ショートストーリー『祭り』 

July 22 [Wed], 2009, 22:22




「こんにちは」
駅のホームで僕は彼女に出会った。
ちょうどその日は近くで縁日があったらしく駅は浴衣姿の男女で溢れかえっていた。
遠くで花火の音が弾けて消える。
駅には大勢の人々がいたが、薄手のカーディガンを着た彼女もスーツ姿にネクタイを必要以上にきっちりと締めた僕も、祭りの余韻を引きずっている人々の中で、まるで異質な存在であるかのように浮いていた。
だからかもしれない。
僕は彼女に気付き、彼女もまた僕に気付いた。
お互いほぼ同時に相手の存在に気付いたのだろうが最初に声をかけてきたのは彼女の方だった。
「こんにちは」
彼女の歳はいくつだっただろうか?
職場で経理の書類作りを担当している彼女とプライベートな会話をしたことは数えるほどしかない。
わからないがそれでも実年齢よりも若く艶のある声だと思った。
「やあ」
と僕は片手を上げて酷く曖昧に微笑んだ。
職場以外で会う彼女にどう接すればいいかわからない。情けない話だ。
だが、彼女の方はそんなこちらの逡巡など気にもしていないようで、「どうしたんですか?お祭りに来られたんですか?」と笑顔で聞いてきた。
「いや、家がこの近くなんだ。今日はK建設から直帰のはずが随分と遅くなってしまってね」
僕はなんとか笑顔を返す。
もう時間は23時を回っている。
「そうなんですか」彼女はちょっと気の毒そうな顔をして「お疲れ様です」と言った。
「君こそどうしたんだい?こんな時間に」
「お祭り、見てたんです。少しだけのつもりがこんな時間になっちゃって」
なるほど、と僕はひとり頷く。
祭りの余韻を楽しむ人々から浮いていたのはどうやら僕一人だけだったようだ。
彼女とはその駅で別れた。別れ際、彼女が小さなビニール袋を持っていることに気付いた。
中では金魚が一匹、窮屈そうに泳いでいる。
僕はそんな彼女の祭りの余韻に手をふって、疲れた身体に最後の力を込めて家路を急ぐ。
どこかでまた花火が弾けて消えた。

ショートストーリー『峠道』 

March 11 [Sun], 2007, 20:25


急カーブをすべるようにして迫ってきた車のヘッドライトの光に私は目を細めた。
郊外の峠道には街中のような街燈もなく、そのせいか闇を切り裂くようなヘッドライトの灯はガードレールを背に佇む私の網膜を焼くほどに眩しく見えた。
車は軽いエンジン音を響かせながら峠道を登ってくる。
なかなか高級そうな車だった。外車だろうか?真っ黒なスポーツカー。それが私の姿をライトで照らしたまま急停車する。
「どうしました?」
車の運転席側の窓がゆっくりと開き若い男が顔を出した。
私は返事を返すのももどかしく、その窓の向こうの男の顔に力のない視線を送る。
どうやら車には若い男ひとりしか乗ってはいないようだった。
男は私の顔を見ていぶかしがるような顔で一瞬眉をしかめたようだったが、すぐに笑顔を作って、「どうしたの?こんなとこで」と今度は少しなれなれしい口調で訊いてきた。
私はそんな男の顔をもう一度見返した。
もう真夜中といってもさしつかえのない時間だし、そんな時間にこんな灯ひとつない峠道に女がひとりで立っていたのだから、いぶかしがるのも無理はないだろう。
普通なら気味悪がって素通りされても当たり前なのかもしれない。
それでも気にして声をかけてくれたのだから、この人は『いい人』なのだろうと思った。
たとえ男の視線がちらちらと私のミニスカートから覗く太ももに注がれていたとしても。
「よかったら乗せていってあげようか?タクシーだってこんなとこなかなか来ないぜ?」
男がニカリと白い歯を見せて笑うと車のドアを開けて降りてきた。すらりと足が長くて背が高い。車から降りるなり男は「寒いな」と身を震わせた。
またちらりと男の視線が私の太ももから胸にかけて注がれる。
それでも…。
この人は『いい人』だ。私はそう私に言い聞かせた。
だから私は男に打ち明けることにした。
「あの…」私の声に男が笑顔で顔を向ける。「実はここで前に事故を起こしてしまって、車がこの下に」
私は背にしていた少し色の真新しいガードレールの向こうの暗闇を指差した。そこは急勾配の深い崖のような林になっており一歩入れば山肌と樹木でまともに降りることもできない。もちろんあの日、ガードレールを突き破った私の車も無事にはすまず、今でもレッカーもできずにそのまま放置されている。
「ああ、ここは角度の微妙に違うコーナーが続いているから事故が起きやすいんだ。僕の友だちも前にこの近くで事故を起こして車をオシャカにしちゃったんだ」
男はそう言って、ガードレールから身を乗り出した。下は真っ暗闇だ。車のヘッドライトもそこまでは届かない。
「その車がちょうどこの下にあるの。ガードレールを突き破ったのよ、すごく怖かったわ」私は男の背中に向かって静かに言った。「その車にね、すごく大切なものを置いてきてしまったの。だから取りに行こうと思って」
男がごくりと唾を飲み込む。
「大切なもの?」
「ええ」と私は頷いた。「指輪、とても大切な指輪なの。でも私じゃこの崖は降りられなくて…」
私は懇願するように男の背中を見つめた。
男はしばらく黙ってガードレールの下を見ていたが、決心したように振り向くと、「そういうことなら僕が取ってきてあげるよ」とつとめて明るい声で言ってくれた。
「嬉しい」
本当に嬉しくて私は飛び跳ねたくなった。
ああ、やっぱりこの人は『いい人』だわ。
私は男に落ちた車の車種やある程度の位置を教えた。男は自分の車の中から懐中電灯を持ってくると、それで照らしながら恐々といった感じで長い足でガードレールを乗り越えて林の中を降りていった。
ああ、なんて勇敢な人なのでしょう。
なんて『いい人』なのでしょう。
私は男の降りていったガードレールの向こう側をじいっと身じろぎひとつせずに見つめていた。
あの人は見つけてくれるかしら?
車の中にある私の死体がつけたお気に入りの指輪。
もしも見つけてくれたなら、あの人を一緒に連れて行こう。
だってあんなに『いい人』なんだもの。

やがて林の中から男のつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
ああ、本当になんて『いい人』なのでしょう…。
私はやはり身じろぎひとつせず、にんまりと微笑した。

ショートストーリー『待ちぼうけ』 

February 06 [Tue], 2007, 1:11


昼間の駅前は日差しも強く2月半ばの気温としては暑いほどだった。
俺は駅前の改札口に突っ立って手持ち無沙汰に携帯電話のディスプレイを眺めていた。
「水曜日の10時に駅前改札のところで待ち合わせね。遅れたら承知しないから」
そう言った本人がもう約束の時間から30分近くも経つのにやってこない。
何度か電話したが呼び出し音がしばらく続いたあとに留守番電話サービスにつながるだけでどうにも埒があかなかった。
待ちぼうけ…という言葉が頭をよぎる。
別に腹は立たなかった。よくあることなのだ。
我ながら心が広いと思う。
もう1度電話して出なかったら近場の喫茶店にでも入って時間を潰そう。
どっちにしろあいつが観たがっていた映画の上映時間にはもう間に合わない。
そう考えて折りたたみ式の携帯電話を開いたときに不意に名前を呼ばれた。
「あ…」
振り向くと見たことのある女性が立っていた。
たしか高校の頃に同じクラスだった女子だ。たいして話したこともなかったけれど、なぜか顔だけは鮮明に覚えていた。
「やっぱり。高校のとき一緒だったの、覚えてる?」
彼女は綺麗な口紅のついた唇を動かしてニコリと笑った。
「ああ、うん、久しぶり」
俺も曖昧に笑い返す。心の中では「あれ?このコってこんなに綺麗だったかな?」なんて思っていた。化粧のせいか、それとも2年の月日が流れたせいか。
「なにしてるの?」
彼女ほうが訊いてきた。
「待ち合わせしていたんだけどさ、待ちぼうけ食らわされたみたいでさ」
「そうなんだ。私も待ちぼうけ…、というよりドタキャンかな」
俺は携帯電話をちらりと見た。相変わらず着信はない。
「もしかして彼女と待ち合わせだった、とか?」と彼女。
彼女の予想は的中だったけれど、なぜか言葉につまる俺。
それから当たり障りのないことを少し話した。
大学のこと。高校のときのクラスメイトのこと。
「あっ」と彼女はなにかを思いだしたようにハンドバッグの中から手のひらぐらいの大きさの包みを取り出すと俺のほうに差し出してきた。「これ、あげるね」
「なにこれ?」
「チョコレート」
ああ、今日はバレンタインかと思ったけれど、まさかこのコからもらえるとは思わなかったのでビックリした。
「もらっていいの?」
「うん」と彼女はひとつ頷く。「本当はね、違う人にあげるつもりだったんだけど、もう要らなくなったから。なんだか自分で食べるのも悲しいじゃない?」
クスリと笑った目元はどことなく弱々しい。
俺はなにも言う言葉が見つからず、ただ礼だけ言ってその包みを受け取った。
「じゃあね」
彼女はくるりと駅のホームに向かって歩いていく。
その背中はなんだか寂しそうにみえた。
このチョコレートは本当は誰が受け取るはずだったのだろう?
そのとき俺の心の中に妙な気持ちがふつふつとわいてきた。
彼女を追いかけて喫茶店にでも誘ってみようかと考えたのだ。
「傷心の女は落ちやすいぜ」なんてしたり顔で言っていたゼミの先輩の顔が思いだされた。
追いかけようと本気で足を1歩踏み出したときだった。
狙いすましたように携帯電話が鳴りだした。
なんだか出鼻をくじかれたような気分でため息を吐きながら受信ボタンを押して耳に当てる。
『もしもーし』と陽気な声が受話器から流れ込んできた。
「ちょ、おまえ、今、何時だと思ってんだよ?」
『ごめーん、寝坊しちゃってさ、今から行くから待ってて』
悪びれた様子など微塵も見せずに電話は一方的にまくしたてて切れてしまった。
自分が待たされたときなんかは泣いて怒るくせに勝手なものだ。
もっともそういう性格が、やっぱり俺は好きだったりするのだが。
ふと見ると、彼女は駅のホームに降りる階段で立ち止まってこちらを見ていた。
俺は仕方なしに手を振ってさよならをした。
彼女が消えたあと、手に持ったチョコレートをどうしようか迷った挙句、結局は食べてしまうことにした。証拠隠滅だ。
おそらく手作りのチョコレートはあまり甘くなくてどちらかというと苦かった。

ショートストーリー『鏡』 

December 03 [Sun], 2006, 1:20


鏡に映った自分の顔がゆがんで見えた。
鏡は便利だけどたまに迷惑。
なんでも映してしまうから。
真実だけを映すから。
頭の中で映画の中の女優みたいな魅惑のスマイルでウインクしている自分を思い描いてみても、鏡の中の私の微笑みは私の頭の中で思い描いたハリウッド女優顔負けのスマイルとは似ても似つかない。
そんな私の姿が鏡やショウウインドウ、電車の窓に映ったとき、私の認識は頭の中に思い描いた理想の私から現実の私へと引き戻される。
あなたの本当の顔はこれなのよ。
あなたの本当の姿はこれなのよ。
いつでも鏡の中の私は正しい。
間違っているのは、いつも私。
鏡は嘘をつかない。
嘘をついているのは、いつでも私。
「本当に融通が利かないな」
私は鏡に向かって話しかけた。
こんなときぐらい嘘でもいいから、頭の中に思い描いた理想の私を映してくれたっていいんじゃない?
今日、彼と別れた。
「他に好きなやつができた」って彼のほうから切り出してきた。
別にどうってことないじゃない。
ルックスもたいしてよくないし、いい加減でがさつでいつもヘラヘラしているようなやつだったから、別れてせいせいしたわ。
ふられたんじゃないの、こっちからふってやったの。
私は笑顔で彼に別れを告げて、清々した足取りで町を歩いて帰ってきた。
「ただいま」なんて明るく言っちゃってさ。

これが私の頭の中に思い描いていた理想の私。

だけど洗面台の鏡に映った私の顔はゆがんで見えて、目は真っ赤に腫れて化粧だって落ちちゃってた。
なんだ…泣いてたんじゃん、私。
バカ。
鏡は便利だけどたまに迷惑。
本当のことだけを映すから。
見たくないものまで映すから。

「鏡よ、鏡よ、鏡さん、世界で1番美しいのはだぁれ?」
私は鏡に語りかけた。
鏡はそれでも私の姿を映し続けている。
うそつき。こんな泣きはらした顔の女が世界一の美女なわけないじゃない。
私は鏡に嘘をつかせたことで満足した。
鏡の中の私は嘘をつかされたことが悔しいのか大粒の涙をいくつもいくつも流していた。
これは本当の私じゃない。
鏡だってたまには嘘をつくんだから。

鏡は便利だけどたまに迷惑。
本当の私を映してくれないから。

ショートストーリー『歩兵』 

December 01 [Fri], 2006, 14:29


歩兵の仕事は単純だ。
1歩、1歩、地道に戦場を進み、敵軍の兵隊たちが大群をしいて布陣している敵陣のその向こうにおぼろげに見える真っ黒いお城のテラスで優雅に戦場を見下ろしているであろう敵軍の王様の首を取ることだ。
「まったく暢気なものだよな。でんと構えちゃってさ」
なんて歩兵は不平を漏らしながらも、その目は王様の首を虎視眈々と狙っている。
敵軍の王様はこんな血みどろの戦場で汗まみれ泥まみれになっている敵軍や自軍の兵隊を尻目に女王様とウイスキーを酌み交わしているかもしれない。
まったくいやになっちゃうね。
でも、それならそれで好都合。
しとどに酔いつぶれた王様の首にこの手に持った剣を突きたてることだけを夢想して兵隊たちは突き進む。
「なあ、俺、帰ったらフィアンセに結婚を申し込むんだ」
「へえ、あの美人がOKするのかい?」
兵隊たちはそうやって血なまぐさい戦場でムリヤリ楽しい話をすることで己を鼓舞して戦場の恐怖を忘れさせるのだが、本当はそういう話は戦場では禁句でもあった。
だってそうだろう?幸せな未来が待っている者から戦場では早死にするっていうのが『お約束』ってやつじゃないか。
歩兵たちは自軍の勝利を信じて突き進む。
だが敵軍の兵隊たちも黙っちゃいない。
前進、前進、全軍とまれ。
戦場のど真ん中で両軍の兵隊たちはかちあわせ。
大乱戦に陥った。
「やあ、しまった、この場所はまずい」
「がんばれ、まだ攻め込む手はあるぞ」
「あっ……、やられたぁ」
ひとり、またひとりと兵隊たちが戦場から消えていく。
歩兵はそれでも手に持った剣だけを頼りに突き進む。
その真上をまるで飛び越えるかのように騎士の称号を得た兵隊がよく調教された愛馬に乗って駆け抜けていった。
「ようしこのまま敵城まで突っ込むぞ」
騎士は一気に敵軍に詰め寄ると戦場の中で孤立していた僧兵にその鋭い剣さばきで襲い掛かった。
敵軍の僧兵は慌てて斜め後ろに逃げようとしたが、もう遅い。
深々と騎士の剣が僧兵の身体を貫いて僧兵は言葉もなく戦場から消えていった。
どんなもんだいとばかりに騎士は剣を振りかざす。
だが、今度は敵軍の騎士が真っ黒な馬に乗って駆け上がってきたかと思うと、瞬く間に前線にいた兵隊たちを蹴散らして、騎士と騎士の一進一退のにらみ合いに突入した。
そんな騎士たちの睨み合いを横目に勇敢な歩兵が敵軍の城に飛び込んだ。
「あっ…」と驚いた声をあげたのは敵軍の王様。
王様のそばには強い女王様がいるけれど、敵軍の奥深くに斬りこんだ歩兵の敵じゃない。
なんて言ったってこちとら最前線を着実に進んできた歩兵なのだ。
戦場をその足で駆け抜けてきた歩兵はなんにでも成れるのだ。


「あ〜あ…」
友人がオーバーなリアクションで「参ったな」というポーズを取った。
「待ったはなしって言っただろ?」
僕はニヤリと笑って手に持ったポーンの駒で盤上に偉そうに踏ん反り返るキングの駒を小突いてやった。
「はい、チェックメイト」
キングの駒は盤上から転がり落ちて机の上で仰向けになった。
勇敢な歩兵が王様の喉元に剣を突き刺した瞬間だった。

ショートストーリー『汽車(2)』 

December 01 [Fri], 2006, 0:56


『汽車(1)』のつづき


ドッヂボールは僕の席のそばまでころころと転がってきたので、僕はそれを拾い上げた。
「あ…」と子供が僕のそばまで駆け寄ってくる。
「なんと、君も充分若くて気の毒ですがこんな子供まで乗っておるとは、なんともやりきれませんな…」
博士は近づいてきた子供の顔を見るなり顔をしかめてまたわけのわからないことを言った。
「ほら、こんなところで遊ぶなよ」
僕は拾い上げたドッヂボールを子供に返してやった。
「ありがとう」
子供はドッヂボールを受け取るとまたてんてんと転がしながら遊びはじめた。
やめろと言っても聞きやしないんだから困ったものだ。
「ボク、お父さんかお母さんは?」
たまりかねて問い詰めると子供は困ったように首を横に振る。
もしかして迷子なのかもしれない。
「お母さんとはぐれちゃったのかい?」
また子供は困ったように首を振る。
らちがあかない。
迷子…、なのだろう。
「どうしました?」
ちょうどそこにネコの顔をした車掌が通りかかったので、僕は子供が迷子になって困っていると車掌に詰め寄った。
この際、他にもいろいろ聞いてやろうと思ったとき、ネコの顔の車掌は「にゃあ」と一声鳴いて顔を洗うまねをしたあと、「よくわからにゃいことを言われる、あにゃた、切符はちゃんと持っていますか?」と詰問口調でにゃあにゃあと聞いてきた。
「き、切符?」
買った覚えもないのだから持っているはずがないのだが、全身をまさぐるようにして調べるとズボンの後ろのポケットから覚えのない紙切れが出てきた。
ネコの顔の車掌は「それですそれです」とひったくるようにして僕から切符を取り上げると蛍光灯にすかしてみて、「ああ、この切符じゃ終点までいけませんね。ここで降りてください」と、にゃあにゃあと言った。
「ここでって…」
僕がなにか言いかけたとき汽車は急停車した。
車窓から駅のホームが見えた。
「ほっ」と博士がまた空気の抜けたような吐息を漏らして、「さあ、切符をしっかりと持っておいで。お前はもう夢の鉄道の中でなしにほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければならない。天の川のなかでたった1つの、本当のその切符を決してお前はなくしてはならない」と大声でまくしたてた。
汽車のドアが開いたので僕は真っ暗な駅のホームに降りた。
ドッヂボールがてんてんと僕の足元まで転がってきた。
子供がじっとそれを見ていた。駆け寄っては来なかった。
ネコの顔の車掌がにゃあと鳴いた。
ふと、僕は車両の中に見知った顔を見つけて「あっ」と声を出した。
それは学生時代に仲のよかったクラスメートだった。
そいつはぼんやりとした顔で車窓から僕を見つめていた。
(やあ、久しぶりだな。顔色悪いな。どこに行くんだ?)
そう声をかけようとしたが、その前にドアが閉まって汽車は次の駅に向かって滑走していってしまった。
僕はそれをいつまでも眺めていた。
なんだか身体が軽くなったようだった。

目が覚めたとき白い天井が見えた。
身体がまったく動かなかった。
なんだか酸素ボンベみたいなものが口と鼻につながっている。
近くでピッピッピと電子音が鳴っていた。
蛍光灯の光がやけに眩しい。
自分がベッドの上に寝ているのだということだけは理解できた。
遠くで声が聞こえた。
「先生、3日前に交通事故で運ばれてきた患者さんの意識が戻りました」
じきに白衣を着た看護士が飛び込んできた。
「あなたは交通事故にあってとても危険な状態だったのです。でももう大丈夫ゆっくりと息を吸ってください」
看護士はそう言ってにっこりと笑った。

よくわからないな、と僕は思った。
僕は汽車から降りてどこだかもわからない駅のホームにさっきまで立っていたはずなのに…。

ショートストーリー『汽車(1)』 

December 01 [Fri], 2006, 0:41


目を覚ますと薄汚れた蛍光灯の鈍い光が網膜に射し込んできて頭がクラクラした。
鼓膜に響くガタンガタンという規則的で聞き慣れたレールを車輪が滑走する音で自分が汽車に乗っているのだと理解する。
どうやら僕は汽車の乗車席に腰掛けて目的地を目指しているうちに軽い睡魔に襲われほとほとと居眠りをしてしまっていたようだった。
はて…、と僕はそこに至って考えた。
奇妙なことに僕はこの汽車が何処行きのものかまったく思い出せないでいたのだ。
そもそも僕は何処に行くつもりでこの汽車に乗ったのであろうか。
いや、自分の記憶を顧みれば果たしていつ、どこで汽車に乗ったのかさえ覚えていない。
切符を買った記憶も自動改札を潜り抜けた記憶すらもない。
汽車は長いトンネルの中を滑走しているらしく黒く塗りつぶされた車窓には青白い顔で眉を八の字にした僕が映るのみで今が昼か夜なのかすらわからなかった。
それにしても長いトンネルだ。地下鉄なのかもしれない。
僕は慌ててズボンやコートのポケットに手をつっこんだ。
まず手に触れたのは財布だった。
次に携帯電話。画面を見たがトンネルの中だから表示は予想通り圏外だった。
携帯電話のディスプレイで今が19時42分であると知ることができた。
財布と携帯電話を持っていたことにとりあえず僕は安堵した。
だが困った事態であることに変わりはない。
「なにかお困りですかな?」
不意に声がして顔を上げると、向かい側の座席に座った小柄な老人が細めた目で僕の顔を覗き込んでいた。
「あの、少々お尋ねしますが、この汽車はどこに向かっているものでしょうか?どうもおかしなことを聞くと思われるかもしれませんが、なにしろ記憶がはっきりとしないものでして…」
「ほっ」と老人は空気が抜けたような吐息を漏らすと、「確かにこの汽車は国鉄なんかじゃありゃしませんな。だが『トンネルを抜けると雪国だった』なんてこともありゃしませんわな」とわけのわからないことを言った。
「ですから何処に向かっているのでしょうか?」
「ずいぶんお若いようですが、君はどうやってここに来たのかね?」
質問に質問が返ってきた。
若いことなど関係ないだろうし、質問をしているのはこっちだ。
ムッとしながら僕は「わかりません。覚えていないのです」と答えた。
「それはそれはお気の毒に」
老人はそういって本当に気の毒そうな目で僕を見た。
どうにも話が噛み合わない。
「ちょっと、ねえ、おじいさん」
そう呼びかけると今度は老人のほうがムッとしたような顔になって、「おじいさんという呼ばれ方は好きではありませんな。歳は…まあ見た目どおりに取っちゃあいますがな、まだまだもうろくはしとりませんでな。と言ってもそれもことここに至ればどうでもいいことではあるのですがな、そうですな…教授、いやいや、博士と呼んでもらいたいものですな」と語気荒くまくし立てたので僕はさすがに面食らってしまった。
「は、博士…ですか?」
僕が呆れて問い返すと、そのとおりとばかりに博士は首をガバチョと振って頷いた。
僕が、これはどうも困った人に話しかけてしまったみたいだぞ…と困惑顔を作っていると、博士はまるで大演説でもするように胸を張り、大声を出した。
「どんどんどんどん汽車は走って行きました。部屋中のひとたちは半分うしろの方へ倒れるようになりながら腰掛にしっかりしがみついていました。ジョバンニは思わずカルパネイラと笑いました。もうそして天の川は汽車の横手をいままでよほど激しく流れてきたらしく、ときどきちらちら光って流れているのでした。うすあかい河原なでしこの花があちこち咲いていました。汽車はようやく落ち着いたようにゆっくりと走っていきました」
まるでなにかを朗読でもしているかのような博士の声は静かな車両の中でわんわんとこだまして返ってくるほど大きかったのだが、誰も文句を言う乗客も現れなかったし、車掌が飛んでくることなかった。
「な、なんですか?天の川だの、カ、カルパネイラ?だの…」
「おや、ご存知ありませんかな?宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節ですわな」
「そんなの今は関係ないでしょう。なんなんだ、あんた」
わけがわからない。この自称博士は普通じゃないと思った。
とにかく次の駅で降りよう。
どこだってかまわない。
駅員に尋ねれば、この博士の100倍的確な情報を与えてくれるに違いない。
そう考えて博士の顔から目をそらしたとき、車両の中をてんてんとドッヂボールが転がってくるのが見えた。
小さな子供がそれを追って遊んでいる。
親の姿は見えなかった。


つづく

ショートストーリー『言葉』 

November 21 [Tue], 2006, 22:01
その蟲は僕の喉を通って唇をこじ開けると勢いよく飛び出した。
どす黒く醜いその蟲はひとつの意味をその耳障りな羽に乗せて狭い室内を飛び回り最終的に彼女の首にそのヌラヌラと不気味に蠢く長い尻尾を絡まらせて彼女を苦しめた。
「ひどい…!」
彼女の声。
だが、僕の口からは次々と醜い蟲たちが薄汚い意味をその羽に乗せて飛び出し、室内を飛び回る。
気持ちが悪い。
喉が鳴る。
また醜い蟲が這いずり回る。
僕の身体のどこにこれほど醜い蟲が巣食っていたのかと思えるほど僕は彼女に対して薄汚く、攻撃的で、醜い蟲たちを吐き続けた。
ケンカのきっかけなどもう今は思いだせないほどちっぽけなものだった。
それでも意地になった僕の口から這いずり回る醜くも意地の悪い蟲たちは涙をためて叫び返してくる彼女をしだいに傷つけていった。
僕の口から吐き出される蟲たちは加速度的に汚く醜くなり、そして止まらなくなった。
気づいたときには彼女はいなかった。
蟲は急激にしぼんで僕の喉の中に帰っていく。
彼女をズタズタに引き裂いたヌラヌラと不気味に蠢く蟲たちの尻尾が僕の喉を通るたびに引っかかって引き裂かれるような痛みを与えていく。
僕は彼女の出て行ったあとの半開きのドアを見た。
ズタズタに引き裂かれた喉からは優しい蟲は出てきそうになかった…。

ショートストーリー『穴(4)』 

November 18 [Sat], 2006, 18:05



(『穴(3)』のつづき)

 実家に帰るともう弔問客もみな帰ったあとだった。
 母は夕飯の味噌汁の具を台所でコトコトと煮込んでいた。
 父は新聞を読んでいるのかいないのかバサバサと広げたり閉じたりを繰り返していた。
 まだ暗くなるまでには少し時間がある。
 僕は納屋から手ごろなスコップを持ち出すと裏の畑へと回った。
 祖父の穴の場所はすぐにわかった。そこだけ色が違う。
 僕はスコップの先端をそこに埋めると思いっきり掘り起した。
 土は簡単に削れた。よほど慣らされていたのだろう。
 祖父はここにいくつの穴を掘っては埋めたのだろうか。
 やがて土が固くなってスッコプでは掘れなくなった。
 穴はちょうど僕の太ももぐらいまでの深さになった。
 どれだけ掘ってもなにも出てはこなかった。
 当たり前だろう。
 ここに入るはずだった祖父はもういないのだ。
 ここは祖父の墓穴だったのだろう。
 祖父は自分のために墓穴を掘っていたのだ。
 祖父がもうずっと昔から死を望んでいたとは思いたくはなかった。
 それでもやはりここは祖父の墓穴だったのだ。
 そしてこの穴を掘り終わったときに祖父は思うのだ。
 僕の、父の、母の、家族の顔を見て、やはりまだ死ねない…、まだ生きたい…と。
 だから墓穴はなにも埋められることなく閉じられる。
 だが、やはり次の日も、その次の日も、祖父は延々と自分のための墓穴を掘り続けたのだ。
 すべては想像でしかない。
 真実は祖父しか知らない。
 僕は祖父の泣きそうな笑顔しか知らない。
 そして幼い頃、自分の掘った穴の中で腰をおろして空を眺めていた祖父の寂しそうな背中しか知らない。
 
神がたとえ幻想だとしても、天に昇った祖父の魂の安らぎを僕は神に祈った。

そして、あの老人のことがやはり少し気になった。

ショートストーリー『穴(3)』 

November 18 [Sat], 2006, 17:59



『穴(2)』のつづき

「穴…?」
 僕の頭の中で穴を掘る祖父の姿が映しだされた。
 これは容易に思い描けた。子供のときから何度も見た祖父の姿。
「ええ。穴をね…、夜になると掘っていましたよ。君のおじいさまもね、生きてるやつは夜になると穴を掘るんです。穴を掘ってね、死んだ仲間を埋めるんです。墓穴…ですね」
「埋葬した…、ということですか」
 墓穴という言葉が脳裏にこだました。
「それもありますがね…」老人の顔がいびつに歪んだ。「臭くてね…、死体はすぐに腐敗してウジやハエがたかって臭くてたまらなかった。臭くてね、寝られなくって…、だから穴を掘って埋めたんですよ。それにね…」
 老人は何かに憑かれたようにそこまで言ってハッと我に返ったように顔を上げた。
 風が冷たかった。ひどく冷えた。
「君のおじいさまはご家族に恵まれて幸せだったでしょう。復員してからは本当につい最近までどこに居られるのかもわからなかったが…。この通り立派なお孫さんもおられて…」
 老人の語尾が宙に消えた。
「穴を…」
僕は搾り出すような声で唇を振るわせた。ようやく祖父の死という現実が感情として表に出てきたように思えた。そして気づいた。いや、本当はわからない。だけど気づいたような気がした。
「穴を掘っていました。祖父は、僕の記憶の中の祖父はずっと穴を掘っては埋め、掘っては埋めていました」
 涙がこぼれた。
 祖父の泣き出しそうな笑顔が脳裏によみがえった。
「そうですか…」
 老人はたいして驚くこともなく、まるで項垂れるみたいに頷くだけだった。
 この老人もそうなのかもしれない。
 ふとそう思った。
「もう行かなくては…」
 老人が立ち上がった。
「すいません、寒い中をお時間をとらせてしまって」
 僕が慌てて立ち上がって礼をのべると老人は初めて見せるような優しい笑顔で「いいんですよ、わたしも話を聞いてもらえてよかった」と微笑んだ。
 それから老人はゆっくりと足を引きずりながら歩み去るように見えたが、ふいに振り返ると、幾分逡巡した顔で、何度も唇を舐める動作をした。
 まるで何かを告白しようとして、ためらい、それでも…と悩んでいる子供のような老人の表情に僕はその場を動けなくなった。
 どれぐらいの時間そうしていたかはわからない。
 短い時間だったのだろうがその数分が非常に長く感じた。
 やがて老人がためらいがちに口を開いた。
「さっきの話ですがね、ジャングルで埋葬したって話。臭いももちろんあったんですが、理由はもうひとつあったんですよ。死体を見たくなかったんです」
 それは死体を見続けたい人間などよほど特殊な人間しかいないだろう。
 そんな僕の考えを読んだのか老人は首を横に振った。
「いや、そうじゃない。食料がなくて仲間の死体のね、指…、仲間が死んだら腐らないうちに両手両足の指をね、切って食べたんですよ。他にも食べられそうなところは焼いて食べました。今日、君のおじいさまが火葬されているのを見て、あのときのことを…、臭いまで思いだしてしまいました。いまさら恐ろしくて恐ろしくて震えが止まらなくなるんです。誰もが生きるために必死だった。言い訳じゃない。わたしたちはガダルカナル島をガ島と縮めて呼んでいました。『ガ』はね、飢餓の『餓』。餓島って呼んでいたんです。誰もが餓えていた。喰えるものなら何でも喰った。それでも恐ろしくて、だから穴を掘って隠したんです…。だから穴を…」
 だから穴を…。
 祖父の姿。だから穴を…。
 老人は一息にまくしたてるとまるで憑物が落ちたような顔で長く息を吐き出すと、「とうとうわたしだけになってしまった」とだけ呟くと背を向けて歩きだした。
 そしてもう2度と振り返りはしなかった。
 僕はしばらく呆然と立ち尽くしたあと、ベンチに座りなおした。
 そういえばあの老人の名前すら聞いてはいなかった。
 知りたいとは思わなかった。

 僕はベンチに腰掛けながら遠い昔、学生時代に国語の教科書で読んだ『野火』という小説を思いだしていた。

つづく
2009年07月
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