映画『セッション』が凄かった(追記あり)

May 24 [Sun], 2015, 23:53
洋画に疎い私に、「ぜひ観て欲しい」と友人が薦めてくれたのが『セッション』。

あまり興味がなかった(と言うか評判を知らなかった)映画なので、「感想を聞いてから行くか決めたいんだけど・・・ずるい?」と書いた。
すると、他の友人が一言、「お口にチャック」と書いてきた。(注:LINE上の会話)

んんん?
「観るまでは何も言わないのがお約束」ってこと?
そういう映画なのかなこれは?
澎湃として興味が湧き、早急に観に行くことにした。(私をその気にさせるのはカンタンなのだ)
幸い極音上映中。

映画冒頭、一心にドラムの練習をしている学生、主人公ニーマン(マイルズ・テラー)の前に、教授のフレッチャー(J.K.シモンズ)が現れる。
何気ないようでいて、非常に印象的な会話が交わされる。ごく短いシーン。

前置きなしに入るのが気持ちいい。
室内の映像だが、バックはほぼ真っ黒。まるで舞台だ。

この冒頭部から、およそ110分後のラストまで、ほぼ息をつくことも忘れるような、濃密な緊張感に満ちた時間だった。家族や恋人のシーンの時だけ呼吸することを思い出してたような・・・。

まさに最高の映画体験だ。面白い。
そこまで夢中になれない映画だと、見ながら感想が頭に浮かんでくる。はっきりつまらない映画だと、観ているうちに他の映画と比べ始め、批判の言葉まで浮かんでくる(まとめに入る?)
自分では何も考えず、ただ目と口を開きっぱなしで映画に引き込まれ、まったく結末の読めないストーリーに身をゆだねるしかない。そのドライブ感が悪魔的。
いや、この映画はあまりの緊迫した臨場感に「ストーリー」だということすら忘れさせる。眠気など起こるはずもない。

・・・というあたりで、私も「お口にチャック」をして、映画館に直行することをお勧めします。
結末には納得できるかどうかはわからないし、快か不快かもそれぞれだが、とにかく濃密な映画体験になるに違いありません。










(まだ上映館が行ける範囲にあるならば、感想は読まず映画に直行するように!)









さて、ここからは映画を観た人向けに。(基本的にはネタバレ配慮なしです)

【狂熱の映画体験】

一言で言えば、圧倒的な狂熱と冷酷の音楽映画だ。

歓喜、野望、焦燥、絶叫、悪意、絶望、復讐、報い、再生・・・。

肉体と精神の限界まで追いつめられた、地獄のような高揚感・・・。

吹き出す汗と血と涙と唾液・・・・。

それなのに、けして熱情の赴くままカンバスに絵具をぶちまけたようなものではない。(フリースタイルセッションではない。)

驚くほど精巧なのだ。
冗長さの全くないクールな構成と脚本、余計なものの一切ない美術や効果によって、非常に完成度の高い映画に仕上げられている。

この精巧さは、フレッチャーの、わずかなテンポの遅れもわずかな音程の狂いも消して許さない、あのサディスティックなまでの完全主義とリンクしているような気がする。
役者たちの演技も研ぎ澄まされていて凄い。

前掲した冒頭シーンでスッと肩をつかまれた感じがする。
それが分刻みに高まっていき、110分間一瞬たりともスクリーンから目を離すことができない。
時々ほんの少しほっとしたかと思えばまたしてもエンドレスの焦熱地獄に落とされる。

芸術(音楽)映画でありながら、スリラー映画的でもあり、先の読めないミステリー的でもあり、サイコ的でもある。
・・・と言うとあの『ブラック・スワン』っぽく聞こえるかもしれない。芸術(バレエ)映画かと思うと、サイコでホラーでエロだったから・・・しかしあんなにゲンナリすることはない。ゲンナリなんてする余白もたるみもないのだ。

だって、映画の中でほとんどの人は学生ニーマンになり、フレッチャーに出会い、彼に魅入られて限界超えるまでドラムを叩き、人生根こそぎ吸い取られかけるのだから。

最近観た『バードマン』『シェフ』が非常に「映画的」だったのに対し、『セッション』はライブ感が凄い。
「舞台的」という感じもした。優れた俳優が二人、がっぷりと二時間舞台の上でこの物語を演じたら面白いかも・・・と思った。舞台装置的には十分可能だ。バンドメンバーも十数人くらいだし。
・・・しかしすぐにそれは不可能だと考え直す。だって毎回のステージで精神が追いつめられるような演技はできるかもしれないけれど、毎回のステージで精根尽き果てるほどの凄い演奏をし、両手(手だけじゃないけど)から血が止まらなくなるくらいドラムを叩くような極限の演奏をするのは不可能だから(ただ一回ならともかく)。

「映画的」な作品群と違い、すべての輪郭が非常にくっきりとしている。
ふわっと焦点をずらして情緒や空気感を醸しだしたり、幻想か現実かわざと不明瞭にして観る人の勝手に任せる・・・なんてことは全くない。
カメラはすべてをぼやかせずに撮り、リアルで残酷なシーンが酷薄に映し出される。

この監督は、どれだけ映画を、映画を観るものを、信じているんだろう。
狂気的であり衝撃的でありながら、観てすぐ名作と感じるほど普遍性が高い。
見るものの中心に、まっすぐぐいぐいと押し入ってくる。
だからこそ、解説も批評も抜きで一対一で作品の真ん中と向き合える。

・・・私はそう言う作品を求めていたように思う。
「洋画の知識経験が足りないから私には良さがわからないかも・・・(←人生で何度か使ってきた逃げのセリフ)」なんていうぐずぐずした言い訳もいらない。
ただ、この映画と出会って、落とされればいい。

【 J.K.シモンズの鬼気迫る名演】

それにしても、鬼教官フレッチャー役の、J.K.シモンズの演技は、見事だったなぁ・・・・。
あの身のこなし。観客の前で演奏したり指揮棒を振ったりする時にはこの上なく優雅。火のついたように学生をしごきまくる時の華麗なほどの(?)狂気の暴力。

顔が素晴らしい。これだけ完璧に美しい「老人の顔」を長時間まじまじと見たことがない。見事な禿頭の造型。痩せた顔の上に無数に刻まれたしわの一本一本、首に走る大きな斜めの線、怒り狂った時は目と口が開き、顔のしわが一斉に生き物のように動き出す。動く彫刻を見ているような感じがした。手指の動きや造型も美しい。

時にフレッチャーの怖さも忘れ、「老人とは美しさの衰えた人間ではなく、老人ならではの美しさがあるのかもしれない・・・」と関係ないことを思ってうっとりした。
もちろん、彼の演技は一瞬たりとも緊張を緩めてはいない。
神や悪魔のように見えたりするかと思えば、口元のちょっとした動きでイラついた感じをチラッと出したりする。絶妙。
そう、彼を見ているだけで、こちらも息を呑み続ける感じなのだ。

フレッチャーの存在感は、最初のレッスンの時から明白だ。それまで軽口をたたき合っていたメンバーが、フレッチャー登場とともに冷たい緊張感で沈黙する。その恐怖感にみごと応えるような仕打ちが待っている。

3回ほど、フレッチャーがニーマンに温かい言葉をかけることがある。
2回ほど、センチメンタルな表情を見せるシーンがある。
しかしそこでほだされると、強烈なしっぺ返しが来る。
何度でも罠にかかってしまうのは、ニーマンがフレッチャーに自発的に反発する力も失い、彼の承認を乞い願う存在に落ちてしまった証拠なのか。

フレッチャーが正真正銘悪意と支配欲のカタマリのクソ野郎なのか、芸術に殉じた人間(被害者?)のひとつの形なのか、実はわからない。哀れな人間なのだ、とも思えれば楽かもしれないが、そうも思えない。(ただし、絶対に正直者ではない)。

フレッチャーをどう見るか、そのあたりが、各人胸の中に持ち帰る謎のひとつかもしれない。

鬼の演出家のもとで日々追いつめられている役者とか、死んだほうがマシなしごきを受けている名門のスポーツ選手とか、人間扱いされないほどボロボロにこき使われているADとか、そう言う人がこの映画を観たらどんな風に感じるかもちょっと興味がある。

四月期ドラマも絶不調?

May 22 [Fri], 2015, 2:27
大河ドラマ不振の話を書いたばかりですが・・・。
2015年4月スタートした今季の連続ドラマは、全体的に非常に不振なんだそうです。

確かに、視聴率は良くない。一番よくて13%や14%台、半分以上がひとケタ。15%台すら一本もない(除朝ドラ)なんて、こんなクールはかつてなかったのでは?

しかしこれだけテレビ離れが進み、録画視聴の割合も増えているのだから、単に視聴率が悪いからもうドラマは終わりだ!とか言う気はほとんどないです。

それより深刻なのは、内容的にも期待外れなものが多いこと。
ドラマ好きの私としても・・・正直心から面白いものがない。
「今夜は○○があるから頑張ろう!」と思えるくらいのがない。自分的には最近だと『デート』『ウロボロス』『信長協奏曲』みたいなのが・・・。

たくさん録画していても、
まとめ見→1.5倍モード見→飛ばし見→見ないで消去→リタイア(録画もやめる)
となっていきます。

【アルジャーノンに花束を】

実は、今一番楽しみに見ているのは、『アルジャーノンに花束を』(TBS)。平均9.4%。
野島伸司最盛期なら相当な視聴率をたたき出したんじゃないかと思うけど、今の時代の反応は驚くほど冷淡ですね。内容に普遍性は大いにあると思うのだが。
野島伸司が本格的に時代に合わなくなってきたのかなあ。
しかし、現在50代の私にはフィットするし、涙流しながら見ることも多いです。
障がい者ものを描くと、まさに野島ワールド全開。セリフも胸に刺さるものが多い。

28歳の知的障碍者で、6歳くらいの知能しかない咲人(山P)。
母親が自分を捨てたのは「バカな子は嫌い」だからだと思いこんでいて「ぼくは、おりこうなりたいです」といつも言ってた。
でも、優しくてピュアで、勤務先の花の配送所(前科者や施設上がりの青年たちが、住み込みで働いている)ではバカにされることもあるけど、基本みんなに愛されていた。

しかし石丸幹二演じる天才科学者(異様にカッコいい)により「頭がよくなる実験」の被験者にさせられて、彼は(この3週間の放送で)どんどん変わっていく。
モルモットのアルジャーノンと違い、最初はあまり変化がない。計算がものすごく速くなったり、ヘタクソだった野球で逆転ホームランを打ったり、そういう反射的な能力で周囲を驚かせるくらい。

次の週には、性的に子供から大人へ成長し、アダムとイブのごとく「恥ずかしさ」を覚える。研究員の栗山千明を「はるかは、ボクの一番大好きな女の子です」と言うくらい。博士ははるかに「研究のため恋人のふりをしろ」と言われるが、彼女には出来ない。その時博士がはるかにキスしたシーンを見てしまった咲人が「はかせ、ダメ、悪い」と泣き、「はるかとキスがしたい」と言うまでになる。

その次の週には、一人で自分を捨てた母親(精神不安定だった)に会いに行く。頭がよくなったから喜んでもらえるかと思いきや、母親はひどく脅えて激しく拒否した。
咲人は傷つき、恋愛や友情の欺瞞を理屈で暴き出し、みんなの気持ちを苛立たせるようになる。他人とのくだらない交際を拒み、知識に飢えて勉強に没頭する。「お前、一体誰なんだ」と一番心配してくれた友人に言われる。

山Pの演技は微妙なところだけど、頭がよくなる前はかわいかった。友人役の窪田正孝と工藤阿須加がとても良くて、彼ら三人のシーンにジワッとする。

往年のドラマを見ているような気分は抜けませんが・・・なんか引き込まれる。ストーリーがきちんとあって見てれば引っ張ってってくれる。ドラマらしくバランスがとれてる。原作はおぼろな知識しかないので、この物語が終わる時、天才咲人がどんなところまで行ってしまうのか、ちょっと残酷な興味を持って見つめています。

【心がポキッとね】

『心がポキッとね』
は平均で7%台まで落ちたけど、今季の中では面白く見ている。
水原希子と山口智子を悪く言う感想をよく見かける。けど本作で一番見ていて気持ちいいのもこの二人では?
水原希子の超ミニスカから繰り出される美脚強烈キック。また「崖っぷち自己実現女」山口智子のドロドロドロドロハイスピードで垂れ流されるトーク。どちらも出し惜しみなし。イタさを通り越して快感になるんだけど・・・。
最新回では、ラスト、阿部サダがボロボロになって希子とたどり着いた「家」で藤木と山口がすごく楽しそうに「おかえり」してくれて、阿部サダが泣く。その顔がたまらなかった。

四人の微妙な状況がうまく描かれていて面白いんだけど、いろいろとイマイチな上、既視感が強い。
近くでは『最高の離婚』の劣化版パロディみたいな気もする。こじらせ男女四人ストーリー・・・。
今季はオリジナル脚本自体も少なめで面白いのが少ない。岡田恵和のこれしか見てない。
前クールはオリジナルの成功作が多かったんだけど・・・たまたま?

『花燃ゆ』が歴代最低大河の道をひた走る?

May 20 [Wed], 2015, 23:54
今年の大河ドラマ、『花燃ゆ』。
なにかと不評で、視聴率もついに9.4%まで下がってしまいました。
井上真央さんがノイローゼになったり謝ったりする必要は全くないです。
テレビ視聴がどんどん下がっているし、録画率が増えているのだから、通常状態でも前年よりちょっとずつ下がるのが当たり前。

しかし、作品内容、また大河ドラマの構造的な問題には、ちょっと言いたいことがあるので、書きます。

私は、「会津びいき・長州嫌い」の風土で育ったためか(長州嫌いと言う意識はないのだが)、長州藩や松陰についてちゃんと知ろうとしたことがない。
だから「この機会に一年間長州の歴史をたどろう」となどと殊勝に考え、なるべく・・・・観てきたのである。

でも、残念疑問な点が多すぎる。
ひとつは、「女性の描き方」。
もうひとつは、「幕末長州の描き方」。
・・・・あ・・・ほとんど全部か。

【なんとなく・・・の保守反動女性像】

ヒロイン大河は珍しくないが、『八重』『篤姫』に比べても明らかにつまらない。
笑顔でおにぎりを作るのが悪いとは言いたくないが、鉄砲で薩長軍と実際の戦った八重とは違いすぎる。

特に先週19回の『女たち、手を組む』は、タイトルからして悪い予感。見ながら本気でリタイアせねばならない気分になってきた。
おにぎり握って、庭で野菜作って、男の「いざ」と言うときのために苦しい家計の中から「へそくり」をして・・・。戦時中なら、モンペ履いて竹やり訓練して千人針縫って鍋釜供出すぞこいつら・・・という感じ。それだけならまだしも、そういう女性たちを賛美するぞこの脚本家なら・・・・。

また20回『松陰、復活』も結局は見てしまったが、文の次のセリフにぶっ飛んだ。
「(美しいおなごや○○のあるおなごはたくさんいるけど)久坂の妻、高杉の妻は一人しかいない。(その二人が手を組めば最強だ)」とかなんとか・・・・(うろ覚え)。

「女の価値は(美貌や個人の実力ではなく)夫によって決まる」(!!)ってこと言いましたよね?
おまけに、その久坂は京では芸妓(鈴木杏)に気に入られ、いい男(尊攘派の?)に協力するのが女の甲斐性(うろ覚え)とか言ってもらってる。どこまでも女は男を立ててなんぼ。

まあ、久坂が死んで小田村伊之助と再婚するまでにもう一つ女の人生の山場がありそうだけど、そこまで視聴者がついていくかな?

『八重』では川崎尚之助様が、結婚後良き妻になろうと鉄砲に触れなかった八重を叱ったじゃないですか。
「私は鉄砲を撃つおなごを娶った。あなたはあなたであればよい!」(激萌だったなぁ・・)
2013年、「大河ドラマが現代に追いついた!(いや、追い抜いたかも)」私に思わせたのに・・・。

いや、もちろんその時代はそうだったのかもしれないけれど、大河ドラマだって「現代人に見せるために、現代人が作った、過去に取材したドラマ」だ。
もちろんリアリズムに徹するなり、ある女性像を現代女性へのアンチテーゼとしてドンと押し出すならアリだけど、それほどの気概もなくペロッと書いちゃってる感じだから嫌なんです。

なんで今の時代に「女は男の銃後でサポート」みたいなドラマが作られたのか、意図的な保守反動だとしても非常に疑問。本気でやるならワキの甘さをなんとかしてくだされ。

あれかな、朝ドラの『ごちそうさん』が、「家族のために料理を作るのが何より楽しい女」をヒロインにしたでしょ。「スワ保守反動ドラマか?」と思ったんだけど非常によくできてた。ヒロインはとても魅力的だったけど、その女友だちに「彼女はからっぽなんだよ」ってセリフがあったことに感心した。(批判的にではなく、愛をこめてのセリフだった)
その細かいでティールを見ずに、単に『ごちそうさん』の成功を見て「そういう女(滅私献身する妻)って意外と新鮮なのかも」って『花燃ゆ』脚本家は単純に思っちゃったのかなあ。
『八重の桜』『アナと雪の女王』『マレフィセント』で湧いたここ数年の女性をめぐる激変ぶりを鈍感に無視してしまった『花燃ゆ』。

聞けば、女性三人の脚本家が交代で書いてるからキャラクターやストーリーが一貫しないことが多いのだとか。
えっ・・・・?そんなもん?

「三人で書けばバラバラ」と言うのがむしろ変。
同性三人、お互い相手の脚本を厳しくチェックして、よりいいドラマにするようディスカッションするように思うんだけど・・・違うの?
「この女のセリフ変だろ!」「女はこうじゃない!」「こんなオトコには絶対惚れない!」とか三人で叩き合ったら面白いと思うけど、そういう仲になれない脚本家なら・・・・・・一人の方がマシですなあ。

【松陰先生がキリストになる?】

伊勢谷松陰が登場してた頃は、まだもう少し支持があったような気もする。
元々の松陰イメージとは違ってたけど、こういう松陰もアリ、と思わされたから。

松下村塾のキャストは悪くはない。特に劇団ひとり(伊藤博文)の何かしでかしそうな目が気に入ってる。東出はうまくなくてもいい男で大器感あり。実力派高良健吾が意外とハマらないなぁ・・・早くザンギリになってしまえ。

さて、内容的にはそろそろ面白い時代に入ってくるのだけれど、話はあまり面白くならない。
桜田門外はせっかくの高橋英樹井伊なのに一瞬だったし、坂本龍馬や西郷隆盛の登場(道端での立ち話程度)も、残った期待を萎ませるのに十分だった。さらに徳川慶喜と島津久光にどぶろっくの二人を起用するなど、(どぶろっくは好きだけど)どうも期待できそうな感じがしない。

子供のいないこどもの日の、激安バスツアー

May 07 [Thu], 2015, 6:55
【子供のいないこどもの日】

GWがようやく終わってホッとしている頃でしょうか。

気がつけば、我が家から子ら(とはいっても二十歳過ぎだが)が居なくなって二か月ちょっと。

寂しいこともあるけれど、空の巣症候群、というわけでもない。
入れ替わるように単身赴任から帰ってきた夫との二人暮らしに今だ馴染めないというか、こんなに鬱陶しかったのか、こんなにいちいち摩擦を感じて今後やっていけるのかと毎日のように思う(お互いかな?)。
今後二人暮らしが続くわけだから、お互い態度を考え直して、できることならチリチリせずに空気のように楽に暮らしたいものだ。

・・・・しかしこの辺の愚痴はすべて「ぜいたくな悩み」に分類されてしまうので、波瀾万丈な友人たち(みんななんであんなに下手なドラマより凄まじい人生を送っているのか不思議になるくらい)、の間では綺麗にスルーされてしまう。

「好きで一緒になったんだから、最初の恋愛時代を思い出せば仲良くやれるよ!」とは言われるけど、それははるか昔の20代前半(出会った時の夫は10代)。ここまで二人で向き合う生活なんてなかったんで・・・。

【子供のいないある夫婦の知恵】

友人のうち、結局子供ができなかった奥さんが、二人仲良く暮らすコツを教えてくれた。

○まずテレビは二台が大原則。
○子供が出て部屋が空いてるなら是非寝室は別に。
ああ、なるほど(ストン)。

ちなみにこの奥さんは二人きりで長年やってきた努力が実績を結びとても旦那さんと仲良し。
連休の一週間くらいなら、二人っきりで家の中にいて平気なのだそうだ。

!!!!!ものすごく驚いた!!!!!
私は一日でウンザリして用事を作って出かけてしまうに違いない。

この夫婦は特に何をするわけでもなく、てんでに本を読んだりテレビを見たり、一緒にご飯を食べたりお茶を飲んだりして、用事がなければ外にも出ずに一緒に空気を吸っているんだそうだ(!!!!!)

その上、「二人とも早く定年になってずっとこんな日が続くといいね」(?!?!?!?!)とか言いあってるのだそうだ。(!!!!!←だんだんしつこい)
こちらは「このままでは定年後は耐え切れずに絶対離婚したくなるのではないか」と真面目に心配しているのに・・・。

ちなみに、その少し前までの「娘との二人暮らし」は理想的に快適だったなあ。同性と暮らすのっていいなぁ(まあ、娘だからかも知れないけど)。
しかしその「理想の二人暮らし」から一年足らずの時期に、娘が早々に家を出ていってしまたことを思うと、もしかしたら彼女には理想的どころか、近頃問題になっている「母が重くてたまらない」だったのかもしれない。

やはり周囲に迷惑やら心配やらをかけないためにも、夫婦でやっていく努力をしてみよう。
・・・と言うあたりに落ち着く。
ほんの1年ちょっと前までは子供のことで深刻に悩み、このままでは長期間ひきこもり(パラサイトシングル)の道をひた走るのではないかと思っていたことを思い出す。それが一応家に出たのだから大きな悩みがほとんど解決したようなものなのだから、有難いことだ。夫との暮らしに文句を言うのは罰当たりなのだ。

・・・というあたりで、改善の努力をすべきは自分である、と自ら自分に説いている毎日なのだが(自ら臭いものに蓋をした部分を感じるが)、現実的に自立するほどの経済力がなく。激貧孤独老女になる勇気もない状態では仕方がない。

表現者の自立(とはこういうことか?)

May 01 [Fri], 2015, 7:59
「私の子供=舞踊団」ソロシリーズ『イマダンス』(第三回)

先日凄い舞台を見た。
観ている最中から興奮状態になり、その後数日間興奮が抜けなかったくらい。

「すごいものを見た」と心から思うことは、そんなにはない。
羽生結弦君のとんでもない演技に衝撃を受けて以来じゃないかなあ(2013年12月の、結果的に歴代最高の99.84点を出したあの『パリの散歩道』だ)・・・。
と言ってもスケートやスポーツの話ではなく、舞台(ダンス)での話。

2年ほど前、とある舞踊団体を知ることとなった。
世界的なダンサー田中泯(今や朝ドラ『まれ』やソフトバンクのCMにも登場し、お茶の間にも知られるようになった)と、埼玉県富士見市の市民文化会館「キラリふじみ」が立ち上げた公募舞踊団である。
(余談だが、昨年『奴婢訓』『カルメギ』で多田淳之介にドッとハマったのは、彼がキラリふじみの芸術監督だったからという流れである)。

正式名称は『私の子供=舞踊団』という。
活動歴は三年余りくらいか。(だから全部観ているわけではない)
全体での本公演のほかに『イマダンス』という名のソロシリーズをやっている。
20人前後くらいの団員の中から選抜された6名が、ソロで踊るのだ。

この第一回(2014年3月)を見た時の驚きは、こちらに書いた。
『表現とはこういうことだ(と思った)』http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1314
という、我ながらふるったタイトル。でも本心なのだ。
驚異的にうまいとかレベルが高いとかそういう部分での感動ではない。
もっと本質的な驚き。
彼らの舞台が私に、長いことさっぱりわからなかった「表現」を理解するきっかけを与えてくれた(ように感じさせてくれた)。

二度目は昨秋9月。
これは二晩全部観て、興に乗って6つの演目に小題をつけてしまったくらい面白かった。記事を書いてないのは、某所で感想を喋り散らしてその辺で満足してしまったためであろう。(ちょっともったいない)

そう、『イマダンス』は面白いのだ。
舞踏、舞踊、ダンス、パフォーマンス、私には厳密な定義はわからないが、この舞台を通じて初めて「おもしろさ」を感じられるようになった。
思うに、「おもしろい」と感じられる最大の仕掛けは、演目が3つあることなのだと思う。観ながら比べるうちに「なんかわかった気になる」のだ。(ここでも差別は認識の基盤なのだ)

「この劇団(舞踊団)の先はどうなるんだろう?」とずっと注目していた。
表現が純粋すぎるがゆえに、長く継続していくことがイメージできないから。
実際、この春に解散するという噂も聞いていた。
しかしめでたく、三回目を迎えた。見逃したくなかった。

場所はいつもと同じ、丸の内線中野富士見町駅から少し歩く地下空間「plan-B」。
満席でも30人くらいしか入らない、床部分まで詰め込んで50人入るかどうか。
田中泯やその弟子である石原淋の舞踊も良く行われている場所だ。
2日間で6人。例によってそれぞれのダンスは一回きり。
一夜目は仕事で行けず、二夜目(4月26日)のみの観劇となった。

二夜目に個人的に注目する演者が多かったのだ。
1人目の男性(SGさん)と2人目の女性(Aさん)は、ソロに毎回登場している方。いわばエース級である。第1回と同じ順番で登場した。
3人目(SOさん)は、2度目のイマダンスから登場した男性。
非常に面白かった。いろいろな意味で。

【1】 「どこにもいけない」閉塞感

一人目のダンサーSGは、第一回で非常に共感を感じた方である。
表現力のある演者だと思う。思い起こせば私が「表現」について考える糸口をつかんだように思ったのは、この人の演技だった。

今回驚いたのは、第1回とほとんど同じシュチュエーションだったことだ。同じジーンズっぽい作業着の上下。機械音のようなものが鳴り続けているのも一緒だ。
彼は舞台の上でおびえ、立ち竦み、行き場を失い、外界との強い疎外感を感じさせる。
彫りの深い顔立ちがくっきりした照明に照らされると、どこか西欧絵画のキリストを思わせる。その動きは畸形的でありながら真摯であり、緊張感を保っている。感情が途切れないのもいい。

もちろん、同じシュチュエーションをあえて選ぶというのは、いろんな点で変えているのだろうし、不満点を克服して完成に近づけられたのだと思う。
しかし・・・どこが第1回目と明らかに違うのか、残念ながら私にははっきりとわからなかった。

見ながらじわじわと閉塞感に襲われた。「このままではどこにもいけない」という思いが強まってきた。
それは当然、舞台上のこの男がどこにも行けないということ(多分このダンスのテーマかも)なのだろう。
けれど、やがてこの舞踊団全体にも通じるような気がしてきた。

(以下個人的妄説)
plan-Bの地下空間は非常に魅力的なのだが、この舞踊団の演者が踊る場合(その他は一度しか観てないので御免)、往々にして三方の壁は「ぶち当たる壁」として「似たような使われ方」をされやすい。これは毎回感じていた。壁にぶち当たり、床に自らの身体を激しく投げつけ、苦しんだりのたうち回ったりする。
ワークショップ形式がベースにあるせいかもしれない(勝手な推測です。違っていたらごめんなさい)。

舞台は、牢獄であれ胎内であれ、彼らの演技を大きく外から包んでいる。
そこに音楽(効果音)が入り、照明が強くついたり消えたりすると、音楽や照明への反応としての動き(演技・ダンス)になっているように見えてくる。
不安を呼び起こす機械音には疎外を感じておびえ、それがピアノの音に変わると何かしら新しい局面に入ったように見えるし、最後はピアノのカルメンで、ややハイになったように見える。
いや!実はそうではないらしい。演者の動きが先にあり、音楽はあとづけということだった。
しかし、見ている私には、音楽や照明に割合真っ正直にリアクションしているように感じられた。

かつて聞いたことを思い返すと、このソロに選ばれた者は、はじめなんのサジェスチョンもないまま「動いてみろ」と言われるらしい(今は違うかもしれないが)。
例えば誰でも・・・私でも、いきなりこの空間に立たされて、観客が見ている設定で動いてみろ、と言われたら・・・・。限定的な少ない情報に反応して生まれる自分の感情に合わせて動くしかないのでは。
暗い。恐怖。疎外感。閉塞感。それでもとにかく動いてみる。
立つ。歩き出す。飛び上がる。うずくまる。
外から限定するplan-Bの壁に必ずぶつかる。床に体を投げつける。這う。

それは自分の身体を、自分を取り巻く世界を、初めから一つ一つ認識していくような作業に思える。ワークショップとして、人生を別な視点で見直すほど新鮮な体験だと思う。
観るだけの我々にとっても、実際感動的な体験だったのだ。(誰がやっても他人に感動を与えるとは限らないが)。

(本公演で初めて見た『赤面歩行』という演目もそうだった。これはざっくり言えば「一本の細い通路を一人一人端から端まで歩く」というのが中心。「歩く」ということがいかに難しいか、人によってこれだけ違うのか、観ていて非常に面白かったし、感じいった。)

しかし何度も観れば、また何人分も観れば、だんだん似たり寄ったりに見えてくるのではあるまいか。
乱暴な決めつけだが、強い光が当たれば驚いてそちらを見て、光が消えればおびえたりうずくまったりする。音楽が明るくなれば、足取りや表情も明るくなる。その反応を避けようとすれば、嘘が混ざる。

むろんSGは非常に表現力のあるダンサーであり、そんなリアクションワークばかりに見えるということはけしてない。初見なら第1回目と同様に感動したのかも。ただし2度同じようなものを観れば、技術が3割上がったとしても受ける感動は7割削がれる。これは仕方のないことだ。(羽生君の『パリの散歩道』だってそうなんだから・・・)

この劇団の試みの限界なのか、またはこの場所でこの形でやることの限界なのかはわからない。しかしずっとこの劇団を興味を持って見続けてきた者としては、正直なところ少し寂しい気がした。

【2】 ついに現れた!化けた!

そんな閉塞的な思いを遠くに吹き飛ばしてくれたのは、二人目に登場した女性ダンサー(Aさん)である。これまで三回ともソロを踊っている力のある女性演者だ。
彼女は経験者であり、技術も表現力も高くこの劇団内では中心となる存在だ。また姿かたちや動きの美しさで観る者を魅了していた。

ん・・・?
しかし、今回は登場時から、これまでと全然違っていた。

(注意:私の書くことはすべて個人的な感想にすぎないので、実際の作品や演じる本人の意識とは多分大きなズレがあります。単純な見間違い、勘違い、記憶違いもあります。解釈はさらに自分勝手な妄想です。感動を何度も思い返すたびに実際のダンスの記憶は変形し、変形した頭の中の彼女のダンスに勝手に思い浮かんだ意味づけすらしてしまう、自分中心で自己満足的な行為です。観たものに対して湧き上がった自分の思いを正直に書こうとするのが精一杯で、作品自体を誠実に書きだすことは私には難しい。その辺はご容赦ください)

客席側の扉からとぼとぼと登場した時、彼女はサザエさんのような団子を乗っけたようなヘアスタイルだった。思わず笑いそうになった。黒いTシャツと半端な丈の黒いスカート。ケバの浮いたような薄い茶色のカーディガンを羽織っている。
前かがみでよろけるように歩き、スカートから突き出た足は鶏のように細い。
あ、これは老婆だ・・・。
かなり畸形的で、また認知症が進んでいるようにも見える。

彼女は細い指先で何か糸のようなものを引っ張り、目でそれを追う。縁側で縫物をしている昔の母親のようである。(パントマイムで縫物を表現しているわけではない。観る者によっていろんな風に見えるのだと思う)しかしうまくいかない。彼女は孤独で、何かを諦め、嘆いているようだ。
ああ、昔の日本の女性だ。
家に縛られ、家族に尽くしてきて、そしてなぜか今ひとりぼっちで静かに狂いつつある老婆。
その時床に当たった照明が、四角くて暖かかったのも、どこか日向の縁側の障子を思わせた。

彼女の背は前に大きく屈曲し、肩に大きなこぶのようなものがのしかかっている。(しかし、詰め物をしているわけでもないようだ。)
この姿勢を保つのは大変なことだろう。体型を畸形(せ○し)のように見えるほど変形させるとは、どれだけ身体が柔らかいのだろうか。
時に素早く動くこともあるが、つまずいてよろめいたり、危なっかしい。

中盤になると床に転がり、身体全体が人間の通常の形を離れ、もっと不思議な形になっていく場面もあった。

春ドラマ半分スタートしました(2015年4月期@)

April 17 [Fri], 2015, 0:00
やっぱり観る連ドラのある生活は楽しいなぁ・・・・。

1月期のドラマ(『ウロボロス』と『デート』中心)終了後、少し間が空きました。
それが若干「餓え」をもたらしたのか、なぜか今季はスタートするドラマ、今のところなかなか楽しんで観てます。
アレですね。コーヒーと同じで、飲みたさが高まった時に飲むと、美味しいのかな。

テレビ誌というものがありますが、今は三カ月に一度しか買ってません。つまり、「新ドラマ相関図」の載ってる号です。
スタートしたドラマは、まだ全体の半分くらいしか見てませんがですが・・・以下四本は面白く見ました。

【心がポキッとね】

これ、私は面白かった。
『最後から二番目の恋』で力を見せつけた岡田恵和脚本。
セリフが良くて、じわじわ効いてくる感じ。

『最後から・・・』のキャスト陣に比べるとちょっと弱い感じもしたけれど、阿部サダヲ大好きですから・・・特に第一話は、阿部サダあってのドラマと思った。
映像的に花はないけれど、それをしっかりネタにされてる(「顔は趣味じゃなかったの」と元妻にいわれる)し。
いろいろ残念な博愛主義の大雑把なカミサマ役の藤木直人と好対照。また藤木も似合ってるわ・・・。
山口智子演じる45女の自分探し、幸福探しの痛さが、最初ウンザリ、あとで愛しくなってくる。
水原希子も、キレキレのキックの連発が、なかなか楽しい。

ただテレビ的には、阿部サダ中心で真裏の『Dr.倫太郎』と戦うのはかなり大変でしょう。
もう少し、彼と相性の良い俳優を出しておいてほしかった(染谷君とか大人計画系とか)
こっちも録画して両方見るのが大変だけど、ちゃんと見届けるから頑張れ阿部サダ!
うまさとかわいげと哀愁だけじゃなく、もうちょっと輝いてくれ!(失礼)

【アルジャーノンに花束を】

楽しみにしてました。
野島伸司のオールドファンでもあり、また再放送された『未成年』にどっぷりハマって見てたから・・・。
改めて『未成年』は名作。女の子の使い方とかに非常に時代性を感じたけど、それも楽しかった。
香取君、いしだ壱成、反町隆史、河合我聞(+1)の男子5人組は私の好物だし、悲劇に至る流れもうまくて泣かされるんですよね・・・・。
今回配役を見た時点でびっくり。いしだ壱成が、主演山P演じる咲人の父親役、河合我聞が石丸幹二の部下の研究員として登場するんだもん。

期待を裏切らない第1回でした。
まあ・・・主演の山Pの演技は、ちょっと不満が・・・。月9の相葉君にも文句書いてますが、けしてジャニーズに恨みがあるわけじゃないです。なまじ役者一本の俳優より素晴らしい仕事を残している人もたくさんたくさんいるし。
山Pも、激愛する『野ブタを、プロデュース』の彰を見てしまってからは、(亀とともに)たいていのことでは好感はは消えません。
しかしながら、かつての山Pの透明感はだいぶ濁ってしまった・・・・。なおかつツラいのは泣く時の演技がわざとらしいこと。目を細めて力を入れるような。
でも、元々は適役だと思うし、ネズミのアルジャーノンとの演技とか、「ばかなこきらいです」「おりこうになりたいです」などのセリフ感は決して悪くないので頑張ってほしい。
《4/17追記》とか言っていたものの今見た第二回では、山Pの演技にどんどんなじんでしまい、窪田君とのやり取りのところでしたたか泣かされてしまった。

いしだ壱成は、再放送を見ていてあの目に改めて魅力を感じた。事件がなければどれだけの仕事ができたかと惜しまれる人。髪が寂しくなったね。河合我聞や萩原聖人とともにファン心をくすぐる。・・・。そう言えば、オープニングで咲人が高い煙突に上ってしまうのも、『ひとつ屋根』。

『半沢直樹』以来どこでもひっぱりだこの石丸幹二。パーマヘアの天才研究者も似合う。
栗山千明が惚れるのもよくわかる。

すっごくいいと思うのは、職場仲間(寮もいっしょ)の窪田正孝と工藤阿須加。
窪田君の実力は周知のことだけれど、今回はやさしさもずるさもある普通の青年。お調子者ぶったセリフも似合う。彼がこのドラマの中にいることでどれだけドラマが深まっていることか。
工藤阿須加いいねえ!!『八重の桜』の三郎役も、『ルーズヴェルト』のピッチャーも良かったけど、今回もまたいい。「弱いものがいじめられているのを見ると黙っていられない」優しくて激しい性格の青年だが、出所したてで凶暴性を秘めた役ということで、ドキッとするような色気も初めて感じられた。
今の若手で「大物感」のある役者と言うと、東出昌を思うが(身長だけでなく、キングオブ棒演技なのになぜか魅力があるから・・・)、阿須加君もいい。スポーツマンだし、目がいいし。もしかして、高倉健みたいな感じじゃないの?
彼らの織りなす。ピュアで悲劇の匂いのする青春ドラマに、期待大です。

ひさびさ「新選組」ネタ三題

April 16 [Thu], 2015, 13:37
なんと、というか、またまた、というか・・・・。
気づけば非常に長いご無沙汰でした。
家庭内のことでちょっとありまして、ブログのことはすっかり失念してしまっていました。

久々の休みがありがたい。
たいてい、久々だと書きたいことがてんこ盛りにたまっているものなのだけれど、今アタマが真っ白になってるのが不思議。

そうだ、先日12日日曜日はたまたま『新選組!』っぽいネタが多かったので、ちょっと書いとこう。
4月12日、近藤局長の命日で、流山では「勇忌」が行われている。
偶然なのか、どうか・・・・。

【ネタ1:『波瀾爆笑』に耕史君】

日曜日、何気なくリビングにつけっぱなしのテレビを眺めたら、見たことのあるかわいい赤ちゃんが・・・。
やや、耕史君じゃないですか!!なんと『波瀾爆笑』に出演??セーフ!

『嵐が丘』でヒースクリフをやるので、その関連ですな。
まあ、耕史君についてはたいていのことはわかってしまっているので、さして新しい情報はなかったけれど・・・(どうしても手品・モノマネ・ギター・DBのイラストが出るし。香取君のメルアドを盗んだ話は出るし・・・)、『ウサニ』で共演していた溝端淳平君とのコンビネーションが良かったです。
一番気になっている結婚についての話を注意して聞いてたんですが、ニューハーフが家に来たりしている位で、ここずっと浮いた話はないらしい・・・いや、本当はあるのかもしれない。あって欲しい!

堺さんがVで登場して、何かしら歯に衣着せぬことを言ってました。
(耕史君も堺さんを「何を言っても演技してるように見える」とか言ってましたが・・・)。
やはり『新選組!』の香取愛について、あまりにもずっと「好きだ」と言い続けてるので、だんだん尊敬とか通り越して「おかしいんじゃないの?」とか思ったそう。
「直してほしいところは?」と聞かれて、あまりに自分と真逆すぎて、直すとかそう言う共感性を感じられないのだとか。
「(耕史君は)もてるし歌もうまいしギターも弾けるし演技もうまいし、腹立ってきちゃう。上手いのは歌だけにしてほしいですよ」。
でもこっちから見ると、器用貧乏を絵に描いたような耕史君に対し、ヘタレ感をさらし出しつつ、役者としてここまでブレイクしてしまった堺さん(サラッと結婚もしたし)。どっちが器用なんでしょうか・・・。
ある意味、今でもダブル副長、ライバルなのかもしれませぬ。

【ネタ2:『新選組グラフィティ』トークイベント】

で、『波瀾爆笑』を見ながら身支度をして、今日は某所で堀口茉純さん(アイドルで歴史研究家で、お江戸ルほーりーという愛称もある方。メディアでも活躍中)のトークイベントがあったので参加してきました。

この本『新選組グラフィティ1834-1868幕末を駆け抜けた近藤勇と仲間たち』は、ちょっと一風不思議な新選組本。とにかく愛情がこもっている。
独特な隊士の絵(あえて同人誌風イケメン類型を外している)に「おっ?」と思う。
年表や隊士の資料、事件の瓦版、土方さんや沖田さんへのインタビューなどもあって面白い構成。研究書にしたら物足りないかもしれないけれど、ポップな口語調ながら、細かい史実にこだわっているのが面白い。小説ではないのにどんどん前から読めちゃう。

作者堀口さんは、かわいらしい若い女性。着物がよく似あっていてあさぎ色の隊服を羽織っていらっしゃいました。小学四年の時『燃えよ剣』で沖田総司に恋して以来、歴女のさきがけを続けているらしいです。(でも、浮世絵の本なんかも出してます)
総司推しっぽいですが、この本は近藤勇中心で書きたかったそう。
この日は4月12日「勇忌」のため、そちらに近藤ファンは流れたかも・・・と言って笑わせてくれました。

『ソロモンの偽証』 原作+映画前編

March 23 [Mon], 2015, 7:53

【原作が先か、映画が先か】

小説を先に読むか、映画を先に観るかは悩ましい。
もちろん、オリジナルである小説を先に読むのがベストだと思っている。ミステリはもちろんのこと、他の作品でも。作品がどこに着地するのかワクワクドキドキ想像しながら読むのは。ミステリと同じだから・・・。

時々、監督や役者が大好きだった場合、あえて原作を読まず初体験を映画にしたい、と思う作品もある。
どうせ読まなくとも、キャストを知ってしまった段階で「脳内映像化」してしまうので、予備知識なしで読むのが難しい。まっさらで原作を読むのとだいぶ違ってしまう。
変則的には、長い作品の最終巻をあえて読まずに映画を観たりすることもある。これは映画館における盛り上がりを一番優先した場合。
ミステリ原作映画などでは、既読者にそっぽを向かれないためか、「オリジナルとは違う驚愕のラスト!」とかやっているのも見かけるが、原作者とどのように折り合いをつけてるんだろう。

まら雑談に入ってしまった。
宮部みゆき『ソロモンの偽証』は、絶対に小説を先に読みたいと思っていた作品。

【宮部みゆきの天才性を再認識】

分厚い文庫本6冊のボリュームを見て、「映画まで読み切れるかなあ・・値段も張るし古本屋にもないしどうしようかなぁ・・・」と思っていた。けれど、読んでみれば宮部みゆきの天才を再認識することになった。(昔よく読んでいたが、ここしばらく新作を読んでいなかったので)。読み始めたらあっという間。
確かに一巻の半分くらい、登場人物がどんどん増えてくるのでそのあたりは行きつ戻りつしたが(年のせいで記銘力が落ちているから)、あとはもうジェットコースター並み。とても忙しい頃で、通勤とスキマ時間中心の読書だったのに、次の巻が切れると飢餓感が凄いので、休日前には一冊多く買ったりした。

『ソロモンの偽証』にこの手の体験談は多い。さほど読書力があるわけでもない私も友人も、これだけの長大作を一気読みできた自分に感心してしまう。それは自分ではなく宮部の力。感服つかまつりました。彼女はミステリの第一人者でありながら、優れた時代小説も書くし、ファンタジーやジュブナイルも書く。筆力にいささかの衰えもみられない。日本の宝です!
宮部みゆきはエグくない。大風呂敷でもない。どちらかといえば刺激の少ないゆったりした語り口だし、これでもかこれでもかという描写はない。シドニィ・シェルダンや韓流ドラマみたいなジェットコースターストーリーとは逆だ。
この物語も、場所は学校内と生徒たちの生活圏内に限定されている。次々に人が死ぬわけでもない。だのに、あの「ページを繰らせる力」はものすごい。
登場人物の内面や人間関係や行動の描写が素晴らしく、非常にリアルでいちいち心に落ちてくるのだ。最後には膨大な登場人物がほとんど全員愛しくなってくるくらい。

【ジュブナイル法廷ミステリ】

この小説は、ジャンル的には社会派ミステリと言うべきかもしれないが、むしろジュブナイル小説的な魅力を強く感じた。
自分が中学生だった時の、鼻の奥がツンとするような思いを、引きずり出して味あわせてくれる。先生のいうことに時々疑いを感じ、大人の裏の思いもちょっとずつ見えているが、まだまだ依存したい気持ちも強い。恋愛とか友情とか、憧れるのになんだかさっぱりわからない。素敵なクラスメイトが、カッコいい先輩が、テレビのアイドルよりもはるかに輝いていた。青春真っ只中だと持ち上げられても、実際の毎日は冴えないことばかりだし、日々がどんどん過ぎていくのがなんだか怖い・・・みたいな。
人にはそれぞれデフォルトのような年代があるんじゃないか。私はどうも中学一年頃がそれで、その前の自分を振り離し一線を引こうとしていた。部活に夢中になることが、自分を少し変えた。今でもよく、自分の文章を読み返すと、中学校の頃考えていたことと、基本的には変わっていないなぁ・・・と思う。しかしその前までには行かない。
宮部みゆきのデフォルトも中学時代なのかもしれない・・・と、この作品を読みながら勝手に想像してしまった。
そして藤野涼子は、宮部みゆきの分身かどうかはわからないが、これまでのヒロインの中でも一番思いのこもったキャラクターだと思う。

また「法廷モノ」としてもすぐれている。それは校内の裁判モドキにすぎないはずなのだが、法廷モノの面白さが純粋な形で詰まっているから面白い。
「子供たちを甘く見てはいけない」というのは、後日談で強調されているがテーマのひとつなのかも。ひとつひとつ手探りで裁判の仕組みを勉強し、図書館で調べながら作り上げた彼らの法廷は、出来あがった法廷を借りた法廷モノに比べると、非常に新鮮で優れている。「そうか、陪審員制ってこうだったんだ!」と彼らに教わったことも多々ある。
この小説を読んで法廷ドラマをムラムラと見たくなり、ちょうどやっていたWOWOWの三上博史『贖罪の奏鳴曲(ソナタ)』と、田村正和の『復讐法廷』も観てしまった。(『贖罪の奏鳴曲』はとても良かった。)

結局のところ何が言いたいかといえば、『ソロモンの偽証』体験は、原作先をお勧めしたい!!
内容に触れず賛辞を先に書いたのはそのため。

このあと、映画『ソロモンの偽証』前編の感想を書きます。
映画全体の評価はあくまで、後半まで観てからでしょうけれど・・・あまりほめてません。

しかし、これは多分あの小説を体験をした方なら、誰でも思うことじゃないかな・・・。
それは如実に表れている。小説は店頭にこれでもかと積み上げられていて、ぞくぞくと売れ続けているのに、映画の入りはさほどでもないようだ・・・。平日の夜。観客の多くは、原作を夢中で読んだ方々かのように見えた。

ちなみに、つらつらとYahoo!の映画感想などを読むと、「面白かった」という感想の方が多い。
それはわかる。宮部みゆきのストーリーは、概略追いかけているだけでも面白い。
それを未熟ななりにも清新な魅力の新人たちが演じているのは、新鮮だろう。

さほど宮部に興味もなく、話題の作品を二時間程度であらかたつかむためには、もちろん映画は効率的。
映画前編→小説六冊→映画後編、というのもアリかも。

・・・ということで、ここまで読んで「うん、やっぱり小説を先に読もう!」と思った方は、この先のは読まずにまっすぐ書店へ行くことをお勧め。
読む暇なんてない・・・と思っても、一巻の半分くらいまで行けば、あとは宮部さんがグイグイ引っ張っていってくれるでしょう。

あと『名もなき毒』シリーズの好きな方には、藤野涼子が20年後、杉村三郎と一緒に事件を手掛けるというう短編のおまけつき(六巻)。


【映画『ソロモンの偽証 前編・事件』感想】

すでに映画を観ちゃった人向けの感想です。
重大なネタバレは配慮してありますが、先入イメージを与える恐れはあります。
小説を先に読みたい方は、これから先は読まない方が・・・(しつこくてゴメン)。







事件の舞台は1990年〜1991年。まさにバブル末期。
映画では、主人公の中学生だった藤野涼子が、教師として赴任して20年ぶりに桜満開の頃母校にやってきた・・・という設定(現代部分は尾野真知子)。保険医の余貴美子と事件の詳細を語る、という形で始まる。1991年の20年後の春、では2011年4月、東日本大震災で余震が続いていた頃・・・。いや、卒業後20年と考えれば、2012年の東京だから落ち着いていたのかな。

細かいことはともかく、この20(±a)年という時代感が効果的だったのだが、この距離感が映画でどう処理しているのか、ここは前編ではまだ見えない。
公衆電話の有無や、商店街の雰囲気は違えども、学校っていうのは今も昔もあまり変わらないなぁ・・・というのも実感。(今ならラインいじめが津々浦々に充満してるだろうが)

この物語を今の時代に設定しなかったのはなぜだろう。
藤野涼子みたいな中学生の存在はもはや無理なのか、それとも当時素晴らしき中学生だった彼らが30代半ばの今、今の時代にまだ希望が持てるということなのか・・・・。

実は私は、予備知識なしに原作を読み始めた時、彼らが中学生の時の事件が「現代」になって真実が顔を出し、過去をさかのぼって謎が解かれる話なのかなぁ・・・・とか思っていた。(『贖罪』とか『激流』みたいな。)

その辺は小説で描かれそこなった部分だと思う。映画では是非描いて欲しいものだ。
しかし今のところ、尾野真知子のナレーションも少なく(存在感がなく)、狙いはわからなかった。

20年前ならもう何らかの時代考証が必要なはずだが、その辺も疑問。
「大出のオヤジがバブルでめちゃくちゃ儲けた」なんてセリフ、1990年に中学生が使うセリフとしては絶対におかしい!「地上げ屋と組んで儲けたらしい」というセリフならまだしも・・・。
「バブル」というのは弾けてから流布した言葉で、1990年にはなかった。「バブルのさなかにいる」という認識だってなかったから。
また、このセリフは原作にはなかったように思う。(人に貸したから断言できないが、こういうことにはピッと来るので)。

駆け足2015春ドラマ最終コーナー(オリジナル脚本充実)

March 18 [Wed], 2015, 7:10
連続ドラマについて・・・。全然書けてませんが、見てます。
もはや続々最終回を迎える頃ですが、その前にちょっとまとめ。
(★は満足度。最高5個です)

やっぱり今季はブレなく、『デート』と『ウロボロス』が一番好き。

★★★★★『ウロボロス』は、萌えボロス。最終回に向けて盛り上がってますね!
小栗くんはもちろんいいし、樹里ちゃん、鋼太郎さん、滝藤さん、ムロ君、綾野君・・・みんなすごくいい。子役も、小栗タッちゃんと生田イクオにぴったりで可愛い。
けれどやはりあくまで斗真君が主役。
斗真君って正直、ドラマのまともな主演に恵まれなかったと思うんです。(『魔王』『遅咲きのヒマワリ』もパッとしなかった)映画で培った演技力、アクションは素晴らしいのに。

で、今回のドラマで爆発。
第六、七話の西武園ゆうえんちで撮った回が特に好きなんだけど、タッちゃんの窮地に自らも瀕死のまま現れた「ゾンビ」顔の演技、凄かった。観た瞬間ぶわっときて、やはり評判になってたね!瞬きをしない演技、驚愕の演技(ウラバラスで散々からかわれて可愛い)、タッちゃんに置いていかれた時の悲痛な顔、カッコいいアクション、人懐っこい笑顔・・・。
可愛くて愛しくてたまらないのに、狂気と人並みを超えた能力もある。『土竜の唄』と『脳男』のイイトコドリ?キャラ立ちまくり。

で、タッちゃん小栗は一歩引いていて、いつもイクオ生田を立ててるんですよね。信長も大好きだったけれど、脇に寄った時の小栗もいいんだなあ。斗真君もこの状況だからこそ、ようやく胸を張って「代表作ドラマ」と言えるものができたと思う。
そうかと思えば斗真君は最初から「(大好きな)ウロボロスをドラマ化したい。そしたら相手は絶対旬君」と決めたたそうで、ドラマでもリアルでも犬っコロ。もう萌え萌えなんですよ。イケパラの佐野君と中津君からずいぶん時がたったけれど、あの頃よりずっとオトコマエになったし、二人の愛も深まってる(!!!)
ストーリーも振り落とされそうなくらいスピーディー。最高のエンターティメントだと思うんだけど。視聴率はイマイチだけれど、録画率はずっとトップらしいですぞ。
その上、本編と『ウラバラス』と二度楽しめる。最初のウラバラスの時、間違っていつものように通常モードで録画したら、副音声が聞けなくて泣いた。(○tube)で聞いたけど、録画をとっときたかった。本編でも副音声でも、旬君斗真君の仲好しさにニヤニヤ。鋼太郎さんもムロさんもチーム感たっぷり。小栗君が鋼太郎と呼び捨てにするのが変だったけど、あれだけ仲良しならなぁ・・・。
毎回一時間たっぷり、画面を見ながら本人たちが語り倒してくれるので、嬉しくてたまらないんだけど、世間的評判はどうなのかな?こういうのこれから増えそうだけど、こんなに心から楽しいのはそうそうないような気がする。

★★★★★『デート』は古沢良太の大傑作。見たら元気になる、月曜日の魔法です。
第一回を見た時は、この内容で同最後まで持っていくのかちょっと心配になったけれど、恋愛ドラマというよりも、家族・恋愛・結婚が丸ごと入った非常に新しいホームドラマでした。
毎回楽しいけれど、特に、第二回の踊るプロポーズ編と、第六回の年始のあいさつ編(蛇が鍋でゆだっちゃうやつ)はたまらなくて、何回見てもたまらない。(第九回とかイマイチな回もあるけど・・・)
大好きな長谷川さんとスーパーサラブレッド杏の素晴らしさはもちろんだけど、脇もいいですよね。(ヒットは鷲尾くんの中島裕翔)。
母親が二人とも良く描けてる。特に幽霊(というより依子の幻想)として現れる和久井映見がいい。依子の頑なな性格が、どうも科学者としても女としても母親に勝てない(と思いこんでいる)ところにあるとわかってからは、依子がたまらなく愛しくなった。
依子の父親松重豊もたまらなくいい。けれど後の方で出てきた谷口の父親(平田満)と、不必要なくらいどす黒い友人(松尾諭)は、なんだか清潔感がなくていやなのである。(役者は悪くないが)

この古沢良太(リーガルハイ)の古沢良太を筆頭に、今シーズンは注目脚本家の競演という側面も見逃せない。
ということは原作付きがいつもより少なかったわけで、オリジナルが多く見られたという点では嬉しいシーズンだった。

店の名はクレマスター

March 14 [Sat], 2015, 7:20
【店の名はライフ】

店の名はライフ 自転車屋の隣
どんなに酔ってもたどりつける
最終電車を逃したと言っては 
たむろする一文無したち

店の名はライフ 三階は屋根裏
あやしげな運命論の行き止まり
二階では徹夜で続く恋愛論
抜け道は左 安梯子

店の名はライフ 今は純喫茶
頭の切れそな 二枚目マスター
壁の階段は塗りこめてしまった
まっすぐな足の娘 銀のお盆を抱えて「いらっしゃいませ・・・」

(中島みゆき『店の名はライフ』一部抜粋)

【ゴールデン街の哲学バー】

先月末、K先生にお会いできる集まりに行ってまいりました。
(こっそり教えてくださる方がいらっしゃって・・・感謝しております)

この方のおかげで7年前に先生に初めてお会いできました。それも2月末。
ちょうど娘の高校入試の日で、その日受けた第一志望を落ちたのでよく覚えてます。(母親がそんな夜外出した報い?)しかしその子も大学を卒業して家を出ましたから、時効でしょう。
なにしろ勝手にわが師としてお慕いしているK先生ももはや81歳。お会いできるとなったら(娘の受験日であろうと)馳せ参じます。

7年前は普通の飲み屋での会でしたが、今回の会場は、歌舞伎町花園ゴールデン街のカフェバー「CREMASTER(クレマスター)」で、先着15人限定。

これはいったいどういう場所なんだろう・・・怪しげで楽しみ。
調べるとクレマスターは、2003年に精神分析医であるF先生が設立し、「Fゼミ」が既に何百回も行われているという。K先生を呼んでの今回が564回。
すごい!超本格的「哲学バー」じゃありませんか!(違ったらゴメン)

歌舞伎町でもコマ劇場付近ならともかく、腸に例えられる複雑なゴールデン街などまともに行ったことはない。一昨年就職活動のため新宿区役所から花園神社付近へ抜けようとしただけで、白昼なのに路地に迷い込んで出られなくなり、非常に焦った時を思い出す。

外は冷たい雨。
「JR新宿駅の東口を出たら・・・♪」とご機嫌に唄いながら地図を片手にゴールデン街へ。
夜見ると、「これぞ!」というくらい独特。十代の頃から憧れを感じていた(なんで?)歌舞伎町は西武新宿前じゃなく、こっちだった。猥雑や魔窟イメージを通り越して、廃墟写真に魅かれるのに似た思いを抱いた。(失礼)
巨大資本立ち入り禁止的な、懐かしい文化的なエッセンスを感じた。(うるさいおもひで横丁よりはずっと。)

十分時間に余裕を持って出かけたはずなのに、路地を一本間違ったのが運の尽き、店を見つけられずにぐるぐるぐるぐるしてから到着。
雨の中開場までしばらく待っていると、定員15名のところなんと16人目で、入れないとのこと。
立ち見でもいいし、先生の顔を一目見るだけでもいいと思って時間まで待ってたら、私と最後の17番目の人まで入れてくれることになった(有難い)。

しかし、二人くらい入れるだろう、と思ったのも割と甘かった。
この界隈では通常サイズなのかもしれないが、小さくて細い店。一階のカウンターも5席くらいで、人がすり抜けるのがようやっとのスペース。

「Fゼミ」の会場は2階。ここも6畳間くらいのスペース。そこに2先生を入れて19人の男女が入るのだからすごい!!椅子も足りず、屋根裏(3階?)に続く奥の梯子階段に3人ほど腰かけている。私は逆の、入り口に近い階下への階段の最上段に立って参加させていただくことになった。
1日4時間立ち仕事してるから立っているのは平気だが、一番混んでいた時は階段の角に足裏を引っ掛け、傾いて落ちそうになる自分の身体を手すりにつかまって支えての状態。

トイレに立つ人も大変で、私が立っている階段の角を双方必死の思いですれ違う。補欠の身分でトイレへのすれ違いで苦労するのも嫌だから、ワンドリンクはウーロン茶にして夜更けとともに勧められたワインも失礼ながらお断りした。

K先生は2000年頃の文章で「2013年自宅の階段より落ちて死亡」なんて書いてる。(文藝春秋の企画の「私の死亡記事」)
それより2年は多く生きて今81歳になられたが、万一にも私の横をすれ違いざま狭くて急な階段から落ちては大変だ・・・と思って下り階段を先導したりしました。

【歌舞伎町に中島みゆき】

もちろん不満を言ってるのではなく、私はこの状況が楽しくてたまらないのである。

お洒落な内装でもなく、かき集めたような椅子とテーブル、壁の絵がかけられ、階段の壁の書棚には、哲学書や美術書が雑多に並んでいる(びっしり、ではないのが愛嬌)。かなり年代の建物で、入り口のガラスにも大きなひびが放置されている。
この狭さは、まるでアンネの屋根裏部屋みたいだ。または防空壕。そこに素性のバラバラな大人たちがぎゅうぎゅうに詰まっているのは、池田屋事件の計画を練る新選組みたいでもある。

ゴールデン街という場所がマイナスをプラスに転じるのか、狭い一階ののカウンターにもなんとなく風情があり、気怠いヴォーカルが非常に似つかわしい。音響もすごくいい…(ように感じる)。

これが歌舞伎町の「哲学カフェ」というものなのかもしれない。と一人で内心興奮しているが、これから哲学を語る方々にはしゃいでいるのを悟られませぬように・・・。

・・・と思っていると、だしぬけに耳から一撃。
会が始まる直前、私の一生涯の伴走曲である中島みゆきの初期の曲がかかり始めた。(『わかれうた』とか『海鳴り』とか、そのあたりだ)
ちょっちょっと・・・何百回も聞いている曲でも、このシチュエーションで聞くと、とんでもなく新鮮に響く。ただでさえ階下に近いような場所にいるから、嫌でも持っていかれる。

そう、この店は若い頃夢見たみゆきの『店の名はライフ』みたいだ(これはかからなかったが)。
「自転車屋の隣」ではないけれど、怪しげな「屋根裏部屋」に続く「二階では徹夜で続く○○論」・・・・。

もう、持ってかれて持ってかれて・・・・あ!もう会は始まってる!!
心の師、K先生が聞き取りにくい声で何か喋っている!
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