震災特別番組より
NHKスペシャル『南相馬 原発最前線の町で生きる』
同『原発事故 100時間の記録』
同『”同日同時刻”生中継 被災地の夜』
日本テレビ『復興テレビ みんなのチカラ3.11』内再現ドラマ『全電源喪失(ステーションブラックアウト)』
テレビ朝日『報道ステーションSUNDAY』他
ついに3月11日。
けれど体調が好転しないし明日からの仕事は休めないしで、もう完全に家にこもって休むことにしました。
珍しく家の中に誰もいないので、雑炊を作って朝昼とも食べて、ショウガハチミツ湯を飲みながら、あったかい部屋で震災番組を見てます。
自分の弱さと役に立たなさ、あと怠慢さをも噛み締めております。
さすがに録画はせずザッピング。
なんとなくテレ朝にあわせていたら、アジアスーパーグリッド構想の孫正義さんが生出演していた。この構想にはいろいろ批判もあるらしいんだけど、ゴビ砂漠で原発二千器分の自然エネルギー発電ができるからそれを引っ張るとか、なんだか話が大きくていいなあ、と単純に思ってしまう。(専門知識なくてスミマセン)
大内昭宏さんが、あの日テレビが間違って伝えたことも検証すると言ってたことに好感。なんで津波の高さが低く伝えられたのか、とか。
あと伊勢谷友介さんが被災地支援の様子。この前観た伊勢谷監督の映画『セイジ』に、「一人でも不幸な人がいるうちは幸福になってはいけないと思っている」のがセイジだ、というようなセリフがあったと思うのですが、伊勢谷さんはそういう思いでいるのでしょうか・・・・・?
他局でも、村上弘明から桜井くん亀梨くんまで、これまでも被災地に何度も足を運んだタレントさんたちが多く出演。
企画的にはアリバイ的な急ごしらえ感のある番組も正直あるけれど、見ていると自分の知識更新の怠慢さを痛感したり、初めて聞く話も多かった。
被災地であるDASH村生放送も見たかったんだけどいろいろ重なってて・・・。
それにしても被災地の子供たちの笑顔にはいつも救われる。幼い子供たちも、高校生や中学生たちも、どんなつらい境遇でもやはり若さはそれだけで生きる希望にあふれてるし、周囲にも明るさをくれる。
午後2時46分には家の中でたった一人で立ち上がって黙祷。
今上天皇にはいつも頭が下がります。二月の手術の後だというのに、いつもの温かい笑顔でお言葉を述べられる。
強くなりたいなあ。誰かの役に立てる人でいたいなあ。これ以上弱ってお荷物になりたくないなあ。
せめてもと震災番組の感想を書くわけですが、今度はTSUNAMIとは分けて、FUKUSHIMAの方面を。
カッコつけて英字書きにしているわけでもないのですが、この震災を世界に向けたドキュメンタリー映画として制作してくれないかなあ・・・そしたらこういうタイトルにして2本作って欲しい・・・とずっと思ってたので。
(例によって空想してただけですが)
一本はタイタニックも敵わない実際の地震と津波の圧倒的な衝撃映像を中心にし、そこで起こる生死のドキュメンタリーや復興へと立ち上がる人々を感動的に盛り込んだ『TSUNAMI』。
もう一本は対照的に、原発周辺の沈黙の風景を淡々と映し出し、重いテーマを描き出す『FUKUSHIMA』。満身創痍の生き物のような原発建屋や野生化した牛や犬、鳥たちや放置された田畑の映像をじっくり撮って欲しい。
もちろん実現したら、収益はすべて被災地復興に使って欲しい。
【原発最前線の町で生きる】
たくさんの報道番組の中で特に見ていて心が痛んだのは、やはり先月ようやく一時立ち入りが許された原発周辺の地域。捜索すらされずに見捨てられた地域だ。
置き去りにされた牛や犬が野生化し、家や畑を荒らし放題。飢えて痩せ衰え、餓死したものも多い。最近になってようやく殺処分が始まったとのこと。
人間が食べるために飼われてきた牛だが、酪農家は家族同然に牛たちを愛している。それを見離し、一年も生き延びてきた牛たちを結局は殺さねばならない。
『南極大陸』で置き去りにされた犬たちに涙していた頃も、こんな近くに絶望的な牛たちが居たのに、それを忘れていた。ちょっと考えれば当然知っていることだったのに・・・。
NHKスペシャルにて「3.11あの日から一年」シリーズを連日放送していたが、3月9日に放送された
『南相馬 原発最前線の町で生きる』も突き刺さってくるものが多かった。
死者の数こそ岩手県や宮城県より少ないけれど、福島県の被災地は違う。見捨てられた町に住み続ける人々の声には希望が感じられず、自嘲的にも自棄にも聞える。居酒屋でのシーンが多いのも特徴か。
「いいことなんかなにもない」と農家の老女は無表情につぶやく。
「あたしら実験材料だわ。生きてやるよ。子供産んでやるよ」と酒場で豪語する女性。
「年寄りだけのパラダイスにすっぺ」と言う老人。
娘の婚約者は原発で働いている。
子供や孫は放射能を考えて避難させ、自分たちは住み慣れたこの地で生きようと決めている老人も居る。
3.11以後はじめての牛の出産。老夫婦が力いっぱい足を引っ張って、出産させる。せっかく生まれた命だけれど、この小牛はどうなるんだろう。母子ともに汚染されているから殺処分なのか。
セシウムを吸収するということで植えられた(実は効果がないと後で判明)ひまわりがたくさん咲いている。鮮やかな黄色は目にまぶしいが、季節を過ぎればがっくりと首をうなだれる。
驚いたのは、昔好きで良く聴いていた忌野清志郎の曲(曲名は忘れたけど、「ラブ・ミー・テンダー」の日本語替え歌にしたもの)が流れていて、そのものズバリだと被災者たちに愛聴されていること。
(抜粋)
放射能はいらねえ 牛乳飲みてえ
なに言ってんだ えらそうに 世界の真ん中で
オーマイダーリン、アイラブユー 長生きしてえな
南相馬の居酒屋には、亡き清志郎がふらっと現れそうな雰囲気もありました。
【原発事故 100時間の記録】
それ以上に衝撃的で、刻々とした緊張感に満ちていて、涙なくしては見られなかったのがやはりNHKスペシャル
『原発事故 100時間の記録』でした。
こちらは3月3日放送で、昨日録画を見たものです。
浪江村の馬場町長と、双葉厚生病院の西山看護師と、浪江町消防隊員リーダーの高野さんを中心に描く。
最初の夜が訪れた時、彼らは誰も原発事故の恐怖が迫っていることを知らなかった。
3月11日、高野さんは暗くなってから福島第一原発に近い海岸の請戸地区に到達したものの、地区全体が壊滅状態で、何の明かりもなくシンとしていた。暗闇に「誰かいるのか!」と声を掛けると、うめき声や何かを叩く音もかすかに聞える。照明機材と応援を求めていったん本部に戻るが、機材も人員も足りない。町は夜の捜索は危険と判断し、捜索活動は翌朝に持ち越される。
その時官邸では危機管理センターにて総理、細野補佐官、福山官房長官ら(番組ではこの人々への肉声インタビューも入ってます)が、原発事故の深刻さを知って10キロ圏内の避難命令を決定しつつあった。双葉町のほぼ全体と浪江町の中心部、5万人以上。
浪江町長は、テレビで始めて避難命令を知った。
バスや避難場所すら確保しきれないまま、人々は理由も知らず、バスや自家用車で避難。徹夜明けの双葉厚生病院でも、突然防護服の警察官が現れ、とりあえず動ける人はバスに乗れと言われただけ。前夜運ばれた泥まみれの重傷被災者も多数いて、西山さんは彼らとともに病院に残った。
前の日の夜、生存者の声が聞えていた請戸地区への捜索も打ち切られた。消防隊員は住民の避難誘導に狩り出された。
そのことを思い、高野さんは今も悔しさに涙を流す。(見ていて私も泣いた)
あの時すぐにでも現場に戻っていれば、明日の朝まで待たないで捜索してれば、そのときは原発のことなんか耳に入っていなかったから救助に行けた。「原発のせいにしてっけど、俺のミスだと思ってますよ」。
「後で必ず助けに来るから、がんばれ」と声を掛けていながら果たせなかったことがつらい。
宮城県では、「一晩中救助します」と告げた自衛隊員の一言が、小学校の屋上で避難していた人々の心の支えになったというのに、ここでは・・・。
高野さんが声を聞いたと思われる佐藤さんは、消防隊の仲間だった。遺体の状況(流された屋根につかまっていた)から、数日生きながらえていたかもしれない。幼い二人の子供も遺体で発見され、妻は行方不明。そのことすら、先月ようやく判明したという。
息子と嫁と二人の孫を一度に失った両親の苦悩も痛々しい。