鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。  川上和人 (新潮社)  

June 16 [Fri], 2017, 22:46



噴火する火山の溶岩、耳に飛び込む巨大蛾、
襲い来るウツボと闘いながら、
無人島には泳いで上陸し、
吸血カラスを発見したのになぜか意気消沈。
空飛ぶカタツムリに想いをはせ、鳥の骨に恍惚とし、
増え続けるネズミ退治に悪戦苦闘する――
センセイ、ご無事のお戻り、祈念しております……(担当編
集者より)
(帯より)

本書は帯にベストセラー1位とある。ベストセラーになるに
はこれほど面白くないとダメなのかと思うほどである。

第一章 鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う
「1 わざわざ飛ぶ理由がみつかりません」はとても説得力がある

鳥はあまりに易々と飛行するため、その有能さが実感され
ない。しかし、彼らも人類も同じく重力の支配下にある。そ
の重力に逆らう飛翔は、間違いなく負担の大きな行動だ。


鳥は用事がなければ飛ばない。彼らは好きで飛んでいるわけ
ではないのだ。
こういう語り方でずんずん鳥の進化論に進んでいく。面白い。

鳥も大変なんだな……。
著者らが調査に出かけるのは小笠原諸島の無人島などであ
る。研究テーマもさることながら、調査地にたどり着くには
調査員たちの体力増強に頼るしかない。そして彼らの調査は
税金でまかなわれており、国民に伝える義務があると著者は
言う。この本を読んだ人には十分に伝わっています!

子規の音  森まゆみ  (新潮社)  

June 12 [Mon], 2017, 22:47


伊集院静さんの「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」 
(本日の本、2016.07.06)の印象がまだ濃いうちに本書を読
んだので、森まゆみさんの子規と伊集院さんのノボさんはま
るで映画を見ているように重なった。ノボさんの伊予弁と、
子規の生き生きとした動き。その一瞬を永遠のカメラに写し
たしたような俳句。子規の俳句の中には音が聞こえる。これ
は私にとって初めての体験である。
森さんの文章にはきっぱりとしたリズム感があって心地よ
い。それは森さんの生き方と同じだ。そのリズム感が子規の
俳句にぴったりと合う。

10年くらい前に森さんの作品を沢山読んだが、最後に読ん
だのは「女三人のシベリア鉄道」(本日の本、2009.06.04)
だった。森さんが選んだ、近代文学を代表する三人の女性作
家(晶子、百合子、芙美子)はエネルギッシュな生き方をした。
明治時代は男も女も怪物を生んだ。その中でも子規はダント
ツに明るく、エネルギッシュである。

子規は東京に出てきて数年で多くの人たちと出会い、その多
くが生涯の友となった。子規は自分の周りに人をひきつける
不思議な引力を持っていたのではないだろうか。

21歳の時に喀血してからは病から逃れるように句作にふ
けった。せっかく進学した東京帝国大学を退学して、菅笠、
草鞋姿で房総や木曽路を旅した。
 1895年、子規は医師が止めるのも聞かず日清戦争に従軍
し、帰国する船で喀血した。脊椎カリエス、肺結核、腸結核。
自分の身体が結核菌にのっとられて穴だらけになっても、子規
はひるまなかった。どうしてこんな力が出たのだろう。

言葉で世界を自分のものにするという喜びがその力だった
のだろうか。

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと
思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で
生きて居る事であった」(6月2日)

(「26 へちま咲く 明治35年」より)

漂流  角幡唯介  (新潮社)  

June 02 [Fri], 2017, 10:24


角幡唯介さんは山岳や極地での自身の冒険を本に書き、数々
の賞を受賞してきた探検家である。
空白の五マイル(本日の本、2011年10月16日)、
「雪男は向こうからやって来た」(本日の本、2011年10月19日)。

今回初めて「漂流というテーマで書いてみませんか」という
編集者の提案から取材に着手したという。
数多くある漂流の中で角幡さんが着目したのは、1994年、
フィリピン、ミンダナオ島沖合で37日間、漂流した沖縄の
漁船が、日本人の船長とフィリピン人乗組員全員で奇跡の生
還を果たしたケースだった。船長だった本村実さんの家を突
き止め取材依頼のため電話すると、木村さんの奥さんが電話
口で言うことには、本村さんは2002年にグアムで再び漂流、
今も行方不明という驚くべき事実であった。

「・・・・・じつは、十年前から行方不明になっているんです」
「えっ・・・・・・・!」
「前と同じように漁にでて帰ってこないんです・・・・・」
「・・・・・!」
「前みたいに漂流して・・・・・。グアムに行って、港を出
て、しばらくして帰るという連絡があったんですが。それっ
きり連絡がこないんです・・・・・」
(「序章 二つの漂流」より)

この驚きがあって、分厚い(430頁)本は途中で投げ出さ
ないで読み切った。今も木村実さんはどこかの小さな島で生
きているのかなと思いながら。

角幡さんの取材力がこの本を読ませる引力である。まず沖縄
で本村実さんの家族の話を聞き、その足跡を辿ってフィリピ
ンやグァムへも足を運んで本村実さんを知る人から話を聞
きだした。さらに自身もマグロ漁船に乗船して追体験をする。
私たちの想像を絶するほど厳しいものである。

劇場  又吉直樹  (新潮社)  

May 23 [Tue], 2017, 23:09


本書は『火花』(本日の本、2015.07.15)より先に書き始め
ていた又吉直樹さんの書かずにはいられなかった、一つの不
器用な恋の物語である。

「なあ」
「ん」
「寝た?」
「起きてるよ」
「手をつないでと言うたら明日も覚えてる?」
「うん?どういうこと?」
「明日、忘れてくれてんねやったら手つなぎたいと思って」
「手をつなぐことを恥ずかしいと思ってる人、永くんだけだよ」
・・・・
「永くん、なんで不思議そうにしてんの?自分がつなぎた
いって言ったんでしょ?」
「まだ迷っててんけど」
僕がそう言うと紗希は笑いながら、「本当によく生きて
来れたよね」と言った。


テレビで見る又吉もこんな関西弁でゆっくり話す。おまえ何してんねん、
と言われそうな雰囲気があって、永田君と又吉が重なる。

みずみずしい純文学作品の誕生である。

植物はそこまで知っている  ダニエル チャモヴィッツ, 矢野 真千子 (訳) (河出文庫)  

May 18 [Thu], 2017, 22:50


10年前から庭には琉球朝顔が育っている。琉球朝顔は冬に
枯れても地中に根を残す。初めは1本の朝顔だったが、今で
は5月になると庭のあちこちから蔓が伸びだす。庭には色々
な木があるが、朝顔は日当たりのいい木を選んで這い登る。
いつも犠牲になる木は垣根のそばにあるキンモクセイだ。私
は朝顔の蔓を別の所に絡ませようと試みる。ところが私が無
理やりに蔓をほどいて別の木にからませると、蔓を大きく揺
らしてそのうちに元の枝に戻っている。それでもその蔓を
ほどいたりすると、怒って(!)その蔓は枯れてしまう。

何回かこんなことを経験するうちに、琉球朝顔は毎年登る木を
決めているのではないだろうかと思うようになった。
琉球朝顔には目があるわけではないが、好きな木があって、
その木は庭で一番日当たりが良くて、2階のベランダにも登れ
るのだと分かっているのではないだろうか・・・
地中にあっても消えないような深い記憶がわが家の琉球朝
顔にはあるのではないだろうか・・・

私が一番知りたかったことをこの本は教えてくれた。琉球朝
顔の持っている不思議な能力、私が触ったことを覚えている
かのようなふるまい方などがずいぶん理解できた。

視覚、聴覚、嗅覚、位置感覚、そして記憶―多くの感覚を駆
使して、高度な世界に生きる植物たちの知られざる世界を紹
介。知能が問題なのではなく、植物たちが「知っているか」
という意味では、科学が確かに証明している。光や色も、香
りも、人間が手で触れたときの感触も、重力の方向も、以前
にかかった感染病や寒かった気候の記憶も、「知っている」
のだ。
(帯より)

私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝  中原一歩 (文藝春秋)  

April 22 [Sat], 2017, 22:44


小林カツ代さんが倒れてからテレビが淋しくなった。9年間
療養の後、亡くなって3年が経つ。1937年、製菓材料を扱
う大阪・堀江の卸問屋の「こいさん」として生まれた。料理
上手の母と食道楽だった父の下で鍛えられた味覚を武器に
20歳で結婚した主婦が料理研究家になるまでの話は面白
い。結婚するまでに味噌汁も作ったことがなかった女性であった。

人気番組「料理の鉄人」で鉄人を破ったこと。テーマはジャ
ガイモ。1時間で作った7品には時短レシピとして有名なカ
ツ代流の肉じゃがも含まれていた。 

テレビ収録前の裏話が面白い。番組スタッフともめたという
のだ。原因は「主婦として」「主婦の頂点に」などの言葉を
ちりばめたナレーションの原稿だった。
 「それだったら、私は出ない。帰る!」「私は料理研究家・
小林です」「主婦ということで私のステイタスを上げようと
しているのなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか。
まして、この番組はプロとプロの戦いだから面白いのであっ
て「鉄人」にも失礼じゃないですか」と言ったという。

彼女は主婦でもシェフでもない、家庭料理のプロだった。本
書はそんな逸話が満載の評伝である。

ゆらぐ玉の緒 古井由吉 (新潮社)  

April 17 [Mon], 2017, 23:30


古井由吉さんは私よりも4歳年上である。その4歳がとても
大きい。亡くなった私の兄の年齢である。兄は戦争中のこと
を実によく覚えていた。古井さんは自分の家が焼けるのを目
の前で見ていた。防空壕も丸焼けになった。その記憶は何歳
になっても消えない。老齢になって病いに倒れ、長い夜には
空襲の夜の出来事がよみがえり、時鳥の声に亡き母の夜伽ぎ
が去来する。

今を生きる8篇は研ぎ澄まされた自然界の描写が背景にあ
る。植物についての描写が際立っている。気象についても
緻密な分析を面白いと思う。去年の今頃と同じだとか、
桜の頃の寒さに震えるとか・・・・。私も年をとるたびに京
都の冬が寒くて、やっと越えたと思った冬が舞い戻る花冷え
に怒りさえ覚える。

「目次」
後の花
道に鳴きつと
人違い
時の刻み
年寄りの行方
ゆらぐ玉の緒
孤帆一片
その日暮らし

私は読みながら彼岸と此岸を行き来するような気分になる。
自分の生きる時間が刻々と縮まるという感覚をこの頃抱く
ようになってから、昔よりも生きることに執着している。見
たかった花がやっと開いたと思うと、来年もこの花を見よう
と思う。

切腹考 伊藤比呂美 (文藝春秋)  

April 12 [Wed], 2017, 15:06


15の短篇から成っていて最初は「切腹考」。冒頭からいきなり、

世の中に切腹愛好家多しといえども、実際に生の切腹を見た
ことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとり
なのだった。
そのことは「ハラキリ」という詩に書き、それは英語にも独
語にも翻訳された。外国にいって朗読するときは、ついでに
「切腹」を見た話もする。みんな喜ぶ。おおうっとか、キャ
ーとか言いながら、ぐろーすなどと口の中でつぶやいている。
・・・・・・・・・
昔、子どもだった頃、洟を垂らした男の子に路地裏で出くわ
すと、毛虫やらみみずを持って追いかけてきた。
・・・・・・
今、わたしは外国に住み、英語を使って日々をくらしている。
ときどき大学や詩祭に呼ばれていって、詩の朗読をする。詩
は日本語で読むが、しゃべりは英語で入れる。日本語はたい
ていの聴衆に理解されない。英語は訛りきっている。どんな
に努力しても直ることのない、直すつもりもない、訛りなの
である。聴衆は黙って聞いている。
・・・・・・・・・
聴衆は、席を立つこともなく、詩らしいが、何を言っている
のかよく解からないがという不安にもみくちゃになりなが
ら、聴きつづけていなければならない。そういう人たちにむ
かって、切腹の見聞を語るのは、ある種の快感があった。ど
んな快感かと考えてみたら、あの洟をたらした少年たちの気
分だったのである。英語で言えば、いや、言わなくてもいっ
こうにかまわないが、リべンジというやつだ。

(「切腹考」より)

書き写しながら、これまでに読んできた伊藤比呂美さんの作品と
同じように波動のような心地よい文章にしだいに酔っていく。

切腹好きの比呂美さんは、切腹に導かれて森鴎外の世界に分
け入っていく。鴎外作品に登場する切腹には、「痛いの苦し
いのとは一言も書いてない」と比呂美さんは気づく。ただ黙
って切って死ぬ。

幼少時を武家文化の中で育った鴎外は後半生、切腹する武士
をぞくぞくと書いた。彼らは黙って襲われ、腹を切り、死に
ゆく。 この冷静。この無音。ここに鴎外の深い何かがある。

ここで熊本地震が起こる。友だちとのメールのやりとりが
生々しい。熊本の比呂美さんの家は全壊ではなかったが、使
える部屋は一時被災した人が住んだ。

同時進行で比呂美さんはカリフォルニアの家で夫を看病し
ている。夫は日に日にどんどん悪くなる。痛い。動けない。
私は夫の悪かった頃を思い出して目が吸いつけられる。

帯にあるとおり、「誕生、離別、天災……無常の世を生きる
ための文学。熊本から異国の空へ、新たな代表作の誕生! 」



冬の日誌 ポール・オースター、柴田元幸(訳) (新潮社) 

April 03 [Mon], 2017, 22:40


ポール・オースターの作品の中で思い出すのは「ナショナル・
ストーリー・プロジェクト」(本日の本2005.12.14)である。
オースターはラジオ番組の中で全米から自分の経験
した物語を募った。そして物語はラジオ番組で朗読された。
その放送を聞いた人がぞくぞくとオースターに送ってきた
物語から選んで編集した180の実話からこの本は生まれ
た。普通の人々の物語の断片が大きなうねりになって、アメ
リカ社会に感動を与えた。

本書で私たちはオースターの肉体的記憶の断片がオースタ
ーという一人の人間を形成していることを知る。思い出さな
いように心が封印している記憶であっても、身体は忘れていない。

心と肉体の関係は、オースターにとっては言葉と肉体の関係
である。一年以上一篇の詩も書けない状態に陥った時、再び
言葉を取り戻す瞬間がある。それはとても感動的な瞬間である。

真夜中のパリで、電話交換手の仕事を終えたオースターは孤
独に耐え切れず一人の娼婦と過ごした。ベッドの中でオース
ターが、詩を書いていると告白すると、不意に彼女がボードレール
の詩の一節を暗唱しはじめる。娼婦の声はオースター
に特別な一瞬をもたらした。ついさっき味わった肉体の快楽
など比べ物にならない幸福な感覚に満たされたのだ。

“とにかく書くことができる限り、どこでどう暮らそうと
違いはなかった”。

不時着する流星たち 小川洋子 (KADOKAWA)  

March 19 [Sun], 2017, 22:14


もしかしたら私はちゃんと物語を分かっているのだろうか
と戻って読み直すほど不思議な短編集である。各篇の最後に
はそれぞれのストーリーを書く上で触発された実在の人物
の記憶が紹介されている。これがとても楽しみで、問題の解
答を先に見てしまうような後ろめたさを感じながら、つい先
に読んでしまう。この文があることで、空想の物語は現実の
世界とつながっている。大好きな小川ワールドの秘密をここ
で知る。

第十話の「十三人きょうだい」がとても印象的であった。
第九話までは触発された人物は全部外国人であったが第十
話ではなんと尊敬する植物学者・牧野富太郎さんであった。
寿衛(すえ)夫人との間に13人の子どもをもうけた。夫人の没後、
その名にちなみ新種のササを「スエコザサ」と命名したエピ
ソードにヒントを得たファンタジーである。

少女には大好きな叔父さんがいる。叔父さんは13人きょう
だいの末っ子である。だが、子だくさんの祖父母は叔父に名
をつけ忘れ、誰もその悲劇に気づかないままという設定であ
る。少女は「サー叔父さん」と呼んでいる。

〈名前がないなんて、かわいそう〉
〈この世にあるものは何だって、神様が創った時には別に名
前なんてないんだ。でも人間は神様ほど頭が良くないから、
区別をつけるのに便利なように名前をつけているだけさ〉
〈木陰に笹が生えてる。スエコザサだ。初めて発見した植物
学者が、病気の奥さんの名前をつけたんだ〉

(第十話の「十三人きょうだい」より)

私は散歩して見つける植物の写真を撮っている。名前を調べ
て、学名の最後に,Makinoとついているととてもうれしい。
そして雑草の名前の和名にも牧野さんの名づけたものがす
ごく多い。沢山の植物の名づけ親になった牧野さんは13人
の子どもの父親であったことを初めて知った。