About myself 

2005年10月28日(金) 2時16分
 私はこういう場を使って,色々な自分の思考をここに書きとめているが,書いているものが真実であるとは欠片も思ってはいない.もしこれが真実を述べているというのであれば,少々お粗末な記述と言わねばなるまい.
 私は時に,私自身が違っていると糾弾することがある.
 それは,細かな考え方に関することでもあるし,あるいは,私の根底を支配している思想そのものであったりすることもある.
 そして現在,私はまた一つ,私を否定することになった.
 私自身に,甘えて部分がある.他人に甘えてしまうという点もあるし,自分の能力を過信しているところもある.1のことを成すには,10のことを会得していなければならない.そうでないのなら,それは1つの実験であり,経験として積み重ねていくべき過程なのである.それに満足する,あるいは惰性で続けるような真似はしてはならない.
 積み重ねていくべき過程は,何のために存在するのかと言えば,無為に積み上げるためではなく,そこから学び取るためにあるのだ.
 別に,遊びだとか,無駄だとか言うものが不必要なのだといっているわけではない.無用な思考や行動が多いといっているのだ.
 私は,またしばらく,私を改変しなければならない.
 一つだけ悲しいことがあるとすれば,これでまた一つ,人を信用できなくなってしまったということだろう.
 ……恐らく,以後はもう少し分かりやすい記述ができることだろう.もし分かりにくい部分があるとすれば,それはわざとである.分かってもらいたくがないがために,分かりにくく記述するのだ.
 それは...個人のブログ故に,赦して欲しい.

About dependence 

2005年10月27日(木) 2時15分
 依存と言う概念は,慣性の法則にどこか似ているところがある.慣性の法則と言うのは,物体が力を受けた際に,元の状態に戻ろうとする性質のことである.
 依存と言うのは,もう一度前の状態に戻りたい,あるいは,現状を持続したいと考えるものである.
 しかし,どちらにしてもそこまで価値の見出せるものではない.
 人間が体験する依存には“欲”が関わっていることが多い.これは,生命維持,あるいは,種族の存続を思う意思が関わっている.
 まぁ,それに関わるものは,それほど追求する必要もないだろう.
 少なくとも,睡眠欲と食欲については,依存がなければ多少厄介なことになる.
 まぁ,理解をして,自分で調節できるなら,問題はなくなるのだろうが.
 問題なのは,その他の依存である.よく聞くところでは,薬物依存などがあるだろうが,それはほんの一例でしかない.
 人間は,ほとんど常になんらかのものに依存をして生きている.それを意識しているかどうかは別にしてである.
 これが,人が“常識”というしがらみに飲まれてしまっている原因の一つであろう.
 もし,それに気づくつもりがあるのなら,“常識”というものの本質を,一度考えてみて欲しい.

About dualism 

2005年10月26日(水) 11時42分
 二元論という言葉を聞いたことがあるだろうか.
 学校で習うとしたら,高等学校での倫理の授業くらいであろうか? あるいは,世界史などで聞いたことがあるかも知れない.
 簡単に言うと,物事を極端に分離して考える手法のことである.
 ぱっと聞いただけではよく分からないかもしれないが,これが私たちの生活の中に根強く広がっている考え方である.
 例えば,好きと嫌い,できるできない,といった,至極単純な二択のものである.
 人間と言うのは不思議なもので,物事に対してはある程度のレッテル貼りと言うかカテゴリー分けをしないと気がすまないらしい.
 それ自体には,然したる問題もないのだが,問題なのは,カテゴリーが極端に2つにしか分かれていないことにある.
 特に,できるできない,と好き嫌いはかなり極端にカテゴリーわけがされているらしく,しかもたちの悪いことに,それがごちゃ混ぜになることがある.
 好きだからできる,嫌いだからできない,みたいな感じである.
 どうも,私から見ると,他の人は物事を単純化しすぎているところがあると思う.
 それはつまり,単純化することにより,思考をストップしているということである.もう一歩踏み込んでものを考えてみてもいいのではないだろうか?
 つまりは,諦めが早すぎると思うのだ.

About simplifying 

2005年10月25日(火) 11時41分
 人が何かを理解するということは,それは,その物事を自分の中で単純化する,という意味だと私は考える.
 何か分からないものに直面した後,それを自分の中で処理するためには,既知であるものを使って,整理をしなければならない.
 これは,講師と言う仕事をしていたり,自分で研究などをしているとよく分かる.
 平易な例を挙げてみると,小学生は三角形の面積の計算をする.これくらいは,成人しても覚えている方が多いだろうが,底辺×高さ÷2というあれである.
 小学校の教育では,ブロックや紙などを使って,最後の〔÷2〕の部分が,四角形の半分の面積を計算する為であることを自力で確認させる作業をする.
 この作業こそが,単純化である.
 何も知らない小学生にとって,三角形の面積なんてものはどう求めるのか見当もつかないものがほとんどだろう.それを,すでに習っている四角形の面積を使った考え方で単純化したのである.
 しかし,この単純化と言うものは厄介なもので,これを連続的に行うと,使いやすいように改変されてしまう.
 中学生を教えていると,三角形の面積の公式は覚えていても,四角形の半分であるということを忘れてしまっている者が多いため,特に記述がない場合,どの部分が三角形の高さなのかも,分からないものが出てくる.
 更に言えば,面積とはもともと何なのか.
 小学生の時は,各々がはやり確認をしているはずである.しかし,中学生以上の年齢のものが,その答えを述べることは,極めて困難になっていることだろう.
 これは,単純化だけを目的として,学ぶことを放棄した者の報いである.
 そういう者は,根本の理解ができていないために,公式を使って他人に物を教えることはできても,小学生相手に,理解しやすい説明をすることが困難になってしまうのだ.
 それは,親が子に対する教育を行うときも同じであり,人間がいつまで経っても変わっていかない大きな理由の一つになっているに違いない.

About part-time 

2005年10月24日(月) 11時09分
 私はバイトをしている.
 つまり,雇われているわけだ.よく,塾長に〔いつもありがとうございます〕.と言うようなことを言われることがある.それとなく受け答えはしているものの,私としては首を傾げざるを得ない.
 私は賃金をもらう為に来ているのであって,塾長に尽くすために来ているわけではない.よって,塾長にお礼を言われるような筋合いは一切ない.しかも,塾長の一存で決められる範囲での時給は高い方に設定してもらっているため,どちらかと言うと,こちらがお礼を言う側である.
 まぁ,正直なことを言うと,あまり割りのいい仕事だと思っていはいない.
 最近,講師不足のために,誰か働いてくれそうな人はいないかといわれるのだが,今のところ心当たりはない.
 私の働いている塾は,大学生の講師の割合がかなり高い.つまりは,講師の質が悪いという意味である.
 よって,他の塾と比べても,時給は安いといわざるを得ない.私がその塾の講師をしているのは,地理的な利便性がほとんどである.
 歩いていけないような距離にあったら,私はその塾の講師にはなっていなかっただろう.
 まぁ,塾長にはそんな話はしていないのだから,何らかの勘違いをして,感謝をされているのかもしれない.こういうときに嘘をつくことも,嘘も方便と言うべきなのだろうか.

About family 

2005年10月23日(日) 11時08分
 家族と言うものは,何かと特別視されることが多い.法律上でも,他の人とは随分と違う扱いになっていることも多い.
 中学生の公民の教科書などを見てみると,生まれて初めて出会う社会集団であるというような記述も見られる.
 家族が大切である,というような思想に関して,なんら反対する意思があるわけではないが,何の理屈もなくただ大切にしようという考えは,あまり褒められたことではないというようにも思う.
 私は,家族をそれほど大切にはしていない.家族だからといって特別な扱いをしていないという程度の意味であり,軽く扱っているつもりもないが.
 普通の他人である.
 私はよく,家族は〔血の繋がった他人である〕という表現をすることがる.
 確かに,遺伝子は受け継いでいるが,だからといって,特別な関係があるわけではない.
 共にいる時間が長い,程度の意味合いである.
 家族よりもたくさんの話をする人もいるし,最近では,家族が一番一緒に過ごしている人間だとは断言し辛くもなってきている.
 自分でこのようなことを考えると,親不孝なものだと思うが,子供とは親にとって疫病神にような存在だと実感する.
 大抵の親は,老後を子供に面倒を見てもらおうという魂胆があるようである.それを目的で子供の面倒を見ているというのなら,あまりできのいい子供は育たないのではないかと言う印象もあるが.
 たまに,だまされてしまう子供がいるのは,同情を禁じえない.

About communication 

2005年10月22日(土) 23時23分
 コミュニケーションと言うのは,双方のやり取りであるというような解釈が一般的であるが,一個人から分析する場合は,それは,双方ではなく,単なる自己完結に終わる.
 つまりは,自分が相手をどう理解するか.
 この一点に尽きる.単純に理解できない,と言う場合はそれほど問題ないのだが,問題なのは,理解できない故に,勘違いをしてしまうことである.
 その勘違いは,相手には伝わりにくいものであるし,その誤解を解くというのも,いささか面倒なことである.
 この〔理解〕というものについても考えねばならないのだが,これは別の機会に書くことにしておいて,簡単に一言で説明するなら,〔理解〕と言うのは〔単純化〕である.
 つまり,相手とのコミュニケーションを円滑に行おうとするならば,相手のことを単純化するというだけではなく,自らを単純化して相手に提示しなければ不便である.
 これは,不便であるというだけで,世の中の9割以上の人間がする必要のないことだと私は感じである.それを隔てる境界条件は...恐らく必要な人は自覚しているはずなので,提示しないことにしておくが.
 ...今回は,ただの反省文である.意味が分からない人は,記憶から抹消すすことをお勧めする.

About conclusion 

2005年10月20日(木) 23時58分
 例えば,あるときに何かしらの結論を下したとする.
 それ自体は,何の問題もないことなのだが,その結論が,揺るぎのないものだと信じ込んでしまう者が多いと思う.
 まぁ,その気持ちは分からないでもない.結論を下す際には,それなりの根拠が必要であるし(それが,一般的に通用するものであるかどうかは別にして),それが揺らいでいるようでは,結論は下せないからである.
 ただし,その時最善だとしたものが,いつまでの最善であるとは限らない.逆に,それがゆるぎないものであると信じ,頑固として変えようとしないことが問題なのである.
 それは,考えることを放棄する行為である.せっかく決断したその自分自身の判断を侮辱する行為である.
 それでは,決断をした意味がないと,私は考える.

About emotion 

2005年10月19日(水) 9時58分
 人は日々,自分の感情や,あるいは,他人の感情に振り回されることを経験する.その過程で,【私の気持ちなんて,誰にも分からない!】というようなことを言って,相手を拒絶する人がいる.
 別に,その行為の是非を問うつもりはないのだが,個人的には実に不愉快な台詞である.
 感情の形成と言うものは,生まれたときから皆に共通して存在しているものではなく,自分が成長していく過程で,周りの環境の影響を受けながら形成されていくものなのである.
 人間が,皆似たような感情を持つことができるのは,それぞれの人が,似たような環境で育っているからであり,まったく同じ環境で育っているものなどいないことを考えると,まったく同じ感情を持つことなど有り得ない.
 すなわち,自分の気持ちが誰にも理解されない,ということは,当然のことであり,それを声高に叫ぶというのは,実は【これを他人にしてもらうのは自分には無理なので,諦めます】と宣言していることと同じである.
 大抵の場合は,相手が分かったようなことを言うのでカチンとくるのであろうが,そんな子供みたいなことをしても意味がない.
 感情と言うものは,自分にしか分からないから大切にしなければならない.自分の感情は,自分としか付き合っていけないのだ.自分は,自分の感情を共に歩んでいかなければならないのだ.
 すべきなのは,自分の感情を理解し,ともに歩むべき道を詮索することである.
 誰かに自分の感情を理解してもらいたいなら、そう努力すればいい。されたくないのなら……そう努力すればいい。しかしそれは、自分が努力しないことを棚に上げて、他人を糾弾することではない,と言うことだけは,言っておかなければならないだろう.

About time 

2005年09月04日(日) 10時59分
“時間”というものに関して.人はしばしば勘違いを起こしていると思う.
それは,普通の物質のように,そこに存在しているものではない.時間とは〔単位〕なのだ.
長さとか重さとか,それと同じ基準に過ぎない.
しかも厄介なことに,存在しない単位だ.
それゆえに,不便なことも多い.
〔今っていうのは,何秒間?〕
と聞かれても,答えられない.〔今って,今だよ〕なんて,答えが返ってきそうである.
発祥は別であるが,現在の定義では,時間とは物質が移動する際の媒介変数である.物理などをかじったことのある人間は,〔時間微分〕という言葉を聴いたことがあるだろう.
それゆえに,時間というものは,ものが移動することとで初めて認識される.だから,時間が止まるという表現は,しばしば物体が静止する,という意味で使われたりするわけである.
...と.これが,古典物理の発想である.
では、現在の物理ではどうなっているのか.かのアインシュタインは〔時空〕なんて素敵な言葉を使ってくれている.まぁ,その話はここには書ききれないため,書かないが.
2005年10月
« 前の月  |  次の月 »
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:jumpingoff
読者になる
Yapme!一覧
読者になる