劇場  又吉直樹  (新潮社)  

May 23 [Tue], 2017, 23:09


本書は『火花』(本日の本、2015.07.15)より先に書き始め
ていた又吉直樹さんの書かずにはいられなかった、一つの不
器用な恋の物語である。

「なあ」
「ん」
「寝た?」
「起きてるよ」
「手をつないでと言うたら明日も覚えてる?」
「うん?どういうこと?」
「明日、忘れてくれてんねやったら手つなぎたいと思って」
「手をつなぐことを恥ずかしいと思ってる人、永くんだけだよ」
・・・・
「永くん、なんで不思議そうにしてんの?自分がつなぎた
いって言ったんでしょ?」
「まだ迷っててんけど」
僕がそう言うと紗希は笑いながら、「本当によく生きて
来れたよね」と言った。


テレビで見る又吉もこんな関西弁でゆっくり話す。おまえ何してんねん、
と言われそうな雰囲気があって、永田君と又吉が重なる。

みずみずしい純文学作品の誕生である。

植物はそこまで知っている  ダニエル チャモヴィッツ, 矢野 真千子 (訳) (河出文庫)  

May 18 [Thu], 2017, 22:50


10年前から庭には琉球朝顔が育っている。琉球朝顔は冬に
枯れても地中に根を残す。初めは1本の朝顔だったが、今で
は5月になると庭のあちこちから蔓が伸びだす。庭には色々
な木があるが、朝顔は日当たりのいい木を選んで這い登る。
いつも犠牲になる木は垣根のそばにあるキンモクセイだ。私
は朝顔の蔓を別の所に絡ませようと試みる。ところが私が無
理やりに蔓をほどいて別の木にからませると、蔓を大きく揺
らしてそのうちに元の枝に戻っている。それでもその蔓を
ほどいたりすると、怒って(!)その蔓は枯れてしまう。

何回かこんなことを経験するうちに、琉球朝顔は毎年登る木を
決めているのではないだろうかと思うようになった。
琉球朝顔には目があるわけではないが、好きな木があって、
その木は庭で一番日当たりが良くて、2階のベランダにも登れ
るのだと分かっているのではないだろうか・・・
地中にあっても消えないような深い記憶がわが家の琉球朝
顔にはあるのではないだろうか・・・

私が一番知りたかったことをこの本は教えてくれた。琉球朝
顔の持っている不思議な能力、私が触ったことを覚えている
かのようなふるまい方などがずいぶん理解できた。

視覚、聴覚、嗅覚、位置感覚、そして記憶―多くの感覚を駆
使して、高度な世界に生きる植物たちの知られざる世界を紹
介。知能が問題なのではなく、植物たちが「知っているか」
という意味では、科学が確かに証明している。光や色も、香
りも、人間が手で触れたときの感触も、重力の方向も、以前
にかかった感染病や寒かった気候の記憶も、「知っている」
のだ。
(帯より)

私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝  中原一歩 (文藝春秋)  

April 22 [Sat], 2017, 22:44


小林カツ代さんが倒れてからテレビが淋しくなった。9年間
療養の後、亡くなって3年が経つ。1937年、製菓材料を扱
う大阪・堀江の卸問屋の「こいさん」として生まれた。料理
上手の母と食道楽だった父の下で鍛えられた味覚を武器に
20歳で結婚した主婦が料理研究家になるまでの話は面白
い。結婚するまでに味噌汁も作ったことがなかった女性であった。

人気番組「料理の鉄人」で鉄人を破ったこと。テーマはジャ
ガイモ。1時間で作った7品には時短レシピとして有名なカ
ツ代流の肉じゃがも含まれていた。 

テレビ収録前の裏話が面白い。番組スタッフともめたという
のだ。原因は「主婦として」「主婦の頂点に」などの言葉を
ちりばめたナレーションの原稿だった。
 「それだったら、私は出ない。帰る!」「私は料理研究家・
小林です」「主婦ということで私のステイタスを上げようと
しているのなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか。
まして、この番組はプロとプロの戦いだから面白いのであっ
て「鉄人」にも失礼じゃないですか」と言ったという。

彼女は主婦でもシェフでもない、家庭料理のプロだった。本
書はそんな逸話が満載の評伝である。

ゆらぐ玉の緒 古井由吉 (新潮社)  

April 17 [Mon], 2017, 23:30


古井由吉さんは私よりも4歳年上である。その4歳がとても
大きい。亡くなった私の兄の年齢である。兄は戦争中のこと
を実によく覚えていた。古井さんは自分の家が焼けるのを目
の前で見ていた。防空壕も丸焼けになった。その記憶は何歳
になっても消えない。老齢になって病いに倒れ、長い夜には
空襲の夜の出来事がよみがえり、時鳥の声に亡き母の夜伽ぎ
が去来する。

今を生きる8篇は研ぎ澄まされた自然界の描写が背景にあ
る。植物についての描写が際立っている。気象についても
緻密な分析を面白いと思う。去年の今頃と同じだとか、
桜の頃の寒さに震えるとか・・・・。私も年をとるたびに京
都の冬が寒くて、やっと越えたと思った冬が舞い戻る花冷え
に怒りさえ覚える。

「目次」
後の花
道に鳴きつと
人違い
時の刻み
年寄りの行方
ゆらぐ玉の緒
孤帆一片
その日暮らし

私は読みながら彼岸と此岸を行き来するような気分になる。
自分の生きる時間が刻々と縮まるという感覚をこの頃抱く
ようになってから、昔よりも生きることに執着している。見
たかった花がやっと開いたと思うと、来年もこの花を見よう
と思う。

切腹考 伊藤比呂美 (文藝春秋)  

April 12 [Wed], 2017, 15:06


15の短篇から成っていて最初は「切腹考」。冒頭からいきなり、

世の中に切腹愛好家多しといえども、実際に生の切腹を見た
ことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとり
なのだった。
そのことは「ハラキリ」という詩に書き、それは英語にも独
語にも翻訳された。外国にいって朗読するときは、ついでに
「切腹」を見た話もする。みんな喜ぶ。おおうっとか、キャ
ーとか言いながら、ぐろーすなどと口の中でつぶやいている。
・・・・・・・・・
昔、子どもだった頃、洟を垂らした男の子に路地裏で出くわ
すと、毛虫やらみみずを持って追いかけてきた。
・・・・・・
今、わたしは外国に住み、英語を使って日々をくらしている。
ときどき大学や詩祭に呼ばれていって、詩の朗読をする。詩
は日本語で読むが、しゃべりは英語で入れる。日本語はたい
ていの聴衆に理解されない。英語は訛りきっている。どんな
に努力しても直ることのない、直すつもりもない、訛りなの
である。聴衆は黙って聞いている。
・・・・・・・・・
聴衆は、席を立つこともなく、詩らしいが、何を言っている
のかよく解からないがという不安にもみくちゃになりなが
ら、聴きつづけていなければならない。そういう人たちにむ
かって、切腹の見聞を語るのは、ある種の快感があった。ど
んな快感かと考えてみたら、あの洟をたらした少年たちの気
分だったのである。英語で言えば、いや、言わなくてもいっ
こうにかまわないが、リべンジというやつだ。

(「切腹考」より)

書き写しながら、これまでに読んできた伊藤比呂美さんの作品と
同じように波動のような心地よい文章にしだいに酔っていく。

切腹好きの比呂美さんは、切腹に導かれて森鴎外の世界に分
け入っていく。鴎外作品に登場する切腹には、「痛いの苦し
いのとは一言も書いてない」と比呂美さんは気づく。ただ黙
って切って死ぬ。

幼少時を武家文化の中で育った鴎外は後半生、切腹する武士
をぞくぞくと書いた。彼らは黙って襲われ、腹を切り、死に
ゆく。 この冷静。この無音。ここに鴎外の深い何かがある。

ここで熊本地震が起こる。友だちとのメールのやりとりが
生々しい。熊本の比呂美さんの家は全壊ではなかったが、使
える部屋は一時被災した人が住んだ。

同時進行で比呂美さんはカリフォルニアの家で夫を看病し
ている。夫は日に日にどんどん悪くなる。痛い。動けない。
私は夫の悪かった頃を思い出して目が吸いつけられる。

帯にあるとおり、「誕生、離別、天災……無常の世を生きる
ための文学。熊本から異国の空へ、新たな代表作の誕生! 」



冬の日誌 ポール・オースター、柴田元幸(訳) (新潮社) 

April 03 [Mon], 2017, 22:40


ポール・オースターの作品の中で思い出すのは「ナショナル・
ストーリー・プロジェクト」(本日の本2005.12.14)である。
オースターはラジオ番組の中で全米から自分の経験
した物語を募った。そして物語はラジオ番組で朗読された。
その放送を聞いた人がぞくぞくとオースターに送ってきた
物語から選んで編集した180の実話からこの本は生まれ
た。普通の人々の物語の断片が大きなうねりになって、アメ
リカ社会に感動を与えた。

本書で私たちはオースターの肉体的記憶の断片がオースタ
ーという一人の人間を形成していることを知る。思い出さな
いように心が封印している記憶であっても、身体は忘れていない。

心と肉体の関係は、オースターにとっては言葉と肉体の関係
である。一年以上一篇の詩も書けない状態に陥った時、再び
言葉を取り戻す瞬間がある。それはとても感動的な瞬間である。

真夜中のパリで、電話交換手の仕事を終えたオースターは孤
独に耐え切れず一人の娼婦と過ごした。ベッドの中でオース
ターが、詩を書いていると告白すると、不意に彼女がボードレール
の詩の一節を暗唱しはじめる。娼婦の声はオースター
に特別な一瞬をもたらした。ついさっき味わった肉体の快楽
など比べ物にならない幸福な感覚に満たされたのだ。

“とにかく書くことができる限り、どこでどう暮らそうと
違いはなかった”。

不時着する流星たち 小川洋子 (KADOKAWA)  

March 19 [Sun], 2017, 22:14


もしかしたら私はちゃんと物語を分かっているのだろうか
と戻って読み直すほど不思議な短編集である。各篇の最後に
はそれぞれのストーリーを書く上で触発された実在の人物
の記憶が紹介されている。これがとても楽しみで、問題の解
答を先に見てしまうような後ろめたさを感じながら、つい先
に読んでしまう。この文があることで、空想の物語は現実の
世界とつながっている。大好きな小川ワールドの秘密をここ
で知る。

第十話の「十三人きょうだい」がとても印象的であった。
第九話までは触発された人物は全部外国人であったが第十
話ではなんと尊敬する植物学者・牧野富太郎さんであった。
寿衛(すえ)夫人との間に13人の子どもをもうけた。夫人の没後、
その名にちなみ新種のササを「スエコザサ」と命名したエピ
ソードにヒントを得たファンタジーである。

少女には大好きな叔父さんがいる。叔父さんは13人きょう
だいの末っ子である。だが、子だくさんの祖父母は叔父に名
をつけ忘れ、誰もその悲劇に気づかないままという設定であ
る。少女は「サー叔父さん」と呼んでいる。

〈名前がないなんて、かわいそう〉
〈この世にあるものは何だって、神様が創った時には別に名
前なんてないんだ。でも人間は神様ほど頭が良くないから、
区別をつけるのに便利なように名前をつけているだけさ〉
〈木陰に笹が生えてる。スエコザサだ。初めて発見した植物
学者が、病気の奥さんの名前をつけたんだ〉

(第十話の「十三人きょうだい」より)

私は散歩して見つける植物の写真を撮っている。名前を調べ
て、学名の最後に,Makinoとついているととてもうれしい。
そして雑草の名前の和名にも牧野さんの名づけたものがす
ごく多い。沢山の植物の名づけ親になった牧野さんは13人
の子どもの父親であったことを初めて知った。

茨木のり子の献立帖 茨木のり子 (平凡社 コロナ・ブックス)  

March 13 [Mon], 2017, 22:59


表紙の割烹着姿の写真がとても素敵だ。
自筆の料理レシピ、メモ、日記、台所などの貴重な
写真が収録されている。

茨木さんのプライベートな詩情が料理となって並ん
でいる。編集室で揃えたという器もまるで茨木さん
のコレクションかと思うほど雰囲気がある。
夫への愛情と自らの楽しみにあふれた一皿である。

日々の家事はあっという間に一日を飲み込む。
誰もが思うように、今日はこれとあれをしただけで
終わってしまったと。
そんな焦りも垣間見える日記を読んで、胸がつまる。
夫を失った喪失感を抱えてハングルを勉強したのだと、
本書の最後の年譜を見て知った。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編:第2部 遷ろうメタファー編  村上 春樹 (新潮社)  

March 11 [Sat], 2017, 23:31


1Q8以来の長編小説である。1Q84 BOOK3を読む時にはBOOK1、
BOOK2の記憶が薄れていて、物語を思い出すのに大変だった
けれど。本書は2冊(合わせて1050頁)を一気に読めた。
おかげで、まだ物語の余韻がフワフワ私の周りに漂っている。

「今日、短い午睡から目覚めたとき、<顔のない男>が私の
前にいた」。
プロローグからいきなり村上ワールドである。
顏のない男が自画像を描いてもらうために自室に突然現れる。
私は36歳の肖像画家である。
描ききることがないまま、顔のない男は姿を消した。

第2部を読み終えて、プロローグの顔のない男に気がつく。
そうだペンギンのお守りもあった。物語はループを作ってい
るのに気づく

村上ワールドにどっぷりと浸かると、何が起こっても驚かない
免疫力がついてしまい、時間空間を自由に行き来して、こ
の世でもあの世でもなく、この壁からあの壁へ、この穴から
あの穴へというように、きっと生きて帰って来るに違いない
と私は不安を打ち消しながら物語の「私」と奮闘する。

村上春樹さんはご自分の創作を井戸掘りにも例えるように、
深く穴を掘ることと物語を作ることを並べている。深く考え
ることを掘り下げると言うように。この物語ではとても大き
な穴と、通り抜けなければならないのに、体が入らない穴が
でてくる。村上ワールドへどうぞ!

きみがぼくを見つける  サラ ボーム、 加藤洋子 (訳) (ポプラ社)  

March 01 [Wed], 2017, 17:17


海辺にひとり暮らす「ぼく」は、雑貨店の貼り紙で見つけた
犬を連れ、奇妙な逃避行を開始する。なぜ「ぼく」は「きみ
(犬)」を求めたのか? 圧倒的な孤独の底から浮かび上がる、
胸揺さぶる驚くべき秘密――。2015年ヘネシー・アイルランド
新人作家賞受賞作品。
(帯より)

朝日新聞の書評委員、中村和恵さんが選んだ「今年(2016)の3点」
はいずれも驚愕の作品だった。
(1)野良ビトたちの燃え上がる肖像(木村友祐、新潮社)
(2)きみがぼくを見つける(サラ・ボーム、加藤洋子訳、ポプラ社)
(3)i アイ(西加奈子、ポプラ社)

中村さんの詩を読んだことはないのだが、「地上の飯 皿めぐり航海記」
(本日の本、2012.02.26)からこの方の勧める本は絶対に面白いはずだ
と思った。予想どおりだった。

本書の舞台のアイルランドというと侘しく色のない風の強
い荒涼とした大地をイメージする。「嵐が丘」の影響である。
とりわけ印象に残るのは自然描写だ。主人公が片目の犬、ワ
ンアイに語りかける形で描写される、アイルランドの美しい
自然。そこに生きる動植物の名前。私はこの中の沢山の植物
をいつも散歩する音羽川の河川敷で見ているので、まるで私の
知っている土地のような気がする。

ハリエンジュの木、ハリエニシダ、サンザシ,野ぼろギク、タンポポ、
ハコベ、刺草(イラクサ)、ギシギシ、姫風露(ヒメフウロ)、灯台草、
唐草華鬘(カラクサケマン)などなど。

犬と「ぼく」だけの世界が寂しくて哀しい。

夜のファーストフード店でトイレを借り客のいない店の空
いたテーブルに座りポテトチップスができるのを待つ。
・・・・・・
通りに面したガラス越しに、駐まっているぼくたちの車が見える。
きみの頭と耳と首の輪郭が見え、ダッシュボードに休ませた、
きみの濁ったベルベットみたいな前足と、首輪の名札の煌き
と、きみの蛆虫鼻の煌きと、きみのひとつだけの覗き穴の煌
きが見える。店の通りに面したガラスと車のフロントガラス
越しに、自分の家族すべてを一瞬にして見ることができる。
どこもかしこも煌いている。不意にきみがとても小さく、遠
くに見える。もう何週間も、ぼくたちはずっと一緒だった。
離れ離れになったのはほんの短時間だった。秋のはじめ、ド
ライブをはじめたときからずっと。