ぴあの&みるくさんからコメントをいただき、またぴあの&みるくさんのブログを見て、Judyを想い、Judyにごめんねと思っている気持ちを書きます。
妊娠してから、出産後も、Judyにお姉ちゃんの思いをさせてごめん
あんまりかまってやらなくなったけど、Judyも病が知らぬ間に症状でていたんだろうね、ネンネしてることが多くなって、私は
「Judyおトシでしょ?

」なんて言っていた。
Judyを抱っこしていたのが、Shoちゃんを抱っこするようになって。。
それでもShoちゃんがJudyと触れ合えた時期はとても貴重な時間でした。噛まれたこともあったけど
Shoちゃんが2歳4ヶ月になって、学校へ行き始めた。そして2歳6ヶ月の3月20日。
学校の卒業コンサートがあって。
Judyの体調は、もう5歳あたりから、胆のうに影があって、胆汁が溜まってるようなので、薬でちらすか、手術でとるか、様子見を言われていて、最初は様子見だったけど、薬で治してみようということになって。
でも、薬を何ヶ月か投与しても改善されず、じゃあ手術でとっちゃえば簡単じゃない♪と手術を選んだ。
体はとても小さいが、先生たちの見解では、普通はさほど難しい手術ではないので・・・ということだった。
もちろん、開けてみなければわからないものだったけど・・・。
ちょっと記憶があいまいだけど、
時は2009年3月19日。ちょうど明日から3連休はじめ。
「Shoちゃんの卒業コンサートもあるし、簡単な手術で1時間くらいで終わるだろうし、よーし!Judy,病気なおっちゃいな


」
と、「トリミングもして、キレイキレイしておいでね

迎えに行くから

」
と言って、18日に前日入院&19日手術、だった。
私たちは、なーーんにも悪いことは考えてなくて、なんておき楽な楽観をしていたんだろう。
でも、それが普通だよね。
そして、パパが病院へ送っていき、私はいつもどおりの別れだった。
「バイバーイJudy

いってらっしゃーい

」
虫の知らせもなかったし、別にラブラブちゅっちゅな別れでもなかった。
いつもライバルな私たちは、(ジョークで)「あーーせいせいするぜ

」なんて感じで。
でも、帰ってきたらお祝いだね!!

と思っていた。
19日夜、「手術は成功しました」という連絡が入る。
「でも、まだ薬で目覚めない。状態は安定しています。」
というものだったと思う。
でも、わずか1時間で済む手術の連絡が、夜で、なぜ?と思った。
そして、「手術は長引いて、Judyの体に負担がかかっている。」
というような連絡が入る。
私の記憶が鮮明ではなく、パパにも確認していないので、間違っていたらごめんだけど、何度か病院から連絡が入った。
「手術は成功して、今眠っているから問題ない。」という答えが何度かあったような気がする。
だけど、そのうち、「できれば今から病院にきてほしい。」と言われたのが、夜11時ころだったような・・・。
まずJudyに謝らなければならないことは、この時点でパパとママがすぐ駆けつけてあげなかったことだ
私は、「なんで、手術成功したのに。今眠ってるんでしょ?今何時だと思ってるの。明日お昼に迎えに行くんだし、子供もいて、明日はコンサートだし、ちょっと無理じゃない?」
パパはJudyを心配して、病院が今からきて欲しいと言った時、悩んでいたに違いない。でも、「手術は成功して、今眠っているけど、不測の事態に備えて、病院にきて欲しい。」と言われたことに、時間や子供の状況を思って、病院には行かない判断をしたんだと思う。
そして、私たちは20日を迎え、コンサートが始まる。
10時ころからコンサートが始まり、しばらくすると、パパの携帯に病院から電話が入る。しかし電話に気づかなかった。
何回目だったかな。2、3回かな・・・。もっとかな・・。
「病院から電話が入ってる

」といって会場を出た。
私はShoちゃんのお遊戯などに夢中になり、病院の電話には、
(なんでそんなにかけてくるの?Judy起きたの?)と思っていた。
パパが戻ってきて、
「できればいますぐ来て欲しいって。Judy危ないかもしんない。」と言ったと思う。
それでも私は、(また〜。病院は手厚いんだから〜。)と半分大丈夫って気持ちと、半分信じたくないって気持ちがあったんだと思う。
結局半信半疑で、コンサートが終わって急いで車で家に帰った。
直接病院に行かなかったのは、パパの動揺で、運転が危なく、家に帰るまでも、不安定な運転だった。
家に帰って、私はShoちゃんと先に家に入り、パパは車庫に入れてから来た。
家では私の妹が待機してくれて、Shoちゃんを見てくれることになっていた。
そして、パパがなかなか玄関に入ってこない。外で電話しているようだ。
入ってくるなり、「Judyが死んだ。」と言って泣いていた。
私は、一瞬時が止まって、
「どうーーーしてよーーー!!!!どーーして!!!!!」と誰を責めるわけでもなく泣いて責めた。
きっと病院を責めた。迎えに行かなかった自分達を責めた。そしてやはり病院を責めていたのだ。
病院は、決定的な言葉は使わないのかもしれない。
「とにかくいらしてください。」それだけで、普通の人はわかるだろうか。私はなんて愚かなんだろう。
「死ぬかもしれない。」と言われないとわからないのね。
病院は経過も事情も、詳しくは会うまでは話さなかった。
そして、私とパパは電車で病院へ向かった。
まだ信じられない部分もあった。寝てるだけじゃないの?と思うところもあった。
そして病院につき、Judyと対面した。
追憶2へ続く。