関連記事 歌舞伎初体験(『染模様恩愛御書』@)
衆道とBLのあいだ@(『染模様恩愛御書』A)
【シネマ歌舞伎『法界坊』】
今日は、近くのMOVIXでシネマ歌舞伎『法界坊』を観て来ました。中村勘三郎さんが憎みきれない悪漢乞食坊主を功演。スタイリッシュな勘太郎さんも、女形の七之助さん兄弟も良かったです。
笹野高史さんも面白く、軽々と側転を決めちゃうのにびっくり。主女形の中村扇雀さんの軽やかで色っぽい演技に感心。
前半のユーモラスな部分が長すぎて若干飽きたけれど、後半の法界坊の悪漢振りに引き込まれる。
ラストは「大喜利所作事」である「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」の大迫力。客席(スクリーンの中だけど)大熱狂。
また中村橋之助さんと勘三郎さんの戦いシーンは、拍手喝采の「大見得」の連発。戦いのさなかにストップモーションで見得を切るのは、リアリズムじゃないけれど、これぞ歌舞伎の醍醐味なのかも。
歌舞伎マイブーム、歌舞伎月間になってます。閉館までに歌舞伎座にも行けるといいんですが。
◆◆◆◆◆
もはや感想から大きく逸脱しておりますが、『染模様』考察&妄想で走り続けさせていただきます。
第一感想と、「衆道」について考えた
前回を読んでから読んでください。
今回は、この演目の三度の復活の違いについて考えます。
歌舞伎『染模様恩愛御書』が廃れたり復活したりするのには、もちろん社会風俗的影響が大きく関係している。
今回は史上三度目のお目見えということになるが、三度の歴史背景は、それぞれ違うことに注目せざるを得ない。
以下、さらに『武士道とエロス』のお世話になりながら・・・。
【1】初演:珍しくなってきた衆道を扱って大当たり
前の記事で書いたように初演は寛政7年(1797)だが、当時は戦国時代に栄えた衆道が急速に衰えて行く時期なのだそうだ。
大当たりの30年後、文政12年(1829)の内容を増補して再演したところ
「今は男色廃りて歓ばず、さまで当たりもなかりけり」(西沢一鳳軒)
人気の廃れたことのない『忠臣蔵』と同じ「武士道、仇討ち、忠義譚」をテーマとしていながら浮沈があるのは、やはり「友右衛門話」は味付けの「衆道・男色」が「歓ばれる」観客にアピールするキモだったのだな、とうかがい知れる史料。
つまり、戦国の頃にはポピュラーだった衆道というものが、
○寛政9年にはすでに芝居の趣向として「珍しさが歓ばれる」ものとなっており、
○文政12年にはさらに廃り、大方の嗜好からずれてしまっていた
これには、武士の役人化(武闘集団でなくなること)、早婚化、吉原文化などでの「美人」の流行などさまざまな原因があるだろう。
とにかく『染模様』の原型習俗としての「衆道」は、少なくとも文化の中心地(江戸・京)では急速に廃れたようなのである。
そして、それとともにいったん「大川友右衛門の話」も歌舞伎の表舞台から下がった。
【2】明治期の再演:うれしはずかし少年愛の美学?
そして明治22年に復活する。市村座で『蔦模様血染の御朱印』として。
これが今回の『染模様』とほぼ同じ形のものらしい。
昭和にも上演されたらしいのだが、本火の使用やテーマ的な制約があったのか、愛之助さんたちが「100年ぶりの復活」というのは明治のものであることは疑いない。
これには明治期の青年の中に突然流行した同性愛(旧制高校モノみたいな)が原因となっているらしい。
文壇でも流行テーマだったらしく、森鴎外、谷崎潤一郎、徳富蘆花、川端康成まで小説の中で少年愛をテーマにしている。
(森鴎外の娘である森茉莉が、『枯葉の寝床』でBL小説の端緒を開き、のちにジャンルの確立者となる栗本薫に絶大な影響を与えたことを思い合わせると興味深い)
明治の男色流行には、明治維新が大きく関係している。
江戸で男色が廃れてからも地方雄藩(薩摩がもっとも濃い!)では武力が強い藩ほど男色が盛んだった傾向がある。
徳川幕府が倒れて西南雄藩の若者が中央に出てきたために血気盛んな青年の間に「伝染した」らしい。
明治期の最終ランナーとしての稲垣足穂(『一千一秒物語』『少年愛の美学』で有名)は、明治初年から半世紀の間続いてきた「明治の美少年パニック」は、大正期に入るとともにようやく影が薄れたと言う。
大正の自由主義導入の結果、青少年期に厳しさが失われたからと言っている。
とすると。
『蔦模様』の原型が明治の後再び100年も消えていたのは、大正ロマンや男女同権や西欧的恋愛の輸入のためでもあろうか。
明治期は何でも西洋風がよしとされた時期のようにも思えるが、地方雄藩と中央とのカルチャーショックの時期でもある。
また、明治維新といっても女性の地位はまだまだ低く、大正になって美しさを強調できるようになり「恋愛」が市民権を得るまでにはタイムラグがあったということもあるかもしれない。
しかし、この時期の少年愛には戦国以来の「衆道(武士道・義兄弟)」の影は薄く、「少年愛のエロス」(旧制高校もの、ギムナジウムもの)の方に香りが似ているように思われる。
忠義忠孝の徳は薄れ、未知の感性に対するエロティシズム美学みたいなものが中心になっている。
【3】平成の再々演:女性ファンパワーのもとに
そして、ようやくたどり着いた2006年の復活は、なにが原動力なのだろうか。(ここからが本題でもあります)。
世界的に同性愛者の人権運動が盛り上がり、ゲイが市民権を得たからなのか。ニューハーフが流行したためなのか。
違うでしょう・・・・。
客席を埋める9割以上の女性客を見ればわかる。この客席にゲイが混ざっているとしたら1%以下では。
ここに集まってくる女性客達の多くは(もちろん私も含めて)、まちがいなく「男同士の愛、BL的な香気にロマンを感じる人々」ではないでしょうか。
「友情を超えた男同士の強い絆」「男が男に惚れる関係」に惹かれるプラトニック派も、「肉体関係を含んだ愛も当然オッケー」と考えるフィジカル派も、その中間も濃淡あわせてたくさんの段階があると思いますが。
「腐女子」(BL愛好女子)とはあえて言わないでおきます。
というか、多分会場には「自覚的本格的な腐女子」はごく少ないのではないかと思います。(私はみずからの腐女子性嗜好に十分自覚的なれど、腐女子実績としては入園前レベルです)
あるとすれば、染サマ追っかけ、または伝統芸能嗜好腐女子。(高年齢高所得腐女子が能に走るという説もありますし。)
腐女子はたいてい何かのジャンルのマニアですから、大体お金がない。ひとつの舞台に通い詰めれば、他の舞台など行く余裕は残らないのが当然。二次創作などに手に染めていれば、毎年春秋のコミケの締め切りにワァワァやっているうちにアッという間に月日は過ぎます。
そこへいくと『染模様』の観客女子には、「(腐女子的嗜好には)わかる部分もあるけれど、あの方々のようにBL専門には入れ込めない」程度の人が多いような気がする。
けれど、男色場面は見るのもゾッとするという人は普通来ないわけだし、多くの人は染サマ愛サマの美しさにうっとりしているわけでしょう・・・?
よく言われることですが、歌舞伎は女形を使う男だけの舞台ですから、もともとBLに惹かれる向きには親和性が高いんですよね。
【いまだ半端である原因】
さて、こう考えてくると今回の『染模様恩愛御書』復活は、衆道歌舞伎というよりはやはり愛之助さんが言うようにBL歌舞伎という側面が強いのではないかと思います。
前回も書いたことですが、二人の「見初め」は、ボーイミーツボーイ。
師弟関係でも、主従関係でも、共同体の中の先輩後輩関係でもない。自由恋愛。
友右衛門の気持ちは、もう何を捨ててもあの少年のそばに居たいという、理由もわからぬあの恋のはじめの感情。
モノにしたいとか、所帯を持ちたいとかいう打算や欲望や人生設計とは違う質の純恋です。衆道と言う「当然のように肉体関係を含む性愛」とは、どこか違うような気がします。
だからこそ、現代人(現代女性)にも友右衛門の恋が好ましく自然に思えるのですが、その後の展開は(現代人から見れば)唐突三連発。
純恋が、一夜のうちに肉体関係に発展してしまうのは、異性間にもありがちな恋の流れとは言うものの、なんとなく唐突。
コトの後義兄弟になる部分は、さらに唐突。
ましてや殿に感激されて士分に取り立てられるとは・・・「えっ?」と思ったほど唐突。
前回書いたことと重複しますが、この主演カップルの心理的リアリティは、現代の女子的に納得できるかといえば・・・・そうでもない。
我々は原体験として「24年組の少女漫画」(萩尾、竹宮、大島、青池、山岸など)や、「JUNEもの」や女性作家によるBL的文芸(柴田よしき、秋山香乃、木内昇)の微細すぎる心理描写に慣れています。
微細な心理描写こそ、これらの作品のキモであり、『染模様』に集った女性たちにも、多分そういう経験をしてきた女性たちが多いのではないかと思う。
そういう点から見ると、本作の「純愛も衆道も義兄弟も忠義もごった煮」にしたことに、なんとなく不満めいたものを感じるのではないか。
パンフレットかなんかに「この作品の中のいろんな『愛』を感じてください」とあったと思うんですが、ごった煮ではやはりちょっと・・・・。
今回の大粗筋(恋愛プロセス)では、目の肥えた腐女子のみならず、普通の恋愛ドラマファンにすらもちょっと物足りなく思えてしまうのではないか。
【歌舞伎の可能性はどこまで?】
もちろん歌舞伎初心者の私にわからないだけで、伝統芸能としての歌舞伎ではここまででよいのだ、これ以上の細かい表現は歌舞伎としては不適切である、と言われれば、「あっ、そうなんですか」と思うだけのことです。
見たばかりのシネマ歌舞伎『法界坊』などを思うと、BL的な繊細な心理プロセスなどより、やはり歌舞伎では外面的な部分が大事なのかな・・・と思ってしまう。
泣き、怒り、恨み、喜び、戸惑い・・・。
これら個々の感情を細分化して表現するより、歌舞伎顔と歌舞伎セリフと歌舞伎所作を「決めて」、大喜利クライマックスを華々しくドドンと「押し出して」、客席大興奮、ヤンヤヤンヤの大喝采・・・が醍醐味なのかもしれない。
でも、劇団★新感線の「いのうえ歌舞伎」のような、歌舞伎テイストを現代舞台に載せたものもある(染五郎さんも度々出演)。
「いのうえ歌舞伎」では、つかこうへいの舞台ばりに、病んで歪んだドSでドMな心理描写も普通である。
そもそも染五郎さんの友右衛門のにはすでに、伝統スタイルと現代劇をボーダーレスにしたかのような自在さがある。愛之助さんもそう。
歌舞伎の醍醐味を失わせずに、繊細な感情を演じ分けることも、可能なのではないだろうか。
やはり長くなってきたので1回切ります。
次回は考察からも離れて、『染模様』妄想を膨らませたいと思います。
小学生の時に『仮名手本忠臣蔵』を観たなんてすごいです!
さすが帰国子女のお嬢様(でしたよね?)です。
来月、『四谷怪談忠臣蔵』を見るので楽しみです。
愛之助さんは関西が本場なので、機会があったら染模様もどうぞ。