私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝  中原一歩 (文藝春秋)  

April 22 [Sat], 2017, 22:44


小林カツ代さんが倒れてからテレビが淋しくなった。9年間
療養の後、亡くなって3年が経つ。1937年、製菓材料を扱
う大阪・堀江の卸問屋の「こいさん」として生まれた。料理
上手の母と食道楽だった父の下で鍛えられた味覚を武器に
20歳で結婚した主婦が料理研究家になるまでの話は面白
い。結婚するまでに味噌汁も作ったことがなかった女性であった。

人気番組「料理の鉄人」で鉄人を破ったこと。テーマはジャ
ガイモ。1時間で作った7品には時短レシピとして有名なカ
ツ代流の肉じゃがも含まれていた。 

テレビ収録前の裏話が面白い。番組スタッフともめたという
のだ。原因は「主婦として」「主婦の頂点に」などの言葉を
ちりばめたナレーションの原稿だった。
 「それだったら、私は出ない。帰る!」「私は料理研究家・
小林です」「主婦ということで私のステイタスを上げようと
しているのなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか。
まして、この番組はプロとプロの戦いだから面白いのであっ
て「鉄人」にも失礼じゃないですか」と言ったという。

彼女は主婦でもシェフでもない、家庭料理のプロだった。本
書はそんな逸話が満載の評伝である。

ゆらぐ玉の緒 古井由吉 (新潮社)  

April 17 [Mon], 2017, 23:30


古井由吉さんは私よりも4歳年上である。その4歳がとても
大きい。亡くなった私の兄の年齢である。兄は戦争中のこと
を実によく覚えていた。古井さんは自分の家が焼けるのを目
の前で見ていた。防空壕も丸焼けになった。その記憶は何歳
になっても消えない。老齢になって病いに倒れ、長い夜には
空襲の夜の出来事がよみがえり、時鳥の声に亡き母の夜伽ぎ
が去来する。

今を生きる8篇は研ぎ澄まされた自然界の描写が背景にあ
る。植物についての描写が際立っている。気象についても
緻密な分析を面白いと思う。去年の今頃と同じだとか、
桜の頃の寒さに震えるとか・・・・。私も年をとるたびに京
都の冬が寒くて、やっと越えたと思った冬が舞い戻る花冷え
に怒りさえ覚える。

「目次」
後の花
道に鳴きつと
人違い
時の刻み
年寄りの行方
ゆらぐ玉の緒
孤帆一片
その日暮らし

私は読みながら彼岸と此岸を行き来するような気分になる。
自分の生きる時間が刻々と縮まるという感覚をこの頃抱く
ようになってから、昔よりも生きることに執着している。見
たかった花がやっと開いたと思うと、来年もこの花を見よう
と思う。

切腹考 伊藤比呂美 (文藝春秋)  

April 12 [Wed], 2017, 15:06


15の短篇から成っていて最初は「切腹考」。冒頭からいきなり、

世の中に切腹愛好家多しといえども、実際に生の切腹を見た
ことがある人はなかなかいないだろう。わたしはそのひとり
なのだった。
そのことは「ハラキリ」という詩に書き、それは英語にも独
語にも翻訳された。外国にいって朗読するときは、ついでに
「切腹」を見た話もする。みんな喜ぶ。おおうっとか、キャ
ーとか言いながら、ぐろーすなどと口の中でつぶやいている。
・・・・・・・・・
昔、子どもだった頃、洟を垂らした男の子に路地裏で出くわ
すと、毛虫やらみみずを持って追いかけてきた。
・・・・・・
今、わたしは外国に住み、英語を使って日々をくらしている。
ときどき大学や詩祭に呼ばれていって、詩の朗読をする。詩
は日本語で読むが、しゃべりは英語で入れる。日本語はたい
ていの聴衆に理解されない。英語は訛りきっている。どんな
に努力しても直ることのない、直すつもりもない、訛りなの
である。聴衆は黙って聞いている。
・・・・・・・・・
聴衆は、席を立つこともなく、詩らしいが、何を言っている
のかよく解からないがという不安にもみくちゃになりなが
ら、聴きつづけていなければならない。そういう人たちにむ
かって、切腹の見聞を語るのは、ある種の快感があった。ど
んな快感かと考えてみたら、あの洟をたらした少年たちの気
分だったのである。英語で言えば、いや、言わなくてもいっ
こうにかまわないが、リべンジというやつだ。

(「切腹考」より)

書き写しながら、これまでに読んできた伊藤比呂美さんの作品と
同じように波動のような心地よい文章にしだいに酔っていく。

切腹好きの比呂美さんは、切腹に導かれて森鴎外の世界に分
け入っていく。鴎外作品に登場する切腹には、「痛いの苦し
いのとは一言も書いてない」と比呂美さんは気づく。ただ黙
って切って死ぬ。

幼少時を武家文化の中で育った鴎外は後半生、切腹する武士
をぞくぞくと書いた。彼らは黙って襲われ、腹を切り、死に
ゆく。 この冷静。この無音。ここに鴎外の深い何かがある。

ここで熊本地震が起こる。友だちとのメールのやりとりが
生々しい。熊本の比呂美さんの家は全壊ではなかったが、使
える部屋は一時被災した人が住んだ。

同時進行で比呂美さんはカリフォルニアの家で夫を看病し
ている。夫は日に日にどんどん悪くなる。痛い。動けない。
私は夫の悪かった頃を思い出して目が吸いつけられる。

帯にあるとおり、「誕生、離別、天災……無常の世を生きる
ための文学。熊本から異国の空へ、新たな代表作の誕生! 」



冬の日誌 ポール・オースター、柴田元幸(訳) (新潮社) 

April 03 [Mon], 2017, 22:40


ポール・オースターの作品の中で思い出すのは「ナショナル・
ストーリー・プロジェクト」(本日の本2005.12.14)である。
オースターはラジオ番組の中で全米から自分の経験
した物語を募った。そして物語はラジオ番組で朗読された。
その放送を聞いた人がぞくぞくとオースターに送ってきた
物語から選んで編集した180の実話からこの本は生まれ
た。普通の人々の物語の断片が大きなうねりになって、アメ
リカ社会に感動を与えた。

本書で私たちはオースターの肉体的記憶の断片がオースタ
ーという一人の人間を形成していることを知る。思い出さな
いように心が封印している記憶であっても、身体は忘れていない。

心と肉体の関係は、オースターにとっては言葉と肉体の関係
である。一年以上一篇の詩も書けない状態に陥った時、再び
言葉を取り戻す瞬間がある。それはとても感動的な瞬間である。

真夜中のパリで、電話交換手の仕事を終えたオースターは孤
独に耐え切れず一人の娼婦と過ごした。ベッドの中でオース
ターが、詩を書いていると告白すると、不意に彼女がボードレール
の詩の一節を暗唱しはじめる。娼婦の声はオースター
に特別な一瞬をもたらした。ついさっき味わった肉体の快楽
など比べ物にならない幸福な感覚に満たされたのだ。

“とにかく書くことができる限り、どこでどう暮らそうと
違いはなかった”。

不時着する流星たち 小川洋子 (KADOKAWA)  

March 19 [Sun], 2017, 22:14


もしかしたら私はちゃんと物語を分かっているのだろうか
と戻って読み直すほど不思議な短編集である。各篇の最後に
はそれぞれのストーリーを書く上で触発された実在の人物
の記憶が紹介されている。これがとても楽しみで、問題の解
答を先に見てしまうような後ろめたさを感じながら、つい先
に読んでしまう。この文があることで、空想の物語は現実の
世界とつながっている。大好きな小川ワールドの秘密をここ
で知る。

第十話の「十三人きょうだい」がとても印象的であった。
第九話までは触発された人物は全部外国人であったが第十
話ではなんと尊敬する植物学者・牧野富太郎さんであった。
寿衛(すえ)夫人との間に13人の子どもをもうけた。夫人の没後、
その名にちなみ新種のササを「スエコザサ」と命名したエピ
ソードにヒントを得たファンタジーである。

少女には大好きな叔父さんがいる。叔父さんは13人きょう
だいの末っ子である。だが、子だくさんの祖父母は叔父に名
をつけ忘れ、誰もその悲劇に気づかないままという設定であ
る。少女は「サー叔父さん」と呼んでいる。

〈名前がないなんて、かわいそう〉
〈この世にあるものは何だって、神様が創った時には別に名
前なんてないんだ。でも人間は神様ほど頭が良くないから、
区別をつけるのに便利なように名前をつけているだけさ〉
〈木陰に笹が生えてる。スエコザサだ。初めて発見した植物
学者が、病気の奥さんの名前をつけたんだ〉

(第十話の「十三人きょうだい」より)

私は散歩して見つける植物の写真を撮っている。名前を調べ
て、学名の最後に,Makinoとついているととてもうれしい。
そして雑草の名前の和名にも牧野さんの名づけたものがす
ごく多い。沢山の植物の名づけ親になった牧野さんは13人
の子どもの父親であったことを初めて知った。

茨木のり子の献立帖 茨木のり子 (平凡社 コロナ・ブックス)  

March 13 [Mon], 2017, 22:59


表紙の割烹着姿の写真がとても素敵だ。
自筆の料理レシピ、メモ、日記、台所などの貴重な
写真が収録されている。

茨木さんのプライベートな詩情が料理となって並ん
でいる。編集室で揃えたという器もまるで茨木さん
のコレクションかと思うほど雰囲気がある。
夫への愛情と自らの楽しみにあふれた一皿である。

日々の家事はあっという間に一日を飲み込む。
誰もが思うように、今日はこれとあれをしただけで
終わってしまったと。
そんな焦りも垣間見える日記を読んで、胸がつまる。
夫を失った喪失感を抱えてハングルを勉強したのだと、
本書の最後の年譜を見て知った。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編:第2部 遷ろうメタファー編  村上 春樹 (新潮社)  

March 11 [Sat], 2017, 23:31


1Q8以来の長編小説である。1Q84 BOOK3を読む時にはBOOK1、
BOOK2の記憶が薄れていて、物語を思い出すのに大変だった
けれど。本書は2冊(合わせて1050頁)を一気に読めた。
おかげで、まだ物語の余韻がフワフワ私の周りに漂っている。

「今日、短い午睡から目覚めたとき、<顔のない男>が私の
前にいた」。
プロローグからいきなり村上ワールドである。
顏のない男が自画像を描いてもらうために自室に突然現れる。
私は36歳の肖像画家である。
描ききることがないまま、顔のない男は姿を消した。

第2部を読み終えて、プロローグの顔のない男に気がつく。
そうだペンギンのお守りもあった。物語はループを作ってい
るのに気づく

村上ワールドにどっぷりと浸かると、何が起こっても驚かない
免疫力がついてしまい、時間空間を自由に行き来して、こ
の世でもあの世でもなく、この壁からあの壁へ、この穴から
あの穴へというように、きっと生きて帰って来るに違いない
と私は不安を打ち消しながら物語の「私」と奮闘する。

村上春樹さんはご自分の創作を井戸掘りにも例えるように、
深く穴を掘ることと物語を作ることを並べている。深く考え
ることを掘り下げると言うように。この物語ではとても大き
な穴と、通り抜けなければならないのに、体が入らない穴が
でてくる。村上ワールドへどうぞ!

きみがぼくを見つける  サラ ボーム、 加藤洋子 (訳) (ポプラ社)  

March 01 [Wed], 2017, 17:17


海辺にひとり暮らす「ぼく」は、雑貨店の貼り紙で見つけた
犬を連れ、奇妙な逃避行を開始する。なぜ「ぼく」は「きみ
(犬)」を求めたのか? 圧倒的な孤独の底から浮かび上がる、
胸揺さぶる驚くべき秘密――。2015年ヘネシー・アイルランド
新人作家賞受賞作品。
(帯より)

朝日新聞の書評委員、中村和恵さんが選んだ「今年(2016)の3点」
はいずれも驚愕の作品だった。
(1)野良ビトたちの燃え上がる肖像(木村友祐、新潮社)
(2)きみがぼくを見つける(サラ・ボーム、加藤洋子訳、ポプラ社)
(3)i アイ(西加奈子、ポプラ社)

中村さんの詩を読んだことはないのだが、「地上の飯 皿めぐり航海記」
(本日の本、2012.02.26)からこの方の勧める本は絶対に面白いはずだ
と思った。予想どおりだった。

本書の舞台のアイルランドというと侘しく色のない風の強
い荒涼とした大地をイメージする。「嵐が丘」の影響である。
とりわけ印象に残るのは自然描写だ。主人公が片目の犬、ワ
ンアイに語りかける形で描写される、アイルランドの美しい
自然。そこに生きる動植物の名前。私はこの中の沢山の植物
をいつも散歩する音羽川の河川敷で見ているので、まるで私の
知っている土地のような気がする。

ハリエンジュの木、ハリエニシダ、サンザシ,野ぼろギク、タンポポ、
ハコベ、刺草(イラクサ)、ギシギシ、姫風露(ヒメフウロ)、灯台草、
唐草華鬘(カラクサケマン)などなど。

犬と「ぼく」だけの世界が寂しくて哀しい。

夜のファーストフード店でトイレを借り客のいない店の空
いたテーブルに座りポテトチップスができるのを待つ。
・・・・・・
通りに面したガラス越しに、駐まっているぼくたちの車が見える。
きみの頭と耳と首の輪郭が見え、ダッシュボードに休ませた、
きみの濁ったベルベットみたいな前足と、首輪の名札の煌き
と、きみの蛆虫鼻の煌きと、きみのひとつだけの覗き穴の煌
きが見える。店の通りに面したガラスと車のフロントガラス
越しに、自分の家族すべてを一瞬にして見ることができる。
どこもかしこも煌いている。不意にきみがとても小さく、遠
くに見える。もう何週間も、ぼくたちはずっと一緒だった。
離れ離れになったのはほんの短時間だった。秋のはじめ、ド
ライブをはじめたときからずっと。


i (アイ)  西加奈子 (ポプラ社)  

February 21 [Tue], 2017, 22:09


西加奈子さんの作品では直木賞を受賞した『サラバ! 』(「本
日の本」2015.02.10)が忘れられない。それから2年後の本
書である。

『サラバ! 』と『i』は成長する子どもの悲しみと苦しみを
テーマにしている共通点がある。どちらも西さんが投影され
ている部分があると思う。

西さんは1977年父の海外赴任先、イラン・テヘランで生
まれた。「サラバ!」の主人公、歩も同じ経歴を持つ。テヘ
ランで生まれ、カイロに渡り、大阪で暮らし、年齢も西さん
と同じだ。

本書の主人公の名前はワイルド曽田アイ。アイは、シリア人
である。養父はアメリカ人、養母は日本人で、幼少期はアメ
リカで過ごし、小学校6年から日本で暮らしている。

物語の冒頭は、「この世界にアイは存在しません。」という
言葉で始まる。入学式の翌日、数学教師が言った言葉である。
この言葉は、アイに衝撃を与えた。

「2乗して−1になる、そのような数はこの世界に存在しないんです」。
存在しない数はiと呼ばれた。
アイはこの世界に存在しない。

iは虚数で、実数の範囲ではiは存在しない。虚数のこ
とをもっと知りたい。アイは大学で数学科に進み、なぜi
は存在しないのか考える。

アイはシリアで死んでいたかもしれないのに、ここにいる。
自分が幸せになるために誰かが死んだのだと思う。
幸せであることは罪悪感につながってしまう。

本書の中でアイを救った本がある。それは
「テヘランでロリータを読む」 アーザル・ナフィーシー、
市川恵里(訳)(白水社)である。
私も読んでいた。その時の感動を思い出した。(本日の本、
2006.12.06)

生きていることが奇跡である。
あまりにも素敵なラストシーンに、言葉を失ってしまった。
西加奈子さん、素晴らしいです。

花の日本語  山下景子  (幻冬舎文庫)  

February 15 [Wed], 2017, 22:07


山下景子さんの作品は初めてである。この本を私に送って下
さったY子さん、どうもありがとう。

本は最初の数行を読んで、「この本は好き」と思ったことは
必ず当たる。

言葉とは、心の入れ物だと思っています。単なる音の中に、
人はさまざまな思いをこめてきました。
感情や意思を表現する言葉だけではなく、物の名前にも、名
づけた人々の思いがこめられています。
・・・・・・・・
今でも、私たちの身近にあるたくさんの植物・・・・・・・。
「もう一度、友として、師として、話しかけてみたい」「そ
の名前や姿を、見つめ直してみたい」・・・・・そんなふう
に思える草花の名前を集めてみました。・・・
(「はじめに」より)

退職してもう10年以上私は植物を見る楽しみに浸っている。
散歩の狭い地域の植物なのに、まだ名前が分からないものが
山ほどある。写真を撮って、インターネットの植物図鑑と比
べてやっとこの頃少しは名前を覚えたつもりでも、問題は私
の記憶力の衰えにある。苦労して名前が分かって、もう忘れ
ないぞと覚えたはずの名前が、ポロリと消えてしまう。
英名で覚えていたり、和名で覚えていたり、一番確実なのは
漢字で覚えるのがよさそうである。

例えばこれから咲く「レンギョウ」はとっさに出てこないこ
とがあるが「Golden bells」は花のとおりだ。  

第1章 旅する草花
第2章 恋する草花
第3章 瓜ふたつの草花
第4章 暮らしの中の草花
第5章 自然にちなんだ草花
第6章 夢見る草花
第7章 時を告げる草花

手のひらに乗る文庫本なのに、四季折々の111種が収録さ
れている。小さなカットはカラーではないけれど、小さくて
可愛らしくて、ありありと目に浮かぶ。

老人が徘徊すると世間は言うけれど、植物の生えている自分
だけの地図を頼りに散歩という徘徊をしている。
本書はこんな私にありがたい本だ。