6年間 

2012年11月23日(金) 22時43分
そういえば昔聞いたことがある。
10歳にとっての1年と、20歳にとっての1年は違うのだと。
つまり、10歳にとっての1年は人生の10%であることに対し、20歳のそれは5%に過ぎない。
よって、体感速度は実に半分になるらしい。
なるほど。

まだこのサイトに記事が残っていたことにもびっくりしたのだが、それ以上に6年振りということに驚いた。
更に驚いたのは、今年になっても訪問してくれた方がいたことである。

40歳を少し超えた僕にとって、この6年間は本当にあっという間だった。
その間に3つの恋をし、そのうち1つが家族という形に変化し、一人娘が産まれた。
定年までには決して払い終わらないローンを組んで家を買い、父親の最後を看取り、部下は8人に増えた。
毎日笑える瞬間がある今の僕は、つまりは幸せということなのだろう。

30代の頃に手痛い失恋をしたとき、関東のド真ん中から目的なく車を走らせ、たどり着いた片田舎のせんべい屋。
そこで出会った爺さんの言葉が今になって甦る。

「失恋だ?そりゃうらやましいし。俺も70歳を超えたが、今でも魅力的な女を見つけちゃあ口説いてるよ。ちょっと身体が痛てぇとか、すぐ息切れしたりするが、俺は30代の頃から何も変わっちゃいねぇ。恋するってやつは、いくつになってもいいもんだ。そう考えれば、兄ちゃんはまだ少なくとも40年は恋ができるってわけだ」

そして、僕もまた新たな恋をする。
成就させたいとか、家庭を壊すかも知れないとか、そんなことは考えない。
男として生きて、幸せだからこそ、僕は恋をするのだ。

40代を諦めず、新たな恋にチャレンジする。
そんな自分を、僕はちょっと気に入っている。

答え合わせ 

2006年07月16日(日) 0時28分
暑中見舞いが届いた。
何もこのくそ暑い最中にそんな暑そうなタキシード着なくてもいいのに。
彼女の隣で、僕の知らない男が真っ黒なタキシードと糊のパリッと利いた純白のワイシャツを着て、眩しそうに笑っている。
わざわざ暑中見舞いという形で結婚の報告をしてくるところが、僕に気を使ってくれているようで少し笑えた。

「なあ、いっそのこと俺達付き合ってみねえか」
僕がなるべく冗談っぽく、でも実は心臓バクバク状態で発した台詞は、彼女の「何言ってんの」という答えでちりじりにされ、綺麗好きの夏風が「こんなところにゴミを捨てられたら困るよ」といった感じで遠くまで運んでいってしまった。
高校時代、僕達は本当にいつも一緒だった。
たくさんの笑顔を何度も何度もぶつけ合い、それぞれの恋愛論を交わしながら、いつもお互いにお互いの気持ちを探っていた。
そう信じていた。

振られた日の帰り道、やっぱり僕達はいつもの道を一緒に他愛のない話をしながら歩いていた。
そして彼女の家との分岐点にたどり着いた。
「じゃあ、また明日な」
そう言う僕の背中に向かって彼女は言った。

「おい。彼氏なんだからちゃんと家まで送ったらどうなの?」

・・・僕には何がなんだかわけがわからなかった。

「え、だって、さっき・・・」
「・・・うそ。」

”え?嘘?何が?どれが?”

恋にはオクテで不器用な僕達は、仲が良すぎた故に、その後お互いにこの恋の行方を探ることはなく、彼女の言葉は謎のまま封印された。

あれから20年。
”俺のことを苗字で呼んだの初めてじゃねえか”
あの頃のようにあだ名で呼ばない葉書の文章に、僕はやっとあのときの答えをもらえたような気がした。

エチケット 

2006年07月14日(金) 22時55分
今日は職場の女の子と食事をしてきた。
彼女は結構この店に来るらしく、テキパキと注文している。
「えっと、ダシはこれと・・・、うん、そうね、これ。あとおろしにんにくをください。」
さすがは一人で回転寿司を食べに行くだけのことはある。実に堂々としている。
いや、客だから当たり前なのだが、最近の店はどうも独創的なシステムをオリジナリティであると勘違いしているところが多く、注文の仕方一つとっても「むーん」と頭を悩ますことも少なくない。
だから、彼女がこのように仕切ってくれて、僕は心底ホッとした。

「よく食べますね」
彼女が僕の苦手な長ネギをせっせと処理しながら言った。
「そうだね。昔からよく食べる方なんだ。禁煙しているせいか、最近また食べるようになっちゃってね。そろそろ胃腸のこととか考えないといけないんだけど」
「いいじゃないですか。男の人はやっぱりそれくらい食べないと。それに私、小食の人ってあまり信用できなくて」
「信用?食の細さと信用とはあまり関係ないような気がするけれど」
「なんかね、本番はまた後に取ってあって、私との食事は前菜というか、ちょっと小腹を潤す程度でセーブしてるって気がするんですよ。おかしいですよね」

世の中には実に色んな考え方がある。
大抵の物事は自身の考え方を物差しにして考えるから、それから外れるとなんとなく違和感があるものだが、その外れ方が大きい場合は、ときに感心してしまうこともある。
女性との食事には女性との食事のシーンでのエチケットというものがある。
それは女性のペースに合わせて食べることであり、そしてきっと、腹十二分目くらいの量を食することなのだ。

店の外に出る。
すぐそこまで夏がきているような、懐かしい湿った風が顔をなでる。
「あの、おいくらでした?」
彼女が財布を開け、明らかに半額以上分の紙幣を手にしながら僕に言う。
女性のエチケット。
「いや、たまにだからね、ご馳走するよ。話も楽しかったし、食事もすごく美味しかった」
男のエチケット。
「すみません、じゃあご馳走になります!」
そんな女の子の素直な言葉と笑顔が、僕にはすごく心地良い。
そして、女の子に笑顔でご馳走さまと言わせてあげられるような楽しい食事にすることが、僕のエチケット。

夫婦愛 

2006年07月09日(日) 20時43分
どうやら僕はいわゆる「できちゃった」子供であるらしい。
母親が働いていたパン屋の常連客だった父親は、ある日、母親にこう言った。
「次の週末に京都に行くんだ。そこから絵葉書を送りたいから住所を教えてくれないか」
島根の山奥から東京に出てきて間もない母親は、素直に父親に住所を教えた。
それで、やはり素直に絵葉書を待っていたら、それが届く前に父親が直接現れたそうだ。
男女とも、それぞれ一人で生きていくにはまだまだ不都合が多い時代、そのまま同棲という形になるのはそれほど不自然なことではない。そして僕ができた。
僕の父親は当初郵便局で働いていたが、公金を横領して懲戒免職となった身であり、その後も職場の金や同僚の金を騙し取り、その度に母親は頭を下げてきた。サラ金からの借り入れも半端ではなく、幼い僕はその取立て屋の声に恐怖し、涙する母親を見ては不安を感じていた。子供が熱を出しても病院に連れて行こうとすらしない。妹ができたときの出産費用も競艇に使い込む。その高圧な態度故、親しい友人もなく、家族サービスで旅行に行くこともほとんどなかった。
心中を考えた夜も1度や2度ではなかったらしく、その度に僕や妹の笑顔でなんとか堪えてきたらしい。
「お父さんが死んだら・・」
僕が物心ついてからの母親の口癖である。
「お父さんが死んだら、お母さんは好き勝手に生きるよ。もう本当に苦労しっぱなしで疲れたんだから。ほんと、その日が待ち遠しいよ」

そんな父親が倒れ、急性骨髄性白血病だと判明したのが3日前。
母親の自由な日々へのカウントダウンが始まったわけだが、どういうわけか母親の表情は曇りっぱなしである。そして、病院ではもうまともに口を利けない父親に、見たこともない優しい笑顔であれやこれや話し掛けている。

「ねえ母さん、父さんがこういうことになって、やっと二人でゆっくり話しができるね」
僕は、そんな母親の背中に心でそうつぶやく。

本当は毎晩眠れないくらい心配で仕方のない母親。
たとえ今までどんなことがあっても、きっと忘れてはいないんだよね。
父さんに騙されて始まった、今日までの長い長い恋物語を。
休日の昼下がり、開けた扉の向こうで、絵葉書代わりのお土産片手に立っていた父さんの、照れくさそうな柔らかい笑顔を。
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