ひどいよ恒ちゃん・・・『信長協奏曲』(10)

December 16 [Tue], 2014, 6:18

GPスペイン大会での羽生君の完全復活、鮮やかでしたね。あの美しすぎるジャンプやスピン、彼にしては珍しいはじけるような笑顔とガッツポーズ。すっかり魅せられたし、安心しました。

一方、大会直前の数々の発言。「僕は課題大好き、試練大好きなんですよ」という言葉に、感じ入りました。
「ギリギリでGPの最下位に滑り込んだチャレンジャーとして」試合に臨む、という言葉も、とても楽しげに聞こえました。
彼が言うと、全く強がりな要素は感じられず、正直そのまま。そういえば少年漫画、スポ根のひとだとかも言ってましたね。

なるほど若くして誰にも来れない高みに一度到達してしまった、天才とはそういうものなのか・・・・。「課題や試練を一つ一つ乗り越えて上にあがっていく時」の充実や楽しさが好きだったのに、気がつけばみんなライバルが足元に居る。
今回の試練は非常に短い期間で克服できてしまったけれど、今後の羽生君はどこへ向かうのか。楽しみにしたいです。

失敗ジャンプを繰り返した町田君のドラマにも心惹かれました。フェルナンデスの演技、楽しくてキレがあって、純粋に好き。
16歳でジュニア優勝を遂げた宇野昌磨君、出場しなかったけれど、大阪大会で驚きの優勝を果たした村上大介君にも注目。羽生君のハートに火をつけて欲しいな。

◆◆◆

と、書きつけておきたかったスケートの話は前ふりで・・・。
総選挙の話は例によって飛ばして・・・・。

今回(第十回)の『信長協奏曲』がショックで、番組終了後何もできずにふて寝してしまいました。

この楽しいファンタジーでポップだった月9時代ドラマに、こんなつらい状況が訪れるとは・・・・。

あ、ちゃんとした感想は書けないんです。見返す気力もまだでない。
今のショック状況だけ書きつけておきたくて。

駆け足連ドラ最終コーナー(2013年10月期)+『信コン』ネタ

December 12 [Fri], 2014, 9:53
書きたいことはたまるけど書く時間がないので、ごちゃごちゃまとめます。

【『すべてはFになる』に耕史君】

『すべてはFになる』、第三エピ(5,6回)第四エピ(7,8回)になったら、安定して面白くなってきた。原作でも真賀田博士の登場する『すべてはFになる』と、『数奇にして模型』というメインどころ。

で、第四エピのメインゲスト出演者が耕史君でしたね。最近ドラマ出演が減ってたので、もはや懐かし感すらあった!
30代後半になっても、耕史君はクリンとしたお目目も、つまんだような鼻も唇も可愛くて、オデコは半開で割といい感じ。やっぱり足が長いですねぇ〜〜。
役柄は、モデラーと聞いて思い浮かべるようなタイプじゃないんだけど、今ならあんなモデラーも居そう。

なんといっても、綾野剛との演技対決が楽しみだったんですが・・・。
耕史君は、想像の殺人の部分(紐で恋人の首を絞めるところ)から歯を剥き出して熱演(しすぎ)。貼りついた笑顔を浮かべ、美学論を犀川先生(綾野)にさえぎられるところなど、対決と言うより綾野君を立てる役割に徹してたように見えます。その綾野君もこのドラマでは彼にしては役作りが苦しいようで無表情先行。あまり「対決」感はなかったです。
犀川が萌絵(武井咲)の身代わりを買って出るところすらイマイチ胸キュンできなかった。

耕史君より印象に強いゲスト出演者が二人。
○小松和重さんが演じた犀川先生の元同級生オカマ、大御防安朋さんがキュートすぎ!!美人でなくても、あんなにカワイくてリアルなオカマさんになれるなんて、小松さんなんでもできるんだ。小澤征悦とのコンビもグーッ。

○そして、中島歩演じた狂気の芸術家が強烈過ぎた!なんなんだこいつ・・・と思ったら、『花子とアン』の仲間由紀恵の駆け落ち相手でした。あの時は若干浮いてた感じがしたんですが、今回は楽しそうに異常嗜好を演じてたような・・・。なんでも美輪明宏に見出された新人らしい。上手いとかじゃないけれど、この独特さは、若手俳優の中で特殊な存在感になるかも・・・。
この人が耕史君に向かって「気づいてましたよ。僕の身体(の形)が欲しいんでしょう?」なんて言うエロいシーンはゾクゾクしました。

気になったのは、この手のイベントにしては来場者が少なすぎ。人気のない大学の学園祭並み。話は面白いのに作りがところどころ雑なのが惜しい。

【『ごめんね青春!』ラス前盛り上がる】

低視聴率なれど、気分的には安定しきっていた『ごめんね青春!』。
みしまるくん、みしまるこちゃん、三島コロッケパンなどの既存(だと思ってたがそうかしら?)の地元グッズに加え、ドラマ内のラジオ番組のキャラ、「ごめんねウナギ」グッズも大展開。販売も始まってるけどドラマ内でも出演者がみんなグッズを持ってる!!
地元のラジオ番組を多くの地元民が聞いてて、そこで告白やら懺悔やらしまくっちゃってるのが面白すぎ。生瀬さんも心から楽しくDJと校長をやってます。

今回は、平助の父原平太と死んだ母親とのラブストーリーが、泣けた。と言うより、こっちが泣く前に風間杜夫さんがあんなにマジ泣きしてる!!私も「面白かった」って言って死にたい。
それでもってかれているうちに、屋上ではいよいよたれかっぱ(錦戸くん)が、蜂谷先生(満島ひかり)に罪の告白と愛の告白をしてしまう。いつも割とダラダラ見てる(ゴメン、子供たちのところは時々退屈なので)んだけど、一瞬も目が離せなかった。

ところでこのドラマ、ふと思うととことん後ろ向き。過去に縛られまくって生きてる人々なんですね。「前を向け」と言われまくっているような世の中で、存分に後ろを向かせてくれる。過去の罪、死んだ人との思い出とか、クドカンは大事にしてるみたい。いろんな人が生き返ったり魂が顕在化しているお話(『ごめんね』『11人もいる!』など)も多いです。

最終回は選挙のため、一週間遅れの21日。あらら。

【素敵な選タクシー】

このドラマ、一回見て面白かったから続けて見ようと思ったのに、結局録画し忘れてボチボチ観てる感じ。全部観ればよかったよ〜。
今回の高橋務と梶原善ゲストのやつも面白かった。結局タイムスリップしないのも、見えてたけどそれが楽しかった。三人の男達に芽生える、利害とは別に生じる友情にも似た連帯感。それを裏切るのは・・・。
バカリズム、今後脚本家としてもっと活躍するかも。ていうか『選タクシー』もシリーズ化できそう。
(誰でもいうことですが)竹野内豊の声はいいですねぇ・・・・。あの、真っ青なタクシーの衣装でへっぴり腰で構えてても、なんだかサマになってしまう。本人が楽しんでやってるのがとてもいい。

【Nのために】

こちらも終盤。昔の事件も含めて、着地点がピタッと決まるといいなあ。
「野バラ荘」での青春模様がツボに入って、一時夢中で褒めまくったけれど、野口夫妻の話になってから、今ひとつ乗れない。DV亭主はなあ。
小説家志望の西崎さんは、愛と依存的な癒着と同情との峻別ができてるはずなのに、奈央子への思いはその辺が納得いかない。傷跡を見て衝撃を受け、命がけで救いたい、と思うのはわかる。けど、それが即肉体関係になるかなぁ・・・。プラトニックであって欲しかったのは、小出西崎ファンだからだけじゃないよ。

【見なくなったモノ】

『ファースト・クラス』、面白がって見てたんだけれど、やはり内容があまりにもくだらなくて耐え難くなってきた。沢尻と若手男性キャストの演技もあまりにもヒドい。女優陣の維持の張合いはみんな面白いんだけど、もういいや。
好評の『今日会社休みます』も『ディア・シスター』も次々脱落。ツボを押さえてよくできてるとは思うものの、女子ドラマがあまり面白く感じられないのは、私がオバサンだから・・?
『ぬ〜べ〜』は見れば「丸山君かわいいなぁ〜〜」と思うんだけど、実際はあまり見てないのは時間帯のせい。

【やっぱり見てるモノ】

好評と言えば、『ドクターX』が全話20%越えの完全一人横綱状態。
プロ意識に徹したドラマ作り。タラタラ見てもじっくり見ても面白い。
『相棒』は最初見て「今日はスルー」となることもあるんだけど、ドクターの方は権力争いの動向も面白いからついつい見ちゃう。
もちろん米倉涼子と、岸部一徳以下ピッタリはまったキャスト陣(特にエンケン、勝村、鈴木浩介らが楽しい)もいいけれど、脚本がいいんですよねえ。あえて大時代的な音楽もナレーションも、ワクワクする。
最終エピは晶さん(岸部一徳)の難しい手術を未知子が請け負う話。盛り上げてくるなあ!

『軍師官兵衛』、竹中秀吉が死んだ後はつまらないかと思ったら、岡田官兵衛が天下を狙う展開になってなかなか面白い。老官兵衛、太兵衛(速水もこみち)、善助(濱田岳)、九郎右衛門(高橋一生)とのチーム男子っぷりに、腐女子ざっくり取り込みのドラマだったのかな?(今頃言うか)九郎右衛門の戦場シーンとか、ちょっとやられました。
今年早々にリタイアしかかった大河にしては復活した・・・。ピュアで青臭い時代より、黒官兵衛が入るようになってからが良かった。
あれ?これも選挙のため一週休み?

【『信長協奏曲』8,9話 もりりん・みっちー】

さて、『信コン』。

『カルメギ』観劇。(ますます多田淳にハマりそう)

December 07 [Sun], 2014, 10:34
Doosan Art Center+東京デスロック+第12言語演劇スタジオ『가모메 カルメギ』


『奴婢訓』以来、多田淳之介の紡ぐ重層的でトリッキーな「世界の見せ方」がどうにも気になって、神奈川芸術劇場に『カルメギ』を観に行った。

今回も重層的だ。
チェーホフの『かもめ』を、韓国人脚本家が舞台を1930年代の朝鮮の農村を舞台に置き換え、それを演出家多田淳之介が韓日の役者を使って演出した。
〔(宮沢賢治+スウィフト)×寺山修司〕×多田淳=『奴婢訓』
チェーホフ×ソン・ギウン×多田淳=『カルメギ』・・・?
いやいや、やっぱりうまく説明できないので、KAATのページから抜粋します。

【カルメギとは】

>韓国で最も歴史と権威のある東亜演劇賞にて三冠(作品賞・演出賞・視聴覚デザイン賞)を受賞し、外国人演出家として初の正賞受賞となった2013年韓国演劇界の話題作『가모메 カルメギ』がついに日本初上演。
【原作】
アントン・チェーホフ「かもめ」
【脚本・演出協力】
ソン・ギウン
【演出】
多田淳之介
【出演】
夏目慎也、佐藤誠 、佐山和泉 、間野律子
ソン・ヨジン 、イ・ユンジェ 、クォン・テッキ、 オ・ミンジョン、 マ・ドゥヨン、 チョン・スジ 、チェ・ソヨン、イ・ガンウク
(と写しても、『奴婢訓』に出ていたオッペル(夏目)とよだか(佐山)さん以外初見です・・・)
【作品紹介】
気鋭の韓国人作・演出家ソン・ギウンがアントン・チェーホフの名作「かもめ」を1930年代の日帝朝鮮に翻案。帝政から革命への過渡期にあった19世紀末 のロシアを描いた「かもめ」。1930年代の朝鮮というしばしば政治的な議論となる、そして人々の心の内にも様々な記憶を呼び起こす繊細な時代を日韓の演劇人が手がけ、ソウル初演は大きな注目を集めた。戯曲の古典ともいえるチェーホフを用いながら、多田演出らしいサブカルチャーの転用や現代の社会情勢の引用が、作品に複数の解釈への視座を与える本作。(中略)
韓日・日韓の歴史、現在、未来から、私と他という人間の根源を描いた全ての現代人に捧げる世界演劇にどうぞご期待ください。

ワクワクしますね〜〜。
やっぱり、もう一つの観劇動機は近頃日本で強まっている嫌韓感情。
このネトウヨ的ヘイト意見に接するたびに、非常に不快で不安で不吉な気分になるので、そのモヤモヤを少しでも晴らす糸口が見つかれば・・・。

パンフレットを見ると
>今回ばかりは俳優たちとも歴史の話をたくさんしました。去年も今年もしました。そして、いまだにお互いを理解しあうということはありません。しかし、人間同士の関係はお互いの違いを認めることからしか始まりません。(多田)

素晴らしい試みだなぁと思う。
と同時にこういう「ごく普通のこと」が、特別な勇気がないとできないような今の韓日関係(=日韓関係。自分としてはどちらでも一緒なのだが、それを言い訳せねばいけないような関係のことだ)を思ってやりきれなくなる。

ちなみに、『カルメギ』とはチェーホフ原題『かもめ』の直訳。
無知ゆえ、「カルメギ」でまず検索したが、上位はほとんど韓国焼き肉店がヒットした。「カモメの肉を出すの?」と驚いたら、肉店では豚肉の一部位のことを言うらしい。形がカモメに似てるんだそうで・・・。

【舞台が始まる前から、たまらなくそそられる】

とても面白かった。
それは間違いない。許されるならもう一度見に行きたかった。

ただ、この舞台の感想を書くのはやや難しく感じる。
まあ、正直に感じたことを書くしかないか。

観たのは、初日だった。
ヨコハマクリスマス気分もおまけ。ランドマークタワーに上って夕暮れから夜景に移る横浜の風景を眺め、そこからイルミネーションを楽しみながら遊園地を抜け、赤レンガ、山下公園と海辺のナイトウォークで神奈川芸術劇場(KAAT)へ。

KAATは三回くらい来たけれど、中スタジオは初めて。
中に入ると、舞台は細長い「中洲」状で、その両側に客席が3〜4列ほど並んでいる。客はどちら側の席で観るべきか一瞬迷うが、なんとなく流れで入って右側に行き、前から二番目の真ん中という最高の席。
後で逆側の端っこの一番上で観た人に聞くと、「自分の席が一番よかった」と感じていたそうで、それは私も同感だった。
急こう配なので、どの席からでもよく舞台が見える。前ももちろんいいが、後方(上)も、字幕との視差が小さく、全体が見られていいかも。

『奴婢訓』の時も思ったけれど、すべての観客にとってベストな観劇の位置を考え、その外側には席を置かない(ロープで区切ったりしているなど)ように配慮している感じがする。今回は観客参加スタイルではなかったけれど、「舞台と同一の場所に居る感じ」が強い。
「入場者1人=○万円」と考え、大きな舞台に三階席の端っこまで客を詰め込む今の人気演劇状況(もはや「客畜」だ)を考えると大きな違い。
大舞台に反発するとアンダーグラウンド的空間を求めがちなのだが、多田さんは設備の整った新しい公共の建物(どこでもいいわけではなく、きちんと演劇に適した空間を追求した施設)も堂々と活用している。(「デスロック」なのにさ!)カッコいいなぁ!

細長い舞台の上は、チラシで見た以上に、非常に乱雑。
新聞、雑誌、日用品、家具などで足の踏み場もないような状態。そして、家具類・・・中央の大きな洋服ダンスは、あとあと重要な「ルート」になるのだが、斜めに土(砂?)の中に埋まっている。いすや机も、多くのものはやはり土に半分埋まっている。そして、漁業で使うようなロープや、網カゴも散乱している。

たいていの日本の観客は、一目で想起するだろう。
この光景は、東日本大震災で津波にさらわれた町の残骸ではないかと。
昨年韓国で上演された舞台写真には、津波の跡っぽさ(漁労道具など)はあまりなかったよう見える。日本バージョン?

または持ち主に去られて荒れ果てた、「部屋」の廃墟のようにも見える。下手奥(こちらから)にある主人公が執筆するためのデスクのせいかもしれない。
そのほか、蓄音機や鳥かご、額に入った写真、なぜかタブレットなどもある。
四隅にはブラウン管のテレビが客席に向けて置いてあって、最初は舞台の出入り口の入場者を映していた。上演中は反対側の舞台を映すのかな、とも思っていたが、両側から眺める舞台でも隅々までよく見えたので、テレビモニターに目をやることはほとんどなかったのでちょっと意図はわからない。

この舞台装置に、期待と緊張が高まる。
舞台の縁取るように大きな木枠が建てられており、その上の横バー部分に、韓国語の時の字幕が映される。もちろん両側から。(セリフ以外に「1940年 東京オリンピック中止」 などのように、歴史上の年表が出ることもある)。

開演前から、カジュアルな現代の衣装を着たボーイッシュな女優さんがチョコチョコしている。この場面ではラストにつながる現代の存在なのかもしれない。舞台の中に過去を探しに行く我々みたいな・・・?
とか先走ったことを考えるが、「私は朝鮮の少年、ミョギです」とはっきり自己紹介をする。(もしかしたらこの瞬間が、舞台の始まり)

◆◆◆以下、ネタバレありの感想になりますので、ご了承ください◆◆◆




【セリフの精巧さ、舞台の仕掛け】

黒いチマチョゴリを着た少女エジョンが現れる。
「演劇って、いったいどこでやるのかしら?舞台らしきものも見当たらないし」。
次に日本人の「御手洗先生」が現れる。
その会話で、村の青年、作家志望のリュ・ギヒョクが演劇を始めるらしいこと、舞台は特になく、「ここでやる」ことが観客に明らかにされていく。

先生「あなたは、なぜ、いつも、チマチョゴリが、黒いのですか・・?」
エジョン「これは人生の喪服です」
ついで、不吉な黒いカラスや、吉兆であるカササギについての話が出る。

内容も日常会話の中に象徴的な内容が入っていて引き込まれるが、この日本語と韓国語の入り乱れた会話が実にスムーズで驚かされる。こんなの見たことない!(韓流ドラマあまり見てないからかもしれないけど・・・)
韓国語部分は、上のバーの字幕を見ながらの観賞だが、楽で自然で、なんのギクシャクも感じなかった。これにはかなりの細かい技術や気遣いがあったことだろう・・。

芝居見物のため、登場人物がどんどん舞台上にお目見えする。ヒロインであるソン・スニムと言う美少女、主人公の母親である女優ヌンヒ、その兄である老ヌンビョ、その元部下で猟仲間のジュング、ジュングの長女でエギョンの姉エギョン。日本の小説家塚口、主人公の母親である女優ヌンヒ、ドクトル姜、看護婦いさ子などが現れる。

要するに、みんな親戚知人で顔なじみのような顔ぶれ。

登場する人物は特殊な場合を除き下手前から登場し、上手奥に去っていく。
(逆側から見れば、上手奥からやってきて、下手手前に去っていくわけだ)
これは、この舞台の最も大きな仕掛け(ガジェット)だと思う。このパターンは舞台全体を貫き、後半ではハイスピードの追いかけっこがこの一方向で目が回るスピードで繰り返され、笑いと徒労感を産んでいく。
逆側から人物が現れるのは非常に少ない。日本からソン・スニムが帰って来たときとか、ミョギが志願兵とされて徴兵されて行く時とか、特別に異質な場面でのみ使われたように思う。

面白いのは、基本動線である舞台の対角線上の真ん中に、例の半分埋まった洋服ダンスがあること。動線をたどると、みんな斜めのスロープでタンスを上り、高いところで地面に降りる。タンスの角のてっぺんで、安っぽいラブシーンが行われたり、服毒自殺が行われたり、なかなか使われるのだ。(老人はタンスを上らずに迂回することが多かった気がする)

【「喜劇」だったんですね・・!】

勢い込んで見始めたものの、正直なところ前半、やや退屈したものである。
人間関係を覚えきるのに時間がかかったし、またその登場人物のやってることがすべてどこかで見聞したことのあるような陳腐なものであり、「1930年代、日本統治下の朝鮮」という特殊で緊張した感じがしない。登場人物たち自身になんら危機感がない。

私の気持ちがパッと温まったのは、日本の小説家、気障で女好きの塚口(佐藤誠)がマイクを手にセリフをしゃべり始めた時。
バックに「Surface Pro 3」のCMでいつも流れているあの曲・・・・娘に聞いたら韓国の2NE1(トゥエニィワン)の『I AM THE BEST』と言う曲なのだそうだ・・・が大音量で流れ始めた。

塚口は、日本の文学はある意味で壁にぶち当たっていると言い、白々しいことを言ってスニムの心をつかもうとする。
塚口「だから今はみんな朝鮮半島や外地に関心を持ってるんですよ」
スニム「私たちはみんな東京に行きたがってるのに・・・」
塚口「朝鮮の人達は、自分たちが持っている宝物の価値に気付いていないんだなあ」

これを、めちゃくちゃインパクトの強い『I AM THE BEST』が流れる中、マイクを持って語る。

遅まきながら、「なあんだ!これ、笑って観ていいんだ!!」と気づき、あとは舞台に楽しんで乗っていけました。

チェーホフの『かもめ』、まともに読んだことないんですが、あれ作者が「喜劇」としてるんですね。悲劇的な終わり方をするのに、なぜ?
『100分で名著』等によると、本人たちにとって重大事でも俯瞰すると喜劇。みたいな意味。
それはそうですねえ・・・。
『ロミオとジュリエット』だって、恋人が死んだと早とちりして後追い自殺をするバカバカしい話。本人たちが大真面目だからこそなんだか可笑しくて、「これって喜劇にしたらいいのに・・・」と思ってました。

多分観たのが初日だったせいもあり、不発だった笑いのネタが多かったのかも・・・。
最終日近くで観た友人に聞くと、もっと受けていたらしい。
韓国公演でも、『冬ソナ』や『雪の華』(中島美嘉の曲で、韓国で大ヒットしたという)がかかると、(ベタですが)ドッカンドッカン大受けだったそうですから・・・・。

笑って終われない内容も含まれているのですが、「おはなし」の部分では大笑いして、その後ラストにもつれこまないとイケない舞台だったと今では思います。

前半も、ラブシーンが見られていて中断するとか、母親のおせっかいな「マクアキコージョー」に腹を立てて公演を中止してしまう「本格芸術病」の息子とか、もっと笑わせてくれた方があとあと効果的だったと思う。
笑っちゃうような思い出がよみがえると余計悲劇が強まりますから・・・。

アフタートーク(また聞きです)の多田さんの弁によると、ところどころ「マイクを使って話す」理由は「強制的にものを聞かせる、権力的なイメージがあり、また見た目がバカっぽいから」という、実に過不足のない説明があったようです。

『信長協奏曲』はmotto!POPで!

November 28 [Fri], 2014, 19:10
昨日ちょっといろいろ忙しかったのですが、朝になっていろいろ驚いたことが。

DAIGOと北川景子、フェルナンデスと安藤美姫の熱愛発覚やら交際宣言やら・・・バタバタと決まっていく感じがしますなあ・・・。

そして、TVをつけたらなんと!羽生君が滑ってる!!
今日から始まるNHK杯、やっぱり出場するんだ。
練習する姿が、いつもよりさらに細っこく見える・・・。
筋肉がすごく落ちたから、プログラムもあちこち変えるみたい。四回転ジャンプを減らしたり、後半のジャンプを前半に持ってきたり。
それは当然のこと。今は少しでもグランプリファイナル出場への可能性を高めていかねばならないから・・・・。

ああ、今女子SPが終わったところ。(18:00頃)
村上佳菜子の安定感ある演技が素晴らしかった。そのあとの最高の笑顔も。
で、ちっちゃい子みたいだった宮原知子のスピード感あるジャンプもすごかった。
日本勢が好調!

これからもうすぐ男子のショートプログラムも開始だなあ。(19:00頃)
無良崇人君のことも、応援したい。頑張ってほしい。
けれどやっぱり、どうしても羽生君が気になる。がんばって!!(20:20頃)


!!二番目登場の村上大介くん!なにこの力強い演技は??早くもスタンディングオベーション。(19:20頃)

無良くんもなんて気合の入ったいい演技だったんだろう!ジャンプもやはり高い。今日の日本勢はみんな上出来。
アボットさんも良かったけどね!・・・トップに立っちゃった


そして最終滑走。羽生君、青白く青黒いような厳しい顔。ドキドキする。。ショパンのバラード第一番。静まり返った会場。
最初の四回転。やはり転倒。思わず上がる悲鳴とそれをかきけすような拍手。次のトリプルアクセルはシュパッと決まった!ホッとしたものの、トリプルルッツは手をついてしまってコンビネーションにつながらない。
落ち着いて。できることを。時間がない。スピンはきれい。
あっという間に終わってしまった2分50秒。でも、顔を上げて、しっかりとあいさつ。笑顔も見える。滑りきった感?悔しい気持ち?
とにかく、羽生君がリンクに帰ってきた。点数は・・・どうでもいい。
・・・・ということもないけれど、(今回総合三位がGFに行く条件だから
でも本人は失敗は恐れてないんだろう。失敗より、これで滑ることが怖くなってしまうことが怖いんじゃないかな。

結果五位。五位発進は厳しいけれど、でも、本人の表情はいい。失敗ジャンプも、五位という成績も、全部前向きに受け入れて、これで明日に行けるぞ、という感じ。今の位置を踏みしめてまた上に向かっていくんだろう。この子はえらい。

それにしても、日本男子フィギュア、愛しいなあ・・・。(20:40頃)


【『信長協奏曲』第7話】

こっちが本題(のつもり)。今季応援しているドラマの話です。

む〜〜〜ん。
『信長協奏曲』7話まで来ましたが。

視聴率はやはり思わしくない。11%台ショックが続いた後なのに、ついに10.5%まで下がってしまった。ひとケタ目前。
月9にひとケタもさほど珍しくないご時世にはなったけれど、あれだけ豪華キャスト&力を込めた作品だと思うと、録画率が高いことを考慮しても厳しい数字。

でも、それよりなによりつらいのは、ここ2話がそれまでと全く同じようには、心躍る楽しさで観られなくなったこと・・・・。

6,7話は、将軍の怒りを買ってしまった信長が孤立の危機に立ち、裏切った浅井朝倉連合軍との激しい戦いがメインになってきました。そんな中、侍女おゆきが朝倉の忍びであり、信長暗殺を命じられて信長を狙撃する。かろうじて一命をとりとめる信長、浅井勢への反撃に再起し、見事勝利を収める・・・・。

という話ですね。
書いてみると、なんだか割とフツーの歴史ドラマですね。タイムスリップがあったにしても・・・。

【心に残るシーンはあります】

もちろん、いいシーンもいくつもありましたよ。

●合戦場で浅井軍に相対する、ひとり一人の織田家家臣の騎馬姿がカッコよかった。
向井恒ちゃんはどんどんカッコいいし(片肌脱がなければ)、シバカツさんの押し出しはさすがだし(脱ぐともっと凄いですが)、モリリンも、丹羽さんも、佐々も犬千代もかっこいい。
そして、列の中に居ても不気味な山田藤吉郎も、それを疑いのまなざしでヒタと見据える藤木半兵衛さんの関係にドキドキさせられた。
そして、後方で顔を隠しているミッチー(元の信長で今は明智光秀)の長身に目を奪われる。たたずまいが静かだが何を考えているかわからず、神秘的。サブロー信長もすごくいいけど、小栗君は頭巾姿のミッチー役もカッコいいんだよね。
一人、憂愁に包まれているのはサブロー。敵の大将長政との、一献の友情のシーンを思い出してるんだもの。

合戦でかかるこのギィギィした音楽はいい。(唯一今回のポップっぽさかも)。

●カッコいいと言えば、藤ヶ谷犬千代の「ずるカッコいいシーン」がありましたねぇ。あまりに唐突だったけれど、強引ではあるけれど、ファンサービスとしては、あり。
使った刀をスラっと納めて「お館様がお呼びです」。

●グッと来たのは、帰蝶ちゃんのツンデレ可愛さ!でしょう。柴崎コウ、なんてピッタリなんでしょ。帰蝶に関しては、漫画の単純に信長を慕っているだけのキャラより、ずっと柴崎帰蝶の方が魅力的。自分の意見ちゃんと言えるし。

【小栗君の演技の確かさと、サブローのキャラ造形は、間違っていないと思う】

帰蝶も変わったけれど、サブローはさらに変わった。

帰蝶や家臣団を心配させるまいと、痛みをこらえ、これまでのお気楽キャラを「演じ」用とするサブロー、変わったなぁ・・・
「うま〜〜!ごはんってこんなにおいしかったんだ〜〜」と、ご機嫌よくご飯をモリモリ。
ほっとしつつ呆れる帰蝶に、
サブロー「またまた〜そんなこと言って心配してたんじゃないの」
帰蝶「ま〜〜〜ったく心配などしておらぬわ」
サブロー、痛そうなふりをした後、帰蝶が心配すると「うそ〜〜〜」とすごい変顔

そうはいっても、「死んでいった兵たちも浮かばれますな」と言われて、一瞬胸を突かれる様子も。
これまでの自分を反省して、「これからは党首として、ちゃんとみんなを引っ張るから」なんて、成長がみていて、ちょっと痛々しい。

「入れ替わるんならこの痛みも変わってくれよ!」とミッチーに詰め寄ったあとで「て、冗談だよ」と笑顔を見せるシーンも。

「成長」には間違いないのだけれど、思ったことをそのまんま言葉にする、正直すぎてひやひやさせてくれた最初のサブローはどこに・・・。うつけで変わりものでマイペースじゃない、他人に気を使う信長で、大丈夫かなあ・・・。

観劇予定など(『メンフィス』取れたよ!)

November 21 [Fri], 2014, 10:34
◆◆◆
火曜日、高倉健さんが逝去のニュースに驚いたばかり。私は全盛期の健さんは知らない世代なのだけれど、『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』の、あの独特の無骨なたたずまいが素敵でした。
緒方拳さんの時も感じましたが、もういらっしゃらないのだと思うとやはり寂しいです。ご冥福をお祈りします。

その後、連日のように結婚報道。(こういうのって自粛や延期はしないんですね)
水曜日、職場でまさに「悲鳴」が上がって西島秀俊(43)さんの結婚を知りました!
お相手は16歳年下の一般女性。以前、意外に関白な結婚観を聞いて(んん?こんなんで結婚できるの?)と正直引いたのだけれど、その時には意中の方がいらしたんですね〜〜。
西島さんは、野放しにしておくのはなにかと危険な存在だったので、身を固めてもらってよろしいのでは・・・と思いました。

かと思ったら、今朝は『信コン』の恒ちゃん、向井理(32)が国仲涼子と来月結婚と発表。
あれ、この話前からありましたっけ?
サブロー一家と恒ちゃん夫婦、プライベートでも仲良くするのかなあ・・・?

それにしてもこの二人、「あなたが結婚したいと思う男性のランキング」2位と3位だったんですね。(1位は福山さん)
向井さんの人気も、なかなか侮れないものがあります!月曜日『信コン』の恒ちゃんがやたらと輝いてると思ったら・・・(関係ない?)

【メンフィス取れたよ!(観劇予定)】

事務兼販売の仕事になってから、土日どちらか出勤する分、平日に休みができて、芝居や映画や美術館に行くにはなかなか便利。

しかし忙しいというかアンテナの張り方ができていないのか、観たい芝居の発売初日を忘れてばかりいます。

昨日の夕刊に久々に山本耕史の記事(広告記事)を見つけ、おっと!『メンフィス』とっくに発売してたんだ!と汗。急いでチケットぴあで残席をさがし、意外にいい席が残ってたので押えました!!よかったあ〜〜!(2015年1月30日〜2月10日、赤坂ACT)
ミュージカルは体質的に自分は好きじゃないように思ってた。けど、耕史君が関わる作品を見続けてくると別格だと思う。話題性イマイチだけど「質」がいつもしっかりしているもの。作品への興味も高いので、楽しみ。
http://www.tbs.co.jp/act/event/memphis/

そのとき、あ、森山未來君の『PLUTE』も忘れてたよ汗
耕史君のと違ってこりゃ残ってないかなぁ(←こら!誰に喧嘩売ってる)・・・とおもったけれど、これも相当いい席がまたポツンと私を待っていてくれたので、即決。(2015年1月9日〜2月1日、シアターコクーン)
公式http://www.pluto-stage.jp/

地方の若者の陰影は濃い 『Nのために』(5)『信長協奏曲』(6)

November 21 [Fri], 2014, 1:59
『Nのために』(5)
『信長協奏曲』(6)


【『Nのために』の若者群像にグッと来た】

『信長協奏曲』の前に、『Nのために』についてちょっと。

湊かなえ原作の、今季唯一の長編ミステリ、ということで、視聴中。
三話の中盤までの、故郷の島でのパートは、正直全然乗れなかった。

主人公杉下希美(榮倉奈々)の境遇設定が、あまりにもエグい。。
若い愛人と暮らすため、妻と子供二人を家から追い出して町内のボロ家に捨てる実父(光石研)。
月10万の生活費を、化粧品にすべて使ってしまう、現実感のない実母(山本未来)。
生活に困窮する主人公を、土下座させて「食べ物を恵んで下さい」と言わせて笑う後妻(柴本幸・・・この文章書いて初めて気づいた!『風林火山』の由布姫だったのね)

実際、田舎(「地方」と言い換えるのが面倒なのでこのままにする)では、都会で想像するよりものすごいことが普通に起こっているのだ。
(このフレーズは、30年前なら「田舎」と「都会」は逆だった。しかし今ではおおむねこうなっていると思う)
だから、こんな信じがたい家庭も、実際にはありそうな感じがする。しかしドラマ作品の中での「リアリティ」は足りない。
唯一、「生きるためには何でもせんならん」というヒロイン杉下希美(榮倉奈々)の必死さはわかった。
杉下と成瀬君(窪田正孝)の恋も、真剣なのはわかるけれどなんだか見ていて気恥ずかしい。

しかし三話の途中、2001年からの東京編(?)になり、急に話が面白くなってきた。
築60年、家賃月二万風呂なしのぼろアパート「野ばら荘」での話が始まってから。

杉下、西崎(小出恵介)、安藤(賀来賢人)三人の、「野ばら荘」での青春風味がたまりません。家とこの三人を孫のように愛している家主の織本順吉さんもいい・・・。

大学に入っても、杉下はサークルや合コンには背を向けて、バイトと学校とアパートを往復するだけの生活。大学は、新歓の喧騒場面が描かれるくらいだが、大学生は本当にアホそうに見える。いや、今に始まったことではないが、このドラマの視点で見ると一層。

杉下が二年の時の台風の夜、彼らの交流が始まる。
西崎。法学部五年で、小説家を目指して学校に行っていない。この環境が気に入っている。
安藤は、まっすぐな上昇志向の若者。仕送りはあっても他のことに使いたいタイプ。
仕送りなしのでこのアパートにしか入れなかったのは希美だけ。

小出君演じる、西崎さんがいいんですよ・・・・(ちょっと惚れかけてる)
西崎は愛についての小説を二人に読ませ、感想を求める。文学賞に送ったけれど、「選考委員は愛を理解できない奴だったらしい」。
ちょっと青臭い会話が、ものすごくよくできてる。

(主に安藤に)「その割切りは良しとしよう。だが、就職して給料をもらうことが君の存在意義か」「同じ貧乏暮らしの君に揶揄されたくない」「やはり君とはあいそうにないな」

作品「灼熱バード」には、西崎が母親から受けた激しい虐待と、愛を求めた記憶が込められている。
西崎「杉下の考える愛って何?愛と言っても、究極の愛」
杉下「罪の共有。共犯じゃなくて、共有。誰にも、相手にも知られず、黙って半分引き受ける」

西崎は、少し年下の安藤と杉下を、皮肉を言いながらもとても愛している。彼らを観ているのが好きなのだ。ともすると「くっついちゃえよ」とか言うのは困りものだが。
野ばら荘のことも単なるアパート以上に、まるで自分の家庭のように愛している。
そしていつも、寂しげにほほ笑む。火を極端に恐れ、全身の火傷の跡を隠すためにいつも長袖、「水着を着たことがない」。

安藤も、一見チャラチャラしているように見えるけれど、頭空っぽ大学生とは違う。さすが杉下と同じ島出身(杉下は瀬戸内海、安藤は長崎県)。大学も英会話もすべてステップアップのための手段と考えている。就職試験にもしっかり取り組み、甘えやイイワケや暗さがないので、いっそ気持ちがいい。

「合わない」と言いながら乾杯する西崎と安藤がいいし、西崎を尊敬しながら、安藤のことは呼び捨てにする杉下が、かわいい。こんなことはなかったけれど、この時代の青春は、手触り的によくわかるように思う。『楽園ベイベー』とか『トラベリング』とか、いい感じでかかってるなぁ・・・。

2004年の事件の時は一人で犯人と名乗り出、10年の刑期を終えて2014年の「現在」、のばら荘に帰ってきている。
次回(明日)は、殺された夫婦の小西真奈美と西崎さんが関係を持つらしい・・・注目。
一方、杉下の同士成瀬君は、目が暗くどんよりとして、大学にもいかず悪い道に引きずり込まれているよう・・・。

また、全体を見守り追求する刑事役の三浦友和がすごくいい。若い巡査時代も、年老いていい感じに白髪が混じった今も、雰囲気があってカッコいい。三浦友和の役者人生長いけれど、個人的には今が一番納得のビジュアルかも・・・?

【地方の若者の陰影は濃い(都会の若者はバカみたい)】

しかし、ここに感想を書きたくなったのは、役者の好演だけではない。

湊かなえ、『告白』以来そこまでの傑作はなかったけれど、「地方からのまなざし」というのがこの人の持ち味じゃないか、と少し前から思っていた。
『夜行観覧車』は東京郊外だけれど、『高校受験』はリアルな地方の中都市的世界観だったし、『贖罪』も『N』と似た、「地方→都会」の構図を持っていたように思う。『白ゆき姫殺人事件』『少女』もそうだったのでは・・・?

なんかね、今小説にして面白いのは、東京より地方だと思う。吉田修一とか、深町秋生とか、辻村美月もちょっとそうかも・・・。
それは、目新しさとかいうものじゃなくて、都会出身者が「バカ」だからだ。
「差別だ」とか言われるといやだから(もちろん根本的には差別の話なんだが)、なるべくウチの話にする。
ウチでは我々親二人は純然たる地方出身者(親戚全部東北人だし)なのだが、息子と娘はどうも「都会出身のバカ」らしいのだ。小さい頃は東京の子供はなかなかカシコげなのだが、高校生あたりからドドッとバカになる感じ。

なんでもあるからね。TVのバラエティに出てくる人気のある店とかさがして行けるし、ニュースの商品がリアルタイムで現れるし、それが当然だと思ってる。
話題の舞台も映画も行けるし、お金を稼ぐ方法もたくさんあるし、好きなアイドルに会いにも行けるし、アイドルになりにも行けるし(なれるかは別問題だが)、金があればカワイイ小物も服も買える。ディズニーランドなんて娘は小5の頃から友人同士行ってますもん。
「稼ぐ⇔消費」のルートに乗っちゃって、それが楽しいということで、それができない田舎の子を「そういう子もいるんだ〜」くらいに思ってるだけ。(もちろん都会にも地方にも引きこもって「稼いで消費」ルートに乗らない子もいるけれど、話がややこしくなるから省く)(西崎のような児童虐待の子の例もややこしくなるから省く)

まあ、おおむね無害だからいいんだけれど・・・・「バカに見える」のは何かを自分の中に溜め込んで熟成させるというプロセスが地方の子よりすごく少ないからに違いない。バナナが自生している地域より自然を切り開いて作物を作らねばならない地域に文明が発達するのと同じ。

『Nのために』観てたらすごく思ったけれど、田舎の子は大変なんだよね(過去の自分も含めて)。
みんな青春時代に「東京行きたい」って思うでしょ。特に何をしたいというわけでなくとも、相当に強く。(東京の子はそれ聞くと笑うんだよ。その辺の出発点が圧倒的に違う)
芝居ひとつ見に行くのだって大変なエネルギーと費用と時間がかかる。しかしそれだけ「憧れ・餓え」というような思いは強まる。パッと叶っちゃって「まあまあかな」とか言ってる都会人とは違うのだ。

東京でも中央に近づくほどバカ傾向は強まるのか、「区」に住んでる女は、「青梅線って埼玉だと思ってた〜!昼間の電車の間隔が10分以上あるんでしょ〜受ける〜!」とケラケラ笑うのだ(完全実話)。何言ってるんだ前住んでた九州は廃線の駅しかなかったし、東北の田舎にはバスが一日三本しか来ない、なんて場所がいくらでもあるんだとか言いたくなるが、バカらしいのでグッと抑える。15年前にいたパート先では、スタッフ三人が三人とも宮城県の場所を知らず、なんと九州や四国を指さしてた。自分のところがフツーでほぼ全てで他のことは知らなくてもいいとか思ってる輩がバカなのは当然なのだ。田舎の子供が原宿のショップ情報集めてるのが気の毒になるくらい。せっせと崇拝するから余計バカがつけあがるんだよ・・・ってわかっていてもこの構図は変わりそうにない。
(↑半日後くらいに勝手に加筆してしまった。ゴメン)

ねえねえ、『信コン』と『ごめんね』見ようよ。

November 14 [Fri], 2014, 19:50
『信長協奏曲』第五話
『ごめんね青春!』第五話

ドラマファンのきのこ、先月「コメディが楽しい今季」、と書きました。

『信長協奏曲』(コメディだよね?)『ごめんね青春!』『ファーストクラス』(コメディだよね??)『地獄先生ぬ〜べ〜』(三回以降見れてない)『素敵な選TAXI』(当初見てなかったけど今見てる)・・・。

それはあまり変わってません。どちらかと言えばシリアス人間ドラマ派と思われがちですが、今季は不作(『Nのために』がようやく面白くなってきたけど)。

特に『信長協奏曲』は、もう一週間で一番の楽しみ。
今週の月曜は仕事で予想通り心身キツイ状態で(まあ、誰にでも最悪な日はあるよねと言う程度ですが)、家に帰って『信コンん』観よう、という一念で耐えられた。9時からリアルタイムでゆったり、遅い夕食を食べながら心から楽しみ、とっても元気になりました。

続いて(持ち帰り仕事はあったけどつい)その前の日の『ごめんね青春!』も観て、「壁ドン」四連発に続き、実在のゆるキャラ「みしまる、みしまるこちゃん」を堂々前に出したエピソードで、また心から楽しんだのでした。

だのにだのに、この二つのドラマの視聴率不振はどういうことでしょう?

『ごめんね青春!』 10.1→7.7→6.7→6.7→7.4
『信長協奏曲』 15.8→13.5→12.5→14.6→11.6


【ごめんね青春!】

それでも、『ごめんね青春!』は、まだいいのです。
もともと、クドカンと磯山プロデューサーの余裕こきすぎ。

飛車角落としと言うより、一軍総外し。クドカンドラマのレギュラー(阿部サダ、皆川猿時、荒川良々、星野源、村杉蝉之介、三宅弘城、小路勇介・・・さらに松尾スズキも)2,3人出せばよいのにすべて外し、知名度の低い生徒たちがメインキャスト。(トリンドルしか知らなかった)。

主演の錦戸君はこれ以上ないほどのハマリ役だが、長瀬君ほどの集客力は不足。満島ひかりはコメディ音痴(だいぶ見慣れたが)で声がなぜか裏返りがち。ベテラン陣は生瀬勝久、風間杜夫、平田満(70年代つかコンビ)と実力派ぞろいだが・・・。(個人的には永山絢斗とえなりかずきが一番楽しみだった)。『あまちゃん』の資産すらろくに使ってない。(みんな『弱くても勝てます』よりはこっちに出たかったろうに・・・)

クドカンのドラマは、もともとあまりヒットさせる気がないんじゃないか、という感じがすることが多い。コケないことに真面目に取り組んだのは朝ドラの『あまちゃん』くらい?
序盤に「つかみ」が足りないのも、クドカンの癖だと思う。
視聴率を稼ぐためならいくらでも方法がある(金を使わない範囲でも)のに、それを使うことを良しとしない。

実際、第1話2話は正直なところ面白さよりかったるさの方が強かったのだが、3話以降ぐんぐん本調子になり、もう4話5話は楽しくてたまらない。
生徒たちの顔も覚えてようやく愛着が出てきたし、壁ドンネタと「みしまるくん」ネタで勢いがつき、もう何の心配もないほどなんでもかんでも面白い。毎回最後には教室で先生が黒板の前で「いいこと(??)」言ったりするのも、学園ドラマの正統路線?青春の恋愛エロ模様はズンズン進んで、えなりかずきのエロまで炸裂。

クドカンのボヤキ発言として「俺の感覚がズレてるのか」というのが流布されてるけれど、あれ、自信失ってませんね。

観ようよ。面白いよ。

ついでに、関ジャニの歌う主題歌『言ったじゃないか』(クドカン作詞)が、すっごくいいできばえ。今年の忘年会はこれで盛り上がろう!!
「好きって、好きって、好きって、言ったやんか!言ってないか・・・」

【信長協奏曲】

しかしもっと心配になるのは、やはり『信長協奏曲』。
『ごめんね青春!』の低視聴率には、視聴率を取る方法がいくらでもあるのにさっぱり使わなかった、という立派(?)な理由があるのだけれど、『信長協奏曲』は逆。
視聴率を取るためにありとあらゆる努力をしている。
それは非難されることじゃない。
作り手の情熱も力の入りっぷりも感じられる。
豪華すぎるほどのレギュラーキャストとゲストキャスト。人気漫画原作。開局55周年記念番組。月9初の時代劇。アニメ、ドラマ、映画とのメディアミックス展開一挙発表。派手な番宣。金だって使ってる。

まあ・・・視聴率が下がっている理由はわからないでもない。もともとトンデモ歴史解釈なんだけど、その原作ファンを裏切るような大幅な改変。ついてけないで脱落していく人も、多いでしょう。演出や脚本にも、不満が出そうなところも確かに多い。時代劇ファンも、原作ファンも、そっぽを向きかねない。

私だって、(第三回の感想に書いたように)、原作を読んでそちらの魅力を感じてしまったら、やや色あせて見えた。原作と話を変えたために、無理やりな展開も見られる。

今季はテレ朝の一人勝ち。『相棒』『ドクターX』はやはり強く、『科捜研の女』まで調子がいいとか・・・。
いや、それはわかる。
『相棒13』今季面白いもの。水曜の楽しみ。右京さんは少しも衰えないし、カイト君(成宮君)はますますよくなって来てセクシーだし、きちっと話ができててキャストも安定してるから、伊丹さんが菓子パン食べてるだけのシーンだってなんだか面白い。
『ドクターX』は、もうわかりきってる話なんだけどやっぱり面白い。キャストも豪華かつ達者だし、「ワンパターンの現代時代劇だ」という評価は当たってる。けれど、それだけじゃここまで受けない。脚本の中園ミホが油が乗ってきている感じ。

けどね、無謀かもしれない新しい企画に全力を傾注するようなチャレンジには、もう少し長い目で見てあげたいじゃないですか。

もう旗幟鮮明、弁護側に回ります!
前回の感想では

「前言いろいろ撤回御免『信長協奏曲』(3)」http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1351

として、原作を読んだ後の正直な気持ちを書いてるけれど、その後読んでない。
読んでないと、ドラマだけでちゃんと面白い。多分ドラマを観てから原作を読むのは失望しないだろうし(あれあれさっぱり褒め言葉になってないけど、もうやぶれかぶれ)

いろいろご不満点はもっともだけれど、原作に一応目をつぶっても、「元気が出るほど楽しい」ドラマなのだ。
驚きがたっぷりあって、今の感覚ですんなりみられて、でも擬史の面白さも十分楽しめる。

【第五話は戦国恋模様】

第五話の感想をさらっと書くけれれど、原作については15話『デート中の出来事』以降のことは知りません。ネタバレはやっぱりご容赦願います。

第5話もつかみ良かったなぁ・・・。

いきなり、元のホンモノ信長が織田家のウグイスの句会にいるんだもの。

恒ちゃんもモリリンも勝家も、作句は苦手と見える・・・そこで藤吉郎がいきなり発句。
「泣かぬなら、泣かせてみせようホトトギス」
ウグイスもちょうどよく鳴いて、みんな感心。
続いて犬千代に殿が所望され、
「泣かぬなら、殺してしまえホトトギス」
すっと無表情で、考えてるんだか考えてないんだかわからないような顔で言うホンモノ信長。
「コレだ!」感あり。

その後で前回の最後に出会ってからの状況説明。

「信長あ!!」と怒るサブロー。「戻って信長やれって」と言う。
現代にも戻れないのに、信長やめたらサブローここでどうやって暮らしていくんだ?
(原作では「今更入れ替わっても何かと面倒くさそうだし」と言ってます)
信長は「今の織田家はおぬしが作り上げたもの」とし、「これからは明智光秀として織田家を支えさせてくれぬか」と頭を下げる。

そこに犬千代たちがやってくる。佐々成政ともう少しコンビ感出してあげたらいいのに・・・。ろくにアップも振られず、阿部進之介冷遇され過ぎだよ。これなら渋谷すばる君でも出して関ジャニコンビにすれば・・・?とか思った

犬千代が間違ってホンモノ殿を連れて帰っちゃう。
サブロー「ああ〜あ!髪型も服も全然違うのに何で間違うんだよ!バカ!」
道をやってきた馬を見て、親指を突きあげるサブロー。馬はタクシーか。(こういうのが好き)

句会は軍議になってる。近江の浅井長政対策として、お市を浅井に嫁がせる。という話。
全員・・・恒ちゃん以外はそれしかない。という。
最後にホンモノ信長は「よいのでは、ないか」
恒ちゃん、明らかに失望。(お市に惚れてるから)
相変わらず、何を考えているかわからないホンモノ信長。
この回の最後の方を思うと、この辺がまことにうまい。
帰蝶が信長に行きあう。「どうしたうつけ。そのようなきちんとした身なりをして」
帰蝶ちゃん、何も気づかないんかな・・・不審な顔はしてるけど・・

でんでんがやってきて、理由をつけて信長を連れだす。
入れ替わりに屋敷に帰ってくるサブロー。
犬千代「殿!またお着替えされました?」
お市嫁入りの話を犬千代から聞き、顔色を変えるサブロー。

ああ、面白かった。緊張感あった!
心配はしてなかったけれど、予想以上に小栗君の演じ分けは完璧!!
明智になった信長が、以前大河に出ていたころの小栗君イメージそのまんま。(石田三成役とかのね)
昔の小栗君と、ルパンとかやった後のダイナミックに陽性コメディができるようになった小栗君と、比べられて面白い。

『奴婢訓』について、もう少し(感想3・ディスカッション編)

November 12 [Wed], 2014, 2:51
キラリふじみシーズンレパートリー新作
寺山修司作・多田淳之介演出『奴婢訓』

まだ『奴婢訓』引きずってます。
実際の舞台を「観た」夜からだいぶ離れたところに来てしまいましたが、これも観客の自由のうち、ということで、お許しを。

地方の公民館で5日間しか上演しなかった舞台。コメントを頂くのは難しいと思っていましたが、幸い舞台を見た方から、10クエスチョンへに対するお返事をいただき、大きなひらめき(いくつかは決定的な)を幾つもいただきました!

このやり取りはなかなか面白く、決定的な収穫もいくつもあったので、ご本人の許可を得て一部引用させて頂いております。快くご了解いただき、ありがとうございます!

《ご注意》この記事は、以下の2つの記事を読んでからお読みください!
念願の舞台『奴婢訓』(感想1)http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1352
『奴婢訓』について、もっと(感想2・答案編)http://yaplog.jp/kinoko2006kun/archive/1353


文中の引用は、青字が「Aさん」(アンサーをくださったので仮に)
ピンクは「その他」です。

1)(舞台に上げられた時の気持ち)

>「照明、まぶしい」第一感想。
>観客入口からゾロゾロ演者が入場、思い思いに客席に座りこちらを眺めだす。
そのダリアちゃんのポーズが、自分の座りかたあんなだなぁと思わされる。(左の肘掛けに肘かけて体重を乗せ気味)「観覧態度悪っ」と思う。
>舞台に上がっても、自分は観客だと思い、いい子にしていたら、物語の朗読が始まったので、眼をつむって聞きほれていました。ここの話が一番童話っぽくて好き。

そうですね!第一感想は「照明、まぶしい」ですね!
その照明に煌煌と照らし出されている自分自身、ということで自意識が引きずり出された感じがしました。役者とは、こういう自分と最初に戦わねばならないのかな。
しかしAさんは、「奴婢」になりきってないというか、まだ「観る」側の意識が強い、ということに「おっ」と思いました。「見られていることに縛られる」ことを意識し、自分を奴婢的だと思った私とは、だいぶ違うかも。
でもその結果(自分の)観覧態度に思い当ったり、客席のダリアに自分を見たりするのがおもしろい。「見る」「見られる」の関係は合わせ鏡のようですね。

物語の中の朗読部分、賢治そのものだったり、寺山オリジナルだったりするあの文章は、聞きほれますね。とはいえ舞台に上がった時には今ひとつ集中して聞きほれられなかったのは私の自意識過剰のせいだと思います。(「誰が殺した駒鳥は」のフレーズでは、思わず舞台上で「パタリロ!」のクックロビン音頭ポーズをしそうになる自分を抑えたり)。

寺山作品については実はあまり知らない(『奴婢訓』にずっと憧れてただけ)けれど、宮沢賢治は、やはり好きです。寺山よりさらにわからないけれど、子供の頃から親しんできたせいか、自分の根っこの方にあの物語群が巣食っている感じがする。わからないのに泣けてしまう。

2)(ポラーノの言う「権利と義務」について)

>この芝居(戯曲にか演出か不明)には罠がいくつかある。そのひとつ。

この方の、「疑いを持つ」ところが好きです。
舞台を見て、判で押したような褒め感想しか言わない人も、何かと比べて不満ばっかり言う人も、つまらない。

「罠」ありますね。いろんな仕掛けもあるし。
私は「罠」にかかってみよう、「一度は騙されてみないと」という方ですが、感じます。

ただし・・・この部分はそう思わないです。むしろ逆かな、と。
「権利」と「義務」をごっちゃにして我々を騙すのは、むしろ現実の権力が獲っている「罠」で、この芝居はそれを告発してるのかなと思いました。

「勤労の義務」というのがありますが、むしろ労働は「権利」「自由」として保護されねばならない。実際、憲法内に「すべて国民は、勤労の権利を有し、勤労の義務を負う」とある。
けれど実際には、ワーキングプア、ブラック企業、就活が非常に困難な50代60代・・・。文系の大学院を出た優秀な学生がネットカフェ暮らしを余儀なくされている現状とか。
労働する意欲も能力もあるのに、労働する権利が守られていない!ですよね。
それなのに「労働は国民の義務」だなんて、このためにどれだけの人が自分で自分にダメ人間の烙印を押してきたことか。
まさにポラーノの言う通り、「勤労の権利はないが、義務を負う」状態。・・・「奴婢」です。

ここで気づいたのですが、「感想2」で私は
>自分を「義務」で縛るものは何か、と考えると、自分(の意識)だ。
と書いたのですが、そうでもないのかも・・・。

この芝居ではもともと、国とか法律とか、「権威」的なものを言ってたのかもしれません。(多田版ではどっちでも取れるようにできてるけれど)。
すると「奴婢」は、「社会的に抑圧された人々(しかし立ち上がろうとしない人々)」のことかもしれません。

3)(『奴婢訓』は現代の写し鏡か)。
「そう思う」(きのこ)、「そうは思わない」(Aさん)で終わったので、略。

4)(ダリア)

>主人公(中略)女主人公。
>一人『主人&奴婢』を演じることを許されたのは彼女だけ。
>(犬の部で皆が代わる代わる演じるがあれはイメージ的なもの)

同感です。ダリアは「主人公的役割」だと思いました。
前記事で「唯一共感できそうなキャラクター」と書きました。
しかしながら、Aさんとのやり取りの中で、「ダリアに感情移入」というのは正確じゃないなあ、と思いました。もしかしたら感情移入しているのは、ダリアに対する奴婢たちの感情にでは・・・?
自分の欲望に正直なダリアへの、羨望、嫉妬、憎悪。
「ルールを破ったこいつは『正義』の名のもとに粛清してやらねばならねえな」、
しかしそんな奴婢でいたくない、と思えばダリアのような絶望的な戦いをするしかない。ダリアの末路には自分でも驚くほど衝撃を受けました。

5)(ゴーシュ)

>狂言まわし。

同感です。

6)(インタビュー隊が出ていく前と、後)

>なにも変わらない。

うう、Aさんかっこいい!!
思わせぶりな趣向には惑わされませんねえ。(実際、何も変わってないし)
そもそも、舞台という形式だけで観客を奴婢にしたり、その後(安手の)主人にして焼き殺される気分を味あわせたりなどできるものか。

でも、私はこういう「企み」は結構好きです。(「罠」というほど練られてもなく、チープなまま押し通したのが面白い)
私みたいな騙され方をする観客がいただけでも。部分的に成功したといえるのかも。

羽生君、波瀾の今季がスタート(追記あり)

November 09 [Sun], 2014, 21:35
フィギュアGPシリーズ(in中国)第三戦。
羽生結弦くんの今シーズン初戦でした。

ここ毎晩帰りが遅くて生放送では見られなかったのですが、初日では失敗の連続で「最低の出来」(本人談)、二日目のフリーでは直前練習での激突、流血・・・・。
心配なニュースばかりモバイルに飛び込んできます。結果は二位だったというけれど、どんなことになってたんだろう・・・・。

今朝から各チャンネルをザッピングして、せっせと映像をあさりました。ニュース番組で見られたのは短いバージョン。

あ、ぶつかった・・・鮮血が顎を伝う・・・・何度も転んでは立ち上がり、滑り出し、また転倒し、ふらつきながらおきあがり・・・これまでの羽生君には見たことのないほど涙を流してる・・・。

夜、BS朝日でロングバージョンを見ることができました。
満身創痍をうかがわせる頭のプロテクトと顎の絆創膏・・・あの細い顎を7針も縫ったなんて、あとが残ったらどうしよう・・・と不謹慎なことを考えた。

決意をみなぎらせた表情で、滑り出し、4回転見事に回ったが転倒。次のジャンプも転倒。3度目にようやく成功。
合計5回のジャンプで転倒した。こんなの見たことがない。転倒しながらも回転数が認められたのも多いけれど、スケーティング部分も相次ぐ転倒で時間が合わなくなったのか、いつものような魅惑のスケーティングとは言い難かった。けれどスピンやコンビネーションジャンプなどで、いくつかの部分で羽生君らしい美しい演技を見せてもらえた。

そんなことより、4分半の長さ!!最後の方も連続で転倒した。どんな精神状態なんだろう。それでも立ち上がって最後まで滑ろうという姿に、会場はすごい高まりになった。頑張れ羽生くん。
4分半は手に汗握るほど長かったが、最後まで滑り終えた瞬間には、会場からものすごい歓声と拍手。

本人はもう、立っているのもやっとという状態だった。コーチのもとに戻ってからも、一人で立てず、上体を起こしているのすらやっとという感じ。
減点は大きかったけれど、回転数を認められたジャンプも多く、暫定(SP1位の選手を残してたから)1位。
この時の羽生君の泣き方が凄かった。
あたりをはばからず涙を流し、下を向いて顔を覆い、なんと低く声を上げている。号泣。こんなにまで・・・・。涙と汗がパックリ開いたあごの傷口を洗って、赤い汗になる。プーさんのぬいぐるみじゃなくて、誰かタオルかハンカチを・・・。

最初見た時、何度も何度も転倒しては立ち上がる羽生君を見て、エロくて参りました(不謹慎だと思いつつ・・・)。
少女のような顔の、細っこい少年が、血を流しながら演技を披露し続ける。古代オリンピックで、その才能を皇帝に愛されて演じ続けた少年、オリンポスの神々に選ばれた少年。・・・・美しさと、どこかしら悲劇の香り。

とかなんとか私が勝手に陳腐なロマンティシズムに浸っている間も、羽生君はきっと、どこか吹っ切れた気持ちでいるのかもしれない。第一夜のSP後のインタビューの方が重くて悲痛だった。
「こんな演技では帰れない。ブライアンコーチの名前を汚すような演技をしてしまった」と。
店頭こそなかったけれど、主要なジャンプの回転不足でロシアのコフトゥン(羽生君と同じ19歳)にトップを取られた。
この時は、予想された五輪王者のスランプが始まり、トンネルに入るような不安もあった・・・。
でも、フリーでこれだけアクシデントがあり、あれだけ転倒したら、もう怖いものもなくなるんじゃないかしら?

羽生君は、その妄想を掻き立てるような美しさとは裏腹に、演技が終わった後いつもはふにゃっとした笑顔を見せるじゃないですか。あれが好き。周りの思惑とは別に、本人は「少年漫画(スポ根)好き」で、きっと逆境にファイトを燃やすタイプじゃないかな。

今回の初戦の波瀾も、きtっと前進のバネにしてくれそう。
そう思うと、これは「羽生伝説第二章の始まり」なのかも。

ただ・・・滑走後あまりにふらついていて、身体の中心もまっすぐできない感じだったのが心配。
脳に影響がないことをひたすら祈ります。

あと、腰痛も心配。このためにGP第一戦を断念したというから、これもスポーツ選手の宿命とはいえ気がかり。高橋選手のように、ケガとの戦いばかり続かないといいけれど・・・。

男子フィギュアは、今季第一線で町田樹君が優勝、第二戦で無良君が逆転優勝するなど、上々の滑り出し。
オリンピックイヤーじゃないけれど、どうしても男子フィギュアに心騒ぐシーズンになりそうです。

(この後、追記あります)

『奴婢訓』について、もっと(感想2・答案編)

November 06 [Thu], 2014, 21:41
キラリふじみシーズンレパートリー新作
寺山修司作・多田淳之介演出『奴婢訓』

>この小さな舞台(と客席)に、世界が全部入っている。この外側に世界はない、とまで思わされた。
>私はずっと、こんな演劇に憧れていたのだとストンと納得する。(前記事より)

ご注意!!
この記事は、前記事「念願の舞台『奴婢訓』(感想1)」を読んでからお読みください。


自分で自分に宿題を出したせいもあり、まだ『奴婢訓』を引きずってます。
作品に「意味」を求めすぎる、と言われます。「悪しき深読み」というものかもしれない。ただし、この趣味の衝動が発動するのは、それだけの作品だということですので、お許しを。

【『奴婢訓』の体験レッスン】

前回提示した「10個の宿題」は、実は自分が答えやすい順番に並べたものです。
しかし、大きな勘違いもあるだろうから、疑問やご意見をお寄せいただければ、大歓迎です。

<1>役者に替わって舞台に上げられた時、自分は何を感じたか。(第9場)

立ち上がって舞台に向かうときの気分はまさにアトラクション。
ポラーノ(?)の脅し文句はユーモラスで、マジックショーで観客を指名して舞台に上げるマジシャンのよう。のこぎりで半分に切られても、ちゃんと元通りに帰ってこれるという安心なドキドキ感。
「キラリふじみ」のメインホールはとてもきれいだし、今回の舞台装置はシンプルながら瀟洒で、さっきまで奇怪で魅惑的な奴婢たちが騒ぎを繰り広げていた場所に立つだけでワクワクする。

舞台の上で面白く感じたのは、視点の転換。観る側でしかなかった自分が、観られる側に立つ。おかしな表情や動作をしてないかとか、自意識がせりあがってくる。シャツがはみ出てないかと気になっても、腰を探ってそれを確かめるのは憚られる。「何もしても自由だ」と言われても、動きが演技的(他人の目を意識したもの)になる。面白い。

自然と、同じように舞台に上がっている他の観客の様子を見る。
舞台の上でライトを浴びて、きょろきょろあちこちを見まわす観客たちが、舞台上の俳優のように見える。結構絵になるものだ。「突如舞台に上げられて自由を与えられ当惑する奴婢たち」の演技を、見事にこなしているかのよう。私は舞台の上のスポットを見上げたり、主人の椅子を見に行ったりした。動きが見られている、ということが当惑と少しの昂揚感をもたらす。同行者と目を見かわして笑っている女性客。立ち上がって「これ、このまま休憩になるのか」とか日常っぽい言葉を語る男性客。「何もしてもいいんだよね」と席に帰っていく客。
中に一人、客席から動かない客もいた。これも想定内なのであろう、舞台の進行には響かない。また、客席に残るという道をとっても外部ではいられない。「見ながら見られている」という点ではどちらも同じだ。そしてそれはさっきまでの自分も同じということだ(ということに気づかせてもらえる)。

舞台に上がって観察しあっている我々は、失礼ながら非常に「奴婢的」だと感じた。少なくともあの状況で「主人」に見える人はいなかった。
従わなかった人は奴婢から半歩出て、意思的にふるまったダリアのような存在にも思えた。

客席からこちらを見る役者たちは、舞台の上のユーモラスな様子とはうって変わって無表情で、ただこちらを眺めている。怖い、と感じた。
「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」(安部公房『箱男』)という一節をなんとなく思い出す。

まあ、もちろん、たいしたことだとは思っていなかったのだ。ホール側の人に「休憩に入ります」と告げられた時、このまま一服して、席に戻ったら芝居の続き、後半のクライマックスが見られるのだ、と思っていた。

<2>「貴様らは奴婢だ。権利なんかない。あるのは義務だけだ。
飯を食う権利はないが、飯を食う義務はある。(略)欲望のままに振る舞う権利はないが、欲望のままに振る舞う義務はある」
ポラーノ(?)は「いくらでも続けられる」と言ってた。具体的な同類フレーズを考えつつ、権利と義務について考えてみよう。

これは聞いた瞬間、ストンと納得。というかずっとぼんやりと感じていたことだ。
私でも「いくらでも続けられる」!(理解が根本的にずれていなければだが・・・)
職業を選ぶ権利はないが、職業を選ぶ義務はある。
恋愛して結婚する権利はないが、恋愛して結婚する義務はある。
同僚たちと楽しく談笑する権利はないが、同僚たちと楽しく談笑する義務はある。

昔、いじめられっ子だったから遠足も運動会も大嫌いだった。けれどその後に義務として書かされる作文の末尾には、必ず「今日は楽しい遠足でした」と書いた。
まさに「遠足を楽しむ権利はないが、遠足を楽しむ義務はある」。
それは奴婢だったからだ。自由の意味も分からず、主人(先生、親)がいれば気を使い、「義務を果たし続けること」が「居場所を得る安心」につながると思っていたんじゃないだろうか。

観客が舞台に上がるのも、それを体験的に理解するワークショップなのか。
「舞台の上で自由に動く権利はないが、舞台の上で自由に動く義務はある」ってことだ。

観客席の限定されたスペースに縛りつけられ、自由な行動を制限されている間は、心は自由なのだ。映画館の暗い空間で「見るだけの側」で感じる安心と自由に似ている。
権利と義務は反対概念ではなく、セットでついてくるものなのか。しかし「自由」を与えられた時に自分を「義務」で縛るものは何か、と考えると、自分だ。
先生は「楽しかったと書け」とは一言も言っていないのに、小学生の私は「楽しい遠足でした」と書き続けた。行きたくもない学校に毎日通っていた。
ポラーノは「何をしても自由だ」と言っていたのに、私はシャツの裾も直せず、どう動くべきかなどということを強制もされないのに考えていた。
ポラーノが言ったように・・・こういうのが、奴婢なのか。

<3>「『奴婢訓』は、まさに主人が不在となった現代の写し鏡」という。どういうことか、日常の中に見るその事例を挙げてみよう。

これはわかる。奴婢たちの滑稽な主人ごっこは、毎日我々が暮らす社会そのものだもの。
客商売をしていても、事務室で客の電話だけ受けていても同じだ。
まさにお客様は神様でありご主人。基本、どんな理不尽でつまらない客の要望にも必死で応対せねばならない。
コンビニの店員の態度が気に入らないと、自分の前で土下座させた客の話もあった。(パンフレットの対談でも出ていた)
勤め先でも最近「本に栞(単なる店のサービス品)が挟まれていなかった」ということでクレームをつけてきた客に対し、店側が平謝りに謝って一枚の栞を届けに行った。
(『奴婢訓』の世界に少しも異ならない滑稽さだ!!)

実は誰一人客が偉いなんて思っていない。
「金を落としていく側が主人」というゲームのルールだ。店員たちも仕事を終えて他の店に入ればわがままな客になれる。
誰にも頭を下げないわがままな客(クレイマー)は、実は一番弱い立場でもある場合も多い。仕事ができず(適応力がなかったり年だったり)、収入が乏しく、店や公共施設でストレス解消するしかない人が多いからだ。
いろんな場面を考れば考えるほど、現代において「主人」とは交代可能な「ごっこ」でしかないことに気付く。
支配的な上司が、家では奥さんに頭が上がらなかったり。その奥さんがママ友の間では縮こまっていたり。中にはどこでも暴君的にふるまっている人もいるが、この方が幸せとは思えない。尊敬とか共感とか得られないし、友人にも家族にも疎まれているだろうから。そういう人は主人とは言えないし、中心でもありえない。

<4>横並びの奴婢たちの中で、以下の二人はちょっと違う。
ダリアはどういう役割か。


掃除婦のダリアは、唯一共感できそうなキャラクターである。
奴婢たちが決めた主人役の交替時間を、何度も延長してしまうのだ。
主人役の時は当然、他の奴婢を鞭打ったり、罵倒したりもする。しかし彼女は他人を支配するよりも、自由に歌うことが大好きなのである。
女主人気分で「ダリアミュージックフェス」と銘打ち、客席の後ろに立って歌う姿は楽しげでチャーミング。「支配―被支配」への興味よりも、他人に支配されずに踊ったり歌ったりすることが好き。ちょっとヒロイン的にも見える。
七場「酢の壜」で、同性のかま猫やよだかと醜い争いを繰り広げるが、その思慮の浅さが悲しい。彼女が他の奴婢たちに感じる憎悪は、そこから抜け出すエネルギーにも通じていたのに。
しかし、厳然たる奴婢たちの横並びルールの中で、半歩抜け出そうとあがくダリアは、「出る杭」。鉄を打たれて残酷に粛清された。

強制されてダリアが歌う「馬の蹄鉄を打たれた下女のオペラ」には、ゾッとするような怨念を感じた。
前半までの奴婢たちは、義務とセットの自由と気楽さを持ち、退屈に耐えれば明日のことを思いわずらわない、「楽」な存在なのかな、とも思っていた。自分が「奴婢」と感じることが多かったからなおさら。「お前たちは地獄に居るから心配ない」。
しかし、奴婢だけの社会の恐ろしさは、ダリアの悲劇が証明しているようにも感じられる。
自分たちがお互い軽蔑し合いながら、自分たちでルールを取り決めている状態なら一見平和だが、一人そこから抜け出そうとする者に対しては、恐ろしい憎悪を噴出させる。

【「主人の不在」をめぐって】

この後が、難しいと感じる部分で・・・自分でも確信の低い「たたき台」として書いてます。
答案を作りながら、設問も順番も「何だかうまくないなぁ・・・」と思いました。
それでも、もしお付き合いいただける方がいたら・・・ご意見や疑問、よろしく。

<5>ゴーシュはどういう役割か。

もう一人の「違う」存在ゴーシュは、ダリアとも違う。そもそも奴婢仲間であるかもわからない。
彼に関する説明は多い(その割に印象はペラっとしている)。やたらとニコニコしている(原作のまま)。名前の通り、かつては楽団でセロを弾いていたがクビになったということ。手放したセロをこの農場の主人が買い取ったと聞いて探しに来たということ。

奴婢たちはゴーシュを「この農場の秘密を嗅ぎまわっている」「イヌ(官憲)」だと疑う。ゴーシュを「来なかったこと」にした。「来なかった男はいない。いない男は見えない」。という「百姓の弁証法」により不在視することにした。
これも、昔も今も変わらない日本人的思考・・・(?)。破滅につながるような大変なことが現に起こりつつあっても「見えなかった」ことにする。「見えないものはない」。クラスのいじめから、原発事故の可能性まで。
「主人の不在」とは、そのようなものかもしれない。主人はいるが、見ないようにしているだけかもしれない。

スマホ(原作ではテープレコーダー)とのやり取りでは、外から来たはずのゴーシュが、奴婢として支配されていくプロセスが描かれていくようだ。スマホはゴーシュに命令し、ゴーシュのマイナス面を告発し、裸にして折檻し、ついには自分から折檻を求めるようにさせる。
かと思えば最終13場で「作り笑いのニコニコを、顔からバッサリ引きはがしゃ、俺が本当はご主人様だ」と宣言する。
しかしまだわからない。同時にゴーシュは、「カルボン酸の主人たち」をマッチで焚火にすることもできるし、世界でたった一人の下男にもなれる・・・ようにも聞こえる。

主人でもあり、奴婢でもある。サディスティックに支配するものでもあり、マゾヒスティックに支配されることを好むものでもある。ああでも、これは他の奴婢についてもいえることだ。
違うとすれば、「外部から来たもの」であること。
ゴーシュ自身のセリフからは「たった一人の存在(主人にしても下男にしても)」であることも感じられる。
そして「常に不在である」ことを運命づけられたもの?

それでもどうしても、「ゴーシュ=主人」と思うことができない・・・。
あまり彼にとらわれ過ぎるのも本体を見失うもとになりそうだ。

「説明的な役割を担った狂言回し」じゃないか、とも思える。
だからゴーシュについてはいったんここまでに。

<6>シグナルのインタビュー隊がメインホールを出ていって帰ってくるまでの間に、舞台は、客席は、どう変わってしまったのだろう。

これは、観客を舞台に上げるシーンと同様、原作にはない多田オリジナルの部分である。
テレビによく出てくる、「突撃!○○○○レポーター」みたいな企画。マイク係の奴婢とカメラ係の奴婢がコードを引きずって客席を回る。
質問は「あなたはこの屋敷の主人ですか?」。
その様子は舞台上のスクリーンに投影され続ける。その後ホールを抜け通路を実況しながら歩き、公民館に来た子供達と会話し、事務室にまで行って残業中の職員にマイクを向けて同じ質問をする。主人は見つからない。結構長ったらしく時間を使う。ネタはたいがいにして、早く会場に戻って本線の芝居をやってほしい。
・・・と思ったが、インタビュー隊が一回りしてホールの扉を開けたはずなのに、実際には彼らは入ってこない。スクリーンの客席にはそこに居るはずの我々が映っていない。
リアル映像と録画をつないだだけのトリックだが、非常に奇妙な気分になる。簡単なトリックだとわかるが、非常に奇妙な気持ちになる。(後で聞いた話によると、子供たちや事務室の部分も録画だそうだ。映像で事務室に居た館長さんは客席で見ていたとのこと!)

役者たちはどこに行ってしまったのだろう?我々観客はどこに居るのだ?

この後、舞台上で「通常」芝居が行われることはなかった!奈落の底でリンチが行われたり、ゴーシュら一人二人が時々舞台の上に来る程度。クライマックスでは強い光が数条客席に向けられて何も見えなくなり、ラストシーンは奥の舞台となる。

物語は我々の手の届かないところに遠ざかったのか?
我々は彼らにとって不在になったのだろうか?

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