『想、無頼』C・明智光秀という男その3 

2005年04月03日(日) 6時31分
  広大なる河川敷。一挺、銃を構え、屹然と立つ光秀。
  その銃の矛先、遠く掲げられた的を、じっと見やるは腕組みの信長。
  その傍らには、勝家、そして秀吉。
  凄まじい轟音と共に、構えた光秀の銃が、火を噴く。
  一気に射抜かれて吹き飛ぶ、的。
  辺り一帯に漂う、硝煙。
  秀吉が、腰を抜かさんばかりの勢いで、大声を張り上げる。
  「お・お・お・驚くべき威力でござるな、光秀殿。お・お・恐れいったでござる」
  眉ひとつ、動かさず勝家が、すぐさま言葉を繋ぐ。
  「フッ、所詮は雨が降れば無用の長物でござろうよ」
  その意を受けるように、軽く頭を下げて、光秀、
  「左様かと。更に火薬を詰める、しばし一刻の時を要しまする」
  ぎろりと光秀を見やりながら、信長、
  「光秀、ぬしのような手練れの者ゆえ、あのように的を射抜くことが出来よう、な」
  軽く、頷いてみせる光秀。
  「手練れの者の養成、急務なれど、隊を成す騎馬をことごとく討ち果たすには、ちと思案が要る」
  「親方様。そのことに関し、光秀、ひとつ思案があり申す」
  「その思案とやら、申してみよ」
  「隊を成す騎馬には、こちらも隊を成す鉄砲隊の編成は常套。ならば、隊を二段、三段構えにし、間断無く打ち続けるのが肝要かと」
  にやりとしたり笑いの、信長。
  すかさず、秀吉、
  「なるほど。それならば一気呵成に駆けて来る騎馬隊も、矢継ぎ早に打ち落とせますな」
  「前列の者が砲撃のち、後ろに下がり、その前列の者が砲撃の際、火薬を詰める。これを繰り返せば、矢継ぎ早の砲撃も可能かと」
  「光秀。隊を後ろに列、させるは生ぬるい。上下にも構えさせられるよう、もうひと思案、致せ」
  信長のその言葉に、畏まる光秀。
  ここに後年、戦国随一と謳われた武田騎馬隊への、信長自慢の鉄砲隊、その機知が生まれた。信長は、こののち必ずや一戦交えるであろう、武田信玄、そして上杉謙信への牽制も無論、怠ってはいなかったので、ある。

『想、無頼』C・明智光秀という男その2 

2005年04月03日(日) 5時57分
  天下制圧。封建主義的商業支配に次々と楔を打つ断行を処した信長が、それらと並行して行った施策とは、武力増強、これもまた急務の施策であった。伊勢一向宗の反乱、各地の豪族達の挙兵は、いまだ信長支配が隅の隅まで浸透していない、ひとつの証明でもあったわけだ。分けても悪行の限りを尽くす三好三人衆や、老獪極まる策を弄しようとする松永久秀の反乱には手をこまねいていた。信長は断行する。当時、農耕民を主とする足軽衆を専属の武士らを主体とする部隊へと変設。農耕民主体ではどうしても農繁期には、それこそ人手をとられる。当時、各地諸大名家で当たり前とされていた、こういったた部隊編成にも、策を講じた。常設部隊ゆえ、扶持がそれだけ多く要る。その為の信長流商業政策でもあった、といえよう、か。更に前述の各地のつわもの達による鉄砲編隊の威力のほどをまざまざと味わった信長は、その指揮下に鉄砲隊創設を企てる。この総指揮を任された男こそ、明智光秀であった。
  光秀は諸国を放浪するうち、何が己の才を際立たせるのか、光秀なりに思案したことだろう。もともと和歌に通じ、茶の道に詳しい光秀ほどの男。南蛮渡来の飛び道具、火縄銃にその意思が動いてもおかしくはない。信長に乞われた時、銃器に関する一言を光秀はすでに持ち合わせていた。あと己に何が加われば、自身がより引き立つか、そのような思惑にも長けていた光秀であったと思える、のだ。

『想、無頼』C・明智光秀という男 

2005年03月31日(木) 11時34分
  明智光秀は通称を十兵衛といい、その出自は江戸期に書かれた『明智軍記』にある辞世の句とされる「五十五年夢」によれば、1528年説が有力である。通説では、若き頃、斉藤道山に仕え、その死後、流転、足利将軍家、越前国・朝倉氏と渡り歩き、越前に逃れてきた足利義昭が信長上洛を乞う際、義昭と共に信長に謁見し、その際、信長に直々にその傘下に乞われ、承諾、織田家のひととなった。
 その謁見のシーンを筆者なりに再現してみよう。
 上座には義昭。その両隣には、細川藤孝、そして光秀、信長を筆頭に、下座に居並ぶのは柴田勝家、丹羽長秀、秀吉以下織田家の家臣一同。
 義昭が哄笑する。
 「ホホホッ、信長。おぬしが上洛いたさば、我の主管として想う存分の働きをいたせばよいぞ」
 「さればいかようにも。この信長。近隣在国、日の本の諸侯、平らげてみせましょうぞ」
 「ホホホッ、近隣在国、火の元の諸侯とな、これはこれはまた心強き言いよう。信長。充分な働き、頼むぞよ」
 「有り難きお言葉。是が非でも力にて公方様の願い、叶えてごらんにいれましょう。・・・さて、力にて組させるにおいても知力、わけても叡智が必要でござる。その為にも、ひとつ、我に願いがござる」
 「ほほっ?、願いとな?、なんなりと申せ」
 「・・・そこに控えし、明智光秀殿、我が配下に所望致したき所存」
 「なにっ?、この光秀をか?、ほう、光秀、ぬしを所望とな」
 義昭に見つめられた光秀、先に伺いがあったらしく、軽く頷いてみせた。
 丹羽が会釈したのち、言葉を添える。
 「公方様。親方様にその儀を受け、光秀殿にはその意思、すでに伝えておりまする」
 これら語らいをぎょろぎょろと一心に凝視している、秀吉。いつものように無遠慮な声を挙げる。
 「光秀殿は、南蛮渡来の火縄銃に通じておると、聞き及んでおりまするよッ。織田家の家臣として凄まじき活躍の時はいまかいまかと」
 「ホホホホホッ。光秀。そうであったか、すでに織田家の家臣どもに、そちはめで麗しゅうらしいとみえる」
 じっと、光秀を見つめる勝家。その矛先が信長へと移る。
 信長の目は、すでに光秀には向けられていない。その色は、ひとではなくもっと違うものを見つめているかのような、それだった。
 ここに様々な武人達の思惑が交錯する中、織田家家臣、明智光秀は誕生しえたので、ある。

『想、無頼』B・天下を布武せよ!!  

2005年03月23日(水) 21時34分
  墨俣築城の余勢を駆って、永禄10年、斉藤龍興居城の稲葉山城を占拠した信長は、その地名から井之口城とも呼ばれていた稲葉山城を、岐阜城と改めた。岐阜とは、中国古代、周の文王が、岐山によって中国全土を統一したといわれる由縁にちなんでつけたもの。さらにこの頃から信長は麟の字の花押と共に「天下布武」の印判を使用しはじめ、小牧山城から、この岐阜城に移り住んで、遂に天下統一への大望を、臨在諸国に睥睨し始めた。
  天下布武とは日本全土を武力によって統治するという意志であり、しかるに賢明な信長は、その為に何がまずは肝要か、手管を用いた。岐阜城の要害化、更に交通の至便化を図る道路拡張、この拡張化に際しては、関税を廃止し、関所をも撤廃、商業化への布石を打ち、わけても長らく支配の続いた独占的な市場体系を根底から覆す、楽市・楽座の新設。このことによって、岐阜城傘下の街並みは、大変な活況を呈し始め、宣教師ルイス・フロイスによれば、「バビロンの混雑」のようなひとのむせかえりよう、だったという。若き頃、しきたりなどには思慮を見せず、かぶき者と称された信長らしい、自由経済大国への施策は、矢継ぎ早に断行され、長らく支配の続いた封建社会への挑戦は、やがて飽くなき執念となって、時の傀儡将軍、足利義昭をも飲み込んでいく。
  だが、美濃を制覇し、「天下を布武する」という強い意志に対し、まだまだ臨在諸国には、強靭なる精神を宿した武人達が、矛を交えん、といまかいまかと待ち構えていた。北に武田、その先には北条、見上げれば朝倉、そして上杉、西には松永、三好三人衆と、手練れの者達がひしめきあっていた。妹・お市の方を浅井長政に嫁がせ、朝倉、ひいては上杉を牽制した信長は、近畿平定に動いた。この道標こそ、上洛への道、天下布武へのおおいなる道、であったとも言える。
  筆者は、その前にどうしてもこの男を登場させねばならない。越前に頓挫していた足利義昭が、征夷大将軍への無邪気なはいつくばりを望み、信長上洛を乞うにあたって、おつきのものとして細川藤孝と共に信長に謁見した人物、そう、明智光秀のことで、ある。

『想、無頼』A・美濃攻略その3 

2005年03月22日(火) 20時21分
  夕雲が西の空に漂い始める。だが日暮れにはまだ一刻を待たねばならぬ。
  「猿、族どもを調略のち、わしに策が、ある。」
  「ほほう、策でござりまするか?」
  「応よ。ぬしはその策をも、加担せぇ」
  信長の信任ぶりに、体中の血流が沸き立つような想いを感じた、秀吉。
  「わしに、お任せあれェ!!なんなりとお申し付けくだされェ!!」
  秀吉の顔が上気している。
  「フフッ。好い。猿、墨俣に砦を築け!!」
  「すの・・また、でござりまするか?」
  「火中の栗を拾いに参れ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、わしの大得意とする攻め、よ」
  目が点になる、秀吉。
  「フフッ。猿は古事には通じてはおらぬとみえる。まぁ、よい。わしは飽いた、のじゃ。勝家、丹羽にいさぎよき尾張からの一気呵成の攻めを命じたが、どうにもこうにも埒が明かぬ。ここは攻め手を変え、変化の策を、弄する」
  信長が命じた、美濃領域の墨俣築城。のち、巷説、さらに様々な歴史家や作家達の筆によって名高き、関白秀吉の、一夜城、建立。実は七日の日を要したとする説や、秀吉自らが立案したとする説、諸説噴飯、いろいろとある。
  木曽川の上流から下流に向けて、日暮れを待ち、人足、資材のたぐい、木材、部材を流し、下流で待つ、美濃側で手配されたそれらと合流させ、一気に砦を築きあげ、動揺を誘ったのち、そこから稲葉山城、陥落に向かわせる。
  「猿、ぬしなら出来ようぞ」
  「無論も無論も無論。そのご期待に、この猿、必ずや!!」
  猿に向けられていた信長の目が、上方を睨みつけた。
  「影山!!」
  と、信長の発した名の者が、見れば信長と秀吉、さらに四方周囲を見渡せる壁瓦の上辺に、鎮座しており、
  「なんなりと、ご用命を。」
  忍びの姿身をしている。
  「うむ。猿の為に、まずはあらためての族どもの身辺を探れ」
  頷いたかと想えば、もうすでにその影すら、そこにはなかった。
  信長の、秀吉を擁した調略、そして墨俣築城は、ものの見事に成功裏に終わった。予め、秀吉を通しての美濃側の族どもの手名づけにより、ことは成った、とも言える。早急断行、その前に外堀をしっかと固める。信長はやはり、このような知略においても一国を統治しうる能力を有していた、人物であったと想うのだ。
  

『ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか』改題のお知らせ 

2005年03月20日(日) 21時41分
 突然ではございますが、勝手ながら諸般事情により、『ひとたび生を享け滅せぬもののあるべきか』は『想、無頼』に改題致します。ご了承くださいませ。

『想、無頼』A・美濃攻略その2 

2005年03月15日(火) 18時39分
  「親方様ァァァ!!!」
  息せき切って駆け出してくる、秀吉。全く、騒々しき奴よのぉと苦笑まじりの信長も、勢いよく襖を開け放つ時、いつもの武神のような顔つきに戻っていた。
  「親方様ァ!!何用でございまするか?」
  「うむ。話しとは他でもない。川並衆の蜂須賀党、蜂須賀小六のことよ」
  「小六が?・・・小六がいかがなされたので、ござる?」
  「ぬしと小六は誼を通じておると聞くが、誠か?」
  「誠も誠。小六とわしとは、兄弟の杯を交わしたほどの仲で、ござる」
  「フフッ。小六といい、利家といい、一族の頭領をも務まるものどもが、みなみな、猿には、なびき寄る。ぬしには、ひとたらしの才があると、言えような」
  「ひと?・・・たらしでこざるか?」
  「左様。世におんなたらしという貴賤語があるが、ぬしのようなものは、ひとたらしと呼ぶのが相応じゃ」
  「いやぁ・・・、なんと申し上げてよいのやら・・・」
  褒められているのか、揶揄されているのか、困惑する、秀吉。
  にやりと嘯いた顔つきの信長が、端正な顔つきを真顔に、引き戻す。
  威を正す、秀吉。
  「ところでじゃ、そのひとたらしの才を生かし、小六と共に木曽川一帯の美濃衆どもを調略いたせ」
  「美濃豪族衆で、ござりまするな」
  「うむ。丹羽に調略を申しつけたが、埒があかぬ。木曽川一帯の豪族どもは、美濃槍衆の主戦を成す。やつらをたぶらかし、こちらにつけるのじゃ」
  破顔一笑の、秀吉。
  「お任せ、あれ!!」
  「褒めそやすなり、諭すなり、ぬしの想うとおりに振る舞ってよいぞ」
  「・・・ただ、手前勝手ながら・・・、調略とひとくちに申しましてもいろいろと・・・その・・・先立つものが・・・」
  「ハハハッ。遠慮というものを知らぬやつ。良いッ!!、金なら大枚、用意してある。ぬしが必要と申す分だけ進ぜよう、ぞ」
  「誠に誠に誠に、嬉しき裁断。是が非でも、調略、成しえてみせましょう、よ」

『想、無頼』A・美濃攻略 

2005年03月13日(日) 6時06分
  美濃を制するものは天下を制する-肥沃かつ広大な土地柄、「西国」の東端という地理的条件、美濃は、尾張・織田家にとって、父・信秀の代からの垂涎の国土、と言えた。
  後顧の妖怪・今川義元を桶狭間にて討ち取った信長は、返す刀で、松平元康のちの徳川家康と同盟を結んだ。後顧の憂いを絶ったいま、信長にとって美濃制圧は急務の課題となっていた。先年、美濃を制した、斉藤利政道山は敵国とはいえ、隣国の脅威を和らげる為、その娘・濃姫を信長の妻として愛でさせた。政略結婚ではあったが、信長も望むほどの、美しき娘であったという。されど、その道山が弘治二年(1556)、嫡男・義龍に長良川の戦いで、敗死させられるに及んで、にわかに美濃・尾張の関係は、緊張状態に突入した。
 信長にとって、義龍は、妻・濃姫のかたき、となる。美濃制圧は、内外、形の上でも義戦、と成り得た。されど、さらに歴史は暗転する。その義龍の急死(一説には、毒殺説がある)、わずか十四歳の義興が斉藤家の当主となった。当主になるに及んで、その七年、西美濃の有力武将であった竹中半兵衛のちの重虎が義父の安藤守就と謀って、稲葉山城を占拠する事変もおこり、龍興が国主となって以後、美濃諸将の結束は大きく崩れつつあった。
  うち、ざわめけば攻め易し。だが、木曽川を一帯とする要害の地・美濃攻略は敗退を重ねた。武力で制せようとしても、地理に明るい美濃衆に、ふたたび、みたび撃退された。
  木曽川の東西の境界を制圧せぬ限り、天下人への道は険しい。この頃、すでに信長のその腹中に、美濃経て、その先、都への上洛の意志があったかどうかまでは定かではないが、隣国に信長ここにあり、を強烈に印象づけるには、是が非でも美濃攻略は、否もない。
  信長は焦れた。窮した。焦った。
  茶室にて、そのこころを鎮めようかと鎮座いたした時、その武神ともいうべき、ふたつのまなこがぎらりと冷たく、妖光した。
  「貞勝!!」
  襖越しに座していた近執、村井貞勝が、すぐさま、信長のその声に呼応、した。
  「はっ!!」
  「猿を呼べ!!」
  信長の腹中に、或る策がめでたのである。、

『想、無頼』@・桶狭間の戦い その2 

2005年03月12日(土) 18時25分
 信長の号砲、直ちに集いし兵、二千あまり。途中、熱田神宮に参拝し、願をかけた。神仏を信じぬ信長ではあったが、兵士達の怖れや怯えを癒す為にも、ここは神仏の加護に頼る、振りをするのも、大将としての勤め。皆の士気は高まった。

  忍びのものが、桶狭間への途上、田楽狭間で小休止している義元本隊の動向を報じた。

  「時は来たり!!、いまこそ討つべし」

 田楽狭間の背後にある、太子ヶ嶺に分け入った二千の将兵は、大雨の最中、突撃の命を発した信長と共に奇襲、した。不意を衝かれ、うろたえる今川義元勢本隊。若武者・服部小平太が義元に斬りかかる。が、小指を噛み切られ、組み倒された。ならばと斬りかかった毛利新介が、義元の首を狩り、首級をあげた。

  「大将、今川義元の首、討ち取ったりィィィ!!!」

  響き渡る、新介の大声。雪崩をなして、士気がみるみるおちていく、今川勢本隊。

  この戦で、信長の勘気にふれ謹慎の身となっていた、のちの加賀百万石の大老・前田利家が、今川勢の大将格を矢継ぎ早に討ち取っている。

 「親方様!!敵は、三々五々、くものこをちらしたかのごとく、逃げてゆきもうす。親方様の大勝利でござる、な」「ぬしは、この機に乗じて、ぬけぬけと戦場に馳せ参じた、とわしには想える」「いえ、親方様の危急存亡の事態、黙って易々と見過ごすわけにもまいりませぬ、ぞ」「フフッ、よく申す。」秀吉「利家殿がいちばんの手柄人かと」「いや、手柄人、賞成すは、義元本隊が、田楽狭間でゆるゆると気休めしていたことを、わしに知らせてくれた者に与ゆる」

 『敦盛』を座して、立ち上がり舞いながら、怖れと怯えに耐えた信長に、一国の統一者から天下一統の統一者への萌芽が芽生えたのは、この戦から、である。後年、世の人々は、この桶狭間の戦いを、信長、天下一統の為の推参場として、長く褒嘆する。

 青雲若くして、信長は天下一統の足がかりを磐石にしたとも、想える『桶狭間の戦い』。乱世その途上にあって、信長は人生の賭けに早くも勝った、のである。

『想、無頼』@・桶狭間の戦い 

2005年03月12日(土) 18時06分
 座して『敦盛』を舞う。

 思へばこの世は常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。 南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。
 人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり。
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。   

  怖れと脅え、恒におのがこころには、あった。だが家臣の手前、そんな想いなど露とも見せるわけにはいかぬ。時代は戦国。隙あらば寝首さえ罹れる。稀有にして壮大、一国の主としてはそれくらいで丁度よい。

  信長は賭けた。何に賭けた、か!?、おのが人生をこの一戦に賭けた。退けば地獄。進んでもまた地獄。颯爽と馬上のひととなり、田楽狭間へ疾走した、のだ。このとき、厩番でしか過ぎぬ、のちの関白・木下藤吉郎秀吉もそのあとを疾駆してきた。

  「うむ!?、猿よ、ぬしも行くのか?」「無論も無論。親方様の勝利必定を見届けたき次第でござる」「フフッ、笑わせよる。ぬしにはそれが見える、とでも申すのか?」「無論も無論。見えまする。どこどこまでも、果て、先の先まで見えまする、ぞ」「フフフッ、ぬしも面白き、奴よのぉ」

  後顧の妖怪・今川義元の上洛。永禄三年、五月。義元は三万の大軍を擁して駿府を発した。東の北条氏康・北の武田信玄、先年、政略結婚を軸とした三国同盟を成立せしめた義元にとっては、信長など敵とも想わぬ。されば西上の野望、我に有り。この報を受けた居城・清洲城の信長は、直ちに軍議を開いた。林通勝ら重臣共は、皆、篭城策を進言した。無難極まる策、ではある。東には五条河、周囲には岩倉城・那古野城・勝幡城、支城があり、清洲城は城としても堅牢。篭城するには、またとない城かもしれぬ。だが、信長はこの策を蹴った。

  「篭城いたせば負けはなかろうが、勝ちもない」「逸ってはなりませぬ」「敵は大軍。真正面から組み伏してもただ打ち負かされるのみでございまする」「何!!、何も真正面から組み伏すとは言うてはおらん」「・・・?、さすればいかような?」「敵は大軍。そこに我に対する侮りがある、と踏む。ここは、日暮れを待ち、敵、総大将、自らに奇襲をかける」ざわめく重臣共。「なあーにッ!!敵の御大将の首を刈れば、三万も五万もなかろう、よ」

  したり顔の信長。その眉間に憂いなど鑑みれる、はずもなかった。