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図解 五輪書 / 2007年02月04日(日)

「図解 五輪書」 武田鏡村 著
東京経済新報社

『五輪書』の内容は、(中略)とにかく何が何でも「相手(対手・敵)に勝つ」ための兵法(剣術・心得・自他の状況分析)を真正面から述べたものである。

「勝つためには、何をすればよいか」ということを最も重視して、論じたものである。

武蔵は生涯、「仏神は貴し」(中略)が、「仏神を頼まず」という信条をもっていた。
「信じられるのは自分の力だけである」これが武蔵の信念である。

 
   
Posted at 14:36/ この記事のURL
トヨタ生産方式 / 2007年01月27日(土)
大野耐一
 
   
Posted at 15:07/ この記事のURL
源氏と日本国王 / 2007年01月27日(土)


「源氏と日本国王」  岡野友彦 著
講談社現代新書


信長や秀吉は「将軍になれなかった」のではなく、そもそも「将軍になろうとしなかった」
彼らの国家構想は、(中略)最終的には「中華皇帝」の地位を目指すものであった

「攘夷」を本業とするはずの「征夷大将軍」にその能力がないと分かったとき、「攘夷」運動が「倒幕」運動へと結びついていった
 
   
Posted at 14:35/ この記事のURL
拒否できない日本 / 2007年01月27日(土)

「拒否できない日本」  関岡英之 著
文春新書


「継受法」と「固有法」という視点で見ると、

古代の飛鳥・奈良・平安約六百年間は、主として当時のグローバルスタンダードであった中国の律令制度を導入した継受法の時代であった。
明治維新から現在に至るまでの百数十年間は連続して「欧米継受法の時代」とみることができる。

鎌倉幕府の執権北条泰時は貞永式目を制定
貞永式目は、当時辺境だった東国の武家社会の慣習を成文化したもの、日本固有の価値観に基づいて自律的に創られたもの、その後約四百年間この国の基本法となった
江戸幕府は「武家諸法度」を制定したが、貞永式目はその後も寺子屋の教本として命脈を保った

同じ頃、法然、親鸞、道元などが独自の思想を模索して、日本固有の鎌倉新仏教を誕生させた

この時代の日本人は、法にせよ、思想にせよ、自らにふさわしいものは何なのかと、己の頭で必死に悩み考え抜いて、独自の境地を切り開いた

やがて日本的個性が充溢した、まごうかたなき固有の文化が開花した、世阿弥の能、利休や織部の茶、待庵や桂離宮などの建築、夢想疎石や小堀遠州の庭、光悦や光琳の書画工芸・・・・・

こんにち海外の人々がその独創性に驚愕し、かけがえのない世界の至宝として賛嘆を惜しまない「日本的なるもの」がうみだされたのは。なべてこの固有法の時代に集中している。
 
   
Posted at 14:33 / 歴史 / この記事のURL
 / 2007年01月27日(土)

「禅」 鈴木大拙著 工藤澄子役
ちくま文庫

禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であって、その真髄は仏陀が成就した悟りを体験することにある。したがって禅は、仏陀が〜略〜説いた教示、もしくは説法にただ盲従することを拒む。

禅の意図するところは、つねに智慧が眠っている意識の奥底から、その智慧を呼び覚ますことにある。

プラジュニャー(智慧)はヴィジュニューナ(知識)に対する。

ヴィジュニューナ(知識)を我々の相対的に限定された知識を意味するものとするならば、プラジュニャー(智慧)は最高度の直感に相当する。

慧能は、〜略〜プラジュニャー(智慧)の覚醒を強調した。

自分の中から出てきた問いに対する答えは、自分自身の中に見つけ出せ、という。なぜならば、答えは問いのあるところにあるからである。禅僧は言う、「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。すべてはお前自身の中から出てこなければならぬ。

仏陀は、〜略〜存在の束縛から解放されることを願った。〜略〜この願いは、〜略〜「実在の究極的意味の探求」となる。「実在とは何か。」

問いはけっして問う者から引き離さるべきではない
一体、どうして問いがなされることになったのか。
問うということは、問う者が自己を実在から引き離してみた時、はじめて可能となる。
われわれは自分を現実の外に置くすべを知っており、そこから現実についてさまざまな問いを呈する。そしてそのために、みずから苦しみ、また時にはみずから楽しむ。〜略〜まことに、苦しむことはわれわれの特権である。だから、安らぎを得ることもまた、われわれの特権でなければならぬ。

問いを解くとは、それと一つになることである。
すなわち、両者が一となる時、それらがその本来の状態にかえる時、を言う。それらが、まだ主体と客体に分かたれない原初の事態に立ち帰る時、〜略〜これが論理的証明の形においてではなく、自己の現実の体験において、解決が可能となる時である。

禅は、要するに、自己の存在の本姓を見ぬく術であって、それは束縛から自由への道を指し示す。われわれ有限の存在は、つねにこの世の中でさまざまの束縛に苦しんでいるが、禅は、われわれに生命の泉からじかに水を飲むことを教えて、われわれを一切の束縛から解放する。
禅は、われわれ一人一人に本来そなわっているすべての力を解き放つのだということもできる。この力は普通の状況では、押えられ歪められて、充分な働きを発揮する道を見出し得ないでいる。
 
   
Posted at 14:32/ この記事のURL
禅のすすめ / 2007年01月27日(土)

「禅のすすめ」 佐藤幸治 著
講談社現代新書

禅は、ある意味で宗教を超えている
自然と人生を透視する仏教者の哲学であり、
科学的な心身鍛練法であり、
また、優れた対話法である

からだや心を整えるトレーニングとしての禅を認めている

禅の一番大事なところはむしろ生死を超えた立場に立って、生きるときは立派に生き、死ぬときは立派に死ぬ、という態度を養うところにある

 
   
Posted at 14:31/ この記事のURL
文明の海洋史観 / 2007年01月27日(土)
川勝平太
 
   
Posted at 14:30 / 歴史 / この記事のURL
茶の本 / 2007年01月27日(土)


「茶の本」  岡倉覚三 著(村岡博訳)
岩波文庫

茶は薬用として始まり後飲料となる
十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた
茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式
「不完全なるもの」を崇拝する

まあ、茶でも一口すすろうではないか
はかないことを夢に見て、美しいとりとめのないことをあれやこれやと考えようではないか

茶室(数寄屋)は単なる小家で、いわゆる茅屋に過ぎない
数寄屋は、五人しか入れない仕組みの茶室本部と、(正統の茶室の広さは四畳半)
茶器を持ち込む前に洗ってそろえておく控えの間(水屋)と、
客が茶室へはいれと呼ばれるまで待っている玄関(待合い)と、
待合いと茶室を連絡している庭の小道(露地)とか成っている。

茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこった

我が国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活の中へ入れようと企てた
茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している

待合いから茶室に通ずる露地は黙想の第一階段
露地は下界との関係を絶って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった

客は黙々としてその聖堂に近づいていく

客は低くかがんで高さ三尺ぐらいの狭い入り口(にじり口)からにじってはいる
この動作は、人に謙譲を教え込むためのもの
客は一人ずつ静かに入ってその席につき、床の間の絵又は生花に敬意を表する
日中でも室内の光線は和らげられている
客も注意して目立たぬ着物を選んでいる
部屋の最も暗いすみにさえ塵一本見られない
茶人に第一必要な条件の一は掃き、ふき清め、洗うことに関する知識

茶室は簡素にして俗を離れているから真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である
茶室においてのみ人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる
十六世紀の政治家やたけき武士にとって茶室はありがたい休養所となった

彼らは茶室において得た風流の高い規範によって彼らの日常生活を律しようと努めた
人はおのれを美しくして始めて美に近づく権利が生まれる
宗匠たちはただの芸術家以上のものすなわち芸術そのものとなろうと努めた
それは審美主義の禅であった
 
   
Posted at 14:28/ この記事のURL
武士道の逆襲 / 2007年01月27日(土)

「武士道の逆襲」 管野覚明 著
講談社現代新書

「武士とは、武力によって所領を維持・拡大し、そのことで妻子一族を養う存在」

それ(武士)は戦闘を本来の業とする者である。
武士は、普段の日常生活そのものが根本的に戦いを原理にしている人々
武士は、私有の領地の維持・拡大を生活の基盤とし、かつ目的とする存在
だということである。

斬り殺し斬り殺されることを当然のこととして営まれることを当然のこととして営まれる生活。それが武士の暮らしである。いいかえれば、それは、自己の存立はすべて自分自身の手で支えられているということを承認する生き方である。

武士道は、〜略〜本当の強さとは何か、最後に勝つ武士の条件は何かということを切実に追求する中から生まれてきた
武士道の根源は、本当の実力とは何かという問いにある。
自己の実力だけが自分の存立を支える武士の世界にあっては、この問いはまさに自己の生命を懸けた問いであった
存亡を懸けて自己を問う。〜略〜刀を持たない現代人にとって、武士道がなお訴えかけてくる何かを持つとすれば、それはおそらくこの一点に存するものと思われる。

武士は平安時代に各地の荘園の武装自衛集団として誕生した
地方の秩序が乱れていた当時にあって自立した私を貫くことの厳しさは想像を絶したものだった

覚悟とは、一挙手一投足のすべてに己の存亡が懸かっていると見る精神である
それは、日常の立居振舞いのすべてを、合戦のさなかのあり方として貫く生き方である
すべてを捨てて、今がそのときと立ち上がる自分自身の心の持ち方である。この心がなければ力は現実に発動せず、発揮されない実力は実力ではない
常在戦場という観念である

武士の目的は領地であり、領地こそが彼の実力の具体的な成果であった
自分の土地の地名を背負うこと、それこそが彼にとって実力の証であり、彼の実力の価値を示すものであった
その土地を奪われずに何代にもわたって維持してきた力の証である名字は、まさに一人の武士が何ものかを勝ち取ったことのしるしである
たとえ自分は死んでも、受けつがれてきた名は、子孫代々残されていく。だから武士は、たとえ合戦で敗れても、少なくともマイナスの名(臆病、卑怯、未練等々)を残すまいと努力した。
名を重んじ、名を惜しむことは、そのまま、自己の実力を維持し、高めることにほかならなかったのである

武士の利に対する欲求は、根源的には、物の量で自分を確証するということであったから、一般に武士の中には、成した手柄以上のものを求めないし、また求めるべきでないという観念があった。
武士がしばしば、自分の業績以下に評価されることに強く抵抗したのも、〜略〜利は己の等価記号であると考えたからある

武士は必ず背後に親密な共同体を背負っている。
刀を振るって所領を守り、広げる武士の生活にあっては、「血族的親和力によって、水も漏らさぬ団結を作ること」が、欠かすことのできないものである。
彼らは、徹頭徹尾、私の思い、私の意地のために戦い死んでいったのだ。己の名利、己の一部である所領・妻子、そしてこの私とこの主君という極私的な心情の一体。そうした「私」こそが、彼らの生きた理由であり、死ぬ理由であった

平時とはいえ、武士は常に己の実力を見られ、試されている。そのような意識を四六時中忘れずに、一挙一動に神経を使うこと。俗に言う「武士のたしなみ」とは、そういうことである。
一般に武士道が、「己に勝つ」ことを修行の目標に掲げるのも、自分の弱さを一番よく見抜くのが自分自身だからなのである
修行には、〜略〜自分が生きている限り、「成就」ということはない〜略〜成就とは死んだ己れのことなのである〜略〜武士の値打ちは死によって明らかになる
 
   
Posted at 14:25/ この記事のURL
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