滝川クリステルのニュースで子供の臓器移植について特集していた。
子供の臓器移植は日本では許可されていないからその必要がある子は莫大な額のお金をかけて渡航して移植を受ける。
テレビでもそういう子と親に同情的な放送の仕方をする。
無事に命をとりとめた子供の親はカメラに向かって日本の法律も改正すべきだと訴える。
私自身も今まで一連の流れに疑いを持つことは一切なく、大半の世論と同様、その親子には同情的で臓器移植を素晴らしい医療だと信じて疑わなかった。
でもこの前見たニュースでは専門家が臓器移植で命が助かるということを安易に捉えすぎだと言っていた。
助かる命のすぐ後ろには消えていく命がある。
そんな当たり前のことに初めて目を向けてなんだかとっても困惑した。
しゅうが難病であることがわかり、臓器移植を受ければ命が助かる。
そうなったら何をしてでもお金を貯め、海外へ行くと思う。
ドナーが見つからないとなったら「だれか、だれか」と思うと思う。
でも今まで臓器移植を受ける側に立つことは想像しても臓器を与える側に立つことは想像したことがなかった。
自分が脳死になったら眼球以外は臓器提供するのが私の意志で臓器提供意志表示カードも持っている。
でも自分の子供、しゅうが脳死になったらと考えると…
私は多分臓器提供を断ると思う。
息をして温かいしゅうのからだを切り刻むなんて絶対にできない。
二度と目を覚まさなくてもいいから温かい手を握っていたいと思うと思う。
でもやっぱりしゅうは二度と目を覚まさない。
その小さい命が他の小さい命を救うことができる。
そのことは頭では十分にわかるんだけど。
移植を受ける側に立つと臓器移植万歳。提供する側に立つと嫌だ。
私はなんて我儘な人間なのだろう。
臓器移植は諸手をあげて賛成できる医療ではないと思う。
日本でも子供の臓器移植を認めるべきだなんて簡単に言えることではないと思う。
でも臓器移植で救える命はいっぱいある。
臓器移植が唯の感動物語として伝えられるんじゃなくてもっともっと多面的に捉えられ、深く考えられるべきだ。
私ももっともっと臓器移植について知り、考えようと思った。
もっと知ることで我儘な考えがかわるかもしれない。
いつ自分も関わるとこになるかわからない。他人事じゃない。