息継ぎについて
2009.07.16 [Thu] 07:59

鍵盤を押せば音が鳴るピアノにおいて,息継ぎ・ブレスの重要性というものは,先生や指導者等から特に強く指導されない限りにおいて,自然に・体感的に感じることの比較的難しい要素ではないかと思う.

大学での研究の分野にかなり近い話になるが,音声合成についての講義でこれに非常に近いことを聞いた.正確には音声合成そのものの講義ではないのだが,その一部分にて.半ばジョークに近いものであったが,「機械(コンピュータ)に合成された音声を喋らせる場合,息継ぎにあたる間がないと,それが機械にとっては不要であるにも関わらず,聞いた人間にとって非常に不自然な,疲れた感じを覚えてしまう」ということだった.余談だが,これを聞いてまず思ったのは,シンガーとカラオケの違いである.ポップスなどのCDを聴くと,歌手が息を吸い込む音がかなり大きく入っていることが分かる.これらとカラオケには当然声量・肺活量の違いというものもあるだろうが,これらの呼吸の音は意図的に聴かせているのではないだろうか,という仮説が考えられる.

話を戻すと,呼吸・息継ぎ・間というものは話し手だけのものではなく,聞き手のものでもあるということが考えられそうだ.もしこれが音楽にも当てはまるとしたら,呼吸のない音楽は聴き手にとって苦しい印象を受けるものとなるだろう.もしかすると実際にこのような経験をされた方もいるかもしれない.

では,息継ぎ・ブレスの感覚をピアノ奏者が得るにはどうすればよいのだろうか.その一つの解法は,当たり前ではあるが,息継ぎの必要な音楽を習得するということである.個人的な思いとしては,昔管楽器をやっておけば良かったかなと今でもしばしば考えるのであるが,もちろん声楽という方法もあるだろう.弦楽器経験者であれば,ボウイングのアップ・ダウンのアナロジーで考えることもできそうだ.このような観点から言っても,異種の楽器に触れることの意義というものがあるのではないだろうか.
 

電子ピアノ
2009.05.06 [Wed] 12:00

結構以前のことになるけれども,ある知り合いと電子ピアノについての話となった.というのも,僕がその頃に偶然楽器屋で電子ピアノに触れて,“あーこれなかなかいけるなー”って思っていたというのがある.実はそれ以前,自分にとっての「電子ピアノ」というのは,イコール,机の上に置くようなキーボードか,学校にあった古い電子オルガン(?)みたいなもので,ちょっと技術の進歩に驚いたというのがあって(苦笑)

そこで,その知り合いに電子ピアノの話を聞いたのだが,彼は,家には電子ピアノ(しかもかなりいい物だと推測される)はあるが,本番前はもとより普段の練習でもそれはほとんど使用していないのだと言った.

電子ピアノの欠点としてそれまで僕が考えていたのは,例えば「ハンマーアクションが悪い(本物と違う)」,「録音された音が打鍵の強さに正確に反応しない」,「音色が微妙」とかそういうことだったので,そのうちどれが理由なのか聞いてみた.当然答えはこの中か,或いは近いところにあるものだと思っていた.しかし彼の答えは僕の全く予期していない点についてだった.

つまり「……汚い音が出ない」と言ったのだった.

通常のピアノであれば,悪いタッチに対してはそれなりに酷い音がするものである.それすら気付かないというのは問題外だが(といっても残念ながらそういう人も多いのは事実だ),機械式のピアノを扱っているとそういう機械ピアノの“有難さ”に気付かないことも有り得る.

実際のところはどうなのか分からないのだが,例えば電子ピアノ用の録音現場などでは,あるモデルのピアノの“最高の音”を採音することはあっても,“素人が弾いたような「汚い」音”は録らないかもしれない.これは単なる想像に過ぎない.もしかしたら最新のタイプではそうではないかもしれないが,いずれにしても非常に意表をつかれた意見だった.

たとえ電子ピアノを弾く場合であっても,アクションピアノを弾くときは尚のこと,音の美しさに対する鋭敏な感覚は常に維持しておかなければならないのだと感じられた.
 

ラファウ・ブレハッチ ピアノ・リサイタル
2009.02.19 [Thu] 23:59

今さらですが,最近聴きに行った演奏会からPart2

09年02月19日 ラファウ・ブレハッチ ピアノ・リサイタル 横浜みなとみらいホール

遅ればせながら初のブレハッチ・コンサートだった.以前TVでChopin中心のリサイタル(ショパコン優勝直後だったか)を観たことがあったが今回は他の作曲家を含めたものだった.

プログラム前半は,MozartのSonate(B-Dur,Nr.16)とBeethoven(Op2-2,Nr.2)と古典のSonateを揃えていた.生演奏を聴いて非常に良く感じられたのだが,ブレハッチのピアノ・タッチは信じられないくらい輝いていて,しかも瑞々しい.そのタッチの特色を最大限に引き出していたのは,今回の演奏会では前半の2曲にあったと感じられた.まさに親密で幸福な音楽のようである.

休憩をはさんで,ChopinのMazurka(Op.17),Polonaise(Op.53,英雄ポロネーズ)を演奏.Polonaiseは大きく期待していたこともあったのか予想通りといった演奏だったが,Mazurkaは絶妙なリズムの揺れが,新鮮に,またなるほどと納得させられるように聴けた.

発表されていた分のプログラム最後はSzymanowskiのWariacje Op.3(変装曲).民謡にも似たような主題から全体を作り上げる構成力に力強いものがあり,ブレハッチの演奏がただ繊細なだけではなくこういった一面を持っていることを感じさせられた.言ってみれば男性的な側面ということだろうか.

アンコールは3曲.
F.Chopin Prelude Op.28-4 / Mazurka Op.56-2(?)
C.Debussy Suite bergamasque, "Clair de lune" (月の光)

ちなみに終演後のサイン会の列の長さは大変なものだった(さすがに並ばなかったが).最後まで残っていた方々は何時になったのだろうか.
 

庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタル
2009.01.14 [Wed] 23:59

今さらですが,最近行った演奏会から.

09年01月14日 庄司紗矢香ヴァイオリン・リサイタル サントリーホール

プログラムは,はじめにシューベルトのヴァイオリン・ソナティナ,ト短調.軽やかで伸びやかなヴァイオリンの音色が美しい.親密さのこもった曲で幕を開ける.

続いてのブロッホ(1880-1959)のヴァイオリン・ソナタ第1番が白眉.冒頭から異様な緊張感を保ったまま曲が進む.作曲者自身が「盲目的な激しい闘いとしての現状の世界」と述べており,プロコフィエフに似た響きのする作品.ヴァイオリンによる増7度が印象的だ.庄司紗矢香は先ほどまでの軽やかさから一転,その緩急を何かに憑かれたかのように表現していく.そのスケール感を前に前プロにも関わらず非常に熱気のある拍手が送られた.

休憩を挟んで,依託作品,アヴナー・ドルマン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番.2楽章からなり,約7分程度の作品である.ヴァイオリンとピアノの掛け合いが楽しめた.意外にもこの程度の長さの作品の少ないヴァイオリン曲においてという意味でも意義のある曲だと思えた.

プログラムの最後はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第7番,ハ短調.シューベルトとも現代作品とも違った緊張感でスケールの大きな作品が構築されていった.

プログラム外のアンコール曲も小品が5曲.
エルガー 『愛の挨拶』
クライスラー 『軍隊行進曲』
  〃     『奇想曲』
チャイコフスキー 『感傷的なワルツ』 
ショスタコービッチ 『前奏曲op.34ー17 』 (?)
ここでは軽い音色で魅せることを忘れないパフォーマンス.全体での演奏時間は約120分にも及ぶものだった.

ストラディヴァリウス”Joachim”のもつ様々な可能性を引き出すリサイタルで,日本を代表するヴァイオリニストの創り出す密度の濃い時間にさすがだと心を動かされました.
 

ステージ上での緊張についてB
2009.01.02 [Fri] 00:00

過度に緊張が生じる原因とは何だろうか,ということを考える.

ひとつは,単純に“舞台に上がること”に対して恐怖心や焦りを持っていしまっている,ということが考えられる.このパターンだとピアノ以外のケース,例えば学校などでのプレゼンテーションやスピーチ等でも同様に緊張してしまうのだろう.そもそも大勢の人間から浴びる視線が苦手だ,というのかもしれない.

この場合は例えば次のように考えればいいのではないだろうか.つまり,ピアノ演奏でまだ良かったと.声楽や他の弦楽器を弾くことを考えてもらうと分かるが,彼らは常に聴衆と正対(姿勢的に)しなければならない.どっちを向いても誰かと目が合ってしまうのである(笑).それに比べると……という言い方は変かもしれないけれど,ピアノ演奏では横からの視線なので“まだまし”だと考えられはしないか.或いは,よくスピーチ・プレゼンテーションの場合などで言われるように,聞き手の中に誰か一人語りかける人を見つけてその人に向かって話す,ということの応用も有効だと思われる.

(続)
 

ステージ上での緊張についてA
2008.12.05 [Fri] 01:00

舞台上で緊張して困ること,を考えるためにそもそも“緊張”とは何であるか,から考えてみよう.

緊張
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E5%BC%B5

「体や心が張り詰めた状態」とは何ともそのまんまなのだが(笑),少なくとも心理的なことを考えると「自分が緊張しているという自覚症状を持っている」くらいの定義が良いのではないかと思う.くだけて言えば「あ,いつもと違うな」と感じているかどうか,とか.明らかに通常の精神状態でないのにそれを自覚出来ていないのは“パニック”と言います(自覚できていてもという話もある).

実は個人的にはこれだけで緊張の定義はできるのではないかと思うが,一般的に言えばこのとき何らかの身体側の緊張状態も共に生じるようで,こちらのほうが実際的により問題であると言えるかもしれない.緊張で手が震える,とかが代表的か.で,今日のエントリーのまとめとして,

“緊張に付随して起こる肉体的・心理的なコントロールの不自由こそが問題である”

と.当たり前のように思えるかもしれないけれど,その心として“ある程度の緊張は害ではなく益”というところが逆にあることを考えたい.世の中の有名なピアニストなどの伝え聞くようなところをみても,しばしば,ステージ上で突然閃きのようなパフォーマンスをみせる,などということがあるが,要するにそこでしか感じられないような緊張感というものは,過度でなければ演奏に良い影響を与えることができるのではないだろうか.

緊張感を適度に保った状態で演奏することを以下では考えたいと思う(続)
 

ステージ上での緊張について@
2008.12.05 [Fri] 00:00

最近あまり内容の伴ったエントリーができていないことを自覚して,少し実践的な事柄について考えてみたいと思います(苦笑)


ピアノに限らず人前でなにかパフォーマンスを行う・行った経験のある人なら分かると思うが,こうした作業において緊張感を感じるという人はかなり多い.というより,むしろ自分の周辺の人でピアノ演奏に限って言うだけであるならば,緊張しない人数はかなり限られるといえる.さて自分は,というと,最近はそうでもなくなってきたけれど,中学生のころとかは,それほど大した機会でなくても(学校の授業とか)結構上がってしまっていたような気がする.まぁ,とにかく昨年の秋頃から,スポーツメンタルとの関連を含めてこの分野のことに結構関心を持っていたこともあり,そろそろ一度考えていることを書いてみてもよいかと思っている.そういうわけで少し真面目な(笑)記事にする予定です.

まず最初に,そもそもなぜ緊張すると良くないのか,というところから考えたい.(続)
 

奏法を改造中A−駒場祭編−
2008.12.03 [Wed] 12:00

駒場祭での演奏が無事(!?)終わりました.今回は曲がScriabinということで,新しい奏法を試すよい機会となった.というわけで参考に録音チェックをしようとしたのだけれど,たまたまそのときに無かったため,またの機会に(11月某日)……

今回の演奏会では何やら凄い(らしい)ピアノが登場していた.そのピアノがクセがあるとかないとかの噂もあったけれど,弾いてみた感想としては,あの会場に入れるものとしては良かったんじゃないか.3日目の演奏だったが,鍵盤の重みのかかり方があまり良くないところは(全体として軽い,ちょっと触ると底まで抜ける)曲によっては不満も残りそうだった一方で,低音から中音域にかけて,楽器の内部での共鳴が大きかったことは,部屋との相性も考えると良かったのではないかと思った.昨年・一昨年のYAMAHAでは(部屋の音響がまるでダメなので)演奏者に音が跳ね返ってこない状態だったと思う.まぁ極端な話,聴く人側に聴こえてればよいということもあるが.

さて弾いてみた感じとしては,強音の鳴りはさすがによくなってきていると思う.ただ頭の中にイメージする音はもう少し硬質で粒の立ったもので,まだそこまでには到っていないようだった.一度この状態でSteinwayあたりで弾いてみたい……と思ったら,いやもうすぐにその機会があるようだった.さてどうなるか.
(このシリーズは続ける予定です)
 

A.Scriabin: Fantasie h-moll Op.28
2008.11.30 [Sun] 14:00

Александр Николаевич Скрябин: Фантазия op.28

膨大な数を有するピアノ作品において,後期ロマン派に属するものは驚くほど少ない.しかしA.Scriabinが1900年に作曲したFantasie h-mollは,既にこの領域での書法を完成させ独自の作風に踏み込みつつあった作曲者が残した大作という点でピアノ音楽史上非常に重要な作品であり,作曲者自身による評価が芳しくなかったことを勘案してもその輝きが失われることはない.

曲の構成は,気だるさを帯びた第一主題・霊感に満ち,官能的な第二主題・情熱に溢れた第三主題と,それぞれが絡み合った展開部からなる.曲中のところどころに現れる五連譜はScriabinの好んだ音形であり,この作品でもときに形・微妙なリズムを変えながら非常に効果的に用いられている.コーダは劇的で,ピアノのロマン派としての表現を極めた技法が怒涛のように打ち寄せ,曲を締める.

技術的なところとしては,左手のコサックの異名の通り,オクターブを保ったままの跳躍や幅の広いアルペジョなど演奏者の左手には高度な役割が課せられている.また各声部が和音で動くことが多く,勢い全体の響きが過剰に厚くなりやすいが,Scriabinの求めた音響を実現するためにはその響きを整理する必要があり,音を聴くこと,がいっそう求められる作品であるといえるだろう.
 

M.Ravel:"Toccata" -Le tombeau de Couperin-
2008.11.30 [Sun] 13:00

M.ラヴェル(Joseph-Maurice Ravel, 1875-1937):クープランの墓よりトッカータ

ロマン派以降,トッカータはしばしばピアノのテクニカルな側面を引き出す,無休動音楽としての役割を与えられた.シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810-1856)・プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev, 1891-1953)などがその代表である.ラヴェルも組曲「クープランの墓」の中で,同音連打をモチーフにした,非常に技巧的なトッカータを書いている.左右手の打鍵域を密集させたまま鍵盤を上下に駆け回る曲想はまさにピアニスティックであるといえるが,作曲者の指定テンポがあまりに速いため(Vif=144),演奏者によっては速度を落としたり,音を間引いて弾くこともあるようである.しかしこれだけ音を凝縮させながら,要所では完全音程に回帰するなど音響に対する美意識が徹底されているため,曲は一貫して軽さを保ち,繊細な響きは失われていない.ラヴェルの筆のなせる技である.

実は2年ほど前にも一度弾いたことのある作品なのだが,そのときは若干消化不良となってしまっていたのでもう一度弾くことにした曲.さすがに技術的には若干余裕を持てるようになってきた(とはいっても“超”難曲であることには変わらずひやひやものではあったけれど)のもそうだが,曲の“ツボ”みたいなところ,要点,が分かってきたこともあり,だいぶ全体の見通しとしては良くなってきたのではないかと思った.いずれにしても素晴らしい曲なのでいつでも弾けるような十八番にしておきたいところだけれど,ちょっと難しい,かな(苦笑)