世界は広く、深く。 

March 15 [Sat], 2008, 17:11
こないだ、ツタヤでセロニアスモンクのCDを借りた(タイトル忘れたけど)。



そして今もウォークマンで聴いている。



正直かなり気に入った。

高知から大阪、大阪から高知の計10時間のバス移動の時間の大半を、セロニアス・モンクで過ごした。

音源が少し古いみたいで、若干音は悪いがそれもまたいい。

軽快で楽しい曲もあり、対して少し泣きそうになるくらいせつない曲もある。

切なさの点ではビル・エヴァンスの『アローン』にはさすがに劣るが、

『アローン』は全曲ピアノだったから、まぁせつなさが増すのも当然か。

まぁなんにしろ、今セロニアス・モンクのこのタイトルのわからない曲にはまっている。




シャムシェイドのときも、カシオペヤのときも、ビルエヴァンスのときも、今回のセロニアス・モンクのときも、

「音楽」という「単語」の意味の範囲の広さ、深さを実感させられた。

「音楽」の中にはまだ僕の知らない意味が存在しているに違いない。

探求してみる価値は十分すぎるほどである。

ここでやめてしまっては、明らかにもったいない。






さて、最近の日本人(日本人しか知らないので)の中には、「日本の未来には絶望している」という人がいる。

「日本はもうおしまいだから、将来は日本を出る」なんていう人もいる。

このような人たちは、果たして「日本」という「単語」の意味をすべて知って、理解してしまったのであろうか。

このような人たちは、いうなれば最近の明らかに「手抜きでは・・・」と思われる「音楽」ばかりを聞いて(「聴いて」ではなく)、

「音楽の未来にはもう絶望している」だとか、「音楽はもうおしまいだから、もう音楽は聞かない」といっているようなものだ。

「日本」という「単語」にも、まだまだ探求してみる価値は十分すぎるほどあるというのに。









ここでその探求をやめてしまうのは、明らかにもったいない。

暫定税率うんぬんかんぬんのその後。 

February 01 [Fri], 2008, 13:48
与党がブリッジ法案を出したり、

民主党が「体を張って」強硬策をとる姿勢を見せたり、

いろいろありましたが、

もう力ずくじゃぁ見たいな

子供の喧嘩のような事態は、各議院の議長のおかげ(?)で収束しました。

「議長の一声」で、「法案の生死が左右される」という結果を、これからの国政を考える上で、

「恐ろしい」とする考えもあるようですが、今回はとりあえず一件落着と相成りました・・・




といいたいところですが、またもや子供のような争いが。

揮発油税の暫定税率維持を努力規定にしたかった民主党、

維持の確約を取りたかった自民党、

今回の話ではその間を取ってということで、「年度内に一定の結論を出す」ということになったのですが、

会議の後またなんか意見の相違が生まれているようで、

「確約というわけではない」と民主党、

「確約が取れた」と自民党。

・・・なんのこっちゃ。



新聞各社は国会の議論においての論点のずれを指摘するようになってきている。

それを見て見ぬ振りをしているのは、テレビと国会ぐらいのものだ。

クソ政治家先生様方は、いいかげんに、いいかげんにしなければならない。

保身だけを考える政治家ばかりで何が民主主義か。

今日の高知新聞で。 

January 31 [Thu], 2008, 19:29
国家公務員の話が載ってて、見出しが「守秘義務違反に厳罰も」みたいなかんじのあれだった。

これってやばそうな臭いがプンプンする。

意図的にされてなくてもどっちにしろやばい。

だって今たださえ不透明な国家公務員やのにこれやったらますます不透明になるやんか。

あーこりゃ参った。




でもだからって公益通報者保護法の内容を強化しようとか言う動きも危険のような気がする。

だって「告発」が「正義」ってことになってもうたら、みんな必死に告発しようとするやん。

それって周りの人みんなが国のお役人みたいなもんやん。

表現の自由の侵害につながりかねんとおもうんや。

うーん。






強いて結論を出すとしたら、「曖昧さの維持」なんやろうかなぁ。

いやちゃうな、「曖昧さ」って言うから印象わるいんや、「いい感じの位置」にしよう笑

適当なこというてますけども、世の中なんでも「極端」には恐ろしい事実が隠れてるもんでして、

「いい感じの位置」を見極める力を、政治に携わる方々はもちろんのこと、日本の国民の皆様方にも、

身につけてもらいたいもんですな。

レポート。 

January 25 [Fri], 2008, 17:00
日本語技法という授業のレポートがやっと終わりました。

11672字。

書き終わって自分でもびっくり。

でも4000字以上のレポートでこんなに書いていいんだろか。

友達は20000に届こうとしています。

でも4000字以上のレポートでそんなに書いていいんだろか。


とにかくすこし気が楽になった。

今日の話はこれにて決着。

暫定税率うんぬんかんぬん。 

January 22 [Tue], 2008, 14:22
昨今の政治についての報道において

揮発油税廃止やら維持やらの話題はひきもきりませんが

揮発油税廃止におそらく政権交代のチャンスを見ている民主党の意見としては

揮発油税等の税金で私腹を肥やしている悪いやつらの既得権を奪うことによって

クリーンな政治を目指し、かつ(ガソリンの値下げによって)国民は万歳でしょ、そうでしょ!?的な

まぁこう書いてみると理想的っちゃそうですが、彼らの理論には揮発油税等の税金が

ライフラインになっているといっても過言ではない

地方公共団体についての配慮が明らかに足りていない。

それらの救済策はといえば、「抽象的」と批判を受けても仕方のないものばかりです。


でも〜、だからっつって自民党の暫定税率維持のための主張の展開にも問題点は多くあります。

彼らのいう地方公共団体のための暫定税率という主張は確かに肯定すべきものやけど、

民主党の言う「既得権で私腹を肥やす悪いやつ」とかも実際にいるんだろうし、

官僚たちのへそくりというにはあまりにも莫大な額の霞ヶ関埋蔵金の問題もあって、

埋蔵金だけで揮発油税等の税金の何年分とかあるらしいし、

そういうとこをどうにもせんと、国民の生活第一って言われても

民主党と五十歩百歩、現実感がないように思う。



っていうかなにより国会はもちろんマスコミ報道においても、

今回のこの論争のほんまの論点を、意図的にずらしているのかは知らないが、

どう考えてもはずしているとしか思えない。

この暫定税率論争の本当の争点、それは税金運用の内実性である。

税金が本当に必要なら仕方ない、地方の救済のために必要ならそこは国民として

黙って払うべきである。

ガソリンが高くなったらみんなつらい。でも地方の人たちの生活がかかっているならしかたないのだ。

しかし揮発油税等の税金の運用が明らかに無駄な道路建設になされていたり、

役人のポケットマネーにされているのならそれは問題だ。

その上、本当に必要な道路の建設はおろそかになっているなんてとんでもない。

税金の用途に問題があるから問題なのだ。

税金の必要性に疑問の余地があるから問題なのだ。





今国会で必死に集票のための演説を繰り返しているクソ政治家先生方には

できる限り自分の保身のことは頭の片隅に追いやって

ぜひそこのところを議論していただきたいものだ。

年明けそうそう、そうそうそれそれ。 

January 01 [Tue], 2008, 22:48
さてとりあえず、明けましておめでとう。

2008年になりました。

今年は僕の将来、

つまり就職や結婚とかとかに多大な影響を及ぼす年になりそうです。

だから一生懸命生きようかと。

去年はなんか結構幸せで、っていうかいまんとこ俺人生幸せで、

まだまだ人としてののびしろは残ってそうなので、

頑張ります。


唐突ですが

先ほどとあるページでとある文章を読んで考えたことを書きます。

まず、「自分探し」をカギカッコつきではない、文字通りの自分探しではないということ。

「自分はここにいるんだから探す必要はない。」

僕もそうやって自分探しを批判したときがあった。

中2のころではあるが。

しかし真の意味の「自分探し」とはそういう意味ではないはずだ。

それは自分に自信を持てるように自分の内的成長のための活動

(たとえば一人旅に出てみるだとか、本を読んだりだとか、いろいろあるが)

をすることではないのだろうか。

それをしない人間に自分の小さな狭い見識から抜け出し

物事を客観視することなどできるわけがない。

主観的でしかない人間は結局無知で無力な子供と大差ないのではないか。



続いて「その人がどう思うか、それが全て」という発言は

あたかも多様性を認める寛容なものに思えるが、単なる投げやりでしかないということ。

それでは社会の規範も秩序もあったものではない。

社会の規範や秩序というのは決してもとからあるものではなく、

その文化が形作っていくものである。

そのためには「その人」には

ある程度の教養や経験、知識を備えているということが必要になってくる。

それは単に多様性を認めるだけでは実現し得ないものである。

「個人のわかる範囲でしか判断し得ない」といって限界を定めてしまうのは

簡単ではあるが、それはあまりにも手抜きである。

「その人」の「判断」の精度、質を上げることは

「学ぶ」事で間違いなくか可能であるからして、

そのあらゆることへの向上心は決して人は失ってはならない。

もちろん経済大国日本の国民であっても、だ。



とにかくとにかく、「諦める」のは「諦めない」ことよりも、いつも簡単である。

重要なのは諦めずに戦い、考え、成長しようとすることである。

もちろん、経済大国日本の国民であっても、だ。

民と国家と政治。 

December 15 [Sat], 2007, 13:42
いやいやどうもお久しぶり。

この一か月でなかなかの病みっぷりで、

まいっちゃたよってーの。



世の中には恐ろしいほどの「嘘」が溢れてる。

最近の報道でも「偽装表示」問題が盛んに叫ばれてる。

でもその報道の裏側や向こう側にもいろんな「偽装」が含まれてる。

どこに真実があるのかなんてわかりやしない。

もうつかれてしまつた。

でもそういう風に、「世間なんて」みたいな態度に出ても、

何も変わらないし、むしろ「偽装」の主の思い通りだ。

「日本をあきらめた、もうだめだ」っていうても

「人間が嫌いだ、もうだめだ」っていうても

何でそう思ったかっていうたら、

メディアとか書物とかからの情報によるわけで、

その情報は意図的か無意識かのうちに、俺らに

そういう「諦め」を促してる。

そらあんだけ政治やらなんやらの不正ばっか聞かされたら

諦めたくもなる。

けど俺らはあきらめたらあかんと思う。

国民があきらめたらなんぼ頑張る政治家が出てきてもなんも変わらん。

政治家は国民の代表であって、国民の一員なわけで、

決して単なる「サービス」の提供者じゃないんやから、

そこのところしっかり意識せなあかん。





俺はあきらめへん。

『近代後の<生政治>学的支配構造の功罪と革命の可能性』 

November 22 [Thu], 2007, 10:39
近代以降の社会は基本的に不可視の権力によって支配されている。

近代以前の社会においての社会契約的支配者は容易に対象化されうるものであった。

なぜならばそれは、「善」か「悪」かということを主観的かつ暴力的に区別しうる唯一の存在であり、

かつ絶対的なものであったからだ。

またそれが「悪」と区別するものに対しては徹底的な排除を行い、

時には「生」という範疇からもそれを抹殺していったがために、

支配側と被支配側が明確に示されていたからである。

しかし近代以降、その支配・被支配の境界線はあいまいになっていく。


このことを語るには、前近代と近代以降における「狂気」の位置づけの変遷について

まず記述しなければならない。

前近代においての「狂気」は、前述したような徹底的な排除あるいは抹消の対象であり、

社会的領域は与えられていなかった。

全ての点で「狂気」は社会という枠組みの「外」の存在であったのである。

ところが、近代以降その位置づけは大きく変化する。

支配側は「狂気」を自由にし、解放するという目的のもと、

それに社会的領域を与えることを許したのである。

しかしこのことは逆説的に、「狂気」を社会的に監禁することになる。

というのは、社会的領域を与えられるということは、その「社会」の構成員としての

有責性をも付与されるということであるからである。

つまり「社会」を「正常」に保ち、「異常」を「排除」する責任を果たす義務を背負うのである。

それは「狂気」自身が「異常」の一種であるがゆえに、

それにとって社会的領域を与えられるということは、

自己の矯正の必要にさらされるということにほかならないのだ。

では、その「正常」か「異常」かの判断は何に帰属するのだろうか。


それは前近代における可視の支配では決してない。

この「狂気」の「解放」が行われた近代において、

社会における支配構造は前近代のそれに比べて大きく異なるものであるからだ。

というのは、冒頭に記述したように近代以降の社会は

不可視の権力によって支配されているのである。

それは、修道院における魂の善導を目的とする、各人の「社会」の構成員、

すなわち「主体」としての自覚を促す装置、つまり時間的・空間的統制による

「従順な身体」の「生産」である規律訓育構造が

社会全体の様々なシステム(監獄、教育、医療、労働、軍事など)に導入されることで確立した。

このことは、「主体」各人の脳内に権力側にとって都合のよい

統制的自己への視線を埋め込むことを成功させた。

そして無論それは、「正常」か「異常」かの判断を下すための回路をも備えている。

つまり、この支配側によって埋め込まれた統制的自己への視線が「主体」に「異常」を認知させ、

「排除」せよという指令を下すのである。

この視線は社会の全「主体」に埋め込まれているため、

いわば支配側は社会の内部に散らばり、所在が不明確となった、不可視の権力となって、

「主体」を支配しているのである。

こうした支配側の所在の不明確化により、支配・被支配の境界線は曖昧化されたのである。


このことは近代以降の社会にどのような影響を及ぼしたのであろうか。

それは、歴史的典型的革命方法の無力化である。

歴史的典型的革命方法とは、前近代のまだ支配・被支配の境界線が明確だった時代において、

革命家たちが用いた、明確な社会契約的支配者を「悪」として提示し、

民衆を扇動し、革命へとつなげていくその手法のことである。

支配・被支配の境界線が不明確化した近代以降においての、この手法を用いた革命は、

支配側の所在を明らかにできないがために、必然的に、根本的な支配構造の革命はできず、

単に支配者が変わっただけにとどまってしまい、何の意味もなさないどころか、

「革命の官僚」によるさらなる悪政への転換や、

社会的弱者を庇護することによる無自覚のうちのその対象化という危険性すら秘めていた。

後者においてはもはや支配側への加担以外の何ものでもない。

では我々はこの不可視の権力に対して、どのように「抵抗」すればいいのだろうか。

以下その可能性を模索していく。


まず、はじめに考えたいのは、この不可視の権力の転覆の可能性である。

つまり、不可視の権力が問題ならば、その権力を構成するシステムを破壊し

新たな権力体制を構築すればよいではないかというものである。

しかし、この可能性はここで拒絶的に否定しておく。

というのは、この不可視の権力による支配には、

たしかに明確な革命を起こすための方法を断ってしまったがゆえの、

支配側の絶対性を高めてしまったという問題点、

さらには国家による民衆のマインドコントロールにすらつながりかねない危険をもはらんでいる。

しかしながら、この支配構造には、社会に秩序というものをもたらし、

カオスへの可能性を限りなく低下させたという功績がある。

この功績は何物にも代えがたい。

この支配構造を破壊するということは、秩序を抹殺し人々をカオスへと投げ出す行為でしかない。

ゆえに、不可視の権力の転覆の可能性は断固として拒絶的に否定する。


では現実的・実用的「抵抗」はどのようなものであるのだろうか。

それは、社会全体の様々な領域にちりばめられた不可視の権力に対し、

各領域の「主体」が、包括的なものではない、あくまで個別的でローカルな運動によって

自然発生的に生じる横断的な流れによって、その問題点を露呈し指摘することで、

支配側を変えようとすることにある

(この各領域における個別的運動を起こすためには、

たとえば生物個体としての一人の人間のような、

各領域内のもっと微細な「主体」によるローカルな運動が横断的な流れを創るのだということも

忘れてはいけない)。

これをより咀嚼して述べるとすれば、

被支配側が生物的個体の個人として、支配側の在り方について、

常に考え、淘汰しようとする思考を持つことで連帯し、個別の領域において組織化し、

さらに各領域間における連帯を形作り、支配側を淘汰しようとするということである。


現代日本においては、上で述べたような「抵抗」をただちに実現することは、

不可能としか言いようがない。

支配側に埋め込まれた自己統制の視線のみに頼り、

独自の視線を得ようともしない怠惰な文化人ばかりが巣食っているこの日本において、

支配側が被支配側からの本質的な「抵抗」を受けることは皆無に等しい。

選挙などはつまるところ、支配側が被支配側にいうなればお情けで与えた

制度的な淘汰の視線であり、結局被支配側は

支配側の手のひらの上で転げまわっているにすぎない。

今の日本はそのような制度的、大量生産的な表面的視線では浄化し得ないほど

根底から腐食してしまっている。



怠惰な文化人たちは、直ちにポテトチップスを食べながらテレビを見るのをやめ、外出すべきなのである。

戦後日本の道徳心への展望。 

November 12 [Mon], 2007, 17:17
宗教というものは、それが生まれた古代の昔から現在まで、

それを信じる人々の心のよりどころとなり、また道徳的意識規範にもなってきた。

たとえば、キリスト教においては敬虔な信仰には生きている間も神のご加護が得られ、

死んでからでも天国に連れて行ってもらえるという教義のもと、信者は正義を守り、悪を排除してきた。

その精神は、キリスト教国家であるアメリカ合衆国の、

戦後においての自国が侵略し荒廃させた国家への迅速な謝罪や救済措置にみられる。

確かにその「勧善懲悪」が裏目に出て、世界侵略ともとれる行動に出ることもあるにせよ、

キリスト教の教義がアメリカ社会の道徳心を支えていることは間違いない。

また仏教においては徳を積めば浄土に行けるという精神のもと、

敬虔な信者は「情けは人のためならず」と考え、他人を喜んで助けるという行動をとってきた。

実際、鑑真や行基などの過去の日本の高名な僧侶たちは自らの命を粉にして、

日本における仏教の普及に貢献したり、政治を助けた。

仏教が日本においてはなやかりしころ、日本の道徳心の基盤となっていたのは

間違いなく仏教の思想であった。

さらにイスラム教においても前述の二例に見られるような思想が見られる。

それは、貧しい者たちのために何の見返りもなしに自分の財産を分け与えるべしという、

喜捨という考えである。これを行うほどに神から施しを受けられると彼らは考えるのである。


 しかし、現在の日本にはいわゆる国教というものがない。

それはおそらく戦前の、天皇を神として国家を統制し、

さらには全国民を総動員した太平洋戦争にまで至ってしまった過去に起因すると思われる。

そのことは日本国民の深層心理の中に、宗教に執心することに対する恐怖心を植え付けてしまった。

ゆえに現在の日本国民の多くが、これといった信仰をもたないで過ごしているのである。

そのことは確かに日本が宗教に思想を支配されて、

再び戦争への道をたどる危険性を薄めることにはなったが、

果たしてそれはプラス面にのみ働いているといえるであろうか。

 その答えは否、である。

なぜならば、日本国民は宗教を捨てることにより、道徳的意識規範の低下を余儀なくされたのである。

というのは、前述したように宗教はその教義によって信者たちに道徳心を植え付けるが、

日本にはその宗教がないのだから、もちろんそれも存在しない。

そのことが、現在の日本における正常な人間には想像もつかないほどの

残酷な数々の凶悪事件を引き起こしたといっても決して過言ではないように思われる。

それ以外でも、現在の日本において、小さな規模での道徳心の低下の証拠は、そこかしこに転がっている。

 また、日本の人々は宗教という心のよりどころをなくしたがために、

少なからず精神的安定性に欠けるように思われる。

それは現在、宗教を利用した詐欺が成立するということが何よりの証拠と言える。

なぜならば心のよりどころをなくし、精神的に不安定な人々は、

何か拠りどころになるものを探しているわけであるから、

そこを利用されればすぐにだまされてしまうからである。

 以上のように、日本にとって無宗教であることは様々な問題を引き起こしている。

しかし、国教を定めるということがリスクを抱えることになるということもまた事実ではある。

そのジレンマをどう解消するかが今後の日本の人々にとって、

非常に大きな影響を及ぼすことは間違いないであろう。

自己喪失・自己形成。 

November 05 [Mon], 2007, 15:06
俺は俺であって他の誰でもない

まぁたしかにそうやけど

はたしてそうなのか。



俺は俺でしかあれんくて他の誰にもなれない

まぁたしかにそうやな。

それは間違いない。



おっとこれやったら下手したら俺は何物でもないという答えにぶち当たるのではなかろうか、

とお思いのあなた…たち。

そうです、ぶちあたりました。(ばーん)



後二年で「自分が自分である」証を創りますよ。

きっと、きっと。
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