一週おきになってしまっている堺将軍ウォッチング。
この7月半ばで会えなくなってしまうなんて辛い・・・・・1回1回大切にしなくては。
【第25回「母の愛憎」】
この回は、大奥の力学で夫婦でありながらロミオとジュリエットのように引き裂かれてしまった家定と篤姫。本寿院の企みで、家定公には御台が具合が悪いと知らされ、篤姫には家定の具合が悪いと知らされる。
またその障害あればこそ、お互いがお互いを思う気持ちに気づかされる、という恋愛物語の王道も行ってます。
「私は上様にお会いしたい。妻としてだけではなく一人のおなごとしてお会いしたいのじゃ」
なんという成長。婆はうれしゅうござりまする。
また、日本的恋愛物語として母親と息子の関係の精算がありますね。
うつけの演技も光ります。
「御台は今日もおらんのか。御台はどこじゃー!わしは御台に会いに来たのじゃ〜!嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ〜・・・・」足をバタバタ踏み鳴らして、ばったりと倒れる。
本寿院と二人で語りたかった家定公。
「あああ、よぉ寝た」キュートなあくびをしてにっこり。すべてわかったような優しい笑顔。
「これまでご養育くださり、又一方ならぬご心配を賜りまことにありがとうございます。多くの兄弟の中で生き残ってこられたのはひとえに母上様のおかげにございます」
母親本寿院も家定を失うことが何より怖いのでしょう。
更年期障害も手伝って、ヒステリーを起こしやすい母を、優しい家定公が優しく別れに導いてくれる。
「しかし私はいまや大人になりました。これからは私が母上の心配をする番にございます。どうぞ心安らかにおわしませ」
30過ぎの将軍が言うことかと笑わば笑え。今の世にも30代40代で子供部屋に住んで食費も光熱費も入れようとしないすねかじりが膨大に居るではないか。子離れのできぬ母にきちんと感謝し「独立宣言」した家定公の優しさと分別に感じ入る。
またヒステリーながら正直で情にもろい高畑本寿院いいですね。どこか母息子共に天然で、大奥物にありがちな湿った感じから逃れています。
母にきっちり挨拶したあと、今宵も来ぬ殿を待っている姫の元に、勢いよく足音を立てて入ってくる殿。「久しぶりじゃのう、御台」
「そちがこぬゆえ、わしが来たぞ。そちがおらぬとおもしろうない。まるでこの世から色が消えてしまったようじゃ」
「私もでございます」
「そうか、わしらは気が合うのう」
嬉しい。嬉しい。笑顔の御台はとても可愛い。涙より笑顔が似合う。
久々の二人の寝間。世界にここだけぽっかり浮かんだ明かりのように。別々の布団ながら姫の手にポン、と上様のほうから手を触れてくる。
びっくりする丸顔の姫は可愛いなあ。
【第26回「嵐の建白書」】
さらに深まる二人の愛と、次第に緊迫の度を増してくる情勢。
最初のシーン、「おこただあぁ〜〜〜!」と、声に出してしまいました。
いつもは小さくて固くて四角の(当然だが)碁盤をはさんでちまちましているのに、今回は冬場のせいもあるでしょうけどおこたを挟んでの将軍様と御台様。コタツ板はないけれど、お盆の上に上様特製のポルトガルのお菓子?いいねぇ・・・・これならコタツにみかんとか、ちょっと豆腐に熱燗とか、キックして遊んだりとか、いろいろあったかいバリエーションが広がりそう。
「表ではまだこのようなこと(お菓子作りなど)をなさっておいでなのですか」とあいかわらず遠慮のない質問。
それにうつけの振りをしていてある日真顔で物を言えば「誰もがひれ伏すであろうな」と高笑いしてから、「嘘じゃ。そのようなつもりはない」
「今はただ、自然の流れに任せるまでじゃ」
家定公にとって、今が一生のうちで一番幸せなのかもしれない・・・・・。
手製の菓子を美味しそうに食べる姫を「もっとじゃ、もっとじゃ」と心から嬉しそうに見つめる殿。いい雰囲気です・・・。
しかし、幕末の情勢は二人の中睦まじい、清らかな夫婦愛をほおって置いてくれません。
斉彬の建白書と幾島の圧迫に耐えかね、篤姫はもう一度心ならずも「慶喜を継嗣に」と家定公に迫ることになる。
「それは父君の意向なのか」という問いに「これは私の考えにございます」と嘘。
失望した家定公は「そなただけは信ずるに値するおなごと思うてたがのう」と障子を開けて出て行く。
閉める事はしなかったけれど、夜の黒々とした空間が辛い。
一橋派の策略が破れ、幾島が気を引き立てても篤姫の心は晴れない。
しかし家定の方が篤姫を呼び出してくれる。
餅を焼きながら姫の悩みを察して謝ってくれました。篤姫の方も「自分の気持ちに嘘をついた」ことを認める。
二人とも「大人になった」とはこういうことかも。二人で熱々のヤキモチをほおばる。
「私は決めました。私は私の心に従います」
「父を裏切るのか」
「裏切りではございません。私の中ではそうなのです」
こういう超自己肯定型ポジティブシンキングの篤姫は、この時代に生まれて幸せだという。世界が開かれ、広い世界を見ることができる。開国後世界の国が助け合うなどという明るい未来を疑わない。
「もし生まれ変われるのなら何になりたい?」寝物語の家定公。「わしは人間でないものなら何でもいい」
篤姫は「私は私のままでいとうございます」
たわむれて身体の上に重なってしまっても、「疲れた、寝る」と自分の布団で背を向ける殿。しかし篤姫はくじけずからかう。間の悪い殿は頭を刀掛けにしたたかぶつけてしまうけれど。
何もせずとも抱きしめてくれればいいのに、一緒の布団で身体を寄せ合っているだけでもいいのに・・・・と思うけれど、それもない。不器用な、愛しい殿。
篤姫は目を瞑った家定に語りかける。
「わたくしは私でよいのです。でなければあなた様にお会いできませんでした」
この成長する夫婦愛に毎回ジンと来ています。
意外に、あと二週(放送的に)の命だというのに家定様はお元気の様子。小説版のようにいかにも身体が弱いという感じでもない。
このころの帝や将軍らが早死になのは、長年盛られた毒などよりも、ビタミン不足らしいですね。日に当たらず、精米しすぎた米を食べ、深刻な脚気に悩まされたらしい。篤姫のいかにも健康そうな様子は、日光を浴びて魚や野菜をたっぷり食べた薩摩の健康な暮らしが元になってるのでしょう。
結婚してから女は図々しくなるといわれるけれど、篤姫は入内後どんどん女性らしくなりますね・・・。
自分が他人の心を心ならずも痛めてしまうことなどほとんど解さない「正論女史」だったのに。今は斉彬の忠実な秘密兵器であることに疑問を感じ、小うるさい幾島のコントロールからもある程度自由になり、自分の感性に、自分の考えに正直に生きようと思っている。
ただ仲良く並んで床に就く二人。横たわる夫婦雛のように。
布団の中の宮崎篤姫は本当に可愛い。白くて丸顔でお肌がぽちゃっとして、マシュマロみたいに美味しそう。口を聞けば生意気なこともいうけれど、己に正直で、健康で生命の輝きに満ちている。
史実の天璋院像とはずいぶん違うけれど、ピュアで健康的な南国の太陽のような宮崎篤姫はやっぱり魅力的です。
そこに月のように青白い、寂しげに笑う家定公はベストマッチ。
【西郷大久保がネック】
さて、他の部分についても少し。
25話。熊本での大久保どんの屈辱的挿話がありましたが、席を外せといわれただけで指を噛み、拳を畳に打ち付けるこの激しい屈辱感を生む自尊心の強烈さにかえって鼻白みます。
劣等感に打ち震えて野心を燃やすなら、やはり内野勘助くらいやってほしいところです。コキタナクてもグロテスクでも、彼に力強い目の輝きがありたまらないエロティシズムがありましたねぇ。
大久保の鬱屈を見つめる西郷も魅力に乏しい。小沢征悦、正月時代劇『堀部安兵衛』の時もパッとしない俳優と思っていたけれど・・・・。
この回、後の西郷と大久保の運命を分けていく重要な場面だということだ(ナビの特集対談にあった)けれど・・・ああいう感じなの?例えば香取近藤が幕府の偉い人と会った時傍らの山本土方に「トシ、外せ」と言ったとしたら・・・・ちょっと想像しただけで全然違う風情じゃないですか。
大久保の「今日から、鬼になりもす」
うう、組ファンの逆鱗に触れるセリフじゃ・・・。あの時の近藤さんは(まあ鬼になり切れなかったとは言え)、自分の屈辱を晴らすために「鬼になった」と言ったんじゃない。全然違う。
26回、西郷は京にて慶喜推挙の根回しに奔走するが失敗。庭で土下座し、斉彬に大声で謝る。忠臣にして一途。しかしどこか、西郷隆盛に抱く茫洋とした人間の大きさや、ひとつ間違うと怖いほど腹の底が知れない感じとはずいぶん違う。なにかしら小者っぽいです。
この大河、私にとって最大のネックがこの二人です。特に批判する気分にもならず、毎回「コキタナイ」「くすんでる」「オーラがない」「パッとしない」程度の一言感想で済ましてます。酷だが単なるミスキャスト?
堺さんと違い、この二人はドラマの最後まで出続けるわけでしょう・・・?(はぁぁ・・)
北大路さんの勝海舟は楽しみですが対談もこの西郷どんとじゃなぁ・・・。
どこかに泰造ファン、征悦ファンの方いらっしゃいましたら、彼らの魅力を解説・弁護してくださいませ。
今回薩摩の若手の頭になることを要請され、小松帯刀と名を変えた尚五郎はまだよい。演技はワンパターンながら、基本的に品があってフレッシュなので許せます。斉彬公に篤姫のことで詰め寄る青臭さはちょっと「またかよ」的ですが・・・。
【斉彬公への疑問】
ところで、よくわからなくなってきたのが島津斉彬の考え。
〇このドラマにおいては、どうやら信用ならざる腹黒い人物であるらしい慶喜を、何ゆえあれほどまでに推挙しているのか?
〇篤姫の人となりに惚れ込んで養女にしたと思っていたけれど、結局は自分の道具にしたかっただけなのか?
〇それとももっと大人物で、大局的に世界情勢を見据えた上でのすべての布石なのか?だったらその目的は?
高橋英樹の堂々たる英傑ぶりにこれまでは何の疑いも持たなかったけれど、今は篤姫や家定公の感性の方が納得できるような気がし、なにやら斉彬公の行動が不透明に見える。
養女に上げて後はもう自分の娘ではないとすっぱり思い切っていた篤姫の実父母に比べ、将軍に嫁がせて後もコントロールしようとする斉彬公は、「他家へ嫁いで生きていく」女性対して随分と無理解な方ではありませぬか。
だって女性は、嫁した相手に情が移ってしまえば実家より婚家の繁栄を望むものです。
確か斉彬は家定の評判も子を作れぬらしいことを知っていた・・・だから本当の夫婦の感情など芽生えると思っていなかった・・・・?才気ばしった姫が暗愚な家定のことを尊敬するはずはなく、きっと自分の方に忠誠を尽くすと思っていた・・・?
・・・だったとしたら、女性がわからぬ上に随分気分の悪い男になってしまいます。
家定篇が始まるまでかなりテキトーな視聴をしていたので、そのせいで理解が足りないのかもしれません。原作上巻は読んだのですが、だいぶドラマの味付けは違いますよね。
家定公と同じ放送日に最期が描かれるという斉彬公。その時には本当の心情や目的が明らかにされるのでしょうか・・・。
本当に、あの夫婦は夫婦としては条件が揃っていないけれど、その分切なくて愛しくて、二人一緒の場面は宝石のように貴重に思えます。
>出来るのならば歴史を捻じ曲げてもっと長い時代を共に過ごさせてあげたいものです。
本当にそうですね・・・。家定公は山南さんと同様堺さんの作り上げた役という感じで、全然違うのに時々山南さんの影がちらつきます。物語の最後までなんらかの影響を残す、それこそ山南さんのような存在として引っ掛かっていてほしいと思います。