甲野善紀先生にお願いして、始まったこの講座も、今回で48回目。
隔月開催ですから、年6回、なんと8年も続いてきました。
「すみません。人も何人集まるかもわかりませんし、私の知り合い関係だけなのですが・・」
と恐る恐るお願いしたらあっさり
「ああ、いいですよ。」
「え?あの先生のギャランティに足りないのでは、と心配なのですが・・」
「いや、私は仕事は金額ではなく、やりたいか、やりたくないかでしか選んだことがないので、大丈夫です。」
この言葉にずっと甘えさせていただいて、始まりました。
毎回が違う驚きと感動ですが、 今日は、格別でした。
受講生はサックス、アイリッシュフルート、チェロ、中世フィドル、ライアー、ギター、と盛り沢山。
限られた時間の中、驚いたのは先生のご助言。
もう何かが降りてきているに違いない、と思えた。
さらに素晴らしいのは、それが、様々な観点からの助言となっていること。
楽器を首につけるストラップに関しての示唆、楽器を口元にもっていく際の移動の仕方、足元の変化による身体の変化、
具体的な身体に関してだけでなく、
「いい弾き方、というのは楽器が教えてくれるでしょうから、まず楽器に一礼して、曲ではなく、一音、一音、探していかれればいいんですよ。」
という心に働きかけるアプローチまで。
ライアーの方へのその助言をうかがっていて、泣きそうになったくらいでした。
・・・・・・・・
TVの影響で、初参加の方が多かったのですが、やはりみな「ふんばって」と教わったり、その中で、ある程度の成果を挙げていらした方ばかり。特にプロは。
この講座でも過去にも何人ものプロを迎えたけれど、99パーセントふんばり。
私の覚えている限り、この8年間の中、唯一先生が感嘆されたのはあるクラッシック歌手の男性で、私もそれは本当にウットリと聞き惚れ、驚きだったけれど、その方は音大や留学等で正式な音楽教育を受けた方ではなく、いつのまにか、自分で歌っていた、という方でした。
特に著名という訳ではその人の声は今も思い出せるほど。柔らかく会場の隅々にまで満ちていた・・
ともあれ、つまり、それ以外は、もちろん、私も含めてみな「ふんばり」の世界で生き、学んできた訳です。
ふんばって参加された方みな、特にたった一回では何が何やらわからなくても当たり前だとは思うけれど、せっかく、こうして先生とのご縁を得たのだから、何かしらの気付き、変化のきっかけになっていただければ、と思います。
今回はもう、全て先生に楽器を構えたり、音を出していただいたのですが、特に民族楽器の中世フィドルとライアーの先生が奏でる音にウットリ・・
フィドルは、それはもう楽しそうに演奏されて、その音に合わせて、踊りたくなるくらい。
とても先生に似合っていました。
ライアーは、一音一音、ポツリポツリと音の響きを丁寧に探しながら、お話をしてくださったのですが、その響きに乗って、先生の声もより響きが増幅されたように心身に染みてきました。有難いお経を聴いているような心地。感覚の良い開かれた方であれば、きっとこれだけでも、今日出す音は違うだろう、と思う。
もう、こういう心洗われる音を味わえる、というのがこの講座の醍醐味だし、本当に幸せ。
ここ数年の私にとっての心から楽しめる音楽体験は、もう師匠の笛の音と、甲野先生がこうして出される(どれも初めて楽器を構えるにもかかわらず)色々な楽器の音。先生の声。
これだけで、すっかり満足してしまうし、滞りや踏ん張った身体から出される音や音楽はますます、受け付けられなくなる。
その奏者が固めているのと同じところが反応してしまい、苦しくなる。
(これは、私が特異体質という訳じゃなく、講座の常連さんも、おそらくみなそうだろうし、先生の門人、武術稽古人関係者も同様なんじゃないか、と思う。)
でも、実際、今の音楽界、いや、これは武術でもスポーツでも同じ、と先生が仰っていたけれど、もう殆どが、「ふんばった身体」での成果。
ということで、自分はそういう意味では、現代の「音楽」はあまり好きではないかもしれない、とも思うし、その許容範囲は年々狭まるばかりだ・・
初めて、2003年、甲野先生に出会った時の不安、嫌な予感、っていうのはこういうことだったんだな、とは思うけれど、まあ、知らないより今の方がずっと幸せなので、それはもうヨシとしよう。
先生の取材にいらしていたライターと編集者の方から私もインタビューを受けた。
「この講座を始めるのにあたって、敢えて、プロアマにこだわらない、としたのは、本当に良かったと思っています。
これは、自分自身が先生とであってからのこの8年の変化の過程で感じたことでもあるし、反省でもあるのですが・・・
『プロ』っていうのは、数少ない超一流を除いて、『間に合わせ』が器用に出来てしまった、つまり、身体からの本来の声に耳をふさいで、身体の滞りを見て見ぬふりして積み重ねてやってきたからこそ、それなりにそこそこの成果が挙げられた、ということに他ならないんじゃないか、と思います。
間に合わせていかなければ、仕事にならない、という面もありますね。
だから、かえって、アマチュアの方の方が、「そうか!」と身体で納得された時の変化は早いし大きいですね。間に合わせの蓄積も少ない訳ですから。人間どんなに変わりたいと思っても、自分が良かれ、と思って過去に培ってきた方法への執着、時間、お金、エネルギー、への執着、そして何よりプライドが邪魔するんですよね。
そのあたりが、むしろ『自分はアマチュアですから』という方のほうが、素直な心というか、余計なプライドが邪魔しないので、その場での音の変化に結びつくことが多いです。まあ、プロアマと乱暴に分けましたけど、もちろん、これは個々の資質に負うところのもので、逆の場合ももちろんあります。
また、傾向として女性の方が過去に培ったことをパっと振り捨てられる方が多いのは面白いですね。やはり、より現実的かつ感覚的というか、自分にとって本当に心地よいものに敏感なのかもしれません。」
とお話し、かなり面白がっていただけました。
実際、今夜も一番大きく変化されたのはアマチュアの女性、次がアマチュアの男性でした。
改めて考えてみると、甲野先生にしたところで、楽器に関してはアマチュア。それどころか、生まれて初めて手にする楽器も多いという情況。
それなのに、何十年もその楽器に取り組んできたプロよりも響くとんでもないくらいの音を出してしまわれるし、もう楽器の方からシュルシュルと先生に寄り添いにいっているようにも見える。
これは、いったいなんなんだ?と思いますよ。もう。
。。。。。。。。。。
打ち上げでは、例の「魔法の椅子」に関しての質問も出来ました。
「ああ、実際にやってみていないので、わからないけれど・・」
としばし考えられていたご様子。
そして
「まあ、そんなに身体に悪いっていう気はしませんね。」
ということで、「取り扱い注意」ではあるけれど、もしかしたら私が案ずるほどの心配はないかもしれません。
でも、個々に異なる人の身体。慎重に取り扱っていこうと思います。
いずれにしても、ある程度の身体の感覚が養われていないと難しいかもしれないです。
・・・・・・・
先ほど、先生のツイッターを読みびっくり。
先生が、こうした心境でご助言されていたからこそ、だからこそ、私も改めて、この講座でこうしたことを痛切に感じたのだと思いました。
有難くて涙が出てくる。そして、その困難さを改めて感じる。
これはいったいなんなんだ?の答えが、そのツイッターに書かれているではないですか・・
「正直を立てること」、そして「素直であること」
褒められるのは嬉しい。評価され認められるのもプロとしては大事なことだ。でも、自分で「出来ているつもり」になっていたら、何の進展ももたらされない。自戒自戒。
本当に一番踏ん張っているのは「心」と「頭」なのかもしれません。