今日の状況(3.27) 

March 28 [Tue], 2006, 5:06
今日は、先日行った施設の事でケアマネと母が電話で話し合った。


とりあえず急な話しなので、
「○野先生(ヤブ医者)に相談してみてください」と言う事で、私が夕方前から病院に

そこでちょうどヤブ医者(○野)を見つけたので、
紹介された病院では遠すぎて家族のケアが行き届かない。
ここのように呼び出しがかかっても行けない。
という事を全てお話した。

「今日話しですか?無理ですね」(終了しかけたので、オイ!待てよ!って止めた)

看護士が出てきたので
詳しく説明すると
「僕は受けないよ!」
「どうせまた振り回されるだけなんだから」

ちょっと待てよ!!!
オマエ今医者としての意見として言ったんだな!???
今言ったの暴言にも程があるだろう!!!!

先日父がこの医者の不当さに怒鳴りつけた事があったが、その通りだと感じた。

その後スグに看護士に
「病院として話しを聞く気はあるのですか?
 今振り回されるとかと言われたのですが、
 それは私達に言葉としてどういう事ですか???」

マジギレ。
でもムカつきとあまりの怒りに涙が出そうになった。

責任者よべ!!!!
と言いたかったのですが、この病院のこの科は医師が2人のみ。
(入院患者棟を持つ総合病院なのにありえますか???)
もぅ一人の医師も、ここまで酷くはないようなものの、突き放したような言い方しか出来ない医者。

もぅ本気で医者なんてアテにする物ではないと感じてしまった。

その後、このもう一人が来て、母に
「この症状ですと、やはり紹介した病院しか受けてくれませんよ」
(要介護5まで入れる寝たきりに近い人間もいる施設が、3の多少自立人間を入れないワケないだろ!)
「他の施設はマズ無理です」
(だから施設から、OK貰ったんだよ!)

と言いに来た。
母親も食い下がる事はなかったが、
医者の提供書が無いとどんなにOKを貰った施設でも入所する事が出来ない。
結局病院間・医者間のドロドロ、グチョグチョした関係に巻き込まれ、余所の施設に行かれるワケには行かないッぽい。

ってそれならもぅ少し良い言い方をすれば良いのに、もぅ分かりきった事をバリバリ見せてきて、バカかこいつら。
という気持ちで一杯だった。

今日の症状(3.26) 

March 27 [Mon], 2006, 5:51
今日は夕方から病院へ。

休日なので先に両親がお見舞いに行っていた。

私が病室に入って行くと、父親がTVで相撲を見ていた。
(ここ病室だぞ?何やってるんだ親父?←呆れ&嘆き中)

どうやら祖母は談話室で夕食中らしい。

向かうと母の姿も。

しかし後ろから見た図がおかしい。

・・・祖母の体が傾いていた。

「おばぁちゃん?傾いてるよ?」

挨拶もそこそこに食事中の祖母に切り出す。
・・・ほぼ無視。
というよりも意味が分かっていないようだった。

左半身に全く力が入らずに、体ごと左によってしまい、さらに何故か顔も45度以上傾いていた。

一度
「全く痛くないよ」
という返事を貰ったので、それじゃぁと母が首を支えて起こしてみると
「いたい、イタイ!!!」
と大声で怒り出し、無理だった。


もちろんそんな状態での食事も食べ辛いらしく、横からなので深めのお皿に入ってる食べ物が見えない。
そして右目&右手しか使えないのに左に寄ってしまっている為、届かないお皿がある。
いつものように、
「もぅいらない」
と言ってからも、色々とお皿の位置を変えて話しかけていればさらに食べはじめるハズが今日はなかなか食べなかった。

しかも右手も動かし辛くなっているのか、箸が上手く使えずにポロポロとこぼす。
今まで大きな物や掴みづらいものも箸にさして口をお椀に近づけて食べて居たが、今日は顔が傾いているので、それも上手く出来ないようだ。

極めつけは飲み物。
顔が傾いているのを本人に鏡を見せても気づかない為、いたって普通にお茶を飲もうとしても、半分はそのままアゴへビチャビチャとたれていく。

左麻痺の為か、左のほほが濡れて入る事もあまり気にならないようだ。

歯磨きも同様か、さらにひどくなり、洗面所は水浸しとなった。

あまりにも変わり方が酷かったため、看護士を呼んで聞いて見る事に。
しかし今日は安定剤の注射をするような事は起こっていないらしい。

看護士もおかしいと思ったのか、担当の医師を(たまたま当直で居た為)呼び、CTを撮った。

しかし、脳梗塞再発等と言う事も無く、
「これは薬の副作用ですね」
で終了。

でも薬の副作用でここまでなっても、それでもほおって置くのだろうか?

まぁあれだけヒドイ医者&病院なのでこの程度なのかもしれない。
でもこのままの祖母を見るのは哀れで仕方がない・・・。

今までの経緯F 

March 27 [Mon], 2006, 5:50
2ヶ月後。
相変わらず深夜の奇声等はあるものの、症状はだいぶ落ち着き、この大学病院の脳外科での治療も終了。

という事で晴れて、さらに1駅先の総合病院に転院。

今度の所はリハビリ科となるので、若い人から年老いた人までがいる。
これから祖母は頑張って自立・・・とまでは行かないが、杖を着いて歩けるくらいまでに回復してもらう予定だ。

ちなみに新しい病院。
今まで公立の系列・・・と言うわけでは無いが、そのような場所に指定されて居た場所で、かなりな名残が残っている様子。

まぁリハビリが出来るのであれば、病院とあまり関わりのない家族にとっては無い事と感じた。

概観&内装は、かなりキレイな建物で、個室も大部屋もかなり独立感がある。

まず、患者棟なのに、ナースステーションから患者の部屋が全く見渡せない

そして患者の部屋も廊下に続く部分に窓が無く(大部屋も入ってすぐにトイレ&洗面所)、廊下から患者の姿がほぼ全く見えない

ここはリハビリ科だからか?
と思ったが、どうやら全階同じような作りの様子。

コレで重病患者も居る大総合病院なのかと思うとかなりゾッとした

しかしこれはずいぶんと小さな事で、この病院への不信感・不満はこんな事では終わらなかった。

今までの経緯E 

March 27 [Mon], 2006, 5:49


始まったリハビリ。

しかし困った事に、祖母は左半身、得に左腕と持病だった膝の関節痛の痛みが激しいらしく(本人曰く)
動かそうとする度に、
「痛い・イタイ」
と始まり
なかなか思うようにリハビリが進まない状態にあった。

そこで担当医師から聞いた話の中で
リハビリ科が充実している総合病院がありますので、そこに転院しないか?
という話しだった。

もちろんリハビリ科に転院するのだから、脳外科での治療が完全に終わった状態でなくてはならない。

ただ祖母の状態が改善し、家に帰るために少しでも早く充実したリハビリ生活を送れれば・・・
と思い、転院を決めた。


これが私達の最悪の現状を生み出した一歩だったのかもしれない

今までの経緯D 

March 27 [Mon], 2006, 5:49
私は大学の卒業研究に終われ、祖母の状態はなかなか改善せずに2週間が過ぎた。

私「あの・・・そろそろリハビリの方は・・・?」
看護士「そうですね。そろそろだと思うのですが」
祖母「今日やったわよ」
私「え???」


連係が取れていないどころか患者の家族への連絡も何一つないまま、リハビリはいつの間にか始まっていた。

始めは動かない左半身を中心に足を持ち上げて動かしたり、手を握り合わせたりという簡単なモノからだったらしい。

そして何よりも言いたかったのは

看護士「血栓は結局大丈夫でした」
私「治ったんですね」
看護士「いえ、ありませんでした」
私「は??????」
看護士「足のむくみがひどく、血栓を気にしたのですが、先日外科医の方から心配は無いという連絡を受けましたので」

え?
だって2週間も・・・
身動きもほとんど取られずにいたんですが????


家族全員がブチキレモードでした。
ここに書くだけなら、簡単に聴こえますが、毎日看病に通い、祖母の事を気に病んでいた私達の2週間は一気に崩れ落ちた気がしました・・・。


やはり連係が取れて居ないだけでは無く、病院としての説明不足(聞くまで言わない・何があっても連絡が無し)、治療法に問題は無いのだろうかと不安と心配な気持ちで一杯になりました。

今までの経緯C 

March 27 [Mon], 2006, 5:48


深夜の奇声は治らない状態で起こった次の事件

足の「血栓」

いわゆるエコノミー症候群と言われるものらしい。

祖母の場合、今まで私よりも歩いているのではないか?
と思うくらい
数kmの距離なら自転車を使う等、かなり活発に生活していた。


それがこの数日は、脳梗塞で頭を動かさない方が良いという事でベットの上の生活を余儀なくされ、
排泄さえオムツになってしまった。

つい先日にオムツから、看護士が付き添い時のトイレ往復のみ体を動かす事が許されたばかりだった。

そこに来たのが全く使わなくなった足への血栓だった。

しかも最悪な事に、
入院している大学病院の外来にかかり(現在入院中の科は脳外科)
そこで治療をするという事になった。

渡された薬は軟膏。
すでに血行の良くなる点滴は脳梗塞治療で使用しているので、それ以外の処方はされないそう。

「これはどれくらいで動いてリハビリにうつれるのですか?」
「次の外来が2週間くらいですので・・・」
「2週間????」

外来にかかるので、2週間分の軟膏を貰い、次回また来てください。
で終わったらしい。

仮にも、同じ病院内の別の階に入院している患者なのに、2週間軟膏のみ渡してそれで終了。
それまで動かさずまた来てくださいはないと思う。

実際今回の血栓がなければ、もぅ数日でリハビリにうつれる用な状態だった。

それならば何故高い費用を出して入院をしなくてはならないのだろうか?
介護は大変かもしれないが祖母を家に戻してあげたい。
何故総合病院なのに、他科間でそのような連係がとれていないのか・・・


この不満は実は2週間後にさらにひどい状態となりも続く・・・。

今までの経緯B 

March 27 [Mon], 2006, 5:48
以上の状態から、数日が過ぎた。

現状は安定し、ただし病院内の徘徊、ベットからの転落が心配な為に、ベットでも車椅子でも転落防止のベルト型拘束具の使用を余技なくされた。

始めは戸惑ったが、祖母の安全を考えるとそれが良いのかもしれないと納得するしかなかった。

(余談)しかし、拘束治療は本来患者の家族の意思を聞き、何か承諾書みたいな物をかいてから始めるらしい。
現状ではどの状態が普通なのかはわからないが、ウチの場合は

看護師からの

「危険と判断したのでさせていただきました」
の一言連絡のみで終わった。

いささかどうな物なのか?
と思ったのは間違いではなかった様子。

しかし、実際にこういう事に慣れて居ない初めての家族にとっては病院のやり方に従わざるを得ないというのを痛感した。



そして起こった第一の事件。

深夜の奇声。

深夜祖母は寝ぼけるのか、ココが病院と分からずに奇声を上げ、大声で家族の名前を呼ぶらしい。
実際に私達がその現場を見た事は無いが、それからと言うものその奇声は毎晩続き、
それからは同部屋の患者さんの事も考え、消灯時間は明かりの灯るナースステーションにベットを移動し、眠らなくてはならなくなった。
しかしそれでも2時間起きには奇声を発し、トイレに行く。

結局精神科の薬を処方され、様子を見つつ・・・な夜の状態が続いた

今までの経緯A 

March 25 [Sat], 2006, 1:28
2005.12.30
病状がわかり、心配と不安とこれからの難題と・・・色々な事が頭を過ぎったが、
とりあえず祖母は入院という形になり、母は荷物を取りに家に帰った。


私は一人では心細かとうと思い、病室に残る。


お昼ごろに祖母は目を覚まし、空ろな瞳で
「アヤちゃん来てたのか・・・」
と言った。


昨晩倒れた時に作ったのだろう痣は、目の周りから体にかけて青さを増し、見ているだけで痛いたしかった。

とりあえず祖母に病状は告げずに、様子をみる事になった。


しかし、脳梗塞と言っても症状は様々で、
祖母に一番初めに見られた症状は

左半身の麻痺、
そして
左目の失明だった。


本人はまだ左側が見えて居ない事に気づかない。

しかし、つねに右側ばかりを向き、
食事は初日は私がやろうとご飯を口まで運んで上げると口の左側から、かんでいる物がポロポロと落ちた。


また口の中も、感覚がないようで、次の物をと口を開けてもらうと左側にはまだかめていない食べ物が残っていた。


つぶやくようにゆっくりと話し、舌が回らないのかうまく話せない、そして動けない。
今まで元気に家事もこなし、私よりも良く食べる祖母を思い出すと正直泣きそうな気持ちだった・・・。

今までの経緯 

March 25 [Sat], 2006, 0:36
今までの経緯

2005.12.30
毎朝朝食は我が家(隣に住む私の家)でとっている祖母が起きて来ない。

いつもなら5時近くには起きて、雨戸を明けて、6時にはウチに居る。
それがこの日は雨戸さえ空いていない。

まぁ休みの日だから・・・とあまり気にせずに朝8時まで待つ事に。

しかしさすがに心配になり、家を見に行くと・・・
鍵は内側からかけられている、雨戸も閉められている。

「おかしい・・・」
と思い、雨戸を力ずくでずらし、中を見ると倒れた祖母がわずかに見える。

おばぁちゃん!!

思わず叫んでみると、祖母はうつろな状態で、わずかに体を揺さぶった。

コチラから家の中に入るすべは無い。
入れるとしたら、雨戸と戸を壊すか、勝手口の戸とガラスを破るのみ。

しかし、気が動転してそこまでの発想も力も無く、わずかに意識のある祖母を呼び続け、何とか這って戸口の鍵を空けてもらう。

家に入って祖母に触れると、深夜に倒れたようで体は冷え切り、顔や体に大きな痣や赤身が大量にある。

どうやら深夜にトイレに行く最中に眩暈がして倒れたらしい。
途中何度か気づいて、
私達に助けを求めようと電話の部屋まで行こうとしては意識を無く、また気づいては這って部屋に近づき・・をくり返したらしい。
その為トイレの中のペーパーホルダーから、部屋の荷物までもが倒れていた。

動転したままの母が、

「病院に!」

と、叫ぶと
何故か祖母は

「絶対にイヤ!!」

と何故か頑なに叫ぶ。
まるで歯医者を嫌がる子供のようだった。


しかし、このままにしておくわけにはいかない。
無理やり妹に救急車を呼ばせ、祖母に着替えをさせた。
(本当は着替えをさせるのも戸惑ったが、どうやらトイレの中で意識を無くしたため、用をたせなかったタメ、少々着替えなくてはダメな状態だった)

救急車が来て、近くの大学病院に入るとそのまま点滴と検査。
あわてふためいた家族はやっと状況が少しわかり待合室の椅子で一息をついた。

その後、検査の結果、祖母は
脳梗塞
と判明した。
P R
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