五箇山の歴史 

October 18 [Tue], 2011, 15:39
こんにちは。

デスクスタイル北信越校みらくるの梶井です。

富山県って調べれば調べるほど、歴史ある県だよね。
古くは平安時代からなんだけど、色々調べてUPしていきたいと思います。

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【五箇山】について。

平家の落人が住み着いたと伝えられている。1183年、富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠で、木曾義仲(源義仲)と平維盛(平清盛の孫)が戦った(倶利伽羅峠の戦い)。この時、義仲は火牛の戦法で平家に大勝した。その残党が五箇山へ落人として逃げ隠れたとされる。物的証拠はないが、一部の五箇山の民家の家紋として残っているとされている。

また、南北朝内乱期に、吉野朝遺臣によって地域文化が形成されたとも伝えられており、『五箇山誌』(昭和33年)には「五箇山の文化は吉野朝武士の入籠によって開拓され、五箇山の有史は吉野朝からである。現在の五箇山住民は、多分この時代からの落人の末葉である。養蚕・和紙製紙は吉野朝遺臣によって始められ、五箇山へ仏教が入って来たのは吉野朝皇子、天台座主宗良親王によってである。」という説もある。

白山信仰による天台宗系密教の地域であったが、文明3年(1471年)浄土真宗本願寺八世「蓮如」が現在の福井県吉崎に下向し、北陸一体が一向宗の勢力となりこの地域も浄土真宗に改宗したようである。北陸一帯の地名には「経塚」なる地名が残っているが、この地域にも天台宗系のお経を埋めた地を、こう呼んでいる。

江戸時代には、加賀藩の流刑地とされ、加賀騒動の大槻伝蔵もこの地へ流された。流刑地である五箇山には当地を流れる庄川に橋を掛けることが許されず、住民はブドウのつるで作った大綱を張り、籠をそれに取り付けて「籠渡し」として行き来した(現在でも残っており、人の代わりに人形が川を越える)。

【塩硝】について。

戦国時代から江戸時代には、塩硝(煙硝)製造の歴史がある。石山合戦(1570年(元亀元年) - 1580年(天正8年))の織田勢との戦いにも五箇山の塩硝が使われた。また、黒色火薬自体を製造していたとされる。日本古来から、古民家の囲炉裏の下には自然と塩硝は製造されていたが、五箇山では、自然の草(ヨモギ、しし独活、麻殻、稗殻…など)と、蚕の糞などで製造する「培養法」を使って、より多くの塩硝を製造した。16世紀後半には、前田家が加賀一帯を統治し、一向一揆が沈静化したころより、加賀藩に召し上げとして買い付けられる。加賀藩は、外様大名として100万石の経済力をもち徳川家の2分の1の石高を持っていたので、取り潰しの危機にあったが、裏では五箇山での火薬の原料を調達していたのである。しかし、この塩硝も、日本が鎖国を解いてから南米のチリからの硝石(チリ硝石)の輸入によって廃れてしまう。

【茅葺屋根】について。

五箇山の合掌造りの屋根は茅葺である。茅葺とは、イネ科の葦(あし、よし)、ススキ、チガヤ、カヤツリグサ科のスゲなどの草で葺いたものを指すが、五箇山の茅葺はコガヤ(チガヤ)を材料とする。なお、現在はチガヤの採取量が全ての合掌造りに必要な分を満たせず、重要文化財や世界遺産を除く合掌造りは大茅(ススキ)で屋根が葺かれている家屋がある。昭和30年代までは「結」、集落の共同作業にて葺き替えを行っていたが、現在は富山県西部森林組合(旧五箇山森林組合)が屋根の葺き替え、茅場の管理・刈取りを行っている。


もともと僕のお祖父さんの家も茅葺屋根だったんですけど、
周りの方からとても珍しがられてましたね。
懐かしいなぁ。

歴史を色々と学ぶと、また勉強の楽しさが変わっていきますよ!

デスクスタイル北信越校みらくる デスクチューターリーダー梶井

富山県は昆布好き? 

October 11 [Tue], 2011, 13:18
こんにちは。

デスクスタイル北信越校みらくるの梶井です。
今回は富山県の中でも、ユニークなエピソードを一つ。

昆布にまつわる話ですが。

◆売薬と昆布ロード◆

 富山市は昆布の消費量が日本で最も多い都市です。
 昆布の採集は、徳川幕府が蝦夷地(現北海道)経営に本格的に取り組む江戸後期に盛んになり、収穫された昆布は北前船で日本海の海岸沿いに運ばれてきました。
 富山藩では2代藩主前田正甫が殖産興業に力を注ぎ、さらに3代利興が藩札を発行して商品流通に努めるなか、売薬業が盛んになり、行商人が全国へ出かけていました。こうしたなかで、昆布の運搬と売薬業者のかかわりが生まれました。薩摩組と呼ばれた売薬業者は、北前船で昆布を北海道から薩摩(現鹿児島県)へ運んでいました。薩摩へ運ばれた昆布は、さらに琉球王国(現沖縄)に運ばれます。昆布は琉球から清国(現中国)へ輸出され、清国からは薬材が輸入されました。それが、薩摩藩を通じて当時製薬の中心地であった富山の製薬業者に売られました。この交易ルートを「昆布ロード」といいます。
 薩摩藩は貿易によって巨利を得、その財力が幕末動乱期の藩の政治活動を支え、明治維新へとつながりました。
 北の海に育った昆布と越中売薬は、日本の歴史を動かす大きな役割を果たしたことになります。
 

◆米騒動◆

 米どころといわれる富山県では明治期から米騒動がしばしば起こりました。富山米の安値に着目した商人が、米を買い占め、県外へ移出して巨利を占めようとしたためでした。
 大正7年(1918)には、政府がシベリアへの出兵を計画したことなどから、米穀商や地主による投機的な買い占め、売り惜しみで米価は前年の5割増しに跳ね上がりました。
 この年の7月18日から23日にかけて、北海道への米の積み出しのための輸送船「伊吹丸」が魚津町(現魚津市)に寄港していました。23日、折から米の高騰に苦しんでいた主婦たち数十人が汽船への米の積み出しをやめるよう町役場、米穀商や大地主へ嘆願運動をした結果、伊吹丸は米の積み出しを断念し出航しました。これが地元紙に「米は積ませぬ、魚津細民海岸に喧騒す」「いかなる暴動を惹起せんも計られず」などと、過激な表現で大きく報道されました。運動は各地に飛び火し、県内19市町村で40件以上の騒動に拡大しました。
 さらに騒動は全国に波及し、8月5日から19日までの民衆暴動は、全国368市町村(1道3府26県)に及びました。
 この騒動で、ときの寺内内閣は総辞職に追い込まれました。




富山って色々な歴史が多いですよね。

古くは源平合戦だったり、富山の薬売り、また今回の昆布話や米騒動
ホタルイカをよく食べますよね。




ちなみにホタルイカ=蛍烏賊と読むって知ってた?



デスクスタイル北信越校みらくる デスクチューターリーダー梶井

富山県高校入試 

October 04 [Tue], 2011, 16:30
【富山県受験情報】

皆さん、こんにちは。
デスクスタイル北信越校みらくるの梶井です。
最近はめっきり寒くなってきましたね。
季節の変わり目は体調を崩しやすい時期なので、風邪には気をつけて、
また3年生の皆さんは受験が近づいてきますので、しっかりと対策をしていきましょう。

本番のテストを想定する際に重要なのが、実力テストになります。
1科目40点×5教科=200点なので、難易度・配点は本番と同じになります。
しっかり自分が合格県内に入れるように頑張って欲しいと思います。


富山県の調査書点(内申点)に関しては平成16年度から『絶対評価』
へ変更になり3年の調査書点を2年の2倍の評価をする3年重視型をとっています。

2年:9教科×5段階×1倍=45点
3年:9教科×5段階×2倍=90点
学習の記録以外の評定=15点
合計=150点満点

※一部、特別活動の記録を55点加算し250点満点になります。


高校の偏差値は高校受験においての目安の一つになります。
推薦入試に関しては面接・作文・(実技)で合否が決まる為、
希望している高校に推薦してもらえる基準の内申点があれば、偏差値を気にする必要もないでしょう。
このように受験する形によって、偏差値を意識する必要がない場合もありますので、
一概に偏差値だけにふりまわれないように注意して下さいね。

高校を選ぶ時のポイント確認があります。

最近はオープンスクールなどで高校を自分の目で確認出来ますので、
高校のイメージがわきやすい環境にあると言えます。

■大学進学を希望している・・・この場合大事なのが、高校の大学進学率です。 大学進学率の高い高校はやはり偏差値が高い高校が多いので、この場合は偏差値を意識して高校選びをした方が良いといえます。

■クラブ活動を優先したい・・・高校に進学しても参加したい部活動がないと充実度が減ります。行きたい高校に入りたい部活があるかどうか確認しておきましょう。

■交通の便を優先したい・・・自転車、徒歩で通いたい、家の近くの高校がいい、駅から近くの高校がいい!など通学方法を重視している場合は高校の場所と通学経路も確認しておきましょう。

■卒業したら就職を考えている・・・この場合は普通科でも構いませんが、専門的な知識や資格を持っていると就職に有利となります。例えば、商業・農業・工業・また高専など多種多様な学科、またそこに専攻などもありますので、自分が興味がある、またはこの資格を取って就職に生かしたい、など自分の将来像をイメージして受験して下さい。

あげたら生徒によって色々高校を選ぶポイントは変わってくると思いますので、
ご自分の優先するポイントを必ず確認してから高校を選ぶように心掛けて下さいね。

やはり自分に合った高校選びをする事で、
3年間の高校生活が本当に充実したものになるかどうか決まってきます。
受験する高校の特色をしっかりと確認してから受験するようにして下さいね!


デスクスタイル北信越校みらくる チューターリーダー梶井

富山県のイベントをもっと知ろう! 

September 17 [Sat], 2011, 22:35
デスクスタイル家庭教師のみらくるの梶井です。

こんばんは。



今日は高岡市のイベントをご紹介していこうと思います。

高岡市はみらくるの生徒さんが多い地区でもあります。


そこで今月のイベントのテーマは「前田利長公顕彰祭」


高岡市の大元というか、開町前田利長になります。
そこでこれを機にみなさんに前田利長を知っていただこうと思います。
これも日本史の1つの勉強になるんじゃないかなぁと。

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出生から織田政権期

永禄5年(1562年)1月12日、前田利家の長男として尾張国荒子城(現在の愛知県名古屋市)に生まれる。幼名は犬千代。初めは安土城で織田信長に仕える。天正9年(1581年)、父・利家の旧領越前国府中の一部を与えられ、信長の娘永姫を室に迎える。天正10年(1582年)の本能寺の変は、永姫とともに上洛中の近江国瀬田(現在の滋賀県大津市東部)で聞き、当時7歳の永姫を前田の本領・尾張国荒子へ逃がし匿わせ、自身は織田信雄の軍に加わったとも、蒲生賢秀と合流して日野城に立て籠もったともいわれる。

豊臣政権期

信長没後は利家と共に柴田勝家に与する。賤ヶ岳の戦いにも参加し、戦後は父と共に越前府中城へ撤退する。羽柴秀吉は北ノ庄城を攻める折り、まつに「孫四郎は置いていく」と利長を残しておこうとしたが、まつはそれを断り、利長を出す。利長はわずか2騎の供回りで北ノ庄城攻めに加わったという。

勝家の自刃後は秀吉に仕えた。天正13年(1585年)、秀吉により佐々成政が支配していた越中国(富山県)が制圧されると、同国射水郡・砺波郡・婦負郡32万石を与えられた。秀吉の配下として九州の役、小田原の役などに参加し、各地を転戦して功績を立てた。慶長3年(1598年)には利家より家督を譲られる。

利家死後

父の利家は豊臣政権において五大老の一人として徳川家康に対抗する位置にあった。慶長4年(1599年)閏3月3日、利家が病没したため、その跡を継ぎ五大老の一人(及び秀頼の傅役)となる。その翌日に五奉行の一人石田三成が襲撃されるなど党派抗争が始まり、前田氏は対徳川の急先鋒的立場に立たされる。

利家の遺言では3年は上方を離れるなとあったにもかかわらず、同年8月、家康の勧めにより金沢へ帰国した。翌月、増田長盛等が利長・浅野長政らの異心を家康に密告する。この時期、前田氏を屈服させようとする家康の謀略があったと考えられており、家康は強権を発動して加賀征伐を献言する。

この家康による加賀征伐に対し、前田家は交戦派と回避派の二つに分かれ、初め交戦派であった利長は細川氏、宇喜多氏を通じて豊臣家に対徳川の救援を求めた。しかし豊臣家がこれを断ったため、重臣の横山長知を弁明に3度派遣し、実母の芳春院(まつ)を人質として江戸の家康に差し出すこと、養嗣子利常と珠姫(徳川秀忠娘、後の天徳院)を結婚させること、自身の隠居などを約して交戦を回避した(慶長の危機)。この際に浅野長政・浅野幸長・大野治長などが連座している。

関ヶ原の戦いから加賀藩成立まで

慶長5年(1600年)、家康は会津の上杉景勝討伐のために出陣し、利長にも出陣が命じられる。家康出陣中に石田三成らが五大老の一人毛利輝元を擁立して挙兵すると、利長は弟・前田利政の軍務放棄といった問題に悩まされながらも北陸で大聖寺城(石川県加賀市)や小松城(石川県小松市)など西軍に与した諸城を落とした。さらに、浅井畷の戦いでは丹羽長重軍と激戦に及び、勝利した。関ヶ原の戦いの後には、西軍に与した利政の領地(能登)と加賀国の能美郡・江沼郡・石川郡松任が加領され、加賀・越中・能登と合わせて120万石を支配する加賀藩が成立した。



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いかがでしたでしょうか?

ちょっと長い内容ではあったけど、また違った歴史感が生まれるんじゃないかな。

是非時間が出来た際には、こういった歴史めぐりなんか体験してもらえると
また色々な勉強になると思います。

高岡市で家庭教師の無料体験に興味がある方はこちらまで!

http://www.miracle-g.net/area/toyama/takaoka.html

富山県のイベント! 

September 07 [Wed], 2011, 13:54
富山県小矢部市でイベントが開催されますね。

源平合戦からの名残がイベントとして残っているなんて素敵だと思う。

源平ってどうしても表舞台が静岡や瀬戸内海ってイメージが強いけど、
色々な各地で合戦ってあるんですよね。

そういった古きを温めて、新しきを知るという温故知新ではないけど、
古い名残はそれだけ歴史が歩んできた足跡でもあるのだから、大切にして欲しいと思います。

簡単にイベントの紹介をしようと思いますので、是非行ってみてくださいね。

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題名:砺波山源平合戦の勝利を祝って始められたと伝えられている勇壮な「かちどき太鼓」

開催:9月10日

場所:下後亟(しもごぜ)神明宮

交通:車(マイカー)/公共交通/能越自動車道小矢部東ICから車1分

連絡:小矢部市観光協会/TEL.0766-30-2266
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よく生徒達が歴史を覚えるのが苦手って子も多いのですが、
それは興味が沸かないところも原因があります。

僕はマンガの三国志を見て、歴史って面白いって感じて歴史好きになったから
こういったイベントがキッカケになって歴史そのものに興味を持ってくれると嬉しいですね。

また勉強方法などでもアドバイスが出来ますので、
お困りなことがありましたら、デスクスタイル家庭教師みらくるまで連絡くださいね。

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