白井晃の美しき挑戦 『Lost Memory Theatre』

August 29 [Fri], 2014, 12:33

「音楽と芝居とダンス。ふつうはこの3つがそろうとミュージカルができます」(パンフレットより)というが、そうならない新しい試み、『Lost Memory Theatre』を観てきた。

「失われた記憶の劇場」?
観終わって思い返すと、まるでこの舞台そのものがロストメモリーのようだ。
まったく新しい試みであろうけれど、自分の記憶の中にずっと前からあって、ただ長いこと忘れていたかのような、そんな新しさと懐かしさを感じる・・・。

【白井晃×三宅純】

昨年の『ヴォイツェク』に続く、主演山本耕史、演出白井晃、音楽三宅純。という作品。
ヴォイツェクは(感想はこちら)は非常に後を引く、好きな作品だった。だから期待していた。

特に今回は、白井晃がKAAT 神奈川芸術劇場のアーティスティック・スーパーバイザー(芸術参与)に就任してはじめてのプロデュース公演である。
並々ならぬ意欲が感じられた。
白井晃が、三宅純の音楽に共鳴し、この演奏に演技とダンスを加え、誰も観たことのない「試み」に挑むという。

こちらも、『Lost Memory Theatre act-1』を繰り返し聴いて予習していた。
迷宮のような音楽世界に魅せられていた。それは「ヴォイツェク」のテーマ曲に共通する謎めいた雰囲気だった。
♪永遠は一瞬だって、一瞬は永遠だって・・・・

だからなんとなく、「抽象的な音楽劇」になるのかな、とか思っていたが、見るまでは想像はとても追いつかない。


★★★以下、「ネタバレ」はこの舞台には存在しないと思うので、そのまま書きます。★★★


舞台は、客席と舞台が同じ平面にしつらえられている。客席がやや丸くフラットな舞台を取り囲み、中央に上半身のトルソのようなマネキンが据えられ、左右にたくさんの鏡台が並んでいる。床面はチェスの盤面のようなチェッカー。正面の舞台は丸く縁どられ赤い緞帳が下りている。
客席から降りてきた青年(山本耕史)が、女(美波)や不思議な男(白井晃)やダンサー(森山開次)に出会い、舞台上の「Lost Memory Theatre」が本格的に幕を開けると、正面の幕が開き、そこにはびっくりするほど豪華な楽団スペースとなる。「舞台」には楽団しか乗っていない。オーケストラピットとか言う範疇ではない。

簡単にでも物語を紹介したいが、それよりアルバムに添えられた三宅の以下の文章の方が適切だろう。

>「特定の場所と深く結びついている記憶がある。その特定の場所が、予告も無く姿を消してしまう事がある。リンクを断ち切られた僕らの記憶は、どこに迷い込 んでしまうのだろう。どこかに失われた記憶が流れ込む劇場があったとしたらどうだろう?記憶を渇望するブレードランナーのレプリカントのように、そこには 記憶に焦がれた人たちが集まり、その記憶の疑似体験をしていく。
>そこで流れている音楽はどんなものだろう?過去にあった音楽そのものではなく、失われた記憶を喚起するような音楽とはどんなものだろう?」


その「失われた記憶が流れ込む劇場」に、迷い込んだ青年(山本耕史)を中心に物語らしきものはすすむ。自分の記憶だと思っていたのが他人の記憶であったり、迷いは深くなるばかり。そこで出会う女や老婆たちも、自分と同じく迷い込んだ人々なのか、自分の記憶や幻想であるのかもはっきりしない。

白井晃という演出家に関して、これまであまり明確なイメージを持って居なかった。
芸術性の高いマイナーな舞台を演出することもあるが、『ジャンヌダルク』などメジャーな演目をメジャーな配役で演出することもある。役者としても舞台、テレビ(『組!』の清川八郎で初めてこの人を知った)に良く出演するし、バラエティ番組にも出ている。

学生演劇出身なのに、野田秀樹や三谷幸喜などのような目立ち方はしない。
なんとなくクレバーでアートっぽいクールなおじさん(なんだか失礼な言い方でゴメン)というイメージだったかも・・・。

しかし、本作で彼のある「野心」がむき出しになったと思う。
「誰も観たことのない舞台」というのは惹句でも誇張でもなかった。

【ダンサーたち、役者たちについて】

私も正直なところ、観劇中はどうとらえてよいかわからなかった。セリフや意味はあるけれど、物語はどこにもたどり着かず、断片が散らばっているだけのように思えた。それでいて音楽的には非常に濃密な世界が空間を隅々まで満たしている。

ただ、わからないながら、わかろうとする努力は早々にやめた。
演技部分に関しては、舞踏(舞踊・ダンス)を見るようなつもりで見た。

するとダンサーはうまくはまる。四人の白い女性ダンサーは、本格的なバレエの技術で魅了してくれた。
彼女たちは、主に鏡台を倚りしろに不思議な世界を紡いでいた。鏡台を回して全面の鏡にし、舞台に鏡の映り込みを利用して舞台に何度も幻想的な効果を与えた。脇役であり黒子であり、意外に舞台を支配する主役にも見える。(私感)

森山開次は、怪鳥のように翼を広げ、長い髪を翻して楽団席とフラット舞台をバッサバッサと飛び回る。個人的には『サロメ』で見た彼の方が好きだが、今回彼は「芝居・音楽・ダンス」の三要素を柔軟につなぐ役割として場面転換に積極的に関わろうとしたという。
ただ、その雄弁すぎる「ありかた」が、少しだけ突出しすぎたような気もしなくもない。

役者たちについては、非常に難しい役割だと思ったのは山本耕史。
>舞台上に何もせず存在するということは、実はとても大切で難しいことなんですよね。(パンフより)
と言っている。一見耕史君でなくてもできそうな感じがする役だが、白井晃が彼に、というのは、やはり信頼する山本耕史にでなくては任せられない役なのだと思う。

ただ、ファン的視線で見たらフラストレーションがたまる感じがしなくもない。青年と一緒に当惑したまま終わりそう・・・。
また、純粋に舞台的な視点で見ると、ちょっと違うことを感じる。彼の得意なダンスもあるし歌も三曲くらいあるのだが、『ラスト・ファイブ・イヤーズ』や『オーシャンズ11』での歌とダンスに比べると、ここで彼が歌い踊る意味がよくわからない。
いかに歌もダンスもできる耕史君でも、専門の歌手やダンサーとの差は歴然なのだ。

女性役の美波も歌った。一瞬「やっぱだめ」と思うくらいだった。しかし彼女は最後まで歌うことはなく、楽団席からリサ・パピノーが立ち上がり、アルバムから参加している(つまりオリジナルの)楽曲を歌い上げた。役者の歌唱力不足だから最後まで歌わせない、という感じはなくて、歌いだしはストーリー上役者の声であるのが自然で、あとは音楽パートが引き継ぐ領分、という感じで流れが非常に良かったのだ。

だから・・・・耕史君も、さわりを歌いだしたら男声歌手に引き継いだらよかったように思う。(この辺は後でもう一度触れます)

揺らぐメルヘン論 映画『マレフィセント』感想

August 22 [Fri], 2014, 17:44
期待度★★★★
満足度★★★
おススメ度★★★


メルヘンの超解釈ということで気になっていた、ディズニー映画。

アンジェリーナ・ジョリーがとにかく素晴らしかった!
マレフィセントの、実写とアニメのいいとこどりみたいなあの造形。堂々たる存在感。
演技、アクション、表情、どれをとってもド迫力。
大画面からマレフィセントの張り裂けんばかりの悲しみ、悔しさ、怒りがビシビシと伝わってきた。

妖精たちの造形もさすがだし、この世ならざる妖精の国の作り込まれた雰囲気など、映画館で見たことを後悔させない。
美術は、ちょっとグリム童話の暗くて怖い雰囲気を思わせる。
それでいて大きな羽でマレフィセントが低空滑降する様子は、遊園地の3D体感アトラクションのように気持ちがいい。(観たのは2Ðだけど)

基本的に、メルヘンの新解釈というのは好きだし、『眠れる森の美女(眠り姫・いばら姫)』の魔女を主役にしたのもいい。

短めの映画なのに、とても壮大な大作を見たような感じがした。
ストーリーはわかりやすく見やすく、原作を知らなくても十分楽しめる。

けれど、ほめるのはここまでにさせて頂こう・・・。

【地に落ちた「王子様のキス」】

すでに世間でもいろいろ言われているみたいだけれど、私もやはり、この映画も『アナと雪の女王』と似通っていると思う。最近のフェミニズム映画(女賛歌映画?)の典型のように思える。
女性の「力の解放」がクライマックスであり、男は徹底的に添え物。

特に王と王子は救いようがないほどひどい扱い。

キャラクター的に魅力が感じられるオスは、マレフィセントによって美男子に変えられ、あらゆる役目を果たしてくれる忠実なカラスのみ。これがまた思いつく限りの「女性にとって都合のいいオトコ」。従順で、忠実で、優しくて、上からモノを言わないし、

ただでさえ男性の生物学的危機ははっきりしているという。
X染色体に比べY染色体が矮小化しあちこち切れかかり、地球規模で見れば遠くない未来に予想される絶滅が気になっている。
もちろん女性差別は撤廃されたとは言えないけれど、制度はかなり平等化された。家庭や市場においては女性の発言権の方が強く、失業者もホームレスも男性ばかり。なのに女性軍は、いまだに「女性解放宣言」を掲げ、男性の孤城を水攻めにするのか絨毯爆撃をかけるのか・・・。

象徴的なのは何と言っても、徹底的に価値が貶められた「王子様のキス」
ここは『アナ雪』とまるで共同戦線張ってるみたいだ。
王子様のキスを無価値に笑いものにしてしまっている点で。

原作では、「唯一奇跡を起こせるオールマイティーカード」(白雪姫もそうだけど)。もともとは「愛する人のキス」があれば姫がよみがえる、という話のはずが、この映画では王子のキスは結局何の役にも立たない。マレフィセントが探しだした以前の恋人フィリップは、愛の力も足りず、信じる力もない。

「真実の愛のキス」をすることになったのは、(もう見えてるだろうけれど一応反転)マレフィセント

王子様のキスが無価値ってことはどういうことかというと、昔話が教えてくれていた、「女の子はおとなしく耐えて待っていれば幸福(白馬に乗った王子?)が訪れる」という考え方が無価値、ということである。
女も男も自分で人生を選択していかねばならない世界になったんだから、時代とともに変遷していく物語として、これは間違ってはいない。

しかし、その後釜に座るものが、「女同士の愛」(レズではなく、姉妹愛、母子愛)っていうのは、どうなんだろう・・・?

これだよなあ・・・問題は。

以下、ネタバレ反転もしきれないので、そのまま書きます。
ネタバレが困る人は、映画を見てから読んでください。











【フェミニズム論争のたたき台映画?】

それでも『アナ雪』は呆れるほどの単純明快さ、陰影のなさで笑って許せた。

しかし『マレフィセント』は問題提起が多すぎて、もう、大学のゼミで使うジェンダー論の教材として作られたんじゃないかと思うくらい。単純に「良かった」とはちょっと言えない。(アンジーは良かったけれど)

物語は何ゆえ、「二つの国」があった、ということから始まるのか。

人間の国と、妖精の国、ということになっているが、好戦的で他国を侵略することばかり考えている醜い「男の国」と、「戦を好まないけれど魔法が使えちゃう美しい「女の国」ってことだろう(と誰でも思うんじゃないかな?)

男は「鉄」にもたとえられる。強大な力を持つマレフィセントは、鉄に触れるのが弱点なのだ。(男性への拒否感の象徴に思えた)。

男の国は妖精の(女の)国の侵略を目指して攻め込んでくる。
マレフィセント率いる妖精軍団がなかなか手ごわいとみると、マレフィセントを殺したものを跡継ぎにするとまで言う。
なんと王の言葉に応じてマレフィセントを陥れるのは、かつて愛し合った男ステファン。
ヒデェ男。恨むわなぁ・・・。

ステファンは、しかしかつて愛したマレフィセントを殺し切れなかった。殺すより残酷な行為だから仕方ないのかもしれないが、「殺せなかった」ことに全くポイントをつけていないのはわずかに気の毒。
ステファンは殺す代わりに美しく巨大な背中の翼を切り落としてマレフィセントを無力化した(実際はそんなに無力ではなかったが)。
以後マレフィセントは無邪気さや愛や他人を信じる心をなくし、恨み憎しみだけに支配されて生きるようになる(オーロラ姫によって心が溶けるまでは)。

かつての恋人は、王位継承者となり、妃を娶って女の子を産んだ。
祝賀行事に呼ばれていない魔女(マレフィセント)が来て呪いの言葉を吐く。これは童話通りだが、注目すべきはオーロラ姫とマレフィセントの関係。

あれは間違いなく、「母と娘」のメタファー。
かつての恋人が他の女に産ませた子だから憎んでもいいはずだが、なぜだかマレフィセントは、初めからオーロラ姫の笑顔に魅了されているのだ。(「可哀想なほど醜いわね」と言ったのは、魅惑されたことへのわずかな抵抗だ)。

キスの魔法は逆方向にもかかる。マレフィセントはオーロラ姫への愛を「(おでこへの)キス」ではっきり示すことで、自分にかかった呪い(不信・怒り、恨み)を解き、明るい前向きな人生に向かって踏み出すのだ。

ささやかな野望(五十路の雑考第3回)

August 08 [Fri], 2014, 4:31
カテゴリ「五十路の雑考」で、最初の記事として考えていたものは、結局3回かかり、今回が最後になります。
これをアップした後は、もっと気軽に(短めに)続けていくつもりですので、長文ごめんなさい。

◆◆◆

「五十路」カテゴリで書いているうちに、だんだん、自分の個人史と世相史を絡めて語りたくなった。

【老後は蜃気楼のように】

ここ20年くらいで、どんどん「老後」は先送りになっている。
年金受給は60歳から65歳になったが、自分が65歳になった時には、70歳にまた伸びているかもしれない。75に伸びるという説もある。(払うだけ払った年金をほとんど貰わないまま死ぬ人を当てにしている酷薄な政策だ)。
その分定年も延びるとはいえ、働き口はあるのか?「悠々・安心な老後」なんて、死ぬまで来ないかもしれない。

実感としては、砂漠の蜃気楼のように、老後の基準が先に先に逃げているようなのだ。
自分が若くなるわけではないが、世代全体が年々若返って行くようにも思える。
美魔女とまではいかずとも、自分より年上でも異様に若くてキレイな女性が増えた。
いいことでもあるが、若々しい同世代に比べて自分は「努力不足」ということにされるようになってきた(ブスがブスババアになっただけなんですけど・・・)。
この辺は「ありのまま(ブスのまま)」ではダメで、精一杯せめて小奇麗にしないと悪いのである。(林真理子でさえあれだけになったじゃないか、とか言われるし・・・)

一方、ある世代より上の人々は、ずいぶん前から老人の一番下にいて、新入りの仲間がチョボチョボずつしか入ってこない状況にあるんじゃないのかなあ・・・?(むしろ、老人枠から出て美魔女入りするシルバーも居る)

若い頃は当然、40とか50とか、想像もできないくらいの年だと思っていたわけで。当時とろくに変わらぬ女子メンタリティで女子会したり、なんちゃって青春気分を味わったり、人生はやってみないとわからない。

【30代が一番老成していた?】

ちょっと振り返ると、自分が一番精神的に老いていた(老成ではなく、「もう若くない」を意識していた)のは、30代初めだった。

1990年前後だからバブルのはずなのだが・・・。
子供が生まれたばかりで、三年半ほど夫の転勤で九州の片田舎に住んでいたという環境も大きい。
当時(地域性もあろうが)、子供を産んだ女性はあまりジーンズをはかないものと思われていた。
三つ編みをしていたお母さんが、年上女性から「子供じゃないんだから」と非難されていた。(今だときっと意味わからないよね)。

主婦たちは乳児を背負って生協の宅配物を取り分けながら、またはお茶飲みしながら、人生のほとんどを知ったもののように語り合っていた。

「子供に手がかからなくなると、親が倒れて介護に追われるようになるんだよね」「女が自由になる時期なんて、ホントにちょっぴりだよ」
それが常識だった。隔世の感である(一部の人には今も真実だろうが)。
自分に他の主婦にも、もう「老化」はあっても「成長」なんて特にないんだろうと思っていた。(その後勉強と転職を繰り返していることを思うと我ながら驚く)

結婚前は飲みに行ったり遊びに行ったりしていたが、30代になると夫婦だけで遊びに行くことが、なんだか若者の真似をしているオジサンオバサンのような気がして気後れがしたことを覚えている。
これも今ではピンと来ない。テキトーな服で夫婦で居酒屋でもライブでも普通に行く。

今思うととてもすごく不思議だが、思い出すとどう考えても「老けこんで」いた。

【1995年のパラダイムシフト】

曲がり角は、どうも1995年あたりにあった気がする。
阪神大震災の年であり、オウム真理教事件の年だ。
windows95の年でもある。
病気をして「10年生きられたら他には何も望みません」と神様にお願いしたのもこの頃だ。

震災で、日常のもろさを痛感した。
オウム真理教事件は私にとっては、「自分の世代」の顔がはっきりと見えた気がした事件だった。コアとなる幹部の年代は世代的に一緒で、オタク的考え方も似ていた。

win95との関係性は今回初めて思い出したのだが、そこまでファミコンやプレステはやっていたものの、PCなんか触ったこともなかった。
ちょうど病み上がりの頃でもあった。恐る恐るメールから始め、ブラインドタッチをマスターして、すごくステップアップした気がした。携帯も遅めだけど持つようになった。

新たなフロンティアだった・・・それもどんどん変化して進化していく。
年を取ってからの勉強というと、以前はなんとなく、俳句とか趣味の歴史学とか絵を習ったりすることだと思っていたが、やらねばならぬスキルとして、パソコンが現れた。
なんとなく、これに乗り遅れたら痛いことになる予感がした。

時代の変化を刻々感じてきたせいか、意識も変化してきた。
それまでは何となく「なしでいい」主義だった。
私の育った家では、新しいものや流行っているものをすぐ欲しがるのはさもしいことであるとされていた。使えるものを捨てるのは罪悪であり、古いものを長く大切に使うことが褒められていた。(多分、大体の家庭はそうだったと思うけれど・・・)

その考え方は染みついている。テレビにリモコンが登場した時、「2、3歩歩いてテレビのチャンネルを変えに行くことすら面倒になったら人間終わりじゃないか」と子供のくせに警戒したことを覚えている。

結婚してからも「MD?カセットがあるからいい」「カードは怖い。私は現金しか信じない」「ケータイ持ったら人間は自由を失うっていうよ」(←理屈をこねまわすところが今と一緒?)とか言う感じだった。

しかし多分95年以降、「新しいものはなるべく触ってみる」方向に変わった。「迷ったら『やる』ほうを選ぶ」「一度は騙されてみる」主義にもなった。
専業主婦時代に老けこんだのは、バブル期のOA(ワープロやFAXも含めて)に触る機会がなく「置いてけぼり」感が強かったからもある。その反動もあるのかも。

もともとは根っからの出不精の面倒くさがり屋(←自分ですご〜〜くわかっている)。
だから時々「もういいや・・・」と思うことも多い。
けれどなんとか、そんなに金がかからずに楽しくチャレンジできそうなことはやるようにしている。ブログもしかり。PC訓練校に二度も通学したのも、資格マニアになったのもしかり。続かなかったけれど、スポーツクラブで水泳やヨガをやったりもした・・。

幾つになっても、「今までできなかったことができるようになる」と言う喜びは格別だとわかった。
同じ初体験でも、「食べたことがないものを食べる」「見たことのないものを見る」よりずっと嬉しいのだ。この様子だと一生追いかける対象には困らない。
覚える能力の方は確実に衰えが来ているけど(忘れるし)・・・・。

【私の記憶の一番古い部分】

私の記憶の一番古いあたり(多分1960年代初め頃)と今とでは、世の中が全然違う。

もしかしたら、私の全人生期間の(平均だと80年くらいになる?)世の中の変化と、私が生まれるまでの2000年くらいの世の中の変化は、同じくらいになるじゃないかと、真面目に思っている。

記憶の一番古いところにある、切れ切れの情景はずいぶん「大昔」的だ。
明治生まれの祖母に頼まれて豆腐を運んでいた記憶がある。曲げ物(竹細工?)の器に「油紙」を敷いて持たされたものだ。祖母は「油紙を敷いているから水がこぼれないのだ」と言い、私は素直に感心していた。・・・・ラップどころかビニール袋もなかったのだろうか?
豆腐はもちろん、店で大豆を煮て漉して作っていたわけだ。

SMAPの27時間テレビにべったり

July 30 [Wed], 2014, 19:43

世の中に24時間超の特番はずいぶん昔からあるけれど、全部観たことなどない。
どちらかと言えば避けていた。感動の押し売りみたいな企画は悪いけど超苦手だし。見たい部分(ドラマとかね)を録画して見るくらい。
しかし今回全部録画したのだ。珍しい・・・。

7月26日(土)18:00(かな?)夕方〜7月27日(日)21:00までの27時間テレビ
「武器はテレビ。SMAP×FNS27時間テレビ」が正式名称らしい。
個人的に26日は、フル勤務の上夜は「とても大事な宴会」。隅田川と立川では大きな花火大会があり町は騒然。
録画容量も苦しく、WOWOWの椎名林檎ライブのモードを変え、官兵衛は高画質にして、『必殺』まで犠牲にしてしまった。

SMAPファンでもないのに、何だかワクワクしてたのはなんでだろう・・・。
最近ミョーにカッコよくなかったですか?
『HERO』のキムタクは40代でも遜色なく、昔よりいいくらい。高い視聴率で瀕死の月9を救済したのもやっぱカッコいい。
27時間テレビのCFは、全員ボーズの映像にまたドキッとする。
びっくりしたのは前夜のMステ。
あれ、どうしたの?みんなビジュアル近年で最高じゃないっすか。草g君なんか、ここ10年で一番若く見えるし髪型もこれまで見た中で一番いいのはどういうこと?
新曲『Top of the world』はなんと変則7拍子のカッコいい曲。大好きな『シャレオツ』も良かったよねえ!!

SMAPはずっと好きだけど、生で目撃したこともない。CDは海賊版のベストを二枚持ってるだけ。香取君は『組!』の局長だから特別な人だし、キムタクには最近の初夢で私の恋人として登場してくれたのが最高に嬉しかった(この話をすると全世代的に嘲笑されるけど、毎年見たいなあ・・)

・・・と言うくらいの、「好感度の割合高い非ファン」という立場で書きますんで、嵐とどちらが上に居るかとかいうキナ臭い争いにはくれぐれも巻き込まないでくだされ。
裏で鉄腕ダッシュ活動しているTOKIOはいいなあ、と思うし、嵐にだって「もうちょっと頑張ってSMAPを好き勝手やらせてくれ」と思ってる。でも、今回相当に好き勝手にやってたから、これは嵐のおかげかもしれないと感謝。
今年の24時間テレビの方は楽しい関ジャニがパーソナリティなのね。大いに頑張ってほしいと思う。(おお、イイヒト発言になってきた)

誤解を恐れず乱暴に言うと、この春から「落ち目のFNS(フジ)」と「落ち目の月9」と「落ち目のSMAP」(主に番組視聴率とか表紙占有率とかね・・・)あたりがガッツリ組んで、目に見える形で大攻勢をかけている感じがする。

失敗か成功か、と言う以前に、テレビウォッチャーの一人として、このチャレンジングな姿勢には興味を持たずにはいられない。
成功するか大コケするか。「賭け」である。
崖っぷちで全力で勝負に出る男は美しい。
持てる力を出し切って総力戦に臨むのなら、負けてもまた美しいのだ。

実際、そうだったじゃないか。
メインの27曲ノンストップライブは、中居君が何度も座り込み、限界超えてることが見えていた。炎天下のペンギン着ぐるみは、もうみんな笑顔もできないくらいきつそうだった。水泳大会では、惨敗が続いて土下座させられたり・・・アラフォーアイドル、息が上がってるときもあった。
でも、カッコ悪いシーンがあるからこそ、これだけカッコいい!!
♪ヘイヘイヘイカッコ悪いこともくじけずに頑張りましょう

【見た部分だけを、ザックリと】

観た記念にザックリ書きますが、後で読み返すと、後になるほど観る方も盛り上がってる。
まだ見てない部分に、すごくいいのがあったらゴメン。教えて。

○最初の「生前葬」スタイルはアグレッシブな企画で良かった。彼らの再スタートとして、これだけはっきりした形はない。
弔辞はお付き合いっぽいのもあったけど、ミタニンのはさすが。香取君を始めてみた時、「なんて嘘くさい笑顔なんだろう。この子は伸びない」と思ったとか、三谷節だったね。

○めちゃイケベースの『SMAPだらけの水泳大会』は、いかにもありがちなバタバタしたバラエティ。キムタクの体力が早くも落ちてきているか?とやや心配。

○一番ひどかった企画だったのは期待してたドラマ『SMAP解散?(かな?)俺たちに明日はある』。
思い付きだけでやっつけ仕事で作ったのがミエミエ。あれだけ多くのキャストを使って・・・。いくらドキュメンタリードラマと言っても、せっかくだから「解散という選択肢」についても踏み込んで欲しかった。
またはミタニンに頼むとか・・・。

○深夜は、ちゃんと見てないけれど、さんまちゃんのハニートラップとか、キスマイBUSAIKUとか、なんだかダラダラやってたみたい・・・こっちも酔っぱらってテレビの前で寝てたけど・・・。まあここは時間帯も時間帯だし、これはこれでいいのかも。
ジャニーズの中では珍しくSMAPと相性がいいのかキスマイ。中居君がプロデュースした舞祭組(でいいのかな?)の曲は結構好きだよ。今回の勝負も、キムタクと藤ヶ谷のキング対決が面白かった。

○夜が明けてから「朝風呂」でリラックスタイム・・・いろんな温泉を引っ張って来てるのはいいけど、おいおい、日蔭を作ってやってよ・・・。朝日がぎらぎら射す中での温泉だったら、夜明け前の方がはるかにいいと思うけど、文句言わずに楽しんでる、やっぱり彼らはプロですね。(そう、27時間で何度「彼らこそプロだ!」と思ったことか!)

○妙に長かった、「ご当地SMAP選手権」。出演者は相当ボロボロだけど、もし来年もやるなら挑戦者は増えてレベルが上がりそう。高校生の新体操SMAPとか仙台のオペラSMAPとかとりさし(?)SMAPとか面白かったけれど、牛を引っ張ってるだけとか、重機が動いてるだけとか、何だかわからないものも多し。あと、全校生徒が5人とか3人とかがただ歌うだけで高得点を与えるのは「24時間」の方だけにしてほしかった。

○逆ビストロでは、彼らにこの後続けられる体に優しいメニューを、ということで、坂上忍と今田耕司+ロバート馬場。いつも頑張って作ってる彼らだけに、料理への喜び方もさすが思いがこもってた。

その後はどんどん面白くなってった感じ。
○タモリさんとのトークコーナーは、手打ちそばの名店で。
なんと、そばができる間に、5人を横にならせてくれる優しいタモさん。
一瞬目をつぶっただけで「すげえ回復した」と喜ぶキムタク。香取君と中居君は数分だけど寝て(香取君は「眠ったふり」と言ってたけど)、不眠じゃなくて番組は大丈夫なのかと心配になる。でも、5人には一番ゆったりした至福の時間だったかも。
『いいとも』が生活からなくなった後のタモさんとのトークは、なごやかななかにどこかしらしんみりするところもあったけれど、5人とタモさんの付き合いの深さが感じられて、とっても良かった。

○反対に、至福どころか一番地獄感が強かったのはさんまちゃんのコーナー。
あまりに悲惨で面白くて、二度も観てしまった。

映画『思い出のマーニー』感想(ちょっとだけ『アナと雪の女王』感想)

July 26 [Sat], 2014, 5:42
『思い出のマーニー』観てきました。

正直期待していなかった。
観た今でも、ヒットするかどうかははなはだ微妙…じゃないかと思う。
夏季一番の上客である「お子様受け」がするとは思えないから。

でも、個人的にはとても「観てよかった」、と思う。
大人の観るアニメ映画だと思う。(そういう意味では『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』に続く路線)
濃密なイマジネーションが喚起された。
ミステリアスな謎は解明されたように見えても、まだまだ水面下(湿地下)に汲み上げきらないモノが残っているような感じがする。(ほとんどは怖いモノ、けれど悲しいモノや美しいモノも)

女の子二人が中心となるということで、『アナと雪の女王』と比べて語られることが多かったように思う。
全然違った。
全然違うんだけれど、どこか「好対照」だ。

【『アナ雪』の短い感想】
期待度★★★
満足度★★★
おススメ度★★★

その前にこの巨大ヒット作についてミニマム感想を書いておこう(書こうと思って書けなかったもののひとつだから)。
意外なのだが、自分の同年代でも大いにはまっている人が多い。
泣いた、何度も観に行った、DVDも当然買う、と言う感じで。

テーマである「let it go(ありのままでいい)」。予告段階から一曲全部何度も聞いていた。
もちろん、「ありのまま生きてOK」なんていうのは「信じていれば夢はかなう」とかと同じくらい(一部の人を除いて)幻想だと私は思ってる。けれど子供たち、大人や友人関係の中で自分を押さえつけられている子供たちへ送るメッセージとしてはOKだ。

しかし、見た人ならだれでもわかるはずなのだが、この歌が歌われるのはクライマックスではなく、「雪の女王」が自分の強大な力を悪い方向に解放し、もっとも反社会的になった瞬間の曲なんですよ・・・見ればわかりますよね?

あの映像は素晴らしい。美しいだけではなく、女王の動作ひとつひとつで周囲が劇的に変わるスペクタクルには圧倒された。
しかしあそこにあるのは、自分の力を無制限に解放する「エロス的快感」で、人道的には罪につながるものだ。歌詞の中には、「善悪なんて関係ない」とか、「嵐をもっと暴れまわらせよう」とかものすごいことが歌われてる。

もしかして、この映画の教訓は、あまりにも個人の才能や個性を認めず閉じ込めておくと、それが一度暴走した時に本人にも制御不能なバケモノになるのだよ・・・・ということじゃないかと私は真剣に考えた。でもそれにしてはあの高らかな全肯定的な楽曲はどうしたことだろう。世間の反応はご存知の通りの拍手喝采!

最後はちゃんとしてる。(一応ネタバレ反転)
女王は山を下りてその力をコントロールし、他人のため(自国民のため)に使うことになった。「ありのまま」のパワーでなく(!!)、抑制されたパワーを使って良き為政者となった。まともな話です。原子力だって、完全に安全で平和利用できるならOKだし。(ネタバレ終)

もう一つ見ていて不満だったのはあの姉妹の心理関係。
両親が事故死してから教育係もつけず別々に部屋に閉じ込めていた、という王室がまず奇妙だ(誰か保護者面して国を乗っ取りそうなものだが)。
一番不思議なのは、あの姉妹関係なら、当然「自分にないモノ」を持っている相手に、強烈な嫉妬や劣等感を感じそうなものだ。
男に愛されたことのない姉は、その日出会った男と結婚を決めてしまい、なおかつ旅の途中で出会った男にも愛される妹に嫉妬するのが自然である。魔法力ゼロで才能にまったく恵まれなかった妹は、超絶な才能を持って生まれた姉に嫉妬しそうなものだ。
性格が歪んでいるのが通常だと思っている私が悪いのかもしれないが、予感されたドロドロがないのも拍子抜け。
あの二人の少女は一人の人間の裏と表、という解釈もあるのだが、人格統一的ではなく「姉妹愛」で終わっているから、その説も頷けない。

面白く感じたところもある。「愛する人のキス」を期待させながら、男を完全に添え物扱いにしたのは痛快。(『八重の桜』にも通じる時代性だなぁ・・・と思った)。
それにしても男子(近国の王子と山男)が、魅力に乏しい。登場した時の王子は好感度抜群なのに、後半いきなりダークになるのが唐突だし・・。

ヒロインの衣装に定番のピンクでなく緑や紫の衣装(昔なら魔女や年配女の着る色。グループなら四番手五番手の色)を使うのも面白い。ヒロインに丹念に描かれたそばかすと、上向きの鼻を与えるのもいい(これは近年のアニメ映画ではよく見るけれど)。

あと、映像と音楽だけでも映画館で見る価値はあると思った。最初の氷を切りだすシーンから、子供時代の「魔法遊び」、雪山での魔法シーンなど、これだけ手がかかっているアニメは見たことがないかも。

(ああ、ごく短く済ますはずが意外に長くなってしまった。ゴメン)

【マーニー、最初の10分はイマイチでしたが】

期待度★★
満足度★★★★
おススメ度★★★★

さて、『思い出のマーニー』。

『借りぐらしのアリエッティ』の米林宏昌監督の2作目。
(アリエッティには、ちょっと変わった辛口感想を書いてるので、よろしければ↓)
多分更年期障害による『アリエッティ』感想

公開間もないので、まだ評判もわからない。原作も読んだことがない。

始まって10分だけ、「失敗したかな・・・?」と思った。

以下、セリフはうろ覚えだから正確さは求めないでください
孤独そうな女の子杏奈が独白する。「この世には目に見えない輪が引かれていて、内側と外側がある。私は内側には入れない・・・」みたいなことを呟いてる。
図画の時間の屋外でのスケッチ(みんなジャージ姿)。杏奈のスケッチはうまい。
先生が「見せてみろ」と言う。杏奈は散々照れて気を持たせるが、先生がスケッチブックに目を落とす直前、そばで小さい子が怪我をして先生は離れていく。杏奈は握った鉛筆を手の中で折るほど悔しいらしい。(見てほしかったんなら素直に見せろよ!)

杏奈は喘息もちで寝込むことが多い。家では養母が心配ばかりしている。お医者さんとの会話は杏奈に関する心配がダダ漏れ(友達がいないとか表情がないとか)。それが部屋にいる杏奈にも丸聞こえ。

なんだよこれ・・・・・。自意識過剰で自己中で、自分からはアクションを起こさないくせに周囲に大事に扱われないことに怒っている。不平不満を隠してるつもりでも他人からは見え見え。まあどこにでもいるつまんない子じゃないですか。
まあ、「私は、私が大嫌い!」と言うのは納得だけれど・・・。
それからリアリティ大丈夫かなあ。声をひそめた会話がそのボリュームで子供部屋に全部聞き取れるって変じゃないの?

しかし、心の中の批評家が出てきて疑いに走ったのは、最初だけだった。

場面はすぐ変わり、夏休み。杏奈は札幌から西北海道(広い湿地があるから釧路あたりかなぁ・・・?)にある親戚の家に行って、喘息療養することになった。

そこからは、なんだかもう、一気。
派手なアクションもなく終始騒々しさのない映画なのだが、引き込まれて最後まで魅入られ、一度も弛みや眠気を感じなかった。

【最大の謎、マーニー】

親戚宅は、自然の中のウッディな広い家。とはいえ本の束が廊下に積んであったり内部は生活感がある。やさしくておおらかな叔父さん叔母さん。
二階にある、巣立った娘さんの広い部屋が杏奈に与えられる。窓を開けると広々とした湿地の眺めは最高。

その湿地の向こうに、大きくてクラシックな洋館がある。誰も住んでいないというが、時に二階の窓に明かりが見えたりする。

杏奈はその湿地とお屋敷に魅入られ、岸辺で靴を脱いで浅瀬を伝い、洋館の近くまで行ってみる。しかし、潮が満ちて家に帰れなくなったりする。

その次は、岸辺にボートが置いてあった。自己流でボートを漕いで洋館に向かう。制動できずに船着き場に激突しそうになったときに、金髪の少女マーニーに出会う。

この物語は優れたミステリーでもあり、最も大きな謎は、「マーニーとは何者か」。
このネタバレについては最後まで明かしませんのでご安心を・・・。
それでも、偏った前印象を与えてしまうことになるので、以下は観てから読むことをお勧めします。






「死ぬまで青春」ってどういうこと?

July 20 [Sun], 2014, 12:44

今回は、「老い」の入り口に立って、「青春」について考えてみようと思います。
(前の記事で自ら「第三の青春」とか書いたばかりなのにナンだよ、ですが・・・)

【「死ぬまで青春」ってなんなんでしょう?】

「死ぬまで青春」と言うとき、たいていそれが「素晴らしいこと」のように使われる。
私のアラゴの友人たちも、みんな元気でよく「青春している」と言われるらしい。

新しいことを見つけて、新しい楽しみに貪欲で。
さらには不倫に胸を焦がしたり、離婚したけれど新しい人と結婚することになったり、なかなか「おさかん」な人も居るから素晴らしい(自分には出来そうもないことがやれる人は尊敬に値すると思う)

子供に手がかかった以前と違い、友人同士で飲み会や外出に行くこともできる。
とはいえ激安バスツアーに出かけて「青春(!)」とは言うのも恥ずかしいが、当人がそう言ってることに水を差すつもりもない。
(バブリー世代以前だからみんなつつましくて・・・少し下の世代だと、海外旅行に行くのかも)

【青春論のつぎはぎ(トップランナー吉田拓郎を中心に)】

>青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ

とは、「青春」の名言。(詩人サミュエル・ウルマンの一節なのだそうだ)。
まあ、今はそういう共通認識に近いのかもしれない。
けれど、昨今のようにあまりに「年齢」と「青春」を切り離すのもどうか。
「夢を持って頑張ってる」「新しいことに恐れずどんどん挑戦している」とか、生き生きして前向きならみんな青春、みたいな感じになってしまう。
もはやヨイショを含んだ挨拶の一つ?

あまりに中高年が「死ぬまで青春」「今こそ青春」とかやってるせいなのか、若者の「青春」らしさはあまり感じられなくなっているような・・・。
まあ、昔から若者自身が「青春」をギャグでなく使うということはなかった。
自分も、こんな惨めな私が世間的に「青春真っただ中」なんだ・・・と思うと寂しかったりしたものだ。

前記事に続いて吉田拓郎だが、彼の『青春の詩』は、以下のようなものである。

「喫茶店に彼女と二人で入ってコーヒーを注文すること」
「グループサウンズに熱中して大声あげ叫ぶこと」
「親にかくれて 酒・タバコ・睡眠薬 はては接着剤 シンナー遊び」
「飛行機のっとり革命叫び血と汗にまみれること」
「勉強一筋 他には目もくれずわが道を行くこと」

すべてに「ああそれが(それも)青春!」とつづけ、最後に「総まとめ」している。(理屈っぽい歌だね)

さて青春とは いったいなんだろう その答えは人それぞれで ちがうだろう
ただひとつこれだけは 言えるだろう 
僕たちは大人より 時間が多い 大人よりたくさんの 時間を持ってる
大人があと30年 生きるなら 僕たちはあと50年 生きるだろう
この貴重なひとときを 僕たちは 何かをしないでは いられない
この貴重なひとときを 僕たちは 青春と呼んでも いいだろう
青春は二度とは 帰ってこない 皆さん青春を…
今このひとときも 僕の青春


要するに、どう時間を使おうとすべて青春。ただし若い者限定。
「大人」と「青春の僕たち」を峻別している。非常にわかりやすい。

サミュエル・ウルマンの真逆の青春論を歌ってるんですね。
実はリアルタイムで拓郎に親しんだわけではないのだが、「青春」を考えると思い浮かぶ歌はやはりこの人。

その拓郎も前回書いた『ローリング30』では、「♪青春の長さを測るものはない」と、「大人」「青春」の区別をぼかしているんですね。
自分たちを若者(青春にあるもの)カテゴリを定義するために必要だった「大人」カテゴリを壊したいう点で、トップランナー。まさに団塊のトップランナー(昭和21年生まれ)。

しかし、30過ぎ(当時)ても「心の持ちようで青春」だとするならば、「若ければ無気力でも無為でもそれが青春!」という定義も崩したということに、拓郎は気づいていただろうか。
それほどまでに「大人になる」ことに忌避感があったのか、今の意識からは想像しにくい。いまは「おとな可愛い」「オトナの一着」と、むしろファッション誌ですらプラスイメージで使っている。

今でも、青春は歌われ続けている。
しかしそこに「若者に対する大人」は登場しない。
まかり間違うと、正社員になったり結婚したら大人、フリーターやニートや未婚なら子供という意識で、「青春してる層」の階級が下であることを意味してしまう場合もあるかもしれない(格差社会なので)。だから、使われにくいのかも。

で、高卒以前の青春はどうかと言えば、未成年だからと少年法に守られ、どんどんたちの悪い未成年犯罪や普通の子の「荒れ」が目立つ。あまり偉そうなことは言いたくないが、甘やかされるか放任されるかで、まともに育てられていないんじゃないか。基本的な生活習慣が、親からも子供たちからも落っこちてる。
若いうちにジャニーズやAKBに行って「成功」してやろう、というのも気概や自立心がある点ではいいが、既存の勢力にすり寄ろうとする道。
みんなの足跡が一番いっぱいついている道を気が焦って歩くのは、昔のイメージの「青春」とはかけ離れる。

高村光太郎の「僕の前には道はない」(『道程』)が個人的には「青春」のデフォルトイメージかもしれない。この詩には「青春」や「若さ」は一度も出てこないが、「僕」は父なる自然の「歩け」という声に「子供の使命」を全身に感じ、武者震いをしているのだ。
「若者たち」の「♪君のゆく道は果てしなく遠い」も似ているかもしれない。

今も、町や電車の中で「若さの輝き」を放っている一団がある。たいてい部活帰りの中高生。化粧っ気がなく素朴な笑顔の子たちの方が輝いて魅力的に見える。これは私の老人性ノスタルジアかなぁ・・・。

いや、今でも「いきものがかり」の『SAKURA』や『YELL』など聞くと、自分の青春時代(高校卒業あたりを中心とした時期)が鮮やかに思い出されて、胸が詰まって涙が出る。
ああいう歌が支持を集めている(中高年に評判がいいような気もするが、もちろん若い子にも人気)のだから、当時の苦さを含んだ「青春」は、理解されているんだろう・・・。

50歳になった頃(五十路の雑考第一回)

July 19 [Sat], 2014, 7:18
ようやく、新カテゴリを立てました。

50歳になった頃から作りたかったテーマだったのですが、ブログそのものが滞りがちなところ、なかなか手が付けられないまま忘れかけていて・・・。
訪問者様に背中を叩いて頂いたことを絶好のチャンスにさせていただきました。ありがとうございます!

・・と思いながらも、いざ書くとなると何から書いてよいのかわからない。

書きたい書きたいと思っていたから堰を切ったように溢れてきてもよさそうなものだが、何年かほったらかしているうちに枯葉や泥が詰まっているみたいです。

まあでも、同年代の訪問者さんと思われる人もいるし、多分老後については40歳くらいから真面目に考えようかな・・・と思い始める話題でもあるので、皆さんからの反応があれば勝手に枝や葉や根っこが伸びていくかもしれない。

まずは、「50からの人生について」「考えたいと思うに至った経緯」あたりから入っていこうと思います。
結果、どうしても「自分語り」(それも30歳以降)が多くなってしまった。そんなもの読まされても・・・と思われるのももっともだけれど、一回目だからご容赦を。ここ数年に初訪問頂いた方々へ改めての自己紹介も兼ねて・・・。

【50を越えた頃】

以前も何度か触れていることですが・・。
50を越えてから、それまで9年近く勤めていた会社を辞めました。

本気で「辞めよう」と考えはじめてから半年余り、やめることを伝えてから引き継ぎ作業だけでさらに5か月。失業保険の待機が約4か月、雇用保険で受けられる職業訓練が丸6か月、求職生活また4か月。ようやく今の職場を見つけてから7か月。(50代初期というより中盤にさしかかってる!)

この50の放浪(失業生活)自体が、すごく手ごたえのある経験だった。勝手に「第三の青春」と呼んでいる。
まあ、仕事を辞めてこういう環境に自分をぶち込めば、大体そんな手ごたえのある生活になっていくだろう・・・と考えて辞めたのだから、目論見通りと言える。

「第三」があるから「第二」もあったわけだが、似たようなものだった。40代初めの頃だった。
それまでは、子供が小さかったため近所のスーパーで半日パートに出ていたが、いろんな不当な目にあった。そのためか資格マニアになりいくつか合格し、失業保険でPCスクールに通って学校生活を味わい、法律関係の小さな事務所に就職した。

・・・似たパターンだ。あの時も今も、「青春ごっこ」みたいだった。
どうも、○十歳の声を聴くと、いままでやったことないことを始めないと落ち着かないというタイプみたい。深く考えないで始めるおっちょこちょいは変わってない。

違うとしたら、その理由。40代の転職活動はこのままパートじゃ損、今のうちになんでもいいから資格を取ってキャリア正職員になって厚生年金自分で入りたい、今が最後のチャンス、くらいの気持ちだった。

50代の今回はだいぶ違う。
職場での責任が過重になり、身体のあちこちに不調が出たのは事実。職場の人間関係の変化も理由の一つではある。
でも今思うと、9年続いたこの生活と職場と仕事に「飽きた」「嫌になった」みたいなものかも。「飽きた」ことに時間(人生)を使うのは何だかつまらない。
仕事で「役に立ってる感」は嬉しいし、やりがいもある。けれど、忙しすぎて「あっ」という間に一日も一年も過ぎる。このままでは「あっ」という間に60になり定年の65になる。
そのあとどれだけ身体と頭が元気な人生が残っているのかなあ・・・。

50過ぎて始めて、「人生の残り時間」を意識するようになったように思う。
いつか死ぬ「その時」から逆算(計算不能だが)して人生を考えるようになった。
同じ場所に座り込んで動けなくなるより、ぶつかっても転がっていたい。
小さなことでも、何かを発見して何かに感動するような日々でありたい。
今の若い人が何を思い、何を生み出しているのか、見たい。

【ローリング50】

50過ぎての就職活動はパートでも厳しく、落ち込むこともあった。
職に就いてからも、希望する職務だったとは言い難く、自分の業務の覚えが遅いことに時々落ち込んでる(忘れっぽくなってるからなぁ・・・)。

でも、嬉しいことも多い。
訓練校で出会った面白い女性たちと、交流が続いていること。
勤務地が商業圏で、仕事帰りも行くところがいっぱいあること。
(これまで駅前のコンビニ以外何もないような寂しい駅だったので・・・)
たまたまだが、子供の頃憧れていた職業のひとつだったこと。
これまでの経験(接客や、事務所での専門知識)が意外とお役に立てていること。

やはり、バタバタ動いた分、何かしらその場その場で得てきているのかなあ。

一方、こんな10年未満で全然違う職場に変えてるような職業人生で良かったのかなぁ・・・と言う思いもある。
職業には1年とか5年で十分経験した、と言えるものもあるけれど、20年〜30年続けてもまだまだ極められない奥の深い職業も多いですよね。

なんでも自分で決めてやってきたから、今から後悔するわけではない。
けれど、ひとつの職業を深く精進して多くの人に貢献していく人生もあったのかも・・・という思いもどこかにある。
でもそちらの人生だったら、定年後に「もっといろんなことをやってみたかった」と思うのかもなあ・・・。

生きていくというのは、可能性や選択肢をを少しずつつぶしていくことだから仕方がない。

夏ドラマ序盤はTBSが気になる

July 14 [Mon], 2014, 0:38
『MOZU』『ペテロの葬列』『家族狩り』
『若者たち2014』『おやじの背中』など


2014年の7月期ドラマ序盤戦についてつらつらと。
春ドラマに比べると、いまひとつ視聴意欲が沸かないシーズンだったけれど、なかなか楽しみな作品もあります。

【『MOZU』シーズン2もエロい】

TBSとWOWOWのコラボドラマ『MOZU』。
WOWOW編(幻の翼)が6月中に始まったのだけれど、独特の作品感は落ちず。第一シーズンの冒頭のスペクタクルほどのシーンはまだないのだけれど、まあこの路線で良いのでしょう。

面白いけれどやっぱり、内容が深いとか重いとか感動するとかそういう感じじゃないですね。
アクションハードボイルドのかなり作り込まれた娯楽作に徹していて、またやっぱりエロい・・・。
復活した新谷の物語はよくできていて、池松君が兄弟を微妙に演じ分けているのもいい。

もう一人、復活したアテナセキュリティの東!(長谷川博己!)
第一シーズンで倉木の前で背中から飛び降り、死んだんだか何だかわからない消え方をしたのだけれど、あの時消えたのも今回現れたのもなんと○○コプター、という開いた口が塞がらない設定。
復活した東と倉木のやり取りは、もう「エロ過ぎる・・・!!」以外の感想が出てこない。あのメフィストフェレスのような風情で仮面を落とし、「まあ倉木、座って話そうじゃないか」と、大好きなオメラスの少年のディスカッションを仕掛ける。
東「まだオメラスの門番で居るつもりか。なあ倉木。俺は自分のやるべきことが分かった」
倉木「そうか、それは良かったな」。
とけだるげにタバコをふかす倉木がやっぱりたまりません。
倉木のノリがいまひとつだと、東は妻のことを持ち出す。
ぐっと顔を近づけて、青いライティング。
東「俺はお前が好きだからそんなことはしない」
倉木「いかれてるなお前は」
東「最高の褒め言葉をありがとう。無茶して死ぬなよ。だがなるべく怪我は負ってくれ。そっちの方が俺の好みだからな。チャオ!」
で、指を鳴らして上空に消えていく。

ク・クレイジー・・・・とんでもなくいかれてるよ・・・・このドラマ、どこかリミットはずしちゃってるね。
最初からの狙いなのか、長谷川さん一人が突っ走ってこのドラマを別次元の怪しい世界に連れて行こうとしているのか、もうわかんない。

一方、倉木、大杉、明星は第一シーズンと比べるとずいぶん仲が良くなってるのが不思議。
またみんなの間でいいポジションでいい味を占めてきたのが伊藤淳史演じる交番勤務の鳴宮。
「生倉木」に興奮したり、断りもなく土足で上がることに困ったり・・・。

まだ最新分は観てないけれど、今度はどんな終わり方をするのか。
原作は読んだけれど、全然展開が違うので皆目わからない。

【『ペテロの葬列第一回』、すごく面白かった!】

見なくてはと思っていた『ペテロの葬列』(『名もなき声』の続編、小泉孝太郎主演、宮部みゆき原作)の第一回録画を忘れた!

焦って帰ったけど7時開始は早すぎて、もう30分も過ぎてた。
「第一回逃したんじゃもう仕方がないかな・・・」と絶望しかかってテレビをつけると、長塚京三がバスジャックの真っ最中。とても丁寧で穏やかな物腰で、でもその底に凄まじい覚悟を秘めている。
みんなの話を聞いたり、お金を渡すと言ったり、この人の狙いが一体何なのかわからず、思わず引き込まれる。脅しつけているわけでもないのに、ものすごい緊張感。

ラストまでの展開も素晴らしく、「堪能した」の一言。

小泉孝太郎のぴったりはまって嘘くささのない演技も素晴らしい。
室井滋、ムロツヨシら乗客らも良かった。
まあ、なんといっても長塚京三の独り舞台回しが素晴らしかった。あの人が中心に来ると、ドラマ全体グレードが違ってくる感じ。来週からはあまり観られないのかなあ・・・。

二時間ドラマとしても十分楽しんだ感じがするけれど、これは連ドラ。今後どんな展開になるのか予想がつかない。あえて原作は読まずに楽しみに見るつもりです。

(再放送があったのでありがたく最初から見られました。やっぱり二回見ても面白い。今季一番楽しみです。)

【『家族狩り』は意外に、観られそう】

この原作(天童荒太著)は、10年くらい前に読んでます。
その頃は子供たちも義務教育年齢でとても他人事ではない。怖くてスプラッターで暗くて、真っ黒い表紙に脅えたことすら思い出す。

映画ならまだしもこれを連ドラにするとは。もう話を聞いただけで暗~い気持ちになり、「観ませんよ、多分」と思った。主演松雪泰子だからなおのこと深刻そうだし・・・。

目を覆いたくなる凄惨な場面から始まるのは記憶通りだったけれど・・・・・あれ・・・・・このドラマ、作りがうまい。
ドラマとして、この物語を見続けさせる工夫が秀逸。

ここでも伊藤淳史が素晴らしいポジション。
彼の役柄と演技が、ドラマ全体を素晴らしく生かしてる。
制作側も、他に見当たらない彼の個性を生かし切ってるし。

ヘタレでいい加減な美術教師なんだけれど、抜け加減が絶妙。
美術の授業なんて真面目に聞かない生徒を注意しては、途中でやめたり。
「今日のテーマはバスキアだ!」と叫んで家族をテーマに前衛絵画を書かせたり。
熱血ぶりを時たまアクセントにしながらのヘタレ教師、ということで、生徒にバカにされつつ愛されている感じかなあ。
妊娠してしまった彼女(40近い同僚女教師。飲み会の後押し倒された)が生徒に聞こえるところで「私、産むから!!」と叫ぶのは強烈で笑えた。

主演松雪泰子は児童福祉関係の職員。虐待された子供たちを保護するために、警察ともやりあう。家では人徳者だった父親が痴呆徘徊老人となっており、介護に疲れ果てた母親はパチンコ依存。パチンコでフィーバーした瞬間に死ぬことを夢見ている。
松雪は疲れ果て、眉間のしわが消えず、始終イライラしている。虐待から助け出した少女に唾を吐きかけられたりもする。
相当悲惨な状況を、どこかしらユーモアのこもった眼で描いているのが秀逸。

物語は原作通り、それぞれ悲惨な数組の家庭を軸に進んでいくと思うけれど、家庭内の悲惨な事件を衝撃的に描いていくことにばかり主眼は置かなかったのは良い。
見続けたい・・というより、真剣に見守りたいと思う。

漫画『闇金ウシジマくん』にハマっています。

July 11 [Fri], 2014, 9:50
真鍋昌平『闇金ウシジマくん』

【レンタル漫画跋渉の半年間】

かつては「漫画研究会」に在籍していたほどの漫画好きなのです。
しかし結婚後は、一部の週刊誌(スピリッツやモーニング)または好きな作者の単行本を買ったりするくらいになり、そのうち子育てや病気やパートなどやってるうちに漫画雑誌も買わなくなって20年近く。最近売れている漫画事情についてはすっかり疎くなってしまった。

しかし昨年転職した職場は、その辺全然知らないとちょっと困るところ。
それで今年初めくらいから、町内のGEOに毎週通って10冊(500円+税)ずつ漫画を借りて読む生活を始めました。
以前から映画やドラマの原作で読みたいもの(『彼岸島』とか『へうげもの』『20世紀少年』『JIN』『SHIDO』『げんしけん』等等)があると借りに行ってはいましたが、今回はどんどん新しいものに手を付けてます。

まあ、『ワンピース』にしても『進撃の巨人』にしても、あれだけの量が売れているというのは、何かすごく魅力があるわけすよね。ドラマと違って、一冊一冊身銭を切って買っているのですから・・・。

というか、もともといろいろがっつり読みたかったんですよね。「仕事の役にも立つ」は自分と周囲へのイイワケですな。

ザッと思い返すと、この半年でちゃんと読んだ(読み続けている)のは
『闇金ウシジマくん』『アイアムアヒーロー』『進撃の巨人』『悪の華』『銀の匙』『キングダム』『俺物語!!』『クローズ』『聲の形』『罪と罰』『ハカイジュウ』『僕はビートルズ』『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(たまらなく自虐的な自意識ギャグマンガと思う)『監獄学園』(これだけバカバカしい話を細密に描く作者にはもはや脱帽)等等。

やっぱりもともと多く読んでいた青年漫画系に手がいきます。
『アイアムアヒーロー』は、もちろん期待が大きかったけれど、第一巻が最高!!で、その後ももちろん面白いけれど一巻で感じたほどの衝撃や興奮はない。他、『悪の華』はやはり鮮烈だし、『銀の匙』はとてもいい漫画だと思った。

途中で挫折した、またはもう大体わかったからもういいや、という感じだったのは『殺人教室』(表紙が気になってた)『テラフォーマーズ』『弱虫ペダル』『黒子のバスケ』・・・・もっとあったけど忘れた。

少年漫画(特にスポーツ)は、最初面白くても、主人公がどんどん強くなって、あちこちからキャラの濃いもっと強い奴が登場して・・・というサイクルに入ると、途端に興味が薄れますね。もうとっくに大人だからかあ・・・。
ずっといつか初めから読もうと思っていた『ワンピース』は、頑張って20数巻くらいまで読んだけれどついに挫折(週内に読むのが本気で苦痛になってきた。食わず嫌いじゃないから許して)。でも娘が続けて読んでるので、続けて借りてます。

少女漫画系が少ない(俺物語オンリー・・)のは、読みたいものは全部か一部読んでたし(『大奥』『ちはやふる』『ぴんとこな』等)、レンタル棚にあまりそそられるものがなかったからかも・・・。

しかしこれだけ読んでも、ブログに書きたくなるほど心を揺り動かされた作品との出会いはなかった。
・・・・『闇金ウシジマくん』に出会うまでは。

【朝からウシジマくんで泣いている】

50過ぎてから朝早く目が覚めるようになったので、本を朝読むことも多い。
昨日の朝も、ウシジマくんの20巻〜22巻を読み、さらにもう一度読み、「闇金くん」の最後と「ホスト君」で泣いてました。

毎回毎回、1回目は内容の悲惨さと暴力に衝撃を受けて、もう一度読み返すとやたら情感を揺さぶられ、悲しくて泣いてしまうのでございます。
で、朝なんか読んでしまうと、一日中ウシジマくんのシーンが頭の中をぐるぐるして困ります。町の色もどこか違って見えます。

この作品については、山田孝之主演のドラマ(シリーズ二回あり)と映画(二本)のことは、何回か触れました。
身長のハンデを乗り越えて「ウシジマくん」になりきっていた山田君はすごい。また、他の映画の濃い顔の山田君と比べると、「ウシジマくん」の山田君のアップの方が玲瓏で美しい顔をしていることに気付いてドキッとした。音楽やカメラワークなどの演出もすごく制作側の「ノリ」が感じられて、面白かった。極端にダメ人間な登場人物をを笑っても、極端に凶暴な登場人物にぞっとしても、なんか「残る」ものがあった。

だから漫画に手を染めるのも当然、時間の問題だった。存在はもちろんずっと前から知っていたけれど、タイトルや題材から、ただの暴力闇金が庶民をはめて地獄に落とし込んでいくバイオレンスオラオラ漫画だと思っていたので・・・ゴメンなさい。

一巻で、すぐハマった。本気でやられた。こんな漫画があったんだ。(スピリッツやめなきゃよかった)本気で人に「一度読んでみて」と薦めたくなる。
これほど繊細で優れた文学的なまでの作品だったとは。

たまたま訪問者さんの後押しも頂きまして、ざっくり感想を・・・。
(と言ってもまだ刊行分全部も読んでませんが・・・)
はまっている最中なので、賛辞とおススメに終始してしまったらゴメン。

ただ、暴力表現が非常に痛いので、特に頻繁に表れる拷問シーンなどは読むのが無理な人も多いかと思います。

どっから読んだらいいか、と言われればまず一巻。一巻読んだら(ある程度は)続けて読まずにはいられない力があります。
あの「若い女くん」がトラウマになったという人もいるらしい。借金や薬物の怖さを思い知らされる。また「フリーターくん」を読んで就職活動をするようになった人も、不登校をやめた人もいるらしいから、現代の教養文学としての作品でもあるのかもしれません!(私も昨年ならツラくて読めなかっただろうなあ・・・)。

原作の3個〜5個くらいのエピソードが一度分解されて、テレビや映画の脚本になっている。それはわかっていたんだけれど、もったいない気がする。
漫画では一つ一つのエピソード(一話で終わるものも、三巻にわたる長いものもある)が、見事に完結しているから。
(映像も成功しているけれど、できれば漫画を先に読みたかった!)

また、ドラマや映画ではなんとなく「ギャグ(主に間のギャグみたいな)」っぽく処理されているものが、原作ではさらに、悲しさの中に湧き上がるペーソスみたいな笑いになってる。実は心から笑える場面なんてほとんどない。悲しすぎて惨めすぎてそれが滑稽になって笑ってしまう・・・という感じ。
ブラジャー型の根性焼とか、コブレンジャーの全身刺青とか、やった方は動画をネットに流してゲラゲラ笑ってますが読んでてとても笑えるものではありません。

あえて平べったく言えば、話は大体同じ。
ニート、OL、主婦、読者モデル、風俗嬢、サラリーマン、ホスト・・・などあらゆる人々が、借金が嵩んでどこからも借りられなくなり、ウシジマくんが社長になっている闇金融「カウカウファイナンス」にやってくる。しかし10日で5割(トゴ)だの1日で3割(ヒサン)だのという滅茶苦茶な高利。借りに来るのは札付きのダメ人間ばかりなので、利息返済に必死になるばかりで元本はちっとも減らず、次第に追いつめられて破滅していく話。(破滅のバリエーションが信じられないほど悲惨なのだが、すごいリアリティで描かれる)。

まあ、そんな風に書くと、「ああ、そういう話ね」と分かったような気になってしまう人も多いと思う。

待て待て待て!!!

私が『ウシジマくん』に惹かれるのは決してそういうことばかりじゃないからね!
「借金怖いね。ヤクザ怖いね。シャブ怖いね。真面目に働くのが一番よ」、みたいな交通安全ビデオみたいな作品だったら、惹かれるはずないじゃないですか。

映画『渇き。』と小説『果てしなき渇き』

July 04 [Fri], 2014, 17:27
(映画の)期待度★★★★★
満足度★★
おススメ度★★


【個人的に、今年一番の期待作だった!】

すごく楽しみにしてた映画。

今年の日本映画は、今一つ・・・・と感じ続けてきた。

大ヒットの続編『テルマエ・ロマエU』に大がっかり。
湊かなえ原作の『白ゆき姫殺人事件』もイマイチ。
『土竜の唄』は期待してなかったとはいえ、あんなもん・・・?
『万能鑑定士』『MONSTERS』は、見ればその時は楽しいけれど、テレビで見れば十分だった。『春を背負って』もつまらなかった。
『クローズEXPLODE』と『闇金ウシジマくん2』は、好きな世界観なので楽しめたけれど・・・。
いまだに、感想を書いた『小さいおうち』が一番だなあ。
洋画は、『アナ雪』を筆頭にいろいろヒットしてるのに、邦画どうしたんだ・・・。

『渇き。』はすごく楽しみにしてた。
それはなぜかといえば、ひとえに中島哲也だったから。
『告白』。あんな映画見たことなかった。中島哲也は天才かと思った。もちろん原作の湊かなえの最高傑作だけれど、映画ならではの良さもたっぷり。映像と音楽が、また原作にはないテイストを生んでるんだよね・・・。あっと、感想はこっちに書いた。
http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/879

その前の『下妻物語』『嫌われ松子の一生』も大好き。
題材もいいけれど、「他の監督だったら絶対にこうは描かないだろう」という「ハッ」とさせる、みずみずしい感性が感じられるんですよね。

今回はハードな暴力シーン満載だとは知っていたけれど、中島監督なら、どこかしらポップで透明感のある地獄絵図を魅せてくれるんじゃないかと・・・。

『渇き。』への気分は、フライヤーを観たときがマックスだったかも。
一番下の真ん中に「畜生」と書かれたオダギリさんを見たからもあるけれど、役所広司の「狂犬」、妻夫木聡の「軽薄」にもワクワク。
いかのも禍々しそうな美少女の小松菜ちゃん(菜奈だけど)が二階堂ふみと橋本愛の上に立ってるというのもなんだかすごい。

原作もムラムラと読みたくなったけれど、中島哲也監督作品だからということで、絶対映画を先にしよう。と思っていた。

以下、ネタバレ配慮はちょこっとだけしてますが、先入観を与えてしまうネタバレ要素はいろいろありますので、これから観ようと思っている方はご注意ください。












【「なんか違うような・・・」(映画の感想)】

期待に胸をとどろかせて・・・観た。
うーーーん。なんだろう。

なんだかよくわからないが、「なんか違う」という思いが、正直な感想。
『告白』みたいには「来ない」。
絶賛はできないなあ・・・

なんでだろう・・・。
思っていた以上に、目をそむけたくなるようなスプラッターなシーンが多かった。
役所広司の暴力は回数的には一番多いが、「車で・・・」とか、笑えるものも多かった。
カッターがカチカチなると目を覆ってしまう。刃物系の暴力シーンは一番苦手。冒頭のコンビニのシーンも凄まじかった。○を・・・とか、○○で・・・とか、

しかし、これが「なんか違う」理由ではない。
暴力的映画は免疫はたっぷりあるんで・・・『地獄でなぜ悪い』とか『冷たい熱帯魚』とか園子温ファンでもありますから。

また、手持ちカメラなのか、残虐シーンで目がグルグルするのが、ちょっと疲れた。
あと多少時間関係がわかりにくかった。
いじめられっこ「ぼく」視点の部分と、狂犬父藤島の汚らしいハードボイルド部分と。

『渇き。』というタイトルとは逆に、土砂降りだったりプールや川で溺れたり、あと血と泥とあらゆる体液がドドドなので、何を「渇いて」いるのかは結局わからなかった。

ちょっとだけ、『告白』の「好きな感じ」を思わせるシーンもいくつかあった。
弱い男の子がいじめられる学校でのシーンは、一番最初がプールだったし、白〜グレーの色合いやリリカルな音楽の感じが『告白』っぽかった。
不良のたまり場でポップな曲が流れるのも中島流。
娘を持つ教師である中谷美紀の役割も、ピュアな犠牲者である初代いじめられっ子の話も、『告白』を引き継いでいる。
導入部に「・・・」だった私は、この学校シーンに期待を託した。
いじめられっ子の男の子の青さと弱さには若干好感を抱いた。

しかし・・・期待したような展開はなく、その他は、中島監督らしさはむしろ影を潜めていた感じがある。
タイトル画面に使われていたように、映像的にもペンキやスプレーで書きなぐったようなものが多く、何だかよくある暴力大溢のバイオレンス映画みたいなテイストに近かったんじゃないかな。そんなもの、別に新しくもないような・・・。
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