どう読むかは自由(4) 

2005年01月26日(水) 13時50分
1 主題よさようなら、楽しみよこんにちは
主題追求型の授業で、主題が問題にされる際に子どもに問われるのは、「この作品で作者が最も言いたかったことは何か」というような問いである。作者の主題は、その作品を書いている最中の作者の中に確かにあったのであるが、読者が推定する主題がそれとぴったり一致するのは不可能である。そもそも主題なるものは、作者が意識している場合もあるし、意識していない場合もあるのである。意識している場合でも、それが作者の心の深層に潜んでいる本当の主題と食い違っている場合もある。作者が自分の作品を読んで初めて、そういうものが自分の内部にあったのかと気付く場合さえある。また、作者が書きたいと思った主題が、作者の思い通りに作品化されているとも限らない。作者が予想できなかった思想や傾向が、作品に出現することさえありえる主題なるものを読者が短くまとめて説明して、「これが主題です。」「これが、作者が最も言いたかったことです。」などと言うことに、何の意義があるだろうか。
 生活読書の目的は楽しむことであって、作品の主題を明らかにすることではない。学校の授業が、子どもの生活読書力を高めようとするかぎり、主題追求は必要ないのである。文学作品を扱う授業で大事にすべきは、主題を論じることではなくて、目的に応じて楽しめそうな作品を選び、文字を読み、意味を取り、作品世界のイメージを、読者の心の中に再現的に創造することであり、そのようにしてできたイメージ世界と言葉の響きとの両方を楽しむことである。と同時に、その創造したイメージ世界の背後に、その世界を創造して読者に届けてくれた作者像を想像し、想像した作者と心の内で対話することである。ひょっとすると、このしんない心内対話こそが、従来の主題指導に代わる価値をもつものかもしれない。(首藤久義著「文学作品を楽しんで読む―主題よさようなら」日本国語教育学会編集発行『月刊国語教育研究』12月号掲載より)

どう読むかは自由(3) 

2005年01月26日(水) 13時46分
1 読み手がどう感じるかは、他から押しつけてどうこうできるものではない。
 ある文章を読んで、人がどう感じるかは、その人の、感性、理性、知性など、人間性のすべてに由来するものであって、これに、他の者が正誤をつけることは、おこがましいことである。たとえ教師であっても、これに正誤の判定を与えることはできない。読みには正誤があるけれど、感じることそのものには、正も誤もないからである。文学作品をどう感じるかについては、教師がその正誤・優劣の判定者になってはならない。感じ方の正誤・優劣を子ども同士で論争させることもしてはならない。
読み手それぞれが、対等の立場で自分の感じ方を語り、人の感じ方にも耳を傾けて交流し合うことは、互いの世界観や人生観を交流しあうことにも通じて、楽しいことである。ただしそれが楽しいのは、語らない自由や聞かない自由、作品に対する否定的な感想を語る自由などの自由が認められている場で、語りたい者だけが語り、聞きたい者だけが聞くという場合においてだけである。教師は、そういう自由な雰囲気のあふれた場を作り、教師も読者の一人として自分を語ればよい。
 文学教材は教科書の中だけにあるのではない。子どもたちの顔を思い浮かべながら、書店や図書館で、魅力ある作品を探してきて、それと子どもとの幸せな出会いの場を設けることも、教師の大事な仕事である。(千葉大学教授・首藤久義著「文学作品を楽しんで読む――主題よさようなら」日本国語教育学会編集発行『月刊国語教育研究』12月号掲載より)

どう読むかは自由(2) 

2005年01月26日(水) 13時37分
1 感じる自由
 読んでどう感じるかは、本来、読み手の自由である。文字には人々に共通に約束された読み方がある。言葉の意味するものも、幅があるとはいえ人々に共通に約束されたものがある。この約束を破れば、文字は伝達の働きを失い、言葉は通じなくなる。どう読むか、どう理解するかには、一定の制約がある。それに反して、どう感じるかは読み手の自由である。読み手の心しだいである。
 人は文章を読むとき、いろいろと感じる。楽しくなったり、悲しくなったりする。共感したり、反発したり、疑ったりする。感動の余り涙を流すこともある。
 文学作品を授業で読むときも例外ではない。教師の期待通りの感じ方をする子もいれば、そうでない子もいる。教師にとって好ましく思われるものも、好ましく思われないものもあるであろうが、どの子も自分なりに感じているのである。
誤りなく読みとるということには、ある種の難しさがともなうがあるが、感じることは、誰にもできて、誰もがいつもしていることである。感じることは、読み手の心の内に自然に生じて、読む行為とからみ合うように影響し合って展開する。ある作品を人から紹介されて、読む前からこれはおもしろそうだと感じてわくわくし、表紙の装幀を見ただけで嬉しくなり、題名を見ていっそう気に入り、その内容を予想して心はやらせ、冒頭を読んだとたんに共感を覚えるというようなことがある。かくして、読む気はいよいよそそられて、次々と読み進み、深い満足を覚えて読み終わった後も、しばらく余韻を楽しむということがある。それが、数年後のある体験をきっかけに、すっかり嫌いになるということもある。あるいは、読み進むうちにあまりのつまらなさに気分を害し、次の行に読み進む気力をなくしてしまうこともある。感じることは、読む前から、読む途中、読んだ後までにわたって成立して、読む行為の結果ともなり、原動力ともなるのである。(千葉大学教授・首藤久義著「文学作品を楽しんで読む――主題よさようなら」日本国語教育学会編集発行『月刊国語教育研究』12月号掲載より)

どう読むかは自由(1) 

2005年01月26日(水) 13時35分
どう読むかは自由(1)

1 授業で読むと楽しくなくなる
自由に読むのは楽しいけれど、授業で読むと楽しくない、というのは多くの子どもたちの実感であろう。それをし続けて、文学嫌いを増やしたのが国語の授業ではなかったか。
 普通の人が生活の中で読む場合、つまり「生活読書」において文学作品を読むのは、楽しむためである。この楽しみは、演劇や映画の鑑賞、あるいは美術鑑賞や音楽鑑賞、もしくはスポーツ観戦の楽しみにも似て、涙を流すことも笑うこともある楽しみである。文学作品が、文学教材と名を変えたとき、この楽しみが失われるというのが、これまでの問題であった。
他方、研究者が文学作品を研究対象として読む場合がある。これは作品の受容というより、作品の研究と言うほうが当たっている。そういう読みを私は、「研究読書」と呼んでいる。研究読書を授業に持ち込んでも、それに対応できる子は多くない。教師が要求する研究的な読みの課題にこたえて、発言したり作業したりできる子は、そういう能力と興味・関心を持ち合わせた少数の子に限られる。その結果、学校の外で種々の生活読書を楽しんでいる多くの子どもたちが、文学の授業にうんざりしていたのである。

千葉大学教授・首藤久義著「文学作品を楽しんで読む――主題よさようなら」日本国語教育学会編集発行『月刊国語教育研究』12月号掲載より

翻作法で楽しい国語 

2005年01月26日(水) 13時21分
翻作法で楽しい国語
 文学作品に出会い、読む楽しみを知り、理解力や表現力が高まる方法として私は、「ほん翻さく作法」という方法を提案している。翻作法とは、物語や詩歌の本文をそのまま使ったり、変えて使ったりして、絵本を作ったり、紙芝居や詩画集を作ったり、朗読劇や人形劇を作ったり、上演したりする活動を通して、作品の内容・形式両面になじみを深める方法である。
なじみが深まれば、その作品の理解がより確かなものになる。それだけでなく、他の作品を理解する際や自分なりの表現をする際に役立つ素養も豊かになる。翻作活動をする子どもは、表現者の姿勢を持って原作に向かうため、その作品をより精細に読み込むことになる。そいうい意味で、翻作法は精読を喚起する方法でもある。翻作することは、何らかの作品によって自分の表現をなすことであり、そうすることを通して子どもは、言語文化の継承と創造に参加することになる。翻作法の詳細については『翻翻作法で楽しい国語』(桑の実会著、東洋館、二〇〇四年)を参照いただきたい。

低学年から常用漢字 

2005年01月25日(火) 9時43分
1、振り仮名付き常用漢字を低学年から
私は抜本的な漢字提出案をあたためている。それは、小学校低学年の、平仮名学習が一通り終わった頃から、常用漢字すべてを使用した通常の漢字仮名交じり文を、振り仮名を付けて提出するという案である。
子どもたちはそれを読んで、通常の漢字仮名交じり文にふんだんに接し、語の表記形(第*章第*節参照)に慣れ親しむようにするのである。その場合、もし、出てきた漢字すべてを一度に習得させようにすれば、学習負担が過重になって大問題になるであろう。
が、私の改革案では、子どもが書く場合には、書ける漢字だけを書けばよいとするのである。書く場合には、好きなだけ平仮名を使って書いてよいとするのである。教師は、それをおおらかに受け入れて、それぞれの子が、自分の発達のペースに応じて、通常の漢字仮名交じり文の書き方に近づいていくのを、長い目で見守って支援し続けるのである。
そして、漢字に付ける振り仮名は、学年が進むにつれて、その割合を少なくしていくようにするのである。それが私の改革案である。もしこれが受け入れられると、通常の漢字仮名交じり文で使われる語の表記形に出会う回数が飛躍的に多くなり、読める漢字がいつの間にか増えてくる。そして、漢字学習の困難が、今よりはるかに少なくなる。

首藤久義(しゅとう・ひさよし;千葉大学教授)著『生活漢字の学習支援(楽しい国語2)』東洋館出版社、2003年4月発行、2500円、ISBN4-491-01892-8 より抜粋。
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