楽しい!!
カッコイイ!!
好き!!
って言うのは、とてもステキな感覚です。
非常に強いエネルギーをくれます。
頑張る原動力と言っていい。
だけど。
行動の基準が、楽しい!とかカッコイイ!ってだけでいいのか!?と、最近よく思うのです。
誰かを見て、カッコイイからそれを真似する。
同じことをやりたいと思う。
楽しそうだから、やってみたい。
そして、楽しいと満足する。
それって、どうなんでしょう?
もちろん、上達の基本は模倣ですから、魅力的なものの真似を否定したいわけではありません。
また、楽しむな!とか地味に真面目にやるのがいいことだ!とか言いたいわけでもありません。
でも。
練習中にただ楽しいのは、到底上達の方向へは進んでいないと思うんです。
だって、稽古って、特に各自の踊りの稽古って、自分の身体や感覚との対話じゃないですか?
自分の意識を研ぎ澄まして、理想と現実のギャップを埋めるものじゃないですか?
楽しいわけないんです。
だって、出来ないんですから。
納得出来ないんですから。
誰かよりも出来るかもしれない。
出来ないかもしれない。
でも、そんなの関係ないんです。
あくまでも自分の最終地点の問題で、ソコヘたどり着かない限り満足したらおかしいと思うんです。
近付いてる予感はあるかもしれない。
その後、実感もあるかもしれない。
その時やっと、こっそり拳を握ってしまう様な楽しさがジワジワと追い付いてくるんです。
達成感と一緒に。
その時は、是非とも心置きなくニヤニヤして下さい(笑)
派手さはないし、誰かと簡単に共有出来る様なものではないけど、このやり方しか上達や成長はないと思っています。
だから、稽古は悔しい位で調度いい。
そして振りの場合には。
魅力を感じたものを模倣することは、一見、称賛の様に感じますが・・・。
本当そうでしょうか??
私はオリジナルの作者に対する侮辱にあたると思っています。
(ただし、オマージュ等のことを言っているのではありません。悪しからず。)
なぜか?
だって、オリジナルの作者は相当考えて考えて、苦しんで苦しんで、身を削る様にして生み出しているハズです。
回りには簡単に見えるかもしれない。
本人も大したことないと言うかもしれない。
でも、作品として発表した意地やプライドや譲れないこだわりがあるはずなんです。
誰でも。
そこに魅力を感じたことは間違ってない!んです。
作者や作品の中に何かを感じられたってことは、自分のアンテナに引っかかったってことで、それは自信を持っていいと思う。
だけど。
だからと言って安易に「やってみたい〜」となるのは間違ってる!絶対に。
これだけは「絶対に」と言えます。
だって、裏を返せばその作品のいいとこどりをしたい!と言っていることになるんですよ?
悪気がなくたって。
そこまで考えていないのかもしれないけれども。
楽をしたい!
アレをやれば受けるんだからいいじゃない!
そういう意味なんです。
安易な物真似は。
カッコイイ!だけで取り入れると言うのは。
それは侮辱以外のなにものでもない。
外の世界では、そう、芝居や映画や音楽では、必ず名前が公表されますね?
脚本は?監督は?作詞は?作曲は?
だから真似をしても誰の真似なのか、きっとみんなわかります。
でも阿波おどりの場合、振り付けの名前を公表することはありません。
だから、映画だとリメイク、音楽だとカバーと言われているものさえ、本来ならしてはいけないのですよ。
現在の阿波おどりの世界にはどこの連が始めたのか、普通の人にはわからないものが沢山出回っています。
そしてそれは連の中にも言えます。
誰かが振り付けた作品に勝手に手を加えるのは横取りです。
だったら最初から作り直した方がいい。
出来ないとか言わずに、思い付かないとか言わずに、もっともっと考えて、苦しんで作りましょうよ。
身体壊す位悩みましょうよ。
その時に自分の作品のこだわりが、注ぎ込んだ意地が出て来ます。
そうすれば、他の人の作品に対する敬意が理解できるし、作品を大事にすることの意味ややり方もわかってくると思うんですよ。
魅力を感じたものを、単に真似するんじゃなくて、
何に魅力を感じたのか?
なんで魅力的なんだろう?
って、もっともっと考えて、分析して、咀嚼して飲み込んで、血と肉にしてから、核を使いましょうよ。
作り手のプライドとして。
そして自分の好きな作品に適切な敬意と称賛を表する為に。
楽しいとかカッコイイとか好きだとか、そういう生理的欲求と紙一重の感覚から、その向こう側に行きましょう。