本当は怖い漢字の話2 

September 05 [Mon], 2005, 22:37
現在日本で使われている「県」は略字で、本来は「縣」と書きます。
「県」は逆さの生首から髪の毛が垂れ下がっている様子です。
「縣」は、その生首が見せしめの為、系(糸)で木の枝に括(くく)りつけられ、ぶら下がっている様子となります。(そこから転じて「かける、つりさげる」の意味として使用され、人の心に当てはめられ「気に懸ける」の「懸」と変化しました)

なぜ今そのような意味の字が、行政の単位「県」として使われているのでしょうか。
残念ながら、それを明確に書いている文献はありません。
ただ、三千年もはるか昔、周王朝が直々に支配し治める、直属の地を「県」と名付けた事がわかっています。
それではなぜ、周王朝は「見せしめの生首」を意味する字を用いたのでしょう?

おそらく「県」と呼ぶようになったのは、 周王朝が安定して国を治めていた時代、成王から康王にかけての時代と思われます。
成王は東方の反乱を抑え、諸候を封建(主従関係を結ぶ)しました。
その元々諸候の領土であり、のちに周王朝が治める事となった土地が「県」です。
「県」は東方の反乱を抑える際、戦って得たものです。
古くから、戦いは相手方の大将を倒せば、勝ちとなりました。
そしてその勝利の印は、敵大将の首印でした。
つまり位が高い者、大将ではない限り、首にはされなかったのです。

自ずと「見せしめの生首」は、「見せしめにされた大将の首」という想像ができます。
では、なんのために見せしめにされたのでしょう。
それは、これから支配する土地の民にむけての見せしめに他なりません。
「あなた達の大将は、こうなった」と見せつけることにより生まれる、畏れによって支配していたのです。

「県」が「支配し治める領地」の意味となったのも、これで朧げながら理解できます。

引用:白川静著「常用字解」

本当は怖い漢字の話 

September 04 [Sun], 2005, 19:58
「真」は、災(わざわい)により命を落とした死体を表した漢字です。
元の形は「眞」と書き、上部「匕」は逆さまになり倒れている死体、下部「県」は逆さの生首から髪の毛が垂れ下がっている様子を表しています。

災難により亡くなった人は、強い霊力を持つ怨霊となると云われました。
そこで死者の怨霊を祠(ほこら)の中に鎮座させ、慎んで鎮める必要がありました。
「慎/鎮」のように「真(眞)」の部分を持つ漢字は、怨霊を恐れ慰める儀式に関します。
のちに「眞」は、死後の世界は永遠であるという古代の思想から、永遠のもの、不変のものという意味が込められるようになりました。

現代の「真」は「まこと」の意味とされていますが、「まこと」の意味を持つのは「真実」の「実」のほうです。
「実」は中身が満ち満ちている状態を表した字で、それを人に当てはめた際、心(誠意)が満ちあふれている状態「誠実」となりました。
「誠」は清らかな心で神に誓うことを表し、こちらが本来の「まこと」となりますが、「実」へ意味が移り、さらに「実」から「真」へと「まこと」の意味が移りました。(更に「満ち満ちている」という意味までも移っています)

日本で漢字が使われるようになった時には、すでに「真(眞)」は「まこと」の意味で伝わったため、良い意味合いとして名前などに使われています。
現在「眞」から形を変化させた「真」からは、もはや「真実」の意味を伺い知ることはできません。

引用:白川静著「字通」

火・炎・災 

September 03 [Sat], 2005, 10:42
「火」は燃え上がっている火の形を表す、象形文字とされています。
象形文字とは、物事の形を簡単に描いた、いわば絵文字です。
「火」の古い形は、焔全体を描いたものでした。(王冠のような形)
現在の形は、「炎」の一部を借りたものになって変化しています。
「炎」の形は、燃え盛り火の粉を撒き散らす焔を表す象形文字です。
「火」と「炎」の点の部分は、火の粉を表しています。

「災」の字の上「巛」はサイと読み、水の流れが塞き止められ溢れることを表します。
下の「火」は火が燃え盛る様子を表しているため、「災」という字は、洪水と火災の両方の意味を持っているのです。
これらが転じて「わざわい」の意味となりました。
このような、意味のある字を組み合わせ新しい意味にした文字を会意文字といいます。

火薬の発見 

August 30 [Tue], 2005, 20:44
大曲全国花火競技大会へ行って来ました。
これはもう素晴らしいの一言に尽きました。
視界全体が花火で埋め尽くされる経験は、ここでしか味わえないでしょう。
是非ともまた来年も行きたいものだと思いました。

さて、花火の原料となる「火薬」は、中国で発明されました。
ヨーロッパでは14世紀ごろから火薬が生産され始めたため、同時期に発明された活版印刷・羅針盤と並び「世界三大発明」の一つとされていますが、火薬はすでに二世紀頃(三国時代)から、武器として戦争に用いられていました。
そのころには火薬が生産されていたわけですから、「火薬の発見」は更に以前となります。

火薬の原料は、硝石と硫黄と炭素の混合物です。
そのうち硝酸カリウムは、尿を発酵させたものを結晶化させるとできます。
また硫黄化合物は人糞・馬糞などに含まれています。
火を熾すときに、糞尿を乾燥させた粉末を加えてみたら激しく燃えた。これが火薬の発見だと考えられます。
ちなみに、物を粉末にしたほうがよく燃えるという知識は、5000年前にはすでにあったようです。

漢(おとこ)の考察 

August 24 [Wed], 2005, 23:41
なぜ「漢」と書いて「おとこ」と読むのか?
いろいろ説があります。

「漢(おとこ)とは晋の五胡が中原を乱したとき、
漢民族の男子を罵って漢児と称したことに基づく」(広辞苑)

五胡とは、匈奴・羯(けつ)・鮮卑(せんぴ)・テイ(低の右側)・羌(きょう)の5種の種族を指します。この五胡が漢民族の国「晋」を攻め、南北朝時代に突入していくのですがそれはまた別の話。

漢児は元々「漢兒」といいます。
詢芻録をみると「漢武征匈奴二十餘年 馬畜孕重堕殞罷極 聞漢兵莫不畏者 稱爲漢兒」とあり、古くから漢民族の男子の意で「漢の武帝が匈奴を征伐すること二十余年 漢兵と聞けば畏れなき者はなし 漢兒と称する」と書いてあります。それにより、元々は罵りの言葉ではなく、五胡にとって畏怖の存在を表す言葉だったことがわかります。

憶測ですが、畏れる存在であった漢兒を圧倒していくにつれ、五胡の中で漢兒の意味合いが墜ち、漢の男に対する罵りの言葉として扱われるようになったのではないかと思います。
児(兒)には子供という意味がありますが、そこには「子供扱い」といった意味合いは、込められてないようです。
ですので広辞苑の説明は少し意味合いが違うように感じますが、漢(おとこ)のルーツはそこにあるのでしょう。
のちに罵りの意味合いは消え、元の勇ましい意味合いは残ったため、男自体を漢子(児が子に置き変わる)と呼ぶようになり、今に至ると考えられます。

「古代の北方少数民族を漢族と称し、その男子を漢子と称す。後世そこから転じて男子を漢と呼ぶようになる」という、別な説もあります。
ここでいう北方少数民族とは匈奴の事でしょうか。
漢は、やはり中国自体を指す言葉であり、漢族は漢に住む人々を指します。
匈奴などの異民族でも中国人の文化伝統を受け入れれば、漢族とみなしたと言われていますが、北方少数民族が古来より漢族と称されていたとは考えにくいと思います。
確かに晋末期に北方民族である南匈奴の劉淵が漢王の位に就き、同名の国家「漢」を建てましたが、すでにそのころ「漢」は中国を指す言葉として使用されています。
つじつまが合わない説です。

前説が漢(おとこ)の成り立ちの中では有力と考えられます。

漢字 

August 24 [Wed], 2005, 23:38
近頃「書」を始めました。
と言っても、書道を志したわけではなく、仕事上必要に迫られての事です。
仕方なく始めた感が強かったのですが、性にあったのかどんどんとのめり込んでいきます。
そして「文字を扱う仕事ならば、その文字の成り立ちを知らないといけない」と考え、一から漢字を勉強しなおしています。
つまり中国古文学に行き着くのですが、これがまた奥が深く難しいものです。

もともと「漢」という字は、長江の大支流である川「漢水」を指していました。
古来より重要な交通路で、その流域の地を漢(カン)といいます。
そこの漢王であった劉邦が、紀元前202年に秦王朝に代わり建てた王朝を「漢」と名付けました。
秦前の時代、中国大陸は7国に分かれており、それぞれ国によって使用される漢字が異なっていました。
秦はその漢字を統一し、今使われている漢字の基礎を作りました。
その後、漢王朝に変わり、漢の意味自体が中国の意味に使わるようになりました。
すなわち漢(中国)で使われる文字だから、漢字と呼ばれるようになりました。
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