「存在の分断と時間の分断」 2月25日(土)

February 27 [Mon], 2012, 22:14

家族も私も少し体調を崩し気味だったので、大事をとって、ひきこもり。
本当の休日となった週末でした。

そんな中、稽古していての気付きもさらに進みました。
ゆとりの中、まとめて4時間くらいフルート吹けたからこそ、かも。

乗り越える、アメーバになるのは、手指だけじゃなかった!

顔、首も。というかむしろ胴体?

何する時もこいつらがすっかり傍観していたじゃないか!と愕然。

ああ、「蔵王権現」やる時に、杖を使った時の方が、何故右足が高く上がるかを、もっと真摯に考えるべきだった・・・

フルートの練習の合間に、リフレッシュを兼ねて「そうだ。蔵王権現やろう!」と久々に杖で遊んでいて気付く。

下段抜きモドキ(私の場合)が多少マシになり、フルートの構えにもまた大きな進化が。

もちろんヴァイオリン、ヴィオラにもこれはかなり影響大だと思う。
ピアノだってそう。
まだまだ楽器を扱う腕を胴体から切り離して考えてしまっていたし、首のことなんてお留守だった・・

そして「首だけをウンヌン」というのもこれまた全くナンセンスな話だ、と痛感。

手足、首、みな胴体に繋がっている、というのに・・・

胴体の動きの結果として、手指も首もアメーバに。

そういえば、甲野先生の動きって「ウミウシみたい」とずっと思っていたのに、今頃、こんなことに気が付くとは、、遅すぎる・・・

まだまだ武術とフルートを区別しすぎていたなあ、と思います。


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二足歩行になって、四足歩行だった頃よりも、腕、脚、首の稼動域が増え、夫々を切り離してより自由に使えるようになったからこそ、色々と器用なことも出来るようになったのだろうけれど、でも、その結果として、本来の胴体からの連動としての動き方を忘れてしまった、というのが、不幸なことだったんじゃないか・・

さらにそこに「脳」がでしゃばってきて、パーツ毎に考えたり、段取ってマニュアルの順番通りに立ち止まりながら動いたり・・

つまり、それは


「存在の分断と時間の分断」

本来流れ続け、動き続けているものを固めてしまう窮屈さ、不自然さへの感性まですり減らした文明の発達。

洋の東西問わず、時代と共に、技芸の多くがいつのまにかこうしたものにすり替わってしまったんじゃなかろうか・・



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あと、フルートで発見した「カヤックの構え」をこのウミウシ方式で、杖でやると・・・

前に居る敵を倒して、すかさず後ろの一人を突く・・なんてことも可能か?
もしや、ちゃんと磨けば技になるかも?

と杖遊んでいるうちにあっという間に午前3時となりました。
そんな深夜の妄想は・・

杖は大きな手裏剣で、胴体は巨大な掌か?

手の内ならぬ、「胴の内」

手指(乗り越えるアメーバ)によってもたらされる「胴の内」の感覚、とも言えるのか・・

このあたりは、まだよくわからないけれど・・
首周辺の滞り(そう。まだまだあったんです!)がかなり減ることは確か。

今度の私の講座ではこの杖を使った「ウミウシダンス」の稽古をご紹介したいな、と思います。

3月は11日、25日です。(10:30〜12:00、お問合せ・お申し込みは音教楽器たまプラーザ店まで)

アメーバの構え  A  2月23日(木)

February 27 [Mon], 2012, 22:06

前回の日記と重複する部分もあるのですが、新たな気付きもあって、ミクシィ日記にまとめたものをこちらにも。

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アメーバといっても、実物を知っている訳ではないので、あくまでもイメージ。

スライムがドロドロと移動するような、妖怪人間の原液?みたいなものです。


先日の講座で、アルパの方にご助言したのがきっかけで、気が付いた新たな気付き。

宇宙から気球外生命体のアメーバが落下し色々なものを乗り越えズルズルと這ってくる・・

こんな映像が一番近い、ピタっとくるイメージの構えとなりました。

目標物(弦やキィ)を目指さない、というのは先日のアルパの方のレッスンで気が付いたことですが、その後の「乗り越える」というのは、何故か勝手に生まれてきた動き。

目指さずに落下したからこそ、乗り越えたくなったんだと思う。


今日早速ヴィオラの吉田さんに伝授。やっていただいたところ・・・

もうとにかく驚くことばかり。響きと音色もさらに素晴らしいものとなり、柔らかくより自由に動く左右の腕、指。
その結果、曲になっても以前ほど音程がさまようこともなくなりました。

「ふんばらない」という古武術奏法?にひっぱりこんでしまった責任も感じていたので、今回の彼の進化は本当に私にとっても嬉しいものでした。

自分の専門ほど、落とし穴は沢山。
「出来てるつもり」というのが一番大きな落とし穴。


そして、私もまた、大きく変化することができました。

一番不思議なのは、フルートを構えている気がしない、ということ。

ただ、ストンと立っているみたい。

フルートは他の誰かが携えてくれていて、ついでに指も動かしてくれている感じ。二人羽織フルート?

とにかく爽快。

つい先週まで、出来なかった箇所がスルっと吹けるようになっている面白さ。

一番大きな変化は小指と二の腕の内側の在り様。

かつて、フルートを構えた私の右小指を見て、やおら、甲野先生が、ご自身の身体の調整をする動きをし始めたことがあるくらい、滞りだらけだった私の小指。

それが、今では透明になった気分。いや、指だけでなく、腕も透明。


今までも何度か大きな節目節目の変化がありましたが、今回のものは格別です。

・・って毎回そんな事言ってるような気もしますが、それだけ進化も加速しているのかもしれません。

そして気が付いたのは、この「アメーバの構え」は甲野先生の杖の扱いをなんとなく見ていたからこそ、私の身体の中に芽生えた感覚だった、ということ。

ただ杖を携えて佇んでいる甲野先生が時折何気におやりになっている所作。


ハハ〜〜ン、と思われる稽古人の方も沢山いらっしゃると思いますが・・

あの所作に含まれていた多くの情報・・

ああ、かつて「たいしたもんだ」をいただいた「蕾の手の内」も、この動きを見知っていたからこそだったのか・・・と改めて感謝の念が湧いてきます。

その直後仰ってくださったのは

「こうして自分の実感としての身体の動きがわかってくれば、後はもう次から次へと変わっていけますよ。」

という言葉。

その有難い言葉の割には遅い進歩かもしれない。
そして、まだまだ気が付いていない滞りがワンサカなのだろうと思う。

でも、こうして大きな変化があった時の喜びはもう天にも昇るほどです。


それにしてもどんどん人間離れしているような。

「逆さ狐」「はやぶさ落下」「蔵王権現像」「法螺貝」ときて「ゴリラ」でちょっと人間に近づいたかと思いきや「アメーバ」か・・・

感慨深い・・・



現在「逆さ狐」はもう私は使っていないけれど、あの持ち方で左手にフルートを携えたのが、そもそもの色々な気付きの大元になっているような気もします。


「逆さ狐」・・これが凄いのは指が拮抗すること、親指に介入をさせないこと、と思っていたけれど、もうひとつ、凄いことがあったんだ、と今気付く・・・

アメーバの構え 2月19日(日)

February 22 [Wed], 2012, 23:47
そして、講座からの帰宅後!

まさに講座は人の為ならず・・・

アルパの方への助言の折、

「あ、そこまではいいですが、最後の最後で、目標物に行ってしまったのが惜しいです。それでも、最初よりはかな滞りは減りますが、もったいないです。その最後がガマンできれば・・あ、でもまあ、永年付き合ってきた楽器っていうのは、どうしてもそうなりますよね。だって、そうやってずーーっと練習してきた訳ですから・・」

と言い、それを直していただくと、さらに深い響きとなったのですが、この言葉は結果として自分に向っても言っていることとなりました。

最初にすぐ思い浮かんだのは吉田さんのヴァイオリンと弓の構え方。
ヴァイオリンは専門だし、と思いある程度彼にお任せしていたけれど、専門だからこその落とし穴があったとは・・

アルパでは指摘できたし、ピアノではやれていたことの最後の最後が出来ていなかった。

違いは、ピアノもアルパも相手はそこに居る、ということ。
ヴァイオリンもフルートも相手を移動させなくてはいけません。
なので、尚更、「道具と身体の折り合い」の釣り合うところを探すのは難しい。

それに加えて「辻褄合わせ」は上手くなっている。自分の専門の楽器では特に。

「・・ああ、そうか、彼も楽器とのお付き合いが長いからこそ、最後の最後で目標物に向ってしまっていたんだ!」

と、あれだけ、一音であれば素晴らしい響きの音色を出されるのに、曲になると何故に時折音程が悪いことがあるのか?の疑問が氷解。

ふんばることを身体が拒否しはじめているので、尚更、間に合わせでの音程調整もできなくなってしまわれているのかもしれません。でも

「もっと左指も動けるはずなのに・・右腕のボウイングももっとなめらかになるはずなのに・・」とずっと不思議に思っていたのですが、

「ああ、そうだったのか?!」と。ハタと膝を打つ思い。
帰宅後、長い菜箸で稽古してみて、納得。確信。もう全然違う。




そして、それは、もちろん、自分自身のフルートの問題でもあったのです。

最後の最後で、やってた。
バカじゃないか?いや、むしろ逆で、頭が介入しすぎ・・
過去の蓄積に義理立てしてどうしよう、というのか・・・

ああ、今頃気がつくなんて・・・

とまあ、これほど、永年培ってきたものを振り捨てるのは難しい・・

ということで、またさらに進化することができました。
右小指、前より軽い!
プロコの第3楽章の例の箇所がとても良い稽古相手です。

左小指も。もちろん右も。

名手D.デボストが「小悪魔」と表現し、なるべく関与させないのが望ましい、とまで教則本で語っていた可愛い小指。

かつて、甲野先生が、フルートを構えた私の右小指を見て、思わずご自身の身体を調整する動きを始めてしまったくらい、滞りだらけだった私の小指。

二の腕の内側の在り様と、この小指への変化は著しく、毎度のことですが、なくなってみて初めて解る己の滞り。

腕が透明になって、フルートの重さはさらに軽くなった心地です。夢のよう。

ああ、こんなに変わるんじゃ、やっぱり教則本なんて書けないなあ・・
小指からパラパラとまではいいけれど、その先が・・ああ情けない!

と嬉しいと悔しいのせめぎ合い。
でも、もちろん、とても嬉しい。

御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!!


あんまり、なネーミングではあるので、もっと良いものを思いついたら変えるつもりではありますが、とりあえずの実感に基づく名前も浮かびました。


「アメーバの構え」

・・・狐、蔵王権現、カヤック、法螺貝、ゴリラときて、ちょっと人に近づいたかと思いきや、一気にアメーバに!?(笑)

地球外生物のアメーバが宇宙から落下し、ズルズルといろんなものを乗り越えて這っていく・・

そんなストーリーが一番ぴったりとくる構え方となりました。

以前の私は「はやぶさの気づき」で、パラパラと小指から落下した、までは良かったけれど、自分で勝手に「キィ」という目標地点を目指してしまっていました。・・やれやれ。

弦楽器は弦に、管楽器はキィに、鍵盤楽器は鍵盤に、打楽器は打面に、夫々にみな誘われてしまう、というのは本当に大きな落とし穴です。

こんなことはとっくに、わかっていた、いや、わかっていたつもりだったのに、やってしまっていたんだなあ・・・と深く反省。







『古武術に学ぶ楽器奏法』

February 20 [Mon], 2012, 19:08
たまプラーザの音教楽器店での講座でした。

本日は、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、歌、そして初登場はアルパ。

南米起源の小型のハープです。
小型とはいっても、ハープなので、結構な大きさ。

それを携えての御参加でした。


特に大きく宣伝している訳ではないのに、こうしてご遠方から日曜日の午前中に集ってくださった皆様に、夫々成果を持ち帰っていただけるように、全員に行き渡るように、と今日は駆け足での90分。

なので、はしょったところも沢山あって、ホンの序の口のお話ばかりでしたが、それでも、個々に構え方が変わり、音が変わり、心持が変わる、という経験をしていただくことができました。

ヴァイオリンにしてもフルートにしても、最初の持ち方のホンの一工夫で、その後が大きく変わる、ということをまず実際に楽器を構えてやっていただきました。

そして今日は「変わる体重」

これは、確か2度目、初めての千代田稽古会で体験して、本当に驚いて、甲野先生に「何故?物理的には同じ体重のはずなのに何故にこんなことが?」と何度も質問した、という思い出の技。

普通、ふんばり、ダラっとした状態に変化してもらった相手の身体を実際に持上げていただきました。

最初は私が受講生を持上げる。

腰を痛めている、という方には念の為に見るだけにしていただき、お互いに。

生徒さん達に私のことも持上げていただきました。

今回たまたま体型的にもさほど重量の差のない女性ばかりだった、ということもあり、これをやりました。

反響は思いの他大きい。

「なんで?何で?」

「ね。体重を量る時に踏ん張れば軽くなるのかな?とかつい思っちゃいますよね。」

と、身体の感覚の不思議さを体験していただき、そしてさらに、懐かしの「折れ紅葉」の手の内で、同じことを・・

軽々と鼻歌まじりでも持ち上がる身体。

これまた大反響・・・

指の形ひとつで、これだけ身体の在り様が変化する、ということに皆深く納得された模様。

それに、何より「出来る」って楽しい。

フルートの方にも「逆さ狐」「カヤック」など試していただき、さらに「法螺貝」の気付きも伝授。より深くのびやかになった音。

そしていよいよアルパ。

とても美しく愛らしい楽器で、見た目の通りの甘く澄んだ音色。

長く伸ばしている爪で長く太い弦をはじかれることにまず驚きました。

爪は時折割れることもあるそうで、そんな時はアロンアルファで補強するんだそう・・
なかなか大変そうです。



「で、お悩みは?」

とうかがうと、右腕付け根から肩周辺がとても痛くて、最近整体にも通い始めた、とのこと。

音としては、それほどの滞りは感じられなかったのは、それ以外は楽器の響きを身体が引き受けていたからじゃないか、と感じつつ、確かにそこだけどんよりと曇って見えた右腕に注目。

もう間髪居れず、「ああ、それはもう、全く先ほどのヴァイオリン、フルート、ピアノと一緒ですよ。最短距離で目標物に向うから、腕がねじれたままずっと使われることになって、滞りが時間と共に増えるんです。あ、もし差し支えなければ、私が触ってみてもいいですか?」

「どうぞ、どうぞ」と快諾していただき、アルパ初体験。

弦の響きがフレームからダイレクトに右肩に伝わってきて、それが身体に響き渡り、とても気持よい。

「素敵ですね・・この振動が気持いいですね。本当にダイレクトですね。」

「そうなんですよ!だから痛くても、止められないんです。」


何事も実際にやってみて初めてわかること、というのがある・・と改めて
思う。

愛らしい、といえども、長く太い弦が何十本も張られている楽器。その弦を支えるための構造なので、当然フレームはかなりがっちりと太い。

そのフレームの厚みが右肩の動きに制約をかけ、固めてしまいがちになるということがはっきりとわかった。

これは、弾くどころじゃなく、手を弦のそばに持っていくだけだって、苦行になってしまう。

という説明をし、

「でも、それでも、この程度ですんでいるのは、この楽器の響きや音が身体に散ることで、その滞りも治療してくれていればこそだと思います。音楽という美しいものをやっているからこそ、その痛みもまだその程度ですんでいるんです。これ、もう数分どころか、数秒、いや、そこに手をやった瞬間にもうイヤですよ。そのまま最短距離で行くと。」


ということで、ここで「蕾の手の内」の応用。

実際にやっていただいたところ、「ラクになりました!」と喜んでいただけたし、何より、聴いている私達も「ああ、やめないで〜」とずっと聴いていたくなるようなさらに澄んだ、楽器と奏者が心底幸せ、と言っているような音色に。

最後には歌を。
こちらは4足歩行のサワリのお話と顎の状態の変化。
そして、「昔話」の応用で、「ふるさと」を歌いました。



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ランチも楽しく、ついついずっと長居してしまいましたが、受講生の皆様の個々の問題意識の高さに感銘を受けました。


御参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!









音楽家講座特別企画のご案内

February 17 [Fri], 2012, 1:19

昨年末より温めていた企画が実現することとなりました。
どうぞお越しくださいませ!

尚、場所はいつもの新宿ではなく、横浜鶴見のサルビアホールです。
ご注意ください。


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音楽家講座特別企画

■ 日 程 2012年4月26日(木)

■ 場 所 横浜市鶴見区民文化センター・サルビアホール(音楽ホール)

JR京浜東北線・鶴見線「鶴見」駅 東口から徒歩2分
京急本線「京急鶴見」駅 西口から徒歩2分
(会場へのお問合せはご遠慮ください)

■ 企画A 『 現在・過去・未来を語る 〜甲野善紀×中島章夫〜 』

17:00〜19:00 (受付16:30)

今を生きる武術家・甲野善紀氏。居つかない心身で軽々と様々なジャンルを越境し、その術理、思想はスポーツ、介護、ロボット開発、そして音楽界にも影響を与えています。この甲野氏の技の軌跡を30年前より追い続けてきた中島章夫氏(半身動作研究会主催)。このお二人を迎えて、最新の技の気付き、如何にして甲野氏が現在に至ったか、また今後の展望など多岐に渡り語っていただきます。(白川真理)

◆ 参加費:2000円(予約制・当日受付にてお支払いください。)





■ 企画B 東日本大震災義援金支援チャリティ 『第49回 音楽家講座』

19:30〜21:30 (受付19:10)

音楽、楽器演奏、パフォーマー等、芸術関係者対象の講座ですが、一般の方の参加も受け付けています。当初は内々で隔月に1回、7年間実施させていただいていたものですが、この度の震災後、公開チャリティ講座とさせていただくことに致しました。プロアマは関係ありません。当日は動きやすい服装でお越しください。楽器などもご持参ください。尚、当日の録音録画写真撮影は禁止させていただきます。

◆ 参加費:3500円(予約制・当日受付にてお支払いください。)



★ 割 引 対談(A)と第49回音楽家講座(B)の両方に参加される方は5000円となります。



■ 懇親会 参加費3000円前後で予定しております。(居酒屋)
参加の有無を講座お申し込み時にお知らせください。


2月1日開催の第48回音楽家講座でみなさまにご協力いただけた募金、12,000円を
「ふんばろう東日本支援プロジェクト・学習支援プロジェクト」に寄付しました。
ご協力ありがとうございました!



◆お申し込み、お問合せ等
参加ご希望の方は、件名を「4月26日の講座」とし、(Aのみ)(Bのみ)(AB通し)を選択し、
お名前、ご住所、簡単な一行プロフィール(楽器名など)、懇親会参加の有無を明記の上、
主催の白川真理までメール( karadatoongaku@gmail.com )でお申し込みください。


ロットに棲むもの

February 14 [Tue], 2012, 14:42
「良かったら、しばらく預かって吹いてくださって結構ですよ。」

と託された古い洋白のロットとしばらく付き合っていました。
私の111歳になる銀のロットより古い、130歳くらいのもの。

調度、同い年くらいの洋白のルブレも持っているのですが、見た目はそっくり。
ルブレはロットの工房で働いていたらしいので、きっとデザインも良く似たものになったのだろうな、と思います。

実は整形美人疑惑もあるこのロット。確かに、とても息を使う様に誘い出すようなところもある。きっとそんな風に吹かれていたんだろうな、と思う。
最初からツヤツヤの美しい音と響き。 親切すぎる。

でも、一日ずっと、付き合っていると、だんだん、本来の性を思い出したみたいで、ちゃんとロットトーンに。一音の中に様々な音が入り始める。

ただ、調整が、現代の楽器向きなので、これをAさんに直してもらったら、もっとロットになるんじゃないか?とも。
ただ、それが確実か否かはちょっと予想がつかない。
ずっと眠っている、というせいもあるし、本来とは違う吹き方をされすぎてきて、楽器自身も、自分の本来の音を忘れてしまっているようで、可哀想そうな気もした。「整形」なんてうわさまで立てられてしまった美人。

なので、労わるような、労うような気持で、ずっと吹いていました。
私の考えでは「整形」まではされていないんじゃないかな、とも思う。

なんやかんやいっても、当時の名手の為にあつらえられた最高の技術によって作られた楽器です。そして2度の戦争を潜り抜け、生き抜き、伝わってきた名器には違いない。

そして、この古い洋白のロットが教えてくれました。

労わる気持でそっと吹いた時に、ビリビリビリと腕から身体に走る大きな振動。

あ、これは・・?

銀のロットでも、振動はあるけれど、ここまで大きな衝撃はない、とハっとする。

なんやかんやいっても、まだまだ私は銀の楽器の重さ(とても軽い銀の笛ではあるのですが)に誘われひっぱられていた、ということに気がついた。

たまに、違う楽器を吹いてみる、というのも大事なことでした。
そういえばルブレもずっと吹いていなかった・・・

考えてみれば、これはずーーーーっと「江平の笛」が私に教えようとしていたことじゃないか・・・
なんせ、竹で軽いから・・

もしかして、関根先生は、そんなこともあって、あの竹の笛をプレゼントしてくださったのかしら・・?

なのに、私は銀のフルートと竹笛とを区別しすぎていた。

ということで、ようやく気がついた。

光の柱のような、音の柱の立つ場所が変化したような感じ。
今まで、まだまだ楽器周辺にそれがあったのだけれど、それがずっと左に移動。調度心臓を通過するような柱に。

「心に響く」というのは比喩ではなかったのかも・・?

洋白の音も好きだし、むしろ私にはその方が合っているかも、と思うこともあるので、このロットも、もっと私に財力があれば、ひきとって育ててみても良かったのですが、今回は結局はお返しすることに。

でもその前に、師匠にも吹いていただこう。きっとこの子も、嬉しいんじゃないか、とレッスンの折持参しました。

師匠も、「なんともいえないけれど」と概ね、私と同じ感想。

そして・・・

ゴソゴソとフルートケースを取り出し組み立てて、

「はい、どうぞ」と差し出してくださったのは・・

師匠の持っていらっしゃる5代目の洋白ロット。

調整のされ方も持ち主も違うから当たり前なんですが、もう全然違う・・


「ありがとうございます。凛としてますね。」

「うん。ずっと吹いてやってないからまだ寝てるけどね・・」

と今度はなんと先ほどまで練習されていたあの初代のロットを差し出されて、

「はい。」

「・・え!?いや、吹けないですよ・・」

と私の息など入れたら楽器が機嫌を損ねてしまうんじゃないか、と心底恐ろしかったので、断ったのですが、

「いいよ。吹いてみて。」

とさらに仰る。

恐れ多かったけれど、初代ロットに「ごめんなさい」と一礼し、吹かせていただく。


今までも、この初代ロットは、吹かせていただいたことはあったのだけれど、その頃は私も今よりももっとわかっていなくって、こんなに恐ろしさも感じなかったし、結構吹けている気すらしていました。
ナントカ蛇に怖じず、というヤツです。

ここ数年の進歩といえば、吹く前から

「え!?オマエが吹くの?やだなあ〜、仕方ないなあ〜〜」

と吹く前に楽器が嫌がって、上記の言葉を喋っているのがわかるようになったのと、もう本当に音が出せないというのがわかったこと。


まさに「手ごわい楽器」

鳴る、鳴らない、という話ではなく、その奥底に凛としたとてつもなく大きく力強い何かが棲んでいる気配がした。

その何者かが、とても恐ろしかった。

「俺を呼び出したいのなら、おまえの一生を捧げよ」


と言っているような気がしたのは、師匠がまさに一生を捧げていらっしゃるからなんだろう、とも思った。

私にはそこまでの覚悟も気概も自覚もない。
なのに、吹いてしまうこと、それが申し訳なく思え、早々に退散・・


そんなこちらの思いには頓着なく、師匠は面白そうに

「ふ〜〜ん。これ、本当にみんな違う音になるんだよねえ〜面白いね〜」

とにこやか。



あの音は、そう、この日もしばしば出されていた笙の笛が天上から降ってくるようなあの音は、初代ロットだから出せるというものじゃない。

ま、お呼びじゃない、ってことだけは心底感じられるようになった、というだけでも、私にしては進歩だ、と思うしかないです。


私の銀の五代目ロットは、まだまだ奏者に親切すぎるし、優しすぎる。
甘すぎる・・ということも、久々に師匠の初代を吹かせていただいて感じた。

それは、ロット、楽器に関するだけでなく、所有者であるところの自分自身の問題でもあるのだろうとも思う。特に「甘すぎる」ところが。


なんてことを考えてばかりいて、珍しく低空飛行。
初代ロットをこの程度の息と心がけで吹いたバチがあたったのか、体調までなんとなく不調となり、ひきこもって、笛ばかり吹いていたという数日となりました。

「古武術に学ぶ楽器奏法」 2月5日(日)

February 06 [Mon], 2012, 22:36
たまプラーザ音教楽器店での講座でした。

本日は、ヴァイオリン、ピアノで新しい方が参加されたので、復習を兼ねて立ち方による身体の重さ?の違いや、椅子に腰掛けた相手を持ち上げたり、蔵王権現、人間ジャッキと、懐かしいものを沢山やりました。

とにかく「ふんばる必要はさらさらない。むしろ、ふんばりは邪魔をする。」

を心身で納得していただくには、楽器に取り組む前に、こうしたいくつかの体験をしていただくのが一番早い。

ご縁があって、ここまでいらしてくださった熱意ある方達なので、みなさん、どれもすぐに出来て、その後、楽器に向う。

幸い、ヴァイオリンのS氏もピアノが弾ける方だったので、みんなで交代で、あんなことや、こんなことをしてピアノを弾き、その変化を味わう。

今回、その中での新しい私からの気付き、提案は・・

やはり、あの坐骨歩きによるもの。

例の「魔法の椅子」で、この坐骨歩きになるような格好をして弾くと、さらに軽くなる鍵盤。

でも、自分に聴こえてくる音はとてもシャワシャワとスモーキー。

で、気分的には、スヌーピーの漫画に出てくるライナス?でしたっけ?あのオモチャのピアノに没頭しているライナスみたい。
もしくは、遊んでいる子供。

心身は本当に自由でまさに「遊び」

楽器を演奏する。の演奏。英語でプレイ。ドイツ語ではシュピーレン。

なるほど、身体への負担が殆どない、つまり身体がラクなので、動き回るのが楽しい。本当に遊びだ・・としみじみと感じました。

でも、いくらなんでも、このシャワシャワスモーキートーンでは使えないだろうな、と止めたら、聴いている生徒さん達みなさんが、

「?え?すごくいいですよ。とても響いて、きれいな音です。」

半信半疑で生徒さん達に順番に弾いていただいたところ、本当に驚きました。あのシャワシャワは全く聴こえず、艶やかでとろみのある音に。
本当に自分に聴こえる音というのが、これほど、アテにならないとは・・



「ねえ・・これ、プレイエルの音みたいね!」

と思わず遊びにいらしていたヴィオラの吉田さんに言う。

「・・本当だ!まさにプレイエルです!」

プレイエル、というのは、ショパンが愛した、フランスのピアノ。
「蜂蜜色の音色」と言われることも。

ピアノはヤマハのグランドピアノ。

で、この坐骨歩きモードを止め、塚田さんに弾いていただくと・・・

吉田さんと私が声を合わせて「ヤマハ!」

前回は、「魔法の椅子」で弾かれたこの音にオケの音がする、と大感動でしたが、今回のプレイエルの音色を知ってしまうと、もう戻りたくない。(笑)

特筆すべきは、プレイエルなんだけれど、生徒さん夫々の身体性、ハートを映した、個々に違う響きがした、ということです。

どの方の演奏も本当に味わい深く、感ほんのワンフレーズですが、感動で涙が出そうになるくらい。

こうした音で、色々な名曲を聴きたいものだ、と思いました。


順番は逆になりましたが、このピアノを弾く前に、鈴をふっていただきました。

これも、「あんなことやこんなこと」を色々やって、その響きの違いを。

これも、想像以上に大違い。

そして、個々に異なる個性を持つ、その人毎の美しく澄んだ響き。

個々にみな、人間は素晴らしい、とまで思えた音でした。

一緒にいつものパン屋さんでランチ。
こちらも楽しい時間でした。



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ランチの後は塚田さん、吉田さんと一緒に少し合わせ練習。

イベールを早速、この講座で紹介した「魔法の椅子で坐骨歩き」でやってみたところ・・・・


大きな透明なドームが生まれた。

パオみたい。

私だけの妄想?と思ったら、みな同様の感覚を。

もしや結界ってこういうものなのか?(と妄想暴走)

と人の気配がしたので、ガラス戸を向くと、お店の方で、調律師のKさんが。

通りかかったので覗いてみた、という感じでしたが、演奏している私達の姿を見て、「ククク・・」と笑いをこらえきれず、身体をふるわせながら去っていくところを目撃。・・ああ、見られてしまった・・

というくらい、これをそのままコンサートで使うことは、まあ無いだろうけれど、これでこうした音を出していけば、それが自分にとっての音の鉦となり、身体感覚も養われてくるだろう、と思います。

それに、本当に遊んでいるみたいで楽しい。

1人よりも、2人、3人と人数が増えるほどに、この演奏時の響きや音の変化は増幅され、その効果もはっきりと現れます。(だって、自分には聴こえないから、1人だと、最早、何やっているか、よくわからない・・)

本当に、不思議な世界に足を踏み入れてしまったんだなあ、と妙な感慨にふける。


大和市コミュニティ音楽館・コンサート  2月4日(土)

February 05 [Sun], 2012, 0:04




大和市・草柳会館でのコンサートでした。

http://yaplog.jp/karadatoongaku/archive/203


すぐ側には美しい緑地が広がり、大きな木も。自然に恵まれた素晴らしい場所で、建物も立派。

控え室の和室に上がり、お茶などいただいていると、温泉旅行か何かに来ている様な心地になるくらい。

どこの会館もとてもよくしてくださるのですが、今回の草柳会館は格別かもしれません・・

隅々まで心のこもったおもてなし、そして会場設営、運営をしていただき、とてもよい時間を過すことができました。


お客様は100名以上。60歳以上の方が多かったのですが、中には小学生の姿もちらほら。近くの小学校の器楽部にも声をかけてくださっていたそうで、その子供達が来てくれたのでした。


本番、というのは、毎回違うのですが、今回はまたひとしお。

ある意味、リサイタルの時よりも、大きな変化のあった本番といえます。

これも、先日の音楽家講座、甲野先生の数々の言葉のお陰かもしれません。

「謙虚」というにはまだまだ程遠いけれども、自分の傲慢さにようやく気がついた、といったところか・・


ここ半年ほど、どんな本場でも一度も心臓がドキドキとせず、日常の暮らしを行うのと同じように、「成すべきことを成す」といった感じで、本番で演奏するようになっていました。

以前よりは数段と滞りも減り、息も落ち着いて吹きすぎなくなってきたので、ある程度の身体的な落ち着き、といったものは技法的に出来るようになってきたのか、と思っていました。

でも、それは、まだまだ、エセ、というか、「傲慢さ」ゆえの押さえ込まれた無鼓動?だったかと。

今日は、不思議なことに、久しぶりに心臓がトクトクと動き始めました。

そう。ドキドキバクバクではないのですが、最初にステージに並んで、館長さんのご挨拶を聞いているうちに、胸のずっと奥の方で、小さくトクトクと。

気持はとても冷静で「あ、これは、何だろう?脈打つ私の小さな心臓?お久しぶり!」と不思議な気持で味わっていました。

不思議なことにこのようにトクトクしていても息も続くだろうし、吹けるだろう、という安心感はありました。

でも、何故急にこうしたトクトクが起きたのか?それは、今でもわからず、想像するだけなのですが、、そちらの方が、「本来」「自然」だからか?

全くドキドキしない、というのは、ある意味不自然。

「私はこれだけ、身体も使えるようになり、響く音も出せるようになった。もうどんな本番だって、大丈夫。緊張するなんて、もう私には関係のないこと」

と、傲慢になっていたんじゃないか・・・

それは、つまり2月1日の講座で一番浮き上がってきた、自らの「心のふんばり」

・・・・・

そして、その心の踏ん張りを教えてくれた、もうひとつの出来事がありました。

それは音楽家講座の翌日、2月2日にもたらされた出来事。

ある、とてもお年寄りの笛が教えてくれました。

大きな驚きと感謝で、ずっと一日中、その笛を吹いていました。

そして、モデルチェンジ。

これに関しては長くなるので、また後日。





・・・・・・・・・・

まだまだ「ふんばっていた」「音を出そうとしていた」ということをたて続けにお教えいただけた、という幸運。

恥じ入るような、そして、ただひたすら、有難いという感謝の気持がフツフツと湧いてくる。


このモデルチェンジで生まれた新たな概念は「音の柱」

その柱を自分の中に建てる。そうすると、胸の奥からトクトクトクと生きている私の心臓の音がする。

「心に響く」というのは、比喩ではないのだなあ、とも思う。

押し込んだ冷静さでもなく、舞い上がった緊張でもない。

身体の釣り合いと同様に、心の釣り合いを測る。

れなくして今後の進展は望めない、と改めて気持が引き締まる。



・・・・・・・・・・・

ということで、かつてないくらいの、不思議な感覚の本番となりました。
それを書き表す言葉を私はまだ持ち合わせていない。
今までの自分の感覚にはなかった言葉なので・・

強いて言えば、「無防備」か?

冷静な頭。でも身体的には、胸の奥がトクトク。でも、息はさほど乱れない。

小方さんのメゾも、斉藤さんのピアノもみな素晴らしかった。

打ち上げも、美味しいケーキと紅茶、その上、ビールまで!

と、嬉しいものとなりました。

アンケートをささっと読ませていただく。どれも好評だし、3人ともとてもよかった!というのが心の底から嬉しい。

昔は「フルートが特に」というのをみつけるととても嬉しかったものだし、共演の二人より、自分の評判が良い、というのを心のどこかで期待しているようなところがありました。それも自己への信頼がないから。確かめたいのだろうと思う。

でも、今回は、3人とあるのがただただ嬉しい。

・・でも、小学生のアンケートに、それも二人が「フルートの音が特に良かった」というのを書いてあったものを見つけると、やはり、「やったね!」と思ってしまう。ある意味、これも現時点での「素直」?と言えなくもないけれど、道は遠い。

今回の演奏にしたところで、やっとスタートが切れた、といったところだろう・・ってこのセリフ、毎回言っているかも?


お越しいただいたみなさま、企画・運営に携わってくださった草柳会館のみなさま、そして、共演のお二人、本当にありがとうございました。

こんなある意味無防備な心境で演奏できたのも、こうして周囲のみなさまが、みな気持の良い方ばかりだった、という稀有な程に清清しい環境だったお陰です。

・・・・・・・・・・

好きな色のひとつ、エルメスオレンジのペーパーに包まれた大きな花束をいただきました。
猫柳のふっさりとした白銀のつぼみがまさに新春。

今回、私は白いシフォンのハイウェスト切り替えドレスに淡いグレーのチュールにパールホワイトの細長いビーズで一面に小花の刺繍がほどこされているストール、そして着ていった洋服はベージュのワンピースにオレンジの皮手袋と、オレンジ、グレー、ベージュのインドのカシミールストールだったので、この花束の色味がぴったり。


小方さんは私服は黒っぽいセーターとコート、そしてドレスはエメラルドグリーンに様々なカラフルな野葡萄みたいな色がちりばめられたストールで、小方さんへの花束はエメラルドグリーンの紙で、紫のトルコ桔梗などが入った大人っぽい花束。


斉藤さんの私服は、グレーベージュ系の洋服にピンクのマフラーと手袋。ドレスは淡いラベンダー。斉藤さんへの花束の紙はピンクで、お花も白やピンク主体のもの。


私達のドレスの色はどなたも知らないはずなのに、偶然にしてもあまりにぴったりしすぎていて、不思議です。


心を尽くしてくださる、というのは、こういう不思議な偶然と調和をもたらしてくださるものなのか、と改めて、会館のみなさまの細やかなお心遣いが染みてまいります。ありがとうございました!

甲野善紀先生の言葉(ツィッターより)

February 04 [Sat], 2012, 23:17
2月1日の音楽家講座が終わってからの、甲野先生のツィートです。
なんと凄いことをお教えいただいているんだろう、と身が引き締まる思いになります。

ツイッターというのは、どんどん流れてしまってなくなってしまう。

それは、あまりに惜しい!と思い、関連しているものだけですが、こちらにまとめて掲載させていただくことにしました。

・・・光岡師範の言葉も本当に、私なんぞにはまだまだ、その真意は測りかねるものですが、なんというか、そら恐ろしい・・・


(一番下の行から遡ってお読みください。)


・・・・・・・・・・・・・・・・・




さすがに、ここ約10年、私の武術の一番の盟友である光岡英稔韓氏意拳日本代表の言葉だ。


光岡師曰く「必然性のある時、人は自信のあるやり方の方をつい選んでしまいがちですけど、その時自信のない方を選べるかどうかに武術的センスがかかっているんですよね」と。

そして、その事と、私が1日の音楽家講座で「強くない」「自信もない」「ただ素直なだけ」の重要さに気づいた事と、「太刀奪り」「通け」が必然性がないと出来ない事を話していると、光岡師から素晴らしい返答が…。


そして光岡師とは、私の最近の「太刀奪り」の進展状況や打剣の工夫などを話しているうち、武術の稽古の重要な要素として、安易に連動して動いている身体の部位を、いかに組み換えるか、という事の重要さに気づいてきた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そうして、本当に無駄なという以上に、問題がある、現在のスポーツや武道の練習や稽古で、「心と身体を磨り減らしている」少年や、少女に、現在とはまったく違う「稽古がしたくてたまらない」という方法がある事を伝えたいと思う。



今後のことは分からないが、是非このS氏に御協力いただき、出来れば私がいままで言葉にできる限りは言葉にしてきた、術理やら物の見方を文章にして頂きたいと思う。


「こういう日を迎えられる事もあるんだなぁ」と、しばらくその感動を味わった。


ところが、私の講座に出られたライターのS氏がまとめられた文章を読んで「ビックリ!」。長いものではなかったが、プロフィールに少し訂正箇所はあったが、本文はどこも手を加えるところがない!


ちょうど、ひどく忙しかったので、いつものように、原稿にする上で守って貰う事を、念を入れて約束して貰うような事もしなかった。(たぶん、「言っても、どうせ守って貰えないだろう」と諦めていたのだと思う)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


しかし、まあホンの一歩でも、その素直さ、つまり正直に近づけたとしたら、本当に有難いことで、音楽家講座に出席して下さった方々に深く御礼を申し上げたい。


もっとも私が、いちばん愛読している武術の伝書『願立剣術物語』に「正直を立てる」という事の重要性が説かれていて、同時に「この正直がなかなか立ちがたい」とも書いてある。正直を素直と同義と見れば、「素直なだけ」も至難かもしれない。


何しろ私は、柔道は専門外だから、柔道の技に関しては全然強くない、柔道技には自信もない、だから、柔道選手と手を合わせる時は、ただ逆らわず、居つかないように素直に浮いて立つようにしているだけ、という事。


まあ実際は、どういう事かよく分からないが、最近柔道界でけっこう名が知られている選手が、私の動きを体験したいとやって来て、頭の中が?マークだらけの顔で帰っていく様子を思い出してみると、それについても同じような事が言えるのかもしれないと思えてくる。



ただ、常識的解釈としては、音楽という私とはまるで別なジャンルの事だから、それには「強い弱いもない」「専門外だから自信もない」仕方がないので「自分の身体で感じた印象を率直に言うしかない」、という事だったのだろう。



まあ、私がまさかそんな境地にいる訳もないが、思わず書いた私がどういう過程でこの言葉を思いついたかは謎である。



つまり有慶は「強い」とか「自信がある」といった世界とは、すでに別世界に行っていたという事である。



驚いた相撲取りが「これは先生に投げられたのでしょうか、それとも私が勝手に転んだのでしょうか」と問うと、有慶先生は「それは余も知れぬ所なり」と答えたという。



有慶が、挑戦してきた力士を酒席に同行し、「いつでも、隙を見てかかってくるように」と、不意打ちを指示して、簡単にこれを制しまだ納得のいかぬ力士が有慶の帰路を、再度襲ったが、これも簡単に投げられてしまう。



「ずいぶん大層な…」と思ったのは、その時、起倒流柔術の大名人、加藤有慶長正のエピソードを思い出したからである。



もっとも私自身も、我知らず、これを書いたのだが、読み返してみて「ずいぶん大層な事を書いたなぁ」とも思えるし、また、あらためて読み返すと「あの時の印象を本当に率直に書いたのだなぁ」とも思えるのである。


しかし、どうもこの意味が、どういう事だったのか、とる人によって随分マチマチだったようだ。


昨夜、私が1日にあった音楽家講座で自分でも思いがけないアドバイスが出来、その時の印象を「強くない」「自信もない」「ただ素直なだけ」と書いたら、思いがけず多くの方々にリツイートされた。


人間が生きているとは不思議なものだ。


強くない」「自信もない」「ただ素直なだけ」というのは、思いもかけない世界を拓くのかもしれない。


「自信がないという事はいい事かもしれない」と、今夜ほど思ったことはないかもしれない。


いままでも、そういう事はあったが、今回ほど私自身がその場にいないで相談されたら、およそ思いつきもしなかっただろう言葉が天から降ってくるように口をついて出る。



というのは、さまざまな楽器演奏の相談で、直前までまったく予想のつかないアドバイスが私自身の口から出てくるからだ。



今日のというか、昨日のというか、2月1日の音楽家講座は、自分でもなかなか興味深く、私自身も受講生の一人という感じだった

第48回 音楽家講座 2月1日(水)

February 02 [Thu], 2012, 18:27
甲野善紀先生にお願いして、始まったこの講座も、今回で48回目。
隔月開催ですから、年6回、なんと8年も続いてきました。


「すみません。人も何人集まるかもわかりませんし、私の知り合い関係だけなのですが・・」

と恐る恐るお願いしたらあっさり

「ああ、いいですよ。」

「え?あの先生のギャランティに足りないのでは、と心配なのですが・・」

「いや、私は仕事は金額ではなく、やりたいか、やりたくないかでしか選んだことがないので、大丈夫です。」

この言葉にずっと甘えさせていただいて、始まりました。

毎回が違う驚きと感動ですが、 今日は、格別でした。

受講生はサックス、アイリッシュフルート、チェロ、中世フィドル、ライアー、ギター、と盛り沢山。

限られた時間の中、驚いたのは先生のご助言。
もう何かが降りてきているに違いない、と思えた。

さらに素晴らしいのは、それが、様々な観点からの助言となっていること。

楽器を首につけるストラップに関しての示唆、楽器を口元にもっていく際の移動の仕方、足元の変化による身体の変化、
具体的な身体に関してだけでなく、

「いい弾き方、というのは楽器が教えてくれるでしょうから、まず楽器に一礼して、曲ではなく、一音、一音、探していかれればいいんですよ。」

という心に働きかけるアプローチまで。

ライアーの方へのその助言をうかがっていて、泣きそうになったくらいでした。

・・・・・・・・



TVの影響で、初参加の方が多かったのですが、やはりみな「ふんばって」と教わったり、その中で、ある程度の成果を挙げていらした方ばかり。特にプロは。

この講座でも過去にも何人ものプロを迎えたけれど、99パーセントふんばり。

私の覚えている限り、この8年間の中、唯一先生が感嘆されたのはあるクラッシック歌手の男性で、私もそれは本当にウットリと聞き惚れ、驚きだったけれど、その方は音大や留学等で正式な音楽教育を受けた方ではなく、いつのまにか、自分で歌っていた、という方でした。
特に著名という訳ではその人の声は今も思い出せるほど。柔らかく会場の隅々にまで満ちていた・・

ともあれ、つまり、それ以外は、もちろん、私も含めてみな「ふんばり」の世界で生き、学んできた訳です。

ふんばって参加された方みな、特にたった一回では何が何やらわからなくても当たり前だとは思うけれど、せっかく、こうして先生とのご縁を得たのだから、何かしらの気付き、変化のきっかけになっていただければ、と思います。

今回はもう、全て先生に楽器を構えたり、音を出していただいたのですが、特に民族楽器の中世フィドルとライアーの先生が奏でる音にウットリ・・

フィドルは、それはもう楽しそうに演奏されて、その音に合わせて、踊りたくなるくらい。

とても先生に似合っていました。

ライアーは、一音一音、ポツリポツリと音の響きを丁寧に探しながら、お話をしてくださったのですが、その響きに乗って、先生の声もより響きが増幅されたように心身に染みてきました。有難いお経を聴いているような心地。感覚の良い開かれた方であれば、きっとこれだけでも、今日出す音は違うだろう、と思う。

もう、こういう心洗われる音を味わえる、というのがこの講座の醍醐味だし、本当に幸せ。

ここ数年の私にとっての心から楽しめる音楽体験は、もう師匠の笛の音と、甲野先生がこうして出される(どれも初めて楽器を構えるにもかかわらず)色々な楽器の音。先生の声。

これだけで、すっかり満足してしまうし、滞りや踏ん張った身体から出される音や音楽はますます、受け付けられなくなる。

その奏者が固めているのと同じところが反応してしまい、苦しくなる。
(これは、私が特異体質という訳じゃなく、講座の常連さんも、おそらくみなそうだろうし、先生の門人、武術稽古人関係者も同様なんじゃないか、と思う。)

でも、実際、今の音楽界、いや、これは武術でもスポーツでも同じ、と先生が仰っていたけれど、もう殆どが、「ふんばった身体」での成果。

ということで、自分はそういう意味では、現代の「音楽」はあまり好きではないかもしれない、とも思うし、その許容範囲は年々狭まるばかりだ・・

初めて、2003年、甲野先生に出会った時の不安、嫌な予感、っていうのはこういうことだったんだな、とは思うけれど、まあ、知らないより今の方がずっと幸せなので、それはもうヨシとしよう。

先生の取材にいらしていたライターと編集者の方から私もインタビューを受けた。

「この講座を始めるのにあたって、敢えて、プロアマにこだわらない、としたのは、本当に良かったと思っています。

これは、自分自身が先生とであってからのこの8年の変化の過程で感じたことでもあるし、反省でもあるのですが・・・

『プロ』っていうのは、数少ない超一流を除いて、『間に合わせ』が器用に出来てしまった、つまり、身体からの本来の声に耳をふさいで、身体の滞りを見て見ぬふりして積み重ねてやってきたからこそ、それなりにそこそこの成果が挙げられた、ということに他ならないんじゃないか、と思います。

間に合わせていかなければ、仕事にならない、という面もありますね。

だから、かえって、アマチュアの方の方が、「そうか!」と身体で納得された時の変化は早いし大きいですね。間に合わせの蓄積も少ない訳ですから。人間どんなに変わりたいと思っても、自分が良かれ、と思って過去に培ってきた方法への執着、時間、お金、エネルギー、への執着、そして何よりプライドが邪魔するんですよね。

そのあたりが、むしろ『自分はアマチュアですから』という方のほうが、素直な心というか、余計なプライドが邪魔しないので、その場での音の変化に結びつくことが多いです。まあ、プロアマと乱暴に分けましたけど、もちろん、これは個々の資質に負うところのもので、逆の場合ももちろんあります。

また、傾向として女性の方が過去に培ったことをパっと振り捨てられる方が多いのは面白いですね。やはり、より現実的かつ感覚的というか、自分にとって本当に心地よいものに敏感なのかもしれません。」

とお話し、かなり面白がっていただけました。

実際、今夜も一番大きく変化されたのはアマチュアの女性、次がアマチュアの男性でした。

改めて考えてみると、甲野先生にしたところで、楽器に関してはアマチュア。それどころか、生まれて初めて手にする楽器も多いという情況。

それなのに、何十年もその楽器に取り組んできたプロよりも響くとんでもないくらいの音を出してしまわれるし、もう楽器の方からシュルシュルと先生に寄り添いにいっているようにも見える。

これは、いったいなんなんだ?と思いますよ。もう。



。。。。。。。。。。

打ち上げでは、例の「魔法の椅子」に関しての質問も出来ました。

「ああ、実際にやってみていないので、わからないけれど・・」

としばし考えられていたご様子。

そして

「まあ、そんなに身体に悪いっていう気はしませんね。」

ということで、「取り扱い注意」ではあるけれど、もしかしたら私が案ずるほどの心配はないかもしれません。

でも、個々に異なる人の身体。慎重に取り扱っていこうと思います。

いずれにしても、ある程度の身体の感覚が養われていないと難しいかもしれないです。

・・・・・・・

先ほど、先生のツイッターを読みびっくり。

先生が、こうした心境でご助言されていたからこそ、だからこそ、私も改めて、この講座でこうしたことを痛切に感じたのだと思いました。

有難くて涙が出てくる。そして、その困難さを改めて感じる。


これはいったいなんなんだ?の答えが、そのツイッターに書かれているではないですか・・

「正直を立てること」、そして「素直であること」

褒められるのは嬉しい。評価され認められるのもプロとしては大事なことだ。でも、自分で「出来ているつもり」になっていたら、何の進展ももたらされない。自戒自戒。

本当に一番踏ん張っているのは「心」と「頭」なのかもしれません。
プロフィール
  • ニックネーム:白川真理
  • 性別:女性
  • 誕生日:9月22日
  • 血液型:AB型
  • 現住所:神奈川県
  • 職業:専門職
  • 趣味:
    ・ハンドメイド-足半(あしなか)作り
    ・お酒-宴会
    ・お笑い-ダジャレ収集
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武蔵野音楽大学卒業。
ミュンヘンのM.ヘンケル女史のもとで1年半、研鑽を積む。
1998年より現在、元NHK交響楽団の植村泰一氏に師事。
川崎優氏率いる「茅笛の会」の一員としてヨーロッパ公演多数。同氏主催の「アンサンブルムジカフィオーレ」の一員としてTV出演、コンサート多数。
企業・自治体依頼のコンサート等でフリーのソリストとしても活動。
CD[SERENADE〜flow〜」をリリース。
2003年よりヴィンテージフルートである銀のルイ・ロット(現在99才)を愛用。独自の音色で講評を博す。


2003年より、古武術研究家、甲野善紀氏のもと、演奏時の身体の使い方、応用を研究実践。
関連の公演、演奏を銀座山野楽器、防衛大学、横浜市の依頼で行う。
専門誌「ザ・フルート」に「古武術に学ぶフルート」を連載。
「身体から革命を起こす」(甲野善紀・田中聡・共著・新潮社)にインタビューが掲載。
甲野氏を招いての音楽家の為の勉強会、公開講座を定期的に主催。

福島県江平(えだいら)遺跡より発掘された奈良時代、日本最古の竹笛「江平の笛」(研究復元製作・関根秀樹氏)を演奏。NHKTV,FM放送等に出演。


こちらのブログでは、少しずつ、過去に発表した自身のテキストを再検証しつつ、現在の気付きなども書いていく予定です。

日々の雑感、出来事などは、mixiにて,ハンドルネームmariで公開で書いております。どうぞ、お気兼ねなくご訪問ください。

演奏・レッスン・講習会の依頼、お問い合わせ等は、どうぞ、こちらに!

karadatoongaku@gmail.com
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