おもしろくない 

January 13 [Fri], 2006, 16:13
昨年末よりとてもつまらないことで憤慨している。
それは会社での出来事だけれど。
昨年10月に友人の彼女が入社した。
経営戦略がやりたいという触れ込みだったが、経営戦略って何?と聞くと、経営会議の事務局らしい。
今の会社の経営戦略会議の責任部署は総務なので、総務に入ってもらった。
最初給料を提示したが、少なすぎるからもっと上げてくれと言う。
言うとおりにした。最初から低めに設定していたから問題ないけど。
2週間後ぐらいに面白くないから辞めたいと言い出す。
彼女の彼に言わせると、責任感が強く、仕事はバリバリにできるという触れ込みだった。
嘘をつけ。何かあるとすぐ辞めたいと言い出す。
陰ではこんな小さな会社には勤めていたくない、と言っていたらしい。
だましだまし使っていたら、12月のある日、私物をまとめてそれきり会社に来なくなった。
知らなかったけど、名札も持って帰ったらしい。
それから毎日体調がすぐれないから休むというメールが入った。
2週間ぐらい続けてメールが入って、また辞めたいという。
もう勝手にしろですね。
ふざけるなですね。
胃が痛くてご飯が食べられないとか、食べてもすぐに戻してしまうなんてたぶん嘘で、辞めたい理由を創っただけだったんだろうな。
本人、見た目はいいんだけど、よく見ると救いようのないブリッコブスで友人もよくあんなのと付き合っていられると思うほど。
まいっか。
でその後補充した人は1週間で辞め、来週から新たに人が来る。
僕が現在の担当になってから、自分の部署だけで月平均一人辞め一人採用している。
みんないい気なもんだね。
ただ、一番最初に雇った秘書さんは堂々と社長と喧嘩しスカッと辞めていったのでちょっと違う。
次の秘書は2週間で突然来なくなる。
そうこうしているうちに、女性が一人ギブアップ。で二人派遣でとったら、その二人が罵りあう大げんかをし出すし、一人はおはようの挨拶もできない。
二人ともに切って・・・・こんな事の繰り返し。
自分で面接して自分で採用したので責任は僕にあるけれど

来週から来る方、長続きして欲しい

正月に思うこと 3 

January 06 [Fri], 2006, 17:06
つづき

僕にとって会社とは・・・・実は真剣に考えたことがないから答えはない。
ただ、1年が240日として36年勤めたのだから8640日は働いたことになる。だから、たぶんその時々によって会社というものとの関わり合いが違うことは確かだし、基本的には本人に自覚はなくとも8640日=約23年間は使われる側にいたということだ。」だから何だと言っても何でもない。ただそれだけで、その間給料をもらい生きながらえてきた事実が残る。
そんなところかな。

●今本当にしたいこと
わからない。その日暮らしのような気がする。それでいてその日に何かイベントがあれば小さなワクワク感がある。
何がしたいのだろう。この56年間生きてきて記憶がたどれるのは途切れ途切れではあるけど小学校入学からだから49年間ぐらいかな。
小学校に入学し記憶にあるのは
 ・初めて習った唄
  おそらはあおぞらあいうえお いいなしょうがくいちねんせい
  うたってがっこへどれみふぁそ いいなしょうがくいちねんせい
 ・次に覚えている歌
  ぶんぶんぶんはちがとぶ おいけのまわりにのばらがさいたよ ぶんぶんぶんはちがとぶ
 ・初めて解ったこと
  宮内和夫のふりがなは みやうちかずを ではなく みやうちかずお

ついこの前まで住宅ローンを返すまでは働かなくてはと思っていたが、それも割増退職金で返してしまった後、何だか金銭に関する縛りが無くなったとたん今回のようなことを考え出している自分が情けない。
じっくり考えよう、でもキット考えないな、目の前に何か面白いことが湧き出るまで待っているんだろうな・・・・・・情けない・・・・・

正月に思うこと 2 

January 06 [Fri], 2006, 17:05
 ・這々の体で羽田を逃げ出し、Optical Pickupの開発部門へ。ここはそれ以前と比べたら天国だった。事業部の平均年齢は30才ぐらいだし。みんなおしゃれだった。この時代に東北地方の第三次外注まで回り技術指導を行った。第三次ぐらいになると炬燵で作業は当たりまえ。一ノ関から長距離バスに乗り青森の五所川原まで行き津軽鉄道に乗ったのもこの頃だ。
 ・次は同じビルの中にある技術企画へ。ここでちょっとやってアナログICを開発する事業部へ移る。ここの事業部長は変人で、風呂に入らない、歯を磨かない、で職場の女性に惚れ込んで語学留学と称してイギリスへその女性を行かせ、海外出張と称してイギリスへよく行っていたっけ。最後は大げんかをして本社スタッフとなり退職までスタッフを続けた。
 ・本社スタッフ時代は当時の社長であった出井氏や安藤氏とよくやり合ったが、何より楽しかったのは自分で企画して海外出張へいけるようになったことだ。あちこち行ったな〜、近いところから韓国、中国、台湾、香港、シンガポール、マレーシア、タイ、ベトナム、インド、カナダ、アメリカ・・・

これが第一の会社生活における僕の軌跡だ。
入社して前半は好き勝手、中盤は疲れから腸閉塞や訳のわからない病気になるほど働くに働き、後半は中盤の経験を生かして効率よくまあまあの会社生活だったような気がする。
続きはまた

正月に思うこと 

January 06 [Fri], 2006, 16:57
2006年が明けた。
そこで昨晩行きつけの寿司屋(大寿司)で焼酎(一刻者)の水割りを飲みながら考えたことをここに記す。
●自分にとって会社とは
 ・入社したのが1969年、横浜市立工業高校を卒業してソニーに入社。研究所配属。分野は半導体の基礎研究。はちゃめちゃな会社生活だった。飲みに飲んで遊ぶに遊んでそんなのが4〜5年続いた。
 ・横浜市保土ヶ谷区藤塚町にある研究所から厚木工場へ移る。この頃左翼運動に目覚める。組合活動、日韓問題、砂川闘争、成田空港闘争に関わる。集会の帰りは公安の尾行をまくために毎回違った帰り道をしてた。厚木工場では組合がオープンショップからウニオンショップに変えようとしており、反対の立場を貫き通す。その結果、組織変更後に自分の名前がどこにもないことが発覚。東京本社の三船さんに助けを求め、第一開発部を紹介される。そこでまたまた半導体開発。中央研究所のラインを使い圧力センサーやホール素子を開発。えらいちゃらんぽらんな会社生活でした。結婚は厚木工場時代にしていた。
 ・品川の第一開発部からQAセンターに移籍。このころからまともに仕事をし出す。印刷抵抗基板の信頼性評価を担当していたが、自社開発をするとの方針で羽田工場へ。地獄の日々が始まる。
 ・開発した印刷抵抗基板がセットの量産ラインでトラブルを起こす。この頃家に帰れるのは月に1〜3日。それが1年半ぐらい続き体調を崩す。具体的に言うと、疲れてくるとちょっとした刺激で口の中に直径1センチぐらいの血豆ができるようになり、現在まで続いている。

つづく
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