9月 

September 04 [Sun], 2005, 23:34
わたしにとって大切な月が今年もやってきた。
9月。

振り返れば、それは単なる分岐点の積み重ねに過ぎない。
それでも、小さな決心も、ささやかな幸せも、果てしなく続く絶望も、
全部9月の中にあったと思う。

忘れられないのは9月の雨の京都。
確か四条大橋を市バスで渡っていたときだったと思う。
隣で当時だいすきだったひとが言った。
「あなたがボクの好きな京都をすきでいてくれてよかった。
 この先なんべんこの橋を渡っても今日のこの日のことを
 ボクは思い出すと思う」
その日は、はからずも彼の誕生日だった。
それから何回も彼の誕生日を京都で過ごしたけれど、
もう彼は二度とわたしと一緒に四条大橋を渡ってはくれない。

でも、その一瞬の彼の言葉は、思い出すたび、いつだって
心に灯がともる、わたしの大切な宝物だ。

今年の9月はわたしになにを運んでくれるのだろう。

雨の日曜日 

September 11 [Sun], 2005, 18:29
午後から雨になりました。
こんな日はとりあえず読書。
今更ながら「重松 清」に手を伸ばしてみる。
2001年の直木賞受賞作品、「ビタミンF」。

「ひとの心にビタミンのようにはたらく小説があったっていい。
そんな思いを込めて、七つの短いストーリーを紡いでいった。
Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune…〈F〉で
始まるさまざまな言葉を、個々の作品のキーワードとして
埋め込んでいったつもりだ。そのうえで、けっきょくはFiction、
乱暴に意訳するなら「お話」の、その力をぼく(著者)は信じていた。 」


日常の何気ない一瞬を切り取るのがうまいなぁと思った。
ひとは、何かをきっかけにすぐに劇的に変わることなんて出来ない。
けれど、ほんの少しの勇気を持って目の前の扉を開けることくらいは
今からでも、いつからでも、出来るのかもしれない。
この短編では、今まさにその扉に手をかけようとしているひとたちの
その最初の一歩が描かれたりしている。

・・・だからって、なんの解決にもなってないじゃん。
なんて思ってはいけない。
人間なんてこんなもの。
だからこそ生きていく毎日は、誰にでも等しく愛しい。
フィクションでありながら限りなくノンフィクションに近い日常が、
みずみずしく切り取られている、まさに重松らしい作品だと思った。

読みながら、読み終えて、わたしのすきなひとのことを想った。
強靭な精神力で日々の激務をこなしているそのひとが、
この短編の主人公たちのように、苦渋に満ちた表情で、
パンドラの箱を開けなければいけないとき、
願わくば、その隣にはわたしがいたいと思う。

すきなひとの弱さは、いつだって愛しさに繋がっている。

 

September 12 [Mon], 2005, 20:37
「目は口ほどにものを言う」
確かにそうではあるけれど会って目を見ることができない状況下では、
やはり「声」がものを言う。

とりわけ「おとこのひと」ほど、声には気をつかって欲しい。
勝手を承知で言わせてもらう。
高いのは絶対にいやだし、ぼそぼそしゃべるなんてもってのほか。
尊大でもいけないし、ひ弱でも気持ちが萎える。
出来たら、低く、甘く、ゆったりと、声を紡いで欲しいな。
ビジネスの時間はどうでもいいの。
時には声高に部下を叱責してたってわたしには全然関係ない。

でも、一日の終わりにわたしとの電話が繋がったそのときは、
ビジネスという鎧をあっという間に脱ぎ捨てて欲しい。
仕事の出来る一流のオトコがわたしの前ではデレ〜っと弛緩して欲しい。
そうじゃなかったら、お互いの貴重な時間を電波の悪い携帯同士で
繋いでいく意味なんかなくなってしまう。
不器用な男性脳にはそれがどんなにか難しいことと知っていても
私は繰り返し洗脳すると思う。
いつだって第一声は甘く、低く、優しく・・・と。

ここまで書いたら娘がPCを覗き込んできた。
「相変わらず妄想が炸裂してるね〜」
失礼な。
これは実に立派な恋愛論なんだから。
あと数年したら、愛の伝道師がこんな身近にいることに、
ただただ感謝することになるのだよ、君は。

待つということ 

September 14 [Wed], 2005, 23:28
わたしは待つことが嫌いじゃない。

その日もわたしは照明が低く落とされた居心地のいいバーの
一番奥のテーブルですきなひとを待っていた。
待ち合わせ時間の10分前だった。

完璧に仕上がった肌や髪や爪がわたしを満たしていた。
目を閉じ、これから数分後にわたしのもとに息せき切って
駆け付けてくる、そのひとを心でなぞった。

たぶん第一声は
「遅れてごめん」(全然遅れてないよ、まだ5分前だよ)

まっすぐ私の目を見て
「元気だった?」(元気じゃなかったけど、今元気になったよ)

そしていつものように、
上着を脱ぎ、シャツの袖をめくり、ネクタイを緩めるだろう。
それは日常を捨ててそのひとがわたしのところに戻る合図だ。
わたしはその瞬間を見るために、いまここにいる。

会って言葉を重ねたそのときから
別れるための時間が始まってしまう。
だから、わたしはまだそのひとに会いたくなくて、
いつまでもこのまま目を閉じて「待って」いたいのだ。
たとえて言えば
晴れた日のひだまりのように
静謐な夜の月のように
ただただ静かに満たされる至福の時間。

気配に気付いて目を開けたら、愛しい笑顔がそこにあった。

どこでもドア 

September 18 [Sun], 2005, 23:03
週末には遠いウィークデー。
「どこでもドアが欲しい」とすきなひとに甘えてみた。
甘え下手のわたしにしては中々イケてる。
10分後に返信が来た。

「どこでもドア?これから本屋に行ってぼくのお薦めの
 本を買うんでしょ?間違ってドラえもんの本を買わない
 ようにね」

は?
そ・う・じゃ・な・く・て。
メールの冒頭の「なんだか疲れてしまってすごく癒されたい」
という布石はビジネス中の男性脳に思いっきり無視された訳?
でも、優しいわたしは決して怒ったりしない。
こんな仕打ちはさらりとかわしたフリ。

その翌日、深夜1時。
携帯が鳴った。すきなひとからだ。
こんな時間に掛かってくるのだから当然、電話の向こうの声は
ただの酔っ払い。
「こんな遅くにごめん。今、タクシーで帰ってる。
 今日も疲れたよ・・・・
ふふふ。甘えたいんだ。
これは「ドラえもん」の仕返しのチャンス。
「ねぇ、いますぐ瞬間移動するためにどこでもドアが欲しくない?」
「・・・・欲しい。」
「じゃあ、あげる。でもそれは会社と繋がるドアよ。
 オシゴトガンバッテ!明日も早いから、おやすみなさい」

ちょっとスッキリしてその後はぐっすりと寝させて頂いた。
あわてた彼はタケコプターを駆使してその週末にやってきた。
わたしとしてはやっぱり「どこでもドア」がいいのだけれど、
たとえ三日遅れのよれよれタケコプターでも、
実は「癒されたいわたし」をすごく心配していたそのひとと
ドラえもんに免じて、許してあげることにした。

そして本当は知っている。
どこでもドアで今すぐ会うことが出来なくても、
わたしのすきなそのひとの声が、数行のメールが、
夜中の電話の息遣いが、
わたしを充分に癒してくれるということを。
わたしの毎日は、呆れるくらいすきなひとで出来ている。

奇跡の夜 

September 22 [Thu], 2005, 23:59
丸ビルの暗闇坂宮下ですきなひとの誕生日を祝った。
会えない日が続いた結果の数日遅れの誕生日だった。
彼の仕事の調整を待って、ぎりぎりの予約だったにも
かかわらず、その日のわたしたちには奇跡のように
窓際のテーブル席が用意されていた。
眼下には宝石をちりばめたような夜景。
照明をぎりぎりまで落としたテーブルに、ひとつひとつ
丁寧に運ばれてくる懐石の繊細な彩りが、わたしたちの
目を、舌を、そしてこころを満たしていく。

最初は仕事の話ばかり。
ビジネスでのジレンマを抱えた彼は今夜も素敵だ。
そうして、二杯目のお酒が真ん中を過ぎた頃、
そのひとはやっとちゃんとわたしを「見る」。
わたしのお酒を選び、食欲のあるなしを心配し、
わたしの洋服や爪を愛で、うれしそうに笑う。

大切にされていると思う瞬間が今日も確かにやってくる。

こうやって静かな夜をいくつもいくつも重ねて
わたしたちは、いったいどこにいくのだろう。
出会ったことも、わかり合えたことも、
こうしてふたり向かい合うこのテーブルも、
すべてが奇跡なのかもしれない。
いつまでも続いてほしいと願う。
でも、もし、この奇跡が明日終わってしまったとしても、
この夜の果てに彼と見ようとしたものをわたしはきっと
ずっと信じ続けていくだろう。

ふと、窓の外の宝石がわたしの視界の中で揺らいで溶けた。

デザートの後、お店の粋な計らいで彼に大きな花束が
プレゼントされた。
「ぼくには似合わないから」とそれはそのまま私の腕に
すっぽり収まった。
BREEZE OF TOKYOのラウンジでわたしたちは
その甘いバラの香りを何度も楽しんだ。
グラスを重ね、言葉を重ね、最後にそっと手を重ねた。

重ねた夜の数だけ、
わたしたちにも静かに降り積もっていくものがある。
それがなにかはこれからふたりでゆっくり探しにいくけれど、
それが他のなににも代えることのできないものだということを
ふたりはとっくに知っている。

奇跡はきっと終わらない。

試練 

October 03 [Mon], 2005, 20:56
試練は突然やってきた。
腎盂腎炎による入院。
すきなひとの誕生日を祝ったその翌日だった。

高熱に苦しみ続けた病院のベッドで、わたしはどんどんひとりに
なっていった。
家族や仕事の仲間や大切な友人が連日のように、わたしを
見舞ってくれたけれど、真夜中のベットはわたしにどうしようもなく
「現実」を突きつけた。

すきなひとはわたしが倒れたとき、すぐ病院に駆け付けてくれた。
そして仕事の合間を縫うように毎日連絡をくれた。
ネガティブな病人を前に、根気強く、
いたわり、なぐさめ、慈しみ、勇気を与え続けてくれた。

わたしはひたすら信じた。
わたしがあの夜贈ったARMANIのネクタイを締めて、またわたしと
向かい合う彼が閉じた瞳の中に居た。
温かい笑顔も強いまなざしも、寸分変わることなくわたしのこころを
満たすはずなのに、彼は泣きたいくらい無色透明だった。

魔法を解いてしまったのは、誰なんだろう。

パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない、と思う。
わたしが帰るべき場所は帰りたくない場所だった。
わたしが帰りたい場所は決して帰ることの出来ない場所だった。

9日目に退院した。
運命の9月はひっそりと終わっていた。
ひとり車で走った。
風はまた少し冷たくなっていて、秋の気配を増していた。
爪はあの夜のまま、色褪せることなくわたしを彩っていた。
不思議だった。
あの夜の、奇跡のテーブルも揺れていた宝石も全てが遠かった。
アクシデントを前にしてもなにも揺らぐことなくわたしを支えてくれた
愛しいひとも、いまは遠かった。
わたしだけが、変わってしまったような感覚が、そこにあった。

車を運転しながら、
わたしは声を上げて、はじめて泣くことができた。

京都駅八条口 

October 08 [Sat], 2005, 21:44
「そうだ、京都にいこう」と思う。
静かな雨の一日に、宝泉院のお庭を、銀閣の苔を、龍安寺の石庭を
飽きることなく眺めて過ごすことができたらどんなにか心安らぐだろう。

わたしに「京都」を教えてくれたのは、かつてのわたしの恋人だ。
大学時代を京都で過ごしたそのひとと、東京で出会い、恋をした。
お互いがお互いの「光」だった。
ただいつまでも一緒にいたいひとだった。
5年という長い時間、そのひとは私の心の真ん中にいた。

東京駅からふたりでのぞみに乗って何度も京都に出掛けた。
付き合って4年目に彼が京都に転勤になってからは、
ひとりでのぞみに乗って彼に会いに行った。
彼はいつでも新幹線の八条口改札でわたしを待っていた。
ときには大きく手を振って、ときには照れくさそうに横を向いて、
雨の日には傘を二本持って、わたしを待ってくれていた。

どうしてだろう。
京都で彼と過ごした日を思い出すとき、それは透明な光に
包まれていて、すべてが幻だったのかもしれないと錯覚する。
でも、八条口の改札でわたしを待ってくれていた彼だけは
ときが経ったいまでも鮮明に思い出すことができる。
八条口に立つ彼を視界に捉えた瞬間、
止まっていたわたしの時間はいつでも音を立てて動き出した。
モノクロだった世界には、鮮やかな色彩が戻った。
「帰ってきた」と、何度も何度も思った。
あの頃のわたしには確かに「帰れる場所」があった。

想いは風化する。
どんなに切なく辛く苦しい別れでも、時間がそれを浄化する。
あとに残るのは愛し、愛された甘い記憶だけだ。
でもそれはどこまでも透明で儚くて、
わたしはまだ少しだけ泣きたくなってしまう。

「そうだ、京都にいこう」と思う。
八条口に立つひとは、いまはもういないけれど、
京都は何一つ姿を変えることなく、わたしを待ってくれている。

魔法 

October 18 [Tue], 2005, 20:17
あの退院の日から
一日も空けることなく、すきなひとから電話が来る。

わたしの体調の心配からはじまって、お互いの仕事のこと、
今日のお天気のこと、なにに苛立って、なにに心癒されたか
相変わらず電波の悪い携帯同士で時間を繋いでいる。

彼の声は、甘く、低く、優しく、
パンドラの箱を開けてしまったわたしに
また優しい魔法をかけてくれようとしている、と思う。

言葉が足りないと小さな頃からお母様に散々叱られてきた彼が
思えばわたしにはたくさんの魔法の言葉をくれた。
不器用なひとが紡ぐ言葉には不思議な力があった。
純粋なひとが紡ぐ言葉にはなにひとつ曇りがなかった。
「はやく逢いたいです」
まだ友達だったふたりの距離を
真夜中のメールで近づけてくれたのも、彼だった。
そして、私は恋におちた。

電話の向こうでまた雨が激しくなる。
それでも雨音は彼の存在を消したりしなかった。
どうして彼の声はわたしをこんなに安心させるんだろう。
あの病院のベットで生まれたさざ波はどうやらゆっくりと
わたしの中から消えてくれそうだ。

どんな恋愛でも、哀しみが隣り合わせで存在するのであれば
その哀しみを力に変えていける自分でありたいと、願う。
すきなひとと共有できる時間がすべてでないとするならば
たったひとりで向き合う時間の重さを大切にしたいと、思う。

「もうあなたはなにも心配しなくていいから。
 心配はぼくが全部引き受けているから」

今日の彼の魔法の言葉はわたしをちょっぴり泣かせた。

SURPRISE 

October 22 [Sat], 2005, 14:04
懐かしいひとから思いがけず電話をもらった。
わたしがまだ20代の頃、すきだった彼からだ。
同じ職場の同期入社だったわたしたちの共通の友人から、
偶然にもわたしの今回の入院のことを聞いたらしい。

もう15年も前の「恋人」のことを気にかけてくれるなんて
彼はあの頃と寸分変わらずいいオトコだ。
「電話で話すのなんて何年ぶりだろう・・・」
としみじみ考えていたら、一緒にいた頃もよくこんな風に不意に
わたしを驚かせては、透けた茶色の瞳をくりくりさせて喜んでいた
彼の面影がわたしの中に蘇ってきた。
あまりに幼く拙かったわたしだったけれど
いまのわたしの恋愛観の「核」となる部分は
全部あのころの彼から貰ったものだという気がしてならない。

わたしたちは仲のよい兄と妹のようだったと、思う。
彼は呆れるほど子供だったわたしに「ひとを愛する」ことの意味
を教えてくれた。
一方的に与えられることにしか価値を見出せなかったわたしに
「与える」ことの幸せを教えてくれた。
信州の松本出身だった彼は、その故郷に流れる川と同じくらい
清らかなひとだった。

結局ふたりの想いは「成就」しないまま終わってしまったけれど
わたしの結婚式前日に彼から届いた最後の「SURPRISE」を
わたしは今でも忘れていない。
大きなバラの花束と手紙が、その日を最後に去る実家の
わたしの部屋に届いたのは、桜満開の春の午後だった。
彼への想いは引きずってはいなかった。
それでも彼の手紙はわたしを泣かせた。
わたしの実家の庭に大きな桜の木があることを知っていた彼は
その満開の桜に負けないくらい綺麗に咲き続けるわたしでいて
欲しいと書いていた。
そして手紙の最後はこう結ばれていた。
「貴女と僕の道はひとつに繋がっておらず、
 繋がっていなかったからこそ、
 僕が心から好きだった貴女は、
 誰よりも幸せになれると信じています。」

キザなヤツ!と大人になりすぎた今は笑い飛ばせるくらいの出来事
だけれど、彼には感謝しないといけない。
桜の季節になるたびに、その情景を甘く切なく思い出すことのできた
わたしは、本当に幸せな恋愛をしたと思う。
ふと気付けば電話の向こうの彼は遠い遠い存在になってしまった。
でも遠く失ったものだからこそ、光輝いている。
彼のなかでも、わたしがそんな存在であり続けるのなら
わたしはとても幸せだ。
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