i (アイ)  西加奈子 (ポプラ社)  

February 21 [Tue], 2017, 22:09


西加奈子さんの作品では直木賞を受賞した『サラバ! 』(「本
日の本」2015.02.10)が忘れられない。それから2年後の本
書である。

『サラバ! 』と『i』は成長する子どもの悲しみと苦しみを
テーマにしている共通点がある。どちらも西さんが投影され
ている部分があると思う。

西さんは1977年父の海外赴任先、イラン・テヘランで生
まれた。「サラバ!」の主人公、歩も同じ経歴を持つ。テヘ
ランで生まれ、カイロに渡り、大阪で暮らし、年齢も西さん
と同じだ。

本書の主人公の名前はワイルド曽田アイ。アイは、シリア人
である。養父はアメリカ人、養母は日本人で、幼少期はアメ
リカで過ごし、小学校6年から日本で暮らしている。

物語の冒頭は、「この世界にアイは存在しません。」という
言葉で始まる。入学式の翌日、数学教師が言った言葉である。
この言葉は、アイに衝撃を与えた。

「2乗して−1になる、そのような数はこの世界に存在しないんです」。
存在しない数はiと呼ばれた。
アイはこの世界に存在しない。

iは虚数で、実数の範囲ではiは存在しない。虚数のこ
とをもっと知りたい。アイは大学で数学科に進み、なぜi
は存在しないのか考える。

アイはシリアで死んでいたかもしれないのに、ここにいる。
自分が幸せになるために誰かが死んだのだと思う。
幸せであることは罪悪感につながってしまう。

本書の中でアイを救った本がある。それは
「テヘランでロリータを読む」 アーザル・ナフィーシー、
市川恵里(訳)(白水社)である。
私も読んでいた。その時の感動を思い出した。(本日の本、
2006.12.06)

生きていることが奇跡である。
あまりにも素敵なラストシーンに、言葉を失ってしまった。
西加奈子さん、素晴らしいです。

花の日本語  山下景子  (幻冬舎文庫)  

February 15 [Wed], 2017, 22:07


山下景子さんの作品は初めてである。この本を私に送って下
さったY子さん、どうもありがとう。

本は最初の数行を読んで、「この本は好き」と思ったことは
必ず当たる。

言葉とは、心の入れ物だと思っています。単なる音の中に、
人はさまざまな思いをこめてきました。
感情や意思を表現する言葉だけではなく、物の名前にも、名
づけた人々の思いがこめられています。
・・・・・・・・
今でも、私たちの身近にあるたくさんの植物・・・・・・・。
「もう一度、友として、師として、話しかけてみたい」「そ
の名前や姿を、見つめ直してみたい」・・・・・そんなふう
に思える草花の名前を集めてみました。・・・
(「はじめに」より)

退職してもう10年以上私は植物を見る楽しみに浸っている。
散歩の狭い地域の植物なのに、まだ名前が分からないものが
山ほどある。写真を撮って、インターネットの植物図鑑と比
べてやっとこの頃少しは名前を覚えたつもりでも、問題は私
の記憶力の衰えにある。苦労して名前が分かって、もう忘れ
ないぞと覚えたはずの名前が、ポロリと消えてしまう。
英名で覚えていたり、和名で覚えていたり、一番確実なのは
漢字で覚えるのがよさそうである。

例えばこれから咲く「レンギョウ」はとっさに出てこないこ
とがあるが「Golden bells」は花のとおりだ。  

第1章 旅する草花
第2章 恋する草花
第3章 瓜ふたつの草花
第4章 暮らしの中の草花
第5章 自然にちなんだ草花
第6章 夢見る草花
第7章 時を告げる草花

手のひらに乗る文庫本なのに、四季折々の111種が収録さ
れている。小さなカットはカラーではないけれど、小さくて
可愛らしくて、ありありと目に浮かぶ。

老人が徘徊すると世間は言うけれど、植物の生えている自分
だけの地図を頼りに散歩という徘徊をしている。
本書はこんな私にありがたい本だ。

野良ビトたちの燃え上がる肖像  木村友祐 (新潮社)  

February 12 [Sun], 2017, 17:05


この小説は、もしかしたら、進行中の物語ではないだろうか。
とてもリアリティーがあって怖い。二年後に東京世界スポー
ツ祭典(東京オリンピックのこと)を控えて、関東の風景は
激変しつつある。神奈川県境の河川敷で猫と暮らす路上生活
者の柳さんは、ある日「野良ビトに缶を与えないでください」
と書かれた看板を見つける。「野良猫に餌を与えないでくだ
さい」と同じ調子の看板である。河川敷住人の多くはアルミ
缶拾いをして生計を立てており、その缶をやるな、というの
である。それは国家と大企業による「野良ビト=野宿者」た
ちの大規模駆除の始まりだった。

住人らの抱える事情はそれぞれでも、日本経済のしわ寄せを
もろに受けている点では共通する。本作の背景にあるのは、
「大企業が儲かれば社会全体が潤うと宣伝して政府が推し
進めた経済政策」の失敗だ。中小企業は倒産、ホームレスが
増大した。さらに怖いことに、景気を口実にして政権批判が
できないよう、「景気が悪いことを言うと罪になる『不景気
煽動罪』」が立法化されようとしている。・・・というよう
に、この社会のちょっと先を行っている。読んでいるうちに、
そんなことはもう起こっているに違いないと思う。

最終章はショッキングな物語である。過去にもあったし、こ
れからも起こりそうな怖さである。「アメリカ第一主義」も
その延長線上にあるのではないか。世界全体に「不寛容」が
蔓延していると思った。

ドナウの叫び―ワグナー・ナンドール物語 下村徹 (幻冬舎)  

February 08 [Wed], 2017, 0:13


ハンガリーの彫刻家、ワグナー・ナンドールは1956年の
ハンガリー革命運動の最高指導者12人のうちの1人であった。
スウェーデンに亡命し、日本人女性・千代さんと巡り合いその後、
栃木県益子に住むことになり、1975年日本に帰化した。

波瀾万丈の物語は息をもつかさぬ面白さである。下村徹
さんは、「次郎物語」の作者である下村湖人のご子息と知り、
やはり人をひきつける文章力は遺伝するのだと思った。

日本はハンガリーのような激しい民族間の対立や紛争を、ほ
とんど経験したことがない。また、戦後の日本が比較的早く
自由な社会を手に入れたのに対して、共産国ハンガリーか
ら命を狙われる危ない目に合いながら、やっと1989年、
祖国ハンガリーはソ連の衛星国から離れ民主国家とな
り、2年後にワグナーは祖国を訪れることができた。

序章には「日本人」のつくった「ハンガリーの希望」
と「哲学の庭」がそれぞれハンガリーの古都の中央公
園と首都ブタペストのゲレルトの丘に建立されたとあ
る。実は、ブダペストにある「哲学の庭」と同じものが、
2009年中野区の哲学堂公園に建立されている。

世界の歴史は戦争と難民の移動の繰り返しである。トランプ
大統領の数々の大統領令の中にイスラム7か国や難民の入
国規制がある。戦争で逃げなければ殺される人々は自分たち
であり、自分たちの祖先であったということを忘れていない
ヨーロッパの人々がこの大統領令に反対するのは当然である。

序章にあるとおり、ワグナー・ナンドールを知る日本人はまだ少ない。
私も知らなかった。こんなに純粋な正義感の固まりのような人が生き
ていたのは奇跡のように思った。


屋根裏の仏さま ジュリー・オオツカ(Julie Otsuka), 岩本正恵,小竹由美子(訳) (新潮クレスト・ブックス)  

January 31 [Tue], 2017, 23:14


ジュリー・オオツカさんは膨大な日系移民の体験談から本書の
着想を得たという。オオツカさん自身、日系アメリカ人である。
2002年の処女作『天皇が神だったころ』に続く2011年の『屋
根裏の仏さま』は、PEN/フォークナー賞、フランスのフェ
ミナ賞外国小説賞ほかを受賞した。

物語はこんな風に始まる。

船のわたしたちは、ほとんどが処女だった。黒くて長い髪、
幅の広い平らな足、背はあまり高くなかった。子どものころ
から薄い粥しか食べたことがなく、がに股気味の者もいた。
14歳で、まだほんの少女のものもいた。多くは田舎の出で、
船では何年も着古した着物を着ていた。
・・・・・・・・
船でわたしたちは、最初に、—――気が合うか合わないか判
断する前に、おたがいの名前さえ覚える前に—――夫となる
人の写真を見せあった。彼らはハンサムな若者で、瞳は黒く、
髪は豊かで、肌はなめらかで傷ひとつなかった。

(「来たれ、日本人!」より)

百年まえ、「写真花嫁」と呼ばれた日本人たちがいた。彼女
たちは結婚相手の写真だけを頼りに、およそ一か月の船旅の
末にアメリカにたどり着いた。
言葉もわからない異国の地で、差別に直面しながら、身を粉
にして働き、子どもを産み育て、やっと築いた平穏な暮らし。
だが、日米開戦とともにすべてが潰えた。日本人というだけ
で敵性外国人として、逮捕、強制立ち退き、収容所へ移送さ
れた。これは大統領の命令あった。

今アメリカで起こっていることは、同じことだ。
大統領が決めれば、なんでもできる。世界は滅亡を急いでいる。
橋口譲二さんの「ひとりの記憶」と本書は戦争を生き抜いた
ひとたちの物語である。戦争ですべてを失っても、命がある
かぎり生きる。ほんの70年前に起こったことである。焼け
野原の焼けた小学校が住居になっていた頃のことを私は忘
れていない。

ひとりの記憶  海の向こうの戦争と、生き抜いた人たち 橋口譲二 (文藝春秋)  

January 28 [Sat], 2017, 21:44


日本に戻ってどうするのさ。インドネシア、台湾、サイパン、
ポナペ、韓国、中国、ロシア、キューバ…太平洋戦争を機に
海を渡り、戦後も帰国せずその地で生きることを選んだ日本
人。終戦の混乱の中で、彼らの下した一つ一つの選択、一人
一人の生き方とは? 取材から執筆まで二十年の歳月をかけた、
渾身の書下ろしノンフィクション。
(帯より)

敗戦とともに始まった引揚げ者たちの苦難を綴った記録は
少なくない。しかし引き揚げなかった人たちもいたのだ。
本書は、こうした残った人々を各地に訪ね、ていねいにイン
タビューをして紡ぎ出した記録である。

医療専門家として徴用され、スマトラ島でインドネシア独立
軍の病院長になり、現地の医療改善にも大きな業績を残した人。
インドネシアのバンドンで敗戦を迎えた後、インドネシア独
立戦争に兵士として参加した人。
日本統治下の朝鮮で韓国人と結婚し、戦後も韓国に残った女性。
看護師の勉強に満州にわたり、戦後、中国共産党の八路軍の
野戦病院で知り合ったドイツ人医師と結婚した女性などなど。

各章の最後に現れるポートレイトは、海の向こうで生き抜い
た日本人の逆光の姿は胸にせまるものがある。橋口さんに
しか描けない記憶のカタチがそこにある。1995年から始ま
った取材は2000年まで続き、86人の日本人と会ったという。
そのうち10人が本書に登場している。

「あとがき」にとても感動した。ひとりの人間の存在を一枚
の写真に写しだすことにこだわってきた写真家は、「ひとり
の記憶」を文章にすることに悩み抜いて20年かかった。そ
の中でも最大の困難はインタビューのテープ起こしのファ
イルを開けると文字が消えかかっていたという。昔はワープ
ロで印字するのは感熱紙だった。ある年数が経つと、文字が
魔法にかかったように消えてしまう。記憶が消える恐怖である。
再びパソコンで打ち直し、沢山の人に励まされてこの本が出
来上がった。

私の好きな作家星野博美さんは小説家になる前は橋口さん
のアシスタントであった。星野さんはこの先生から沢山の影
響を受けたのだと思った。橋口譲二さんはすばらしい。そし
てこの本が生み出されたことを感謝したい。

京女(きょうおんな)の嘘(うそ)  井上章一 (PHP研究所)  

January 22 [Sun], 2017, 22:54


『京都ぎらい』(本日の本、2016.03.06)の著者の新刊である。
「なぜ京都ぎらいなひとでも、京女のことは好きなのか?」
という疑問について語るエピソードは私には身に染みてお
かしい。私は東京から京都に移り住んで、半世紀近いけれど、
京女の言葉の意味にはまだまだ確信が持てない。

第一章の「京都弁の女たち」の中で京都の魅力は女でもって
いると語っている。
登場するのは著者が働く大学の研究所の東京出身の某研究
者である。その方はなにかの事務手続きのミスを事務の若い
女性にたぶん文句を言ったのだ。そして著者は次のような言
葉を聞く。

「センセ、今回のことは、かんにんね」
・・・・・・・
また、「かんにん」と言われた先生のほうにも、怒っている
気配はうかがえなかった。見れば、笑みすらうかべている。
・・・・・・

「このあいださ、京都の娘さんから「かんにん」って言われ
ちゃたんだよ。ほんと、こまっちゃうよね。もう、かえす言
葉がなくなったよ。なんてったって、「かんにん」だから
ね・・・・」
自分は、京都の女性に、「かんにん」とあやまられた。京女
に、「かんにん」と言わせた。先生はそれを、東京の友人た
ちに、自慢していたのである。

(「かんにん」は男をまいあがらせる)より)

私も最初の頃「かんにんね〜」と言われてとまどった。
大阪弁だと「ほんま、 かんにんな〜」だ。東京弁では「ほ
んとに、ごめんね〜」だと思う。
東京のセンセは「かんにんね」を許してくださいという意味
にとったのだと思う。
京都弁では「あっ、ごめん!」くらいの間柄で「かんにんね」
を普通に使うようだけれど、私は一度も使ったことがない。
怒らないでね、許してね、ゴメンね、が一緒になったニュア
ンスであって、センセに対して言うのも変だとも思う。
つまりいつまでたっても私は京都弁に近づかない。

晩年様式集 大江健三郎 (講談社文庫) 

January 18 [Wed], 2017, 15:30


本書は2011年3月11日後の緊迫した状況を背景に2年近く
にわたって「群像」に連載された。主人公の小説家、長江氏
(大江健三郎)は自分の文学の世界を今まで語られてこなか
った角度から徹底的に掘り起こす。新しい物語というより、
過去の作品の細部を振り返り批評したり深めたりする。

私は、最近の作品をあまり読んでこなかった。読んだのは初
期のものが多く、ここで語られる作品の登場人物をすべて知
っているわけではない。さらに海外の親しかった作家の引用
なども多くて、難解な部分も多かった。

冒頭から最後まで、流れている空気は原発事故に対する絶望
感と老年の苦境である。私も戦前に生まれ、子ども時代を空
腹で過ごし、同じ希望をもって生きてきた。
最後まで読みとおすことを促す力に満ちた作品である。

小説を締めくくる最後の詩は「形見の歌」  

気がついてみると、
私はまさに老年の窮境にあり、
気難しく孤立している。
否定の感情こそが親しい。
自分の世紀が積みあげた、
世界破壊の装置についてなら、
否定して不思議はないが、
その解体への 大方の試みにも、
疑いを抱いている。
自分の想像力の仕事など、
なにほどのものだったか、と
グラグラする地面にうずくまっている。
あの日、「自分の木」の下に
来るのが遅れた老人は。
今の私だ。
少年に答える言葉は見つからぬまま・・・・・・

誕生から一年たった
孫に、私がかいま見たはずの
老年の姿は、ミジンもない。
張りつめた皮膚に光をたたえて
私をみかえす。
その脇にうずくまる、私の
老年の窮境。
それは打ち砕くことも
乗り超えることもできないが、
深めることはできる。
友人は、未完の本にそう書いていた。
私も、老年の
否定の感情を深めてゆくならぱ、
不確かな地面から
高みに伸ばす手は、
何ものかにさわる
ことが あるのではないか?
否定性の確立とは、
なまなかの希望に対してはもとより、
いかなる絶望にも
同調せぬことだ……


・・・・・・・・・・

小さなものらに、老人は答えたい。
私は生き直すことができない。しかし
私らは生き直すことができる
(「形見の歌」より)

自殺 末井昭 (朝日出版社)  

January 10 [Tue], 2017, 21:59


母親のダイナマイト心中から約60年――
伝説の編集者が、ひょうひょうと丸裸でつづる、大人気連載、
ついに書籍化。
(帯より)

小学校1年生のとき、母親は隣に住む若い男とダイナマイト
で爆発した。そんな著者の幼少時代から現在までの人生と出
会ってきた人たちのことを、淡々と赤裸々に描いた本書は第
30回(2014年)講談社エッセイ賞受賞した。

読むのを止めたいと思いながら、どうしても読んでしまう本
である。思い出したくないことや、忘れていることが、目の
前に出てくるような恐怖を感じながら・・・

悲しすぎておかしい、笑わないと生きられないという法則が
あるのか、末井さんは自分を笑い、私を笑わせる。

「考える人」 2016年 冬号 [特集] ことばの危機、ことばの未来(新潮社) 

January 08 [Sun], 2017, 22:49


特集の巻頭を飾るのは、作家・池澤夏樹さんのロングインタ
ビュー「ことばは変わるからこそおもしろい」はとても面白い。
このインタビューで「保育園落ちた日本死ね!!!」について、
全文を毎日新聞は載せたけれど、国会で議論されたときに、
議員は全文を読んでいないことが分かったという。
「全体を読むと非常にアピール力を持った文体で、反発を買
うけれども、反発を買うのを承知で挑発したのだから、非常
に効き目があった。言葉の使い方として見事である」と語っている。

私も全文を読んでいなかったので、読んだのだが、とても共
感した。子どもを保育園に入れて働き続けた40年前と今と
で、日本は変わっていないと思う。「女性が輝く社会」を目
指すと言いながら、いかに女性が社会で活躍できないか、今
では世界的にも問題化されているほどだ。

一番感動したのはスペシャルインタビュー 「ユヴァル・ノ
ア・ハラリ ホモ・サピエンスと言葉」だ。

アフリカで細々と暮らしていたホモ・サピエンスがネアンデ
ルタール人をはじめとするその他の人種を抑えて食物連鎖
の頂点に立ち、文明を築くことができたのはなぜか。・・・・
ホモ・サピエンスが習得した「ことば」がどれほどユニークで
重要なものだったか・・・・・
人間がユニークなのは、見ず知らずの関係であっても大人数
で柔軟に協力し合えることです。


今まで考えもしなかった言葉と物語の関係。
人は物語を信じて行動してしまう。国家が戦争をすると国民が
傷つくように、言葉と現実が乖離して世界が動いている。
なぜ、もっと良い社会をもてる物語を作ることができないのだろうか。
初めて解き明かされる「言葉」と「物語」と「わたし」の関係。

世界的ベストセラー『サピエンス全史(上・下)』の著者ユヴァル・ノア・
ハラリ氏の写真も素晴らしい。なんと美しい。