2年前の今日。
私は49歳最後の日。
49歳という一年は、特に後半の半年は激動の日々だった。
子宮筋腫により、子宮全摘術をし、
その4ヵ月後に乳がんが分かり、しかも乳がん罹患者の中でも0.4パーセントしかないという
副乳のがん。 半年前に乳がん検診を受けていたのに、分からなかった。
そして、左乳房全摘術。 この時はステージU。
その後、術後化学療法に入ろうとしていた時、
術前に訴えていた左鎖骨の上の腫瘤を再び訴え、検査により悪性。
転移性腺がんと判明し、一挙にステージVCに。
乳がんとしては一番悪い病期。
そして、この際!!と思い、少し気になっていた胃も調べてもらうことに。
これも、自分から申し出た。
それから、あれよあれよという間に、胃に関する色んな検査をし、
迎えた7月4日、49歳最後の日。
夫と長女と私の3人ですべての検査結果を聞いた。
胃がん。しかもスキルス胃がん。腹膜にもがんがあり、手術対応にはならない。
乳がんの手術をした一ヶ月と一週間後の事だった。
乳がんの手術前の5月13日に撮ったPET/CTには『遠隔転移はない』ということだったのに
一ヵ月半後の7月3日に撮ったPET/CTには胃壁と副腎の集積が認められた。
そしてステージWに。
検査ってなんだろうね。
それとも一ヶ月半で私の身体にそんなにも大きな変化があったって事?
乳がん患者として見る(読む)PET/CT画像と
胃がん患者として見る(読む)PET/CT画像とでは見方が違うのか??
済んでしまったことをあれこれ思っても仕方ないが、
何とも言えなかった49歳最後の日を思い出す。
別の言い方をすれば、50歳になってからというもの、予想をはるかに超えた
素晴らしい日々を送っている。
2年前の今日を思い出すということは、悲観的になるって事じゃなく、
今の私を改めて感謝し、生きている、生かして頂いている・・・
という大きな力を感じずにはいられません。
去年の7月4日の日記
『去年の今日との違いをしみじみ感じ入る。
まるで別世界で生きてきたかのような時だった。
病気で失ったものの代わりに多くのことを得た50歳だった。
生きていることを実感し、生きていることの素晴らしさ、
有難さをかみしめながら暮らした一年間だった。
ありがとう50歳の私。 』
私は49歳最後の日。
49歳という一年は、特に後半の半年は激動の日々だった。
子宮筋腫により、子宮全摘術をし、
その4ヵ月後に乳がんが分かり、しかも乳がん罹患者の中でも0.4パーセントしかないという
副乳のがん。 半年前に乳がん検診を受けていたのに、分からなかった。
そして、左乳房全摘術。 この時はステージU。
その後、術後化学療法に入ろうとしていた時、
術前に訴えていた左鎖骨の上の腫瘤を再び訴え、検査により悪性。
転移性腺がんと判明し、一挙にステージVCに。
乳がんとしては一番悪い病期。
そして、この際!!と思い、少し気になっていた胃も調べてもらうことに。
これも、自分から申し出た。
それから、あれよあれよという間に、胃に関する色んな検査をし、
迎えた7月4日、49歳最後の日。
夫と長女と私の3人ですべての検査結果を聞いた。
胃がん。しかもスキルス胃がん。腹膜にもがんがあり、手術対応にはならない。
乳がんの手術をした一ヶ月と一週間後の事だった。
乳がんの手術前の5月13日に撮ったPET/CTには『遠隔転移はない』ということだったのに
一ヵ月半後の7月3日に撮ったPET/CTには胃壁と副腎の集積が認められた。
そしてステージWに。
検査ってなんだろうね。
それとも一ヶ月半で私の身体にそんなにも大きな変化があったって事?
乳がん患者として見る(読む)PET/CT画像と
胃がん患者として見る(読む)PET/CT画像とでは見方が違うのか??
済んでしまったことをあれこれ思っても仕方ないが、
何とも言えなかった49歳最後の日を思い出す。
別の言い方をすれば、50歳になってからというもの、予想をはるかに超えた
素晴らしい日々を送っている。
2年前の今日を思い出すということは、悲観的になるって事じゃなく、
今の私を改めて感謝し、生きている、生かして頂いている・・・
という大きな力を感じずにはいられません。
去年の7月4日の日記
『去年の今日との違いをしみじみ感じ入る。
まるで別世界で生きてきたかのような時だった。
病気で失ったものの代わりに多くのことを得た50歳だった。
生きていることを実感し、生きていることの素晴らしさ、
有難さをかみしめながら暮らした一年間だった。
ありがとう50歳の私。 』
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