朝日平吾の鬱屈 中島岳志 (筑摩書房双書Zero)

January 15 [Fri], 2010, 22:55
    
 
朝日平吾という人を私は知らなかった。1921年9月28日、
安田財閥当主・安田善次郎をその自宅で刺殺した。朝日平
吾32歳。朝日はその場で自決した。


私は朝日平吾のことを長らく忘れていた。・・・・・・
ある時、私はこの人物をはっきりと思い起こすことになった。
それは2007年1月号の「論座」に掲載された赤木智弘の
「「丸山真男」をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望
は、戦争。」を読んだ時である。
赤木はここで、格差がゆるぎなく固定化されている現代日本社
会においては、戦争によって秩序が崩れ、社会が流動化し、
「国民全員が苦しみ続ける平等」が成立することこそが希望で
あると述べた。・・・・・・・
いわく、「31歳の私にとって、自分がフリーターであるという現
状は、耐え難い「屈辱」であり、人間としての「尊厳」を享受する
ことなどできない。・・・・・・とにかく「自尊心」が得られる生活が
したい。・・・・・・・・
私は、直感的に思った。
「朝日平吾の鬱屈と似ている」「あの時代の青年と何かがつな
がっている」と。
(はじめに 「希望は戦争」より)

朝日平吾によるテロ事件は様々なところに影響を与え、時代
の転換点となって行った。大正末の閉塞状況の中で、「一君
万民」思想にもとづく徹底した平等を追求した暗殺テロ・クーデ
ターの原型となるものであった。これに続くかのように、原敬首
相暗殺、五・一五事件、相沢事件、二・二六事件と時代は一
挙に戦争へとなだれこんでいった。


深刻な貧困問題が顕在化したとき、それに向き合おうとしない
資本家への遺恨は、一種のヒューマニズムに基づく「新時代の
理想」を生みだし、革新勢力を活気づけた。彼らは、様々な手
段で国家改造を模索し、平等社会の実現を夢見た。時に手
段としての暴力を容認し、テロを讃えた。・・・・・・・
朝日の存在感は、死後、革新的日本主義者の中でも大きくな
っていった。・・・・・・・・・

(第6章 テロルの時代 「昭和維新テロへ」より)

当時の日本社会は、厳しい不況の中、労働運動が激しくなり、
富豪への批判が高まっていた。構造的に貧困を作りだす社会
への批判が大きくなり、革新主義者の活動が活発になった。
・・・・・・・・・
私は、現代日本社会でテロが起きてほしくない。本当に起きて
ほしくなり。・・・・・・・・・
―――「希望は、テロ」
私たちは、その一歩手前に立っている。

(「おわりに」より)

90年前の社会と今がこんなに重なるとは驚きであった。よく言
われるように、今の不況は戦争に突入した当時とあまりにも似
ている。一人の青年、朝日平吾の鬱屈は今の青年の鬱屈とつ
ながっている。確かにそのとおりである。でも、繰り返さないでほ
しい。絶対に戦争を。「希望はテロ」の言葉を見つめて、ただ、
ただ、固まってしまう。
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