思い出話 

March 23 [Fri], 2012, 5:18
物心つく頃に、祖父から聞いた色いろなお話は
いつ思い出しても面白い。


舞台人としての心得の中には多様な精神論がある。


「敵は常にそばにいる」という教えがある。
それは自分というものを軸に、親友だったり、師であったり
仲間だったりする。敵は決して「ライバル」だけではなく
もっと身近な思いもよらない存在だ、という例えだ。



私自身もそういう事を体験し、実感する年となって来た。




色いろな教えがあるのだろうけれど、今の所私の敵は
そうやら私自身の中に住み着いているようだ。




平田恭子先生との出会い 1 

March 20 [Tue], 2012, 0:51
私が声楽を始めたのは高校1年生から2年生の頃だったと
記憶する。姉が西洋音楽の勉強を始めた為に、伝統芸能の豊嶋家にも
西洋の香りが再び降り注いだ。それ以前は、父方の祖母が幼少時代に
ピアノに触れており、祖母の縁で我が家にもアプライトではあったけれど
YAMAHAのピアノがあった。

私のピアノの腕はバイエルの下巻を終えた程度だったけれど、中学の時に
部活でトランペットを吹いて、学生指揮も勤めたのでそれなりの知識と
経験があった。


平田恭子先生は当時、広島に住んでおられエリザベト音楽大学で
教授として教鞭をとっておられ、また非常勤講師の形で芸大にも月に
一度は通っておられた。

父と母と話して、平田先生の貴重な録音(トスカやボエームのアリア)
を聴きながら「この先生ならば」と言う予感があった。当時父は病を
患って色いろと難しい時期だっただけに、録音には真剣に
聴き入っていたのが私の印象に残っている。


高校で学割証明書を貰い、新幹線で一時間。月に一度のレッスンが
始まった。初日に私はいきなり先生に「芸大に入りたい」と言ったら
「さ〜ちょっと無理じゃないかしら〜」とあっさり言われ、さっそく私の
お尻に火がついた。


私達は月に一回の良いレッスンを受ける道を選択した。あとは自分で
学ぶという姿勢を見に付けるべきと考えた。最初からこのペースで
常に自分と向き合って「自分で考える事」をした。


このことが、今日私自身にもたらすものは驚くほど大きい。




今日は 

February 27 [Mon], 2012, 23:28
スロヴァキア国立ブラチスラバ歌劇場で
Mozartのドン・ジョバンニ(Don Giovanni)を
鑑賞しますこの劇場に入るのは、なんと
今日が初めてです





お天気も良くて最高
ウィーンからバスで一時間。



クロアチア 4 

February 23 [Thu], 2012, 7:09
クロアチアの夕暮れ。
アドリア海沿いをゆっくりお散歩





どこから空で、どこまでが海かわかりますか?





クロアチアはとっても深いエネルギーのある
場所ですね。


 

February 22 [Wed], 2012, 23:10





この金と赤の龍が描かれた陶器は3〜4年前に
ウィーンで購入したものだ。両方とも日本製だけど
輸出用につくられたもので、手書き、とても
手の込んだ仕上がりだ。



その昔、私の先祖が暮らした宮島の厳島をたたえる
水にも神様がいたといわれて来ただろう。厳島には
竜神信仰なる歴史も存在した。

イランやインドの古い歴史には、水の女神は芸術の
神様でもあった。日本には弁財天として伝わった。



私がこの小坪にお水を入れるのは他でもない、私が
見る事のなかった大叔父たち家族が、広島・原爆の悲劇に
見舞われた事に対する少しばかりの、気持だ。


彼らの犠牲の上にあってこそ、豊嶋弥左衛門が
流麗豪放な京の花を咲かせられた事、それを
忘れてはいけないと思っている。



クロアチア 3 

February 20 [Mon], 2012, 8:10


  クロアチアの港で魚を購入!
水揚げされたばかり
 



大きな鉄板にオリーブ油を入れて焼く
 



サラダには日本ではあまり見かけない、かぼちゃの
種から取れるオイルと酢でドレッシング
とっても身体に良いです
 




アドリア海の恵を美味しく頂きました



クロアチア 2 

February 19 [Sun], 2012, 19:01
クロアチアの奇麗な湖(アドリア海)





透き通るグリーンの海水(アドリア海)




クロアチアも冬なので結構寒いですが
大自然、特に海や湖が最高に美しいです。



クロアチア 

February 18 [Sat], 2012, 21:16
初クロアチア!


湖がとても奇麗、もちろん海も。








心のオアシスですね〜。


父の思い出 

February 17 [Fri], 2012, 4:10
今月は父が亡くなって20年になる。
私は思春期の年頃だったので、それはそれは色いろと
難しい時期だったと記憶している。


思い出の映像にいる父は何と言っても若い。




小学生の頃だったか、舞台でどんなお花でいたいか
と言う話をした事がある。父は「お父さんは百合の花で
ありたい」と語ってくれた、百合の花は高貴で
品があるから、と。(蘭も好きだった)



物心つくころに、山口だったか初めて父の舞台姿を
見た事を覚えている。それは何とも優しくいぶし銀の様な
光を放っていたのを思い出す。父が面をつけて舞台で
舞うと手と足、そして声がとても美しい能役者だった。




父も私も末っ子だったので、お互いの気持を多く共有できた
ように思うし、亡くなる前の一年間は姉兄が上京した為に、
まるで一人っ子の様に愛情を注いでもらった。


個人の評価と期待があったのだろうか、後のことや
今後の家の問題について、特に兄の事について
沢山の話をしなければならなかった。父とのタイムリミットが
それぞれに迫っていた。



20年の歳月が投げかけてくるものは、やはり大きな愛情、
我家は父が「こうであるべきだろう」と望んだ様に
進んでいるのではないかと感じる、私はその精神の神秘さ
そして崇高さを実感している。



週末 

February 13 [Mon], 2012, 22:29
週末を利用して髪の毛をチョキ・チョキ、
オーストリアとハンガリーの国境沿いま​でちょっくらドライブ。


ヨーロッパの子達と放射能の話になると必ず出てくる、
チェルノブ​イリの話。

今回の日本の原発問題とその違いを説明するのにどんだけ
努力がいるのか​!けれど悲しくなるのは、どこに一体
その根拠があるのか・・・はっきり言って分らない。


チェルノブイリ周辺の当時の話を彼女達から
直接聞くと、やっぱり恐いし何を信じるのかと言うのは
いつも「運」なのかもしれないとも思う。




ウィーンでは日本へのオペラ公演を、特に若い音楽家たちは
ためらっているのが現状。


プロフィール
  • ニックネーム: きっこ      ★★ Teshima Kikuko ★★
読者になる

 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 
「喜劇も悲劇も表現できる
大きな才能と美しい声を 持った本物の芸術家」
    クリスタ・ルートヴィヒ
 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 
  東京芸大卒業、サントリーホール主催オペラアカデミーで研鑽を積み、旧・安田生命クオリティーオブライフ文化財団の助成で、ベルリン国立音楽大学、文化庁海外派遣研修生としてミュンヘン国立音楽大学・カールスルーエ国立音楽大学オペラ科、バイエルン歌劇場主催・若手オペラアカデミーで学び、ウィーンで(財)ロームミュージックファンデーション特別音楽研究生としてドイツ歌曲の研究をした。    ドミンゴコンクール日本代表、国際コンクール「新しい声」アジア代表、世界大会では奨励賞。
 ’98年には、ブダペスト(ハンガリー)・ヴェローナ(イタリア)国際コンクールで優勝・1位を獲得、ハンガリー国立ブタペスト歌劇場で「ラ・ボエーム」のムゼッタ役でヨーロッパ・デビューを飾った。その際、ウィーン国立歌劇場・名誉会員・宮廷歌手の名・メゾソプラノのクリスタ・ルートヴィヒから高い評価を受けた。  同年、サントリーホールオペラ「愛の妙薬」に唯一の日本人ソリストとして、ジュゼッペ・サッバティーニ、エヴァ・メイらと共に登場した。
 27歳で伝統と格式を誇るプラハ国立歌劇場での「蝶々夫人」(タイトルロール)に抜擢され、大成功を収める。チェコの巨匠指揮者故ボフミール・グレゴルに「やっと本物のマダム・バタフラ(蝶々さん)に出会った」 と言わしめ、みずみずしい歌唱と豊かな表現力、傑出した存在感で上演を成功に導き、同歌劇場人気プログラムとなる。4シーズン連続の蝶々さんを一人で務め、劇場史初まって以来の名誉を受けた。   また「トゥーランドット」にも出演、役柄(ローレン)デビューとなったリューでも高く評価された。  これまで、バイエルン国立歌劇場管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、ゲルトナープラッツ歌劇場管弦楽団、ケルン放送交響楽団、日本フィルハーモニー、ドイツ・ザクセン州交響楽 名古屋フィル、スロベニア国営リュビリャナ放送響と共演した。
 北九州市民文化奨励賞受賞、文化特命大使、北九州市文化市民賞受賞。
Yapme!一覧
読者になる