家定公薨去後のぽっかりと穴の開いたような『篤姫』です。
オープニング映像(かつて「ハタノマエ」という用語がありましたがこれはなんというのか)、では堺家定公の思いで映像がありました。
「わしのような力のない、身体の弱い男の妻となったことに後悔はないか」
の苦しげな表情には改めてぐっと来ます。
そして放送時にはさほど思わなかったのですが、夜着のシーンが多いせいかすごく色っぽい。なまめかしい。(もちろん殿の方が)。
【徹子といいとも!】
本日、『徹子の部屋』で堺さんが登場しまして、徹子さんが「浮世絵みたいな人」「お顔がすごくきれい」と言ってたのにすごく共感しました。私はずっと「歌舞伎の女形みたいな雰囲気」と思っていたのですが、浮世絵・・・いいですね。
30分だったのでいろいろお話が出ましたが、早稲田を中退し劇団のため定まったアルバイトにもつけず、テレホンアポインターだのミスタードーナツの店員などをやって凌いでいたこと、実家から「野菜を食べろ」と言われていたのにお金がないのでタンポポの葉っぱをゆでて食べたことなど語ってました。
でもこれまで一度も下積みやハングリーなどということを堺さんに意識したこともないし、また本人も少しも「貧乏で苦労した」とか思っていないらしいんですね。夢があって仲間がいて健康ならば、それは貧乏だってうらやましいくらい豊かな青春だったでしょう・・・。
幼稚園時代の「カベムシ」の話とか、納得できないとずっとこだわる性格だったとか、運動オンチだったとか、何度か聞いた話ですが、サラッとこだわりなく話すところがやはり堺さん感じがいいです。
僕ぬきでも世界は成立しているんだとか、そういうことですごく傷ついたと。
『ジャージの二人』の話も出ました。北軽井沢というより群馬じゃないかとか、細かいことも突っ込んでましたが・・・。
『笑っていいとも!』テレフォンショッキング、今日は家定公、明日は斉彬公です。
意外に『新選組!』の話が多くて、それも糸井重里さんから引き継いだだけあってあの、「ほぼ日旅行」糸井さんたちと山南堺さんが京都を旅行した時の話が多く出てました。京都旅行で刀傷とか血の跡とか、そういう犯罪現場めぐりばかりをするのはどうなんでしょうとか・・・。
もう四年も前なのですが、(耕史君的にはまだ一昨年の正月という感じですけど)、気負いもなくうつむき気味に微笑んでいる堺さんは、まさに不思議な存在です。スレンダーな身体にモノトーンのスーツスタイルが似合ってますね。
【『篤姫』29回「天璋院篤姫」】
この回のメインは、本寿院やお志賀の方に愛する人の死を知りながら告げぬことの罪悪感と憐憫の情から、禁を破って告げてしまうこと。ホトホト横紙破りな姫様ですが、理不尽なのは決まりのほうですから、こういうものを破るおてんば姫パワーはまあ良いでしょう。
お志賀にも篤姫が身体の弱い殿を政治に引き込んだのが原因だと責められる。
そして案の定本寿院の嘆きと怒りは凄かった。花バサミを振り上げ、脇息を投げつけんばかり。あの表情は「イヨッ!般若の面!」と大向こうから声をかけたくなるくらいでした。
果ては篤姫が毒殺したに違いないと言い出す。しかし「止めずともよい」と篤姫。親や夫の死を知らされなかった辛さを知るがゆえに、それがわが子であればなおのこと辛かろうと、これは子を持たぬ篤姫にしてはなかなか言えぬこと。
そして悲しみの後、髪を上げ、天璋院という新たな名を頂く。これも隠遁とは考えず、また新たに生まれ変わったのじゃというところが姫らしく前向き。
そして殿の遺志を少しでも都合と思えばいつまでも嘆いてはおれぬ、と井伊大老を呼ぶ。そして狸姫が大狸に鼻先であしらわれるが如く聞いてなかったことにされる。
この大狸ぶりは、予想がついただけに「うわぁお〜」という感じ。似合わぬメバリ化粧も狸っぽい。
この件では甘いですよね。家定も篤姫も。家定が一対一で井伊に頼んだとて、「聞かなかった」事になる可能性は大だった。堀田にも言ったとはいえ、失脚する恐れもあった。本気で篤姫を後見人にしたいのなら公の評定の場で決めればよかったのに・・・・聡明なはずの家定公の甘さが辛い。(そうじゃないとドラマとしてうまくないわけだけど)
多分そういうわけで全面戦争になりそうな姫と大老。
【朝ドラ大河に戻ったかな・・・】
なんですかね・・・・。
まさにまさに朝ドラ大河(このネーミングを初めてつけた人は誰なんでしょう・・・・)。『おしん』みたいです。
貧乏な家の娘が親元を離れて奉公に出され、次々と大きな店に入り、下働きからがんばって次第に認められたり、誤解されたり憎まれたりしながら、前向きに一生懸命生きていく。
まあ、家定公篇が始まるまでもそうだったし、『おしん』も大好きだったですが、歴史ドラマとしてはどうなんですかね?
純粋なヒロインが前向きでがんばってる内は正しい。
後ろ向きになるときもあるが誰かに正されてまたがんばり始めることで事態が好転する。
「純粋」「健康」「逆境」「前向き」「がんばる」「あきらめない」。
一種の進歩史観ドラマで、「がんばること」でステイタスが上がっていく。
だから、井伊直弼の反逆的態度も、なんというか、朝ドラ篤姫にとって必要な逆境。いじめ役という名の一番の引き立て役。
こういうのが視聴者の同情を引くために必要な装置で、結果的にはたいていヒロインが力をつけるんですよね。
元々は家定公も、逆境の一つだったと思うのです。身分の高い家にとついでは来たけれど、そこで自分を待っていた夫はとんでもない暗愚で不能で、愛など生まれるはずもなく、国元の幼なじみの男を思ってお守りを握り締める。いえ、それでも私はこんなことで負けないわ!!
いやあ・・・・そうだったら、どんなにつまらない大河だったでしょうね。私はもう見てなかったかもなあ・・・。
あんまりさっさと決め付けないようにしたいけれど・・・・・3メートル離れて見ていた大河を、家定公主役の10回分だけ50センチの距離で見ていて、また2メートル離れて見始めた、という感じです。(もちろん心理的距離ですが)
するとかえってアラが見えてしまい、嘆き悲しむ篤姫の赤い紅を差した唇の端が笑っているように上がっているのがなんか気に入らなかったり、主を失った大奥で喪中なのに真っ赤な着物を来た女中がいることに違和感を持ったりします。
僧月照と西郷さんの必死なやりとりにも身が入らず、薩摩でのゴタゴタがどうも土臭く野蛮に思えます。
【家定公の“諦念”】
予感どおり、なにかずっと尾を引いている家定公の死です。
またつまらぬことを思いつくままに書くのでお許し下さい。
堺家定公の話題が続いた先週でしたが、よく「諦念」という言葉が登場しました。
諦めの念ですが、自分の分を知る、運命を従容と受け入れる、という感じもあるでしょう。
翻って週末のドラマは「あきらめるな」のオンパレードでした。『ROOKIES』では夏の大会の最中ピッチャーが怪我をし監督が出場停止になる事態の中、「俺たちは最後まで絶対にあきらめない!」ということで団結しなおします。
『ハチワンダイバー』でも、碁盤ダイブのほかのもう一つの技は「絶対にあきらめないこと」です。9割負けてる時、「あきらめないぞ〜」という気持ちがムクムクと沸き起こってくれば、画面を見ていれば「ああ、勝ちね」とわかるわけです。
誤解なきよう、この2本のドラマは土曜のドラマ視聴ラッシュの中心、春季のお気に入りでした。それゆえか、最終回に近づくとワンパターンの最終兵器「あきらめない」が登場するのがつまらない。
しかしながら私の最愛の『組!!』でも「俺たちは大切なことを忘れていた。あきらめないことさ」と愛する山本土方が言ってました。
アレはテーマでもなんでもなく、榎本を前向きに生かして行くための励ましであり、また土方さんは幕府軍の勝利をあきらめていたわけじゃない、というちょっとしたアリバイの一つくらいに思ってますが・・・・。「感想」で「あきらめないことの大切さを知りました」みたいなのがあったのはむしろ驚きでした。
もちろん、負けが込んでるときに「あきらめないこと」は一番重要です。負けが見えてヘイがみな弱気になっている時に、みなの心から「あきらめ」を追い払うことができたら、優れた指揮官でしょう。
受験でも、ラスト10分に「あきらめないぞ!」と自分を叱咤できるものは不合格から合格へのラインを踏み越えられるかもしれない。
ただなんでしょうか・・・・「あきらめない」が魔法の言葉、万能薬みたいになっている中、静かな諦念というのはなにやら新鮮です。昨今の「頑張らない生き方」のように。それを堺家定公は体現しています。
勝つことや頑張ることの大切さは篤姫がこれから逆境のヒロインとしてたっぷり見せてくれるとして・・・・家定公は季節が来たら枯れる花のように、一夏で死んでいく虫のように、ジタバタすることもなくスゥッといなくなってしまった。それゆえかえって尾を引くようにも思います。
もちろんどちらが正しいとか言いたいわけじゃないのですが。
「なぜ会いに来ぬのじゃ」は恨みつらみをこめていなかったですね。
自分がこれまで元気なうちにできることをしなかったのだから仕方がないのだ・・・・と運命を受け入れているからに見えます。
http://www.tv-asahi.co.jp/koori/intro.html
楽しみですね!
大河の回想シーン、出るたびに「おおっ」と乗り出してしまいます。『ジャージの二人』見てきました!感想はそのうちに。
衣装については予算をかけて凝っているだけに惜しい感じがしますね。夏衣装まではムリだったのでしょうか?
>関ヶ原以前からの譜代の井伊としては、ご生母さまでもない二年ほどしか御台所でなかった、大藩とはいえ外様の分家の姫が、次期将軍の後見など、なにを大それたことを、、、、ってなもんでしょうか?
それももっともですね。夢のようだった夫婦生活はともかく、この辺になると史実とどれだけ合致しているのかが気になってきます。井伊さん個人が悪者みたいな描き方もちょっと・・です。彼は彼なりの大義やビジョンを持って峻烈な政治に当たっていたように思うのですが・・・。