凧づくり 

2006年02月04日(土) 23時49分

蝉だこ(カイトハウス孫次にて)
4日は市民センターで親子で凧づくりの催しがあった。
少し寒かったが、風もあり、天気良かったので、絶好凧揚げ日和。
9組のお父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんと子供たち(うち2人は保護者が参加しなかったので我々センター職員が代理を務めた。)
講師はまごじ凧、竹内氏。優しく、丁寧な指導、お父さんたちと一緒ということもあり子供たちはうれしそうだった。
凧の種類はモンパ、「一文ばた」の略。一文で買えたところから名付けられたみたいだ。2本骨の簡単な凧だ。お父さんたちに助けられ全員完成。
いよいよ、運動場で実際にあげることに。凧揚げの経験がある子どもがいなかったのでほとんど大人たちが中心になってあげることに。
簡単な凧だったが、すべての凧が風に乗って、天高く上がった。
大人も子どもも楽しんだ一日だった。

周遊バスコースを車で走る。 

2006年01月30日(月) 21時27分

門司港駅
26日9時ごろより、門司港〜和布刈周遊バスコースを妻の運転する車で廻った。バスのお客さんに話すのと違って、妻からの質問もあり、今まで見えなかったものに気がついたようだった。


第二展望台から門司港を望む


義経八艘跳び
この壁画は有田焼1400枚のタイルでできている。


ノーフォーク広場の錨
ノーフォークは米国有数の軍港で、昭和34年北九州市との間で姉妹都市を締結した。
ノーフォーク広場はこのノーフォーク市のイメージを模して昭和61年秋に造られた。

今年最後の周遊バス 

2005年12月26日(月) 22時42分
 23日、周遊バスに乗りました。おそらく今年最後になるでしょう。

年末であり、寒さのためお客さんは少なく4回乗って、合計19人。
最後のバスが到着後、強い雨が降り出し始めました。
寒かったけれど、ノーフォク広場、和布刈第二展望台での案内のときは雨に遭わず、幸運。

それにしても、東京、大阪その他、遠方からのお客さんが、寒さの中、熱心に説明を聞いてくださり、感激。これから、もっと自分の個性を活かした案内をしたいと思いました。

料理教室 

2005年10月28日(金) 11時54分

前回は和風料理、今回は洋風料理。
先生のお供で、スーパで買出し。
魚は朝早いせいかあまり無かった。
結局、一匹100円の冷凍の生鮭を買う。
野菜は照明の当たってない奥に置かれていたものを買った。


出来上がった作品。
魚(鮭)のカレー焼き、きのこスープ、シーチキンサラダ、その他写真に写ってないが
胡麻クッキー。
550kcal。
とてもヘルシーだが、癖が無く誰でも美味しく食べられること請け合い。

先生のお話で米の研ぎ方(@米をザルに入れ、ボールにたっぷりの水を入れ、@を入れ研ぐ)。豆腐は沸騰させた後、冷蔵庫に入れる。‥
材料を無駄なく使い切る。
目から鱗の話をたくさん聞くことができた。
次回は中華風料理。今から楽しみにしています。

28日の観光案内 

2005年09月30日(金) 17時56分
福島のことを事前調査したが、中々うまくは話せなかった。
自己紹介のとき、福島県の町の名前と読み方は違うが自分と名前と同じ字ですと話したら受けたようで、名前を覚えてくれた。

円谷選手とは小、中、高校と円谷選手の2年後輩の人がいた。
いつも心がけているが、新しく仕入れた話をしてみた。
一つは、門司港は昭和16年の太平洋戦争の開戦から昭和20年の終戦まで、700隻以上の輸送船で、200万人の兵士が東南アジアに送られ、100万人が戦死した。

もう一つは、門司港駅は九州の西洋風木造駅舎で最も古いこともあり、映画、テレビのロケがよく行われている。最近では、8月に、松たか子主演の”1945年 広島”放送され、門司港駅が広島駅に模して登場した。

その他、新北九州空港を視察にき来た人々だったので、北九州市では、市民のための海上からの新北九州空港の見学会があり、門司港から出発する話をしたら、関心を持ったみたいだった。

帰り水のところで、”俺の親父もこの水を飲んだのかなあ”といって感慨深そうに水を飲んだ人がいた。

お客さんが15人の団体のせいもあり、自分の話が空回りしているようで、中々難しい。
これまで、団体客ばかり案内してきたので、今度は少人数のお客さんを案内してみたい。
いつも考えていることだが、マニアルに頼るせいか、話が不自然な気がする。自分で感じたことを素直に出してみよう。
 

円谷幸吉選手のこと。 

2005年09月25日(日) 7時12分
28日に門司港レトロで観光案内ボランティアをする。お客さんは福島県須賀川市の団体と伺ったので、須賀川市のことを少し調べている。
福島といえば自分と同じ名前の町があり、前の会社とき、縁の深かった福島原子力発電所が頭に浮かぶ。
須賀川でまず思い出すのは円谷幸吉選手。東京オリンピックの前年、昭和38年,鞘ヶ谷陸上競技場での記録会で1万メートルの日本記録を更新したのを見ており、またオリンピックでの感激的な大活躍、一転しての悲劇的な最期。真摯で誠実な人柄は私と同年齢であり、今でも深く心に残っている。
観光案内のときには、どの程度話せる解からないが、どんな反応をしていただけるか、楽しみにしている。
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