54彼からの電話 

2008年01月31日(木) 22時23分
夜、彼から電話がかかってくるかもしれないとひたすら待ったが、
電話はなかった。

翌日。
さすがに今日は来るだろうと、いつでもすぐに電話がとれるよう、
ずっと携帯をはなさず持っていたが、電話もなければメールもない。
夕方になり、さすがに不安になってきた。
なぜ連絡がないのか!?

例の友達に、彼は本当に拘置所から出てきたのか、メールをしてみた。
が、しばらく待っても何の連絡もない。
おかしい。どういうことだ?

夜になり、ますます不安になってきたころ、やっと電話が鳴った。
携帯を見ると、例の友達の番号。
すぐに電話をとった。
すると、電話の向こうから「もしもし、俺」という声。
当然、あの友達だと思って出たので、その「俺」という言葉に一瞬慌て、
言葉を失っていると、また向こうから声が聞こえた。
「友達にメールしただろ? だから今ちょっとの間、電話を借りて公園まで来た。
俺、電話もないからさ」

よくやく状況を把握した。
思いのほか、彼はとても穏やかで落ち着いた声だった。
そのせいか、私も次第に落ち着きを取り戻し、彼に聞いた。
「今、どこにいるの?」
「友達の家。お前が親戚の家に行ったから、俺、そこにはもう戻れない。
だから服も夏服のままで、こんなに寒いのに今半そでなんだ」

逮捕されたのが夏だったから、あれから2ヶ月。
季節はすっかり肌寒い秋に変わっていたのだ。
だから半そでで出歩いてる人なんか、もちろんいない。
それなのに、バツが悪くて家に戻れないとは……。
ちょっと責任を感じた。

「友達に、仕事の話をしたんだけど聞いた?」
「あぁ。でも、俺はやらない。お前、面会に来たとき俺のお父さんの悪口言っただろ?
そういう人とやるのは、お父さんを裏切ることになるから。いい話だけどやらない」

予想しない答えだった。
友達も「たぶんやるだろう」と言っていたし、良い条件を提示したつもりだったから、
断る理由がないと思っていたのに。
でも、彼の返事を聞いて、筋が通ってるなと思った。
男としてのプライドもあるし。
これ以上押してもダメだと思い、仕事の話はそれ以上しなかった。

「でも、一回会って話したいんだけど」
「なんで? お前、面会に来たとき言ったじゃん。
俺が約束を守れば、俺たち、もうこれ以上会うこともないって」

たしかにそう言った。
でも、それは本心じゃなかった。
残りのお金のことも不安だし、彼の様子も気になるし。

私は食い下がった。
「示談にするとき覚書を作ったじゃない? 
あれの確認をきちんとしたいから、一回は会って話さないといけないと思う」
「分かった。じゃあ、一回だけ会おう。一回だけ。
ただすぐにはムリだから、時間ができたら俺から電話する。
拘置所から出てきてから、まだお父さんにも会ってないし、いろいろやることがあるんだ。
今携帯もないから、2、3日後に俺から必ず電話する。
だから、昨日みたいに友達にメールしたり電話したりするなよ。
もう迷惑かけたくないんだ」

そうして電話を切った。
彼の声は、とてもしっかりしていて、
そしてなんというか、やさしい感じがした。
今までの彼とは違う。
拘置所に入り、何かが確実に変わったようだ。

そして二日後。
約束通り彼から電話がかかってきて、明日の夕方、会うことになった。

次回に続く

53判決裁判 

2008年01月29日(火) 14時05分
朝一で付き添いの韓国人の友達と最寄駅で待ち合わせをして、
裁判所に向かった。

朝10時から裁判スタート。
時間に余裕を持って来たから、ちょっと早く着いた。
中に入ると、まだ時間が早いせいか人もまばらで、
私と友達は空いていた一番前の席に座った。
まだお父さんは来ていないようだ。

時間が経つにつれ、徐々に人が増えてきた。
そして10時5分前、あの女検事、裁判官が現れた。
場の空気がピリッと引き締まり、私も緊張感が高まってきた。
この空気感はなんともいえない。
前もそうだったが、独特なものがある。

10時。全員起立、礼をし、ほぼ時間通りに裁判が始まった。
そういえば、お父さんはまだ来ていない。
どうしたんだ?

前と同じように、ひとりずつ被告人が呼ばれる。
出てきたのは知らない人。
まだ彼の番ではないようだ。
が、今日は宣告裁判なので弁護士は出席せず、検事が事件の概要を簡単に説明し、
裁判官が判決を言うだけなのでテンポよく進んでいく。

数人が終わったところで、後ろからポンポンと肩を叩かれた。
振り向くと、お父さん。
いつの間にか来ていたのだ。
そして小声で、
「裁判官から何か言われたら、意義申し立てをしませんと言ってくれ」と。

そんな話をしているうちに、彼の名前が呼ばれた。
前に見たときと同じ。
作務衣を着た彼が手錠をかけられた状態で、被告人席についた。

一応、2日前に示談書を提出しているので、刑を下されることはないと思うが、
それでもやはり被告人席というというだけで、震えるほど怖いのだろう。
彼はこわばった顔で、ずっと下を向いていた。

検事が簡単に事件の概要を説明し終えると、裁判官が書類をめくりながら口を開いた。
「示談したんですね。
でも今回は、鍵を勝手にコピーして家に入ったという、その過程が非常によくない」

そこまでは聞き取れたが、その後は言葉が難しくて聞き取れない……。
何を言ってるんだろう。一生懸命聞こうとしたが分からなかった。
そしてお父さんが心配していた、裁判官からの問いかけはなく、あっさりと終わった。

判決を言い渡された彼は、そのまま警護の人に付き添われて出て行った。
私たちもすぐに外に出て、友達に何て言っていたのか急いで聞いた。
すると、よく分からないと首をかしげた。

すぐにお父さんも出てきたが、やはり同じような感じだ。
どうやら、本来なら4ヶ月拘置所にいなければならないらしいのだが、
今日まで彼は2ヶ月拘置所にいたことになる。
さらに2ヶ月いなければならないのか、それとも示談しているからすぐ出てこれるのか、
それが曖昧な表現だったので分からないというのだ。

仕方ないので、さっき裁判室にあの女弁護士が来ていたのを見かけたので、
弁護士が出てくるのを待つことにした。

その間、お父さんはとても困った顔をしながら、
「示談したのに…。もし息子が出てこれなかったら…。
残りのお金は息子が働いて返せると思ったから覚書にもサインして…。
はぁ、困った。困ったなぁ」

そう言いながら、今日初めて見る友達に目線を向けた。
そして私がその友達と韓国語で話しているのを見て、
「韓国人ですか?」と嬉しそうな顔をして、
「今まで話がうまく通じなくて困っていたんです」と切り出し、
また彼の生い立ちや自分が事業に失敗して今生活が苦しいことなどを言い始めた。
たぶん、同じ韓国人ならこの境遇を理解するだろうと思ったのだろう。

でも、彼女は韓国人だが私の友達。
私の立場でこの事件を見ていたから、そうして情に訴えてくるお父さんに対して、
飽きれた顔で、冷たくあしらった。

そして、誠意のない責任逃れともとれるお父さんの発言に対して、
彼女は怒り出し、「向こうに行こう」と私を引っ張って行った。

これまで言葉の問題で、お父さんの言葉のニュアンスを勘違いして受け取り、
誤解があるかもしれないと思っていたが、
彼女が見ても、やはりお父さんの態度はひどかったらしい。

私たちが外でしばらく待っていると、お父さんがこちらに来た。
そして判決の内容が分かったと言う。
「今日、すぐにでも拘置所から出て来るって。
もしこれから2年の間に何か事件を起こしたら、その分の刑期にプラス、
今回の不足分2ヶ月が加えられるという意味だそうだ。
とにかくよかった」
と声が弾んでいる。
さっきの「どうしよう」と困り果てた落胆ぶりはもうない。
さらに続けて、
「昨日友達から聞いたんだけど、一緒に仕事をしようって言ってくれてありがとう。
息子が出てきたら話しをすると思うけど、そのときは子供を面倒みるような感じで
優しく接してくれ」
そう言うと、お父さんは一仕事終えたというように、すがすがしい様子で帰っていった。

私はというと、とにかくこの数日の間で示談に向けての話し合いをしたり、
面会に行ったり、とにかく激動の数日間だったので、ただただグッタリしていた。
覚書を交わし、示談はしたものの、まだお金が全額戻ってきていないことも
何かまだすっきりしない、消化不良の要因のひとつだった。

でもとりあえず、裁判は終わった。
検事が請求していた裁判や民事裁判など、最悪の事態を想定していたが
そんな大事にならず、これで終わってよかった。
本当によかった。

そして今日の夜、彼は拘置所から出てくるのだ。

次回に続く

52提案 

2008年01月27日(日) 17時04分
彼は残りのお金をどうやって返してくれるのだろうか?
拘置所を出たら、すぐに仕事は見つかるのか?
一応、こうやって事件を起こした経歴が残ったわけだし……。
それにそもそも、韓国でバイトなんてしたって、稼げるお金はたかがしれてる。
1ヶ月、一生懸命働いて100万Wがやっとだ。

それなら!
私が彼をバイトとして雇うのはどうか?
翻訳の仕事を引き受けてきたものの、ときどき分からない言葉が出てきて、
韓国人の友達や下宿の住人に聞いたりしていが、みんな社会人だから
いつでも都合がいいわけじゃなく、様子を伺いながら聞いてたんで、
それがちょっと煩わしく、不便だったのだ。
だから、1日3時間(朝10時〜1時)で、1時間3万Wに設定し、
10日ぐらい彼を雇えば私も仕事がはかどるし、
そのバイト代を借金から引いて少しでも減らしてあげよう。
1時間3万Wは高いけど、実際にお金を払うわけじゃないし、
他の人に時間を合わせたりというストレスに比べれば、そんなに惜しい金額ではない。
それに1日3時間なら、彼も時間的に余裕ができる。
10日もあれば、その間に十分に仕事探しができて、無駄なくお金が稼げるのではないか?

裏切られた男に対し、ここまで手を差し伸べなくても…という思いもあったが、
正直、これで別れたくなかった。
こないだ面会に行ったときは、「約束を守ってくれればもう会うこともない」とか
言っちゃったけど、本音は違う。
聞きたいこともいっぱいあったし、口実をつけてまだ繋ぎとめておきたかった。

昨日、示談にしようと気持ちが変わったあたりから、
彼に対して、また心が開けてきたのだ。
許そうと思った瞬間、封印していた彼に対する思いが蘇ってきたというか。
やっぱり心のどこかに、まだ彼のことを好きという気持ちが残っているのかもしれない。

とにかく、この提案を忘れないうちに言おう。
翌日あの友達に話してみた。
すると友達は「すごくいいと思う。たぶんやるんじゃないかな」と言い、
彼が拘置所から出てきたら話してみると言った。

ひとまず、明日が最後の裁判だ。
明日は大事な宣告があるから、日本人の友達ではなく、韓国人の友達と一緒に行くことにした。
最初の裁判のときのように、聞き取れないと困るからだ。
これで言葉の障害は何もないから、気持ち的にはだいぶラクだ。

そういえば、ふと気になった。
最初の裁判後に検事が提出してくれた裁判の申請。
あれはどうなったのか?
裁判所のホームページで事件番号を入力すると確認できるので見てみた。
すると!
示談にするだいぶ前に、すでに棄却されていた。
裁判官が必要ナシとみなしていたのだ。
つまり示談にしていなければ裁判も起こせず、
結局お金は1円も戻ってこなかったということだ。
そう考えると、やはり示談という選択が正しかったことになる。

あぁ、よかった。
これで長かった戦いも明日でいよいよ終わるのかぁ。
明日も朝早いから、今日は早めに寝た。

次回に続く

51示談 

2008年01月27日(日) 2時28分
二日連続の拘置所。
今日も朝一でやって来た。
でも、これまでとは何かちょっと気分が違った。

私の意志とは別に、法律に負けた感じで示談にすることにしたが、
それでも、これでよかったのかもしれない。
ずっと意地を張って、好きだった人を刑務所に送ったところで、
私には何が残るのか。
たぶん罪悪感、そして虚しさ……。
何かが後押ししてくれなければ、示談にふみきれるほど私は人間ができていなかったので、
これでよかったんだと思う。

昨日の夜、友達と合意した覚書を持って、再び彼に会った。
二日連続の訪問に、彼も察したのだろう。
昨日の、絶望感と失意に満ちた様子とは一転、心なしか穏やかな表情だった。

私は昨日お父さんと友達と示談に向けての話し合いをしたことを彼に話し、
覚書をガラス越しに見せた。
すると、昨日友達が言っていた通り、彼は焦るかのように内容をよく確認もせずに、
この条件を受け入れると言った。
「約束を守るから、早くここから出してくれ」ととても必死だった。
私たちの想像を絶するほど拘置所暮らしは辛かったのだろう。

念のため、彼にもう一度、返済のことを確認した。
今日お父さんからまず50万円を返してもらうので、残りは35万円。
これを年内返済、つまり3ヶ月以内に支払うということだ。
そして、私が貸したお金のうち未返済分50万Wは、35万円を支払った翌月。
要するに約40万円を4ヶ月以内に支払わなければならないのだ。

彼は「分かった」とうなずいた。
これで条件成立。
あとは、お父さんにこの覚書にサインをしてもらい、裁判所に示談書を提出すれば終わるのだ。

私は、今日の示談に至るまでを振り返り、彼に話した。
お父さんや友達と話し合いをする中で、お互いとても嫌な気分になったこと。
やはり初めて会う人とはいえ、被害者、加害者の関係者という敵対する立場である以上、
穏やかな話し合いなんてできない。
特にお父さんは神様、神様と、そればっかりでまともに話ができなかったうえ、
とても頑固で昨日もモメにモメたこと。
もうどれだけ、お互いに傷つけあっただろうか。

「あなたのために、私もお父さんも友達も、言いたくないことまで言い合って
とても傷つき精神的にシンドかった。
そうやって示談になったということをあなたは知らないといけない」
私はそう言いながら、自然と涙が出てきた。
「あなたがこの条件を守ってくれたら、もう私たちは会うこともないと思う。
だから必ず、必ず守ってください」
ここまで言うのが精一杯だった。
あまりにも溢れる思いが多すぎて。感情が高ぶって頭の中が真っ白になった。

彼はもう一度「分かった」と深くうなずいた。
あぁ、本当にここまで長かった。

私は面会を終えると、すぐに裁判所に向かった。
お父さんはすでにいて、私が来るのを首を長くして待っていたようだ。
彼が条件に同意したことを告げると、さっそくお父さんは覚書にサインをし、
お互いにその書類を取り交わした後、私は示談書を裁判所に提出した。
そして私は50万円を受け取った。

お父さんは、ひとまず安心したように一息つき、帰り際私に
「息子の父親として、今あなたに感謝してるという気持ち、分かるでしょ?」と言い、
タクシーで帰りなさいとタクシー代をくれた。

2日後、宣告裁判が行われる。
示談書を提出したから、おそらく彼は裁判の後すぐに出てくるだろうが
一応、お父さんから最後の裁判にも来てくれと言われた。
もちろん、言われなくても行くつもりだったが。
やはり最後まで見届けないと、判決を聞かないと私も落ち着かない。

とりあえず、今日は家でゆっくり休もう。
あまりにも昨日、今日と慌しくて疲れた。
家について、しばらくボーっとしていると、あの友達から電話が来た。
「示談にしてくれてありがとうございました。
最初はあなたが話も聞いてくれなくて、とても嫌な気分になり、
日本人は嫌いだと思ったけど、今は違います。
こんな出会いじゃなかったら、たぶんお互い印象が違ってただろうし、
こうやって会ったのも縁だから時間が経ったら、一緒にご飯でも食べに行きましょう」
彼はとてもオトナだ。
そして、すぐにメールも来た。
「あなたの傷が少しずつ癒えればいいなと思います。
示談に応じてくれて、本当にありがたく思っています」

本当にいい人なんだなぁと改めて思った。
こういう友達がいるなら、彼もちゃんと約束を守ってくれるだろう。
そうして彼のことを考えていると、ある考えがふと頭に浮かんだ。

次回に続く

50二転三転 

2008年01月24日(木) 12時15分
この後に及んでも、まだ若干の迷いがあった。
一応、私の心は示談の方向に傾きつつあるが、それでも簡単に許すことはできない。
強気に出なければ。

私は必死で条件を考えた。
まず、心から謝罪するということ。
そして、1ヶ月の間、週に1回ずつ(全4回)私に反省文を提出すること。
盗んだお金85万円を3ヶ月以内に全額返済すること。
慰謝料として、10ヶ月の間、月100万ウォンずつ支払うこと。
お金を盗んだときに一緒に持っていった書類を返すこと。
彼が就職したら、その職場の連絡先を教えること。
また、共犯らしき親戚の弟、元カノも私に謝罪し、
彼らも私に謝罪金10万ウォンを支払うこと。
担保として預かった彼の銀行通帳、時計を返却するので、そのことについて問わないこと。

考えながら思った。
我ながら怖い。こんな女、やっかいだ。絶対敵にしたくないと。

急いで、この条件を書いた紙を持ち、約束の場所に行った。
行くと、すでにお父さんは来ていた。
弁護士はまだのようだったので、その間、お父さんにこの条件書を見せた。

すると唖然とし、「これはムリだ…」と首を横に振り、
しばらくその条件書を眺めていた。

そこに弁護士が現れた。
裁判のときに担当していたあの女弁護士。
お父さんから、これまでの事情を聞いていたのだろう。
私の顔を見るなり、困ったわねといった感じで「どうするの?」と。

さっそく条件書をみせると、その弁護士も唖然としていた。
「慰謝料って。夫婦じゃないんだから法律的にはムリよ」
そう言いながらざっと目を通し、お父さんに
「この条件で示談してくれるなら、いいんじゃないですか?」と。
女弁護士は忙しいのか。すごくせかすような口調だ。
でもお父さんが「ムリです…」と渋っていると、
「何ができないんですか?」と。
「50万円は用意しましたが、残り35万円を年内に返すのは難しいし、
他にもできない条件がいくつかあるので……」と顔をしかめた。

私は弁護士に、強気で「この条件をのまなければ、示談にはしません!」と
キッパリ告げると、私の覚悟を察したようで、弁護士はお父さんに
「彼女はとても傷が深いようですね」と言い、
「後はふたりで話し合ってください。彼女がそう言ってる以上、
私はどうすることもできません」と席を立った。

後を追うように、お父さんが立ち上がり、
示談がムリなら、国にお金を払って刑を軽くする制度の申請をすると
弁護士のもとに再び相談に行った。

刑の宣告がされる最後の裁判までもう時間がないのだ。
示談か、その制度の申請か、どっちにしろ明日までに手続きしないと
間に合わないのだ。
お父さんはかなり焦っていた。

私も複雑な心境だった。
やっぱりこの条件はやりすぎたかな。

お父さんは弁護士と話を終えると、すぐに手続きしに行こうと、
足早に向かいの建物に歩いて行った。

その様子を見ていると、弁護士が私の方に向かって来た。
そして心配そうにこう言った。
「彼と何があったの? 彼とはどういう関係だったの?
正直、私も同じ女として、彼のような男は嫌いよ。
でももっと冷静になって広い心で考えなさい。
彼は今回が初犯で十分反省しているから、おそらく刑は重くない。
それに制度を使えば刑務所には行かずに、執行猶予とかになると思うわ。
そうなったら、お金を取り戻すこともできないわよ。
あなただけが損することになるから、示談した方がいいわよ」と。

私はもう一度確認した。
「彼を刑務所に送ることはできないんですか?」
「おそらくね……」
哀れむような感じで、弁護士は私を見た。

刑務所にも送れず、お金も取り戻せないって。
そんなバカな話があるのか!
でもそれが法律なのか…と思うと、やるせない気持ちでいっぱいになった。

が、それならやっぱりお金は取り戻さないと!
すぐ弁護士に「示談に応じます」と告げると、弁護士は電話をし、
お父さんを呼び戻した。

幸い、お父さんはまだ手続き前だった。
そして再び、お父さんと示談の方向で話し合いを始めた。

とはいえ、さっきの条件書を全て放棄するわけにはいかない。
できるものはしてもらわないと。
また私は強気に出た。
そしてできそうな条件を確認した。
が、一番肝心な年内に全額返済の部分を、なかなか「うん」と首を縦に振らない。

しぶといオヤジだ。
結局、話は平行線のまま、時間だけが過ぎていく。
「示談するっていうからまた戻ってきたのに、なんだ!」
お父さんも、だんだんイライラし始めた。
私は直感的に、このまま話を続けたら本当に決定的に決裂すると思った。

そこでこう提案した。
「この条件を譲歩するよう、もう少しよく考えます。
そしてこの条件書を、覚書として新しく作ってくるので、また明日会いましょう」と。
お父さんは、また明日も来なきゃいけないのかとイヤな顔をしたが、
やっと渋々了解した。

そうして別れた後、私はすぐにあの友達に連絡をした。
そして全て事情を説明すると、お父さんの意見もあるだろうけど、
お父さんを説得するから示談をしたいと言ってきた。
やっぱり! 話の分かる男だ。
結局、お金は年内返済、反省文を書くこと、就職先を知らせること、
通帳・時計を返却するので問わないこと、を条件に示談する方向で話がまとまった。

でも、ふと思った。私や友達が勝手に条件を作ってまとめたが、
彼はこのことを何も知らない。
結局、彼がやることなのに彼が知らないのでは意味がないのではないか?

そこで、私は友達に言った。
「もう一度、明日彼に会って、この条件を見せようと思います」
「いや、それはしないでください。今彼は、拘置所でとても孤独で不安な状態だから、
ちゃんと見もしないで、すぐに分かったと言うでしょう。
そんな人間に見せても意味がない。この条件は僕が責任を持って、彼にさせるようにしますから」
「でも、それでもやっぱり彼に見せないと、勝手に進めるのはよくないと思います」
「分かりました。そこまで言うなら、明日面会に行ってください。
そしてその後すぐにお父さんと会って示談してくださいね。時間がありませんから」

私はまた新しく、この条件をまとめた覚書を作成した。
そして翌日、朝一で拘置所に向かった。

次回に続く

49彼の謝罪 

2008年01月23日(水) 19時44分
朝一番で、彼に面会するため拘置所に行った。

なぜ朝一なのか。
実は昨日、話し合いの中で、私は示談にしたくないあまり無謀なことを言った。
まず第一に彼が私に謝罪すること。
第二に、彼がお金を盗んだときに、そこに一緒に置いてあった書類
(母からの手紙を含め、日本を出るときに手続きした転出届けなど)はどうしたのか、
それを取り戻したいということ。
その書類を返してもらえない限りは示談をしないと。

すると、彼のお父さんが「そんなことはもっと早く言ってくれないと」と困りながらも
明日、自分が面会に行って聞いてくると言ったのだ。

そして、午後に弁護士と会う約束をとったから、そこに来てほしいと。
その前に彼に面会に行って、その書類のことを聞いてくるから、
それを含めて弁護士と最後の話し合いをしようということになったのだ。

私が今日、彼に面会に行くことは誰にも言ってない。
突然思い立ったことだったから。
向こうも、まさか私が面会に行くとは思ってないだろう。
だからお父さんと鉢合わせしないように、そしてお父さんより先に彼に会う必要があった。

なぜなら、彼に余計な情報を与えたくないからだ。

拘置所の地を踏むのはもうこれで3度目。
見慣れた景色。すっかり勝手が分かっている自分が怖い。
面会室に入るとき身分証を提示するのだが、その係のおばさんも
すっかり私の顔を覚えたようだ。
また来たのね、という感じでにっこりと笑って挨拶してくれた。

中に入り、面会室の前の廊下で待機した。
何を話そうか、どういう顔しようか、どんどん緊張してきたところで時間になった。
ドアを開けると、彼がガラス越しに座っている。
とても疲れきっているような、生気の抜けたような表情だった。
そして私に「久しぶり」と言い、うっすらとほほ笑んだ。

なんて悲しそうなほほ笑みなんだ。
そんな顔を見たら、責めたてることなんてできないじゃないか。
でも、ダメだ。しっかりしなきゃ。
大きく深呼吸して私は言った。
「もう示談する気がないから、あなたに会うつもりはなかったけど、
友達がどうしても面会に行ってくれって言うから来た。友達に感謝しろ」
彼は下を向いたまま、黙って何度もうなずいている。
「私に言うことがあるなら言って。ないなら、このまますぐに帰る」

すると彼は顔を上げた。
目は赤くなっていて、今にも泣きそうな、そんな表情だった。
そして日本語で
「ごめん。ごめんなさい。ごめん」と震えるような声で私を見つめ、
手錠をかけられた両手を合わせながら謝った。

予想外の行動だった。
最初に面会したときは、「早くここから出せ」とふてぶてしさ全開だったのに、
この1ヶ月で心境の変化があったのだろう。
それが一瞬で分かる、彼の「ごめん」の一言。
なぜか分からないが私も気づくと自然に涙がこぼれていた。

私も頭が真っ白になり、言葉がつまって次の言葉がなかなか出なかった。
しばらく、お互いに泣きながら沈黙が続いた。

でも、そうだ!
面会は8分しかない。聞くことは聞かないと。
気持ちを整理して、一応例の書類のことを聞いた。
前に一度警察で聞いたとき、「そんなものなかった。知らない」と
答えていたから、期待はしていなかったが。
問い詰めると「捨てた」と白状した。

やっぱり。でも今はそんなことはあまり重要ではない。
あれは、あくまで示談したくない口実だったから。
話を戻さないと。
「お父さんと友達は示談したいって言ってきてるけど、あなたはどうしたいの?」
「ここから早く出たい……。そしてお金はちゃんと返すから」

ここまで聞くと、私ももう次の質問は見つからなかった。
というより、今日は彼の態度を見たかったから、もう十分だった。

そしてとりあえず、「今日この後、お父さんも面会に来ると思う」と彼に伝えた。
すると「面会は一日に一回だから、来ても会えない」と。
えー。そんなぁ。そういうシステム知らないよ。
お父さん、わざわざ来ちゃうじゃないか。
どうしよう…。と思ってももう遅いが……。

面会時間が終わりブザーが鳴った。
そして彼は立ち上がりながら、最後にまた涙目で「ごめん」と謝った。

そんな姿を私はもう見ていられず、足早にその場を後にした。

涙を拭きながら外に出ると、お父さんが歩いて来た!
ビックリした顔で「何で来たんだ? 来るなら来るって言ってくれれば一緒に来たのに」と。
気まずい。すごく気まずい。
お父さんは、彼と何を話したのか心配そうに私に聞いてきた。
特に、書類のことを気にしていたが、それより私は、私の先走った行動で、
お父さんが面会できないことの方が気まずく、それを言うと、
仕方ないなと、そのままふたりで拘置所の門を出た。

そして、午後にまた弁護士を含めて会おうという約束をして別れた。

駅まで歩く道。
さっき見た彼の姿が鮮明に何度も何度も頭の中をよぎる。
彼のこと、許そうか。どうしようか。
でも、示談するにしても条件は作った方がいい。

弁護士と会うという時間まで、数時間しかない。
私は家に帰って、すぐに条件書を作成した。

次回に続く

48話し合い 

2008年01月14日(月) 18時56分
これまでたった1度も連絡がなかったので、もう諦めたと思っていたが、
そうではなかった。
向こうからすれば判決裁判までに、私を説得しないと
彼は刑務所行きになってしまう。
どうしても最後に会って話をしたいと再び訴えてきたのだ。

私はこの1ヶ月の間で、完全に気持ちを固め、
絶対に示談をしないと決めていたので、会っても心が揺れない自信があった。
それに、また逃げるのは卑怯だなという思いもあり、
ハッキリと断るために会うことにした。

とはいえ、ひとりでは心細い。
今回はみあが一緒に行ってくれることになった。

その日。
彼らに会う前、みあと作戦会議を兼ねながらお昼ご飯を食べていた。
すると、まだ約束時間の40分前だというのに、
もう近くまで来たというメールが入った。

ずいぶん早い。気合の入り方が違う。
ゆっくり待たしておこうとも思ったが、なんだかそわそわしてきたので、
ご飯を食べ終えるとすぐに、待ち合わせ場所のカフェに向かった。

カフェに入ると、見覚えのある顔。
お父さんと友達がちょうど注文しようとカウンターの前にいたのだ。
お父さんはこぎれいなスーツを着ている。私に対する礼儀なのだろう。
向こうもすぐに私に気づき、挨拶をすると、お父さんが
「何か好きなものでも」と財布を出したが
「けっこうです。自分で買いますから」と別々に注文した。

そして席につくと、お父さんが口火を切った。
初めて会うみあに自己紹介をし終えると、
父子家庭であること、会社が倒産してから生活が大変になり、
自分は駐車場にあるコンテーナーみたいなところに住んでいること、
病気がちで働けなかったことなど、
辛い境遇であったことを切々と話し始め、
息子がやったことは本当に悪いことで、殴ってやりたいぐらいだが、
今回だけ大きな心で許してほしいと言ってきた。

私はその間、目線も合わせず、聞いるような聞いてないような感じで終始ふくれっ面。
だっておかしいだろう。そんな理由。
「辛い境遇の人だって、立派にやってる人は多い。
生活が大変だったから盗みをしたというのは理由にならない」と
私は声を荒げて言った。

それ以降、自分でも態度が悪いなと思いつつ、ふて腐れた感じで
向こうの話を素直には聞けなかった。
するとお父さんは、自分はカトリック信者で、今日もここに来る前に祈ってから来たと言い、
許す心というものを訴えてきた。
でも私が何の反応もしないと、
「あぁ、心が痛い。心が痛い」とため息をつき、聖書の言葉!?をぶつぶつつぶやき始めた。

はぁ。
私の前で神頼みをされても困る。
宗教は否定しないし、心が病んでいて、そういうものに依存したい気持ちもわかる。
でも、被害者である私の目の前で、「心が痛い」と言ったり、
聖書の教えを説いて無理やり押し付けるようなことをするのはどうか。
それに、みたところ元気そうだ。
そんな祈る時間があったのなら、少しでも働く時間に当てればよかったのに。
祈ってもお金は稼げないのだ。
ちゃんと、状況を把握しているのか!?と呆れた。

その一方で、友達はまだまともだった。
以前、電話で話したときと同じように、今度はあみに
「あなたが僕の立場だったらどうしますか?」と訴えてきた。
でも、相変わらずこっちの気持ちを理解しない、自分本位な考えに
いつもは穏やかなあみにスイッチが入ったようだ。

「彼女が今までどれだけ苦しかったか考えたことありますか?」
怒りに満ちた震えるような声で話し始めた。
そして、私の生活が一変したことなどを涙交じりに訴えているのを横で聞きながら、
今まで耐えてきた苦しさや辛さを思い出し、
そういうことを実際に人に言ったことはなかったが、
分かってくれてる人はちゃんといるんだなと、
私の声を代弁してくれているあみに対し改めて感謝しつつ、
私もじわっと涙が出た。

その後も話し合いは続いたが、ずっと平行線だった。
だから私は「お金じゃないんです。これまで彼は私に一度も謝ってない。
そんな反省もしてない人をどうやって許すことができますか?」と根本をついた。
すると友達は「あなた、前に面会に行ったでしょ? 
そのとき彼は謝ったと言ってましたよ。
彼は謝ったのに、あなたが受け入れてないだけ。
それに裁判で最後に言った言葉もあなたへの謝罪の意味だった。
泣きながら言っていた姿、見なかったんですか?」と反論してきた。

ぜんぜん知らなかった。
裁判のとき小さな声で何を言っているかほとんど聞きとれなかったし、
ちょうど彼の後ろだったので顔まではよく見ていなかった。
でも、だとしても、私に謝罪の意思が伝わっていないのだから何の意味もない。

私は首を横に振った。
すると友達は、最後の切り札でも出すかのように、気になる一言を言ってきた。
「この1ヶ月、大変な思いをしてやっと半分のお金を用意しました。
あなたに示談にしてもらうようにこのお金を用意しましたが、
示談する気がないなら、弁護士とも相談した結果、
このお金を国に払って彼を拘置所から出そうと思います。
1日いくらという計算で、その分のお金を払えば刑期をカットできる、
そういう制度があるんです。
僕たちとしては、このお金をあなたに払っても、国に払ってもどちらでもいいので、
あなたが決めてください」

制度って何?
そんなこと初耳だった。
日本でも、お金を払えば釈放されるって知ってるけど韓国でも!?

その言葉で、また一気に気持ちがぐらついた。
だって、私がかたくなに拒否したとしても、向こうが国にお金を払って釈放できるなら、
私は彼を刑務所にも送れない、お金も取り戻せないで完敗してしまうのだ。

本来なら、刑務所にも送って、お金も取り戻す。
これが第一希望だったのに……。
やはり法律というのは、被害者ではなく、加害者を救うためにあるものなのだと
実感した。

一気に形勢逆転だ。
どうしよう……。
そして友達が最後にこう言った。
「よく考えてください。そして、彼の謝罪を要求しているのなら、
一緒に面会に行きましょう。
彼が謝らず、反省もしてない態度なら僕も諦めますから」

そうして彼らは先にその場を去った。

あぁ、頭が痛い。
まさか弁護士にそんな知恵を吹き込まれていたなんて……。
どうすべきか。
もう考える時間もそんなにないのに。

迷っているなら、また彼に会って彼の態度次第で決めよう。
翌日、3度目の面会に行くことにした。

次回に続く

47必死のお願い 

2008年01月10日(木) 21時48分
裁判から数日後。
週末に会うという確認のため、彼の友達から電話があった。

でも正直、こんな短時間では結論が出せなかった。
私の判断で、彼の人生が大きく変わってしまうからだ。

やっぱり、彼を許せないという思い。
お金は戻ってこなくていいから、彼を刑務所に送って、彼の人生、ぶち壊そうか。
いや、そんなことして、ひとりの人間の一生をダメにしたら、
私もその罪悪感を一生背負っていくことになる。
それに85万円は大きい。85万を受け取って、早くこの事件を忘れよう。

いやでもやっぱり、許せないし……。
もう考えが堂々巡りして、ずっと答えが出ないままだった。

そんな中、友達やお父さんに会って、いろいろ話を聞いてしまったら、
たぶん同情して、許してしまいそうな気がする。
だってふたりとも外見は優しそうだし、どこからどうみても悪い人には見えないから。
ずるい考えだが、今は逃げよう。

そう思い、友達には急に予定が入ったので会えないと言った。
でも、彼はこのチャンスを逃すまいと必死で食い下がった。
私を説得しようと、とにかくしゃべりまくる。
彼とは、2年ぐらい前にアルバイト先で知り合った仲だが、
一生の友達だと思ってるからどうしても彼を助けたいと。
もし、自分が逆の立場だったらどうするか?
と私の良心をついてきた。
話しながら、友達はとてもマジメで常識人で、いい人なんだろうなぁと思った。
こんなにいい友達が側にいながら、彼はどうしてあんなことを……。
こんなに友情の厚い、いい友達がいながらなぜ……。

でも、彼の次の言葉で一気に冷めた。
「刑務所に入ってしまったら、今後就職だって難しくなるんです。
友達を犯罪者にしたくないです」

えっ、刑務所に入ったから犯罪者なのか?
違うだろ!
もうお金を盗んだ次点で、警察に捕まろうが捕まるまいが犯罪者じゃないのか!
刑務所に入らなければ、犯罪者ではないというその認識の甘さにビックリした。

その言葉以降、私は怒りがこみあげ、だんだん興奮してきた。
あまりにも自分勝手すぎる、被害者である私の辛さなどを無視した、
都合のいい言い分に、これ以上話してもムダだと思った。
そして、私は話の途中で電話を切ってしまった。

ま、私も犯罪者の友人だったら、彼と同じようにしたかもしれない。
友達を助けたい一心で、いっぱいいっぱいになってしまうのは分からなくはないから。
でも、それを受け入れるほど私の心は広くなかった。

その後すぐに友達からメールが来た。
「あなたの立場を考えていませんでした。どうか怒りを静めて許してください。
ただ今、友達が恨めしいです。助けられなかった自分も本当に恨めしいです。
そうでもなくても、あなたは辛いでしょうに、ゆっくり休んでください。
本当に申し訳ありませんでした」

なんかこんなメールをもらってしまうと、私も心が痛んだが、返事は返さなかった。
むしろ友達と話して、ハッキリと心が傾いた。
やっぱり彼を許せない! 刑務所に送ろう。

その後、何もないまま約1ヶ月が過ぎた。
そして、判決裁判を数日後に控えたある日、突然その友達から電話がかかってきた。

次回に続く
 

46裁判 

2008年01月08日(火) 14時37分
彼の名前が呼ばれた瞬間、私は思わずドキっとして後ろを向いた。
面会に行ったときと同じ、作務衣のような服に、
上履きみたいな靴を履き、手には手錠をかけられ
背中を丸めてじっと下を向きながら、とぼとぼ歩いて来た。

私の目の前にある、被告人席のあたりまで来たとき、
そこで初めてまじまじと彼の顔を見た。

うっすらと髭が生えていて、なんと言おうか。
浦島太郎にでもなったかのように、ここ数ヶ月の間で一気に老けたような、
疲れきった顔つきだった。
大きい彼が、こんなにも小さく弱々しく見えるなんて。
なぜか分からないが、私はものすごくショックを受けた。

彼が席につくと、裁判官が名前と住所を言うように求めた。
すると、蚊の鳴くような声で、ボソボソと言い始めた。
さっきまで見ていた被告人たちより、遥かに小さい声で、
こんなに近くにいるのに、よく聞こえない。
でもその声があまりにも力なく、かわいそうに思えてくる。
彼は、心証を良くしようと、反省している心を見せるために
わざとこんな小さい声でしゃべっているのか?

続いて検事が事件の概要を簡単に説明し終えると、
すぐに弁護士の質疑応答になった。
弁護士はかなりの早口で、もう何を言っているのかほとんど
聞き取れなかった。
質問というより確認という感じで、
弁護士の早口の質問の合間合間で、彼はすべて「はい」とだけ答えていた。

が、そのうち耳が慣れてきたのか、
後半部分からやっと何を言っているのか分かってきた。
すると、弁護士が思いもよらぬことを言ってきた。
「被告人の親しい友達が被害者と協議するために、何度か被害者の
携帯電話に電話をしたが、電話機がずっと切れてきて、
メールを送っても返事がなかった。
あとで知人を通して、被害者が日本に帰ったということを聞いたのでしょう?」
「はい」
「今、被害者がちょっとだけ日本に帰ったのか、完全に帰国したのか、
分からない状況です」

えー。友達って何? メールなんて入ってなかったし。
私が日本に帰ってる間に、何があったの?
動揺していると、裁判官が観覧席の方を見て口を開いた。
「法廷に、被害者は来ていますか?」

あ、私呼ばれている!
焦りながらも無意識でまっすぐに手を上げて
「はい」と答えていた。

さっき、検事が法廷で自由に発言していいと言った意味が分かった。
別に前に出なくても、観覧席からこうして発言できるんだ。

「携帯にメールが来ましたか? 被告人の友達が協議しようと
電話が来ましたか?」
「ないです」

すると、同じ一番前の列の端に座っている若い男とおじさんが
何かしゃべりだした。
気になって、その人に聞いてみた。
「誰ですか?」
「父です」
えっ、お父さん!?
どういうこと?? 今まで出てこなかったのに!
なぜ突然。急に。
もうビックリして、キョトーン。

裁判官が続ける。
「少し前に被害者が陳情書を出しました。
今まで被告人との間にあったことについて、被告人との金銭取引について、
そして拘置所に面会に行ったときに見た被告人の態度について、
その心情を書いて来ました。
読む必要はないでしょう。被告人はあえて見る必要はないが、
裁判部は陳情書を伝達しました」

私の陳情書は読む必要がないって。
一生懸命書いたのに。
ま、でも一応裁判官は読んだってことだから、よしとしよう。
でもなんか、裁判官が彼よりな感じがする。気のせいかもしれないが……。
裁判官は、やれやれといった感じで、
「被害者は、被告人と協議しなさい」と言うと、彼に
「最後に言いたいことはありますか?」と聞いた。
彼はしゃべり出したが、また小さな声。何を言っているか分からなかったが
「父と友達に本当に申し訳ない」と言った言葉だけは聞き取れた。

やっぱり最後まで自分のことしか考えてない男だ、とガッカリし、
裁判が終わった。

友達とすぐに部屋から出た。
思いもよらぬ展開に私はかなり興奮気味だ。
すると、彼のお父さんと友達も出てきて、私の元にやってきた。
そういえば、彼はお父さんにそっくりだ。
ひと目で、親子だと分かる。
まともではない人と聞いていたので、もっとみすぼらしいかと思ったが、
スーツを着ていて、どこからどう見ても会社員風のふつうのお父さんだ。
友達も、ごくふつうのマジメそうな印象。

お父さんと友達は私に頭を下げて謝ってきた。
でも、なぜ今さら?
いくら謝られても、所詮、敵は敵。
今までの苦労が走馬灯のようによみがえり、
本能的に怒りがこみあげ、私はガラッと態度が一変。
キツイ女になってるなというのが、自分でも分かった。

それでも、お父さんと友達は、やはり彼を助けたい一心で、
今までなぜ出て来なかったのか、その事情を一通り説明し、
協議したいと言ってきた。
そして、自分たちはお金のない人間だから、
今から一生懸命働いてお金を返す。そのためにも、彼も含めて
3人で働いたほうが、早くお金を返せるから、
彼を拘置所から出してくれと言ってきた。

なんてムシのいい話だ。
ふつうなら、お金を全額用意し、それで拘置所から出してくださいと
頼むのではないか?
呆れて話にならないと思った。

とそのとき、さきほどの弁護士が出てきた。
そしてこちらに来ると、弁護士も同じように協議をするように薦めてきた。
もうだんだん頭に来て、私は
「お金じゃないんです。彼が私に謝るまでは絶対に許しません!」と
きっぱり断言した。
すると弁護士は、お父さんと友達に
「彼女は思った以上に心の傷が深いようですね」と
困ったような顔で言うと、次の予定があるのか、
「ちゃんと話し合ってください」と言い残し、
さっさとその場を後にした。

その後も、そこでずっと立ち話をしたが、話が堂々巡り。
すると横で聞いていた友達が割って入った。
「彼女はこれまで本当に大変だったんですよ。彼に裏切られて、
本当に傷ついて。だから簡単に許すことができないんです。
ゆっくり考える時間が必要なんです」

そう。そのとおりだった。
いきなり協議しようと言われても困る。考える時間が必要なのだ。

とりあえず私は、
「まずは彼が盗んだお金の半分、すぐに用意してください。
そしたら話し合いに応じます」と言い、週末に会う約束をして
裁判所を後にした。

その足で検事の元に行き、裁判官に協議をするように言われたこと、
お父さんと友達が来てきたことを話した。
それでも、お金が戻ってこない可能性もあるから、
裁判の申請はしておこうと、検事と一緒に書類を提出しに行った。

どっと疲れた。
予想もしなかった、お父さんと友達の登場。
今日裁判に来るまでは、もうお金は諦めて、彼を刑務所に入れよう、
絶対に彼を許さないようにしようと、心を固めつつあっただけに、
気持ちが大きく揺れ動いた。

お金を受け取って、彼を拘置所から出すか。
それとも、お金を拒否して、彼を刑務所に入れるか。
どっちを選択したらいいのだろうか……。

次回に続く

45長い一日の始まり 

2007年12月28日(金) 20時02分
裁判前日。
韓国に戻ってきて、下宿に到着すると、
私がいない間に検事から連絡があったと下宿のおばさんが教えてくれた。
何の用かは具体的に言わなかったが、私と話したいから
連絡をとりたいと言ったそうだ。
裁判に関係することなのか?
気にはなったが、もう夜。
電話はつながらないだろう。
明日、裁判の前に検事のところに立ち寄ることにしよう。

裁判当日。
朝一番で検事に会いに行った。
その検事は以前に会った検事とは違う人だった。
30代後半ぐらいの男性で、
見た目は爽やかで、正義感の強そうな印象を受けた。

検事の用件というのは他でもない盗まれたお金のことだった。
検事も彼と話をしたそうだ。
被害者、つまり私にお金を返すのが、お互いにとっていいことだと。
お金を返せば、刑を軽くするどころか示談にだってできるのに、
このままでは、彼は刑務所行きになる。
だから親に連絡をとってみたらどうかと勧めたらしい。
彼は分かったとうなずいたそうだ。
でもそうしなかった。というかできなかったのだ。
検事の話だと、彼の父親は不良債権者で、経済力がまったくないと。
以前、警察が、まともな人間ではないと言っていたのは
このことだったのだ。

どんな理由で彼に事情があるにせよ、やっぱり犯罪は犯罪。
被害者側の立場で見る検事としては、
私を不憫に思ったのか。
それとも見た目の印象通り、正義感の強さからなのか。

この刑事裁判の間に、お金を取り戻すための追加裁判を請求してみるのは
どうかと提案してきた。

そんなことができるの!?
つくづく思った。
今までの検事や弁護士、警察も含めて、私が聞かないから言わなかっただけで、
方法なんていくらでもあるのだ。
知らないということは、本当に恐ろしい。

とはいえ、この検事も、こういう裁判は今まで一度もしたことがないから
うまくいくかどうかは分からないし、裁判を請求したところで
裁判官が必要なしと判断したら、棄却されて裁判が開かれない場合もあると。
でも、やるだけやってみようと言ってくれた。

この検事にとっては、私の事件なんて、たくさんある中のひとつにすぎない。
曲がった見方をすれば、
事務的に機械的に、最低限のことだけやっていれば、文句を言う人はいないし、
それで仕事は成立する。
でも彼は違った。
面倒くさい仕事がひとつ増えるだけなのに、こうして私に提案をしてくれた。
それが嬉しかったし、ありがたかった。
この熱血漢な検事が私の担当で本当によかった。
私はもちろん、検事の提案にのることにした。

そして検事は、この後行われる裁判には、自分は行かないので
その間に裁判申請書を準備しておくから、
またここに戻ってくるようにと言った。

そう、裁判……。
日本でだって裁判所になんか行ったことがないのに、
まさか韓国で初めて裁判の経験をすることになろうとは。
裁判がどんなものかという好奇心もあるが、
でもやはり自分の事件。
一応、友達が一緒に行ってくれるから心強いが、
得体の知れない不安と恐怖もある。

そんな私に検事は、裁判中に分からないことや聞きたいことがあったら
いつでも自由に発言していいと言った。
傍聴席からの発言は認められているのだそう。
だから、分からないことは積極的に聞いたほうがいいとアドバイスしてくれた。
裁判って、そんなアットホームな雰囲気なの?
検事の冗談かと思ったが、同じ部屋にいたもうひとりの検事も、
その言葉にうなずき、やはり同じように疑問があれば聞いたほうがいいと言った。

裁判を見た後、また戻ってくるという約束をして、
私は友達との待ち合わせ場所に行った。
彼女は学校の友達。日本人で、りさやみあとも顔なじみ。
ダンナさん(日本人)の転勤で、一緒に韓国についてきた専業主婦だ。
私の友達の中では一番しっかりしていて、常識人。
こういう場には最適だ。
ただ、最近ずっと日本に一時帰国していたので、
他のみんなより、私の事情を知らない。
それでも何かの役に立てればといって、今日来てくれることになったのだ。

待ち合わせ場所に行くと、時間通りに彼女は来た。
さっそくこれまでの経緯やさっき検事に会ったことなどを話しながら、
もうひとりの友達が来るのを待った。
りさだ。
最初は、そのうちすぐ来るだろうとのんきに構えていたが、
一向に来る気配がない。
しびれを切らして電話をしてみたが、まったく出ない……。
もしかして、まだ寝てるのか!?
りさは好奇心120%で、裁判見たい、行きたいとあれだけ言っていたのに。
こんな大事な日に限って何をしているのか。

これ以上待ってると、裁判に遅れてしまうので
先にふたりで行くことにした。

裁判所に到着し、建物に入った。
きっと空港みたいに荷物検査や身分証の提示など、
警備が厳重にされているんだろうなと身構えていたのに、
入り口には誰もいなくて、あっさり素通り。
こんなに簡単に入れるの!?と拍子抜けした。

そして、裁判部屋の前に行くと、紙が貼ってあり、
今日の日程が書かれていた。
見ると、30分単位で同じ時間に数十人の名前が羅列されている。
どういうことか?
不思議に見ていると、近くにいた職員らしき人が日本語で声をかけてきた。
そして、どの裁判を見たいのかと言うと、
この紙に書かれた順番通りではなく、被告人はランダムに名前を呼ばれる。
つまり、彼の名前がその時間の一番下に書かれていたが、
最初に呼ばれる可能性もあるということなのだ。
病院の診察のように、終わったら次の人と、どんどん進行されるから、
早く入って、傍聴席でずっと待ってたほうがいいと教えてくれた。

ひとりひとりちゃんと時間を区切って、進行されると思っていたのに
まったく違った。
そりゃそうだ。
この紙を見てわかったが、今日だけでも裁判が100ぐらいある。
30分に10人ぐらいは裁かないと終わらないだろう。
それにしても、こんなに裁判があるとはビックリだ。
みんな、どんな事件を起こしたのか。
よく見てみると、詐欺事件が多い。
やっぱり。
以前、角刈り刑事が、韓国の犯罪の70%〜80%は詐欺で、
しかも犯人は若い男性が多いと言っていたことを思い出した。

韓国って一体……。
とにかく、時間が来たのでドアを開けて中に入った。
中はそんなに広くはない。
真ん中に裁判官がデンと座っていて、その前には記録係?
パソコンをかたかたさせている人がふたりいて、その両脇。
向かって右側に弁護士、左側に検事がいる。
そして、裁判官の真向かいに被告人席があり、
その後ろが傍聴席。
被告人と傍聴席を遮るついたてのようなものは一切ない。
ないどころか、一番前の傍聴席から手を伸ばせば届きそうな、
そんな距離感だった。

傍聴席はけっこう人でうまっていたが、
後ろに空いた席を見つけたので、そこに友達と並んで座った。
もちろん、裁判の最中だから、大きな声は出せない。
でも、見るものすべてが初めてで、思わず友達とこそこそ話していたら
係員の女性に注意された。
やっぱりおしゃべり禁止か。

でもここにいると、なんだか緊張する。
ただ見ているだけなのに。
おそらくこの緊迫した空気感のせいだろう。
その緊迫感を作っている原因と言えるのがさっきから発言している検事。
女性なのだが、すっごく怖い。
目つきも鋭いし、なにより言い方がキツイ。
ああいう女性は絶対に敵にしたくないものだ。
そして裁判官は40代前半ぐらいの、ちょっと若そうな男性。
相手を見透かすような目つきや、淡々と話す口調で、
威圧的と言おうか、ちょっと重い雰囲気が漂っている。
被告人席に来る被告人たちは、みんな下を向いて神妙な面持ちだった。

裁判は休みなく、どんどん進行していく。
早く終わる人もいれば、長くかかる人もいて、事件によってさまざまだ。
そして被告人が変わるたびに、傍聴席もどんどん入れ替わる。
自分の事件が終わったら、とっとと帰っていくからだ。
そうして、一番前の席が空いたので、私たちも前の席に移動した。

すると携帯のバイブが鳴った。
りさだ。
悪いけど、今は取れない。
そんな状況じゃない。
そのまま流して、「今は裁判中」とメールを送ると、
「今起きた」という返信が返ってきた。
やっぱりこいつは寝坊だったか……。

それにしても、常にドアが開いたり閉まったり、ホント落ち着かない。
こんな出入りの激しい中でよく裁判がやっていられるなと、ある意味感心するが。

そんなこんなでしばらく待っていると、弁護士が女性に代わった。
うわ〜。
この人もキャリアウーマンタイプ。
女性対決かぁ。
そして、ついに彼の名前が呼ばれた。

次回に続く
P R
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