観劇予定など(『メンフィス』取れたよ!)

November 21 [Fri], 2014, 10:34
◆◆◆
火曜日、高倉健さんが逝去のニュースに驚いたばかり。私は全盛期の健さんは知らない世代なのだけれど、『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』の、あの独特の無骨なたたずまいが素敵でした。
緒方拳さんの時も感じましたが、もういらっしゃらないのだと思うとやはり寂しいです。ご冥福をお祈りします。

その後、連日のように結婚報道。(こういうのって自粛や延期はしないんですね)
水曜日、職場でまさに「悲鳴」が上がって西島秀俊(43)さんの結婚を知りました!
お相手は16歳年下の一般女性。以前、意外に関白な結婚観を聞いて(んん?こんなんで結婚できるの?)と正直引いたのだけれど、その時には意中の方がいらしたんですね〜〜。
西島さんは、野放しにしておくのはなにかと危険な存在だったので、身を固めてもらってよろしいのでは・・・と思いました。

かと思ったら、今朝は『信コン』の恒ちゃん、向井理(32)が国仲涼子と来月結婚と発表。
あれ、この話前からありましたっけ?
サブロー一家と恒ちゃん夫婦、プライベートでも仲良くするのかなあ・・・?

それにしてもこの二人、「あなたが結婚したいと思う男性のランキング」2位と3位だったんですね。(1位は福山さん)
向井さんの人気も、なかなか侮れないものがあります!月曜日『信コン』の恒ちゃんがやたらと輝いてると思ったら・・・(関係ない?)

【メンフィス取れたよ!(観劇予定)】

事務兼販売の仕事になってから、土日どちらか出勤する分、平日に休みができて、芝居や映画や美術館に行くにはなかなか便利。

しかし忙しいというかアンテナの張り方ができていないのか、観たい芝居の発売初日を忘れてばかりいます。

昨日の夕刊に久々に山本耕史の記事(広告記事)を見つけ、おっと!『メンフィス』とっくに発売してたんだ!と汗。急いでチケットぴあで残席をさがし、意外にいい席が残ってたので押えました!!よかったあ〜〜!(2015年1月30日〜2月10日、赤坂ACT)
ミュージカルは体質的に自分は好きじゃないように思ってた。けど、耕史君が関わる作品を見続けてくると別格だと思う。話題性イマイチだけど「質」がいつもしっかりしているもの。作品への興味も高いので、楽しみ。
http://www.tbs.co.jp/act/event/memphis/

そのとき、あ、森山未來君の『PLUTE』も忘れてたよ汗
耕史君のと違ってこりゃ残ってないかなぁ(←こら!誰に喧嘩売ってる)・・・とおもったけれど、これも相当いい席がまたポツンと私を待っていてくれたので、即決。(2015年1月9日〜2月1日、シアターコクーン)
公式http://www.pluto-stage.jp/

地方の若者の陰影は濃い 『Nのために』(5)『信長協奏曲』(6)

November 21 [Fri], 2014, 1:59
『Nのために』(5)
『信長協奏曲』(6)


【『Nのために』の若者群像にグッと来た】

『信長協奏曲』の前に、『Nのために』についてちょっと。

湊かなえ原作の、今季唯一の長編ミステリ、ということで、視聴中。
三話の中盤までの、故郷の島でのパートは、正直全然乗れなかった。

主人公杉下希美(榮倉奈々)の境遇設定が、あまりにもエグい。。
若い愛人と暮らすため、妻と子供二人を家から追い出して町内のボロ家に捨てる実父(光石研)。
月10万の生活費を、化粧品にすべて使ってしまう、現実感のない実母(山本未来)。
生活に困窮する主人公を、土下座させて「食べ物を恵んで下さい」と言わせて笑う後妻(柴本幸・・・この文章書いて初めて気づいた!『風林火山』の由布姫だったのね)

実際、田舎(「地方」と言い換えるのが面倒なのでこのままにする)では、都会で想像するよりものすごいことが普通に起こっているのだ。
(このフレーズは、30年前なら「田舎」と「都会」は逆だった。しかし今ではおおむねこうなっていると思う)
だから、こんな信じがたい家庭も、実際にはありそうな感じがする。しかしドラマ作品の中での「リアリティ」は足りない。
唯一、「生きるためには何でもせんならん」というヒロイン杉下希美(榮倉奈々)の必死さはわかった。
杉下と成瀬君(窪田正孝)の恋も、真剣なのはわかるけれどなんだか見ていて気恥ずかしい。

しかし三話の途中、2001年からの東京編(?)になり、急に話が面白くなってきた。
築60年、家賃月二万風呂なしのぼろアパート「野ばら荘」での話が始まってから。

杉下、西崎(小出恵介)、安藤(賀来賢人)三人の、「野ばら荘」での青春風味がたまりません。家とこの三人を孫のように愛している家主の織本順吉さんもいい・・・。

大学に入っても、杉下はサークルや合コンには背を向けて、バイトと学校とアパートを往復するだけの生活。大学は、新歓の喧騒場面が描かれるくらいだが、大学生は本当にアホそうに見える。いや、今に始まったことではないが、このドラマの視点で見ると一層。

杉下が二年の時の台風の夜、彼らの交流が始まる。
西崎。法学部五年で、小説家を目指して学校に行っていない。この環境が気に入っている。
安藤は、まっすぐな上昇志向の若者。仕送りはあっても他のことに使いたいタイプ。
仕送りなしのでこのアパートにしか入れなかったのは希美だけ。

小出君演じる、西崎さんがいいんですよ・・・・(ちょっと惚れかけてる)
西崎は愛についての小説を二人に読ませ、感想を求める。文学賞に送ったけれど、「選考委員は愛を理解できない奴だったらしい」。
ちょっと青臭い会話が、ものすごくよくできてる。

(主に安藤に)「その割切りは良しとしよう。だが、就職して給料をもらうことが君の存在意義か」「同じ貧乏暮らしの君に揶揄されたくない」「やはり君とはあいそうにないな」

作品「灼熱バード」には、西崎が母親から受けた激しい虐待と、愛を求めた記憶が込められている。
西崎「杉下の考える愛って何?愛と言っても、究極の愛」
杉下「罪の共有。共犯じゃなくて、共有。誰にも、相手にも知られず、黙って半分引き受ける」

西崎は、少し年下の安藤と杉下を、皮肉を言いながらもとても愛している。彼らを観ているのが好きなのだ。ともすると「くっついちゃえよ」とか言うのは困りものだが。
野ばら荘のことも単なるアパート以上に、まるで自分の家庭のように愛している。
そしていつも、寂しげにほほ笑む。火を極端に恐れ、全身の火傷の跡を隠すためにいつも長袖、「水着を着たことがない」。

安藤も、一見チャラチャラしているように見えるけれど、頭空っぽ大学生とは違う。さすが杉下と同じ島出身(杉下は瀬戸内海、安藤は長崎県)。大学も英会話もすべてステップアップのための手段と考えている。就職試験にもしっかり取り組み、甘えやイイワケや暗さがないので、いっそ気持ちがいい。

「合わない」と言いながら乾杯する西崎と安藤がいいし、西崎を尊敬しながら、安藤のことは呼び捨てにする杉下が、かわいい。こんなことはなかったけれど、この時代の青春は、手触り的によくわかるように思う。『楽園ベイベー』とか『トラベリング』とか、いい感じでかかってるなぁ・・・。

2004年の事件の時は一人で犯人と名乗り出、10年の刑期を終えて2014年の「現在」、のばら荘に帰ってきている。
次回(明日)は、殺された夫婦の小西真奈美と西崎さんが関係を持つらしい・・・注目。
一方、杉下の同士成瀬君は、目が暗くどんよりとして、大学にもいかず悪い道に引きずり込まれているよう・・・。

また、全体を見守り追求する刑事役の三浦友和がすごくいい。若い巡査時代も、年老いていい感じに白髪が混じった今も、雰囲気があってカッコいい。三浦友和の役者人生長いけれど、個人的には今が一番納得のビジュアルかも・・・?

【地方の若者の陰影は濃い(都会の若者はバカみたい)】

しかし、ここに感想を書きたくなったのは、役者の好演だけではない。

湊かなえ、『告白』以来そこまでの傑作はなかったけれど、「地方からのまなざし」というのがこの人の持ち味じゃないか、と少し前から思っていた。
『夜行観覧車』は東京郊外だけれど、『高校受験』はリアルな地方の中都市的世界観だったし、『贖罪』も『N』と似た、「地方→都会」の構図を持っていたように思う。『白ゆき姫殺人事件』『少女』もそうだったのでは・・・?

なんかね、今小説にして面白いのは、東京より地方だと思う。吉田修一とか、深町秋生とか、辻村美月もちょっとそうかも・・・。
それは、目新しさとかいうものじゃなくて、都会出身者が「バカ」だからだ。
「差別だ」とか言われるといやだから(もちろん根本的には差別の話なんだが)、なるべくウチの話にする。
ウチでは我々親二人は純然たる地方出身者(親戚全部東北人だし)なのだが、息子と娘はどうも「都会出身のバカ」らしいのだ。小さい頃は東京の子供はなかなかカシコげなのだが、高校生あたりからドドッとバカになる感じ。

なんでもあるからね。TVのバラエティに出てくる人気のある店とかさがして行けるし、ニュースの商品がリアルタイムで現れるし、それが当然だと思ってる。
話題の舞台も映画も行けるし、お金を稼ぐ方法もたくさんあるし、好きなアイドルに会いにも行けるし、アイドルになりにも行けるし(なれるかは別問題だが)、金があればカワイイ小物も服も買える。ディズニーランドなんて娘は小5の頃から友人同士行ってますもん。
「稼ぐ⇔消費」のルートに乗っちゃって、それが楽しいということで、それができない田舎の子を「そういう子もいるんだ〜」くらいに思ってるだけ。(もちろん都会にも地方にも引きこもって「稼いで消費」ルートに乗らない子もいるけれど、話がややこしくなるから省く)(西崎のような児童虐待の子の例もややこしくなるから省く)

まあ、おおむね無害だからいいんだけれど・・・・「バカに見える」のは何かを自分の中に溜め込んで熟成させるというプロセスが地方の子よりすごく少ないからに違いない。バナナが自生している地域より自然を切り開いて作物を作らねばならない地域に文明が発達するのと同じ。

『Nのために』観てたらすごく思ったけれど、田舎の子は大変なんだよね(過去の自分も含めて)。
みんな青春時代に「東京行きたい」って思うでしょ。特に何をしたいというわけでなくとも、相当に強く。(東京の子はそれ聞くと笑うんだよ。その辺の出発点が圧倒的に違う)
芝居ひとつ見に行くのだって大変なエネルギーと費用と時間がかかる。しかしそれだけ「憧れ・餓え」というような思いは強まる。パッと叶っちゃって「まあまあかな」とか言ってる都会人とは違うのだ。

東京でも中央に近づくほどバカ傾向は強まるのか、「区」に住んでる女は、「青梅線って埼玉だと思ってた〜!昼間の電車の間隔が10分以上あるんでしょ〜受ける〜!」とケラケラ笑うのだ(完全実話)。何言ってるんだ前住んでた九州は廃線の駅しかなかったし、東北の田舎にはバスが一日三本しか来ない、なんて場所がいくらでもあるんだとか言いたくなるが、バカらしいのでグッと抑える。15年前にいたパート先では、スタッフ三人が三人とも宮城県の場所を知らず、なんと九州や四国を指さしてた。自分のところがフツーでほぼ全てで他のことは知らなくてもいいとか思ってる輩がバカなのは当然なのだ。田舎の子供が原宿のショップ情報集めてるのが気の毒になるくらい。せっせと崇拝するから余計バカがつけあがるんだよ・・・ってわかっていてもこの構図は変わりそうにない。
(↑半日後くらいに勝手に加筆してしまった。ゴメン)

ねえねえ、『信コン』と『ごめんね』見ようよ。

November 14 [Fri], 2014, 19:50
『信長協奏曲』第五話
『ごめんね青春!』第五話

ドラマファンのきのこ、先月「コメディが楽しい今季」、と書きました。

『信長協奏曲』(コメディだよね?)『ごめんね青春!』『ファーストクラス』(コメディだよね??)『地獄先生ぬ〜べ〜』(三回以降見れてない)『素敵な選TAXI』(当初見てなかったけど今見てる)・・・。

それはあまり変わってません。どちらかと言えばシリアス人間ドラマ派と思われがちですが、今季は不作(『Nのために』がようやく面白くなってきたけど)。

特に『信長協奏曲』は、もう一週間で一番の楽しみ。
今週の月曜は仕事で予想通り心身キツイ状態で(まあ、誰にでも最悪な日はあるよねと言う程度ですが)、家に帰って『信コンん』観よう、という一念で耐えられた。9時からリアルタイムでゆったり、遅い夕食を食べながら心から楽しみ、とっても元気になりました。

続いて(持ち帰り仕事はあったけどつい)その前の日の『ごめんね青春!』も観て、「壁ドン」四連発に続き、実在のゆるキャラ「みしまる、みしまるこちゃん」を堂々前に出したエピソードで、また心から楽しんだのでした。

だのにだのに、この二つのドラマの視聴率不振はどういうことでしょう?

『ごめんね青春!』 10.1→7.7→6.7→6.7→7.4
『信長協奏曲』 15.8→13.5→12.5→14.6→11.6


【ごめんね青春!】

それでも、『ごめんね青春!』は、まだいいのです。
もともと、クドカンと磯山プロデューサーの余裕こきすぎ。

飛車角落としと言うより、一軍総外し。クドカンドラマのレギュラー(阿部サダ、皆川猿時、荒川良々、星野源、村杉蝉之介、三宅弘城、小路勇介・・・さらに松尾スズキも)2,3人出せばよいのにすべて外し、知名度の低い生徒たちがメインキャスト。(トリンドルしか知らなかった)。

主演の錦戸君はこれ以上ないほどのハマリ役だが、長瀬君ほどの集客力は不足。満島ひかりはコメディ音痴(だいぶ見慣れたが)で声がなぜか裏返りがち。ベテラン陣は生瀬勝久、風間杜夫、平田満(70年代つかコンビ)と実力派ぞろいだが・・・。(個人的には永山絢斗とえなりかずきが一番楽しみだった)。『あまちゃん』の資産すらろくに使ってない。(みんな『弱くても勝てます』よりはこっちに出たかったろうに・・・)

クドカンのドラマは、もともとあまりヒットさせる気がないんじゃないか、という感じがすることが多い。コケないことに真面目に取り組んだのは朝ドラの『あまちゃん』くらい?
序盤に「つかみ」が足りないのも、クドカンの癖だと思う。
視聴率を稼ぐためならいくらでも方法がある(金を使わない範囲でも)のに、それを使うことを良しとしない。

実際、第1話2話は正直なところ面白さよりかったるさの方が強かったのだが、3話以降ぐんぐん本調子になり、もう4話5話は楽しくてたまらない。
生徒たちの顔も覚えてようやく愛着が出てきたし、壁ドンネタと「みしまるくん」ネタで勢いがつき、もう何の心配もないほどなんでもかんでも面白い。毎回最後には教室で先生が黒板の前で「いいこと(??)」言ったりするのも、学園ドラマの正統路線?青春の恋愛エロ模様はズンズン進んで、えなりかずきのエロまで炸裂。

クドカンのボヤキ発言として「俺の感覚がズレてるのか」というのが流布されてるけれど、あれ、自信失ってませんね。

観ようよ。面白いよ。

ついでに、関ジャニの歌う主題歌『言ったじゃないか』(クドカン作詞)が、すっごくいいできばえ。今年の忘年会はこれで盛り上がろう!!
「好きって、好きって、好きって、言ったやんか!言ってないか・・・」

【信長協奏曲】

しかしもっと心配になるのは、やはり『信長協奏曲』。
『ごめんね青春!』の低視聴率には、視聴率を取る方法がいくらでもあるのにさっぱり使わなかった、という立派(?)な理由があるのだけれど、『信長協奏曲』は逆。
視聴率を取るためにありとあらゆる努力をしている。
それは非難されることじゃない。
作り手の情熱も力の入りっぷりも感じられる。
豪華すぎるほどのレギュラーキャストとゲストキャスト。人気漫画原作。開局55周年記念番組。月9初の時代劇。アニメ、ドラマ、映画とのメディアミックス展開一挙発表。派手な番宣。金だって使ってる。

まあ・・・視聴率が下がっている理由はわからないでもない。もともとトンデモ歴史解釈なんだけど、その原作ファンを裏切るような大幅な改変。ついてけないで脱落していく人も、多いでしょう。演出や脚本にも、不満が出そうなところも確かに多い。時代劇ファンも、原作ファンも、そっぽを向きかねない。

私だって、(第三回の感想に書いたように)、原作を読んでそちらの魅力を感じてしまったら、やや色あせて見えた。原作と話を変えたために、無理やりな展開も見られる。

今季はテレ朝の一人勝ち。『相棒』『ドクターX』はやはり強く、『科捜研の女』まで調子がいいとか・・・。
いや、それはわかる。
『相棒13』今季面白いもの。水曜の楽しみ。右京さんは少しも衰えないし、カイト君(成宮君)はますますよくなって来てセクシーだし、きちっと話ができててキャストも安定してるから、伊丹さんが菓子パン食べてるだけのシーンだってなんだか面白い。
『ドクターX』は、もうわかりきってる話なんだけどやっぱり面白い。キャストも豪華かつ達者だし、「ワンパターンの現代時代劇だ」という評価は当たってる。けれど、それだけじゃここまで受けない。脚本の中園ミホが油が乗ってきている感じ。

けどね、無謀かもしれない新しい企画に全力を傾注するようなチャレンジには、もう少し長い目で見てあげたいじゃないですか。

もう旗幟鮮明、弁護側に回ります!
前回の感想では

「前言いろいろ撤回御免『信長協奏曲』(3)」http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1351

として、原作を読んだ後の正直な気持ちを書いてるけれど、その後読んでない。
読んでないと、ドラマだけでちゃんと面白い。多分ドラマを観てから原作を読むのは失望しないだろうし(あれあれさっぱり褒め言葉になってないけど、もうやぶれかぶれ)

いろいろご不満点はもっともだけれど、原作に一応目をつぶっても、「元気が出るほど楽しい」ドラマなのだ。
驚きがたっぷりあって、今の感覚ですんなりみられて、でも擬史の面白さも十分楽しめる。

【第五話は戦国恋模様】

第五話の感想をさらっと書くけれれど、原作については15話『デート中の出来事』以降のことは知りません。ネタバレはやっぱりご容赦願います。

第5話もつかみ良かったなぁ・・・。

いきなり、元のホンモノ信長が織田家のウグイスの句会にいるんだもの。

恒ちゃんもモリリンも勝家も、作句は苦手と見える・・・そこで藤吉郎がいきなり発句。
「泣かぬなら、泣かせてみせようホトトギス」
ウグイスもちょうどよく鳴いて、みんな感心。
続いて犬千代に殿が所望され、
「泣かぬなら、殺してしまえホトトギス」
すっと無表情で、考えてるんだか考えてないんだかわからないような顔で言うホンモノ信長。
「コレだ!」感あり。

その後で前回の最後に出会ってからの状況説明。

「信長あ!!」と怒るサブロー。「戻って信長やれって」と言う。
現代にも戻れないのに、信長やめたらサブローここでどうやって暮らしていくんだ?
(原作では「今更入れ替わっても何かと面倒くさそうだし」と言ってます)
信長は「今の織田家はおぬしが作り上げたもの」とし、「これからは明智光秀として織田家を支えさせてくれぬか」と頭を下げる。

そこに犬千代たちがやってくる。佐々成政ともう少しコンビ感出してあげたらいいのに・・・。ろくにアップも振られず、阿部進之介冷遇され過ぎだよ。これなら渋谷すばる君でも出して関ジャニコンビにすれば・・・?とか思った

犬千代が間違ってホンモノ殿を連れて帰っちゃう。
サブロー「ああ〜あ!髪型も服も全然違うのに何で間違うんだよ!バカ!」
道をやってきた馬を見て、親指を突きあげるサブロー。馬はタクシーか。(こういうのが好き)

句会は軍議になってる。近江の浅井長政対策として、お市を浅井に嫁がせる。という話。
全員・・・恒ちゃん以外はそれしかない。という。
最後にホンモノ信長は「よいのでは、ないか」
恒ちゃん、明らかに失望。(お市に惚れてるから)
相変わらず、何を考えているかわからないホンモノ信長。
この回の最後の方を思うと、この辺がまことにうまい。
帰蝶が信長に行きあう。「どうしたうつけ。そのようなきちんとした身なりをして」
帰蝶ちゃん、何も気づかないんかな・・・不審な顔はしてるけど・・

でんでんがやってきて、理由をつけて信長を連れだす。
入れ替わりに屋敷に帰ってくるサブロー。
犬千代「殿!またお着替えされました?」
お市嫁入りの話を犬千代から聞き、顔色を変えるサブロー。

ああ、面白かった。緊張感あった!
心配はしてなかったけれど、予想以上に小栗君の演じ分けは完璧!!
明智になった信長が、以前大河に出ていたころの小栗君イメージそのまんま。(石田三成役とかのね)
昔の小栗君と、ルパンとかやった後のダイナミックに陽性コメディができるようになった小栗君と、比べられて面白い。

『奴婢訓』について、もう少し(感想3・ディスカッション編)

November 12 [Wed], 2014, 2:51
キラリふじみシーズンレパートリー新作
寺山修司作・多田淳之介演出『奴婢訓』

まだ『奴婢訓』引きずってます。
実際の舞台を「観た」夜からだいぶ離れたところに来てしまいましたが、これも観客の自由のうち、ということで、お許しを。

地方の公民館で5日間しか上演しなかった舞台。コメントを頂くのは難しいと思っていましたが、幸い舞台を見た方から、10クエスチョンへに対するお返事をいただき、大きなひらめき(いくつかは決定的な)を幾つもいただきました!

このやり取りはなかなか面白く、決定的な収穫もいくつもあったので、ご本人の許可を得て一部引用させて頂いております。快くご了解いただき、ありがとうございます!

《ご注意》この記事は、以下の2つの記事を読んでからお読みください!
念願の舞台『奴婢訓』(感想1)http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1352
『奴婢訓』について、もっと(感想2・答案編)http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1353


文中の引用は、青字が「Aさん」(アンサーをくださったので仮に)
ピンクは「その他」です。

1)(舞台に上げられた時の気持ち)

>「照明、まぶしい」第一感想。
>観客入口からゾロゾロ演者が入場、思い思いに客席に座りこちらを眺めだす。
そのダリアちゃんのポーズが、自分の座りかたあんなだなぁと思わされる。(左の肘掛けに肘かけて体重を乗せ気味)「観覧態度悪っ」と思う。
>舞台に上がっても、自分は観客だと思い、いい子にしていたら、物語の朗読が始まったので、眼をつむって聞きほれていました。ここの話が一番童話っぽくて好き。

そうですね!第一感想は「照明、まぶしい」ですね!
その照明に煌煌と照らし出されている自分自身、ということで自意識が引きずり出された感じがしました。役者とは、こういう自分と最初に戦わねばならないのかな。
しかしAさんは、「奴婢」になりきってないというか、まだ「観る」側の意識が強い、ということに「おっ」と思いました。「見られていることに縛られる」ことを意識し、自分を奴婢的だと思った私とは、だいぶ違うかも。
でもその結果(自分の)観覧態度に思い当ったり、客席のダリアに自分を見たりするのがおもしろい。「見る」「見られる」の関係は合わせ鏡のようですね。

物語の中の朗読部分、賢治そのものだったり、寺山オリジナルだったりするあの文章は、聞きほれますね。とはいえ舞台に上がった時には今ひとつ集中して聞きほれられなかったのは私の自意識過剰のせいだと思います。(「誰が殺した駒鳥は」のフレーズでは、思わず舞台上で「パタリロ!」のクックロビン音頭ポーズをしそうになる自分を抑えたり)。

寺山作品については実はあまり知らない(『奴婢訓』にずっと憧れてただけ)けれど、宮沢賢治は、やはり好きです。寺山よりさらにわからないけれど、子供の頃から親しんできたせいか、自分の根っこの方にあの物語群が巣食っている感じがする。わからないのに泣けてしまう。

2)(ポラーノの言う「権利と義務」について)

>この芝居(戯曲にか演出か不明)には罠がいくつかある。そのひとつ。

この方の、「疑いを持つ」ところが好きです。
舞台を見て、判で押したような褒め感想しか言わない人も、何かと比べて不満ばっかり言う人も、つまらない。

「罠」ありますね。いろんな仕掛けもあるし。
私は「罠」にかかってみよう、「一度は騙されてみないと」という方ですが、感じます。

ただし・・・この部分はそう思わないです。むしろ逆かな、と。
「権利」と「義務」をごっちゃにして我々を騙すのは、むしろ現実の権力が獲っている「罠」で、この芝居はそれを告発してるのかなと思いました。

「勤労の義務」というのがありますが、むしろ労働は「権利」「自由」として保護されねばならない。実際、憲法内に「すべて国民は、勤労の権利を有し、勤労の義務を負う」とある。
けれど実際には、ワーキングプア、ブラック企業、就活が非常に困難な50代60代・・・。文系の大学院を出た優秀な学生がネットカフェ暮らしを余儀なくされている現状とか。
労働する意欲も能力もあるのに、労働する権利が守られていない!ですよね。
それなのに「労働は国民の義務」だなんて、このためにどれだけの人が自分で自分にダメ人間の烙印を押してきたことか。
まさにポラーノの言う通り、「勤労の権利はないが、義務を負う」状態。・・・「奴婢」です。

ここで気づいたのですが、「感想2」で私は
>自分を「義務」で縛るものは何か、と考えると、自分(の意識)だ。
と書いたのですが、そうでもないのかも・・・。

この芝居ではもともと、国とか法律とか、「権威」的なものを言ってたのかもしれません。(多田版ではどっちでも取れるようにできてるけれど)。
すると「奴婢」は、「社会的に抑圧された人々(しかし立ち上がろうとしない人々)」のことかもしれません。

3)(『奴婢訓』は現代の写し鏡か)。
「そう思う」(きのこ)、「そうは思わない」(Aさん)で終わったので、略。

4)(ダリア)

>主人公(中略)女主人公。
>一人『主人&奴婢』を演じることを許されたのは彼女だけ。
>(犬の部で皆が代わる代わる演じるがあれはイメージ的なもの)

同感です。ダリアは「主人公的役割」だと思いました。
前記事で「唯一共感できそうなキャラクター」と書きました。
しかしながら、Aさんとのやり取りの中で、「ダリアに感情移入」というのは正確じゃないなあ、と思いました。もしかしたら感情移入しているのは、ダリアに対する奴婢たちの感情にでは・・・?
自分の欲望に正直なダリアへの、羨望、嫉妬、憎悪。
「ルールを破ったこいつは『正義』の名のもとに粛清してやらねばならねえな」、
しかしそんな奴婢でいたくない、と思えばダリアのような絶望的な戦いをするしかない。ダリアの末路には自分でも驚くほど衝撃を受けました。

5)(ゴーシュ)

>狂言まわし。

同感です。

6)(インタビュー隊が出ていく前と、後)

>なにも変わらない。

うう、Aさんかっこいい!!
思わせぶりな趣向には惑わされませんねえ。(実際、何も変わってないし)
そもそも、舞台という形式だけで観客を奴婢にしたり、その後(安手の)主人にして焼き殺される気分を味あわせたりなどできるものか。

でも、私はこういう「企み」は結構好きです。(「罠」というほど練られてもなく、チープなまま押し通したのが面白い)
私みたいな騙され方をする観客がいただけでも。部分的に成功したといえるのかも。

羽生君、波瀾の今季がスタート(追記あり)

November 09 [Sun], 2014, 21:35
フィギュアGPシリーズ(in中国)第三戦。
羽生結弦くんの今シーズン初戦でした。

ここ毎晩帰りが遅くて生放送では見られなかったのですが、初日では失敗の連続で「最低の出来」(本人談)、二日目のフリーでは直前練習での激突、流血・・・・。
心配なニュースばかりモバイルに飛び込んできます。結果は二位だったというけれど、どんなことになってたんだろう・・・・。

今朝から各チャンネルをザッピングして、せっせと映像をあさりました。ニュース番組で見られたのは短いバージョン。

あ、ぶつかった・・・鮮血が顎を伝う・・・・何度も転んでは立ち上がり、滑り出し、また転倒し、ふらつきながらおきあがり・・・これまでの羽生君には見たことのないほど涙を流してる・・・。

夜、BS朝日でロングバージョンを見ることができました。
満身創痍をうかがわせる頭のプロテクトと顎の絆創膏・・・あの細い顎を7針も縫ったなんて、あとが残ったらどうしよう・・・と不謹慎なことを考えた。

決意をみなぎらせた表情で、滑り出し、4回転見事に回ったが転倒。次のジャンプも転倒。3度目にようやく成功。
合計5回のジャンプで転倒した。こんなの見たことがない。転倒しながらも回転数が認められたのも多いけれど、スケーティング部分も相次ぐ転倒で時間が合わなくなったのか、いつものような魅惑のスケーティングとは言い難かった。けれどスピンやコンビネーションジャンプなどで、いくつかの部分で羽生君らしい美しい演技を見せてもらえた。

そんなことより、4分半の長さ!!最後の方も連続で転倒した。どんな精神状態なんだろう。それでも立ち上がって最後まで滑ろうという姿に、会場はすごい高まりになった。頑張れ羽生くん。
4分半は手に汗握るほど長かったが、最後まで滑り終えた瞬間には、会場からものすごい歓声と拍手。

本人はもう、立っているのもやっとという状態だった。コーチのもとに戻ってからも、一人で立てず、上体を起こしているのすらやっとという感じ。
減点は大きかったけれど、回転数を認められたジャンプも多く、暫定(SP1位の選手を残してたから)1位。
この時の羽生君の泣き方が凄かった。
あたりをはばからず涙を流し、下を向いて顔を覆い、なんと低く声を上げている。号泣。こんなにまで・・・・。涙と汗がパックリ開いたあごの傷口を洗って、赤い汗になる。プーさんのぬいぐるみじゃなくて、誰かタオルかハンカチを・・・。

最初見た時、何度も何度も転倒しては立ち上がる羽生君を見て、エロくて参りました(不謹慎だと思いつつ・・・)。
少女のような顔の、細っこい少年が、血を流しながら演技を披露し続ける。古代オリンピックで、その才能を皇帝に愛されて演じ続けた少年、オリンポスの神々に選ばれた少年。・・・・美しさと、どこかしら悲劇の香り。

とかなんとか私が勝手に陳腐なロマンティシズムに浸っている間も、羽生君はきっと、どこか吹っ切れた気持ちでいるのかもしれない。第一夜のSP後のインタビューの方が重くて悲痛だった。
「こんな演技では帰れない。ブライアンコーチの名前を汚すような演技をしてしまった」と。
店頭こそなかったけれど、主要なジャンプの回転不足でロシアのコフトゥン(羽生君と同じ19歳)にトップを取られた。
この時は、予想された五輪王者のスランプが始まり、トンネルに入るような不安もあった・・・。
でも、フリーでこれだけアクシデントがあり、あれだけ転倒したら、もう怖いものもなくなるんじゃないかしら?

羽生君は、その妄想を掻き立てるような美しさとは裏腹に、演技が終わった後いつもはふにゃっとした笑顔を見せるじゃないですか。あれが好き。周りの思惑とは別に、本人は「少年漫画(スポ根)好き」で、きっと逆境にファイトを燃やすタイプじゃないかな。

今回の初戦の波瀾も、きtっと前進のバネにしてくれそう。
そう思うと、これは「羽生伝説第二章の始まり」なのかも。

ただ・・・滑走後あまりにふらついていて、身体の中心もまっすぐできない感じだったのが心配。
脳に影響がないことをひたすら祈ります。

あと、腰痛も心配。このためにGP第一戦を断念したというから、これもスポーツ選手の宿命とはいえ気がかり。高橋選手のように、ケガとの戦いばかり続かないといいけれど・・・。

男子フィギュアは、今季第一線で町田樹君が優勝、第二戦で無良君が逆転優勝するなど、上々の滑り出し。
オリンピックイヤーじゃないけれど、どうしても男子フィギュアに心騒ぐシーズンになりそうです。

(この後、追記あります)

『奴婢訓』について、もっと(感想2・答案編)

November 06 [Thu], 2014, 21:41
キラリふじみシーズンレパートリー新作
寺山修司作・多田淳之介演出『奴婢訓』

>この小さな舞台(と客席)に、世界が全部入っている。この外側に世界はない、とまで思わされた。
>私はずっと、こんな演劇に憧れていたのだとストンと納得する。(前記事より)

ご注意!!
この記事は、前記事「念願の舞台『奴婢訓』(感想1)」を読んでからお読みください。


自分で自分に宿題を出したせいもあり、まだ『奴婢訓』を引きずってます。
作品に「意味」を求めすぎる、と言われます。「悪しき深読み」というものかもしれない。ただし、この趣味の衝動が発動するのは、それだけの作品だということですので、お許しを。

【『奴婢訓』の体験レッスン】

前回提示した「10個の宿題」は、実は自分が答えやすい順番に並べたものです。
しかし、大きな勘違いもあるだろうから、疑問やご意見をお寄せいただければ、大歓迎です。

<1>役者に替わって舞台に上げられた時、自分は何を感じたか。(第9場)

立ち上がって舞台に向かうときの気分はまさにアトラクション。
ポラーノ(?)の脅し文句はユーモラスで、マジックショーで観客を指名して舞台に上げるマジシャンのよう。のこぎりで半分に切られても、ちゃんと元通りに帰ってこれるという安心なドキドキ感。
「キラリふじみ」のメインホールはとてもきれいだし、今回の舞台装置はシンプルながら瀟洒で、さっきまで奇怪で魅惑的な奴婢たちが騒ぎを繰り広げていた場所に立つだけでワクワクする。

舞台の上で面白く感じたのは、視点の転換。観る側でしかなかった自分が、観られる側に立つ。おかしな表情や動作をしてないかとか、自意識がせりあがってくる。シャツがはみ出てないかと気になっても、腰を探ってそれを確かめるのは憚られる。「何もしても自由だ」と言われても、動きが演技的(他人の目を意識したもの)になる。面白い。

自然と、同じように舞台に上がっている他の観客の様子を見る。
舞台の上でライトを浴びて、きょろきょろあちこちを見まわす観客たちが、舞台上の俳優のように見える。結構絵になるものだ。「突如舞台に上げられて自由を与えられ当惑する奴婢たち」の演技を、見事にこなしているかのよう。私は舞台の上のスポットを見上げたり、主人の椅子を見に行ったりした。動きが見られている、ということが当惑と少しの昂揚感をもたらす。同行者と目を見かわして笑っている女性客。立ち上がって「これ、このまま休憩になるのか」とか日常っぽい言葉を語る男性客。「何もしてもいいんだよね」と席に帰っていく客。
中に一人、客席から動かない客もいた。これも想定内なのであろう、舞台の進行には響かない。また、客席に残るという道をとっても外部ではいられない。「見ながら見られている」という点ではどちらも同じだ。そしてそれはさっきまでの自分も同じということだ(ということに気づかせてもらえる)。

舞台に上がって観察しあっている我々は、失礼ながら非常に「奴婢的」だと感じた。少なくともあの状況で「主人」に見える人はいなかった。
従わなかった人は奴婢から半歩出て、意思的にふるまったダリアのような存在にも思えた。

客席からこちらを見る役者たちは、舞台の上のユーモラスな様子とはうって変わって無表情で、ただこちらを眺めている。怖い、と感じた。
「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」(安部公房『箱男』)という一節をなんとなく思い出す。

まあ、もちろん、たいしたことだとは思っていなかったのだ。ホール側の人に「休憩に入ります」と告げられた時、このまま一服して、席に戻ったら芝居の続き、後半のクライマックスが見られるのだ、と思っていた。

<2>「貴様らは奴婢だ。権利なんかない。あるのは義務だけだ。
飯を食う権利はないが、飯を食う義務はある。(略)欲望のままに振る舞う権利はないが、欲望のままに振る舞う義務はある」
ポラーノ(?)は「いくらでも続けられる」と言ってた。具体的な同類フレーズを考えつつ、権利と義務について考えてみよう。

これは聞いた瞬間、ストンと納得。というかずっとぼんやりと感じていたことだ。
私でも「いくらでも続けられる」!(理解が根本的にずれていなければだが・・・)
職業を選ぶ権利はないが、職業を選ぶ義務はある。
恋愛して結婚する権利はないが、恋愛して結婚する義務はある。
同僚たちと楽しく談笑する権利はないが、同僚たちと楽しく談笑する義務はある。

昔、いじめられっ子だったから遠足も運動会も大嫌いだった。けれどその後に義務として書かされる作文の末尾には、必ず「今日は楽しい遠足でした」と書いた。
まさに「遠足を楽しむ権利はないが、遠足を楽しむ義務はある」。
それは奴婢だったからだ。自由の意味も分からず、主人(先生、親)がいれば気を使い、「義務を果たし続けること」が「居場所を得る安心」につながると思っていたんじゃないだろうか。

観客が舞台に上がるのも、それを体験的に理解するワークショップなのか。
「舞台の上で自由に動く権利はないが、舞台の上で自由に動く義務はある」ってことだ。

観客席の限定されたスペースに縛りつけられ、自由な行動を制限されている間は、心は自由なのだ。映画館の暗い空間で「見るだけの側」で感じる安心と自由に似ている。
権利と義務は反対概念ではなく、セットでついてくるものなのか。しかし「自由」を与えられた時に自分を「義務」で縛るものは何か、と考えると、自分だ。
先生は「楽しかったと書け」とは一言も言っていないのに、小学生の私は「楽しい遠足でした」と書き続けた。行きたくもない学校に毎日通っていた。
ポラーノは「何をしても自由だ」と言っていたのに、私はシャツの裾も直せず、どう動くべきかなどということを強制もされないのに考えていた。
ポラーノが言ったように・・・こういうのが、奴婢なのか。

<3>「『奴婢訓』は、まさに主人が不在となった現代の写し鏡」という。どういうことか、日常の中に見るその事例を挙げてみよう。

これはわかる。奴婢たちの滑稽な主人ごっこは、毎日我々が暮らす社会そのものだもの。
客商売をしていても、事務室で客の電話だけ受けていても同じだ。
まさにお客様は神様でありご主人。基本、どんな理不尽でつまらない客の要望にも必死で応対せねばならない。
コンビニの店員の態度が気に入らないと、自分の前で土下座させた客の話もあった。(パンフレットの対談でも出ていた)
勤め先でも最近「本に栞(単なる店のサービス品)が挟まれていなかった」ということでクレームをつけてきた客に対し、店側が平謝りに謝って一枚の栞を届けに行った。
(『奴婢訓』の世界に少しも異ならない滑稽さだ!!)

実は誰一人客が偉いなんて思っていない。
「金を落としていく側が主人」というゲームのルールだ。店員たちも仕事を終えて他の店に入ればわがままな客になれる。
誰にも頭を下げないわがままな客(クレイマー)は、実は一番弱い立場でもある場合も多い。仕事ができず(適応力がなかったり年だったり)、収入が乏しく、店や公共施設でストレス解消するしかない人が多いからだ。
いろんな場面を考れば考えるほど、現代において「主人」とは交代可能な「ごっこ」でしかないことに気付く。
支配的な上司が、家では奥さんに頭が上がらなかったり。その奥さんがママ友の間では縮こまっていたり。中にはどこでも暴君的にふるまっている人もいるが、この方が幸せとは思えない。尊敬とか共感とか得られないし、友人にも家族にも疎まれているだろうから。そういう人は主人とは言えないし、中心でもありえない。

<4>横並びの奴婢たちの中で、以下の二人はちょっと違う。
ダリアはどういう役割か。


掃除婦のダリアは、唯一共感できそうなキャラクターである。
奴婢たちが決めた主人役の交替時間を、何度も延長してしまうのだ。
主人役の時は当然、他の奴婢を鞭打ったり、罵倒したりもする。しかし彼女は他人を支配するよりも、自由に歌うことが大好きなのである。
女主人気分で「ダリアミュージックフェス」と銘打ち、客席の後ろに立って歌う姿は楽しげでチャーミング。「支配―被支配」への興味よりも、他人に支配されずに踊ったり歌ったりすることが好き。ちょっとヒロイン的にも見える。
七場「酢の壜」で、同性のかま猫やよだかと醜い争いを繰り広げるが、その思慮の浅さが悲しい。彼女が他の奴婢たちに感じる憎悪は、そこから抜け出すエネルギーにも通じていたのに。
しかし、厳然たる奴婢たちの横並びルールの中で、半歩抜け出そうとあがくダリアは、「出る杭」。鉄を打たれて残酷に粛清された。

強制されてダリアが歌う「馬の蹄鉄を打たれた下女のオペラ」には、ゾッとするような怨念を感じた。
前半までの奴婢たちは、義務とセットの自由と気楽さを持ち、退屈に耐えれば明日のことを思いわずらわない、「楽」な存在なのかな、とも思っていた。自分が「奴婢」と感じることが多かったからなおさら。「お前たちは地獄に居るから心配ない」。
しかし、奴婢だけの社会の恐ろしさは、ダリアの悲劇が証明しているようにも感じられる。
自分たちがお互い軽蔑し合いながら、自分たちでルールを取り決めている状態なら一見平和だが、一人そこから抜け出そうとする者に対しては、恐ろしい憎悪を噴出させる。

【「主人の不在」をめぐって】

この後が、難しいと感じる部分で・・・自分でも確信の低い「たたき台」として書いてます。
答案を作りながら、設問も順番も「何だかうまくないなぁ・・・」と思いました。
それでも、もしお付き合いいただける方がいたら・・・ご意見や疑問、よろしく。

<5>ゴーシュはどういう役割か。

もう一人の「違う」存在ゴーシュは、ダリアとも違う。そもそも奴婢仲間であるかもわからない。
彼に関する説明は多い(その割に印象はペラっとしている)。やたらとニコニコしている(原作のまま)。名前の通り、かつては楽団でセロを弾いていたがクビになったということ。手放したセロをこの農場の主人が買い取ったと聞いて探しに来たということ。

奴婢たちはゴーシュを「この農場の秘密を嗅ぎまわっている」「イヌ(官憲)」だと疑う。ゴーシュを「来なかったこと」にした。「来なかった男はいない。いない男は見えない」。という「百姓の弁証法」により不在視することにした。
これも、昔も今も変わらない日本人的思考・・・(?)。破滅につながるような大変なことが現に起こりつつあっても「見えなかった」ことにする。「見えないものはない」。クラスのいじめから、原発事故の可能性まで。
「主人の不在」とは、そのようなものかもしれない。主人はいるが、見ないようにしているだけかもしれない。

スマホ(原作ではテープレコーダー)とのやり取りでは、外から来たはずのゴーシュが、奴婢として支配されていくプロセスが描かれていくようだ。スマホはゴーシュに命令し、ゴーシュのマイナス面を告発し、裸にして折檻し、ついには自分から折檻を求めるようにさせる。
かと思えば最終13場で「作り笑いのニコニコを、顔からバッサリ引きはがしゃ、俺が本当はご主人様だ」と宣言する。
しかしまだわからない。同時にゴーシュは、「カルボン酸の主人たち」をマッチで焚火にすることもできるし、世界でたった一人の下男にもなれる・・・ようにも聞こえる。

主人でもあり、奴婢でもある。サディスティックに支配するものでもあり、マゾヒスティックに支配されることを好むものでもある。ああでも、これは他の奴婢についてもいえることだ。
違うとすれば、「外部から来たもの」であること。
ゴーシュ自身のセリフからは「たった一人の存在(主人にしても下男にしても)」であることも感じられる。
そして「常に不在である」ことを運命づけられたもの?

それでもどうしても、「ゴーシュ=主人」と思うことができない・・・。
あまり彼にとらわれ過ぎるのも本体を見失うもとになりそうだ。

「説明的な役割を担った狂言回し」じゃないか、とも思える。
だからゴーシュについてはいったんここまでに。

<6>シグナルのインタビュー隊がメインホールを出ていって帰ってくるまでの間に、舞台は、客席は、どう変わってしまったのだろう。

これは、観客を舞台に上げるシーンと同様、原作にはない多田オリジナルの部分である。
テレビによく出てくる、「突撃!○○○○レポーター」みたいな企画。マイク係の奴婢とカメラ係の奴婢がコードを引きずって客席を回る。
質問は「あなたはこの屋敷の主人ですか?」。
その様子は舞台上のスクリーンに投影され続ける。その後ホールを抜け通路を実況しながら歩き、公民館に来た子供達と会話し、事務室にまで行って残業中の職員にマイクを向けて同じ質問をする。主人は見つからない。結構長ったらしく時間を使う。ネタはたいがいにして、早く会場に戻って本線の芝居をやってほしい。
・・・と思ったが、インタビュー隊が一回りしてホールの扉を開けたはずなのに、実際には彼らは入ってこない。スクリーンの客席にはそこに居るはずの我々が映っていない。
リアル映像と録画をつないだだけのトリックだが、非常に奇妙な気分になる。簡単なトリックだとわかるが、非常に奇妙な気持ちになる。(後で聞いた話によると、子供たちや事務室の部分も録画だそうだ。映像で事務室に居た館長さんは客席で見ていたとのこと!)

役者たちはどこに行ってしまったのだろう?我々観客はどこに居るのだ?

この後、舞台上で「通常」芝居が行われることはなかった!奈落の底でリンチが行われたり、ゴーシュら一人二人が時々舞台の上に来る程度。クライマックスでは強い光が数条客席に向けられて何も見えなくなり、ラストシーンは奥の舞台となる。

物語は我々の手の届かないところに遠ざかったのか?
我々は彼らにとって不在になったのだろうか?

念願の舞台『奴婢訓』(感想1)

October 31 [Fri], 2014, 8:25
キラリふじみシーズンレパートリー新作『奴婢訓』

キラリふじみにて、多田淳之介演出による寺山修司原作の舞台『奴婢訓』観てきました!!

高校生の頃から憧れていて、戯曲を読んでいろいろ想像し、いつか観たいと思っていた作品。
あれから何十年も機会に恵まれず、ずっと観られずにいました。
たまたま、前回のキラリふじみの他の公演でチラシをもらってから、今度こそはとずっと楽しみにしてました。

フライヤーの言葉がまた、そそってきます。

>舞台は、宮沢賢治が描いた架空の土地「イーハトーブ」にある、大地主グスコーブドリの館。その館では、不在となった主人の権力を手にしようと、召使いたちが際限のない主人ごっこに明け暮れます。
権力への欲望に衝き動かされた奴婢たちの群れが、キラリふじみのメインホールを彷徨うとき、不在の中心が産み出す権力の秘密が明かされます。

>寺山修司の代表作のひとつ『奴婢訓』は、演劇実験室天井桟敷が1978年にオランダで初演、その後30カ国以上で上演されました。30数年を経た今も鮮烈さを失うことのない、本作に寺山が込めた問い「中心の不在は、周辺の不在をうながす」を、キラリふじみの芸術監督の多田淳之介が、現在の社会に対する先鋭な問いとして再演劇化します。

・・・・・・・・・・・・

観た。
ああ、ようやく観られた。観られて良かった。

「キラリふじみ」(埼玉県富士見市)は遠い。
電車を3回乗り換え、東武東上線の鶴瀬駅という小さな駅からバスで10分余り。帰りは臨時バスを出してくれるが、何度行っても不便すぎるアクセス。
そんな地方の公民館でありながら、田中泯や平田オリザと深くかかわり、今は多田淳之介を芸術監督とし、驚くようなレベルの芝居を見せてくれる。
館長の松井憲太郎さんが、かつて世田谷パブリックシアターにいらした方だという話だが(詳しくはわからない)、それにしても不思議なくらい充実した作品ばかり観せてもらっている。

始まって数分で、冷たい雨の中ここまで足を運んだ自分を誉めたくなった。
死ぬまでにどうしてもやりたいことのひとつが、『奴婢訓』を見ることだったのだ、と唐突に直感し(それは嘘じゃないが、正直言えばしばらく忘れていたのも事実)、今夜ついにそれが叶ったのだと思った。

【観るというよりも、体験する舞台。または体験する哲学】

迷宮のような深い謎があって、鋭く容赦ない問いかけがある。
美しく均整がとれていて、あらゆる相反する価値観がせめぎあっている。
30年以上前の実験的な作品でありながら、少しも古びていない。
役者、演出、演技、舞台、音響、衣装、すべて「こうあるべき形」に整っている。

『奴婢訓』は今も、寺山系の万有引力や月蝕歌劇団、 また廻天百眼という劇団が度々上演しているらしい。
もちろん、観ていないから比べてどうの、ということは言えない。(観たらぐらっとそっちに傾く可能性だってあるし)。それらの芝居の感想をちょっと読んだら衝撃的に感動している意見が多くてむべなるかな。
けれど「血しぶきが観客席にかかる臨場感」や「エロ・グロ・SM、あらゆる混沌が詰め込まれ、舞台の熱量が途方もない」という感じのアングラ的(?)感想は、戯曲を読んでイメージしていた「私の頭の中にぼんやり思い描いていた『奴婢訓』」となんだか違う。
SMも同性愛もスプラッターも折檻器具も、今じゃあまりに「見たことある感じ」になりすぎていて、1978年ならともかく今は強度を強めても根本的な衝撃にはならない。
今回私が衝撃を受けたのは、少なくともそういうことじゃない。

だから、キラリふじみの、硬質で冷たく美しく、余計なものが一切なくて、一見ものごし丁寧でその実一片の救いもないほど残酷な『奴婢訓』が、初見なのにカチリとはまったのだ。

なんだか、「体験する哲学」のようでもあった。
観客を舞台に乗せて見る側と見られる側の関係性を逆転させるのは、決して「客いじり」なんかじゃない。
これは、『奴婢訓』ではいろんな形で試みられていることらしい。ヨーロッパでの公演の際、ホバークラフトに観客を載せたこともあるとか・・・。「参加型の実験舞台」としては今回はきわめてシンプルなのだろうと思ったけれど、それだけにこの作品の意図がはっきりと汲み取れた。

まるで哲学のレッスン。それも、親切な楽しいレッスンに見えて、後でストンと捨てられる。真っ暗な虚空の中に。
おおげさかな?
でも、誰だっていつか真っ暗な虚空の中に落とされる(死ぬ)じゃないですか。

この小さな舞台(と客席)に、世界が全部入っている。この外側に世界はない、とまで思わされた。
私はずっと、こんな演劇に憧れていたのだとストンと納得する。

キラリふじみのメインホールは、全体の四分の一くらいしか埋まっていない。
観客は子供もいれて71人。(なんで正確にわかるのかといえば、芝居の途中で奴婢として名前を奪われ番号を振られたからだ)
公演は5日間。これだけの芝居をせいぜい500人前後で見るのは極めてもったいないと思う。しかし一日500人いた日には全員をナンバリングするのに大変な時間がかかってしまうのだから、有難いことにこの観客数が、この演劇にとってベスト。(劇場の遠さもそのための装置の一部だったりして・・?)

役者さんたち9人。名前も知らない人ばかりなのだが、みなさん非常に役者としての基礎体力(発声、動き、歌、客のあしらい方、海千山千の経験を経た雰囲気)の高い方々で、そういう意味でも驚いた。(ごめんなさい、キラリふじみには何度か足を運んでいるのに、いまだに地方公民館を甘く見ていたのかも・・・)
役者個々の魅力は発散できない性質の舞台だが、緊密な作品世界をぴたりと構築し、残念な綻びを生じなかったことだけでもすごいと思う。

また副次的なことかもしれないが、今回の芝居はとても洗練されてオシャレでもあった。
衣装も、宮沢賢治時代の岩手の下男下女だから、プロレタリア演劇っぽくシャツに作業ズボン程度のものを想像していたら・・・失礼千万。シャーリングをたっぷり取った光沢のあるつなぎ風の衣装はキャストによって少しずつデザインが違い、ここは青山円形劇場?とか思うくらい。宇宙服にも見えるが、それぞれが三角?ザックを斜めに掛けているのは、今風でかわいい。観劇後に「福島原発の中を思わされる」という知り合いの意見を聞いて、ウッと思った。

音楽も音響も世界観にぴたりと合っている。
一番初めに、不快と恐怖をあおる音響の中で行われる第一場(主人殺し)には、最初から衝撃を受けた。
演出も、背景スクリーンの活用、ビデオカメラによる館内同時撮影、スマホを舞台の上で語らせるなど、2014年に問う『奴婢訓』になっている。

舞台は、客席部分にせり出したほぼ正方形の大きなせり出し部分がメイン。演技がとても近く見えてうれしい。
もともとの舞台とは、上りスロープでつながっている。つまりせり出し部の方が奥の舞台よりやや高い位置。
メイン舞台奥の中央には、主人用の椅子がひとつ。(スタイリッシュなスケルトンタイプ)

【全十三場を、サラッと紹介】

あらすじについて語ればネタバレになるかもしれないが、感想は語りたくてたまらない。
内容やテーマについて興味を持った方にこの文章を読んでいただくために、最低限の各場面のエッセンスだけ取り出してみる、という作業はさせて下さい。
それが困る、という方は、ここまでに。








舞台は、全13場で構成される。
舞台の後ろのスクリーンにタイトルが映るので、それだけは抜き書きした。(記憶違いはお許しください)

1場 聖主人
舞台の奥に、仮面のような顔の全裸の男が座っている。彼にかつらやヒゲや衣装が着けられ、「主人」が出来上がっていく。しかし靴がない。「靴を!」と主人が叫ぶと、奴婢たちがあちこちから現れ、手に持った靴で主人を殴って殺してしまう。奴婢たちは恍惚としたようにポーズを取る。

私が覚えているプロローグそのまま。しかし、それを大きくしのぐ怖さがあった。耳に突き刺さるような金属的な音楽で、闇の中に白く浮かび上がる仮面の群像は、禍々しく怖い。

《1場と2場の間にある、今回オリジナルの間奏(?)》
奴婢八人と、主人(白い全裸の着ぐるみを着ている。後は奴婢の一人となる)が、仮面のようなマスクと頭部を白い布で巻かれた姿で、客席の目の前にずらりと並んで立つ。
なんと、ご挨拶と自分の役の説明が始まるのだ。
仮面の役者たちは、惨劇の直後だけに怖いのだが、みんなマスクを外すと、フレンドリーな役者の顔が現れる。
向かって左端の男が「本日はお越し下さりありがとうございます・・・私はゴーシュという奴婢の役を務めます。最後までごゆっくりご観覧ください」みたいなことを笑顔で語って頭を下げる。後の八人も、自分の役の紹介や、この舞台の歴史なども親切に教えてくれる。
※後で思えば、この時外したマスクが実体で、ここで一度フレンドリーな仮面に偽装したとも考えられる。
冷たさもあったかさも、自己紹介や休憩時間も、全部含めて「企み」であることを薄々感じてはいたが、まだまだ今は旅の始まりだった。

前言いろいろ撤回御免『信長協奏曲』(3)

October 29 [Wed], 2014, 19:20
『信長協奏曲』第三話
コミック『信長協奏曲ドラマ放送記念スペシャル版』

『信長協奏曲』についてはずっと、
「この物語にドラマで出会いたいから、原作はドラマより先には読まない」とか書いてました。

そう思って付き合ってくださってた方ゴメンナサイ!!

コンビニでふらっと、廉価版コミック(っていうのかなぁ・・増刊雑誌仕様のやつ)を手に取って、レジに持って行ってしまいました。
(430ページだから、二巻の途中くらいまでの内容かな?)

石井あゆみを見出した編集者の話を読んだせいもあるのか、なんかドラマを見れば見るほど、原作が気になって気になってしょうがなくなってきたんですもん。

ゴメンナサイ!
「原作未読で進めたいから、ネタバレはご容赦を」
とか書いてたのに、前言撤回、宗旨変更になっちゃいました。

今回は、まず原作を読んだ新鮮な驚きと、その後に第三回の感想を短めに書こうと思いますが、いいですか・・・・?
(と、俺様ブログだから勝手にルールを変えてしまうわけですが、ホントすみません)

ドラマの進行より先のネタバレは書きませんが、原作のことはまだ知りたくない!という方は、以下は飛ばしてください。








【平凡な高校生がタイムスリップしたわけじゃない!】

まっこと、不思議な漫画でした(って、まだまだ序盤を読んだだけだけど)

アニメやカラー絵で見るのと違い、線が立った単色刷りで見ると、余計感じます。「絵が古い」と言われるのもわかる。ペンタッチは諸星大二郎を思わせる。隅々まで自分一人で書きこんだ画。

1985年生まれの29歳で、連載漫画は五年前にスタートした本作が初めて。
歴史好きの女の子が達者な絵で信長ものを書く、というのはありきたりな話だけれど(特に同人誌系では多そう)、そういう二次創作っぽさは皆無。
画面のどこを切っても真似のない、隅々まで自分の世界が貫かれてる。だからと言って新しい絵と言うわけでもなく、よく言われるようにうまいのか下手なのかわからない。

何も知らずに絵だけ見た時は、かなり高齢・・60代に近いくらいでデビューした新人なんじゃないかと思ったくらい(失礼!)。かつて白土三平とか小島剛夕とか愛読してて、漫画を描く夢を一度諦めて社会人してたような・・・。
そう思ってしまったような漫画を、実は今の若い女の子が描いたと思うとすごく新鮮。

一番驚いたのは、サブローのキャラクター。
ああ、これじゃドラマだけ観ていて「好演している」と感じる小栗君に文句が来るのも仕方ないかも・・・。

ドラマでは「逃げ癖のある平凡な高校生」サブロー。
小栗君の演技力でふわっとしたみずみずしい感じに仕上がっていて、ビジュアルも(白トレーナーの着こなしやら)新鮮で、違和感は全く感じなかった。

しかし、原作を読みはじめてしまうと・・・困りますね。
漫画のサブローは、あのトレーナーは着てない。
修学旅行でタイムスリップしたわけではない。
ふつうに日本史の授業(本能寺のところ)を受けていて、態度を注意されるシーンで始まる。

開始後5ページ目に、通学路脇の塀から落ちて戦国時代へ。
そこまでにわかることは、勉強嫌い、運動神経がいい。服装がだらけている。退屈している。・・・くらいかな。
ボタンは少ししか止めず、ネクタイもマフラーみたいに結び、ズボンのすそは折り返してる。服装と態度のせいで、よく上級生に絡まれているが、いなし方もなかなか鮮やか。一度ガンつけて、「あっUFOだ!」と振り向かせている間に悠々逃げる(必死ですたこら逃げてるわけではない)

タイムスリップして七ページ目には、信長に刀をもらって入れ替わり完了し「どうやら撮影とかじゃなさそうだな」と気づく。・・・が、こちらが予想するようなたいしたショックを受けてない・・・。

守役の平手政秀が話をしているのに、現代と変わらず説教がうるさくなったのか、なんと両耳に指を突っ込んで目をつぶってる。タイムスリップしたかもと思ったら、たいてい周囲の話をすがるように聞くものだと思うが・・・。次のシーンでは着せられた袴を脱ぎ捨てて、川の中で百姓の子供たちと相撲を取っているという具合。

次第に彼に「うつけ」という評判が立ち、歴史の信長に「なっていく」のはドラマと同じ。
(帰蝶のキャラが真逆、とはよく言われていたけれど、まあそれはどちらでもいい。信長を変えたためのバランスを取っているだけだから・・・・)。

一方、ドラマでのサブローは、視聴者に理解しやすく、心理状況がクリアーに見える。小栗君を使ったのは、そのあたりのリアクションが抜群にうまいからもあるだろう。感情移入しやすいし。
原作サブローは、言動が飛び飛びで、「えっ?」と当惑させられる。家族や学校のことも、これから俺どうなっちゃうんだろうとも、何も考えない。表情も乏しい・・・というより、大きな表情の動きはない。眉根を寄せたりボケっとしたり、顔にタラッと汗をかいたり、という変化は少なめながらちゃんとあるが、ちゃんとした笑顔とか大泣きとかは今のところない。でも、もしかしたらこっちの方がリアルかもしれない・・・。

・・・そして何より驚くのは、この、「普通に見えてなんだか変」なサブローが、次第に「こういう信長だからあんなことができたのかも・・・」と、信長そのもの思えてくることだ。
何を考えてるのか、何をしでかすのか全然わからないのが魅力。現代高校生だった頃から、ちょっと異星人っぽい。
リアリティはあるのかないのか・・・少なくとも石井あゆみの中では、信長はこういうキャラ、という形がはっきりとあるのだろう。
教室の一番後ろでぼんやりしていて、だらけてるけど不良でもなく、子供みたいに体を動かして遊ぶのが大好きで、意外にちょっと優しいところもあったりする・・・そういう現実の男の子と、史上の信長が違和感なく重なっているんだろうと思う。
そういう気持ち、わかるわ・・・。私にだって恋に恋するお年頃だった昔があったんだから・・・。

信コンに振り落とされたらもったいないよ〜!『信長協奏曲』(2)

October 24 [Fri], 2014, 15:53
『信長協奏曲』第二話
『世にも奇妙な物語(2014秋の特別篇)』


【今季のドラマ・序盤終了】

本編の前に、前回続き今季のドラマ序盤の感想。
意外と・・・平凡なドラマが多かった感じで、やや拍子抜け。
個人的には完全に『信コン』中心です。

綾野剛主演の『すべてがFになる』は、原作シリーズが大好きで期待していた割に薄っぺらい印象。頑張って面白くしてほしい。
『ディア・シスター』は石原さとみの悪魔的キュート爆発で、松下奈緒もカッコいい。けどこういう話はもう見ないかなあ。
『きょうは会社休みます。』は、綾瀬はるかは悪くないけど、見ていて気持ち悪くなったのでリタイア。30で初体験ということじゃなく、あの本人の心のセリフとか、あの姉妹関係とか・・・。
ウジウジ系よりは『ファーストクラス』の方が面白い。女のバトルギャグドラマ。画面から機関銃のように連打される情報を摂取してバカバカしい徒労感に浸るのがなんだか癖になる感じ。夏木マリ、余貴美子、竹内結子を3トップとする女のバトルを見てストレス解消できる。しかし倉科カナの憎らしさは格別だなあ。
湊かなえ原作『Nのために』は見始めたら面白い。けれどベタな演出と演技なのがちょっと・・・湊モノは『告白』があまりに凄かったせいで、どうしても今ひとつなのだが、面白くなって欲しい。
超定番だけど、『相棒13』は、一、二話ともいい感じのスタート。『ドクターX』は前シリーズ(藤木が良かったのかも)の面白さにはかなわないけれど、つい見ちゃって楽しめるだけの地力がありますなあ・・・。
クドカンファンとして、頑張って『ごめんね青春!』二話も見た。途中で本気で「つまらなすぎる・・」と脱落しかけたけれど、一番苦しいココを乗り越えられたから完走できそうな気がする。でもだいぶ見てる人減っただろうなぁ・・・。

NHKでは、『昨夜のカレー、明日のパン』(BSプレミアム・木皿泉原作)は第一回目すごく良くて、続けて見ようと思ったのにすっかり忘れてた!!
『ぼんくら』(木曜時代劇)もいいらしい(録画したが見てない)。『マッサン』は「いいドラマだな。外国人ヒロインはNHKならではの快挙だなあ」と思ったのに、見続けられない。リスクをとった反動なのか、あまりにも「王道朝ドラ」すぎるのかも。『軍師官兵衛』竹中秀吉の晩年が面白くて、ようやく今真面目に見てる。

【『世にも奇妙な物語』が面白かった!】

ちょっとだけ書きたいのは、10月18日放送した、いつもの『世にも奇妙な物語(2014秋の特別篇)』
『世に奇妙』のオールドファンですが、今回はめずらしく五本とも面白かった!!(「超短編」を別にすれば)

『サプライズ』(多部未華子)怖かった。一般的な怖さとはまるで違う方向の怖さで、まさにこのシリーズならではの怖さ。画面の色合いや音楽も、えも言われぬ怖さを掻き立てる。現実にこの手の怖さには日々さらされているような気がする。みんなが笑顔と善意でやっているのが恐ろしい。

『取的』仲村トオルと音尾琢真が相撲取りに追いかけられるだけ、という話。なのにやたら面白くて滑稽で不条理で、結末は悲惨・・・・。仲村トオル、この頃コミカルな役も増えてうれしい。

『未来ドロボウ』これはいい話。若者(神木君)と富豪の老人(吉田鋼太郎)が入れ替わる。藤子不二雄原作。老人ハートで若者を演じる神木君が上手い!!最低賃金のバイト仕事を鼻歌が出るほど楽しんでやる気持ちとか私すごくわかるんで、やっぱり老人の方に近いんでしょうか?
上記三本の共通テーマは、「あの一言さえ言わなければこんなことにはならなかったのに・・・・」かな?

『冷える』 若村麻由美。あまりにも予想した通りの結末。しかし、そこまでの過程が長くて気持ちがこもりすぎていたので、オチを迎えた瞬間主人公にドッと共感して今回唯一涙が出た。共感できたことが救いのない物語の慰めなのか。さすればこれもあるいは予想外の結末なのかも。

『ファナモ』 (戸田恵梨香・平山浩行)
これは殿堂入りの傑作では??五反田団の前田司郎原作・脚本。書いたらネタバレになるから言えないけれど、近い未来にあってもおかしくない世界。ファナモが再利用できる技術なら理想的?
「奇妙」なのはその手術よりも、手術を受ける人間が多数派になることによって、受けない人間が「考えが古い、遅れてる、汚い」というマイナスの価値観を押し付けられて差別意識が発生すること。生理的なもの(排泄物、生殖機能、汗、体臭などなど)が、全部「汚い」と差別の対象になる世の中が、来るかもしれない。というかもう来はじめてるでしょ!!

【『信長協奏曲』にハマったかも・・・!】

まだそんなに見てないんだけれど、『信長協奏曲』いいですねえ・・・!!
ハマったかな・・とかなり思います。
第一回をすでに三回見るほど楽しみ、第二回も二回見ちゃった。公式ページに足しげく通いたくなるドラマって、ここのところあまりなかったなぁ・・・。

視聴率、15.8%→13.5%に下がっちゃったけど、見ないと絶対もったいないよ!とアナウンスしておきます。

軽すぎるとか安っぽいとか、原作の冒涜だとかタイムスリップ歴史は飽き飽きだとか言ってる人は、きっとしっかり見ないうちに振り落とされたんだ。

これ、新鮮でつきぬけてます。いろんな意味で。
どのくらい新しくてどのくらい驚かされる作品なのか、今は見えない。
軽いけれど、軽薄なんじゃなく、原作の不思議な軽さと明るさに通じるのかも。

いや、ドラマファン、小栗ファンとしてドラマ先行で物語と出会おうと思っているのだけれど、これは途中でよほど失望しない限りはきっと漫画も買う予感がするなあ・・・。

原作読んじゃってる方は、いちいち驚く私(およびドラマでこの作品を初体験する人)の反応を見て楽しんでくださいませ!(ネタバレはご容赦を)

コミックナタリーに、漫画家石井あゆみを17歳の時に見出し、その才能に惚れこんで育てた編集者のインタビューが載ってます。よろしければ是非。
http://natalie.mu/comic/pp/nobunagaconcerto

【ドリフのギャグですか?!と思わせて振り落とす?】

さて第二話。
冒頭のギャグ乱れ打ちで振り落とされた方々、辛気臭い批判してないで帰って来て〜〜!!!

最後まで見たら、不覚にも感動させられてしまうから。
かなり気に入ったので冒頭部だけ細かく。

サブロー「かつどんうま!グラタンうま!ハンバーグうま!」
と、世にも美味しくてボリュームがありそうなメニューを次々かぶりついてる。
「あららら『信長のシェフ』の玉森君でも来たの?」って、誰だって突っ込む。
(散々「信シェフとかぶるだろ」と言われてきたスタッフのうっぷん晴らし?)
次に出てきたのはパンケーキの五重塔。
サブロー「?味がしない。味が 味が 味が・・・」

目を覚ますと、帰蝶が見下ろしてる。
「寝言がうるさいから口に手拭いを突っ込ませてもらった」
サブロー「ふざけんなよ!死んだらどうすんだよ!完全にDVじゃねえか!」
その後「ウツケ」が二秒に一回は出てくる帰蝶と信長のマシンガントーク。
帰蝶が原作のキャラと違いすぎると不評のようですが、柴崎コウと小栗君、恐ろしく凸凹具合が合ってますね。
サブロー「なんなんだよこの無限ループは!」

そこに恒ちゃん、そしてモリリンがあの泣きそうな顔で飛び込んでくる。
「美濃の斎藤道三さまから会見の申し出が!」
家臣モリリン森可成役の森下能幸(まさにモリモリ)、昔からビミョーな役でマイナーな作品にちょこちょこ出ていて気になっていたけど、月9の主演の側で毎回みられるとは嬉しい!その後丹波長秀(阪田マサノブ)と柴田勝家(高嶋政宏)も登場。このカルテットかわいすぎ!!

サブローは、蝮の道三が怖くて、「ぜってえ俺のこと殺す気だよ」と逃げ回る。
恒ちゃんは「逃げたら殿は切り殺されます」の連呼。
「との!」「との!」「との!」「との!」とすさまじいテンポでサブローに迫る。

サブロー「わかった、わかりましたよ。あっ!!(空を指さして)空飛ぶおにぎりだ!」
と奪取するが、すぐ押し倒される。
サブロー「そこは普通振り向くとこだろ!」
阪田「振り向くの者はアホしかおりませぬ!」
柴田だけがぼおっと空を見ていて、ホーホケキョ。

ヒ――――!!なんっちゅうベタさ加減!
これ、まるっきりドリフのギャグですよ。『八時だよ!全員集合!』の前半のコント劇ですよ。
音楽まで似せてる。
「テンテンテンテンテレテンテンテンテレテンテン・テンテン、ベンべベンベンベン、チャッチャチャッチャッチャ」
ここまでやるか!軽い〜〜好き〜〜。

道三との会見が避けられないとわかり、ファッションチェック。
派手な着物も、地味な着物も、どれも道三に難癖をつけられる可能性がある。
「まぶしいと言われいくさになるでしょう」
「辛気臭いと言われいくさになるでしょう」
「特徴なさすぎると言われ、確実にいくさになるでしょう」(全部勝家)
サブローが「もういいよ・・・どうせ何着ても戦だろう・・だったら服は俺が決めるよ!」
と言って学生服を着ちゃう。
個人的には、滝谷源治(クローズ)っぽく、中に赤いビラビラの着物でも着て欲しかった(傾き者信長ぽいし)けれど、まあ未来から来たばかりですからフツーの学生服の着こなしでいいのかも。

時代劇でこの軽さとギャグとリアリティのなさは噴飯ものだという方もいるかもしれないけれど、最後まで見て!!
親子愛や運命的な死まで関わるかなり重い話になってる。サブローも最終場面ではハッと思うほど成長していて、帰蝶との関係も微妙に変わっている。
それだけに見返した時、このアバンタイトルがなんだかたまらなく愛しくなる作りなんですよ。
(はまってるせいかなんでもいい方いい方に取っちゃって、ごめんなさ〜い)

『信長協奏曲』好発進!

October 17 [Fri], 2014, 10:44
ドラマ『信長協奏曲』第一回

2014年最終シーズンの連続ドラマもスタートし始めましたね。
さて、今季のお楽しみは・・・・?

一番楽しみにしていたのは、もちろん小栗君の『信長協奏曲』。(いろいろと心配もしてたけど・・・)
感想書くのは遅くなったけれど、リアルタイムで見てました。

その前にスタートしたドラマについてもちょっとだけ。
(見てないのも、録画してるだけのもあるので、一部だけですが)
素直に楽しめるドラマが多いシーズンという感じがします。

【関ジャニドラマ、好感度でがんばってる!】

今季はSMAPも嵐も主演ドラマがなく、ジャニーズでゴールデンの主演があるのは関ジャニの2名だけ?

『地獄先生ぬ〜べ〜』。(土9時日テレ系)
アニメ見てて話わかってるし、子供向けだし特に期待してなかったんだけれど、なかなか楽しい。
関ジャニの丸山隆平君、『ボーイズ・オン・ザ・ラン』でも『はらちゃん』でも、なんだか共感度抜群だった。ジャニーズなのに全然カッコよくなくて(ゴメン)、なんだか危なっかしくて情けなくて、それがドラマのいい味になってるんですよね。
今回は代表作!丸山君すごくいい。シリーズ化してくれてもいい。鬼の手の力を出した時もう少しカッコよくてもいいけれど・・・でも十分。
地だけでやってるようにも見えるけれど、実はそれだけでもないかも・・・役者としても長くいい仕事をしそうな予感もあり。
妖怪にして家庭科教師玉藻役の速水もこみちが面白かった〜。毎朝日テレで料理していた甲斐があったね。唯一ゆきめがウザかったかな。
話は大人が真面目に見るようなものでもないけれど、子供たちが茶の間で楽しく見るドラマがあるって、とてもいいことだと思います!

『ごめんね青春!』(日9時TBS系)
2011年の『うぬぼれ刑事』(←めちゃくちゃ好きだった)、2010年の『11人もいる!』以来の、久々の民放クドカンドラマ!もちろんたっぷり期待してました。
正直「つかみが悪い方」のクドカンドラマ。
見始めて10分くらいで、「これはあまり視聴率は取れないなぁ・・・」と感じてしまった。

カトリック系女子高「サンジョ」と仏教系男子高「トンコー」という2つの学校がある世界。ドラマの中ではとっくに出来上がってるけれど、その世界に中途からはいる方にはややなじむまで敷居を感じるというアレ。
実は『あまちゃん』だって、北三陸の海女たちと鉄道のローカルで「出来上がっている共同体」に最初の10日間くらいはなじみにくかったものである。
ただし、そういうクドカン作品ほど、馴染んでしまうともう故郷のようにその架空の土地を歴史ごと愛してしまったりするのだから隅に置けない。
だからまだ感想というモノは書けない。

ただ、ここでも関ジャニの好感度高し。錦戸君はまってるよね。これまで役者としていいとも悪いとも感じたことがなかった(ゴメン)けれど、このほんわか感とまきこまれ感と、「時々やってしまう」感は、なんてクドカン世界にハマってるのか感心する。(もちろんクドカンドラマには長瀬君が一番!というのは譲れないけれど。)
まだ周囲の方が硬い感じで、特に満島ひかりは、力が入りすぎていてスッと笑えない。生徒も顔が覚えられない。でもダイジョブ、3回見たら馴染んでハマるでしょう。

対立する2つの学校、というモチーフでは、去年見たクドカンの舞台『高校中パニック小激突!』を思い出す。グレ高とヤバ高という2つの学校が「抗争の果てに・・・」という話だけど、死ぬほどバカバカしくて死ぬほど好きな舞台だった!思い出すだけで幸福を感じるくらい。

【『信コン』、放送開始前からワクワク】

映画『ルパン三世』、『東京DOGS』再放送で、久々に小栗君ブームがリバイバルしてる今日この頃。

『信長協奏曲』話を聞いたときから嬉しくて、番宣番組まで相当観ました。
放送当日は朝から4〜5くらいの番組に出てたけれど、やっぱり「ネプリーグ」面白かった!
小栗、向井、柴崎コウ、山田孝之、高嶋政宏が登場。対戦チームが『ディア・シスター』の石原さとみ中心。さとみちゃんは『リッチマン・プアウーマン』の時にも小栗と同チームで登場。対抗意識むき出しで、悔しがってもドヤ顔しても可愛い。

面白かったのは、向井君の意外な素顔。
向井理って、高学歴でモテ男でなんでもできるのが玉にキズ、という可愛くない感じがあるじゃないですか(私だけ?)。
それがクイズで一人ブレーキになってしまい、それを本人がすごーくツラがって、番組の最後まで申し訳なさそうにしているのが意外。もちろん明治大学卒(だっけか)の向井君と高校中退の小栗君では基礎学力の差は歴然なのだろうけれど、小栗はさすが慣れなのかキャラなのか、座長意識が高いのか・・・さとみちゃんと丁々発止やりながら番組を盛り上げてた。
向井君のことも、「ハンサムっていうとオサムがすごく怒るんだけど・・・(おや?呼び捨て?)」とか言ってなじませたりしてたし。二人同年代。これまでもいろんな共演俳優(山田、生田、松潤、水嶋・・)と仲良しになっちゃった小栗君のことだから、向井君も仲間になっちゃうかな?

番組開始前60秒前からのカウントダウンサービス。こういうのチャンネルを他に合わせさせない手法だけれど、楽しければ不快じゃない。「リキ入れてまっせ!サービスしまっせ!」というの、嬉しいし。

タイトルバック映像も短いけれど良かった。旬君ビジュアルが良くてセクシーで、キラキラでオシャレで楽しくて・・・。うん、「月9時代劇」の方向性が見えた!・・・気がした。(ルパンの最後のアニメも似たテイストで最高にカッコよかったなあ)

ドラマで初めてこの物語に出会いたくて、原作漫画もアニメも見ないようにしてました。
先々のストーリーは、教えないでくださいませませ!

【小栗のサブローっぷりに、脱帽!】

小栗君上手い。すごーく、うまい。
31で高校生役をやることを本人がしきりに気にしてたけれど、まさに「フツーの高校生」サブローだよ。これだけ演技でヘタレ高校生に見せるなんて、なんてうまいんだ。
現代の修学旅行場面だけでなくて、戦国時代に入ってからも、形だけの妻がいても、ずーっと、どう見ても高校生マインド。

馬で登場した本物の信長(これも小栗君、二役)の方が、むしろ不審感あり。似てるというだけで他人に自分の役を押し付けちゃったり、「何この人・・・?」と思ったくらい。「優しくて聡明な殿」って、そうなのかなあ・・・。

サブローは表情がヤンチャでバカでコドモでうれしくなるくらい。
「信長やったら、(その刀)くれんの?」とか「私が、あの有名な、織田信長です!」とか笑顔全開でやっちゃったり、スマホであちこち撮影したり、お調子者の男子高校生全開。

河原の戦闘シーンは結構な迫力。兵隊の数は多いし、水しぶきが臨場感たっぷりだし、まともに作っているので驚いた。
そこで敵兵に頬を切られて怒るサブロー。その敵兵が味方兵から左右に串刺しにされて息絶える。その時初めて事態を知るサブローのショックを受けた演技の確かなこと!!

考えてみると、高校生のアイドルが高校生を演じるのと、高校生役を10年余り経験してきた31歳の役者が高校生を演じるのと、質的に違う。そりゃね、映像では本物の高校生の方がリアルな部分もあるだろうけれど、小栗君が確かな「演技」として見せてくれたサブローに、どっぷり共感。

特にドッと「ヤラレタ!」波が来たのは、命を狙われて池田恒興(向井理)に助けられた時の泣きそうなサブローの言葉。

>ありがとー、つねちゃん、ありがとね。
>その日までっつーか、これからずっと、まもってね。

文面だとややふざけて聞こえるけれど、このセリフをボロボロのサブローが、涙をこらえながらポツポツとしゃべりましたよね。号泣する一歩手前で、なんとかおどけて踏みとどまる、普通の高校生サブロー。精一杯の恒興への感謝の言葉。
愛しい。かわいらしすぎる。
うん、7〜8年前、高校生役バンバンやってた頃(花男やイケパラで)の小栗君は、こんな演技はしてなかったよ。

タイムスリップものだから、お話がバカバカしいところも多いんだけれど・・・気にならない範囲。それを板につかせたのも、小栗君の力が大きいと思う。

正直中盤ちょっとだるかった。
弟の信行(柳楽優弥)が自分を狙い、そのために帰蝶を危ない目に合わせた時、
「ちょっと、こういうの、ちがうだろ、俺はめるために帰蝶ねらうとか。俺狙ってんなら直接来い!」
と堂々と主張する。実際に人間が殺されるのを何度も見ているのに、ずいぶん甘ったるい。いきなりこんな環境に放り込まれたんだから、もっとビビりの高校生でいいんじゃないの?
ただ良く見ると、啖呵を切った後のサブロー、息が上がって心臓バクバクしてる感じ。ちゃんと演技してるからわかる。

そのあと膝を抱えて落ち込む姿も可愛かった。
「やっぱ無理。当主は弟くんに・・・。さっきはテンション上がって言っちゃったけど、そもそも俺はここにいるべき人間じゃないし・・・」
恒ちゃんが「本気で言っておられるのですか!」と叱ると、「本気だよ」と言っちゃう。この言い方も可愛い。
恒ちゃんが重ねて「逃げるのですか?」と言うのに、逃げてばかりだった現代での自分を思い出す・・・。
二度丁寧に見ると、バカな言動もちゃんと心理の流れの中に位置してるので、それで受け入れられるんだなあ・・・とわかる。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:きのこ
読者になる
最新コメント
ruka339
» 念願の舞台『奴婢訓』(感想1) (2014年11月03日)
バナー(持ち帰りOK!)
陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜
陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜
2014年11月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
P R
旧館
としずきん妄想:「新選組!」再鑑賞日記
月別アーカイブ
ブログポリシー
コメント・リンク・トラックバック大歓迎です。過去記事へのコメントにも喜んで飛んでいきます。スパムに関しては予告なく削除させていただくことがありますのでご了解ください。
トピック別索引
居眠り磐音
サルとバイオ
聖書・宗教
岸田秀関連
帰ってきた時効警察
風林火山
華麗なる一族
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
ダイエットスルルティー
期間限定特別キャンペーン中!
お友だちのお店です
サンウィッチハウス チーズアンドオリーブ