映画 『予告犯』と、生田斗真の特性について

June 26 [Fri], 2015, 16:28
ちょっと前まで、映画の感想に「おススメ度」「満足度」とか★五個を最高にしてつけてた時期がありましたが、どうも自分には合わないような感じがして、やめました。
見やすい表示があればいいんですが・・・考え中です。

さて、映画『予告犯』について・・・・
観た方どうでした??

ガッカリした人と、予想に反して泣いちゃった人と、二つに分かれるようです。
「ガッカリ」した方の気持ちも、思わず泣けちゃった気持ちも、どちらも非常に理解できます。同じ思いを味わったから。

まあ、それはそれぞれの感じ方としか言いようがないのですが・・。
今回は「俳優生田斗真」について「やっぱり好きっ」という気持ちを、書くことにします。

というのはこの映画、生田斗真という役者の特性が、方向を引っ張った感じがするから。

・・・原作未読なので、このラストが原作と同じなのか違うのかはわからないけれど、この結末をリアルなものと感じさせられたのは、斗真君の適性と実力だったのでは・・・。間違いなくベストキャストだったと思う。

生田斗真の演技を手放しでほめるべきかどうかはわからない。彼の場合、綾野剛や山田孝之にやれるような根っからの「凶悪」がやれるのか、と言われれば疑問である。
しかし、「なんでもやれる」ことが役者にとって一番重要ってわけでもない。

ただもう、斗真君は、根っからピュアで、そこが他の特質を越えて愛さずにはいられないポイント。
演技で涙を流す役者はうまいけれど、斗真君の場合、あれホントにボロボロ泣いてるよね。必死で涙を流そうと顔に筋肉を入れて泣いてる役者もいるけど(あれ見ると興ざめだよね)、斗真君の場合、これ以上涙が出過ぎないように必死でこらえている時まである。
もはや演技力の問題じゃないです。

『ウロボロス』とのつながりで見るとものすごくそう感じる。
犬っころの目できれいな涙を大量に流したよね。生田イクオと小栗タッちゃんとの関係は、もう腐女子ならずとも「萌死」するくらいのものでした。『花ざかりの君たちへ〜イケメンパラダイス〜』の中心コンビが、これ以上ない形で蘇ったもの。

もちろん、役者としての斗真君の長所はそれだけではない。
訓練好きな斗真君の、驚異的な身体性は相当なものでアクションは切れる。『脳男』『ウロボロス』『土竜の唄〜潜入捜査官REIJI〜』(←体を張ったお笑い上等!)もそうだったし、次回作『グラスホッパー』でも遺憾なく発揮されるはず。

怒りに駆られた「ゾンビ目」や、自分の過去に思い悩むシーンなど、感情演技にも魅せられた。どれも切迫感があって、演技っぽさが全くなかった。
これは『ウロボロス』の特殊事情かなぁ・・・(自分が熱望した作品のドラマ化で、自分が希望した小栗タッちゃんだから)と思ってたら、すぐに『予告犯』のゲイツ役でもそれが見られたとは・・・・・。
『ウロボロス』のラストを「フランダースの犬」と思っている私なのだが、『予告犯』にも、それに近いものを感じる。

さて、これ以降はネタバレ含みます。
これから観る予定の方は、ここまでに。








【映画の意外な展開】

>6時間のナイトパックが1700円
15分の延長ごとに100円追加
ドリンクお代わり自由の1畳半
この汗臭いタコ部屋の片隅から
俺が世界を変えてやる。

映画冒頭のこのセリフ、まるで詩のような感じがあって、心に残る。

『予告犯』の予告映像を見て、誰でも「劇場型アンチヒーロー痛快アクション映画」と思ったのでは・・・。
最初ちっぽけだった凶悪犯罪グループが、徐々に日本全体を震撼させる巨大な犯罪組織となっていき、信者も増え模倣犯も増え、国家警察組織が大変な危機に陥り、インフレーション的にラストを盛り上げて派手に破滅していく、みたいな。

・・・ちがったんですよね。
事件された事件は、共感はそそるけれど、しょぼかった。
はじめてしょぼくなくなるかと思った大きな予告は、成功とも失敗ともいえる微妙な結果だった。
で、最後の予告は・・・・。
観てない人は映画館で観て!

この映画をなぜ中村義洋が撮るのか、よくわからなかった。
それこそ三池とか『藁の楯』なみのスケール感で撮った方がいいのではと思った。
でも最後まで観て、中村監督の作品だなぁと思った。観客の予想を裏切って泣ける話になったのも、監督会心の仕掛けだったらしい。
私の愛する『アヒルと鴨のコインロッカー』(伊坂幸太郎原作、原作も映画も大好き)と、同じくらい監督にとって一番好きな作品になったんだって。・・・『スタンドバイミー』なんだって。

【他の登場人物たちとの関係は・・・?】

制裁を受ける者たちは、あまり印象に強く残っていない。
しかし一番制裁を受けるべき(だが結局受けなかった)、もとガンツが働いていたIT系会社の社長役の滝藤賢一のパワハラ演技は凄かった。命令形を使わず、嘘っぽい満面の笑顔で「仕事なんだから、がんばってやろおよ〜」というのが厭らしくて最高。『半沢直樹』で苛め抜かれた滝藤、やられた分はやり返したね!!
斗真君、ひりひりするような惨めな心情を演じるのもうまい。

シンブンシのメンバーは、ゲイツ(斗真)、カンサイ(鈴木亮平)、のび太(濱田岳)、メタボ(荒川良良)。あと、犯罪には関係しないが彼らの共通の友人、ヒョロ(福田康平)。

う〜ん、ゲイツの溢れる愛を受け止めるのには、彼らの感性が少々・・・鈍く感じられた。
しかし、敏感すぎたらゲイツの企みが成就しないんだから仕方がないか。『オーシャンズ11』っぽくなりそうで、けしてなれない。その感じが、中盤歯がゆく感じられるのだ。「役に立ってないじゃんこいつら…」というイラつきを覚えた人もきっといるだろう。
それでも、「一度も働いたことのない」濱田岳がラーメン屋の女の子(ベタ!)に恋してしまう様子はいじらしかった。小松菜奈(ひどい芸名だよね)が初めてかわいらしく感じられた。あと、ベトナム人にしか見えないヒョロもすごい。

『新宿スワン』(+2015年の園子温)

June 26 [Fri], 2015, 10:59
またしばらくサボってるうちに、日々はどんどん過ぎていきます。

今月になって観た映画も、『新宿スワン』『予告犯』『ソレダケ〜that's it〜』『海街dairy』『イニシエーション・ラブ』。
(あ、オール邦画だった。見たい洋画もあったのに・・・。)

特に前の三本は、誰にでもおすすめ、という映画じゃないんですが、私の「ゾーン」にしっかり入ってるので(主に役者と監督ですね・・・)、やっぱり行かずにはいられないわけです

まず『新宿スワン』から。

三口で言います。
園子温監督っぽくなさすぎる。脚本がひどすぎる。けど、役者はなかなかいい。

【園映画っぽくなさすぎる件1】

この映画、意外と(ゴメン)動員数が良くて、園子温監督一番のヒットになる見込みだそう・・・。
なのに、園映画ファンからは、だいたい酷評されてる模様。(それはすごくわかる)。

驚いた!!
だってすごくフツーのB級映画なんだもん。

いや、誤解なく!
B級でイタイ青年たちの吹き溜まり映画は、実は好きなのである。
近年の典型例だと『スマグラー』『莫逆家族』『黄金を抱いて跳べ』・・・とか。好きだなぁ。やたら暴力的で、日本映画っぽくて湿っぽくて、きっちり破滅への道を歩んでいく、崩れた版のチーム男子。こっそり一人で見に行くくらい好きかも・・。

だから嫌いじゃないはずなんだけど、園子温がこれを撮ったと聞くと、う〜ん、「なめとんのか」と思ってしまう。
聞けばやはり、園子温が脚本にタッチしなかった(脚本は鈴木おさむ)という珍しい作品なのだそうだ。演出に集中できたとか。

【脚本が相当ひどい件】

まあ園監督のその試みは良いとしても・・・。

脚本がね(原作読んでないけど原作ファンは例によっていろいろ怒っているらしい)、あまりにテキトー。時系列で話が淡々と進んでいくのは良い。けれどひどいのはセリフ(特に女子が絡むセリフ)で、聞いてるほうが恥ずかしくなった。(山田優との会話とか)。

見ていて、自分のアタマが相当悪くなった気がした。

どうもこの脚本家らは、女は男の一階級下の存在で、だから男を喜ばせる風俗に勤めざるを得ない気の毒な人間で、いつか王子様が救いだしてくれるファンタジーを抱きしめていたりする生き物・・・・だと思っているらしい。
だから女を食い物にする男は悪くて女を幸せにしようとするタツヒコは主役なのね。(という世界観の人が書いてるとしか思えない)

あと、「世界『星の王子様』協会」があったら、この映画をしっかり糾弾すべき。観ればわかる。怒りに震える。原作にあるんなら仕方ないか・・・と思って自分を抑えたけれど、なんと映画にはあんな絵本ないんだって。ファンとして堪えがたい。

【園子温っぽくなさすぎる件2】

綾野剛、山田孝之、金子ノブアキ、深水元基、豊原功補、伊勢谷友介、・・。
『クローズZERO(特にU)』率高し。(上記の初め四人)

→だからトライストーンエンタテイメントが作ってるのね。
→だから、回想にクローズのクライマックスそのまんまな、雨の中のケンカのシーンがあるわけね。

→だけど!三池崇史じゃなくて、園子温なんですよねえ・・・キャストも、園映画にはあまりなじみのない人が多い。
だったら『クローズ』遺伝子を生かした作品として、堂々三池に取らせればいいのに、山本又一郎どうしたの?

園子温だからというのを第一の理由にして見に来た人だっていっぱいいるのに・・・
だから「なめとんのか」と思ったわけだ。

5月頃観た映画まとめ

June 11 [Thu], 2015, 14:32
『イントゥザウッズ』『ソロモンの偽証(後編)』『バードマン』
『シェフ〜フードトラック始めました〜』『龍三と七人の子分たち』『寄生獣』

どんどん忘れてしまうので、ここ2カ月くらいに見た映画について。まとめ書き。
書いてみたらつまらなかった順に並んでしまった。これは偶然。

【こんなつまらない映画初めてかも・・・】

圧倒的に一番つまらなかったのは『イントゥザウッズ』。
これ本当にディズニーなの?『アナ雪』や『マレフィセント』を作った・・・?

赤ずきんやシンデレラやラプンツェルやジャックと豆の木・・・と言った有名なメルヘンをごった煮にして、さて、どんな気のきいた映画ができるのかな。新解釈で、見慣れた星座が解体されて大きな新しい星座が生まれるような鮮やかな新解釈が見られるなら・・・と思って観に行ったけれど、な〜んにも。
また彼らのキャラクターもどれもひどくて、ひとりも共感できるキャラがいない。王子様達なんて下品でスケベでバカ。ギャグなんだろうけど不快で笑えない。それがシニカルな狙いだとしても、不快になるだけの塩梅なのはなぜ?

ミュージカル仕立てが売りらしいんだけど、曲数がやたら多くても、印象的な曲、いい曲と思えるものが非常に少ない。歌はみんなうまいんだけど、なんだか非常にうるさいしだるい。

レミゼと比べるのもなんだけど、鑑賞料金同じなので文句も言おう。
レミゼは名曲だらけ(誰でも知ってるというのも強みだけど)なうえ、歌のおかげで長大な話がかえってコンパクトに理解しやすくなってた。映画に大きな情趣をプラスしてた。

これには驚き、かったるいと思っていたミュージカル映画を見直した。
『イントゥザウッズ』は逆に、歌のせいでかったるい話がもっとかったるくなってた。さっさとスピード上げて盛り上げてさっさと終われ!・・・思っているのに、ややアクションの増えたクライマックスで場違いなバラードを歌い上げられても白けるだけ。

座って観ていることが苦痛で帰りたいと心から思った。
しかし、めったに会わない友人と行ったため、立てない。

実は、『ソロモンの偽証』(後編)を観よう、ということで映画館で落ち合ったんだけど、なんと彼女が前編を見てないとわかった(前後編だと知らなかったのだ)。「あれを後編から見るのはナイよ」と別な映画を探し、ちょうど時間の合う『イントゥザウッズ』でも・・・ということで行ったんだけど、これじゃあ友人との思い出がさえないものになってしまってちょっと不幸。評判くらいはチェックしていくべきだった・・・。

【その『ソロモンの偽証(後編)』も・・・】

その『ソロモンの偽証』もなあ・・・帰りたくはならなかったけど、いろいろ残念な出来。前編にも文句タラタラ書いたけどね。
結局言いたいのは、あれほど素晴らしい小説六巻を、こんなに残念な映画前後編にしてしまったことは罪だ、ということだ。
中学生役の子たちの責任じゃないからね!(あまり良くなかったとはいえ、きちんと演技指導も役柄説明もサジェスチョンもしなかった方が悪い)

藤野涼子のキャラが嫌(役の子は個人的には嫌いじゃないけど)。映画脚本を作った人は、何が何でもいじめ見逃しを涼子のトラウマにしたかったらしいけど、それで自殺まで考えたなんて、やめてよ違いすぎるよ。
言っちゃ悪いけど、子役離れした貫禄と風格のある芦田愛菜ちゃんに、二年後くらいにやってほしい(本当は今やってもいいくらい)。トラウマや自責の念じゃなく、「大人たち、私たちに隠してんじゃねえよ!」の正義感で貫いて、そのあたりが普通の生徒の間で滑るという感じがいいんじゃないかなあ・・。
神原君もねえ・・・あれじゃ、知ってたんなら何もここまでやらなくても・・・と思っちゃった。小説ではそう思わなかったのになあ。
他の生徒についていちいち文句を書きたくないけど、大出役の清水尋也は情念の爆発する感じが良かった。色気もあるし。『渇き。』で難しい役をやっただけのことはあり。
あと、みんな言ってると思うけど、エピローグ(前篇のプロローグも)全く無意味だから!

「快快」版『再生』〜自由研究編〜(祝祭への美しき供物たち)

June 04 [Thu], 2015, 23:14
この記事は、前記事 
「快快」版『再生』〜単純感想編)〜
の、続きです。そちらを読んでからお読みいただくよう、お願いします。

こちらは、観劇後に興味が湧いていろいろ調べたこと、感想の補足、他の舞台と比べて考えたこと、雑談・・・などを語らせていただこうと思ってます。

一番役に立ちそうな内容を最初に・・・。

【それぞれの曲名と、それが聞けるところ】

快快版『再生』は、音楽が非常に効果的で凄くカッコよかった。
けれどほとんどの曲を知らないので、主に公式のツイッターから情報を拾い集め、動画サイトに当たってみました。

結果をまとめてみます。(正確さは保証しません!)
(うまくリンク先に飛ばなかった場合は、曲名&アーチスト名で検索してください。前つながったのがつながらなくなったり・・・慣れてないなあ)。

○一曲目https://www.youtube.com/watch?v=HkD8VfkmvRs
ジュノ・リアクターConga Fury
なんか素敵な、気持ちが静かに盛り上がっていく幻想的な曲。好きです。

○二曲目はhttps://www.youtube.com/watch?v=2Lugb9XfRkA
メタリカの「クリーピング・デス」と言う曲らしい。

○三曲目はエルガーの『威風堂々』。
https://www.youtube.com/watch?v=m20LnRnSNDM
気分が変わって役者もみんなしゃきっとする。知ってる曲はクラシックのこれだけ〜。今ドラマ『天皇の料理人』オープニングで使われてる。

○4曲目は、トムトムクラブの「Wordy Rappinghood」
https://www.youtube.com/watch?v=6Vl1m5FYlAo

○5曲目、和風のリズムの曲も盛り上がる。石野卓球の「ポリネシア」。好き。
https://www.youtube.com/watch?v=iGxXgid4Lo4&list=RDiGxXgid4Lo4#t=51

○6曲目、テンテンコがブランコを漕ぐシーンで印象的な「おやすみ」も洋楽だった。bo en の「 my time」という曲。あのシーンが目に浮かびます。
https://soundcloud.com/maltine-record/bo-en-my-time

○最後の曲は洋楽かと思っていたら、banvoxという日本の若い人が作った「Laser」という曲。これもいい。
https://soundcloud.com/maltine-record/banvox-laser

世の中私の知らない曲だらけ・・・どんだけ時代に遅れちゃったんだろう。
10年後には「わあ、この曲懐かしい・・・」と言えるようなりたいなあ・・・・(見栄っ張り)。
・・・というわけで、今流して注入中。宜しければ、みなさまもドオゾ。


【自由研究の中心課題:「多田淳之介の初演版と比べる」】

実は観劇中、非常に多田淳之介っぽい舞台だと感じていた。
音楽が最新でオシャレ(泥臭さがない)のもそうだし、仕掛けは単純明快、効果は絶大、というところも多田淳らしいと思った。メイクや衣裳に手を抜かないのも、音楽や照明が心地よくて、舞台装置がとても気が利いてるのも、そう。
ラストは『カルメギ』を想起させられたし。

私は多田淳之介の原案と聞いてこの作品を見に行ったので、原案がどういうものでどの辺が「盗んで爆破」(壊して見せた)のか、どうしても知りたかった。
というわけで、ここからはその話になりますので、よろしく。

このサイトが詳しくて面白かった。
http://www.wonderlands.jp/archives/12164/
「小劇場演劇レビューマガジンワンダーランド」
また、再生の公式ツイッターを見てたら、映像(15分バージョン)のありかもわかった。
https://www.youtube.com/watch?v=Vmu90c6vJfg&feature=youtu.be

全部ではないし、レビューと部分映像だけで観た気になるのはおこがましいが、快快岩井版と初演多田版との違いを知るには役立った。

リアルな安アパートが舞台だったとは!最近のスタイリッシュな多田淳舞台とはずいぶん違うけれど、2006年といえば9年前。多田さんも学生時代を引きずってる頃?普通の鍋での鍋パーティー、薄汚れた畳やふすま、服装もリアル。

>座敷の中央奥に一台のiPod が置かれており、古びた大きなスピーカーがその両脇に据えられている。やや神秘的な照明が当てられたそれは何かの「祭壇」を連想させ、これから起きることが何かの「儀式」であることを暗示する。(「小劇場演劇レビューマガジンワンダーランド」より)
>1体ずつ引きずり込まれ適当な場所に無造作に投げ置かれる出演者たちは、ただ横たわったまま死体のごとく動かない。すなわち冒頭において充満するのは「死」の匂いである。

快快版にも、「祭壇」っぽさが感じられ、キャストが「生贄」っぽいなぁ(と思って先にタイトルをつけてしまった)と思ったが、リアルな「死」の匂いは初演版ほど濃厚ではなかった。
人数が7人、というのはいっしょ。この数字にも何か意味を見つけようとすればあるだろうが、それはやめて。

>どうやら彼らは集団自殺するためにその場所に集い、人生最後の宴に興じているらしいのだが、詳細はわからない。座敷の中央には何かの鍋と菓子、酒、ジュース類、彼らはどうでもいい会話を熱狂的にたのしみ、飲み、食べる。

バカ騒ぎには理由があり、集まったのにも目的があったのね。(すごい違い)

>(最後は)ひとりずつ倒れ、途切れるようにその「生」を終焉させていく。

生の終焉・・・。一回ごと死を迎えるシステム?集団自殺なんだから、それもわかる。
快快の方では自分はあまり「死」は感じなかった。死ぬ理由も動機もわからないし。
この30分の小劇が3回繰り返される、という趣向は同じ。
しかし、舞台全体のラストはずいぶん違うので驚いた。

>それ(役者の疲労や滑稽さ)がすべて演出だとわかったのは三巡目の最後、つまり本作のラストにおいて俳優たちが血反吐を吐いて立ち尽くしたときである。ここで劇構造は鮮やかな変転を見せる。わたしの笑顔は凍った。わたしが並列構造だと思っていた本作は、実は直列構造だったのだ。

この方も、初演版の3巡目は(今回の私と同じく)最高に楽しんで笑って見ていたのである。
しかし、3巡目の後、映像でもはっきり分かるが、みな真っ赤な血を吐き「本当の死」(区別されているのだからそう考えるのが自然)を迎える。
最後の最後はループしない死につながった。

う〜〜ん。ずいぶん違うので、まとめてみる。

「快快」版『再生』〜単純感想編〜

June 04 [Thu], 2015, 18:55
芝居だ映画だ飲み会だ残業だ・・・・ついに一週間一度しか夕食を作れなかった。
欲望とは他者の欲望の摸倣ことだと思うし、「これがどうしても観たい」という欲望も、某所での評判の盛り上がりで火をつけられたにすぎない。家庭からの「逃げ」も若干混入している。
が、無理やり見に行って後悔のない舞台だった。



岩井秀人×快快『再生』これがフライヤー。
コピーは
「快快(faifai)が岩井秀人と共に多田淳之介の作品を盗んで爆破!!!」である。
多田淳ファンとして、これは見逃せない・・・。

ただし、すでに気づいたときには全席売り切れ。
毎日、少数の当日券が出るそうなので、それを目指して会社を一時間早退。
横浜まで行くのは交通費も時間もかかるしそれが無駄になるかもしれない・・・。

《以下、もはや役に立たない情報》

5月21日〜30日、神奈川芸術劇場(KAAT)大スタジオにて。
サイトはhttp://faifai.tv/news/faifai/2383/
当日券希望者は、開演(19:30)の一時間前から並ぶようにということだったので、30分余裕を持たせて18:00頃には到着。しかしすでに20名以上が並んでいる!
それも18:30に当日券がもらえたのはわずか7〜8名。「残りはキャンセル待ちです」ということで3800円払い、開演5分前にまた集合とのこと。夕食も食べられそうもない(コンビニで買ってくるんだった)。
でも今回はたまたま全員がキャンセル待ちで入れた(計17名だったらしい)。

パンフレットでわかる情報のみちょっと。
「再生」のもともとの原作は多田淳之介で、「東京デスロック」により2006年に初演された。
この作品にインパクトを受けたという岩井秀人(劇団ハイバイ)が、劇団『快快(faifai)』とともに多田淳『再生』を再演(盗んで爆破)。

《以下も役に立たない個人的な余談》
多田淳之介は昨年『奴婢訓』『カルメギ』を観てハマった脚本家・演出家。
「東京デスロック」はあまりに劇団名がヤンキーなので偏見を持っていたのか、多田さんを知るまで近づかなかった。
「快快」は知らなかった。
岩井秀人(劇団「ハイバイ」)は一回見てさっぱり面白く感じられなかったため(『武蔵小金井四谷怪談』。四谷怪談ファンだから許せなかった部分もあり)、岩井本人にも青年団系にも興味が減退したのだが、ここにきて青年団系のものを多く見ている。すべては多田作品に出会ったからである。

さてさて、舞台はすべてそうだが、とくにこの『再生』は他人の感想など読んでから見たのではつまらない。ネタバレへの配慮というよりも、あの時間と空間を共有して同時体験しないと・・・。

しかしながら、私の書くのが遅くて結局公演中にアップできなかったので、どんな舞台だったのか少しでも知りたい、と感じた方のためにも感想を書こうと思います。
あ、もちろん第一の目的はいつもと同じ、自分の思いをとどめておくため、ですが・・・。

内容は、二つに分けました。
今回は、「レビュー・感想編」(感想は、ごく簡単です)
次回は「自由研究編」として、調べたり思ったりしたことを、ズルズル書きたいと思います。











というわけで、ここからはネタバレありです。

【一周目〜二周目】

大ホールかと思っていたら大スタジオ。KAATにはいろいろあるんですね。
『カルメギ』(中スタジオ)の時と同じように、自由に空間をアレンジしているのが嬉しい。
四角い舞台をコの字型に客席が囲む。舞台の奥と、奥の上にも演技できるスペースがある。客席は急傾斜で5段くらい並んでいて、どの席でも前の人のアタマがかぶらず見やすい。
(この見やすさと、舞台の雰囲気がいかにも多田淳っぽいので気持ちが高ぶる)

私は、下手側から4番目くらいで、前から三列目。下手寄りなので上手側と奥の舞台はちょっと見づらいけど文句なんてなし。

舞台はシンプルだが、なかなか象徴的な要素が並ぶ。奥への通路を挟んで両側に背の高い(二階に伝わって登れる)オープンシェルフ。いい感じに充実した書棚。ギュウギュウではなく、割とパラッとした感じでならんでいる。下手側にソファがあり、カウンターのような台が上手寄りに置かれていて、ワンルームっぽく見える。
しかしいろんな実のなる(作り物の果物がぶら下がっている)スッとした木が一本あり、舞台の真ん中あたりに大きな石(京都竜安寺の石庭の真ん中にあるような)が置いてある。
屋外でもあり屋内でもあるってことか。

明かりがつくと、舞台の上には7人の男女が倒れている。印象的な音楽が鳴り、それぞれ起き上がって音楽に合わせて踊り始める。
あるものは手をバタバタさせてグルグル歩き、腰を奇妙に振り、奇妙なポーズを繰り返し、飛び跳ね、動物の動きをし・・・規則性は感じられないが、基本的にはかなり動きが激しい。
その曲が終わると、続いて次の曲がかかる。そしてまた、違うリズムでそれぞれの踊りを続ける。
(舞台のどこかにステレオセットがあって誰かが曲を流しているとかそういう設定はない。)
「うがー」とか「ほっほっ」とか、時々吠えたり叫んだりという声はあるが、セリフもないし、ストーリーもわからない。楽曲はワンクール7曲前後くらいあるかな・・・?

実は、ネタバレ嫌いの私だが、この舞台についてはもっとも大きなネタバレを知っていた。
初演も今回も、30分の舞台を3回繰り返すということ。だから『再生』。

だから、10分くらいで、ああ、30分の踊りを3回やるんだな・・・という目測はついた。
(知らなかったら楽しかったと思うけど、多分7割くらいの人は知ってたのでは・・・)

正直に言う。
一周目は、あまり面白くは感じなかった。
ほとんど曲わからないし、キャスト全員の顔と動きの特徴をつかむのにも時間がかかる。
また、あちこちでくっついたりぶつかったり仲間外れにしたりしている小芝居が展開されているようだが、どこを見ていいのかよくわからないうちに時間が過ぎる。
踊りだって、相当上手いということはわかるけれど「イマダンス」とか見慣れているから、踊り単体が極まってすごく胸を打たれるとかいうこともない。

30分は結構長いが、これを3回やるの?
そりゃあこの運動量を3回やったら人間として極限的な感じになるだろうし
「これだけギリギリの限界まで踊りきってくれた」「(量的に)ここまでやるのか、すげえすげえ」
にはなるだろうけど・・・。
だからと言って、何なんでしょうねえ・・・・・・・?
(アイドルだって、炎天下のコンサートで3時間歌って踊り続けるとかあるし・・・・)
とか考えて、チラッと不安になった。

しかし不思議なことに、二周目に入ったとわかってしばらくすると、じわじわと面白くなってきた。
あれ、ブランコの取り合いしてる。本棚にもたれてしばし倒れてる人がいる。上に上っている人がみんなの狂躁を見下ろしえいるのか、不思議な表情をしている・・・。あの子はセクハラを受けて自暴自棄になってるの・・・?竜安寺の庭石に手をついて、大勢でぐるぐる回っている・・・。
あ、時々飲んでるペットボトルが、木の幹のもとに集まってるんだ。一人一本?何かしら規則性が?あれ、二周目にしてだいぶからっぽになってるけど・・・・。小さな面白い発見、ばらばらな人物たちのなんとなくなつながり、そんなのがはっきりではないけれど、見えてくるようで面白くなる。

映画『セッション』が凄かった(追記あり)

May 24 [Sun], 2015, 23:53
洋画に疎い私に、「ぜひ観て欲しい」と友人が薦めてくれたのが『セッション』。

あまり興味がなかった(と言うか評判を知らなかった)映画なので、「感想を聞いてから行くか決めたいんだけど・・・ずるい?」と書いた。
すると、他の友人が一言、「お口にチャック」と書いてきた。(注:LINE上の会話)

んんん?
「観るまでは何も言わないのがお約束」ってこと?
そういう映画なのかなこれは?
澎湃として興味が湧き、早急に観に行くことにした。(私をその気にさせるのはカンタンなのだ)
幸い極音上映中。

映画冒頭、一心にドラムの練習をしている学生、主人公ニーマン(マイルズ・テラー)の前に、教授のフレッチャー(J.K.シモンズ)が現れる。
何気ないようでいて、非常に印象的な会話が交わされる。ごく短いシーン。

前置きなしに入るのが気持ちいい。
室内の映像だが、バックはほぼ真っ黒。まるで舞台だ。

この冒頭部から、およそ110分後のラストまで、ほぼ息をつくことも忘れるような、濃密な緊張感に満ちた時間だった。家族や恋人のシーンの時だけ呼吸することを思い出してたような・・・。

まさに最高の映画体験だ。面白い。
そこまで夢中になれない映画だと、見ながら感想が頭に浮かんでくる。はっきりつまらない映画だと、観ているうちに他の映画と比べ始め、批判の言葉まで浮かんでくる(まとめに入る?)
自分では何も考えず、ただ目と口を開きっぱなしで映画に引き込まれ、まったく結末の読めないストーリーに身をゆだねるしかない。そのドライブ感が悪魔的。
いや、この映画はあまりの緊迫した臨場感に「ストーリー」だということすら忘れさせる。眠気など起こるはずもない。

・・・というあたりで、私も「お口にチャック」をして、映画館に直行することをお勧めします。
結末には納得できるかどうかはわからないし、快か不快かもそれぞれだが、とにかく濃密な映画体験になるに違いありません。










(まだ上映館が行ける範囲にあるならば、感想は読まず映画に直行するように!)









さて、ここからは映画を観た人向けに。(基本的にはネタバレ配慮なしです)

【狂熱の映画体験】

一言で言えば、圧倒的な狂熱と冷酷の音楽映画だ。

歓喜、野望、焦燥、絶叫、悪意、絶望、復讐、報い、再生・・・。

肉体と精神の限界まで追いつめられた、地獄のような高揚感・・・。

吹き出す汗と血と涙と唾液・・・・。

それなのに、けして熱情の赴くままカンバスに絵具をぶちまけたようなものではない。(フリースタイルセッションではない。)

驚くほど精巧なのだ。
冗長さの全くないクールな構成と脚本、余計なものの一切ない美術や効果によって、非常に完成度の高い映画に仕上げられている。

この精巧さは、フレッチャーの、わずかなテンポの遅れもわずかな音程の狂いも消して許さない、あのサディスティックなまでの完全主義とリンクしているような気がする。
役者たちの演技も研ぎ澄まされていて凄い。

前掲した冒頭シーンでスッと肩をつかまれた感じがする。
それが分刻みに高まっていき、110分間一瞬たりともスクリーンから目を離すことができない。
時々ほんの少しほっとしたかと思えばまたしてもエンドレスの焦熱地獄に落とされる。

芸術(音楽)映画でありながら、スリラー映画的でもあり、先の読めないミステリー的でもあり、サイコ的でもある。
・・・と言うとあの『ブラック・スワン』っぽく聞こえるかもしれない。芸術(バレエ)映画かと思うと、サイコでホラーでエロだったから・・・しかしあんなにゲンナリすることはない。ゲンナリなんてする余白もたるみもないのだ。

だって、映画の中でほとんどの人は学生ニーマンになり、フレッチャーに出会い、彼に魅入られて限界超えるまでドラムを叩き、人生根こそぎ吸い取られかけるのだから。

最近観た『バードマン』『シェフ』が非常に「映画的」だったのに対し、『セッション』はライブ感が凄い。
「舞台的」という感じもした。優れた俳優が二人、がっぷりと二時間舞台の上でこの物語を演じたら面白いかも・・・と思った。舞台装置的には十分可能だ。バンドメンバーも十数人くらいだし。
・・・しかしすぐにそれは不可能だと考え直す。だって毎回のステージで精神が追いつめられるような演技はできるかもしれないけれど、毎回のステージで精根尽き果てるほどの凄い演奏をし、両手(手だけじゃないけど)から血が止まらなくなるくらいドラムを叩くような極限の演奏をするのは不可能だから(ただ一回ならともかく)。

「映画的」な作品群と違い、すべての輪郭が非常にくっきりとしている。
ふわっと焦点をずらして情緒や空気感を醸しだしたり、幻想か現実かわざと不明瞭にして観る人の勝手に任せる・・・なんてことは全くない。
カメラはすべてをぼやかせずに撮り、リアルで残酷なシーンが酷薄に映し出される。

この監督は、どれだけ映画を、映画を観るものを、信じているんだろう。
狂気的であり衝撃的でありながら、観てすぐ名作と感じるほど普遍性が高い。
見るものの中心に、まっすぐぐいぐいと押し入ってくる。
だからこそ、解説も批評も抜きで一対一で作品の真ん中と向き合える。

・・・私はそう言う作品を求めていたように思う。
「洋画の知識経験が足りないから私には良さがわからないかも・・・(←人生で何度か使ってきた逃げのセリフ)」なんていうぐずぐずした言い訳もいらない。
ただ、この映画と出会って、落とされればいい。

【 J.K.シモンズの鬼気迫る名演】

それにしても、鬼教官フレッチャー役の、J.K.シモンズの演技は、見事だったなぁ・・・・。
あの身のこなし。観客の前で演奏したり指揮棒を振ったりする時にはこの上なく優雅。火のついたように学生をしごきまくる時の華麗なほどの(?)狂気の暴力。

顔が素晴らしい。これだけ完璧に美しい「老人の顔」を長時間まじまじと見たことがない。見事な禿頭の造型。痩せた顔の上に無数に刻まれたしわの一本一本、首に走る大きな斜めの線、怒り狂った時は目と口が開き、顔のしわが一斉に生き物のように動き出す。動く彫刻を見ているような感じがした。手指の動きや造型も美しい。

時にフレッチャーの怖さも忘れ、「老人とは美しさの衰えた人間ではなく、老人ならではの美しさがあるのかもしれない・・・」と関係ないことを思ってうっとりした。
もちろん、彼の演技は一瞬たりとも緊張を緩めてはいない。
神や悪魔のように見えたりするかと思えば、口元のちょっとした動きでイラついた感じをチラッと出したりする。絶妙。
そう、彼を見ているだけで、こちらも息を呑み続ける感じなのだ。

フレッチャーの存在感は、最初のレッスンの時から明白だ。それまで軽口をたたき合っていたメンバーが、フレッチャー登場とともに冷たい緊張感で沈黙する。その恐怖感にみごと応えるような仕打ちが待っている。

3回ほど、フレッチャーがニーマンに温かい言葉をかけることがある。
2回ほど、センチメンタルな表情を見せるシーンがある。
しかしそこでほだされると、強烈なしっぺ返しが来る。
何度でも罠にかかってしまうのは、ニーマンがフレッチャーに自発的に反発する力も失い、彼の承認を乞い願う存在に落ちてしまった証拠なのか。

フレッチャーが正真正銘悪意と支配欲のカタマリのクソ野郎なのか、芸術に殉じた人間(被害者?)のひとつの形なのか、実はわからない。哀れな人間なのだ、とも思えれば楽かもしれないが、そうも思えない。(ただし、絶対に正直者ではない)。

フレッチャーをどう見るか、そのあたりが、各人胸の中に持ち帰る謎のひとつかもしれない。

鬼の演出家のもとで日々追いつめられている役者とか、死んだほうがマシなしごきを受けている名門のスポーツ選手とか、人間扱いされないほどボロボロにこき使われているADとか、そう言う人がこの映画を観たらどんな風に感じるかもちょっと興味がある。

四月期ドラマも絶不調?

May 22 [Fri], 2015, 2:27
大河ドラマ不振の話を書いたばかりですが・・・。
2015年4月スタートした今季の連続ドラマは、全体的に非常に不振なんだそうです。

確かに、視聴率は良くない。一番よくて13%や14%台、半分以上がひとケタ。15%台すら一本もない(除朝ドラ)なんて、こんなクールはかつてなかったのでは?

しかしこれだけテレビ離れが進み、録画視聴の割合も増えているのだから、単に視聴率が悪いからもうドラマは終わりだ!とか言う気はほとんどないです。

それより深刻なのは、内容的にも期待外れなものが多いこと。
ドラマ好きの私としても・・・正直心から面白いものがない。
「今夜は○○があるから頑張ろう!」と思えるくらいのがない。自分的には最近だと『デート』『ウロボロス』『信長協奏曲』みたいなのが・・・。

たくさん録画していても、
まとめ見→1.5倍モード見→飛ばし見→見ないで消去→リタイア(録画もやめる)
となっていきます。

【アルジャーノンに花束を】

実は、今一番楽しみに見ているのは、『アルジャーノンに花束を』(TBS)。平均9.4%。
野島伸司最盛期なら相当な視聴率をたたき出したんじゃないかと思うけど、今の時代の反応は驚くほど冷淡ですね。内容に普遍性は大いにあると思うのだが。
野島伸司が本格的に時代に合わなくなってきたのかなあ。
しかし、現在50代の私にはフィットするし、涙流しながら見ることも多いです。
障がい者ものを描くと、まさに野島ワールド全開。セリフも胸に刺さるものが多い。

28歳の知的障碍者で、6歳くらいの知能しかない咲人(山P)。
母親が自分を捨てたのは「バカな子は嫌い」だからだと思いこんでいて「ぼくは、おりこうなりたいです」といつも言ってた。
でも、優しくてピュアで、勤務先の花の配送所(前科者や施設上がりの青年たちが、住み込みで働いている)ではバカにされることもあるけど、基本みんなに愛されていた。

しかし石丸幹二演じる天才科学者(異様にカッコいい)により「頭がよくなる実験」の被験者にさせられて、彼は(この3週間の放送で)どんどん変わっていく。
モルモットのアルジャーノンと違い、最初はあまり変化がない。計算がものすごく速くなったり、ヘタクソだった野球で逆転ホームランを打ったり、そういう反射的な能力で周囲を驚かせるくらい。

次の週には、性的に子供から大人へ成長し、アダムとイブのごとく「恥ずかしさ」を覚える。研究員の栗山千明を「はるかは、ボクの一番大好きな女の子です」と言うくらい。博士ははるかに「研究のため恋人のふりをしろ」と言われるが、彼女には出来ない。その時博士がはるかにキスしたシーンを見てしまった咲人が「はかせ、ダメ、悪い」と泣き、「はるかとキスがしたい」と言うまでになる。

その次の週には、一人で自分を捨てた母親(精神不安定だった)に会いに行く。頭がよくなったから喜んでもらえるかと思いきや、母親はひどく脅えて激しく拒否した。
咲人は傷つき、恋愛や友情の欺瞞を理屈で暴き出し、みんなの気持ちを苛立たせるようになる。他人とのくだらない交際を拒み、知識に飢えて勉強に没頭する。「お前、一体誰なんだ」と一番心配してくれた友人に言われる。

山Pの演技は微妙なところだけど、頭がよくなる前はかわいかった。友人役の窪田正孝と工藤阿須加がとても良くて、彼ら三人のシーンにジワッとする。

往年のドラマを見ているような気分は抜けませんが・・・なんか引き込まれる。ストーリーがきちんとあって見てれば引っ張ってってくれる。ドラマらしくバランスがとれてる。原作はおぼろな知識しかないので、この物語が終わる時、天才咲人がどんなところまで行ってしまうのか、ちょっと残酷な興味を持って見つめています。

【心がポキッとね】

『心がポキッとね』
は平均で7%台まで落ちたけど、今季の中では面白く見ている。
水原希子と山口智子を悪く言う感想をよく見かける。けど本作で一番見ていて気持ちいいのもこの二人では?
水原希子の超ミニスカから繰り出される美脚強烈キック。また「崖っぷち自己実現女」山口智子のドロドロドロドロハイスピードで垂れ流されるトーク。どちらも出し惜しみなし。イタさを通り越して快感になるんだけど・・・。
最新回では、ラスト、阿部サダがボロボロになって希子とたどり着いた「家」で藤木と山口がすごく楽しそうに「おかえり」してくれて、阿部サダが泣く。その顔がたまらなかった。

四人の微妙な状況がうまく描かれていて面白いんだけど、いろいろとイマイチな上、既視感が強い。
近くでは『最高の離婚』の劣化版パロディみたいな気もする。こじらせ男女四人ストーリー・・・。
今季はオリジナル脚本自体も少なめで面白いのが少ない。岡田恵和のこれしか見てない。
前クールはオリジナルの成功作が多かったんだけど・・・たまたま?

『花燃ゆ』が歴代最低大河の道をひた走る?

May 20 [Wed], 2015, 23:54
今年の大河ドラマ、『花燃ゆ』。
なにかと不評で、視聴率もついに9.4%まで下がってしまいました。
井上真央さんがノイローゼになったり謝ったりする必要は全くないです。
テレビ視聴がどんどん下がっているし、録画率が増えているのだから、通常状態でも前年よりちょっとずつ下がるのが当たり前。

しかし、作品内容、また大河ドラマの構造的な問題には、ちょっと言いたいことがあるので、書きます。

私は、「会津びいき・長州嫌い」の風土で育ったためか(長州嫌いと言う意識はないのだが)、長州藩や松陰についてちゃんと知ろうとしたことがない。
だから「この機会に一年間長州の歴史をたどろう」となどと殊勝に考え、なるべく・・・・観てきたのである。

でも、残念疑問な点が多すぎる。
ひとつは、「女性の描き方」。
もうひとつは、「幕末長州の描き方」。
・・・・あ・・・ほとんど全部か。

【なんとなく・・・の保守反動女性像】

ヒロイン大河は珍しくないが、『八重』『篤姫』に比べても明らかにつまらない。
笑顔でおにぎりを作るのが悪いとは言いたくないが、鉄砲で薩長軍と実際の戦った八重とは違いすぎる。

特に先週19回の『女たち、手を組む』は、タイトルからして悪い予感。見ながら本気でリタイアせねばならない気分になってきた。
おにぎり握って、庭で野菜作って、男の「いざ」と言うときのために苦しい家計の中から「へそくり」をして・・・。戦時中なら、モンペ履いて竹やり訓練して千人針縫って鍋釜供出すぞこいつら・・・という感じ。それだけならまだしも、そういう女性たちを賛美するぞこの脚本家なら・・・・。

また20回『松陰、復活』も結局は見てしまったが、文の次のセリフにぶっ飛んだ。
「(美しいおなごや○○のあるおなごはたくさんいるけど)久坂の妻、高杉の妻は一人しかいない。(その二人が手を組めば最強だ)」とかなんとか・・・・(うろ覚え)。

「女の価値は(美貌や個人の実力ではなく)夫によって決まる」(!!)ってこと言いましたよね?
おまけに、その久坂は京では芸妓(鈴木杏)に気に入られ、いい男(尊攘派の?)に協力するのが女の甲斐性(うろ覚え)とか言ってもらってる。どこまでも女は男を立ててなんぼ。

まあ、久坂が死んで小田村伊之助と再婚するまでにもう一つ女の人生の山場がありそうだけど、そこまで視聴者がついていくかな?

『八重』では川崎尚之助様が、結婚後良き妻になろうと鉄砲に触れなかった八重を叱ったじゃないですか。
「私は鉄砲を撃つおなごを娶った。あなたはあなたであればよい!」(激萌だったなぁ・・)
2013年、「大河ドラマが現代に追いついた!(いや、追い抜いたかも)」私に思わせたのに・・・。

いや、もちろんその時代はそうだったのかもしれないけれど、大河ドラマだって「現代人に見せるために、現代人が作った、過去に取材したドラマ」だ。
もちろんリアリズムに徹するなり、ある女性像を現代女性へのアンチテーゼとしてドンと押し出すならアリだけど、それほどの気概もなくペロッと書いちゃってる感じだから嫌なんです。

なんで今の時代に「女は男の銃後でサポート」みたいなドラマが作られたのか、意図的な保守反動だとしても非常に疑問。本気でやるならワキの甘さをなんとかしてくだされ。

あれかな、朝ドラの『ごちそうさん』が、「家族のために料理を作るのが何より楽しい女」をヒロインにしたでしょ。「スワ保守反動ドラマか?」と思ったんだけど非常によくできてた。ヒロインはとても魅力的だったけど、その女友だちに「彼女はからっぽなんだよ」ってセリフがあったことに感心した。(批判的にではなく、愛をこめてのセリフだった)
その細かいでティールを見ずに、単に『ごちそうさん』の成功を見て「そういう女(滅私献身する妻)って意外と新鮮なのかも」って『花燃ゆ』脚本家は単純に思っちゃったのかなあ。
『八重の桜』『アナと雪の女王』『マレフィセント』で湧いたここ数年の女性をめぐる激変ぶりを鈍感に無視してしまった『花燃ゆ』。

聞けば、女性三人の脚本家が交代で書いてるからキャラクターやストーリーが一貫しないことが多いのだとか。
えっ・・・・?そんなもん?

「三人で書けばバラバラ」と言うのがむしろ変。
同性三人、お互い相手の脚本を厳しくチェックして、よりいいドラマにするようディスカッションするように思うんだけど・・・違うの?
「この女のセリフ変だろ!」「女はこうじゃない!」「こんなオトコには絶対惚れない!」とか三人で叩き合ったら面白いと思うけど、そういう仲になれない脚本家なら・・・・・・一人の方がマシですなあ。

【松陰先生がキリストになる?】

伊勢谷松陰が登場してた頃は、まだもう少し支持があったような気もする。
元々の松陰イメージとは違ってたけど、こういう松陰もアリ、と思わされたから。

松下村塾のキャストは悪くはない。特に劇団ひとり(伊藤博文)の何かしでかしそうな目が気に入ってる。東出はうまくなくてもいい男で大器感あり。実力派高良健吾が意外とハマらないなぁ・・・早くザンギリになってしまえ。

さて、内容的にはそろそろ面白い時代に入ってくるのだけれど、話はあまり面白くならない。
桜田門外はせっかくの高橋英樹井伊なのに一瞬だったし、坂本龍馬や西郷隆盛の登場(道端での立ち話程度)も、残った期待を萎ませるのに十分だった。さらに徳川慶喜と島津久光にどぶろっくの二人を起用するなど、(どぶろっくは好きだけど)どうも期待できそうな感じがしない。

子供のいないこどもの日の、激安バスツアー

May 07 [Thu], 2015, 6:55
【子供のいないこどもの日】

GWがようやく終わってホッとしている頃でしょうか。

気がつけば、我が家から子ら(とはいっても二十歳過ぎだが)が居なくなって二か月ちょっと。

寂しいこともあるけれど、空の巣症候群、というわけでもない。
入れ替わるように単身赴任から帰ってきた夫との二人暮らしに今だ馴染めないというか、こんなに鬱陶しかったのか、こんなにいちいち摩擦を感じて今後やっていけるのかと毎日のように思う(お互いかな?)。
今後二人暮らしが続くわけだから、お互い態度を考え直して、できることならチリチリせずに空気のように楽に暮らしたいものだ。

・・・・しかしこの辺の愚痴はすべて「ぜいたくな悩み」に分類されてしまうので、波瀾万丈な友人たち(みんななんであんなに下手なドラマより凄まじい人生を送っているのか不思議になるくらい)、の間では綺麗にスルーされてしまう。

「好きで一緒になったんだから、最初の恋愛時代を思い出せば仲良くやれるよ!」とは言われるけど、それははるか昔の20代前半(出会った時の夫は10代)。ここまで二人で向き合う生活なんてなかったんで・・・。

【子供のいないある夫婦の知恵】

友人のうち、結局子供ができなかった奥さんが、二人仲良く暮らすコツを教えてくれた。

○まずテレビは二台が大原則。
○子供が出て部屋が空いてるなら是非寝室は別に。
ああ、なるほど(ストン)。

ちなみにこの奥さんは二人きりで長年やってきた努力が実績を結びとても旦那さんと仲良し。
連休の一週間くらいなら、二人っきりで家の中にいて平気なのだそうだ。

!!!!!ものすごく驚いた!!!!!
私は一日でウンザリして用事を作って出かけてしまうに違いない。

この夫婦は特に何をするわけでもなく、てんでに本を読んだりテレビを見たり、一緒にご飯を食べたりお茶を飲んだりして、用事がなければ外にも出ずに一緒に空気を吸っているんだそうだ(!!!!!)

その上、「二人とも早く定年になってずっとこんな日が続くといいね」(?!?!?!?!)とか言いあってるのだそうだ。(!!!!!←だんだんしつこい)
こちらは「このままでは定年後は耐え切れずに絶対離婚したくなるのではないか」と真面目に心配しているのに・・・。

ちなみに、その少し前までの「娘との二人暮らし」は理想的に快適だったなあ。同性と暮らすのっていいなぁ(まあ、娘だからかも知れないけど)。
しかしその「理想の二人暮らし」から一年足らずの時期に、娘が早々に家を出ていってしまたことを思うと、もしかしたら彼女には理想的どころか、近頃問題になっている「母が重くてたまらない」だったのかもしれない。

やはり周囲に迷惑やら心配やらをかけないためにも、夫婦でやっていく努力をしてみよう。
・・・と言うあたりに落ち着く。
ほんの1年ちょっと前までは子供のことで深刻に悩み、このままでは長期間ひきこもり(パラサイトシングル)の道をひた走るのではないかと思っていたことを思い出す。それが一応家に出たのだから大きな悩みがほとんど解決したようなものなのだから、有難いことだ。夫との暮らしに文句を言うのは罰当たりなのだ。

・・・というあたりで、改善の努力をすべきは自分である、と自ら自分に説いている毎日なのだが(自ら臭いものに蓋をした部分を感じるが)、現実的に自立するほどの経済力がなく。激貧孤独老女になる勇気もない状態では仕方がない。

表現者の自立(とはこういうことか?)

May 01 [Fri], 2015, 7:59
「私の子供=舞踊団」ソロシリーズ『イマダンス』(第三回)

先日凄い舞台を見た。
観ている最中から興奮状態になり、その後数日間興奮が抜けなかったくらい。

「すごいものを見た」と心から思うことは、そんなにはない。
羽生結弦君のとんでもない演技に衝撃を受けて以来じゃないかなあ(2013年12月の、結果的に歴代最高の99.84点を出したあの『パリの散歩道』だ)・・・。
と言ってもスケートやスポーツの話ではなく、舞台(ダンス)での話。

2年ほど前、とある舞踊団体を知ることとなった。
世界的なダンサー田中泯(今や朝ドラ『まれ』やソフトバンクのCMにも登場し、お茶の間にも知られるようになった)と、埼玉県富士見市の市民文化会館「キラリふじみ」が立ち上げた公募舞踊団である。
(余談だが、昨年『奴婢訓』『カルメギ』で多田淳之介にドッとハマったのは、彼がキラリふじみの芸術監督だったからという流れである)。

正式名称は『私の子供=舞踊団』という。
活動歴は三年余りくらいか。(だから全部観ているわけではない)
全体での本公演のほかに『イマダンス』という名のソロシリーズをやっている。
20人前後くらいの団員の中から選抜された6名が、ソロで踊るのだ。

この第一回(2014年3月)を見た時の驚きは、こちらに書いた。
『表現とはこういうことだ(と思った)』http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1314
という、我ながらふるったタイトル。でも本心なのだ。
驚異的にうまいとかレベルが高いとかそういう部分での感動ではない。
もっと本質的な驚き。
彼らの舞台が私に、長いことさっぱりわからなかった「表現」を理解するきっかけを与えてくれた(ように感じさせてくれた)。

二度目は昨秋9月。
これは二晩全部観て、興に乗って6つの演目に小題をつけてしまったくらい面白かった。記事を書いてないのは、某所で感想を喋り散らしてその辺で満足してしまったためであろう。(ちょっともったいない)

そう、『イマダンス』は面白いのだ。
舞踏、舞踊、ダンス、パフォーマンス、私には厳密な定義はわからないが、この舞台を通じて初めて「おもしろさ」を感じられるようになった。
思うに、「おもしろい」と感じられる最大の仕掛けは、演目が3つあることなのだと思う。観ながら比べるうちに「なんかわかった気になる」のだ。(ここでも差別は認識の基盤なのだ)

「この劇団(舞踊団)の先はどうなるんだろう?」とずっと注目していた。
表現が純粋すぎるがゆえに、長く継続していくことがイメージできないから。
実際、この春に解散するという噂も聞いていた。
しかしめでたく、三回目を迎えた。見逃したくなかった。

場所はいつもと同じ、丸の内線中野富士見町駅から少し歩く地下空間「plan-B」。
満席でも30人くらいしか入らない、床部分まで詰め込んで50人入るかどうか。
田中泯やその弟子である石原淋の舞踊も良く行われている場所だ。
2日間で6人。例によってそれぞれのダンスは一回きり。
一夜目は仕事で行けず、二夜目(4月26日)のみの観劇となった。

二夜目に個人的に注目する演者が多かったのだ。
1人目の男性(SGさん)と2人目の女性(Aさん)は、ソロに毎回登場している方。いわばエース級である。第1回と同じ順番で登場した。
3人目(SOさん)は、2度目のイマダンスから登場した男性。
非常に面白かった。いろいろな意味で。

【1】 「どこにもいけない」閉塞感

一人目のダンサーSGは、第一回で非常に共感を感じた方である。
表現力のある演者だと思う。思い起こせば私が「表現」について考える糸口をつかんだように思ったのは、この人の演技だった。

今回驚いたのは、第1回とほとんど同じシュチュエーションだったことだ。同じジーンズっぽい作業着の上下。機械音のようなものが鳴り続けているのも一緒だ。
彼は舞台の上でおびえ、立ち竦み、行き場を失い、外界との強い疎外感を感じさせる。
彫りの深い顔立ちがくっきりした照明に照らされると、どこか西欧絵画のキリストを思わせる。その動きは畸形的でありながら真摯であり、緊張感を保っている。感情が途切れないのもいい。

もちろん、同じシュチュエーションをあえて選ぶというのは、いろんな点で変えているのだろうし、不満点を克服して完成に近づけられたのだと思う。
しかし・・・どこが第1回目と明らかに違うのか、残念ながら私にははっきりとわからなかった。

見ながらじわじわと閉塞感に襲われた。「このままではどこにもいけない」という思いが強まってきた。
それは当然、舞台上のこの男がどこにも行けないということ(多分このダンスのテーマかも)なのだろう。
けれど、やがてこの舞踊団全体にも通じるような気がしてきた。

(以下個人的妄説)
plan-Bの地下空間は非常に魅力的なのだが、この舞踊団の演者が踊る場合(その他は一度しか観てないので御免)、往々にして三方の壁は「ぶち当たる壁」として「似たような使われ方」をされやすい。これは毎回感じていた。壁にぶち当たり、床に自らの身体を激しく投げつけ、苦しんだりのたうち回ったりする。
ワークショップ形式がベースにあるせいかもしれない(勝手な推測です。違っていたらごめんなさい)。

舞台は、牢獄であれ胎内であれ、彼らの演技を大きく外から包んでいる。
そこに音楽(効果音)が入り、照明が強くついたり消えたりすると、音楽や照明への反応としての動き(演技・ダンス)になっているように見えてくる。
不安を呼び起こす機械音には疎外を感じておびえ、それがピアノの音に変わると何かしら新しい局面に入ったように見えるし、最後はピアノのカルメンで、ややハイになったように見える。
いや!実はそうではないらしい。演者の動きが先にあり、音楽はあとづけということだった。
しかし、見ている私には、音楽や照明に割合真っ正直にリアクションしているように感じられた。

かつて聞いたことを思い返すと、このソロに選ばれた者は、はじめなんのサジェスチョンもないまま「動いてみろ」と言われるらしい(今は違うかもしれないが)。
例えば誰でも・・・私でも、いきなりこの空間に立たされて、観客が見ている設定で動いてみろ、と言われたら・・・・。限定的な少ない情報に反応して生まれる自分の感情に合わせて動くしかないのでは。
暗い。恐怖。疎外感。閉塞感。それでもとにかく動いてみる。
立つ。歩き出す。飛び上がる。うずくまる。
外から限定するplan-Bの壁に必ずぶつかる。床に体を投げつける。這う。

それは自分の身体を、自分を取り巻く世界を、初めから一つ一つ認識していくような作業に思える。ワークショップとして、人生を別な視点で見直すほど新鮮な体験だと思う。
観るだけの我々にとっても、実際感動的な体験だったのだ。(誰がやっても他人に感動を与えるとは限らないが)。

(本公演で初めて見た『赤面歩行』という演目もそうだった。これはざっくり言えば「一本の細い通路を一人一人端から端まで歩く」というのが中心。「歩く」ということがいかに難しいか、人によってこれだけ違うのか、観ていて非常に面白かったし、感じいった。)

しかし何度も観れば、また何人分も観れば、だんだん似たり寄ったりに見えてくるのではあるまいか。
乱暴な決めつけだが、強い光が当たれば驚いてそちらを見て、光が消えればおびえたりうずくまったりする。音楽が明るくなれば、足取りや表情も明るくなる。その反応を避けようとすれば、嘘が混ざる。

むろんSGは非常に表現力のあるダンサーであり、そんなリアクションワークばかりに見えるということはけしてない。初見なら第1回目と同様に感動したのかも。ただし2度同じようなものを観れば、技術が3割上がったとしても受ける感動は7割削がれる。これは仕方のないことだ。(羽生君の『パリの散歩道』だってそうなんだから・・・)

この劇団の試みの限界なのか、またはこの場所でこの形でやることの限界なのかはわからない。しかしずっとこの劇団を興味を持って見続けてきた者としては、正直なところ少し寂しい気がした。

【2】 ついに現れた!化けた!

そんな閉塞的な思いを遠くに吹き飛ばしてくれたのは、二人目に登場した女性ダンサー(Aさん)である。これまで三回ともソロを踊っている力のある女性演者だ。
彼女は経験者であり、技術も表現力も高くこの劇団内では中心となる存在だ。また姿かたちや動きの美しさで観る者を魅了していた。

ん・・・?
しかし、今回は登場時から、これまでと全然違っていた。

(注意:私の書くことはすべて個人的な感想にすぎないので、実際の作品や演じる本人の意識とは多分大きなズレがあります。単純な見間違い、勘違い、記憶違いもあります。解釈はさらに自分勝手な妄想です。感動を何度も思い返すたびに実際のダンスの記憶は変形し、変形した頭の中の彼女のダンスに勝手に思い浮かんだ意味づけすらしてしまう、自分中心で自己満足的な行為です。観たものに対して湧き上がった自分の思いを正直に書こうとするのが精一杯で、作品自体を誠実に書きだすことは私には難しい。その辺はご容赦ください)

客席側の扉からとぼとぼと登場した時、彼女はサザエさんのような団子を乗っけたようなヘアスタイルだった。思わず笑いそうになった。黒いTシャツと半端な丈の黒いスカート。ケバの浮いたような薄い茶色のカーディガンを羽織っている。
前かがみでよろけるように歩き、スカートから突き出た足は鶏のように細い。
あ、これは老婆だ・・・。
かなり畸形的で、また認知症が進んでいるようにも見える。

彼女は細い指先で何か糸のようなものを引っ張り、目でそれを追う。縁側で縫物をしている昔の母親のようである。(パントマイムで縫物を表現しているわけではない。観る者によっていろんな風に見えるのだと思う)しかしうまくいかない。彼女は孤独で、何かを諦め、嘆いているようだ。
ああ、昔の日本の女性だ。
家に縛られ、家族に尽くしてきて、そしてなぜか今ひとりぼっちで静かに狂いつつある老婆。
その時床に当たった照明が、四角くて暖かかったのも、どこか日向の縁側の障子を思わせた。

彼女の背は前に大きく屈曲し、肩に大きなこぶのようなものがのしかかっている。(しかし、詰め物をしているわけでもないようだ。)
この姿勢を保つのは大変なことだろう。体型を畸形(せ○し)のように見えるほど変形させるとは、どれだけ身体が柔らかいのだろうか。
時に素早く動くこともあるが、つまずいてよろめいたり、危なっかしい。

中盤になると床に転がり、身体全体が人間の通常の形を離れ、もっと不思議な形になっていく場面もあった。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • ニックネーム:きのこ
読者になる
最新コメント
きのこ
» 四月期ドラマも絶不調? (2015年06月14日)
nemo
» 四月期ドラマも絶不調? (2015年06月13日)
きのこ
» 四月期ドラマも絶不調? (2015年05月24日)
きのこ
» 『花燃ゆ』が歴代最低大河の道をひた走る? (2015年05月24日)
きのこ
» 『花燃ゆ』が歴代最低大河の道をひた走る? (2015年05月24日)
きのこ
» 『花燃ゆ』が歴代最低大河の道をひた走る? (2015年05月24日)
nemo
» 四月期ドラマも絶不調? (2015年05月23日)
きのこ
» 子供のいないこどもの日の、激安バスツアー (2015年05月22日)
きのこ
» 子供のいないこどもの日の、激安バスツアー (2015年05月17日)
バナー(持ち帰りOK!)
陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜
陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜
2015年06月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
P R
旧館
としずきん妄想:「新選組!」再鑑賞日記
月別アーカイブ
ブログポリシー
コメント・リンク・トラックバック大歓迎です。過去記事へのコメントにも喜んで飛んでいきます。スパムに関しては予告なく削除させていただくことがありますのでご了解ください。
トピック別索引
居眠り磐音
サルとバイオ
聖書・宗教
岸田秀関連
帰ってきた時効警察
風林火山
華麗なる一族
ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
ダイエットスルルティー
期間限定特別キャンペーン中!
お友だちのお店です
サンウィッチハウス チーズアンドオリーブ