を遂げますが、それに惹かれる。

その三成とこの世で最も心を通わせながら結局最期は何もしてやることができなかった直江兼続・・・・・うーん、良さげじゃないですか!?

景勝がいい感じです。めったにしゃべらないし、笑わない。迷いや弱さや動揺はまったく表に出さず、軍隊としてはこれほど頼もしい将もいない。
兼続の前でだけ、兼続にだけわかる微かな感情の動きを表出するのもいいですね。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

で、ちょっとだけ『天地人』に戻りますが。
北村一輝さんの上杉景勝についてなるべく先入観なしに見ようと心がけていたものの、結局は不満を書くことがこれまでとても多かったです。
しかし、『密謀』路線は北村さんも似合いそう。

また、大河のほうでも、迷いの多いパッとしない景勝であることが今はポイントなのかなぁと思ったりしはじめました。

10回『二人の養子』、春日山本丸を占拠して迎えに出た兼続を見る安堵と感謝と苦々しく忸怩たる思いが混ざったような表情、また母親に真剣に詰め寄る意外にマザコンな風貌にもこれまでの北村さんに感じてきたイメージと違うものを感じました。
迷いも苦さもなく堂々本丸に入場したら、ますます第10回の車酔いが激しくなるところでしたよ。

アンチ北村ではなく、北村オンチなので、そこんとこよろしく、です。

(以下専門用語あり)
で、もしかすると「北村景勝」のツボというのは、「あの顔で、ウケ」と言うところにあるのではないでしょうか。「むっつり受け」「コワモテ受け」「無愛想ウケ」とか、「オレ様受け」に匹敵するグッドな用語があるといいのですが・・・・。
「それは絶対違うぞ!」と私の思い違いを正してくださる方大歓迎です。この方向で妄想が広がらないうちにどうぞご指摘下さい。

なにしろ北村オンチな上に上杉関係初心者ですので、その辺も温かくお導きくださいませ。


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『天璋院篤姫』読了 / 2008年10月22日(水)
《もうすぐ誕生日》

耕史君ハッピーバースデーの10月31日、マグナムホームベージが全面リニューアルだそうですね。
それから、ついこの間から『陽炎の辻』に美麗写真館ができてますね〜。すごく写真の質がいいんで感激です。
(スタジオパークの佐伯先生の登場回は見逃しちゃいました・・・・。)

例年耕史君の誕生日はなかなかサプライズがあるんですよね。
昨年は突然スマスマの「マジシャンゼロ」に登場したかと思うと、誕生日当日に『佐々木夫妻の仁義なき戦い』への出演が発表され、女子大の文化祭講演でバースディイベント。
一昨年は記念すべき30歳の誕生日を『チック・チック・ブーン』の舞台と絡めてファンとお祝いしました。(私はその日は見ませんでしたが)。

もちろん一番のサプライズは出演情報なので、なんか期待してしまいます。
舞台と、それからキムタクお兄様の大河龍馬伝(もう決めちゃってるよ〜)への、重要な役での出演と、あとは・・・・何かな何かな。


【小説『天璋院篤姫』読了】

昨日、思いっきり自分勝手な妄想を繰り広げてしまった『篤姫』。
(自分は楽しいけれど、妄想を読まされた方々にはいつもながら申し訳ない!)

少々気になって、原作を最後まで読んじゃうことにしました。

例によって、家定公薨去と継嗣家茂決定あたりで止めていて、その後読まないで取っていおいたんです。

>(天璋院篤姫は)もう何も動かす力はないのが、歴史的真実なのだとも思います。
と自分で書いてしまったけれど、最後にもしかして歴史の黒幕だったというような面白い結末を持ってきている可能性もないともいえないし・・・。

ただ、宮尾登美子さんの原作と大河ドラマは、全くと言っていいほど違う話。
共通点は「篤姫をヒロインにして(篤姫視点で)幕末を描く」という点だけ。

和宮を悲劇のヒロインと考えがちだった従来の先入観ではイジメ役のお局様と言うイメージだった篤姫ですが、彼女に全く新しいスポットを当てた点では小説がフレッシュ。
ドラマは、その宮尾さんが「面白くしてください」と脚本に注文をつけ、どんどん改編されていくのを楽しんで見ていたそうですね。

大河ドラマとしてヒットしたことで、世の中は篤姫再評価ブーム、びっくりするほどたくさんの歴史バラエティ番組も、歴史ブームと言うよりは篤姫ブームを当て込んでいると言う感じですよね。

以下、若干のネタバレを含むかと思います。
ドラマとは違うでしょうけれど小説の結末ですので・・・。








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原作ジャージ・インタジャージ / 2008年08月05日(火)
さて、なんとなく心から離れない『ジャージの2人』についてまた。

【買い漏らしかけた!ダ・ヴィンチ】

『ダ・ヴィンチ』8月号に『ジャージの二人』インタビュー2本が乗ってたのですね。

また1ページ目の「裸の顔」に白黒の素敵な堺雅人さんのお顔。

また特集1は「『新撰組』から『ROOKIES』までときめくTEAM男子!」という非常に興味深いもので、(これについては後でまた触れたい)。
特集2はハリーポッター。最近気が離れているけれど、一応母子で付いて行ってるのでこれも読みたい・・・というわけで買ってきました。

【長嶋有×長嶋康郎(父親)対談】

この映画に関する基本知識がまるでなかったのですが、やはりあの父子は自分たち父子がモデルだったのですね。
実際の父は古道具店「ニコニコ堂」の店主。エッセイにもなった有名な店です。

別荘も実際に持っていたそうです。しかし映画に出てきた山荘は別物で、撮影終了後は取り壊すとのこと。実際の長嶋家別荘は「はるかにボロい」んですって!

有「あと言っておきたいのは実際はあんなにいつもジャージ着てない」
康郎「着ても上だけです!」
有「ましてや上下では着ない。そこは言っておかないとね」
康郎「ジャージのままスーパーも行かないから」


そして、見る人の素朴な疑問として「小学校のジャージなのになんでこんなに大きいの?」に答えなければと。
「ジャージ会社では大きい子用を必ず作るんだけど余っちゃう」から。

中村義洋さんも囲み記事で出てます。
>映画化にあたっては原作に忠実にしました。
>いろんな状況説明とかたしてみたんですが、面白くなくなっちゃって、元に戻しました。むしろ極端なぐらいに、説明しないことを意図して撮りましたね。


【堺雅人×羽海野チカ(ハチミツトクローバーの作者)対談】

「推敲に推敲を重ねたまるで俳句のような映画」という見出しに一発で納得。
長嶋さんは俳句を作る方だということで、あの映画から立ち上る匂いとか、湿度とかいうものが、すごく今も心に残っている。映像と音しかない映画の中でそこにない匂いや湿度が感じられるとしたら、それは「俳句」に近いかな、と。

俳句って、「詫び寂び」よりも、「軽み」や「発見」が大事なんですよね。
「和小」の読み仮名についてのちょっとしたミステリも、実に俳句的。

羽海野「原作を読んだ時につい読み解こう読み解こうとしてしまって。でもあとがきを読んだら、読み解かなくってもいいんだって書いてあって、本当にそうだなあって反省したんです」
堺「これは何か結論出すんだろうと思って観ていたら、出さない。結論出せと思っていたこっちが浅はかでござんした、みたいな感じになるんじゃないかなあ。


それも全くその通りで、読み解きたがりの私も反省させられることしきりですが、好きに想像を膨らませられるのもいいところですね。
それでいて「感覚派映画」みたいな感じとも違います。理由やドラマはなくとも、ものすごいリアル感はこの映画から感じられるから・・・・。

鮎川さんの破壊力については二人とも同感でした。
羽海野「このお父さんはとても変わっているけれど、堺さんがそのお父さんを「えっ」て思いながらも受け止めてくれるから、お父さんが恐竜のように自由に動いてもこっちも安心して観察できるんですよ」
堺「破壊力ありますからね。僕はだから通訳みたいな感じ?・・・この現場は鮎川さん観察日記みたいなものですから」


私もどうしても鮎川さんの方に目が行ってしまいがちでしたが、そこを(ほとんど1人で)支えている堺さんの演技にももちろん感服です。
基本優しげな堺スマイルでいて、時々傷ついてそれをごまかすような卑屈な笑顔になったりするし、かすかにイラつきを表すときもあるし、なにも考えないでポワッと脱力しているときもいい。
うまく行かない妻への複雑な思いの表現がなんと正確であることか!
今回封印していたブラックなお顔もいいですしね。


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引き続き伊坂幸太郎 / 2008年07月09日(水)


『重力ピエロ』(2003年・新潮文庫)
『アヒルと鴨のコインロッカー』(2003年・創元推理文庫)


引き続き、バッグに携帯と財布と伊坂幸太郎の日々です。

週末は『重力ピエロ』、記事アップのあと一気に読んでしまいました。
週明けからは『アヒルと鴨のコインロッカー』を持って通勤です。

感想も書きたい。
いろいろこの作品群について話したい。
けれど、読んだことのない人には、感想は読まないほうがいいと心から思う・・・・。
白紙のままで一行目から出会いたい。出会って欲しい。

◆◆◆◆

白紙でないと、例えば、『アヒルと鴨』。
これもすごくいい滑り出しなのですが、映画の主演が〇太君だという知識があるだけで、「ああ、これが〇太君がやった役か」と思ってしまったのが惜しい。
鍛えた(?)脳内キャスティング能力がここでは仇になります。(〇太君はお気に入りだし、かなり合っている部分もあるだけになおさら辛い)

ところが、私は途中からこれはやっぱりオダギリジョーではないか・・・?!と思い始め、そうなったらもうオダギリ河崎しか空想できなくなってしまった。
ちょうど半分まで読んだ今の時点の気持ちですが・・・・。

悪魔を思わせる美貌。誕生日の違う女365人の女と付き合いたいというほどの女たらしと見えて、全く女性に恋などしそうにないような冷たさ。奇妙な優しさと人懐っこさと、時々正気を疑うほどの異様な行動。傍若無人で何を考えているかさっぱりわからないのに、時々ひどく傷つきやすそうに見えたりする。
ただし年齢が・・・・大学院二年くらいに見えるというのから考えると『転々』で大学8年生をやったとはいえツライか?ただし私の脳内では、『HAZARD』時代のジョー君が闊歩しています。

サラさんが『オーデュポン』の桜を是非オダギリさんに・・・・と書いてくださいましたが、伊坂幸太郎にはオダギリさんを寄せるものがあります。

まず騙されたと思って、とにかく一冊、買って(借りて、奪って)読み始めて欲しい。
『オーデュポンの祈り』からがいいように感じますが、とりあえず「オダギリジョーでイケル小説」という邪な目的で『アヒルと鴨』(創元推理文庫)でもいい。

『パンドラ』と『ヘドウィグ』も終わったし、磐音様を待つ間、またはオリンピックが始まるまで、ちょうどいいかも・・・(ほとんど番宣のノリか)。

と、さもさも熱心な伊坂ファンのように書いていますが、ファン歴わずか半月でどっぷんこ、です。

後は「続きを読む」の方に書きます。もちろん抑え目ながらネタバレありです。





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今頃ですが伊坂幸太郎 / 2008年07月05日(土)
『オーデュポンの祈り』(2000年)
『ラッシュライフ』(2002年)
『重力ピエロ』(2003年)


ドラマからちょっと離れまして、今夢中で読んでいる伊坂幸太郎の本の話を。

ブログを初めて3年(+α)と、その前一時的に資格マニアだった2年(+α)、読書量が落ちてました。
読書家には絶対入らないけれど、その前は余暇の使い道の一番が読書だったんですが、今はブログやドラマに費やす時間が多いですね〜。

ミステリファンの方には、何を今さら・・・という感じだと思いますが、ここに来て、突然伊坂幸太郎にはまりまして。娘が新潮文庫『オーデュポンの祈り』を買ってきたのが始まり、横から取り上げて夢中で読み終わり、続いて『ラッシュライフ』ほとんど立ったまま読了、今は『重力ピエロ』に入ってます。

にしても、好きな本の傾向は「新潮ミステリー倶楽部」(←だいたい読み潰したつもりだった)、尊敬する文学賞は「吉川英治文学賞」と答えていた私が、そのどちらにも入っているこの作家とすれ違っていたのはどういうわけなんでしょう・・・?

・・・という、悔しげなイイワケはいい加減にして・・・・。

これだけ「キタ」のは、京極夏彦にはまって以来かも(全然性質は違いますけどね)。
「ほとんど立ったまま読了」というのは、睡眠不足のせいか、どうしても寝床に入ってからはあっという間に本を取り落として寝てしまうので、通勤時間が一番の読書時間なんです。が、乗り換えありで合計わずか四区間。読書に適してるとは言えませんが、あまりに面白くてエスカレーターでもスーパーのレジ待ちの間にも、ついには歩きながらも読んでしまったという感じです。それほどハイテンポハイスピードという感じでもないのに、読み始めたら読者を離さずびっくりするほど進むのも伊坂さんの凄さでは・・・。

という私的なスタンディング読書の話もどうでもいいか・・・・。

多分ファンの方がいらっしゃると思いますが、よろしくです。
未体験の方は、どうぞ参考までに・・・お薦めです!

【ちょっとだけ感想】

ミステリですから内容はあまり書きませんが、ちょっとだけ感想めいたことを。

●『オーデュボンの祈り』
犯罪を犯し、凶悪な警官に追われる主人公が目を覚ましたのは本土の人たちが全く知らない孤島。支倉常長の時代から鎖国したままだが、不思議と時代劇的な雰囲気は全くない。

不思議な住民達(別に何かの宗教に染まっているとか特別の人々ではない)が強烈というわけではないのにとても愛しく心に残る。あのカカシはもちろん、ゾッとするような美しい射殺刑を行使する青年、動けないほどに肥満した可愛いウサギ・・・。情けないペンキ塗りや、ただ1人外界と交流する男や、「うそしかしゃべらない」画家もとてもいい。そして島の外では、悪意の塊のような旧友である警官と、置いてきた疲れ果てた恋人、死んだ祖母の言葉・・・。
フーガのように物語は美しく進み、その中に不思議な感じで事件が続き、よくわからないながら完全に魅了され、結末が知りたいというより、物語の終わりの風景が見たくてたまらなくなり、同時に読み終わるのがもったいなくなった。

とにかく面白い。けれど一般ミステリの犯罪があって、トリックがあって、意外な結末があって・・・みたいな面白さとは全然違う。特にミステリと意識する必要もない。『オーデュポン』はいまだにミステリだと思わないし。
・・・でも、このくらい本を面白く読んだのはかなり久しぶり。


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Posted at 11:59 / 読書関連 / この記事のURL
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