岬めぐり 

2005年05月03日(火) 18時22分
今朝、ニッポン放送でリクエスト曲で「岬めぐり」を聞いていた。私にとって「岬めぐり」で思い出すのは潮岬である。学生時代33泊34日のユースホステル巡りの旅行をしていて南紀潮岬に宿泊したとき、ミーティングの司会をしていた女子大生2人が「私たちは今日で最後なんです、次のヘルパーの人がいません。旅程に余裕があって少しでもここでヘルパーをしていただける方はいらっしゃいませんか?という言葉にすぐにのってしまった。その時をかわきりに以後、4年連続でヘルパーの常連になってしまったけれど、就職してしまったので、その後はできなくなってしまった。潮岬は太平洋の波に洗われる本州最南端の岬で、私的には「岬めぐり」そのものである。毎日夜明け前に宿泊者を起こして、水平線から望める日の出ツアーに出かけるのが日課だった。それと毎夜のミーティングの司会が楽しみだった。また、パソコンのない時分、全国の主要な局番を暗記していたわたしは予約の電話を受けて、番号から山形県新庄市ですねなどと応えると相手から、びっくりされたものだ。昭和40年代から50年代、ユースホステルが全盛のころだったように思います。今はさっぱ利用しないけれど、とても懐かしい気がします。

自己アピールドラフト 

2005年04月17日(日) 7時54分
職場の自己アピールの順番がそろそろまわってくる、「ボランティアについてと」ぐらいが無難かな、学生時代にユースホステルを使っての旅行の際、縁があってヘルパーの仕事をいろいろやっていたせいか、就職してからは地方自治体の社会教育課などの主催するレクリェーションリーダー講習を経て、子供キャンプのリーダーや地区の子供会にいろいろと参加していたが、結婚して自分に子供(3人)ができると、よその子どもの面倒よりも自分の子供の相手をすることが必至となって、そういった活動からも遠ざかっていたが、次には日本語教師ボランティアをはじめる機会を得て、動機は英会話の学校にいくよりも、英語を話す人に日本語を教えれば、同時に自分も英語が勉強できるぐらいに思っていたが、世の中そんなに甘くはなく私の担当は中国語を母語とする人だった。それからさまざま国の人に関わったけれども、それまで英語第一と考えていた偏見を改めさせてくれた。韓国語、中国語が初級者レベルだけれども理解できるようになった。また、現在、基礎的な知識技能を身につけるため、アルクの日本語教師の通信教育を履行している。現在の職場をリタイヤした後は、アジアで日本語教師をして暮らすのが夢である。

荒川市民マラソン 

2005年04月16日(土) 19時55分
昨日、荒川市民マラソンのゴール時の画像付き記録証が届いていた。前半は好調だったものの、後半はひざの痛みからペースダウンがひどかった。次は来月の庄和大凧ハーフに向けて練習、また7月の富士登山競走に向けても基礎体力と膝の強化にがんばらなくては、来週からは日米スポーツ交歓会対策も、とりあえず今日はこのへんで終わり。
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