悪い意味で記憶に強く残っている、1995年。
1月17日に阪神淡路大震災があり、3月20日に地下鉄サリン事件が起きました。
その時の私は小学五年生になる前の10歳。
地下鉄サリン事件の翌日だったか、翌々日だったか…私は母と一緒に偶然東京を訪れました。
震災の影響で新幹線は一部不通、高速バスも一部一般道に迂回してという状況で、無理に今の時期じゃなくてもいいんじゃないという感じでしたが、まぁ、春休みだったので。
夜行バスで新宿に到着した朝は季節外れの雪が降って、正になごり雪だなんて言ってたっけ。
あのタイミングで東京に行ったのは観光などではなく、あるお医者さんに会うためでした。
私には1993年8月6日に判明した特発性血小板減少性紫斑病(ITP)という…まぁ、平たく言うと血小板が少ないけど原因も治療法も分からないよという持病があって、主治医が漢方薬中心の治療方針だったので、一度その筋の権威に診てもらっておいでと紹介された先生が渋谷にいたというわけ。
病気そのものに関しては中学生の頃に日常生活に差し障りがない程度になったんで今は楽観視してるんですが、あのタイミングで難病が判明したことで失ったものは多かったと今でも思う。
もちろんあの歳で入院して様々な病気の患者さんと交流したことで、生死や命について深く考えるようになったり、得たものも多かった。
ただ、例えば私の将来の夢は母と同じ体育の先生だったんだけど、球技全般、あるいは運動全般にドクターストップがかかることもあり、諦めざるを得なくなった。
もしかしたら中学、あるいは高校の時から改めて目指すこともできたんだろうけど…自分の努力とか才能以外の理由で夢を諦めなきゃいけなかったのは辛かったです。
体育や外遊びが大好きだったのに見学しなきゃいけなくなったり、外見が健康そのものなのに病弱スキルがある(=特別扱いされる)せいでいじめのターゲットになったり…まぁ、色々。
ただ、小学校高学年の時にクラスメイトや大人たちの計らいで、地域のドッジボール大会に外野限定で参加させてもらって人の優しさを実感したり、という思い出もあります。
今は、いいことも悪いことも全部含めて運命だったんだと受け止めてます。
現在進行形で私の人生を狂わせ続けている病気に比べたら…まだ希望がたくさんあったし。
でも、今の病気も、運命だと受け止めなきゃいけないんでしょうね。