アモーレス・ペロス 

February 12 [Thu], 2009, 21:28
挫折してから三年くらいたった。友人と会ったときに話題になったので最後までDVDで観た。
どうも好きになれない。だが、惜しい、という気もする。

たとえばカーチェイスになる直前、ガエル・ガルシア・ベルナルが撃たれた犬を車に運んだ後、引き返してきて犬を撃った金髪の男の腹をナイフで刺し、早足で逃げていき、車で走り去るというワンショットがあるが、それを締めくくるのは道路に落ちていた血の付いたナイフである。ここで「落ちていた」とあえて使うのは、落ちるところが映らないからだ。車が走り去り、それを追う金髪男の手下連中が車に乗ると、カメラは下を向く。すると地面には血の付いたナイフが落ちていたという具合だ。そしてカーチャイスへと展開する。このシーンの締めくくりをナイフにする意味は何なのだろうか…。いや、ナイフにする必要などないと思う。それより手下連中の車が発進し猛スピードで追っていくのをフォローし、カーチェイスへと展開させたほうが良いのではないかと思うのだ。このシーンで言えばナイフを捨てるんだったら捨てる動作を、そして勢いよく車の中に入っていくベルナルを見たい。それは確かにあの時間に起こっていたはずなのに、それが映っていないのは惜しいとしか言いようがない。

時間が少し飛ぶ。だが、飛んだ後(結果)よりも飛ばされた時間に何が起きているのか(過程)が重要な場合もある。ゴヤ・トレドが交通事故に遭い、足を負傷し車いすでの生活を余儀なくされるという状況の描き方についてこのことが言える。アルバロ・ゲレロがせっかく松葉杖を手に入れたというのに、車いすから松葉杖への移動のためにあったかもしれぬ二人の悪戦苦闘ぶりを飛ばしてしまうのは惜しいことだ。

そして何よりも惜しいと思うのは、車のシーンだ。この映画には車が使われるシーンがいくつかあり、映画全体を通してとても重要な役割を果たしているはずだ。だがいかんせん迫力が無い。なぜ無いのかは、映像だけで何とかなるもんではないからだ。追いかけられる側も追いかける側も必死に爆走しているし道路には別の車や通行人など様々な障害物があるし、そこでは様々な音声が入り乱れて響いてくるはずなのに、それが聞こえない。カーチェイスのシーンでは、カーステレオかなにかの音、ベルナルたちが叫ぶ声、ブレーキの時の摩擦の音が一回、これらの音がずっと流れている妙なBGMにかき消されるように籠もって聞こえてくる。ドリフトしながら曲がってくればその音が鳴るはずだし(曲がるのではなく曲がってくるのだ。このショットは外部からの視点であるから、確実に聞こえてくるはずなのだ)、周りの車がブレーキを踏んだり、ぶつかったりすればその音が聞こえるはずだ。だがかき消される。ただしそれは演出ミスとしてではなく意図してやったことだというのは明らかだ。だが迫力は損なわれる。それは仕方がないことだ。だから惜しいと思ってしまう。
また別のシーン、殺しの依頼をしに行く二人組が運転席と助手席で交わす長い会話がある。助手席の男が運転手の携帯電話を投げ捨てたあと、次のシーンへ移行するための繋ぎをどうしたかというと、外部の斜め上から走る車を捉える短いショットが挿入される。だが、そんなショットは必要ない。道路を走っていることなんてその前の長ったらしい会話の始まりから分かり切っていることだし、いまさら駆け抜けていくスピード感などいらないのだ。そんなショットは飛ばしてしまって車が到着するところから次のシーンへ移行した方がいい。エミリオ・エチェバリアが男を誘拐するところでも同じで、「車が走っていきます」と律儀に説明してくれているかのような外部からのショットを最後にちょこっと入れなくていい。

銀行強盗のシーンは、車内でベルナルの兄貴とその相棒がしゃべっているところからスタートする。相棒がバラクラバ帽を被ろうとして、それを兄貴が止めさせるというやりとりを見た時点でこの銀行強盗の成功は期待出来ない。だが、負傷すること、死ぬことは期待できる。二人組は勢いよく銀行へ入っていく。カメラの動きも加速する。二人組はすぐに拳銃を向ける。だとすればバラクラバ帽を被っていても良かったのではないかと思ってしまう。兄貴が撃たれて倒れる。相棒は逃げようとするが、銃で脅されて捕まってしまう。倒れた兄貴が二三回映る。初めのうちは意識があり正面を向いて苦しそうな表情をしている。しかし最後に映るときにはすでに絶命しているらしく、頭を横に倒している。ここでは時間は飛んでいないだろう。だが別の空間を見ていた間に、すでに兄貴は絶命していたのだ。……ジョニー・トーの「エグザイル/絆」では確かに死の瞬間が映っていた。同時期に公開されたジェームズ・グレイの「アンダー・カヴァー」でもカーチェイスの末に父親の死が映し出されていた。だが「アンダー・カヴァー」に関しては致命的な負傷から死までの時間が引き延ばされたかのような非現実感が少しあったと思う。だから、死の瞬間なんてそう簡単に表現できないのは分かっている。拳銃で胸を撃たれた男がどのように死んでいくかを間近で見たことが無い者にとって、そんな場面を描けるわけがないのかもしれない。だが、死んでいく姿を見つめたいと思ってしまう。もちろん僕はそんな光景を実際には見たことなど無いから、このような願いは単なる無い物ねだりなのかもしれない。

この映画は不安定な揺れる画面で構成されてはいるものの、揺らぐことのない安定が根付いていると思う。その安定感を特にエミリオ・エチェバリアに感じる。シナリオの構成上、エチェバリアが犬の治療をしたということがあらかじめ分かっている。だからエチェバリアが事故現場に居合わせ、助け出された負傷した犬を抱きかかえ荷台に乗せていくことに何の驚きも無ければ、その後一生懸命に治療してやっている姿にも、犬好きのいい人だとしか思えないし、だとすれば回復した犬が他の飼い犬を噛み殺し、怒って拳銃を向けようとも殺さないのは分かっていることだ。…とくれば延期されていた殺しも自ら引き延ばしておいて結局は行わないだろうとなるのだ。こういう状況では緊張感などない。ただ弛緩した時間を過ごさなければならない。だが結果が分かっていたとはいえ、それがどのように起こったか(または、どのようにして起こらなかったか)を飛ばさずに見せたという点において、車いすから松葉杖への移行や兄貴の死の場面とは異なる。今度は過程…エチェバリアがいかにして殺すのを止めたか…を見せたのだ。だが、そこに驚きはない。痛みもない。最後に拳銃を置いて行く。自分は関与しない。…この緩い展開を見ていたいとは思わない。

誘拐された男は良いことを言った。依頼主を殺せば大金をやるということを。だとすれば依頼主から金を巻き上げた後、依頼主を殺すか、殺したと男に伝えれば、さらなる大金を手に入れることができただろう。それをやらないエチェバリアは、やっぱりいい人なのだ。で、娘の部屋の枕元に手にした金を置いて、涙ながらに伝言を残してしまうわけだ。
P R
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