自己考察をする怠け者

September 14 [Fri], 2012, 0:05
お酒を少し飲んで、蓄膿のせいもあって、少し、頭が痛い。
今日は、バイト先の人たちとの食事会だった。
自分より一回り二回りもさらにもっと上の年齢の人たちとの話は、そしてその人たちの話は、有意義だ。
少なくとも今の自分には有意義に思える。
おそらく、存在自体が有意義だと思う。僕よりはるかに大きい、しかもそれぞれ異なったバックボーンを持つ人たちが、近くにいるということは、それだけで有意義だ。

、、、

 しかるに、バイト先での仕事のことである。
 いわゆる学童保育(とは実際には違うらしいのだが僕にはその違いがよく認識できていないので便宜上こういう風に書いておく)で指導員として、自給九百円かそこらで働いている僕であるが、別に小学校の先生を目指しているわけでは無い。(とうぜん中学や高校教員になりたいわけでもない)そこが、まず一つ、自分にとって欠けている何か。
つまり、そこで働いている自分は、本当の自分ではない、ただの時間つぶし、小金稼ぎのために、そこにいる、こんなところにいるべき人間では俺はない、という風に、思っている節がある。それが、今日実際に指摘された、初動の遅さにもつながる。
 叱ることができない。叱ることと怒ることは違うのだ。これは、あるベテランの指導員の「叱り」方と、自分が叱っているつもりだったその言動を比較してみて、初めて身に染みて実感した。頭では、あるいは、言葉では、わかっている、知っていることでも、それは、経験されない限り血肉には決してならない。
 「叱る」とは、相手のその先をしっかりと見据えて、「指導」をすることだ。
 「怒る」とは、自分が気に入らない相手を懲らしめるための「制裁」だ。
これは、実際に目で見るとはっきりと違うことがわかる。でも、それが具体的にどう違うのか、それがまだわからない。ただ、「叱る」ことのできるようになるために必要なことは、言うまでもなく、上に記したように、相手を慮ることであろう。相手のことを考えるからこそ、「怒る」ではなく、「叱る」という選択肢が生まれる。そこに到達できない。
子供を慮ってやることができない。ただ単純に、その子供がむかつくから、怒って、こらしめて、叱っているふりをしているだけにすぎないのだ。それでは、多分、その場は収められるだろうが、その子供との信頼関係などは全く築けないだろう。当然だ。それはコミュニケーション、意思疎通ではなく、ただの一方通行の意見の押しつけに過ぎないから。上手く叱れば、その内容をちゃんと伝えることができるが、怒っているだけでは、怒っているということしか伝わらない。子供は、怒っている大人は怖いから、おとなしくなるだけだ。そこに納得はない。納得、自覚が、必要なのだ。それがなければ成長はない。そこなのだ。つまるところそれに尽きる。何度も繰り返すが、叱るとは、子供を成長させるためにすることだ。逆に言えば、子供を成長させる気持ちが無ければ、叱れない。だから僕は叱れない。
 僕は、正直言って、今勤めている小学校の子供たちが、立派に成長しようと、道を踏み違えて不良や引きこもりになろうと、どうでもいい、と思っている。欠如。指導員としての、資質の欠如。としか言いようがない。いや?

 資質とか、関係あるのだろうか。関係ないんじゃないかという気もする。つまり、それはつまるところ、そいつが好きかどうかですべてが決まる。好きな奴にはあれこれと手を焼きたくなるが、別に嫌いな奴は興味のないやつの尻を拭いてやる義理はない。だとすれば、今の自分は、あの子供たちに興味が無いのだ。興味が無いから、彼らが教室で走っていようが、炎天下の下帽子をかぶらずに遊んでいようが、立ち入り禁止区域に入っていようが、どうでもいいのだ。彼らにかけてやる言葉を持っていないのだ。それが、、いわば、、駄目なのだ。

 だから、もし仮に、、、あの子供たちのことが、愛しくてたまらない、好きで好きでたまらないというのなら、たぶん僕は、思う存分彼らを「叱る」ことが出来るかもしれない。しかし、それは、、、それも、仕事のうちか?
約半年、シフトのペースは随分とゆったりしていたにせよ、勤務し続けていた僕が、いまだに彼らに対してそういう感情を抱けないということは、もう、脈がないのではないか。彼らの側も、僕には愛想を尽かしているのではないか。
だとすれば、もう終わりだろう。あそこで働く意味は多分、もうない。ただ小金稼ぎのための場所だ。それでいいか。
だが、自分のその現状を無理やり打破して、彼らを好きになろうというのは、もはや、、、青春的売春ではないか。
それは、、、それは、してもいいのか。しなければならないのか。お金を稼ぐためには必要なことなのか。そうしなければ生きていけないのか。

 ただ、そこまでする必要は、無いかもしれない。そこまでしなくても、目標を達するルートはあるかもしれない。それは単純に、仲良くなることだろう。仲良くなれば、「叱る」というコミュニケーションも出来るようになる、という望み、いや、確信はある。しかし、そこまでいくのが難しい。だってあいつら、本当に自分勝手なんだもん。前に売った恩なんてすっかり忘れてすぐに馬鹿にした表情をこちらに向けてきやがる。何もかもが自分中心。指導員も親もほかの子供たちも、自分のためだけに存在していると思っていやがる。自分の思い通りにならないことがあれば、すぐに怒り、泣く。当然、そうでない子供もいるが、そういう子供もいる。そんな人間と、どうやって仲良くなれというのか。そこが僕には解らない。自分が、あまりにも幼すぎるのか。


眠たいからここで打ち止め。ただいまゼロ時ジャストだ。
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