【美麗なり、佐々木磐音】
『陽炎の辻』スタッフブログ、すごい大盤振る舞いが続いてますね。
最初の二枚も「佐々木磐音」という感じで新鮮でしたが、三枚目にはやられました!
格調ある和室できちんと正座し、きりりとした目で前を見つめる磐音さま。品川さんと並んで座っているのも素敵です。
>佐々木となった磐音。柳次郎とともに何かを任ぜられたような……。
何を任ぜられたの?誰に任ぜられたの?
わからないけれど、とにかく、この完璧に美しい座姿に惚れなおしまする・・・。
そしてヘアスタイルですが、これですよ!これで行ってください。非常にきちんと作られた「まげ」ですね。柳次郎のような月代も見たかったですが、勤め人である御家人柳次郎と違い、一門の主である道場主としては前髪ありもいいです。ちょっと前を膨らませた感じがまた似合う。
船着場の髪型は大人というよりちょっと疲れの出た感じがして・・・。(まあ、風に乱れただけなのかもしれませんが)今回のキチントヘアを見て安心しました。
そしてこの斜めからの端整な目鼻立ち、眉間にかすかな厳しさ、肩や背中の体格の頼もしさ。きちんとした羽織袴姿がいいですが、ただ一箇所刀の紐が「赤」だったのが磐音さまらしくて嬉しいですね。
まるで一つの理想像のようないい男。漢。侠。・・・。
この方が場末のホールで派手な化粧とカツラでオカマロッカーになってたり、孤島でヴァンパイアのボスをやってたりするんだから、役者って面白いですねえ!!
おっと、二枚目(最新)は初めての殺陣シーンですが・・・。
えっ・・・?これ相手は・・・・品川さん?そんなはずない、違う人かも・・・でもそういう年恰好の出演者もいないし・・・だいたいどうして二人が刀を交えるの?
混乱してしまいました。
【ジェイミーとヘドウィグ】
そうそう、『L5Y』再々演のニュースに接して、きみこさん等と話しているうちに、このジェイミーの魅力ってなんだろう・・・?と考え始めました。
ジェイミーって、かなり自分勝手で、相手の気持ちも考えずに自分の失望を語れるような人間でもあります。めぐまれた才能を持ちそれを開花させたラッキーさがあるけれど、特に苦労を重ねたわけでもない、夢見る普通の青年。
スズカツさんに言わせれば「要するに”天才くん」であり、天才だから往々にして子供」であり、キャシーを傷つけても「さらに悪いことに、そこには悪気がない。すべて純粋な気持ち」からの行動なのだ。(初演のパンフより)
物語の主役として観た人々が生き方に感動するような、そんな人間では全くない。キャシーも自分勝手な夢を見て現実を見失うことについては同じだが(相手のことより自分のことばかり考えてしまうということにおいて)、なにしろジェイミーは成功者であり、キャシーは夢見たことが叶わない敗者の一人。
こう書いてくると、『L5Y』の何に感動するのか、よくわからなくなる。
ただ、心惹かれる。大好きなのだ。
回想するだけでラストの余韻が永遠にリフレインする。ピアノの音と幻のむせ返るような薔薇の香りに包まれるような気がする。
だから一面、この舞台の主役は登場人物ではなく、時間であり、心のすれ違いといった、抽象的なものなのかもしれない。
平々凡々な恋物語を、二人の時間軸を逆にすることによって、これだけイマジネーション豊かで珠玉の物語にするとは、なんという実験か。
そしてこの耕史君の演じたジェイミーは、それ以上のものが想像すら出来ないほど完璧だった。
美しくて、才能があって、気まぐれで、夢中になれば情熱的で醒めると冷淡で、正直で悪気がなくて、・・・・残酷。
ドリアン・グレイが残酷と銘打たれていながら、実は「ドリアン自身にとって一番残酷」であり、「ドリアンの良心が自分自身を責めまくる」のに対し、ジェイミーの残酷さは、相手に責めを負わせ、自分が泥をかぶることなど思いもよらないところだろう。
もしかすると近い(部分を内包している)のは、むしろ山本磐音かと思う。
(以下、「山本磐音はどんなヒーローか?」より抜粋
>磐音様は悩んでも傷ついても、己の弱さに苦しんでも、それでもどうしても美しい。
>傷も残らない、くすみも汚れも生じない、柔らかいのに硬質で、あったかいのにどこか冷たい。
>つかまえたと思っても、さらりとかわす受けの剣のごとく、いつも手からすり抜ける・・・。
>いや、すぐそこに居るのに、一緒に帰り道を歩いても、おんぶしてもらっても、つかまえられない。
>絶対誰かのものにはならないような気がする。(いや、そうあって欲しい!!)
>執着心のなさ、囚われのなさ、無邪気さが、不意に相手を不安にするんじゃないか・・・。
>優しくて、強くて、美しくて、それでいてちっとも女心をわかっていない人。
磐音は青空のように爽やかで、月夜のように陰を持っているヒーローだ言われます。
ただもう一つ、耕史君が演じることにより上記のような、太陽とも月ともいえない「硬質な美しさ、つかまえどころのなさ」が、加わりる。そこが質は違いながらも眠狂四郎のエロティシズムにも通じると思われているのかもしれない。
私なども、磐音さまのどこに惹かれるかといえばこのミステリアスな部分です。こだわりも分け隔てもない優しさや、辛い過去を抱えた心の傷よりも、上記のような部分に惹かれるわけです。これは、ジェイミーに原点を発するの発展系かと思っています。
旧館で語っていた中に、山本土方の魅力を「けっして手が届かないこと・・」と書いておられた訪問者さんがいらっしゃいました。
たとえ時空を超えて土方さんの近くで生きることが出来たとしても、けっして手が届かない感じか。
また、そういう彼(ジェイミー、磐音さま、土方さん)の側にいると、女の方がどんどん惨めになり醜く不格好な感じがしてくる。これも特徴です。
おこんちゃんの不評もそのためかなとも思ってます。お琴さんもそう。『L5Y』の共演者の不遇(舞台経験や実力不足もあるけれど、それだけじゃないかも)ももしかすると。
あれだけ舞台の上で飛び回りながら難しいナンバーを歌い続けても、汗は見せても息切れはほとんどない。歌詞も途切れず音程も外れない。
どんな近くで見ても傷もくすみもない美しい肌。冷たい美しい横顔。憂いを秘めたまっすぐな目。
すらりとした長い足。綺麗な手。綺麗な動き。椅子やテーブルに飛び乗って飛び降りて、全く体重を感じさせない。
対する共演者たちの重たそうな腰周り、肉のついた二の腕、激しく歌えば息も切れ汗もかく。30過ぎた共演者にはシミや皺もかすかに出始めるし、化粧も汗で落ちれば後半乱れる。
息を吸い込んで吐き出して歌っている姿すら、あとで映像を見てジェイミーと比べたらなんだかがっかりしてしまいそう。
なにも共演者だけじゃない、それが地上に属する我々女性一般の「リアル」だ。山本ジェイミーは改めてその残酷さを際立たせる。
上記の私の考えに共感する方がいらっしゃったら間違いなくMだと思うのだけれど、どうでしょうか・・・?
『L5Y』はこういう耕史君の(多分稀な)資質や特性が最も純粋な形で発揮された舞台で、だからジェイミーは磐音さまの中にも土方さんの中にもいる。銀平さんの中にも。(ドリアンの中にもいるけれどもう少し濃くいても良かったかも)
ただし、ヘドウィグの中に居るのは、ちょっと問題があるかもしれない。
いわば『L5Y』は「ディスコミュニケーションの残酷」を美しく綴り上げた物語。人の心は永遠にすれ違い、愛は描かれず、恋愛は時が立てば枯れる花のように扱われる。(それゆえに美しいのだと)
しかし『ヘドウィグ』はコミュニケーションを妨げるすべての壁を引き倒そうとしたヘドウィグの魂の物語。
人々が見ないようにして生きている、意識しないながら心の中に立てまくっている『壁』の存在をえぐり出し、それを引き倒す戦い。自ら壁を立ててその中に引きこもる一人一人を引きずり出し、こぶしを固めて立ち上がろうと勇気づけてくれる物語。
罪深い出来損ないでありながら、イエス・キリストにも似たヘドウィグの、すべての人々に向けて開かれた「愛のための戦い」の物語。(だと、私は思っています)
ジェイミーとヘドウィグは真逆とも言える。
山本ジェイミーに完璧さすら感じる私なりに、山本ヘドウィグに関して「もう少し」と感じてきた点について、再々演前に何かまとまったことを書いておこうと思ったのですが・・・・
以前に書いた
「ヘドウィグから迷想」の後半部分にだいたい書いてあったので、興味のある方はそちらをご一読くだされば幸いです。
間近に迫ったヘドウィグとの再会。耕史君は「変えない」と言っていたけれど、稽古の中で変化していく部分もあるでしょうし、どうかな?あまりいろいろ考えずに身を投じるつもりです。
今はめったに使わないウォークマン(せっかく買ってもらったけどイヤホンのコードが苦手で)を持って、通勤時にヘドウィグのナンバーを聞いてます。なんだか季節柄「ウィッグ・イン・ザ・ボックス」がクリスマスソングみたいに感じるなあ。
>ジェイミーと磐音の共通項。方向性は違いますが共に閉じてる・自己完結してる感じを受けます。
同感です。でも磐音さまはついに閉じていた部分を開いたわけですね。ジェイミーは永遠に閉じている。
磐音ファンはハーレクイン型も結構いると思うのですが、土方orジェイミーファンは多分ほとんどMだと思います。(暴言?)
>ジェイミーがハマリ役と感じる一方で山本ヘドを異端と感じる理由
異端と言うとちょっと違う感じもしますが、ヘドウィグは閉じている壁すべてを引き倒そうとするので、ジェイミーとは方向性が真逆ですよね。同時にはまると言うのは難しいですが、ヘドウィグほどやりがいのある役もないし、一生続けられる役でもあるので、頑張って欲しいです!
>終盤のウェットなジェイミー
>作品全体のバランスとしては、終盤はもっとドライに冷めた、よくも悪くも大人になってしまった彼が観たいなあと。
ああ、なるほど・・・!自己愛だけではなく、愛に絶望したくらいの方が「大人になってしまった」感じがしますね。ジェイミーを子供のままに終えるか(似た恋を繰り返すような)、愛に失望した大人にするかは、解釈の問題ですが、とても面白いです。
>ジェイミーにはツッコんでくれる人がいないので、どうも居心地が悪いんです。
キャシーが、もっと力強く輝くばかりに明日への希望を歌い上げてくれれば、それとの対比で演技も深まると思うのですが・・・。ジェイミー一人の空回りと言う感じはあって惜しいです。今のままだと終盤のキャシーが滑稽ですが、若さと希望が大人びた諦めを凌駕することだってあるでしょう。
>これからは大人路線拡大に大期待です!
私もそれがいいと思います。正月の磐音さまがそのきっかけになるといいですね。
不毛ですが、2回以降眠くてだるく、「頑張って」見ていたら第六回になってようやく照準が合いました。壹岐は何を考えてるかさっぱりわからなかったのですが、今はあの底なしのミステリアスさに惚れつつあります。
そのうち何か書けたら書きたいです。