こんなにも愛されている竜馬(長崎市)

February 19 [Sun], 2012, 11:54

長崎市民はおそらく高知市民の次に竜馬を愛しているのではなかろうか。

龍馬通りの所々に掲げられた「龍馬通り」と書かれたレリーフ。
当初、地元の方の手作りだろうと思っていたが、あるWebサイトでは「2005年に山崎和國さん(銅像の作者)が作成し、地元の「亀山社中ば活かす会」に寄贈したもので15カ所に設置されている。」とのこと。

標語は「亀山社中ば活かす会」の会員の方が作ったらしい。






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長崎にもいるぞ坂本竜馬

February 11 [Sat], 2012, 12:00

日本で始めてブーツを履いたと言われる竜馬のブーツ像。
自由に足を入れることができ、靴を履いたままぶーつを履いて記念撮影できるようになっている。
当時土佐では身分制度が厳しくて下級武士である郷士の家に生まれた龍馬は草履しか履けなかった。
自由の地・長崎に来て龍馬はブーツを履いて大いに張り切ったという。
それによる足蒸れが原因で、日本で始めて水虫にかかったとも言われている。


若宮稲荷神社。
1989年に風頭公園に建てられた坂本龍馬像の原像となるもので、長崎市の彫刻家・山崎和國氏が約2か月かけて制作したもの。
ちなみにこの若宮稲荷神社は、「勤皇稲荷」とも呼ばれている。
これは、当稲荷が南北朝時代の武将・楠木正成の守誰神であっlたことにちなみ、幕末に来崎した諸藩の志上が多く参詣したためと言われている。


風頭公園。
個人的には全国各地の竜馬像の中で最も勇ましく、最もかっこいい。
実際、竜馬の実像に最も近いと言われている。
銅像のコンセプトは「腕を組み、視線は水平線(世界)を見つめ、ブーツを履き、左足を一歩前に出した青年竜馬像」。
台座からはみ出した左足は自由奔放で枠にとらわれない龍馬の性格を表している。

この像のそばには、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」文学碑もある。
碑には次の言葉が本書より抜粋され刻まれている。

船が長崎の港内に入ったとき、竜馬は胸のおどるような思いをおさえかね、
「長崎は、わしの希望じゃ」と陸奥陽之助にいった。
「やがて日本回天の足場になる」ともいった。 


丸山公園。
2009年11月に建立。
風頭公園の龍馬像が普段の竜馬を表したとすると、 こちらは 「花街丸山の風を浴び闊歩する姿」をイメージして作られたそうである。
丸山は日本三大花街の一つとして栄えた所。
竜馬も花街に行くときはビシっとキメて「勝負スーツ」ならぬ「勝負はかま」で行ったのであろうか。
さて、この竜馬像。
竜馬に欠かせないアイテムである「三種の神器」が全国に数ある竜馬像の中で、初めて揃った銅像である。
懐にピストル、右手には懐中時計、そしてブーツ。


「長崎まちなか龍馬館」にある、祈りの竜馬像。
大河ドラマ龍馬伝にちなんで2010年に期間限定でオープンされたが、2011年4月にリニューアルし、どうやら常時営業するようになったらしい。
ここは幕末の貴重な写真が多く公開されており、日本史ファンにはたまらんぜよ!

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路面電車のある街に憧れる(長崎市)

February 05 [Sun], 2012, 17:44

俺は路面電車が大好きで、路面電車がある街に住むことに憧れている。


長崎市内で路面電車路線を営業するのは長崎電気軌道株式会社で、大正3年に営業開始した。
運賃は現在、初乗り120円でとても安い。
この価格は、路面電車としては日本一安い運賃だ。
そして500円の1日乗車券があれば、市内観光にも非常に便利だ。


他にも様々な偉業があり、日本初の車体広告(1964年)。
日本初の商業ビル内を走る路面電車(浜口町〜松山町間の長崎西洋館)
現役営業車両としては日本最古かつ唯一の木造電車を備えている。


長崎は市内に多くの魅力があり、住みたくなる気持ちにさせられる。
路面電車があるから尚更だ。



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2月4日、東日本大震災復興支援チャリティーイベントをやります!

January 30 [Mon], 2012, 22:32
一人ひとりが「&」でつながり「安堵」して暮らす。

そんな日が一日も早く訪れますように。

私たちができること。

歌って、笑って、そして想うこと。

日  時:2012年2月4日(土)
開催場所:浅草・ライオンビル
       東京都台東区雷門2-11-10(銀座線浅草駅2番出口3分)
入場料 :800円(冊子付、終日出入り自由)

イベントの売り上げの一部と、チャリティーフリマの売り上げ&募金箱に集まった金額全額を義援金とし、宮城県気仙沼市唐桑町の復興支援のための活動費に充てさせて頂きます。

企画主旨:
震災から1年が経とうとしている今、自分の身近にいる人が3.11をどう受け止め、どんな暮らしをしているのかが気になりました。
気仙沼にいる友人の少しでも役に立ちたいと昨年行ったチャリティーイベント「&フェスタ」の第2弾を現在、準備中です。ライブあり、石鹸やアクセサリーなどの物販あり、美味しい食べ物いっぱいの手づくりイベントです。
トークショーでは福島の原発問題を取材するカメラマンによるトークショーも予定しています。
イベントを楽しみながら少しでも震災について考えるきっかけ、復興への手助けができればと願っています。
友達や知人を誘ってぜひお越し下さい。

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 ライブ&トーク
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◯12:00〜『&フェスタvol.1』報告会 
『&フェスタvol.1』(2011年4月開催)後に行った気仙沼・唐桑地区での炊き出しレポート

◯13:00〜 ライブ:バセルバジョン(オーガニックバンド)
サガミオーノ・ルーツ・ミックスド・グルーヴ! 人数不詳、内容不詳、愛車はプジョー、バセルバジョン!地上で活動する地下組織、バセルバジョン!覆面を忘れてきた覆面集団、バセルバジョン!2012年末、マヤの予言まで活動中

◯15:00〜 ライブ:一期JAM(ジャンベ)
陽気なジャンベ集団。人生は一期一会、人生はJamSession! 出会いとアフリカングルーヴを体感してください♪

◯16:00〜 トークショー:小原一真(フォトグラファー)
「福島第一原発と作業員、そこにある暮らし』(定員50人)
原発内の労働環境。そこで働く人がこれまで築きあげてきたもの、震災後に失ったもの、そして新たに築き始めたもの。東北の被災地、原発問題を取材するフォトグラファーが現地レポートを行う

◯17:00〜 ライブ:正太郎(アコースティックギター)+バセルバジョン
唄って走る社会科教師!

◯18:00〜 ライブ:TAYUTA(バンド)
ゆらゆらゆれ動いて定まらない、という意味の「たゆたう」から名付けられたワールドアコースティックバンド。ナチュラルな亜熱帯ソウルサウンドを奏でる

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 出店リスト
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◯フラワーリース『八ノ花』
国際トータルフローリスト協会受講生による“復興”の願いを込めたリース

◯石鹸『TUNAGU SOAP』
「人にやさしいは自然にもやさしい」。人と自然を繋ぐナチュラルな手づくり石鹸。

◯ネイル『nail salon alma』
高円寺でネイルやってます、あるまです。出張もしていますので、いろいろ相談に乗ることも可能です!気軽で簡単にできるネイルですので気分を変えたい、初めてネイルを体験してみたいと思った方は体感してみて下さい!お待ちしております。
フェス価格1500円(2パターンのみ)

◯手づくり蜜蝋キャンドル&ヘアアクセサリー『ルピルピ』
高円寺のカフェ『ぽれやぁれ』で蜜蝋のキャンドルを販売しております。ゆっくりゆらめく温かなロウソクの火を感じていただけたら嬉しいです!ヘアアクセサリーもオリジナルで世界に一つだけの物です!

◯草木染め手ぬぐい『仕草(shigusa)』
長野で注染という技法で作っている型染め手ぬぐい。長方形の中に物語をつめこめたらと。

◯小物『Mukaaka Craft from ウガンダ!』
ウガンダ産の木の実を使用したピアスやブレスレット+アフリカの生地を使った小物。

◯布小物『メケメケ』
ポーチやコースターなどビンテージの布や着物生地などで作った小物、リネンのエプロン、ベビー用スタイを販売。

◯『&フェスタ手芸部』
チャリティーフリマのチームによって急遽結成された“手芸部”。ラビットファーを使ったバックや小物が登場。

◯レザー小物『toi』
おもちゃみたいなレザー小物。

◯手作り雑貨『Kira kira KAROWA』
キラキラサンキャッチャー、消しゴムはんこ、手作り雑貨の販売。

◯『スジャータプロジェクト』
震災で被災した気仙沼の地福寺の片山秀光住職が絵を描かれた手ぬぐいを、臨済宗円覚寺派・建長寺派の若手僧侶が中心となっている『スジャータプロジェクト』で販売しています。収益は震災復興のために使われます

◯『豆腐屋さんのチャリティー納豆』
国産大豆を電気を使わずにゆっくり発酵させて作った大粒納豆です。お豆の柔らかさと、香りをお楽しみください。その他、おからで作ったスイーツを販売予定です。

◯『つなぐ菓子店』
卵や乳製品などを使わない植物性の体にやさしいお菓子を作っています。

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 フード
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「ぽれやぁれ」(高円寺・カフェ) 
ココナツカレー 、キッシュ

◯「I&I」(栃木県鹿沼・カフェ)
ジャマイカンパティ、アイタルスープ
栃木県鹿沼市にある野菜中心で体に優しいお食事を提供しているカフェです。出店特別メニューにジャマイカンベジ料理をご用意します。

◯「Taqueria カランコロン」(川越・タコス専門店)
メキシカンタコス屋さんです。手軽でおいしくてあったかいタコス2種類。
・豚肉とサボテンのチレアンチョ(辛くないチレ)のタコス
・たまごとサルサメヒカーナ(トマト、たまねぎ、ピーマン)のタコス
手づくりのとうもろこしの皮はやわらかくて良い香りです。ぜひ本場メキシコのタコスを食べにきて下さい。

◯「虹たね食堂」
じゃがいもチキンカレー、ベジタブルカレー
料理が大好きな「虹たね」の仲間がカレーを作ります。

※料理は売り切れ次第終了となります。

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 マッサージ
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タイの風をたっぷり感じるマッサージ30分 2000円 (延長、大歓迎!)
タイマッサージ、トークセンこと木槌のマッサージ、ハーブボールマッサージなど
<涅槃で半寝 60分>
♦11:00〜♦2000円
あなたも気軽にタイマッサージができる!タイ古式マッサージを元にしたマッサージで身近な人の癒し手になれます。無理に力を入れなくてもグデグデで脱力するほど気持ちいいマッサージができる様になります。


<手作りハーブボール体験 60分>
♦12:30〜♦2000円
昔からタイで愛されてきたと〜っても気持ちの良いハーブボールの作り方と、毎日の生活に簡単に取り入れられるセルフケアの方法をご紹介します。野生のタイハーブとヨモギなど身近な日本の野草をミックスしてオリジナルハーブボールを作り、ハーブの恵みと香り、更に温熱効果でじんわりと温まる心地さを味わってください。

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 ヨガ
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『Irie Shanti Yoga』 講師:ゆり絵
♦14:00〜15:30 ♦定員15人 ♦1500円
持ちもの/動きやすい服装、あればヨガマット、水
内容/ゆったりめのヨガクラス。呼吸、瞑想、アーサナ(ポーズ)を通して心と体に溜まって
いる緊張を手放していきましょう。初心者もWelcomeです。
※事前申し込みも可→メール(yulihey@docomo.ne.jp)で氏名、電話番号(件名に『浅草ヨガ
申し込み』と記す)をお伝えください。

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 フラワーレッスン   ※参加者募集中!
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『初心者でもできるキュートなアレンジ:フレンチドーム』
@10:30〜12:00 
A12:00〜13:30
♦定員各15人(予約) ♦2500円(制作したお花は持ち帰れます)
持ちもの/持ち帰り用バック(底にマチがあるもの)、あれば花用バサミ 
内容/花の水切りの仕方からアレンジのコツまでアドバイス。生花を使って、こんもりとした半円球のフレンチドームを作っていきます。指導は国際トータルフローリスト協会受講生が担当。
【申し込み方法】
電話またはEメールにて受付(2月3日18時まで)。
☎の場合は、『&フェス実行委』せど(☎090−6511-0980、17:00〜)
Eメールは、『&フェス実行委』せど(sedooo@hotmail.com)宛(件名に「花ワークショップ希望」と記し)で氏名、電話番号、希望の時間帯をお知らせください。

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 チャリティーフリマ 物品募集中!
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♦10:30〜日没前まで
※フリマの売り上げは全額、被災地での義援活動に充てます。

※チャリティーフリマ物品募集中!
家に眠っている服や雑貨、本などのご提供をお願いいたします。その際、お手数ですが事前に商品の値付け(100円単位)をお願いします。

※商品の値付けについて※
・商品一つひとつに対してわかるように、取れないように値札を付けて下さい。
・100円単位での値付けをお願いします。
・付けていただいた金額がそのままチャリティとなりますが、他の商品との兼ね合いにより、こちらで値段を調整させて頂く場合がございます。
・売れ残った商品はこちらで処分させていただきます。
(リサイクル等できる限りチャリティに還元できる形で処分致します)

《郵送の場合》
・日時指定2012年2月3日(金)午後3時〜6時着で、〒111-0034東京都台東区雷門2-11-10 another day株式会社(商品欄に『&フェス・フリマ物資』と記載して下さい)宛にお送りください。
・送料は自己負担でお願いします。
《持参の方》
・イベント当日、正午までフリマ会場で受け付けます。

【来場者へのお願い】
・できるだけ公共の交通機関をご利用ください。車でお越しの方は近隣にパーキング(有料)も。
・マイバック、マイ箸、マイカップ、マイ皿持参も大歓迎!

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 お問い合わせ
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「&フェスタ」実行委 担当:せど
sedooo@hotmail.com
☎090-6511-0980 17:00〜が比較的通じます

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オリエンタルランド・サラエボ(ボスニアヘルツェゴビナ)

January 24 [Tue], 2012, 23:49

とにかく20年前の内戦のイメージが強く、いまだに多くの問題を抱えているボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボだが、
人々の表情は徐々に明るくなってきており、観光客も年々増えてきている。
街の雰囲気は穏やかであり、様々な文化と民族が入り交じった街のせいか、オリエンタルな雰囲気に包まれている。


旧市街にある大きな広場は、バシチャルシャ広場。
広場の真ん中には大きな水飲み場があり、地元の人、観光客が多く集まる賑やかな広場である。
バシチャルシァ広場には沢山のお土産屋やレストランやカフェがあり、どの店構えもセンスがあって目を和ませてくれる。


今日は日曜日。
インターネットで調べたとき、この国はユーロがかなり流通していて、商店、レストラン、交通機関、そしてどんなに小さな街ですらユーロで払えると書いてあったが、ところがどっこい、実際はUSドルもユーロも全然使えない。
現地通貨マルクでなければ、店のみんなは「ノー!」と言う。

しかも今日は日曜日で銀行が開いていない。
やむをえず銀行の入口付近でウロウロしている輩を捕まえて両替をする(つまり闇両替、実際は銀行よりレートが良いから得をする)。
やはり他人の情報なんかより、実体験の方が真実味があるよなあ。


夜になればここはライトアップされ、雰囲気がまた良くなる。


日本人からすれば、治安に少々問題ありげな国だが、未明までBARで飲んで千鳥足で夜道を歩いても、全く以て安全な国だ。
俺は日本人だから、金持ちに思われて、泥棒の標的にされるのが海外のセオリーだが、
この国の人々は一部の人を除いて日本人にさほど関心を示さない。
この国は民族が多いせいか、日本人も「その一部」として見られているのかもしれない。

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内戦の傷跡(ボスニアヘルツェゴビナ)

January 18 [Wed], 2012, 23:33

ボスニアヘルツェゴビナを訪れると、誰もが気づく。
20年前に起きた内戦の跡。
全てを蜂の巣のように撃ちまくられた民家の壁。
これを至る所で見かける。


故チトー大統領率いるユーゴスラビア連邦は、6ツの共和国の寄り合い所帯であった。
1991年に勃発した旧ユーゴ内戦は、ユーゴスラビア連邦の崩壊、各共和国の独立闘争であった。

2000年まで続いたユーゴ内戦の中で最も激しい戦火を交えたのは、ボスニアヘルツェゴビナ紛争であった(1992〜1995年)。
旧ユーゴ連邦では、5つの異なった民族が存在したが、ここではイスラム教徒、セルビア人、クロアチア人が激しく対立。
死者25万を越え、200万人もの難民を出し、ムスリム人(ボスニア人)女性に対するレイプや強制出産などが行われ、第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の紛争となった。

ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人とも、民族は「南スラブ人」である。
外見や言語の違いはなく、民族の違いは宗教だけである(セルビア人=セルビア正教徒、クロアチア人=カトリック、ボスニア人=イスラーム)。
かつては何の問題もなく共存共栄をしていたセルビア人・クロアチア人・ムスリム人が血で血を洗う戦いを繰り返した。
それまでは異なる民族同士の結婚も多く、人々は混ざり合って暮らしてきた。  
それが突如、家族や友人、恋人の間に壁を作った。

昨日までは夫婦だったのに今日からは敵同士。
昨日までは親友同士だったのに今日からは敵同士。
昨日までは恋人同士だったのに今日からは敵同士。

公の前で家族や友人を自ら殺さなければならなかったり、妻が公の前で集団レイプされたり。
言語に絶する悲惨極まりない内戦だったと聞く。

「今となっては、何のために戦ったか分からない」という声を聞く。
結局政治的な主導権争いに民衆が巻き込まれた形となった。
しかしその傷はあまりにも深い。
平和な日本に暮らす我々には、その銃痕の現実を理解することはできないだろう。
コソボ地域をはじめ、民族問題はいまだ完全に解決したとは言いがたい。
単一民族である日本人には、なかなか理解出来ない問題だ。


ここで、このボスニアヘルツェゴビナ紛争の内容を話す(文献を多少参考)。

1991年6月、クロアチアの独立宣言をきっかけに、クロアチア軍とユーゴスラビア連邦軍との間で武力衝突が勃発した(クロアチア紛争)。
それを機に、ボスニアヘルツェゴビナの独立を求めるムスリム人・クロアチア人と、独立に反対するセルビア人との間で対立が深まり、セルビア人は自治区を設立して独立の動きに対抗しようとした。
しかし、当時ムスリム人主導だったボスニアヘルツェゴビナ政府は自治区設立を認めなかったので、セルビア人との間で衝突が生じた。
そんな状況の中、セルビア人の反発を無視し、ボスニアヘルツェゴビナ政府は10月に国家宣言を行い、1992年2月、独立の賛否を問う住民投票を行なった。
住民投票は、セルビア人の多くが投票をボイコットしたため、90%以上が独立賛成という結果に終わる。
これに基づいて、ボスニアヘルツェゴビナは独立を宣言、4月6日にはECが独立を承認し、5月には国際連合に加盟した。
独立に不満を抱いていたセルビア人は、ECの独立承認をきっかけに大規模な軍事行動を開始し、翌日にはボスニア・セルビア議会がボスニア北部を中心に「スルプスカ共和国」の独立を宣言した。
これが紛争のきっかけである。

紛争の開始直後は、その数と装備の質において、ユーゴ政府の支援を受けるセルビア人勢力が優勢であった。
ムスリム人勢力は装備の質で劣り、クロアチア軍は数の面で劣っていた。
しかも、ムスリム人勢力とクロアチア人勢力は、必ずしも緊密に連携しているわけではなかった。
そのため、セルビア人勢力は、最初の攻勢でボスニアヘルツェゴビナ全土の6割を制圧し、首都サラエボを包囲する。
国際社会は、セルビア人勢力を支援するユーゴ連峰への制裁、サラエボへの人道支援などを行うが、戦局を動かすまでには至らず、92年はその状況が続いた。
1993年春、ムスリム人勢力とクロアチア人勢力の間での対立が深まり、クロアチア人勢力は同年8月にヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の樹立を宣言した。
セルビア人勢力と争う地域が少なくなっていたこともあり、クロアチア人勢力はセルビア人勢力と同盟を結ぶ。
これにより、ムスリム人勢力は一層の苦境に立たされた。

94年に入ると、アメリカの圧力によりクロアチア人勢力が再びムスリム人勢力と同盟を結んだ。
3月1日にはワシントンで、ムスリム人勢力・クロアチア人勢力の連邦国家が結成されることも決定された。
これは、アメリカによる対セルビア人勢力弱体化への第一歩であった。
4月10日から11日にかけては、NATOによるセルビア人勢力への空爆が実施された。
このNATOによる空爆に加えて、秋からは、アメリカによるムスリム人勢力・クロアチア人勢力に対する軍事援助も開始された。
これにより勢いづいたムスリム人勢力は攻勢に転じる。
この攻勢は一時的には成功したが、11月初めには早くもセルビア人勢力による反撃に遭い撤退を余儀なくされた。
これを支援するため、11月21日にNATOによる3度目の空爆が実施される。
繰り返される空爆に対し、セルビア人勢力は少数・軽武装で活動していた国連保護軍兵士を人質として拘束するという手段をとった。
これにより、国連保護軍に兵士を派遣しているイギリス・フランスと、さらなる空爆を求めるアメリカとの間で意見が対立し、NATOは機能不全に陥る。
紛糾した事態は、カーター元アメリカ大統領による和平交渉で打開された。
これにより、95年1月1日から4ヶ月の停戦が実現した。

1995年春、4ヶ月停戦の期限が切れると、再び激しい戦闘が始まった。
セルビア人勢力VSムスリム人勢力の間では、セルビア人勢力が最後の攻勢に出た。
一方、セルビア人勢力VSとクロアチア人勢力の間では、クロアチア軍と連携したクロアチア人勢力が優勢であった。
戦闘は、ボスニア・ヘルツェゴビナではなく、隣接するクロアチア国内のセルビア人居住区で行われた(嵐作戦参照)。
この間の5月から7月にかけて、セルビア人勢力の攻勢に対し、NATOはセルビア人勢力の拠点を攻撃することで対応した。
8月28日、サラエヴォ中央市場に砲撃が行われ、37人が死亡する事件が起きた。
この事件をきっかけに、NATOはこれまでにない大規模空爆・デリバリット・フォース作戦を実施する。
8月30日から9月14日までというこれまでにない長期なものであった。
この結果、セルビア人勢力は、クロアチア方面で敗退しただけでなく、ムスリム人勢力からの反撃を支える力も失った。
これにより、セルビア人勢力も和平交渉への本格的な参加を決定し、10月13日には停戦が実現して戦闘が終結した。


この3民族によるこの内戦の目的は、「民族浄化」と考えられている。
民族浄化とは、異民族を排除し、ある一定の地域を民族的に単一にしようとする政策である。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において、各当事者はそれぞれ自民族の勢力圏を拡大することを目的とし、紛争は「陣取り合戦」の様相を呈していた。
このような中で、安定的な自民族の勢力圏を確保し、支配地域から不安要因を取り除く目的で、自勢力の支配下に住む異民族を排除し、勢力圏を民族的に単一にする民族浄化が行われた。

民族浄化は、異民族に対する各種の嫌がらせや差別的な待遇、武器の没収、資産の強制接収、家屋への侵入と略奪、見せしめ的な殺人や強姦によって、その地域の異民族が退去せざるを得ない状況に追いやる方法や、強制追放、強制収容、あるいは大量虐殺によって物理的に異民族を地域から取り除く方法がとられた。
従軍可能年齢にある男性は各地で集団殺害や強制収容の対象とされた。
また、女性らは強制収容後、組織的にレイプを繰り返し、妊娠後暫くしてから解放することによって出産せざるを得ない状況に追い込まれた。
家父長的な男権社会の影響が残るボスニア・ヘルツェゴビナの村部では、女性をレイプによって妊娠させるこの方法は、効果的に異民族を排除する方法として用いられた。


モスタル市のスターリモストという橋のたもとには、「1993年を忘れるな」という英語のメッセージが刻んだ石があった。
アラビア語でもなくトルコ語でもなくボスニア語でもなく、英語である。
これは誰に大して言っているのだろうか?
しかし、「許すな」ではなく、「忘れるな」だから、少しホッとする。

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ボスニアヘルツェゴビナといえば…

January 11 [Wed], 2012, 1:01

旧ユーゴスラビアは7つの国境を持ち、6つの国と6つの民族、そして3つの宗教が共存する連邦国家だった。
中でもボスニアヘルツェゴビナは、3つの宗教をもつ民族が調和の取れた形で共存する、世界でも珍しいコスモポリタンな国だった。

皆さんはボスニアヘルツェゴビナと聞くと、何を想像するだろうか。
1984年の首都サラエボで行われた夏季オリンピックだろうか。
それとも、1990年代のあの不幸な内戦を思い浮かべるだろうか。
俺は後者だった。
理由は単純で、1984年当時俺は幼稚園児で、サラエボ五輪については全く知らないからだ。
しかし内戦については、当時のニュースや新聞の内容を鮮明に覚えている。
ただそれはマスメディアによる他人から聞いた情報である。

それにこの国についての情報は日本の旅行誌やガイドブックではあまりにも少ない。
某旅行誌には「地雷が埋まっているの注意」なんて書いてあるが、現実には、市民が生活する所の地雷処理はとっくに終わっているし、観光客が行くエリアには地雷なんか無い(旅行中に知ったことだが)。
しかも意外にも日本円が銀行で現地通貨マルクに両替可能だった(これも旅行中に知ったことだ)

俺はこの国について直に触れながら知りたかった。
それが今回この国に行った理由だ。


多くの人は、この国について内戦を連想するだろう。
俺もその一人だ。
実際に一番見たかったものは内戦の実情だ、内戦の記録だ。
しかしボスニアヘルツェゴビナの人々は、内戦のことなんかすっかり忘れたかのように、底抜けに明るく元気だ。
いやもちろん心の奥底に悲しい記憶としてちゃんと残っているだろう。
しかしボスニアヘルツェゴビナを訪れた外国人に対して、みんな悲しい過去を自ら話すことはしない。
そりゃ誰だって人前では明るくしたいよね。

そして内戦からまだたった20年しか経過していないのに、治安はかなり良い。
元々産業が少ないのでそれほど豊かな国ではない。
失業者も10%近くいると聞く。
しかし夜間ですら危ないと感じなかった。
内戦によって一部の人々は貧困であるにも係わらず、乞食や物乞いも予想以上に少なかった。

イメージが先行されることが多い国だが、実際はとても素晴らしい国だ。

そんなこんなで今回より、ボスニアヘルツェゴビナ旅行記がスタートします。
素敵な写真も登場しますので、乞うご期待!


タクシーのおっちゃん。
仕事中だというのに、ある行き先を探していた俺に付き合って一緒に探してくれ、そして街をガイドしてくれた。
ガイド料なんか一切請求してこなかった。
暇だったからか、親切心からなのか…。
しかし彼の答えは、「自分の国の良い所を外国人に見せたいのは本能だ。だって俺はこの国が大好きだから」と。


このあんちゃん、自分の先祖はトルコ人だと言う。
確かに15〜19世紀はオスマントルコの支配下だった。


内戦後に生まれた子供達。
彼らは内戦の体験をしていないが、親や教科書から事実をきっと聞いているだろう。
悲しみの過去を経た国だが、この子供達の明るい笑い声を聞くと、この国の未来はきっと明るい。
みんなこの国を愛しているからだ。

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俺がドライビールを嫌いな理由

January 07 [Sat], 2012, 1:03
ドライビールは、アルコール度数を従来のビールより高めにし、辛口(英語では"DRY")に仕上げたビールのことである。
最初のドライビールは1987年にアサヒビールが発売した「アサヒスーパードライ」である。
翌1988年に同業他社がドライビールを続々と発売したことで熾烈な販売合戦が行われ、これはドライ戦争と呼ばれた。

結果的に時代の新たな潮流を生むと確信してドライビールに取り組んだアサヒが消費者の圧倒的支持を受け、1988年の販売数量実績で7500万ケースを記録した「アサヒスーパードライ」の勝利でドライ戦争は終了した。
この好影響を受け、同年のビール市場占有率でアサヒはサッポロを抜き2位に上昇した。

ドライ戦争の勝者となったアサヒビールは引き続きドライビールに固執・集中した展開を進め、スーパードライが一時期停滞したものの1993年から2000年まで成長を続け、2000年代後半から2010年代前半においてもビール類市場において高い比率を誇る定番ブランドとなっている。
一方で、ドライ戦争で敗者となったアサヒ以外の各社は発泡酒や第3のビールにチャンスを見いだしていくことになる。

さて、本題に入ろう。ドライビールとはそもそも何ぞや?
それを説明する前にビールの基本的な作り方を説明する。
まず、ビールの原料は大麦の麦芽である。
大麦を水に漬けておくと、胚芽が胚乳部の物質を栄養にして成長し、芽を出し始める。
これが「麦芽」である。
この過程で内部に様々な酵素ができる。
乾燥して砕いた麦芽に水を加えておくと、内部の酵素が働いて、麦のデンプンをアルコール発酵に適する糖にまで分解する。
これを「マッシュ」という。
充分糖化したマッシュから麦芽のカスを濾過したものを麦汁という。その麦汁にホップを加え、沸騰させる。
それを冷却した後に酵母を加え、アルコール発酵を開始する。
10日ほど発酵を続けたあと、不純物を取って熟成させると、ビールができあがる。
ここでわかることは、正統なビールは原料には麦芽とホップしか使わない。

しかしドライビールの原料を見てください。
米やコーンスターチが入っている。
大麦だけを使うより原価が安く済むのと、味が軽くなるという理由で米やコーンスターチを使う。
これらは、乾燥して砕いた麦芽に水を加える段階で一緒に混ぜる。
だから麦芽100%より味が軽くなるし、薄くなる。

そしてドライビールのもう1つの特徴は、発酵度の高い酵母を使うことである。
発酵度の高い酵母を使うと、麦汁のエキスの中の糖類はより多くアルコールに変わる。
アルコール分は高くなり、糖分が減るから、味は辛口になる。

俺が人生で一番最初に飲んだビールはエビスである。
エビスは日本で数少ない正統なビールで、原料には麦芽とホップしか使わない。
エビスの味に舌がすっかり慣れていて、ある日ドライビールを飲んだ。
俺は最初の1杯目で感じた。
「ドライビールってのは味が無いビールなのか??」
皆さんも試してください。
エビスやプレミアムモルツを1杯飲んだ後にドライビールを飲むと、どんな味がするか。

ビールの本来のコクは麦の味である。
麦の蛋白質はアミノ酸やペプチドになり、それがビールの味のボディやコクを作る成分になる。
ドライビールにはそのアミノ酸やペプチドが少ない。
なぜならば、麦芽を少なくして、そのぶん米やコーンスターチを使えば、辛口で麦の味がしないビールができる。

「ドライビールは飲みやすい」と言う人がいるが、どんな飲み物を好もうと本人の自由だが、それは本来のビールから遙かに遠い飲み物であると、俺はその人に言いたい。

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キューバ、アミーゴ!(キューバ・ハバナ)

December 31 [Sat], 2011, 8:58

キューバに来て、1日1日についてこう思った。
「今この瞬間が最高に楽しい!」

キューバに来て、1日が終わるたびにこう感じた。
「今日という日をやり尽くした充実感で満ちている。」


この街に身を置いているだけで、俺は元気になれた。
この国の陽気で気の良い人達と一緒にいるだけで、心にエネルギーがわいてきた。
人なつっこくて、歌と踊りが大好きで、どこまでも人間臭いキューバ人と過ごした時間が、こんなにも愛おしく感じられるなんて…。

彼らは英語がわからない、俺はスペイン語がわからない、でも会話ができた。
「心が通じ合う」とはよく言ったものだ。



キューバ人は未来のことなんか考えない。
過ぎた出来事も考えない。
常に今を楽しむことを考えている。
今が楽しければそれで良い。
無責任に感じられるし、保身的で細密な日本人の思考では難しいことだろうけど、
人生を有意義に過ごすにはそれくらい楽観的な方が良いのかもしれない。

世の中には色々な人がいて、人の数だけ人生があるけれど、自分の人生を見つけた人が一番幸せだと、キューバのアミーゴに教えてもらった。


彼らはきっとこう考えている。
過去にどんなことがあっても、未来にどんなことが起ころうとも、それでも風は吹いている。

キューバ、アミーゴ!



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ハバナの夜をEnjoy!! (キューバ・ハバナ)

December 24 [Sat], 2011, 14:36

キューバの人はみんな音楽が大好き。
首都ハバナの街のあちこちにはライブハウスやクラブハウスがたくさんある。
営業時間はだいたいが夜9時くらいから開業し、翌朝5時くらいまで営業している。
俺もキューバに来てから毎晩のようにライブハウスやクラブハウスに行って、ビールやダイキリを飲みながら歌い踊っていた。
そして日が昇る頃に力尽きて、ホテル戻って少し寝て、日が高くなる前に目が覚めてまた活動。
そんな毎日を繰り返していた。
今思うと、よく体力が続いたもんだ。


キューバの老練音楽家達を描いた映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がある。
往年の音楽家がそれまでの自分達の人生を語り、楽団を結成して伝統音楽の「ソン」の名曲を演奏する話だ。
この映画は日本では2000年に公開され、キューバ音楽ブームを巻き起こした。
この「ソン」は4〜5人程度の小編成で演奏されることが多く、昼間でも街中で聴くことができる。
クラーベスという長さ20cm程の円筒形をした2本の拍子木で基本リズムを叩き、そこにギター、ボンゴという太鼓が加わり、マラカスを振る。
これらの楽器奏者が歌手、コーラス奏者を兼ねる。

昼間でも街中至る所でソンが聴けるので、歌い踊るのは夜だけではない。
結局キューバ人は24時間365日いつでもどこでも歌い踊る。
人目なんか一切気にせず。

俺も1日のほとんどを歌い踊っていた。
日本ではこれはできないよなあ。


キューバの若者達に人気があるのはサルサ・クバーナ(キューバのサルサ)で、「サルサ」という音楽は、ニューヨークで、キューバやプエルトリコ出身の演奏家が1960年代に始めたダンス音楽である。

ライブハウスの入場料はキューバ人にとって高額なので、どちらかというと外国人向けに上演されている。
それでは一般のキューバ人はどこで演奏を聴いて楽しんでいるのか。
誰でも無料で聴けるライブの一つに、祭りの特設会場でのバンド上演があり、人気のある楽団が地方を巡業する。
ハバナでは、サロン・ロサーダという数千人が収容できる野外劇場があって、人気バンドが出演すると満員状態になって白熱する。



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  • 現住所:千葉県
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【好きな食べ物】:フライドポテト、焼き鳥の皮、枝豆
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